40年前に、♪ふたりで歩いた淀屋橋~♪(大阪奈良感傷旅行②)(2010.9.29)

2010-09-29 23:34:02 | Weblog

*40年前に、7年間通っていたビル。今、共同通信社のネオンが。

 9月22、23日に大阪で2泊。40年前、働いていた会社にもっとも近いホテルにしました。ブライトン・シティ・ホテル北浜です。なんか新品のホテルでした。40年前には、あった三越デパートもなく、その隣にホテルがありました。

 私が、10年近く働いていたのは、大阪市北区高麗橋です。最寄駅は、京阪電車の北浜です。だから通勤電車は、京阪電車です。上品な阪急ではありません。
 アパートは、京阪・門真駅すぐそば、家賃5200円。世帯を持ってからは、枚方公園駅近くの、大阪でいう文化住宅です。決して文化的住宅ではありません。風呂なし家賃8000円。

 ホテルでも、朝5時には目が覚めます。夜が明けはじめた街に、ひとり散歩にでます。 今度の40年ぶりの大阪の旅は、かなり感傷的にしてくれました。
 今日は、カメラスケッチです。

 繁華街キタと勤務先の高麗橋の往復は、もちろん徒歩、ぶらぶら歩きでした。今朝も、同じように歩きます。中之島に入ると、まず、今も変わらない風景、中之島公会堂です。

*中之島公会堂、フォークソング大会があったりしました。

*大阪府立図書館。夜勤の日の日中には、よく入り浸っていました。

*御堂筋です。淀屋橋方面です。全く変わっていない嬉しい風景でした。小説“日の沈む橋で”の舞台です。

*淀屋橋から、西を見ます。右に、朝日新聞社、フェスティバル・ホールが見えていたのですが、すっかり変わりました。

*淀屋橋詰め、ここから地下におりて、京阪電車に乗ります。安アパートに帰ります。

~♪ふたりで歩いた御堂筋、そぼ降る小雨の淀屋橋~ふたりのおおさか~♪と、この頃、鼻歌していることがあります。この歌のできたのは、ずっと後のことですが。

 【おまけ】

*ホテルに帰って、8時から朝食です。窓の外に通勤の人たちが次第に多くなってきます。

*2泊、2日間同じメニューです。

*ブライトン・シティホテル北浜。

 


阪急電車の上品さは、創業者小林一三の茶の湯の心(大阪奈良感傷旅行①)(2010.9.28)

2010-09-28 18:09:18 | Weblog

 *小林逸翁美術館

 先週9月22日から2泊3日で大阪に行ってきました。大阪で感じる東京との違いは、いろいろありますが、まずエスカレーターで右側に立って、左側が歩き登ることです。関東とは逆です。
 なぜなんでしょう。40年前に私が大阪にいた時代は、エスカレーターはデパートにあった程度で、片側をあけて立つなんてことは、そもそもなかった。地下鉄に長いエスカレーターができてからでしょう。エスカレーターに乗っていながら歩く人が出てきてからでしょう。人が急ぐようになってからでしょう。

 阪急電車に乗りました。上品なのです。乗客でなく車内、車両が上品と感じるのです。写真を撮らなかったのですが、木目調だったか車内デザイン、座席の材質、品がいいのです。まるで一等車です。これは40年前から変わっていません。東京・大阪、いくつも私鉄に乗ってきましたが、阪急だけです。。社風でしょうか、守り続けている精神です。
 電車もまた、派手なツートンカラーやアルミむき出しでなく、渋めのあずき色で落ち着いています。

 阪急宝塚線で、池田駅まで乗りました。茶の湯好きの家人に合わせて、小林逸翁の記念館などを訪ねました。
 小林逸翁、小林一三は、起業家で、阪急電車、阪急デパート、宝塚歌劇団、阪急ブレーブス、東宝・・・などの創業者です。電車を通し、文化施設、文化的な住宅地を創っていった、今流にいえば、“まちづくり”をしていった人です。文化を根底にまちづくりをした人、まちづくりの先導者でもあります

 明治生まれの大実業家は、茶の湯の“数寄者”でもあります。東京の、益田鈍翁(三井)、根津嘉一郎(東武鉄道)らの系譜につながる破格の茶の湯好きです。

 *小林一三記念館(旧邸宅)

