年のおわりに「わが終わりにわが始めあり」T.S.エリオット(2009.12.31)

2009-12-31 19:26:48 | Weblog

*CATSを、聞いたことも、観たことも、読んだこともあります。

  暮れに、昔一緒に仕事をさせてもらった大先輩から、メッセージをもらいました。
  仕事と並行して、米国のノーベル賞文学者、ウィリアム・フォークナーの研究を続けられた方でもあります。
  本年は、時に、体調不良を感じられたこともあって、<今年は、不本意なとしでした、来年は・・・・>とメッセージがあって、最後に、

      In my end is my beginning. 
     T.S. Eliot

と、結んであったのです。イン・マイ・エンド・イズ・マイ・ビギニングです。

  私も、今年は絶不調だったこともあって、ちょっと考え込みました。
  そのことをリプライしたら、難しい返事をいただきました。

 <T.S.Eliot の Four Quartets 「4つの四重奏」は、英文学を少しかじった者なら知っている瞑想詞です。その第二曲のはじめと終わりに、対照的に「わが始めにわが終わりあり」と、この” In my end is my beginning "「わが終わりにわが始めあり」の句があるのです。彼の墓碑にも刻まれている句です。>

 <通説では「人間は生まれたときから死は始まるのだ。でも、死後にわれわれには、また、なにか新しいものが生まれてくるのだ」とされているようですが、学者の間では、例によって、ハムレットの「死後の世界感」などを引用して、結構にぎやかな論議があるようです。>

   また、また、考え込みました。
   でも、本年最後らしい話になりました。

    【おまけ】

* 写真が困りました。今日の話にあう写真がありません。T.S.Eliotの著作も、あったように思って書庫をさすらっていたら、キャッツがT.S.Eliotだと、思いついたのです。

* キャッツCatsなら膨らませることもできます。一番に書くことは、わが町の中学生が町の正風館で、見事なミュージカル公演をやったことです。20年以上前の話です。書き出せば長くなりそうなので、またにします。今は、春日部市立ですが、庄和町立だった頃の葛飾中学校の先生と生徒たちの公演でした。

*暮れにいただいたお便り。

*ついに、賀状の一通も書けませんでした。早めにお風呂に入って寝て、明日朝、書くことにします。皆さん、よいお年を。


もうお正月か、やること・宿題がいっぱい残っているのに(2009.12.28)

2009-12-28 18:07:06 | Weblog

*また、お正月が来てしまう。

 私ら年代には、天皇誕生日のお休みが12月23日に入ると、クリスマス前後の浮ついた気分があって、あっという間に年末が押し迫ってきます。

 わが町のブロガーでケーキ屋のRikaさんも、大忙しのケーキシーズンを終え<のんびりブログ>戻るでしょう。ブログに今年もまた同じ話があっても、そのことが“私にとっては年末風景”になります。

 今日12月28日(月)は、仕事納めでしょう。明日からお休みでしょう。

 家人に言われるまでもなく、ちょっとぐらい<片付けなけりゃ>と思います。
出すあてもないのに、書きためている原稿、しかも3つ4つ平行に進めています。そのための山のような資料、捨てられない紙類です。こういう状態が何年も続いています。いい加減にあきらめたらいいのですが。

 年賀状もありますね。12月31日に投函がもう何年も続いています。まだ書く気持ちになりません。

*関東で手に入らない、丸餅と豆餅

 2,3日前、広島に住む弟夫婦から、宅配便が届きました。
 丸いお餅が入っていました。元旦のお雑煮は丸餅、ゆがいた丸餅にします。そうして、豆餅が入っていました。このブログに、暮れになると、豆餅を話題にしてきました。豆餅、息子が通勤前の朝食に<使う>ことが多いのです。
 それから、近辺の町の産物が入っていました。<めざし>がありました。半干しではありません。子どものころ食べていた<めざしの丸干し>です、かたそうです。岡山県笠岡市・坪井海産のラベルが入っています。なつかしいなあ、笠岡か、と。

    【おまけ】

*去年もブログに使った同じような風景です。クリスマスでもケーキは回って来なかった。サンタクロースも来なかった。

*歳時記のようにブログに使おうとして今年も撮っていた、ご近所のスーパー・ヤオコーの写真です。12月23日か24日です。使う時期を逸した<ケーキの写真>です。


大丈夫か借金、私が住む国の国債、住む町の春日部市債、ウチの借金(2009.12.27)

2009-12-27 21:36:43 | Weblog

*ウチの場合、そろばんで、できる程度の<財政規模>です。今も、そろばんなのです。・・・・ひとつ一つ積み重なったお金の意味が実感できる・・・のです。やりくりは、電算システム感覚では、できません。そろばん感覚です。

 国債、市債って要するに、国や市の借金です。返せるのかなあ、誰に返すの?誰から借りてるの?もう、返せるあて(展望)のないのに、借りているように思って心配なのです。ウチ、わが家の借金だったら、たちまち取立て屋がやってきて、ご近所に鳴り響く大声の暴言となるでしょう。夜逃げ・・・です。

*2009年12月27日朝日新聞2面<国債、こんなに発行して大丈夫?>

 今日の朝日新聞が<心配しなくていいよ>と、答えてくれています。
 <歳入の国債依存度は48%>つまり、収入の半分は借金でまかなうわけです。<国債は1990年代から急増しており、2010年度の残高は637兆円、国内総生産(GDP)の197%で主要国の中で飛びぬけて高い>が、<国債のほとんどを国内の金融機関などが買っていて、いわば、家の中の貸し借り状態だ>だから、<預貯金など日本の個人金融資産は、約1400兆円ある>から大丈夫というわけです。
  ・・・・・そうか、そうか。最後には、国民の貯金をあてにするということでしょう。
「(低利の)貯金より投資に」が、この間までの政府のスローガンでした。
 もう貯金なんて。でも投資にまわせば、すぐなくなります。

