信州下諏訪の“万治の石仏”、イースター島石像モアイの顔が運ばれたのか(2008.5.2)

2008-05-02 13:34:52 | Weblog

*3泊4日ツーリングでの写真で、たった一枚の“万治の石仏”の写真です。

この間、息子の信州ツーリング写真の中にあった、“万治の石仏”の話です。
突然、午後から出発するというツーリング・コースを聞いて、ならば“万治の石仏”に寄ってみたら、と話したのです。
息子は、“首の伸びる石仏?”と。私は、そのことは知りませんでした。
私が、30年くらい一度行ってみたいと思いながら、行ったことがない“万治の石仏”です。

*右は、30年前の古新聞です。活字が小さ~~い。

 昨日、わが書庫を探し、“万治の石仏”と題する小説が入っている“鷲ヶ峰物語”(新田次郎著、講談社 昭和52年発行)を出してきました。
その昔、この本を買うきっかけになった新聞の切り抜きがはさんでありました。 私が“万治の石仏”を知り、行ってみたいと思った新聞切抜きなのです。朝日新聞夕刊 昭和53年(1978年)5月11日夕刊。30年前です。

<堂々たる鼻。落ちくぼんだ目、薄いくちびる――なんとも異様な面相がネコ背で肥満ぎみの胴体に乗っかっている。信州下諏訪の「万治の石仏」は初めて出会った者を圧倒する迫力で、田んぼの真ん中にどっしりと座っていた>、と書き出しています。
<頭の長さは70センチ、幅40センチほどで、体は高さ2メートル、幅・奥行きとも4メートルはある自然石だ。正面に袈裟(けさ)と印を結んだ指が彫られ、脇に「南無阿弥陀佛 万治三年(*1660年)十一月一日」と刻まれた文字も読める>
つまり、阿弥陀様なのです。

*岡本太郎の自筆の“万治の石沸”の碑(ツーリングの写真から)

さらに引用を続けます。<この石仏が世に知られたのは、三年ほど前(*昭和50年頃)。岡本太郎氏が本紙(*朝日)文化面で絶賛したのがきっかけだ。毎春、供養を行って来た一握りの地元の人とか、郷土史家を除いて気にもとめない存在だった。画家の谷内六郎氏も魅力にとりつかれた一人で、諏訪出身の作家新田次郎氏も、イースター島から首が渡来したという設定で小説にもした・・・・・>

 この小説を読みたいと思ったのです。30年前のネットのない時代で、けっこう苦労しました。新田次郎の単行本の中に収録されているだろうと考え、本屋で探しました。
この小説“万治の石仏”は、オール読物 昭和51年9月号に発表されていたのです。

歴史学者の主人公が、“万治の石仏”の顔立ちから、イースター島モアイを思い、首が海を越えて渡来したという話にしています。太古、神代の時代のことです、神話すらない時代です。空想を展開するのも、小説=創作、お話の世界でしょう。

農耕民族が治めていた日本を、騎馬民族(天孫族)が征服したというのがわが国の始まり、古事記の国譲り神話です。諏訪を治めていた諏訪族は、騎馬民族と妥協せず、あくまで抗争を続けます。
この諏訪族の中には、古くからこの地にいた漏矢(もれや)族や、遅れてこの地へやってきた、女首長が率いる種族がいました。この女首長は諏訪神社下社に祭られています。この種族は海洋民族(南方から海を渡って来てこの地に安住した民族)だろうという考察は、古くから多くの学者によってなされているそうです。

*イースター島からの海流に乗れば、日本に漂着することも可能。(新田次郎著の“万治の石仏”から)

この海洋民族に、イースター島からの渡来族と重ね、地球・海洋気象学からも可能性があると考察もされています。
何せ、神代の時代の話です。そうして、諏訪上社と下社の抗争という史的事実を重ねて小説にしているのです。

真実はどうなんでしょうか。
この古新聞の切り抜きには、<最近(*30年前)になって、この石仏は、江戸初期の民間信仰の形で広まった“弾誓(たんせい)教の奥義伝達法「仏頭伝授」によって作られたことがあきらかになった>と書いています。

日本人は、何にでも“神を感じます”、山にも、大きな樹にも、大きな岩にも、神を感じ、手をあわせたりします。私もそうです。
そういう岩に、頭を作って乗せてしまう信仰(宗教)があったようです。

古代の伝説話は大好きです、けっこう夢中になります。

新田次郎の小説を読み返していて、主人公が、石仏の肩・胴の上に、登っている記述があって、少し嬉しくなりました。
田んぼの片隅にある大岩には、どこの子どもでも登って遊ぶでしょう。こんな風に顔が乗っていれば余計に登るでしょう。私が出かけていって登ると“バチが当たるぞ”という声が聞こえるかもしれませんね。
阿弥陀様だという信仰の対象とは別の、田んぼの中のどっしりした野仏なのでしょう。

   【おまけ】

*30年前の古新聞の案内図
*今、ネット上にある案内図

* ネットで“万治の石仏”を検索するとたくさん出てきます。写真の迫力と説明の丁寧さから、断然いいのは<ここです>

* 首が伸びる石仏の話は、去年(2007年)テレビが放映したようです。<ここにあります>


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1 コメント

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伝説の行方  (もののはじめのiina)
2020-11-02 10:36:50
「万治の石仏」の“首の伸びる石仏”なのでしたか。

胴体と頭の石は違う素材から造られたようでした。

イースター島石像モアイの顔が運ばれたというのは、恐らくは小説の題材にはおもしろいですが、飛躍し過ぎな印象です。

> 騎馬民族(天孫族)が征服したというのがわが国の始まり、古事記の国譲り神話です。
大和三輪の先住民の王であった大物主命が、大和朝廷に敗北し国譲りして出雲に流され、後に出雲大社として祀られたとする「神々の流竄」梅原猛説が面白いですょ。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/067a4ae0aa1cdff46438c52f757b4b31

いろいろと採り上げていて、おもしろかったです。

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