税収不足の春日部市、春日部税務署から確定申告書類が届いた(2010.1.29)

2010-01-30 21:45:30 | Weblog

 *春日部市の緊急財政健全化宣言と、届いた確定申告書類

 夕張市の財政破綻騒動があって、自分の市の財政状況を勉強、点検してみる動きが、全国の市民の間で起こっています。春日部市にも、そういう市民の集まりがあります。私も勉強に2年ほど通っています。

 地方債(市債=借金)の“つけ”がまわって、今、莫大な(?)借金財政です。全国どこの市長村にもいえることでしょう。
 借金してでも、建設事業をやって、景気の下支えをしろという、政府の方針だったわけです。景気はよくならず、大きな借金が残りました。

 そして景気の悪化は、税収の伸びをとめ、ついに税収不足から、春日部市は、平成21年10月には<新・緊急財政健全化計画>を発表したのです。
<新・緊急財健全化計画>は、
<ここにあります。読んでみて下さい>

 春日部市の財政状況は、市民が勉強して、<市民版財政白書>として発表するまでもなく、当事者・春日部市職員は誰よりもよく知っているでしょう。たぶん市民は、ほとんど知らない。

 税収、市民税収入が、同一規模の市と比較して、目に見えて低いのです。借金の多さからくる借金の返済(公債費)を初めとして、歳出を点検しながら、いつの間にか、私らも、税収の少なさを嘆き、その方策を考えたりするのです。

 東京のベッドタウンの春日部市は、サラリーマンが税金の占める割合は大きいでしょう。現役さんは、この不況で、給料も伸びません。若者は、魅了的な街に出て行ったかもしれません。この界隈に住宅を購入して住み着いた層には、今リタイア・年金生活者もすくなくありません。

 私も、無職風来坊です。税務署から送られてきた確定申告書類を見る気にもなりません。<なんとか控除>を考えたりするのもわびしいものです。

 まあ、ひとり、春日部市の税収減を心配しても何の意味もありません。それなりに高額納税者だった頃にこそ(みんなそうだったのです)、財政問題を勉強し、胸をはって<税金の無駄使いを点検すべきだった>のでしょう。

 元気な春日部市になってほしいのです。バンサカ、市税が入ってくる春日部市になってほしいのです。

<私もまだまだ働けるなあ。働いて市税を払うかなあ>とため息をついたら、知人が、<働く場は若者に与えなさいよ>と。

    【おまけ】

*恒例の今日のランチです。

*今日のランチは、今日もカレーです。朝から夕方まで、武里団地にある公民館で、皆と、財政白書【市民版】の編集をやっていました。近所で障害者支援のイベントがあったらしく、知人がお昼に抜け出して買ってきてくれました。250円です。美味しい日本一のカレーでした。

*春日部市の市民版財政白書は、明日夕方には脱稿(?)して、2月末日には出版できるでしょう。もうひとふんばりです。


春日部市立南桜井小学校で給食をいただく。ブログ名物・今日のランチ(2010.1.28)

2010-01-28 16:22:30 | Weblog

*今日のメニュー。とても美味しい。

 このブログは、終わりに<今日のランチ>を書くことがあるのですが、今日はノッケから<今日のランチ>にします。
 この頃、お昼は外食・外ランチが多くて、しかも食事前にデジカメを出します。<ブログ用ですね>と、ご一緒の知人さんに言われます。

 今日(28日)は地元の小学校で、給食付きの集まりがありました。地域の世話やき係りをやっているのですが、こんなことは初めてです。控え室で待っていると、事前に決まっていて、私は3年1組の子どもたちが<お迎え>に来てくれました。

 給食のメニューは、おおむね想像できますが、どんな風に食べているのかは知りません。最初、手を合わせて<お当番さん>にお礼をいって、<いただきます>です。呼びに来てくれた子どもたちと一緒です。だんだんとおしゃべりをしてくれます。おしゃべりが過ぎて、食べ終わるのが皆より遅れてしまった・・・ごめん。

 皆、残さずしっかり食べました。給食の後、控え室(図書室)まで、送ってくれ、予期しなかったので、ちょっと感動を覚えました。これからドッジボール!と言って帰っていきました。気持ちのいい、今日のランチになりました。