 地方自治体の財政も厳しく、公債(地方債)でまかなっています。春日部市の場合も、借金してやってきました。最近の市役所発表によと、今、市債残高は513億円(平成21年9月現在)。これは一般会計分です。別の平成19年度集計では、一般会計と特別会計の両方で、1231億円(一般会計だけでは547億円)の借金を持っていることになります。これを利子も含めて払っていくわけです。足らないから、また借金(地方債)ということになりかねません。

 もちろん春日部市も税収入が減っています。大変です。
 それで春日部市は、市長名で、ついこの間、平成20年10月、<新緊急財政健全化計画>を発表しました。

 全文は、市民が読めるように、春日部市役所のホームページにありますが、探しにくいでしょうから、このブログでクリックだけで読めるようにしておきます。<ここにあります> 。ここクリックだけで出てきます。

*ネットから取り出したPDF版の市長名の文書。お正月休みに一読をお勧めします。そして、しっかり認識して、春日部市民をやっていきましょう。

 <・・・・市税収入の大幅な減少や過去に発行した市債償還のピークなどが重なり、現時点で平成21年度の財政状況では約11億円の減収が見込まれ、平成22年度予算編成の見通しでは約43億円の歳入不足が見込まれています>

 <これからの取組みは、行政内部の自助努力のみで成し得るものでなく、市民の皆様のご理解とご協力がぜひとも必要です>。 とうとう来たか、です。

 議会には、説明されたようです。議会(議員)>市民ではあるのですが、市民にも呼びかけているのなら、もっと直接的に、市民に示す必要があったでしょう。
 広報かすかべの11月号、12月号、1月号を探してみたのですが、その記事が見つからないのです。春日部市のホームページのごくごく分かり難いところに示せばいいというものではないでしょう。
 でもまあ、形の上では、市民に示してはいるのだから、これ以上は言えません。

 広報に、ちょっとでも出してくれると良かったと思うのです。今、ほとんどの市民は知らないでしょう。
 さらに具体的には、来年度の予算・歳出は、半分近く(45%減)!!に抑えられるとも聞こえてきます。

    【おまけ】

* 私が、このことを初めて知ったのは、<風のたより>というブログの情報です。私はこのブログを時々のぞきます。<ブログはここにあります>

*さて次は、ウチの借金です。たぶん、ない、・・・・・と思います。収入もありません。なんとか年が越せます。ずーと借金、住宅ローンを払ってきました。むろん言われたどうりに、税金も払ってきました。

*高かったなあ、その頃の利息。今は、借りやすくしているのか低利率です。国が借りていて、借りる方が利率を決めるのだから、当然、低利にしますよ。だから貯金の利息も超低利です。庶民がチマチマ貯金しても増えません。

*タンス貯金では、景気浮揚につながらないからと言って、<虎の子>を投資に誘導する仕組みになっているようです。


越谷市で子ども音楽会を楽しみました。リフレッシュです(2009.12.25)

2009-12-25 11:08:56 | Weblog

 娘一家が住んでいる隣町・越谷市で、エレクトーンの発表会があるというので出かけました(12月23日)。むろん孫が出演したのですが、どうしてどうして、毎日練習をしている小学生・中学生の演奏は見事で、2時間、けっこう楽しみました。

 楽器屋さんのエレクトーン教室の発表会です。越谷市は和幸楽器、(私が懇意なのは春日部市の昭和楽器ですが)のテリトリーでしょうか。
 その日は、朝から20人程ずつの3部構成。出かけたのは、4時30分スタートの第3部です。会場は、越谷市市民会館(立派な建物でした)のホールです。


 第3部開演。なんと一番バッターが、ウチの孫、小学一年生です。
 足が届かないので、ベース鍵盤の下に台が置いてある下手(しもて)のエレクトーンをただひとり使います。 初のソロ・デビューで、カチカチに固まっています。ステージ上で、先生と深呼吸を数度。・・・・・とちることなく、♪カリブの海賊♪を弾き終えました。100点の演奏でした。

 その後は、こども音楽会です。皆さん、とてもうまいのです。プログラムが進んで、小学生高学年、中学生になると、もう堂々たる音楽会になっていきます。

 エレクトーンは、ヤマハによって昭和34年に、初めて開発されたと説明がありました。今やコンピュータ技術も駆使されているでしょう。演奏する子どもたちは、最初に、USBメモリー?をセットして弾き始めます。
 それでも、鍵盤操作の右手、左手、足の技術は練習のたま物でしょう。
 誰だったか<NHKの大河ドラマ・天地人>のテーマを演奏しました。テレビでのオーケストラ演奏とそっくりでした。ひとりオーケストラができるのでしょうか。
 ただ、うまい子ほど、装置に頼らない素の音色が発揮できる選曲だったように感じました。

 楽しかったのは、子どもたちのスタイル・服装です。ピアノ発表会のような、新調の白いドレスの子もいましたが、ほとんどの子が、普段着・ジーンズなのです。
 音楽会での演奏を普通のこととしていることが、いい感じでした。

 私は、地域の人たちの大きくないコンサートが大好きなのです。中学のブラスバンドも応援します。おじさんバンドもそうです。
 むろん東京では、世界中のトッププレヤーのコンサートが聞けます。が、もっともっと気持ちを軽く、ご近所でご近所の人たちの演奏を楽しめるようになればいいと思うのです。

