ついに敦煌に到着。沙漠で駱駝(ラクダ)に乗りました(中国西域放浪9)(2011.9.30)

2011-09-30 23:50:28 | Weblog

*敦煌の鳴砂山です。ここから鳴砂山にラクダに乗って登ります。

 9月14日の午後3時30分頃、楡林窟の見学を終え、出発。5時30分頃、敦煌、鳴砂山に到着です。沙漠、砂の山です。午後5時30分といっても、それは中国標準時のこと。西の端のこの地は、まだまだ明るい。

 ここ鳴砂山沙漠は、まるでレジャーランドです。サンドバギーが走り回り、サンド・スキー、砂すべり、観光客がいっぱいです。私らは、ラクダに乗って鳴砂山ツアーにでます。敦煌までバスで走ってきた道中の沙漠と違い、ここは、ほんとにサラサラの砂なのです。夕暮れ、ほんとに♪月の砂漠♪です。

 最初は、ややコワゴワでしたが、次第に余裕が出てきます。ラクダは本当にやさしい。駱駝は楽だ、でした。立ち上がる時、前足から、そして後ろ足です。ラクダの上の見晴しは最高です。そして柔らかい毛の感触がとてもいいのです。 

 

【おまけ】 

*ホテルに着いて、かぶった砂のまま夕食にのぞみます。この写真の左のお皿は、<ラクダの手のひら(足のひら)>です。ここでしか食べられない、からと楽しんでいましたが、ワタシは遠慮しました。

 

*食事が終わって夜の街に繰り出します。この旅で、初めての街への外出です。皆“はしゃぎ”気分になりました。 ここは目的地、敦煌です。旅も残り3日になりました。


敦煌へあとひといき。あの世、彼岸の平穏を願いながら(中国西域放浪8)(2011.9.29)

2011-09-29 18:57:31 | Weblog

*ホテル(嘉峪関花苑酒店)の窓から見る嘉峪関の街です。沙漠を走ってたどり着くまちですが、砂漠のオアシスではなく、どこも大都市の雰囲気です。

 9月13日です。旅もいよいよ最終コーナー、敦煌へ一走りになりました。

 周囲は沙漠です。沙漠の中をまっすぐに高速道路です。幹線道路でクルマの交通量もかなりありました。

右;トイレ休憩で見かけた路線バスです。

<敦煌は左>の標識を通過します。

 

 そうして、土壁に穴を掘り、仏を安置し、その周りの鮮やかな絵を描いています。2000年も前から続いている祈りのスポットです。敦煌(とんこう)莫高窟(ばっこうくつ)が有名ですが、今日は、敦煌手前のところの、楡林窟(ゆりんくつ)によります。

*洞窟内は写真撮影厳禁です。壁画や仏の写真を示さずに、楡林窟を説明し敬虔な祈りの世界を話すことは難しい。説明を受けながら、5つ6つの窟に入り、懐中電灯の光の中で、神々しいお姿に手を合わせます。2000年たった今も、人々はあの世の極楽浄土を念じるのでしょう。

*ガイドブックにある壁画をコピーしました。ぼんやりですが、2000年前の農業の姿です。牛を使い田をおこし、タネをまき、収穫します。ほんの50年前、ワタシが子どもの頃の風景と同じです。2000年の間、変わっていないのです。そうして、この50年、たった50年の間に、何もかも変わってしまったのです。

 実は、この絵を実際の壁画で見せてもらったわけでは、ありません。ただ入場チケットにこの絵がついていたのです。 この旅行で、何か所かチケットを購入して入りました。そのチケットの残った半券が、絵がガキになっているところが3か所ありました。しかも官製ハガキのように80分(0.8元)の切手(?)が印刷されています。ワタシは、この3枚を日本宛の航空便のために4.5元の切手を貼って投函しました。

 2週間たっていますが、この3枚の絵ハガキは日本のウチにまだ配達されません。

 