 学校では、何の時間が好き?と聞いて、<給食の時間>と答えるのは、古今東西、変わらないでしょうね。
 春日部市立南桜井小学校(30人31脚走の)です。美味しい地元のお米、地元の野菜の給食が続いているのです。

    【おまけ】

*3年1組の教室の入り口に、<学校給食の歴史>が貼ってありました。


*私は、岡山県の山間部、昭和24年に小学校入学。給食はありました。昭和30年に卒業しました。翌年に中学校に入るのですが、給食はありませんでした。だから、この写真では、右上から左下にあたるのですが、私の記憶では、毎日<脱脂粉乳+コッペパン>の世界でした。いつごろからか、週一度だけ、脱脂粉乳が野菜汁に変わりました。その日は大喜びでした。米飯はありません。いつもコッペパンです。

   【おまけー2】

*理科室の廊下に、子どもたちの研究発表が貼ってありました。<すごいぞ、EMのチカラ>です。模造紙3,4枚。ざっと見ただけですが、見事な実験研究です。さすが、10年以上、EM石けんを、この町や町の小学校・中学校ですすめてきた、お膝元です。成果がこんな所にもでているのです。

*先頭で進めてきた、水野さん、横川さん、みゅーこさんに見せたいと思ったのです。もっとも皆さんは、学校ともっと深く関わっているから、とっくに知っているでしょうか。写真に撮って、小冊子にまとめてみたい、とも思ったのです。

 


春日部がない。行きたい日光街道宿場ベスト10、草加・越谷があるのに(2010.1.27)

2010-01-27 15:34:38 | Weblog

*草加、越谷があって春日部がない。

 昨日1月26日朝日新聞夕刊2面です。大きな扱いです、<読者が決める「日本一は?」>です。行きたい日光街道の宿場・読者アンケート。回答総数4759人の結果が発表されていました。

 1位;今市(栃木)、人気の日光杉並木があって、日光街道のシンボルのような街で、日光にも近いし当然でしょう。
 2位;宇都宮(栃木)、3位;草加(埼玉)。担当記者は、餃子の宿・宇都宮、草加せんべい、が票につながった、と書いています。
 4位;古河(茨城)、私の好きな街でもあります。いい古本屋があります。
 5位;千住(東京)、お江戸だし、猥雑感が落ち着きます。6位;小金井(栃木)、
 そして、 7位;越ヶ谷(埼玉)です。以下、8位;小山、9位;徳次郎、10位;雀宮(いずれも栃木県、行ったことがありません)

 わが春日部市、“日光街道の古くからの宿場街”とうたうことがある春日部市が出てこないのです。昨日、日光街道の通りに面したロビンソン・デパート1階の“アフターヌーン・カフェ”で4人でお茶しながら、この界隈歴史散歩、賑わいの街づくりを話題に、長い間しゃべっていたのです。

 この朝日新聞の記事には、やはりそうか、と沈んでしまいます。 草加・越谷にあって春日部にないものは、なんでしょう。

*草加でもらった日光街道風景の文鎮

 でも、この頃、接する商工会の人にしても、役所の人にしても、皆さんの意気を感ずることが多いのです。

*今は、この風景すらありません。日光街道粕壁宿で(2006年10月23日のブログに掲載)

 松尾芭蕉が<奥の細道>の旅で、千住を発って第一目の宿は、春日部の東陽寺だろうといわれています。でも<奥の細道>に、<草加>の名はでてくるけど、かすかべ(粕壁)宿の名はでてきません。コンクリートの東陽寺にその雰囲気を感ずることはできません。ロビンソン・デパート前の日光街道にいくつか残っていた白壁、土蔵は、今やすっかり姿を消しました。ずっと歩いて、寺町あたりも、ランドマーク・タワーといわれるマンション・春日部繁栄の象徴に変わりました。右に折れ、川をわたって観音院に。“円空”手彫りの仏像あると聞いて、円空仏を拝もうとしても、実は博物館に寄託展示されてしまっているのです。

    【おまけ】

*このパンフレットは、学生さん、若い人が動いていることが感じられます。

*今、東武電車の駅に、きれいな、人を街に呼ぶパンフレットが置いてあります。羽生市のガイドマップ<ぷらって羽生>です。立教大学の学生たちが作ったようです。<武蔵野銀行・立教大学観光学部、産学連携事業=埼玉・地域交流フットパスプロジェクト>の仕事です。前年は、<ぷらって幸手>幸手市のガイドマップを作っていました。