     【おまけ】

*左手で、はしゃぐ弟をおさえ、デジカメでビデオ撮るママ=ウチの娘。

* たぶん中学生。エレクトーンで、グレンミラーの<イン・ザ・ムード>の演奏をしました。なかなかうまかった。私ら、ビッグバンドや中高生のブラスバンドの定番曲です。やはり、皆が一緒に気持ちを合わせる、空気をふるわせるアコースティックな演奏が、もっと好きですね。

* 新年3月21日(日)には、新越谷サンシティで、この地域、5つのビッグバンドがジョイントするコンサート<swing-swing-swing、0296ミュージック・フェスティバル>が開かれます。当番バンドは、越谷のオール・スウィングさんです。私らも出演します。課題曲があります。各バンドは一曲、グレンミラー・ナンバーを入れることです。私らは<茶色の小瓶>。<イン・ザ・ムード>は、春日部のドリキンさんがやるようです。


サンタ村からのクリスマスカードは、村おこしの参考に(フィンランド旅みやげ②)(2009.12.24)

2009-12-24 15:25:34 | Weblog

*サンタクロース村からの絵はがき

 フィンランドのサンタクロース村から、サンタクロースさんからクリスマス・カードが届きました。
 もう何年も前から、晩秋になると新聞や雑誌に、<クリスマスにほんとのサンタクロースからカードが届きます>と、その方法が、報道というより宣伝?されます。

 12月中旬にフィンランド北部をひとり旅した息子がヘルシンキへの帰途に、サンタクロース村を訪ねたらしいのです。私のウチに絵はがきを送り、ふたりの孫(いや甥)の所に、サンタクロースからのカードが届くようにしてくれていたのです。

 サンタクロース村は、北極圏の入り口、フィンランド北部・ラップランド州の州都・ロヴァニエミにあります。サンタクロースが住んでいるのは、コルヴントゥントゥリ(ロシアとの国境近くの山)です。たぶん今日24日は、世界中を回っていて留守でしょう。暇な時には、いつも、サンタクロース村にやってくるのです。

*サンタクロース村

 サンタクロース村は、1985年にできたテーマパークです。
 私の住む春日部市でも、全国の市長村と同じように、役所も、市民の知人も<町おこし、街づくり>をしなければと言っています。
・・・・クレヨンしんちゃんの春日部市です。ちょっと軽薄短小で、好きではないのですが。

 サンタクロース村に観光客がどのくらい来て、どのくらいの<お金>落とすのか知りません。・・・すぐビジネスの話になって、嫌ですね。
 <町おこし>もまたビジネスです。<街づくり>もめざすは、ビジネスでしょう。

 息子は、2、3時間、この街に立ち寄っただけです。サンタクロース村に入場料はありません。切手を買い、クリスマス・カードを買って、日本に郵便で送っただけでしょう。おみやげは買っていない。コーヒーを飲んだようです。サンタクロースからのクリスマスカード(お手紙)には、7€(ユーロ)=1000円ぐらいが必要です。
世界中からネットでの申し込みもあるでしょう。丸儲けです。

*サンタクロース村でのサンタクロースからの手紙(カード)の申込用紙。日本語でも書けます。

 いかんいかん、年老いたら夢がなくなるのです。
 だから、ウチにはサンタクロースが来なくなったのです。

     【おまけ】

* 息子に、海外の旅にでたら、毎日、絵はがきを書くようにいっています。記録、日記です。フィンランド6日間の旅で、6枚の絵はがきが届きました。

* 3日間をフィンランド北部サーリセルカで過ごした息子は、12月15日ヘルシンキに向けて帰途につきます。そしてまず、サンタクロース村のあるロバヴァ二エミに向けてバスにのります。ロヴァ二エミからヘルシンキへは空路です。

* ここで、絵はがきにある<息子の旅日記>3通の全文です。

* 12/15(水)サーリセルカ→ロヴァ二エミ
<5:00起床。コーヒーを飲み、荷物を詰め込む。チェックアウトし、6:45のバスを待つ。乗り過ごしが怖く、早めに出て待つ。寒い。若干遅れてバスが着く。乗客は2人。サーリセリカを出ると本当に真っ暗な道。事故をされては困るが、ドライバーが携帯を使っている。ドライバーも飽きるのだろう。バスの中でハガキを書く>

*6;45発のロヴァ二エミ行きのバス。
*真っ暗な道を走ります。

<ウトウトしたり、外を見たりしながらバスで過ごす。途中で。子どもがところどころで乗ってくる。路線バスのような感じ。学校で皆おりていく。Sodarnkvlaというところで15分休憩。やっと町にきたという印象。外はまだ寒い。やっと薄く明るくなってきた。針葉樹林の中を走る。町が近くなり、目を覚ますと、ちょうどサンタクロース・ヴィレッジを通りすぎる。町の中を遠回りして、バスターミナル到着(11:00前)。路線バスがわからないので、とりあえず駅へ行く。サンタクロール・エキスプレス(寝台列車)が止まっている。本当に小さい駅。

*鉄道のロヴァ二エミ駅(11:00頃)
*サンタクロース村
*サンタクロース村公式オフィス

中心まで歩こうと思ったが、ちょうど8番のバスが停まっており、サンタクロース・ヴィレッジへ行く。ヴィレッジはお土産屋ばかり、客は少ないが、半分は日本人。サンタクロースに合うか迷う。郵便局で切手とハガキを買う>