 池田駅でおり、山に向かって20分ほど歩いた所に、小林逸翁の邸宅があります。   今、小林逸翁記念館です。小林逸翁の生涯、実業での業績を展開します。そして、自邸で楽しんだ茶、茶室が点在します。生前は7つの茶室があったといいます。今、ここでは、即庵(三畳台目)、費隠(二畳離炉)、そして没後に意志をついで建てられた人我亭があります。<簡素即茶道>、<芸術即茶道>を全うした人です。

*椅子でも楽しめる逸翁の茶室、即庵

*京都の古寺から移設した費隠

 駅に戻る方向に歩いて5分。小林逸翁の集めた茶道具・美術品を展示する小林逸翁美術館があります。

*逸翁ある日の茶会の取り合わせ

 そして、その隣に、池田文庫があります。小林逸翁には、ひとつの市に一美術館・一図書館をもとうとした文化によるまちづくりの構想がありました。池田文庫は、小林逸翁が作った図書館です。今、私邸にあった茶室、大小庵と古彩庵も移設され、広く市民の茶道サークルらが利用しているようです。

*今、市民も使っている茶室

*塀の内側に池田文庫

 茶の湯好きの家人には、うらやましい町のように思えたでしょう。

*池田市はやはり古い町です。

 【おまけ】

*池田市には、もうひとつ大阪が世界に誇る起業家記念館があります。安藤百福の“インスタント・ラーメン記念館”です。40年前の大阪で、私が食べ続けたチキンラーメンの故郷です。行きたかったのですが、食べたかったのですが、その思いを飲み込んだのです、


春日部・庄和、水野さんの田んぼで子どもたちの稲刈り(2010.9.28)

2010-09-27 08:25:46 | Weblog

 ことしも季節はめぐります。あの暑さも忘れてしまう冷たい雨がきました。しかし、たった一日、秋晴れの、日本晴れの昨日(9月26日)、水野さんの田んぼは、ウチの孫も参加し稲刈り大会でした。
 前夜<春日部のボーイスカウトの子どもたちが稲刈りをしますから来ませんか>とメールをもらっていたのです。たまたま、その日は娘と孫がやってくる日で、絶好のタイミングのお誘いでした。
 5月に一緒に田植えをした子どもたちとの、大きくなった稲の刈りとりです。

 暑い夏の今年、とっくに稲刈りシーズンは終わっています。が、水野さんは、南桜井小学校など、子どもたちの稲刈り体験用に残してくれていたのです。まわりは田んぼだらけの庄和ですが、ここだけが黄色に輝いていたわけです。

*稲を刈ることは小さい子には重い仕事、ママも頑張らなければ終わりません。

*とうとう、全部刈取り終わりました。田んぼは、東武野田線から見えます。

*今日もまた、水野さんはたくさんのおにぎりとお野菜料理を用意してくれていました。

   【おまけ】

*越谷のウチに帰るクルマの中で、<今日はたのしかったね>と下の孫。来年一年生です。

*庭にコスモス、トンボもいっぱい。

*<10月31日の日曜、ウチでとれたサツマイモをもみ殻で焼く、焼き芋会をやりますから来ませんか?>と水野さん。


大阪に10年間も暮らしていたのに、大阪行くのにガイドブックを探しています(2010.9.21)

2010-09-21 17:18:25 | Weblog

*左;一緒に暮らすようになった時、家人がもってきた大阪市の地図帳です。昭和43年4月版、150円です。今、何の役にもたちません。捨てればいいのに、ですね。

 1962年(昭和37年)に、岡山県を出てから10年大阪で暮らしていました。東京なんて考えられない、まず大阪でした。学生、社会人入り、世帯を持つという、19歳から28歳まで、今から思えば、人生でもっとも夢のあった時代を大阪で暮らしていたのです。

 それから1970年に札幌に、1973年には東京へと流転の人生を送りました。
 大阪を出てから、40年ほどの間に、東京―大阪とんぼ返りの出張は何度もしましたが、ゆっくり大阪のキタを歩いたことはありません。ミナミに至っては、なんば・心斎橋・千日前、行ったこともないのです。