*ガンバレ春日部と思ってしまいます。ああ、<ぷらっと春日部>(だったかな)も、あったように思いますが、全然違うしろもの、建物です。

*今日の日経<県内の地域商品券健闘の記事>トップに春日部のガンバリが出てきます。

 *春日部に住む人たちの後味が悪いと思いますので、春日部、商工会も頑張っているというニュースを紹介しておきます。今日(1月27日付)日本経済新聞(31面)埼玉面です。皆が、持ち場持ち場でせいっぱいやっているのです。


水と空気はタダ。映画・狙われた水の真実(ブルーゴールド)を観た(2010.1.26)

2010-01-26 21:34:00 | Weblog

*映画のチラシです。

 映画のチラシに、<石油戦争から水戦争へ>とあります。映画ブルー・ゴールドを渋谷で観たのは、先週です。

 むろん、映画を見る前から、およその内容は推察できました。生命にとって最も大事な空気と水に、問題が出てきていることは多少の知識はあったでしょう。
1つは、汚れ・汚染の問題。もう1つは、水がタダでなく、買うことになっていくことです。さらに、水の枯渇の問題もあるかもしれません。今の水資源は、自然・天然環境にともなって、変化していくでしょう。

映画は、これらを説明しながら、メジャー資本が<水ビジネス>を展開しはじめていることを映像でわかりやすく展開していきます。


*映画館の入出口には、原作本(集英社新書)をはじめ、何冊もの、この問題へのガイドブックが並んでいました。

 ライバルという言葉があります。川(リバー)が語源。川=水あらそいが語源だとテロップで読み取れました。
よくわかります。文明は大河のもとに発展してきました。水を制するものが、国を制してきました。国でなく、企業が水を制する時代がきているというのです。水利権をめぐる争いは、確かな実感、私ら世代には経験さえあるのです。

 たしかに、ありとあらゆる分野で、民営化が進む、市場原理・新自由主義経済社会です。水道事業も聖域ではない、でしょう。

地球上の自然、自然な水で、一儲けを考える企業を指弾しているのです。
水の豊富な国、日本でさえ、いつの間にか、水は有料、ペットボトルがあふれます。公園や駅のホームにあった水飲み場は撤去されてしまいました。ただの水はなくなりました。

映画は、わずかな水汲み場に集まるアフリカの国の人たちの、頭にポリタンクをのせた姿を映し出します。水道の蛇口をひねれば、水は出る日本では、水の貴重さはなかなか実感できません。

 香港の知人のウチでは、中国本土と結ばれている水道はお風呂や洗濯、トイレ用に使われ、炊事用や飲料水は、大きなポリタンクで買う<別の水>を使っていました。また、中国からの水道の元栓を閉められれば、香港は干上がるのだと言っていたことを思い出します。 香港が中国に復帰する前のことです。

    【おまけ】

*モロッコ料理<クスクス>

*映画の後で、遅い時間のランチになりました。<クスクス>です。北アフリカで食べられているらしい。粟粒状にしたパスタ(右)に、野菜汁、カレーみたいに一緒に食べました。知ってたわけではありません。たまたまメニューに載っていたのです。まあ、カレー好きの私には、グッド、でした。


国宝・土偶展で、2010年間ではない1万年以上の日本人の営みを思う(2010.1.25)

2010-01-25 15:12:43 | Weblog

 昨日(1月24日)、午後から東京に出る用事を持っていて、空いていた午前中に、国立博物館でやっている国宝土偶展に行きました。前々から行こうと思っていたのです。
 行こうと思っていた理由は、<縄文のビーナス>と呼ばれる土偶をみたい、ただそれだけです。 いつもは長野県茅野市の尖石縄文考古館に展示されていて、そこにさえ一度出かけようと思っていたのです。何度も写真では見てましたが、例えば、大きさを体感したかったのです。

*東京国立博物館

 日曜のお昼前ですが、会場の国立博物館は、想像していたごったがえす人出はありません。ゆっくり、じっくり土偶展を見てきました。思うことが多かった土偶展でした。

*むろん、写真撮影は厳禁です。これが見たかったのです。(ネット上の写真、無断引用です)縄文のビーナスなんて名前はよくないと思いますね。

 <祈り、祭祀のための土偶、すべてが女性・女体を表している、人為的に壊されたものも多い、同時に丁重に埋葬されている例もある・・・・>解説パネルを読みながら、そしてその姿・形の多様さから、不思議な気分にさせられます。