【おまけ】

*昨日(9月27日)の午前中には、ワタシの上司だった方のお葬式に行ってきました。30年ほど働いていた中で半分以上、直近の上司だった方です。言葉もなかったですね。お酒の好きな方でした。74歳でした。浄土真宗、なむあみだぶつ・南無阿弥陀仏が、メロディに載って唱えられていました。まだまだと思いながら自分の番を思います。


万里の長城にそって走り嘉峪関(かよくかん)に向かう(中国西域放浪7)(2011.9.26)

2011-09-26 16:09:40 | Weblog

 蘭州から武威まで半日、武威に2泊して、沙漠に植林作業しました。武威を発ったのは、9月13日(火)朝8時15分でした。毎朝8時過ぎに出発です。

*万里の長城に沿うように走り、一休み、トイレ休憩です。青空トイレだったかも。

 そうして、長掖(ちょうえき)に11時すぎにつきます。この街も開発の進んだ真新しい街になっています。ここは、マルコポーロが1年近くも滞在した所です。マルコポーロの“東方見聞記”にも出ている“大仏寺”に行きます。34.5mという身長の巨大な金色の釈迦涅槃像があり、背後や周囲に弟子の塑像が並んでいました。写真は禁止です。膝をついて手を合わせおまいりするために、黄色い座布団?が置いてあり、膝を折って祈る人々がいました。

 

 万寿寺の木塔です。ここらあたりは、公園のように整備されています。周辺の道路際にはお土産屋や骨董品屋が並んでいます。立ち寄ってみたかったのですが、急ぎます。

 昼食後、また2時間ほど走って、“酒泉”を通過、嘉峪関(かよくかん)です。万里の長城の西端とも言える所です。

 

 

そうして、山に駆け上がるように作られた長城。“懸壁長城”(けんぺきちょうじょう)です。日暮れも近く、山の長城には行けませんでした。残念。

 

【おまけ】

*バスの車窓から、列車を遠望します。次回は、シルクロード列車の旅がいいなと。ただ、バスで立ち寄った街々は、中心部で駅前を通ったことは一度もなかった。駅は、街はずれにあるのかもしれません。

*実は、この日の後半から絶不調になったのです。中華料理をバカスカ食べていたせいか、その油のせいか、水にあたったのか、食欲が全くなくなりました。見るにみかねて誰かさんが腕をとってくれた“懸壁長城”でした。

*その夜は、嘉峪関花苑酒店です。ここもまた豪華中華料理でしたが、スイカしか食べなかったかもしれません。

 


武威滞在、玄奘三蔵法師より鳩摩羅什(くまらじゅう)(中国西域放浪6)(2011.9.25)

2011-09-25 17:52:08 | Weblog

 *後ろ脚で踏んづけているのはツバメです。

 9月11日は、朝8時に蘭州を発って、午後1時27分に武威という街につきました。昼食のあと市内観光です。大きな街です。砂漠のオアシスから発展した街はどの街も、真ん中にシンボルの大きな像をおいて都市開発されています。

 この街の武威のシンボルは、空を駆ける馬です。空飛ぶツバメを踏んづけて駆ける馬、飛燕を踏む馬、銅奔馬のモニュメント像があるのは、雷台と呼ばれる後漢時代に墳墓エリアです。1969年雷台下から、レンガ製の墓が見つかり発掘され、副葬品の軍団のミニチュアがみつかったのです。その複製品が実寸模型が並べられて公園になっています。

 バスは、ほっそりした十二層の塔につきました。ガイドが鳩摩羅什(くまらじゅう)の話をしてくれます。ここは羅什寺です。鳩摩羅什は、亀慈国の王子で拉致され唐につれてこられ、時代に翻弄されながら生き、翻訳した経典を残したのです。

 

 私ら世代が、シルクロードの旅にロマンを感じるのは、たぶんに、若い時代にみたNHKのテレビ番組“シルクロード”の影響でしょう。正確には忘れましたが近年、再びNHK

テレビが番組“新シルクロード”を放映しました。私はこの新シリーズを一度もみていませんが、この旅の出発前に、書籍化された番組、3天山南路・敦煌編を読んでいました。NHKのディレクター(柴田昌平さん)は、思いいれたっぷりに鳩摩羅什の生涯を書いています