 明日(22日)、大阪へ行きます。姪の結婚式出席が主目的です。
 家人と一緒に出席ですが、行きかえりの新幹線と結婚式とホテルは一緒ですが、後は別行動です。この頃のわが家、新幹線すら別であることもざらです。

 つまり、ざっと2日ほどの自由行動があります。どうしようかと思案しているのです。それで、私の<旅に出るとき入念にガイドブックで調べていく>という手法を思い出しました。
 大阪のガイドブックなんて、わが家にあるわけありません、本屋で立ち読みしたこともありません。京都観光特集の雑誌は山のようにあります。だいたい観光地でもない大阪にガイドブックなんてあるんだろうか。

 それで、春日部の図書館にいきました。やはりありません。が、<乙女の大阪>というガイドブックを見つけ、借りてきました。

*春日部市立図書館にあった、<乙女の大阪>甲斐みのり著 2008年1月、マーブルトロン発行。1500円。表紙のデザインは、大阪梅田の阪急百貨店の包装紙も嬉しい。

 <乙女の大阪>のタイトルに、なんか魅かれてしまったのです。高齢者には、いささか恥ずかしいタイトルです。貸出カウンターには隠すように出しました。

 先日つれあいを亡くした義妹と食事をしようとしています。
 なんば・高島屋前を待ち合わせ場所にしたのですが、30年前の高島屋の記憶と現実の違いに不安を覚えているのです。すっかり変わっているでしょう。

 その昔、心斎橋筋を用もなく歩き、御堂筋いっぱいに手をつないで歩いたフランス式デモの記憶です。60年代終わりのことです。
 妹もまた、その記憶を変わりなく持っていてくれているといいのですが、もっとも、その後、ずーっと大阪のおばちゃんを続けてきたので、どうでしょうか。

 1970年は大阪万博の年。70年6月30日は安保自動改定の日です。その夜のデモ行進の最中に、大阪を発って札幌に居を移したのです。・・・・といって、青臭い小説ばなしでなく、単なる転勤です。72年の札幌オリンピックに向けてということでした。

 その頃、大阪には純喫茶と呼ぶ店がたくさんありました。それとお好み焼き屋です。現代のように最初からお酒を飲む時代と違って、ノンアルコールがあった時代です。同伴喫茶というのもありました。

 なれなれしくなると、たいてい餃子のでした。“♪ふたりで食べれば、におわない~・・・ふたりの大阪~♪”です。大阪キタ・阪神裏、千日前、京橋・・・の看板を見つけると、ずっと後になって外国でマグドナルドに見つけた時も、同じ安らぎを覚えていました。
 サイフがいつも空っぽの時代、ギターが千円で質屋に出入りしていた時代です。

 結局は、ガイドブックを読まずに歩くことでしょう。やっぱり、大阪に観光ガイドブックなんていりません。


春日部市役所で蝶“ツマグロヒョウモン”を見た日に(2010.9.19)

2010-09-19 11:23:21 | Weblog

 ちょっと信じてもらえそうにない、作り話みたいな話です。
 2,3日前(9月17日)、知人数人と市役所食堂で、かすかべ焼きそばを食べた、すぐその後のことです。地下の食堂を出て、中庭に上がって来たときです。

 “・・・あ、蝶だ・・・・”、一緒だった女性さんが、小さく、そうつぶやきました。
 確かに、オレンジ色の蝶が、暑い日差しの中に見えました。

 それだけのことです。
 その人、生態系・・・協会のメンバーさんで、自然観察会などによく参加されていると 聞いていました。

 その日の夕刻、夕刊をみて、声を上げそうになりました。

*朝日新聞(2010年9月17日夕刊1面)

 朝日新聞の一面に、4段の扱いで、その蝶、たぶん、その蝶の記事が載っているのです。<温暖化?チョウ北上、ツマグロヒョウモン 東海⇒関東>と見出しにあります。

 それだけのことです。

 その記事は、環境省生物多様性センターが行っている“いきものみっけ調査”で確認されたというのです。
 ツマグロヒョウモンは、かっては東海地方から南西諸島が生息域だったが、関東に大量に入り込み定着が確認されたと、書いています。