*ポスト・オフィス=郵便局
*コーヒーとサーモン・サンドイッチ

 <帰りのバスを13:30発に決めて、コーヒーとサーモン・サンドイッチを食べる。席に着いてから、白人の団体が着いたようで、かなり混みだす。ハガキを書きたいが、長居はできそうにない。白人男性2名と合い席し、粘って書く。郵便局でクリスマス・カードを購入。13:00ギリギリであわてて走る。「Today」のポストしかなく困るが、もうクリスマスシーズンだから、Todayしかないらしい。あわててバス停に行くと、13:40。寒い中またバスを待つ。バスに乗り込み、市内へ。インフォーメーションで、空港までの時間とバスを確認。出発の1時間前ですることがない。博物館・美術館に行く気も起こらず、最北のマクドナルドへ。

*最北のマクドナルド(16:00頃)

時間をつぶす。ヘルシンキの行動を考える> 。この後、17;15発の飛行機でヘルシンキへ、19:20着。


春日部で年末恒例の除夜釜と町の蕎麦名人おそばの集まり(2009.12.23)

2009-12-23 11:57:48 | Weblog

  昨夜(12月22日)、冷たい冬至の夕刻、日の暮れは早い、家人が恒例の、といっても4年目、除夜釜を開きました。

 

  家人は、茶の湯好きです。除夜は、除夜の鐘の除夜です。12月31日に真っ暗闇の中で開く茶会です。ただ今年は、少し灯りを大きくしたようです。
  もっとも、私の友人にも来ていただいて、年越し蕎麦を楽しみたい気持ちが私にはありました。

  この町のお蕎麦名人と私が思っている小島彦一さんに頼むのも恒例です。その日のお昼にうって持ち込んで、茹がいて出して下さるのです。お蕎麦とおしゃべりを楽しむ、わが家の年の暮れの行事なのです。いささか、ぎゅうぎゅう(牛々!!)詰めでしたが、それも、まあいいか、でした。


    【おまけ】

* 風邪でおふたりが欠席。お蕎麦がふたつ残りました。すぐに食べないと名人の味は消えてしまいます。それで、蕎麦大好きの知人のオウチ用にさしあげた、その瞬間、<ウチの息子>帰ってきました。急きょ、取り戻し!!たのです。

* 私が茹でることになりました。名人小島さんに茹で方のコツを何度も聞いていましたが、実際に茹でたことはありません。幸い大きなお鍋の湯が残っています。沸騰させて、ひとつだけ放り込みます。<いったん沈んで、ふたたび浮き上がった時に>と記憶どおりに拾い上げ、冷水を流します。おつゆも残してもらっていました。

* 息子はペロリとすぐに終了。<もう一枚食べるか?>、<ああ!>と。自信を持って2つ目の蕎麦を放り込みます。<再び浮き上がった時>なのです。

*日本経済新聞2009年12月21日夕刊14面。

* 小島さんとの蕎麦談義はいつも楽しいのです。今日は、<信州のそば粉が不作>が話題になりました。いつも信州のそば粉を使っておられたようでしたが、今年は山形産だったそうです。新聞によると、<国内で流通するそば粉のうち国産は、2割程度。このうち1割が長野県産で、高級そば粉として取引されている>。

* 小島さんは、日本一のそば粉は、茨城県産だと話されました。茨城のどこだったか忘れました。・・・袋田の滝あたりといわれたような・・・・。

*去年2008年の除夜釜のことは、<ここにあります>、それから小島さんのことは<ここにあります>


LPレコードを再利用して作ったおみやげだが(フィンランド旅みやげ①)(2009.12.21)

2009-12-21 22:48:12 | Weblog

*アナがあいています。このレコードのレーベルが読めません。フィンランド語でしょう。

 息子が、一週間ほどフィンランドに行ってきました。突然のフィンランド行きで、私が、春日部市立図書館に走り、地球の歩き方、もう一冊、ガイドブックを借りてきました。それは、<フィンランド=かわいいデザインと出会う街歩き>という若い女性向きの、買い物ツアーのためのガイドブックでしょう。

 そのなかに、LPレコードという廃材をリサイクルした製品が載っていました。以前、他の雑誌でみたこともありました。制作しているフィンランドのリサイクル・ブランド、セッコ(Secco)の場所も載っていました。

 ヘルシンキに一日いる予定のようで、買ってきてくれ、といったのです。

*買ってきてくれました。LPのジャケットは、こんな風に切られ包装に使われていました。左は、この店、この商品を紹介するガイドブック。

 確かに、レコードをリサイクル・再利用したものではあるのですが、何の使いようがないな、思ってしまいました。<面白いな>と思っただけで、それだけのものです。実用品ではありません。捨てるわけにもいきません。

 そして、レコードの行き着く先を思うとあわれです。
 レコードは、ただのビニール樹脂板ではありません。音楽が、文化が詰まっていたのです。その文化は、どこに消えたのでしょう。

 新聞が、トイレット・ペーパーに変わることは、ごく普通のことです。騒ぎ立てる程のことはないのかもしれません。
 高邁な思想の書物も、藝術性豊かな画集も、同じことでしょう。

 本が売れない、CDが売れない。大量複製時代に文化の高まりで人々の気持ちを豊かにしたでしょう。しかし、同時に、文化を軽薄短小にしてしまったのかもしれません。

    【おまけ】

*右;<フィンランド=かわいいデザインと出会う街>これは地球の歩き方の別のシリーズ本です。

 


春日部・庄和で平和ランチを食べながら、来夏は30年記念平和フェス(2009.12.19)

