この旅、このツアーには中国人ガイドがつきました。スルー・ガイドというらしい。このガイド・王さんは、なかなかの博識の日本通さんでした。
西安に、“碑林”という著名な碑を集めた博物館(碑林博物館;ベイリン・ボーウーグワン)があります。書に関心のある方には必須ポイントでしょうが、もし私の個人旅行だったらパスする所です。
ガイドさんが、朝日新聞の題字は<唐の書家、欧陽訽の大唐宗聖観記>からとられたと話してくれました。なんとはなく知ってはいましたが、ここにあると聞いて碑林博物館にぐっと親しみが湧いてきました。
<“新”の中の“木”の部分が“未”になっているが、これは古い自体であり、“新”の字が宗聖観記にないので、“親”の偏(へん)と“柝”の旁(つくり)から点をとりのぞいて作字した>。朝日新聞創刊の1879年のことです。
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とはいっても、宗聖観記の碑の前で立ち止まって、朝・日・新・聞の文字を手でなぞったわけではありません。立ち止まらず、著名な、由緒ある碑群の前を通りぬけただけです。むろん写真禁止です。売店に碑文の拓本を売っていました。探したかったのですが、それもかなわず、いや、高そうだったので、さっと通り過ごしました。
バスは、秦始皇帝の兵馬俑(へいばよう)博物館(チンシーホアン・ビンマーヨン・ボーウーグワン)をめざします。
途中、西安を西に抜ける時、<ここらあたりが“青龍寺”>と聞きました。
*ここらが青龍寺・・・です。
唐の時代、空海・弘法大師が修行した寺です。春から東京では真言密教・空海関連のイベントが続きメディアも大きくとりあげていました。
このまち西安で留学僧・空海の苦難の日々を思うのもいいか、と思っていました。その青龍寺は、荒廃し廃寺になっていたのだが、1973年に塔の土台が発掘され、日本の仏教関係者の支援で記念碑や記念堂が建てられました。桜の木1000本も植えられているといいます。日本製の空海テーマパークになっているようです。行ってみたかったのですが。
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西安は、昔は長安、中国最大の街でした。グルリを城壁に囲まれ四方に巨大な門、街と人々を守る門があります。
西安中心部から1時間ぐらい走ったでしょうか、兵馬俑に着きました。その日は土曜日。雨にも関わらず観光客でいっぱいでした。巨大な体育館の2階周囲の観覧席を通りぬけながらそのすごさを見ていきます。むろん最前列の柵にはいっぱいの人です。まさに第一級の観光地の実力ですが、ガイドブックの写真と同じだなあ、と思い、近くにある秦の始皇帝の古墳へのハイキングをしたい・・・と。
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*そうして西安の一日は終わりました。飛行機で着いた西安は、ほんのちょっと寄ったというだけのことです。翌日から、いよいよ河西回廊、シルクロードへの旅です。