 “いきものみっけ調査”は、見つけたことを、事務局に知らせる仕組みだそうです。

   【おまけ】

*市役所中庭に舞っていた蝶の写真がありません。常にポケットにデジカメを入れているのですが、撮らなかったのです。不覚でした。

*だから、正確にはツマグロヒョウモンであったかどうかは確認できません。いや、ツマグロヒョウモンです。


春日部市市民活動センター(来年夏にオープン)のPRを手伝いました(2010.9.19)

2010-09-18 22:02:54 | Weblog

*市民活動センターPRブース、この手作り感がまた市民参加のようでいい。

 今日は、春日部中心市街地で、カーフリーデーのイベントがありました。2回目のようです。春日部駅東口のブロンズ通りでクルマをシャットアウトし、いくつかのテント・ブースを並べていました。その日、市内の全小学校は一斉運動会日で、にぎわったイベントにはならなかったように感じました。クルマのない通りの日常を体感するのが目的だから、人集めする行事と違うのでしょう。

 そこで、来年夏、ララガーデンの隣にオープンする春日部市市民活動センターのPRを手伝ってきました。久しぶりの通行人にチラシ配りです。8月7日の起工式で配られた“うちわ”200本用意しましたが、午前中でほぼなくなりました。

 ララガーデン隣、長く空き地だった所、今工事が始まっている所に、何ができるんだろうか、の関心は高いと感じました。



 ひょっとすると、一般市民に初めて、その内容を説明したことになったのかもしれません。
 市が用意した“機会をとらえて”、市民が市民活動センターを応援、PRしたのです。

 オープンまで10か月を切りました。市の手続き上、議会との調整、関連条例整備などあって、市民への広報は、まだその時期ではなさそうです。
 オープンと同時に活発な利用をはかるためには、今、市民の期待感を高めることも必要のように感じます。

 そんなこんなで、いささか勝手連的な、カーフリーデー・イベントでの一日でした。  ワタシには、何十年ぶりの通りでのビラまきになりました。ギターでプロテスト・ソングのひとつも歌えば、<よみがえる、その昔>なのです。ともかく過ぎてしまえば、あっという間のことでした。

  【おまけ】

*今日、一緒だった皆さんです。

  【おまけー2 /19日】
*このブログは、おちゃらけをモットーとする、ご近所情報お知らせブログですが、カーフリーデー・イベントは、日常的にクルマのない道路を体感するのが目的で、にぎわいイベントではない、と書いたのは、おちゃらけがすぎるでしょう。

*かくほどさように、イベントにやってきた人が少なかった。駅に行きかう通行人ばかりだった。お隣の“クレヨンしんちゃん・特別住民票売り場も、お向かいの野菜売り場も、開店休業状態。金魚すくいも、風船つりも散々だったでしょう。

*よそのブログの何件かに、全市一斉運動会の日に実施したのが失敗だったと書いています。昨日、一緒だった知人にも、学校評議員、あるいは児童民生委員もいて、学校に不義理を働いた人もいます。

*縦割り行政で、隣の部門の行事日程がわかっていない。でも、ないでしょう。秋は、毎週なんかしらの、・・・・まつり、・・・・フェスティバルが、課・部門別にあるのです。多すぎるのです。でもまあ、連休前だし、議会も終わったところで、しょうがないのでしょう。

*ブースの“店番”をしていて、カーフリーデーの状況視察に、川崎市、松戸市からおいでになった方の名刺をいただきました。もりあがっている“春日部市のカーフリーデー”を見てもらいたかった、なあ。


春日部市役所食堂、かすかべ焼きそば、環境都市、エコまちづくり、カーフリーデー(2010.9.17)

2010-09-17 14:52:39 | Weblog

*春日部焼きそば・・・です。

 今日(17日)に、春日部市役所に行きました。お昼時になって、迷わず市役所食堂に行き、市が全面的に売り出している“春日部焼きそば”を食べました。

 市役所食堂は2回目で、迷わずに行けました。春日部焼きそばも2度目ですが、おばちゃんに、太麺ですか、細麺ですかと聞かれて立ち往生しました。選択する理由を持っていないのですが、“太麺”と答えました。