2009-12-19 16:24:55 | Weblog

*外で食事をするときには、必ず撮ってしまうのです。庄和・平和のランチです。

 この夏、少しお手伝いした春日部平和フェスティバルの集まりがあるから、と連絡を受けていました。
  集合が12時前です。<まあ、打ち上げのようなものです>と、どうもはっきりしないのですが、この間(12月17日)、正風館の会議室に出かけました。

  テーブルには、ランチが並んでいます。手作りらしい野菜中心のお料理がまわってきます。10人ほどの女性の中に小さくなって、しかし、しっかり食べ始めました。

  ビデオが上映されていました。ずっと前、恐らく20年ほど前の、庄和町で夏に行われていた<庄和平和フェスティバル>の模様でしょう。
  町に住む女性(=お母さん)たちが、役場と連係して行った、戦争の体験を語る朗読劇のビデオでした。町民から<戦争体験手記>を募集し、編集し、3巻にわけて出版します。そして。その手記をもとに朗読劇を作り、上演したのです。出演者は町民です。手記を応募した、すなわち直接戦争を体験した町民です。

  私も一町民としてみました。 民芸の、たぶん民芸の、女優さんたちが、夏になると<この子たちの夏>を、全国巡演していた時期がありました。ちょうど、その頃です。私も、日色ともえさんたちの<この子たちの夏>、それから、ご近所のお母さんたちが出演した<この子たちの夏>も観ました。

  庄和町平和フェスティバルは、春日部市と合併してからは、春日部平和フェスティバルになりました。だから今年の夏は、第4回春日部平和フェスティバルです。4年目ではありません。

 実際は、第29回、29年間、毎年続けてきた<夏に戦争と平和を考える>イベントなのです。
 今も、中心で動かれているKさんが、<最初の5年は、町民の平和グループだけでやっていたのです>と。だから、来年の夏は、30周年の平和フェスティバル・・・と言われたように思いました。

  今、ここで一緒に食べている人の何人かが、朗読劇ビデオに登場します。
  私は<若いなあ>と思っても黙って観ていました。そして、あの人も亡くなった、この人もなくなった・・・・と、声が上がってきました。

  ランチが終わって、お茶の頃には、カセット・テープが流されました。
  朗読劇の構成制作に深く関わられた<I>さんが話されました。
  <私は、戦争が終わった昭和20年8月15日には、朝鮮で小学校の教師でした。翌日、担任の4年生全員に作文を書かせたのです。今でも、その作文を大事にもっているのです>と。
 テープは、20年ほど前の平和フェスティバルのために録音されたもののようでした。教え子のその日の作文を読み上げ、<私は、20歳ちょっとでしたが、教師として、その時まで、いったい何を教えてきただろうか・・・・・>と進んでいきました。

   【おまけ】

*平和フェスティバル2008年のスタッフさんです。

*私は、昭和20年、敗戦の日には、3歳少々。両親は、30代半ばといったところ。どうやって生きていったのだろうと、思うことがありました。その両親はすでにいません。私のその年代の頃を思い、また娘が、その時の母親の年齢に近づいていることを思います。


昔の日曜ヒッピーの必読書“地球の上に生きる”に音楽版CDがあった(2009.12.17)

2009-12-17 22:21:36 | Weblog

*CDは、EM1047C、タイトルハは、アリシア・ベイ・ローレル

  ずいぶん昔の話です。ウェークディは、ちゃんとネクタイをしめて、夏でもネクタイをしめて働いて、週末には、着替えて、ギター抱えて出かけ反戦歌を歌い、道端に座ったり、薄暗い店で朝まで、天下国家をしゃべっていた時代が<私にも>ありました。

  まあ、そこまでは言えないとしても、その頃の新聞がいう<サンデー・ヒッピー>に近かったでしょう。
  仕事の、会社の宴会では、ちゃんと♪チャンチキおけさ~♪を歌い、肩をくんで歌う労働歌なんて嫌いでした。

 サンデー・ヒッピーの時代に、本<地球の上に生きる(living on the earth)>読むというより、眺めていました。むろん翻訳本です。自分に<自由に生きる>という言葉が好きでした。週末だけは、自由でした。1960年代の大阪、1970年代初めの札幌、あたりでのことです。
  今、毎日がお休みという
<サンデー毎日>の時代に、ようやく<完全自由の身に>なって、ついに毎日ヒッピーなのです。

 <地球の上に生きる(living on the earth)>を読み返しています。
その頃、この本が出版された頃、日本では、誰もそのように<実行>していなかったでしょう。夢のような暮らし方と思っても、日本人は貧しく働かなければならなかったです。その意味で、自由はなかったといえるかもしれません。

  現代にこそ、その本<地球の上に生きる>の精神が生かされるべきと思ったりします。働くことのできない老人こそ、あるいは若者でもいい、自分の自由きままに生きることができるのです。そう思えば、日々ブラブラしていても胸はって生きられます。

 2年ほど前、渋谷のブックカフェで、<原書>を見つけ、買い、眺めていました。<ここに書いています>

  そして、一週間ほど前に、ちょっと驚いたCDをネットで見つけ、買ったのです。
 <地球の上に生きる(living on the earth)>の著作者、アリシア・ベイ=ローレルが歌っているCDなのです。そもそもはシンガー・ソングライターだというのです、ほんとかなあ。

 アリシア・ベイ=ローレル(alicia bay laurel)は、1949年生まれ、<地球を生きる>の出版は、1970年だから21歳です。
 <アリシアは、ハイスクール卒業後、全米をヒッチハイクして回り、西海岸に戻ってから、ウィラーズ・ランチというコミューンに参加>、<ウィラーズ・ランチは、広大な土地に100人ほどが畑を作り、牛や馬、鳥を飼い、電気も水道もない中で自由な暮らしを行っていた。コミューンの信条である非暴力主義に同調できる人ならば誰でも自由に参加できた。もちろん暮らしは容易ではなかった(ライナーズ・ノーツ)>