 

 少し長いのですが、拾い読みします。

 <羅什の死から200年後、滅ばされる直前に亀慈国を訪れた僧玄奘。亀慈国に3か月も滞在したにも関わらず玄奘の「大唐西域記」には、鳩摩羅什の記述がない・・・・200年前のライバルについては多くを語らなかったのかもしれない>

 <鳩摩羅什が時代に翻弄されながら翻訳した経典は、今も日本人の精神文化の底流に流れている「阿弥陀経」「般若経」「法華経」。日本でも、鳩摩羅什訳の経典は、宗派を超えて、日々のお勤めや法事の際に読まれている>

 <玄奘と羅什の漢訳した経典を比べてみると、玄奘訳のものは正確緻密な大学論文のようで、羅什訳のものは血の通った美しい文学となっているといわれる。玄奘は有名だが、今一般に読まれている経典は、玄奘訳のものより鳩摩羅什訳のものが多い。羅什の訳した経典は多くの人の心を捉え、今も読みつがれているのだ> 

 武威の街には2泊しました。到着した翌日(9月12日)は、沙漠植林の日です。

 

【おまけ】

*旅から帰って、ウチに引きこもっていました。彼岸の中日に“曼珠沙華を探しに”家人に散歩に誘われました。

*そのおり9月23日に旧庄和町で、“青森まで歩くのです”という修行僧に会いました。国道4号線と平行に走る田舎道です。若い求法僧の道の平穏成就を祈ったのです。今日25日はどこまで行ったでしょうか。


河西回廊をシルクロードに走り、青空トイレ・・・(中国西域放浪5)(2011.9.24)

2011-09-24 22:33:49 | Weblog

 *蘭州のホテル(蘭州飛天大酒店)を、このバスで出発します。

 9月11日朝、蘭州を発ちました。いよいよシルクロードの道、河西回廊を走るのです。

 蘭州は、真ん中を流れる黄河に沿った細長い街です。河西回廊の河西とは、黄河の西を意味します。回廊は、南側の万年雪を頂く祁連(きれん)山脈と北側の荒涼とした沙漠に挟まれた細長い地域をさします。長さ1000㎞、河西回廊の先は、めざす敦煌です。漢民族と匈奴の間の幾多の戦乱争乱の舞台でもあります。回廊に3つ4つある大きな街は豊かなオアシスとしてシルクロードの道時代から栄えてきたのです。

*蘭州は黄河の街、橋の街です。バスの車窓から黄河をみます。 黄河鉄橋、中山橋です。

 

 *時おり小さな町を通り抜けます。ガソリンスタンドでトイレ休憩です。ここで女性陣はドアのない個室トイレ初体験しました。真ウシロで次の人がズボンを降ろして待っているのだそうです。その後なんどか、コレを体験したようですが、話題にもならない、ごく普通のことになったようです。

 *さらに走ります。2時間ほど走ってトイレ休憩のためにバスを停めてくれます。平原のど真ん中です。ここは青空トイレでした。山歩きでは、そんなことなんともないのですが、バスを降りて一斉に青空トイレに向かう・・・となるとちょっとしたザワメキになりました。3日間シルクロードを走りましたが、青空トイレはここだけでした。高速道路を走り、観光スポットに寄りながらの旅になり、その心配、楽しみ?はなくなりました。

 

【おまけ】

*数日後、敦煌近くの観光地“楡林窟(ゆりんくつ)”のトイレです。ドアはあるのですが、すーっとあいてしまうのです。だからドアを外から押さえているのです。


朝日新聞の題字を探す、雨の西安市内観光(中国西域放浪4)(2011.9.23)

2011-09-23 17:55:48 | Weblog

 

 この旅、このツアーには中国人ガイドがつきました。スルー・ガイドというらしい。このガイド・王さんは、なかなかの博識の日本通さんでした。

 西安に、“碑林”という著名な碑を集めた博物館(碑林博物館;ベイリン・ボーウーグワン)があります。書に関心のある方には必須ポイントでしょうが、もし私の個人旅行だったらパスする所です。