 春日部市が、B級グルメとして売り出している春日部焼きそば、600円です。
 学食、社食、と同じ役所食堂ですが、全然安くありません。
 それに、12時10分ごろというのに、ガラガラなのです。職員さんはいない感じです。 女性職員さんが固まって、お弁当を食べているだけです。一緒に行った、市役所に強い、事情通の知人が、“職員は、みんな、出前とってますよ”と。
 そうか、地域振興ですね。民業を圧迫してはいけません、かな。

 太麺でしたが美味しかったですよ。今日もまた、どこが春日部的?と思ったのですが、口には出しません。なんでもいいのです。これも街づくりです。皆で食べて売り出しましょう。

 明日(18日)土曜は、春日部市の中心部は、カーフリーデーになります。
 春日部駅東口のブロンズ通り、と西口の“おしゃれ横丁”・・・おしゃれ横丁って、わかりますか?・・・・が、歩行者天国になります。

 春日部市の「エコまちづくり計画」の一環です。
 “環境問題を都市交通の面から考えるとともに、街に人中心の賑わいを創り出していく”のが目的で、“車のない都市空間を体験する、のです。

*ブロンズ通りの駅寄り(左が春日部駅東口)

 東口のブロンズ通りは、駅寄りから、“クレヨンしんちゃん・特別住民票の販売テント”“市民活動センターPRテント”“金魚すくいテント”“ゲームが楽しめるテント”“苗木の販売コーナー”が並びます。

 ワタシもたぶん、明日は“市民活動センターPRテント”を手伝っていると思います。
 お立ち寄り下さい。隣の駐車場では、商工会議所青年部が、青空市をやっています。生鮮野菜がお安いと思います。春日部焼きそばの店もあるでしょう?

 明日は、暑くなりそうですが、いいお天気の“行楽日和、運動会日和”です。春日部の全小学校は、一斉に運動会だったでしょうか。


春日部駅近くに来年8月オープンする市民活動センターを応援します(2010.9.15)

2010-09-15 07:04:20 | Weblog

*昨日(14日)の準備を手伝ってきました。

 来(2011)年6月にできる埼玉県と春日部市の複合施設は、8月7日に起工式を終え工事が始まっています。
 1階の県施設・多目的ホール、4階の市施設・市民活動センターに期待しています。

*ララ・ガーデンの隣にできます(起工式の8月7日に撮影)

 春日部市がつくる施設、市民活動センターをうまく使っていこうと、応援する市民グループがあります。 “市民のための活動センター”です。“使われてこそ、ナンボ!”のものです。
 せっかくの施設だから市民がうまく使っていこうよ、とするグループです。

 オープンまで10か月です。市行政は、市民に<派手に>広報しません。
 “ララ・ガーデン隣の空き地に、市民活動センターができることを知っている市民は、ほとんどいないでしょう”、ましてや“市民活動のためのセンター”を具体的にイメージできる市民も少ないでしょう。
 すでにセンター内部施設・設備も、もう決まっているでしょう。

 そんなこんなで、市民活動センターをうまく使っていきたい、と、市民活動センターを応援する会ができたのです。市民・市内で活動しているグループに知らせたり、市がオープンに向けて準備する作業を手伝ったり、しようとしているのです。知人が代表さんです。

 今週の土曜(9月18日)に、春日部市の都市計画課が事務局になって開く<かすかべ・カーフリーデー2010>、“つまり歩行者天国”が開かれます。
 そこに、“市民活動センター”を広報宣伝し、市民のセンター・市民活動への関心を深めようというテント・ブースができます。

 その日は、春日部駅東口ブロンズ通りが歩行者天国になります。
 駅から一番手前が、市企画財政課の“クレヨンしんちゃんの住民票ブース”、その次が、“市民参加推進課の市民活動センター広報ブース”になります。隣の駐車場には、生産地直結の野菜市場が特設されます。10時から16時、小雨決行です。

 そこには、市内の市民活動などグループやサークルさんのチラシなど情報も集結するようです。 “何かやっている!何かやりたい!”さんには、必見のイベントになります。市民の皆さんとブースの“店番さん”との会話もはずみ、来年夏オープンする市民活動センターの施設・利用に期待がわいてくるだろうと思えます。