  このCDは、2000年頃の録音だから、50歳頃ということになります。
  素朴なギターで、<地球の上に生きる(living on the earth)>の心情を歌にしているのです。

 誰もが、今こそ、読み返してみるべき本かも知れません。
<ここにも書いています>


春日部・庄和で無声映画「百萬両異聞」(1925年)上映会が12月23日に(2009.12.15)

2009-12-15 23:47:28 | Weblog

  春日部市(旧庄和町)は、昭和初期の超人気作家・三上於兎吉(みかみおときち)  の出生地です。
  三上於兎吉は、雑誌<女人藝術>を作った長谷川時雨の夫でもあり、林芙美子は、女人藝術に<放浪記>を連載したことにより世に出たのです。

 その旧庄和町(春日部市)で、原作;三上於兎吉の、1925年製作の映画「百萬両異聞」の上映会が開かれます。

   日時;2009年12月23日(祝)午後2時~4時20分、開場;1時30分
   会場;正風館ホール(東武野田線、南桜井駅下車徒歩5分)
   入場料;500円(整理券なし)

   上映映画<「百萬両異聞」(1925年)>
       製作;マキノプロダクション
       監督;牧野省三
       主演;嵐長三郎
   *無声映画に活動弁士の解説した貴重活弁トーキー版で上映
   主催;南桜井駅周辺まちづくり協議会

   この映画会のポスターは、町内のあちこちに貼ってあります。
  <庄和で生まれ育った巨匠が、故郷を描いた幻の名画、生まれ故郷の宝珠花を舞台に百万両の謎をめぐる攻防を描いた波乱万丈の時代劇サスペンス>と紹介しています。

   映画創世記の古典的な映画を観るという楽しみ方もありそうです。

     【おまけ】
*三上於兎吉・長谷川時雨・林芙美子のことを、このブログに書いたことがあります。
<ここです>


30人31脚走、春日部市立南桜井小学校、全国大会堂々の第3位(2009.12.12)

2009-12-12 23:39:28 | Weblog

*無断転載の写真です。

  今日(12日)7時30分からテレビ放映がありました。
  わたしゃ、週末は、ヴェリイ・ビジーです。この時間は、バンドの練習で見られず・・・・しかし、知人のブログに写真がばっちり、ちょっと拝借して紹介します。

  聞いていたとおり、ニッポンで第3位でした。よくやった・・・・・。このガンバリを人生に生かしてほしいものです。

  知人masaharusさんとは、明日お茶を飲むことになっているので、その時に事後承諾をもらいます。そのブログには、もっと、たくさんの写真があります。<ここです>

  【おまけ】

*もう一度、総集編(全出場校スペシャル)のテレビ放映があります。テレビ朝日、12月27日(日)の6時~3時間です。

    【12月21日に追加】

*もう、このページが見られることは、ほとんどないでしょうから、追加しておきます。このテレビ放送を知らせる、朝日新聞のラジオ・テレビ番組面が小解説をしていました。

*30人31脚走だが、あえてタイムが悪くなることを承知してクラス全員、30何人だったか40人だったか、で出場した学校があった、と書いていました。その数行の記事にジーンとしてしまったのです。


越谷市立****保育所の、ジジババご招待餅つき大会に(2009.12.11)

2009-12-11 10:20:48 | Weblog

*楽しいイベント・お餅つき。

 昨日(10日)に、かねてより約束していた、孫の保育園に<餅つき+参観日イベント>にいきました。祖父・祖母のどちらか一名ということでした。こういうのは、ウチでは、ジジの仕事です。

 まあ、のどかというか、ご苦労さんの半日でした。今、地元での役目柄、半年に一度ぐらい、小学校の授業参観に行きますが、保育所は初めて、生まれて初めてです。どのくらいのジジババだったのでしょう。こどもの、半分か1/3でしょうか。ジジは、ほとんどいません。

 ジジは、9時集合です。保育所の正規?は9時始まり、ウチの孫も、8時過ぎ(?)から預かってもらっているでしょう。・・・おわりにも、延長保育があります。

*ウチの子が一番、ということはありません。

 朝のスタート時から観察!いや体験してきました。子どもらは、ドコの子ものびのび元気いっぱい、です。その分、先生(保母さん)は、大変です。ほんとに大変なお仕事だ、と実感しました。大きな声(怒るのでなく)を出し続けていらっしゃるのです。日々クタクタになるでしょう。みんなが聞いているわけではありません。てんでの方向を向いています。
 <大人のグループ、チームも、その点では、全く一緒ですね>

*つきたてのお餅を食べるために手を洗ってきたのじゃあないの、と先生の声。

 11時頃から、園庭で、餅つきが始まりました。年長さん組は、餅つき体験をします。ウチのジジは、たぶんジジが少ないから<餅つきをやる>ことを覚悟していたのですが、昔とった<きねづか>を見せる場面はありません。ほんの形だけで、ほとんど電気餅つき機のようです。どこのイベントでもそのようです。

 孫の組は、さっと部屋に戻って、しばらく遊んで、遊戯室?での、試食会に望みます。

 驚いたことがひとつ。ウチの孫、ペロッと食べて、お代わりに走ったことです。誰よりも早く、かつ2回も行きました。一緒のテーブルのふたりの子が残すという状況下に、です。わがウチに来る時には、遊び半分であまり食べないです。<そうか、よしよし!>と、ほくそえんでいたら、先生が<おじいちゃんもお代わりしましょうか>と。