 ガイドさんが、朝日新聞の題字は<唐の書家、欧陽訽の大唐宗聖観記>からとられたと話してくれました。なんとはなく知ってはいましたが、ここにあると聞いて碑林博物館にぐっと親しみが湧いてきました。

 <“新”の中の“木”の部分が“未”になっているが、これは古い自体であり、“新”の字が宗聖観記にないので、“親”の偏(へん)と“柝”の旁(つくり)から点をとりのぞいて作字した>。朝日新聞創刊の1879年のことです。

 とはいっても、宗聖観記の碑の前で立ち止まって、朝・日・新・聞の文字を手でなぞったわけではありません。立ち止まらず、著名な、由緒ある碑群の前を通りぬけただけです。むろん写真禁止です。売店に碑文の拓本を売っていました。探したかったのですが、それもかなわず、いや、高そうだったので、さっと通り過ごしました。

 

 バスは、秦始皇帝の兵馬俑(へいばよう)博物館(チンシーホアン・ビンマーヨン・ボーウーグワン)をめざします。
 途中、西安を西に抜ける時、<ここらあたりが“青龍寺”>と聞きました。

*ここらが青龍寺・・・です。

 唐の時代、空海・弘法大師が修行した寺です。春から東京では真言密教・空海関連のイベントが続きメディアも大きくとりあげていました。

 このまち西安で留学僧・空海の苦難の日々を思うのもいいか、と思っていました。その青龍寺は、荒廃し廃寺になっていたのだが、1973年に塔の土台が発掘され、日本の仏教関係者の支援で記念碑や記念堂が建てられました。桜の木1000本も植えられているといいます。日本製の空海テーマパークになっているようです。行ってみたかったのですが。

 西安は、昔は長安、中国最大の街でした。グルリを城壁に囲まれ四方に巨大な門、街と人々を守る門があります。 

 

 西安中心部から1時間ぐらい走ったでしょうか、兵馬俑に着きました。その日は土曜日。雨にも関わらず観光客でいっぱいでした。巨大な体育館の2階周囲の観覧席を通りぬけながらそのすごさを見ていきます。むろん最前列の柵にはいっぱいの人です。まさに第一級の観光地の実力ですが、ガイドブックの写真と同じだなあ、と思い、近くにある秦の始皇帝の古墳へのハイキングをしたい・・・と。

*そうして西安の一日は終わりました。飛行機で着いた西安は、ほんのちょっと寄ったというだけのことです。翌日から、いよいよ河西回廊、シルクロードへの旅です。


岩槻の慈恩寺から西安の大慈恩寺へ(中国西域放浪3)(2011.9.22)

2011-09-22 17:43:41 | Weblog

 *ここにもあった〝いつもの玄奘三蔵法師のお姿”

 9月9日(金)に成田を発って、西安のシェラトン・ホテル(Sheraton Xion Hotel)に深夜0時ごろ着きました。翌日は、6時30分にモーニング・コール、7時に朝食、8時にロビー集合。バスに乗車し出発します。その後も連日、朝はこんな調子で、朝の街の空気を感ずる時間はありません。 

10日の日中は、西安市内観光です。

 

 西安は、シルクロードを旅した玄奘三蔵法師の大慈恩寺を訪ねることが、今回の旅の“私だけの目的”でもありました。ワタシの住む隣の町、岩槻市になんと三蔵法師の遺骨が祀られています。その名も慈恩寺です。はるか大昔、唐代に、タクラマカン砂漠をこえてインドへ、そして経典を持ち帰り漢訳した三蔵法師の遺骨が、わが隣町にあるのです。釈迦のシャリがあちこちにあるのとは、意味が全然ちがうでしょう。

 