春日部で、ウチのご近所まつりでウチらスウィング・ベアーズが演奏(2010.9.12)

2010-09-12 23:43:05 | Weblog

*演奏中に、自分で撮った、たった一枚の写真。見づらいですが、この一枚だけです。

 ご近所まつり、という言い方が好きなのです。 
 7,8年前からでしょうか、新聞の生活面とか家庭面で、ときどき大きく解説します。 都会のマンションの住人が、集会室とか、空き地に集まって一緒に食べながら、おしゃべりをするのだそうです。人間関係が希薄な都会の人たちの新しいコミュニケーションの場という扱いです。 

 新聞は、必ずフランスなどで古くから行われている、と付け加えています。フランスの例を出すまでもなく、日本ではどこでも“親睦会”の名で、どこででも行われていたものと同じでしょう。

 私は、ご近所まつり、という言い方が好きなのです。 
 フランス語の原語でなんというのか知りません。 

 私の住む団地の、自治会にも一年に一回、親睦会という飲み会がありました。 昨(2009)年に、順番で回ってくる自治会役員のおり、“***自治会親睦夏まつり”を担当しました。そのとき、いささか勝手に、“ご近所夏まつり”と名うったのです。
 呼び名を変えることで、集まってくれる層が違うのではないかと期待したのです。
 その様子は、ブログに書いています。
<ここをクリック>

 今年(2010年)は、今日(9月12日)、ご近所まつりがありました。
 正風館の広い部屋で行われました。私のいるスウィング・ベアーズも、アトラクション演奏を行いました。昨年に続いての演奏です。

  【おまけ】

*演奏終了後、バンドのメンバーとの立ち話。“***自治会は、こういう催しができて、人が集まってきて、いいなあ”と、なんと2,3人からいわれたのです。ちょっと驚きでした。そうなんだ・・・、と。誰かが声を出せば、すぐできますよ、と思うのです。

*私は、バンドの先乗り設営者でもあります。本番が始まって、ヴォーカルさんの音量を調べるために、客席に出かけ、素早くチェック、ついでに、一枚撮ったのが、この写真です。


関東の真ん中、やっと来そうな、待っていた台風の雨(2010.9.8)

2010-09-08 12:27:20 | Weblog

*雨が降ってる。いい気持ちの朝でした。

 夏の終わりには、例年ひとつやふたつの台風がくるのですが、ようやく今日(9月8日)、台風が来そうです。
 待っていたのです。この暑さには、ざーつと雨がほしかったのです。うちわや扇風機でない風がほしかったのです。

 この夏、一度も雨が降らなかった。“関東地方は、ところによりにわか雨”と、何度も言っていたのですが、全然降らなかったのです。

 昨夜も天気予報のお姉さんが、台風が来ますので、<注意。注意だらけ>でした。<ようやく待っていた台風です>、<恵みの大雨です>とは、いいません。
 でも、皆が待っていた台風なのです、と思うのです。

*道路が濡れているのです。久しぶりなのです。

 お昼のニュースによると、この時間、台風は、福井県から琵琶湖にあたりにあります。これから、中部地方から関東地方に。明日朝には、千葉県沖に抜けるようです。
 この地に、埼玉県にも、すでに大雨洪水警報が出ているようです。

 といっても、なんと気持ちのいい日なんだろう、いい風なんだろうと感じます。
 やっと来た、待っていた台風なのです。

  さあ、暑くて心身ともに動かなくて、止まっていた“仕事”ができそうです。
 買うだけ買って、読む気になれなくて、積み上げている本が読めそうです。

  【おまけ(9月9日)】

*猛暑をくぐりぬけて、わずかに残った、しし唐の鮮やかな赤がうれしい(9月9日朝5時、ウチの雑草畑で)

*台風9号が通りすぎました。東京の南側を横断したようです。春日部あたりは、午後1時過ぎに、20分ほどザーと降りましたが、今回もお湿り程度でした。人間にもほしかった雨ですが、畑にもほしかった雨です。昔からの雨乞い行事がやっぱりいるのです。