    【おまけ】

*このブログ恒例の今日のランチ。ジジも孫も、お餅の大きさも数も同じです。

*ジジ、時事問題を扱う、このブログとしたら、保育所の話題には、今のトピックス、待機児童のことを書かないわけにはいきません。

*こうして、一緒にお餅を食べている子どもらは、よかった、よかった組でしょう。どこのママも、働いています。ウチの孫も、すぐに入れず無認可保育所に預けながら、待機児童リストに登録していたのです。一緒のテーブルの若いおばあちゃんに、このことで話しかけようとして、飲み込みました。

*越谷市や春日部市の保育所の待機児童数を調べようとしたのですが、わかりません。子育て日本一の春日部市は、ゼロだと思うんですが。

  【追加;いただいたコメント】

  春日部市の待機児童 (風) 2009-12-11 14:39:45
 この不景気の中、「子育て日本一」を目指す春日部市でも、保育所の待機児童がゼロ、というわけにはいきません。
 12月現在129人だそうです。昨年同時期は170人だったとのことなので、例の26階建てマンションのお隣に10月開所された第9保育所が少々解消に役だった、ということになりますが、まだまだ不足しています。

日米開戦の日、戦中の絵本“日本海軍(ニッポンカイグン)”を読む(2009.12.8)

2009-12-08 23:36:17 | Weblog

*絵本にある<ハワイ空襲>のページ。アメリカ「タイヘイヤウーカンタイ」ゼンメツと書いてあります。

 今日(12月8日)は、日本が米国、英国と全面戦争に入った日、ハワイ・真珠湾に奇襲をかけた日です。1941年、昭和16年のことです。

 昨夜もNHK-TVの特別番組、<“日米開戦を語る”、なぜ海軍は過ったのか。真珠湾への道・組織拡大と予算獲得の末に>を見ました。

 子どもの頃から知っていて、今でも、私がもっている絵本<戦争の絵本>があります。この絵本、昭和20年3月1日、発行・印刷です。このとき、私は3歳、その3つ年上に兄、その4つ上に長兄がいました。

*その絵本です。

  親が、子どもに買った絵本でしょう。定価55銭です。この絵本を読んで大きくなったわけではありません。どちらかというと、しまわれていた、保存されていた絵本です。私は、子どものころから、真珠湾・パールハーバーをよく知っていました。

    【おまけ】

* 1976年5月、初めてアメリカに行きました。たいした目的があったわけでなく、観光でもなく、ただ、アメリカを見にいっただけです。お金もなく、飛行機の安い切符で行きました。ハワイなんか、見たくもなかったのですが、切符がロスーホノルル、ホノルルー羽田と分かれていたのです。だから、しぶしぶホノルルに一泊です。

*1976年当時のアリゾナ記念館(パールハーバー)の絵ハガキ。

* その日に、絵ハガキを書いています。<ロサンゼルスが12:30.飛行機で発つ、ホノルルが同じ時計で6:30到着。その時ホノルルは、3:30.これがハワイか。ホテルは20$で高いけど、ワイキキの浜辺のリーフホテル。とりあえず、ワイキキで泳ぐ、40分ほど。夕方で多少涼しく、街をブラブラする。お金がないので、何も買わない。買いたいものが何もない。昭和16年、日本が真珠湾を攻撃した日の「戦争始まる」の新聞65¢と、この絵ハガキ15¢を買って、食事をして2$少々。部屋に帰る。真珠湾のアリゾナ記念館に行きたいのだが、それもできない。5/26/1976,22:00>

*ホテル20$で高いけど、と書いています。1$360円時代で7200円。今1$100円では2000円。さらに、30年前の給料です。その旅、夜はグレーハウンド・バスの車中で、ゼロでした。その頃、飛行機が、ほんとに高かった。

*ハワイで買った新聞が出てこないので、その日のニューヨーク・タイムズの一面。見出しは<日本、対米、英戦闘開始。ハワイを奇襲。激しい海戦が報告される>でしょうか。買った新聞は、ハワイのローカル紙で、大きな写真と、大きくJAP,ATTACK・・・・・の見出しがありました。

* 翌日は朝から何も食べず、飛行機の機内食を待っているだけの、貧しい旅行でした。

* その後、一度ホノルルに出かけましたが、パールハーバーを見たことはありません。この絵本の風景を見てみたいと思っています。

      【おまけのおまけ】

*テレビ番組を見て思いました。番組は、作戦、国の生きる道を考える<海軍・軍令部>の開戦に突っ込んでいった理由が、自分のいる組織を守るため、予算を勝ちとるため、と結論しました。<そんな低レベルの理由だったのか>、まるで、その辺の会社内組織と同じじゃあないか。そして、国家を動かしている人たちの多くは、国民、兵士、しもじも、のことは、何にも考えていないと、強く思いました。その程度の論理なら、今も、変わらないだろうと思いましたね。 


ボルネオのエコツアーのお土産の中に、ヒル(蛭)対策ソックス(2009.12.7)

2009-12-07 14:12:41 | Weblog

*ヒル(蛭)対策ソックス、左右(2本)が揃っていません。本<エコ・ボルネオ>は、5、6年前に買っていました。

  息子が、11月30日から4泊5日で、ボルネオ島(マレーシア)に行ってきました。
  この頃、何でもエコです。10年ほど前から、エコツアーという呼びかけが、雑誌やガイドブックにあふれています。エコノミークラスの旅行か、省エネ旅行か、考えてみればよくわかりません。どうも<地球環境が大事ツアー>、<自然を大切に体験ツアー>のようですが、いずれにしても<貧乏旅行>でしょうから、私の旅行はいつもそうでした。