 この日、西安は雨でした。残暑が続いていた日本からの旅行者には肌寒い日でした。

 見えてきました、あの塔です。日本で読んでいた本には、必ず載っていて、よく知っている塔です。“大雁塔”です。これは本物、実物です。

 塔に登りたかったのですが“それを言い出せません”、皆、急ぎ足で通りぬけます。

 三蔵法師は、627年29歳のおり、天竺をめざして旅発ち、645年、46歳のおり長安(西安)に、仏像・経典など馬23頭分を持ち帰ります。そして大雁塔に安置、漢語翻訳をなします。665年に64歳で遷化し長安東郊外・白鹿原に葬られます。

 1942年(昭和17年)12月23日、南京中華門外で、日本陸軍森鷹部隊がご頂骨を納めた石棺を発見。その石棺の刻文から、長安より南京に移されたことが明らかになったそうです。

 1944年、頂骨の一部が日本仏教会に送られ、東京は空襲の恐れがあるということで埼玉県岩槻市の慈恩寺に奉安されたのです。

 

 シルクロードの旅を思いながら読んできた本には、必ず三蔵法師の求法の旅が出てきます。今、その端緒に立っています。ここからシルクロードを旅する感傷が少し頭をかすめますが、急いでバスに帰り、次の観光地に移動します。

 

【おまけ】 

*観光名所の案内人さんは、必ず黒のパンツ・スーツ・スタイルの若い女性です。役所の職員さんの感じです。もちろん日本語が達者で、なかなかいい感じで、ツーショットも撮ってもらったのですが、ここではボツです。

*このブログで、岩槻市の慈恩寺のことを書いたのは、去年の秋2010年10月13日です。一年後、中国西安の大慈恩寺に行くことになるとは、ちょっと不思議です。そのブログは、↓

 http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20101013

 

 


熱烈歓迎、羊の頭を丸焼きで食べるの図(中国西域放浪2)(2011.9.21)

2011-09-21 23:22:07 | Weblog

 

 NPO法人草炭緑化協会の沙漠植樹の日には、<熱烈歓迎>の赤い文字をあちこちで受けました。

 ここでは、9月12日夜の歓迎交流会の写真から少し貼り付けます。

 

次は、同日お昼の会食です。 

 これ、羊の頭です。ワタシは、思わずのけぞったのですが、美味しい美味しい、目の所が美味しい、と言う人もいました。別の日には、ラクダの手のひら(足のひら)がでました。ここでしか食べられないから・・・・と。そりゃそうですが、ワタシはご遠慮申し上げました。

 

【おまけ】

*これは、ひまわり。ブチブチむしってタネを食べます。美味しいとは思えません。ワタシは美食家、ゼイタクなのかなあ。

 


中国沙漠緑化活動体験(NPO法人草炭緑化協会ツアー同行記1)(2011.9.20)

2011-09-20 16:47:29 | Weblog

*沙漠の入り口にたつモニュメント、人々の腕が持ち上げているのは“緑色新動”でしょうか。

 2011年9月9日から、NPO法人・草炭緑化協会のツアーに乗って中国西域をさすらってきました。しばらく同行記を書いていきます。仕事でもプライベートでもけっこうあちこち行っている旅好きですが、中国は全く初めてです。香港に1か月ほどいたこともありますが、それも中国返還前のことです。

 

 出発は、9月8日(木)。成田1700発の中国東方航空(MU522)で、上海でいったん降ろされ西安空港2300着。4日目の9月12日(月)が、武威市郊外の沙漠での植樹の日です。ここから始めます。

 

 <世界全体で砂漠化の影響を受けている土地は、地球の全陸地の約4分の1で、全世界人口の6分の1にあたる9億人が影響を受けています。それもアジア・アフリカに集中しています>と、勉強しながらの旅です。

 中国西域には、広大な沙漠あります。また年々沙漠化が進み、現在2460㎢/年(ほぼ東京都の面積)の速度で沙漠化しているのです。中国は、国土の3分の1が沙漠の浸食、風さの被害を受けており、中国政府は真剣に沙漠緑化に取り組んでいます。国連も日本も砂漠緑化に協力援助してきているのです。

*中国の砂漠;植樹してきたタンガリ沙漠は中央です。ラインは、年間降水量400㎜の境界線。西北部の極端な雨の少なさを示しています。タンガリ沙漠=謄格里(とんぐり)沙漠です。