 今年は西暦2010年、日本の皇紀では、660年たして2670年、日本の歴史なんて、わずか2000年、その前に、弥生時代、縄文時代、石器時代と、1万年ぐらいの人間の日本での営みがあったわけです。そのことを思うのです。当然、人としての時代時代の心や思いもあっての1万年間です。

 その1万年という間には、地球自体の変化もあります。氷河期もあり温暖化もあります。海水、海の状況も変化しますます。日本を覆う森林の植生、木の種類も変化します。地球自体の変化で変わってくる、生活、人の営みがあったわけです。

 その時代に、土偶が作られたのです。土偶の時代があったのです。
  国宝3件、重要文化財23件を含む全67件が展示されています。
 出土が長野県と新潟県を結ぶラインから、東・北日本に分布しているとパネル展示されていました。不思議です、解説はありませんでした。

   【まとめ】

*ミュージアム・ショップで買ったのは、絵はがき2枚だけです。

*見終わって、いつものようにミュージアム・ショップをのぞきます。<縄文のビーナス>のレプリカ、大きな物から小さな物まで、いくつも売っていました。さすがに買えません。大きなお尻、豊満な女体をテーブルに置いておくわけにはいかないでしょう。

*今日のランチは、ハッシュド・ビーフ、ようするにハヤシライスです。(博物館内のレストラン・ガーデン・テラスで)


山口絵理子さんの2冊目メイド・イン・ネパールを読みながら(2010.1.20)

2010-01-20 19:24:31 | Weblog

*とにかくナンが美味しかった。

 昨日(19日)春日部の真ん中・教育センターでミーティングがあって、5,6人でランチになりました。知人についていっただけです。インド料理店でした。
 ダル(豆)カレーを食べます。辛くない、まるで<おぜんざい>の味なのです。・・・香辛料(?)は、壷から適当に加えることになっていました。
 特筆すべきは、ナンが抜群に美味しかったことでしょう。

 平日のお昼、まったくお客さんがこないのです。
 ロビンソンデパート前の、春日部第一の通りなんですが、<まるで人通りがないなあ>と、春日部の街づくりを真剣に考えている知人は、大きなため息です。

 お客がいないし、チャイを飲んでしゃべって、<悪いですね>と、またコーヒーを飲んでしゃべっていました。

 出がけに、店番の娘さんがネパールから来ていると知り、ちょっとおしゃべり。
 ポカラの日本語学校から福岡の日本語学校へ、私の知っている誰かさんと同じです。そのポカラの日本語学校で、今、教え始めたのが知人Kさんです。

 また、ナンを食べに行くことになるでしょう。
 ネパールはインドの影響が大きいのですが、私のネパール放浪では、一度もナンを食べたことがありません。ダルバート(豆汁かけ飯)、カレー、じゃがいもの油炒めを食べていました。

 メイド・イン・バングラデッシュのバッグで、大人気の山口絵理子さんの2冊目、<裸でもいきる、2>を12月初めに読んでいました。山口絵理子さんのことは、何度か書いています。<ここです>

*裸でも生きる2;山口絵理子、2009年9月、講談社発行

 TSUTAYAで立ち読みして、目次に<そして第2の国・ネパールへ>とあったから買ったのです。
 ネパールの国の今、カトマンズでの山口絵理子さんが、わが事のように感じられます。のどかな生活の裏にある、したたかな根性のネパールの人が書かれています。政情不安定の国の庶民の一面がのぞけます。武装勢力マオイストの天下のネパールです。

 どの国でもそうだと言えばそうなんですが、ネパール好きの私には読後感のよくないネパールでした。
 それでも、山口さんは、くじけず<メイド・イン・ネパール>のバッグ作ります。ネパールの男性はトピーという帽子かぶっていますが、その織=ダッカ織のバッグです。
 商品名は、マザーハウスのネパール語読みの<マイティガル=Maitighar>にしたようです。