春日部・庄和の正風館まつりで4日には、スカイツリーをテーマにアート・カフェ(2010.9.3)

2010-09-03 23:06:38 | Weblog

*紙の東京スカイツリーです。

 9月4、5日の春日部・庄和地区公民館(正風館)まつりの準備が整ったようで、開店前を覗いてみました。

 3Fの会議室で開かれる恒例のお抹茶カフェが毎年人気です。
 近年、ご近所アーティストさんの作品を使って、ちょっとしたアート・カフェの趣です。
 今年のテーマが、なんと東京スカイツリーです。当地から見える、見えたとの話もあります。

 裂き織の松本さんがスカイツリーをテーマに織った作品・わたしのスカイツリーなどを展開している。

 お抹茶のふるまいは、百千鳥さん。館内の展示巡回、音楽の後のやすらぎに楽しめます。無料。お抹茶のふるまいは、9月4日(土)の一日だけ。午後1時~です。

 それから、
 12時~、1Fロビーでは、石坂恵美さんのコカリナ・コンサート。
 1時10分~、大ホールで、スウィング・ベアーズ・コンサート

  【おまけ】

*明日は子どもたちでいっぱいでしょう。

*1Fロビーでは、人形劇くれよんさんが、今年度作品“孫悟空”のPRを兼ねて、最近の作品の人形たちを展示しています。子どもたちの人気を呼ぶでしょう、


春日部・庄和で9月4,5日に正風館まつり、たぶん大賑わいでしょう(2010.9.3)

2010-09-03 04:03:29 | Weblog

*平日の夕方6時の集まりは、まあ、こんなもんでしょう。

 私らスウィング・ベアーズの出番は、9月4日(土)午後1時30分~です。
 昨(2日)夜、舞台練習、PAさんとの調整をしてきました。

 ところでワタシ、正風館まつりでの、お昼ランチタイムのロビーコンサートの係です。実力派の知人が引き受けてくれました。
  9月4日(土)12時~;コカリナの石坂恵美さん
  9月5日(日)12時~;栗岡一矛さんとお友達のブリランテさんのエレクトーン・デュオ
です。 ご期待下さい。


どうせ自分が先なのだろうが、つれあいに先立たれたことを思う(2010.9.1)

2010-09-01 18:44:47 | Weblog

 4,5日前のことです。訃報をもらって、大阪にかけつけました。家人の妹のつれあいさんが突然の他界です。
 私のようにダイナマイトを持つ身でもないのに突然だったのです。

 木曜(8月26日)に訃報、金曜にお通夜、土曜にお葬式です。
 暇な毎日ですが、週末は、何やかや目いっぱいが続いていました。

 金曜のお通夜に、間に合うように出かけます。
 大阪南部のニュータウンでした、私の知らない大阪の風景でした。

 つつましやかでしたが、しめやかなお通夜。つれあい、親を亡くして動く遺族に悲しんでいることを許しません。けなげさが胸にきます。
 通夜の客が帰って、一晩、明かしました。


*故人ゆかりの品と書かれた尺八。大変な尺八なんだそうです。一緒に天にいったのでしょう。

 故人は徳之島の出身で縁の人も徳之島の人でした。私とほぼ同世代、徳之島の戦後生活に話が及びました。徳之島が日本に戻ったのは昭和28年のことです。日本に切り捨てられたという気持ちがにじんでいました。
 翌朝、台風が来ているけど帰れるかなあ、と。

 つれあいを亡くした妹とは、1960年代後半の大阪時代をともにしました。
 その時代、少し蒼い議論をしたり反戦歌を歌ったり、本の好きな頑張り屋さんでした。

 私は、翌日、告別式の始まる直前に、会場を後にしたのです。
 その夜は、地元、町の夏祭りでした。花火にむなしさを感じていました。

    【おまけ】

*由緒ありそうな焼酎をどうしよう。

*日曜日に宅急便で、宮崎のお土産が届きました。突然、大阪に出かけた土曜日に、宮崎からの人にお会いする約束を持っていたのです。お土産を用意して下さっていたのです。 がんばれ宮崎!とだけ書いておきます。