*武威市のホテルから沙漠に向かいます。赤文字が読めないかもしれませんが、今回植樹した“馬路灘”、以前に植樹した“長城郷”の位置です。

 

 武威市のホテルを、朝8時に出発します 。ガタガタ道を2時間だったか。今年の沙漠緑化植樹する、謄格里(とんぐり)沙漠に接している“馬路灘”に着きました。 

*左;今回の植樹団(後列左側に現地の役員さん)

 そうして、遅い昼食の後には、10年前(正確には、もっと前?)から植林している“長城郷”に着きました。今回の団長の新島さんが樹の成長を眺めがら、当時の現地のお仲間と旧交をあたためている姿は感動的でした。

 左の“中日合作…”のコンクリート柱には、鉄条網がはってありまが、10年前には背丈より高かったと聞きました。半分以上、砂に埋まっています。

 

【おまけ】 

*“緑色史冊”の碑(たぶん緑化貢献者の碑)に自分たちの名前を碑に見つけた杉山さんご夫妻。もう何度も参加しておられるようです。隣町(姫宮)にお住まいです。

 

 


もう秋、春日部市立南桜井小学校5年生が田植えした田んぼで稲刈り(2011.9.8)

2011-09-08 16:44:26 | Weblog

 *秋、黄金の稲穂刈りとりに挑戦

 夏休みが終わったばかりの、まだ暑さは残りますが、風さわやかな秋になっています。春日部・庄和の田んぼは、もう黄金色。稲刈りの季節です。
 <明日(9月8日)、南小の5年生の稲刈りです>と水野知子さんからメールをもらっていました。ここ何年か、子どもたちの田植えと稲刈りには、応援(正確にはちがいますが)に出かけています。

 水野さんは、たぶん10年ほど、南桜井小学校の田植えと稲刈り学習の提供をしています。毎年5年生が担当します。

 10時30分から12時前の間、稲刈りに汗を流します。自分たちが田植えした稲の刈り取りです。皆初めてだったでしょう。

 終わったら、おにぎりの用意がありました。お米、ご飯を実際に勉強するのです。子どもたちは、午後は運動会の練習だと、整列して帰っていきました。

 

【おまけ】

*お手伝いの人たちに、“お昼”をだしてくれました。ワタシもいただきました。“野菜だけだから”と水野さん。いつもながら、おにぎりが実に美味しいのです。

*9月13日に葛飾中学校2年生が、同じ様に稲刈り体験する田んぼ提供の横川さん。牛島小学校などに、田んぼ提供している染谷さんと一緒にいただきました。そして春日部おやこ劇場の新井さんが特別参加。“子どもたちの芋ほり体験”のお話がまとまりました。9月11日には、春日部のボーイスカウトの人たちの稲刈りもあります。

*これはサツマイモ。順調に育っています。

*10月30日には、<芋ほり・焼き芋の集まり>が予定されています。誰でもウェル・カムだそうで、詳細決まったら、このブログでも紹介します。


春日部市立図書館の木々は、秋近しなのに、まだアブラゼミの大合唱だった(2011.9.5)

2011-09-05 21:37:08 | Weblog

 *春日部市立図書館には夏の茂み

 この夏は、まったく春日部市立図書館に行きませんでした。10日に一度は必ずいくのですが。昨日の日曜(9月5日)にちょっと手持ち無沙汰になって、図書館にでかけました。

 台風一過で、ときどき強い風がありましたが、陽も照っていました。図書館に近づいて、セミの泣き声が異常に強く感じられます。庄和のわが家では、完全に秋近しのツクツクボウシの声に変わっているのですが、ここは、まだジージージャージャーとアブラゼミです。

*見上げるとアブラゼミ

*あそこにもここにもセミの抜け殻

 もう反射的に、木にとまっているセミを探します。すぐに見つけられます。虫とり網を持っているわけではありません。ついこの間まで夏休みの孫の相手をしていました。

そうして、もう習慣的に、セミの抜け殻を探していました。3つ4つすぐに見つけられます。
 小学校3年生の孫の“夏休みの自由研究”です。孫なら、もっと圧倒的な数の抜け殻を拾い集めるでしょう。