   【おまけ】
* 今ネパール・ポカラの日本語学校で教え始めた知人Kさんからの最近のメールはローマ字でした。停電・電圧不安定でパソコンをこわしたのだろうか。

*知人のメールに添付されていたダルバートの写真です。

 roma-ji de kaitekudasai. ローマ字で書いて下さい。
 atatakakute kazemo naku kaitekidesu. 暖かくて風もなく快適です。
yama niha itido dake. gakkou no junnbi ni owareteimasu. 山には一度だけ。学校の準備に追われています。
youyaku gakkou mo isshuukan desu. Prem-san ga aitagatteimasu. ようやく学校も一週間です。プレムさんが会いたがっています。
 jyoni- sann mo jibun no hoteru no tatiageni ima kiteimasu. kono kinyoubini kaerimasu. ジョニーさんも自分のホテルの立ち上げで来ています(が)。この金曜日に帰ります。
mata renrakukudasai.. また連絡下さい。

 *私に来いと言ってるのですが、今、長く日本を離れられないのです。いつのまにか自由をなくしてしまっているのです。


ボブ・ディランの3月の東京公演のチケット2枚確保、さて誰と・・?(2010.1.18)

2010-01-18 21:01:08 | Weblog

*ボブ・ディランの最新アルバム、クリスマス・ソングでしょうか。2009年10月ごろ発売された。ディランの全てのアルバムを買ってきましたが、これは買っていません。買わねばならんですね。

  先週の土曜(1月16日)は、ボブ・ディランの東京公演の発売開始日でした。
  今さらボブ・ディランでもないか、と思っていました。が、ちょっとした事情で、行くことにしました。ここに書いています。
<ここです>

  1978年以来、4,5年ごとに、計5回の日本公演を、皆勤賞で出かけているのに、今回やめるのには、ちょっと勇気がいるのです。

 発売日1月16日の売り出し時間9時30分がせまります。
 <私もかけようか?>と家人が援軍。これで2回線確保。家人が<**ちゃん(娘のこと)にも頼んだら?>と。結局、娘は、家電話とケイタイの2回線。ダンナも巻き込んで、ダンナは、自分用と会社用のケイタイで、計2回線。トータル6回線を4人がオペレートです。

  9時30分にスタート。全国一斉に掛け始めます。受信側(興業側)が何回線の電話を使っているのか、わかりませんが、掛けてもかけても繋がりません。<ただ今、混み合っています>のむなしい機械音だけです。もういいかと、あきらめようとした時に、娘のダンナのケイタイが繋がってチケット2枚ゲットした、との連絡があったのです、9時50分頃です。

  例えば、今(月曜)に、まだ残っているのか、正確には知らないのですが。まあ、めでたし・めでたし、でした。・・・・ネットオークションのサイトでは、すでに高めで売出されています。本番日近づくにつれて、オークションの値段が上がっていくのを見るのも楽しみです。いい性格ではないですね。

 お金の振込み期限は、1月19日午後6時です。お金を振り込めなかったために、流れたチケットが<その時間>に自動放出されるでしょう。

 さて、さて、チケットがとれたので、行かねばなりません。
 今回は、ライブハウス(お台場のZEPP-TOKYO)です。娘がジャパニーズ・ロッカーを追っかけていくようなライブハウスらしい。たまに私が行く、大人がゆったりジャズを聞くライブとはいささか勝手が違いそうです。
 1階のフロアはスタンディングというから、立見席、席があっても総立ちになるのだから最初から椅子がない。ゲットしたのは2階の指定席です。こっちの方が高い。指定席でも、前のおっちゃんに立ち上がられたら、高い指定席の意味が全くなくなります。

 若い娘は行かないでしょう、中高年ばかりで立っているコンサートは、きついでしょうね。 まあ、ボブ・ディランって、出かけることがお祭りみたいなもんです。


太陽光発電は地球環境対策よりネパール山中の電灯のために使おう(2010.1.16)

2010-01-16 01:27:32 | Weblog

 *2002年ネパール放浪のアルバムから、やっと一枚見つけました。軒に太陽電池パネル(ソーラーパネル)が2枚乗っています。私の部屋には、写真の娘さん(早朝から深夜まで働いている使用人さん)が直径5,6センチのローソクの灯を持ってきてくれました。たしか食堂は電灯だったと思います。エベレスト街道の入り口・ルクラのホテル?山小屋?で。

 