  息子が、突然出かけたボルネオ旅行も、結果としてエコツアーです。
  レイン・フォレスト(熱帯雨林=ジャングル)を少し歩いてきたようです。

*恒例の<息子のお土産>ボルネオ(マレーシア)編です。 手前の2本は、ハンドメードの首飾り、なかなかいい。上;コーヒーとお茶。

  帰ってきて、まず、ヒル(蛭)の話をするのです。
  たぶん、歩いていて、ヒル(蛭)に驚いたのでしょう。気持ち悪かったのでしょう。血を吸われたのでしょう。
  私世代で、田舎育ちなら、ヒルなんて、全然驚きません。小川にはいたし、田植えの手伝いをしている時なんか、もう気にしておれません。今の田んぼには、農薬で全滅していないでしょう。ただ私の田舎では、山道歩いていて、知らぬうちに、足の血を吸われていることはありませんでした。ボルネオの山中では、いっぱいいるようです。<強力な>ヒルもいそうです。

*ヒルのくっついた写真が何枚かありました。これもそのひとつ。

 お土産というより、汚れた洗濯物の中に、ヒル(蛭)対策ソックスがありました。現地で買ったのです。とても粗雑な靴下のようです。値段は、150円。

 オラウーンタンが住み、象に遭遇するかも知れない、ボルネオのジャングル<体験>ツアーが目的だったようです。

  何の予定もたてず、ボルネオ島に行き、現地で<ツアー>を探したようです。この季節、旅行客はほとんどいなくて、ガイドと1対1だったとか。あまり少ないのも、いい気分ではありません。

  少し写真を並べます。やたらと、ジャングルの木々の写真があって、ここに<**>がいると指さして説明してくれても、道端の草の中に、変わった虫や大きなとかげが写っていても、小さなデジカメなので、自然写真家のような写真はありません。

*ホテルの部屋は、この程度。

        【おまけ】

* 何を食べていいのか、何を注文していいのか、知らない土地では、けっこう難しいのです。こんなお料理の写真がありました。とり肉が苦手な息子は、苦労しただろう。

* 恒例の<息子の絵はがき・旅日記>。現地で出したハガキはまだ着いていません、。 最終日にホテルで書いたものを持ち帰ってきました。

*3,4年前に、ボルネオのキナパル山(4500m)に登ろうかと、話していたことがあります。絵はがきの写真がそうです。


なかなかの越谷NPOセンター通信<みんだふる>11月号を読む(2009.12.4)

2009-12-04 18:48:32 | Weblog

*どこで入手できるのか知りません。

  新しい知人から、越谷NPOセンター通信<みんだふる>54号をもらいました。
できたばかりのようでした。
  A4判8ページ。隔月発行のニュースレターです。みんだふるは、<民+wonderful=Minderful>だそうです。

  この頃、越谷市に、よく車を走らせます。庄和町(旧)、春日部市、その先に越谷市という通勤電車感覚が次第に消え、ただの隣町の越谷市なっています。

  東京に近いだけ、人口も多く、わが春日部市に比べて、何かと進んでいるようなのです。市民活動、市民意識、あるいは市政意欲も数段の差があるらしい。ほんとうは、よくわかりません。

  ただ孫の守りで、越谷市の娘のウチにいけば、冷蔵庫に貼っている、地域のお知らせ、子育て支援情報の豊かさと、きめの細かさから、十分に想像できます。

  活発なNPO法人もたくさんあるらしい。そして、もらったニュースレターを読んで、初めて越谷NPOセンターがあることを知ったのです。
  市民活動に意欲のある人たち、市民活動グループ、それにNPO法人として顔をあげているグループを、ネットワークしている、その中心に、NPOセンターがあるようです。

  春日部市にも、長く活動を続けている人やグループは、いくつかあるでしょう。ただ、それらを繋ぎあう拠点・核がないのでしょうか。

  ニュースレターをめくってみれば、その充実さから発行元の越谷NPOセンターの熱意・活動は十分に伝わってきます。そして通巻54号ということから活動の継続もわかります。

  特集は<みんなの川きれい大作戦2009>でした。もう7年目、7回目のようです。
  10月18日を中心に、<よみがえれ元荒川の会>、<元荒川をきれいにする会>、<元荒川の自然を愛する会>、<元荒川・中川周辺の自然を守る会>、<新方川をきれいにする会>、<綾瀬川を愛する会>、<綾瀬川をきれいにする会>が、地域を分担して川の自然環境を守っているのでしょう。

  同じような名前で、同じような目的の集まり、個々に活動しながら時に連係して活動しているのです。
  さすが、街の真ん中を、緑深い色の川がゆったりと流れている越谷市です。

*連絡先などは、ここにあります。

    【おまけ】

*私の新しい知人さんは、このニュースレター作成に深く関わっているようです。その知人は<春日部にお住まいです>。<春日部の人で、越谷をフィールドにしている人はたくさんいますよ>と。

* 昨日(3日)、越谷市の大袋公民館から会議案内が届きました。3月21日(日)に開催される、越谷、春日部、旧庄和、旧岩槻の、ビッグバンド編成ジャズ・バンド5つの合同コンサートのキックオフ・ミーティングのお知らせでした。

* 娘は、越谷市在住。ふたりの息子は、ともに越谷市の高校に行っていました。市民、住民はとっくに合併しているのです。もう、おなじ地域なのです。