 この図書館の中庭で、セミ取り、抜け殻拾いをする子どもはいなかったでしょう。都会(!)の中の昆虫採集の穴場です。もともと植物園=薬草園だった所です。

 

【おまけ】

*ウチの孫の自由研究は、3年連続で<セミのぬけがら研究>です。今年は、通っている小学校の校庭へ、朝8時に2週間毎日でかけ、抜け殻を採集し結果をまとめたのです。1000個ぐらい採集したのではないでしょうか。

*孫がこの夏に集めたセミのぬけがら。採集日、採集場所別に袋に入れています。

*手前右がアブラゼミ、左がツクツクボウシ。 

*セミの抜け殻発見の天才です。

*ウチの団地の公園です。ここにもセミぬけがらがたくさんあります。

 

【おまけー2】

*久しぶりに行った図書館、ワタシが楽しみに、まず目を通す新着図書の書棚がガラガラです。いつもはずらっとあったのです。最近、本を買っていないことが一目りょうぜんです。

 


春日部・正風館でのスウィング・ベアーズのステージ写真が届きました(2011.9.4)

2011-09-04 08:29:08 | Weblog

 

 昨日今日(9月3日、4日)は、町の公民館のおまつりです。公民館育ちの、わたしらスウィング・ベアーズも“舞台発表”という名のステージを持ちました。

 持ち時間は40分、ステージ撤収片付けをやるから実質30分です。春日部・越谷の4つのビッグバンドで開いた“東日本大震災復興支援コンサート(6月13日)”以来です。
 一年ぶりの地元での演奏になりました。

 

 その夜、masaharusさんから写真が届きました。

 少しだけ速報しておきます。

 

【おまけ】

*こうして見ると、箱型の譜面台=バンドの顔です、が随分ボロボロだなあと思います。私らスウィング・ベアーズは、結成23年。つまり平成元年です。そのとき作った譜面台です。あまり丁寧に扱っているわけでなく、ウチのライトバン=楽器運搬車に、いつも大急ぎに放り込んで運んでいます。いやそうではなく23年も使っていればけっこうボロボロになりますね、何でも。

 


明日9月3日、春日部の正風館でスウィング・ベアーズが40分ほどのステージ(2011.9.2)

2011-09-02 14:36:46 | Weblog

 *東日本大震災復興支援コンサート(6月13日)。明日は暑いから、白のジャケットは着ません。

 9月3日(土)は春日部市庄和の正風館はおまつりです。1時から40分ほどステージを受け持ちます。

ぜひ、おでかけ下さい。久しぶりのステージになります。

 

・ビッグバンド・ジャズです。

・スウィング・ジャズをやります。

・“となりのトトロ”をやります。

 

 

演奏予定曲は、次のとおりです。

1、となりのトトロ

2、ヘイ・バーナー ( Hay Burner )

3、クイーン・ビー ( The Queen Bee )

4、C-ジャム・ブルース (C Jam Blues )

5、君の瞳に恋してる ( Cant Take My Eyes Off You )

6、アット・ラスト ( At Last )

7、ジャスト・イン・タイム ( Just In Time )

8、ブルース・オン・パレード ( Blues On Parade )

 

【おまけ】

*夏が終わって、ジャズの秋になりました。この地域のビッグバンドの演奏予定は、私の聞いているものだけですが、次のとおりです。

*ドリーム・スイング・キングダム(春日部市)

  さいたま新都心ジャズ デイに出演

  9月24日(土)25日(日)

  会場;さいたま新都心のけやき広場

  http://saitamabigband.com/jazzday/index.htm

 

*オール・スウィング・ジャズ・オーケストラ(越谷市)

  エコ・コンサートに出演

  10月2日(土)1400~

  会場;越谷市中央市民会館

 

*今秋(2011年)のジャズデイかすかべは、11月5日(土)です。