 ネパール・ポカラでボランティアに始めた知人Kさんから短いメールが届きました。
  <2010年1月14日;停電8時間さらに給電中も停電頻発で、メールが送れません。さらにUSBの認識ができなくなり、PRTへの出力がアウトになりました。かなり困っています>

  ポカラは、大きな街です。首都カトマンズの次に大きな街です。山の中の山小屋ではありません。そこが毎日8時間の停電というのです。給電中もしばしば停電、その際にはサージ電圧もあるでしょう。きれいな電気ではないのでしょうか。

 8年前に、2002年10,11月と、ネパールを放浪したのですが、暮らしたわけではありません。だから電気、水、煮炊きの火といった庶民の暮らしのインフラの正確なことは知りません。山小屋はランプでした。わずかに電灯のある所もありました。しかし、街では間違いなく電灯・電気でした。このような定時的な長い停電が今もあることは、想像できませんでした。

 山間部の集落の電気は届かないのでしょうか。インフラ整備の遅れは眼に余りそうです。日本は、ずっとネパールに世界一のODA援助を続けてきたのにです。

 8年前に、ネパール山間部の集落を歩きながら、私の子ども時代と重なる思い・風景がありました。私の育った岡山県の山間部、昭和20年代、電気はありました。水は井戸、煮炊きの火は薪でした。今のネパールの多くの庶民の生活はそうかもしれません。

 今、地球環境を考えて、エコ発電、太陽光発電、風力発電がもてはやされています。ほんとうは、ロスの多い発電方式ですが、誰もそんなことはいいません。むしろ水力発電をもっと活用すべきじゃあないかと思うのです。日本得意の分野でした。

 そして、 太陽光発電(太陽電池パネル・ソーラーパネル)を利用して、ネパールや発展途上国の一戸のオウチ向きに、あるいは、小さな山村集落全体向きに、暗い夜に電灯を灯せると思うのです。太陽電池セットは簡単に、ボランティア寄付程度の費用でできそうです。

*こんなパンフが投げ込まれますが、わが家の費用対効果は、イマイチわかりません。

 この頃、私のウチに電話があります。屋根にソーラー・パネルを並べて、電気代を節減しませんか、電気を売ることもできますという、セールスさんです。

 その費用で、ネパールの暗い夜に灯りをともす<山間部戸住宅用太陽発電セット>を買って、ネパールに送るほうが先だと思うのです。
 そんなことをやっているNGOさんはすでにあるでしょう。私もまた<ひとりNGO>を作って、コンパクトな、メンテナンス・フリーなセットを、どこかソーラーパネル・メーカーに開発・製品化させ、現地供給したいと思い始めているのです。


ネパールでボランティアを始める知人から“ネパール通信第1号”(2009.1.12)

2010-01-12 20:37:06 | Weblog

*8年前のポカラの町で知人Kさん。

 今日のブログは、ネパールでボランティア活動という、“仕事を終えたときの夢”を実現させようとしている、私の知人Kさんの第1信をそのまま載せます。

  私にとってのネパールは、憧れのヒマラヤのある国でした。しかし、ネパールを歩いてから、今は、長い間の王制が倒れ、民衆による政治(共和制のような?)に移りつつある若い国のように思います。そういう体制の大きな変化の中の、そんなことに無関係な、民衆の日々の生活を、遠い日本から新聞報道が少ない中に、見ていきたいと思っているのです。
 むろん、知人Kさんには、私の思いとは、別の思いがあります。

      ネパール通信 1号               2010年1月10日
<<何とかポカラに到着、プレムさんの好意でリラックスした時間を過ごしています。ブーゲンビリヤの赤い花が咲きしだれ、赤い葵(サルビヤの色)の木が隣接し、さらに大きなポインセチア(鉢ではありません)が随所に見られます。もちろん黄色いマリーゴールドの花はどこにもあります。見上げるとパパイアが実っており、その向こうに芭蕉の葉、ここは亜熱帯の気候そのものです。
 そしてアンナプルナ山群はどこからでも見えます。
 あえて言えば、現役の時に夢見た“退職後の世界が”実現した気がします。

 1号の添付写真は、ポカラを代表するマチャプチャレ。
 この時期に朝のガスは少ないはずなのに、今朝は珍しく山が見えなくて夜明けのショットが撮れませんでした。少しヘイズがかかっていますが我慢してください。

 極寒のインチョン空港で乗り換え、カトマンズの友人宅で一泊、サンセットビューでツクチェ産のそばを味わい、ツインオッターからヒマラヤレンジを右に見ながら生暖かいポカラにつきました。
 8年ぶりのネパールは何故?と思うことばかりです。
停電、水、ノラ牛の話、日本人旅行者が激減の理由、カトマンズのインフレなど、自分なりの解説を加えて雑書をメールします>>

   【おまけ】

* 私が、長く思っていたネパールに出かけたのは、2002年10~11月です。人生をリセットした年です。はじめ知人Kさんと一緒で、アンナプルナを遠望する山々を周遊して歩きました。拠点の町は、ポカラ(Pokala)です。後半は、ひとりで、とにかくエベレストに接近するために歩きました。旅の間には、首都カトマンズでも過ごしました。

*2008年5月29日付の朝日&日経

* 私の出かけた頃、ネパールは政情不安状態でした。反体制武力組織・マオイスト(マオは毛沢東のマオ)が各地で武装闘争を展開していた頃でもあります。旅途中のあちこちで武装した軍隊の“そば”を不気味さを感じながら歩いていました。その後、2008年5月、王制は倒れました。このブログで触れています。<ここです>

* ここで、ネパールの地理的な解説をしておきます。ヒマラヤ山脈の麓の国ではあるわけですが、ヒマラヤ山脈に囲まれているわけではありません。インド洋(海)から、陸地(インド大陸)がしだいに高度を上げていって、最終的にヒマラヤ山脈になっているのです。だから、インドの延長線にネパールがあるのです。だから、ネパールの民族、宗教、民俗などなどインドの影響を常に受けてきたのです。

*日本と違い、陸に国境線があるわけです。急峻なヒマラヤの向こう側は、チベットです。山を越えたチベットの影響も長い歴史の中にあるのです。チベットは、今、中国の統治下です。


トラ年の初釜に、虎屋の花びら餅と春日部・細井のどらやきとバター(2010.1.11)

2010-01-11 12:06:17 | Weblog

*とらや(虎屋)の花びら餅

 茶の湯好きの家人が、新年初めの茶会を持ちました。家人は、初点(はつだて)といっていますが、とおりのいいのは初釜かもしれません。

 茶の湯には、お菓子選びが大切です。初釜・初点には、裏千家では、花びら餅と決まっているようです。ほんとにおいしく楽しめるお菓子の選びを、いつも考えていますが、今年は、トラ年、だから虎屋(とらや)の花びら餅に決めたようです。

 とても美味しい花びら餅でした。虎屋は、ナンバー・ワンの和菓子店でしょうか。菓子資料室・虎屋文庫を持っていて和菓子を文化として継承させているお店でもあります。その資料室の中山圭子さんは、新聞や雑誌によく寄稿されており、ウチにも著書が一冊あります。

 中山さんの書かれているものから、引用します。
  <花びら餅は、白い丸もち、あるいはぎゅうひの上に紅のひしもちを乗せ、みそあんと甘煮にしたゴボウを置き、半円状に折り畳んだもの。宮中や神社、公家などの正月行事に使う“菱はなびら”が原形で、明治時代に宮中からお許しが出て民間で作られるようになったお菓子です>

  さらに<・・・・・実は、この丸とヒシの形に、ある宇宙観が秘められているのです。陰陽道では、天は丸、地は角で表されるので、花びらもちは、天地、すなわち広大な宇宙を象徴していると考えられます>と。

 お茶会は、笑い声のなかに、すすんでいきます。
 終わりの方に<読み聞かせ>の趣向が用意されていました。

 読んでくれたのは、ずーっと小学校で読み聞かせをやっているK.Hさんです。虎にちなんだ本でなく、小学校で一番受けるという<河童>のお話です。<もう子どもでない>息子さんの推薦の本と話されました。

     【おまけ】

*こちらは、細井のどら焼き

* 亭主=家人は、おみやげに<細井のドラ焼き>を用意していました。どら焼きと虎は、まったく関係のない語呂合わせです。ドラ焼きのドラは銅鑼です。地元春日部・庄和の美味しいお菓子です。その日、寒い朝7時過ぎに細井を訪ね、予約していた<朝採れ>のどら焼きを、私がとりにいきました。

* 最後に福引もありました。とら年にちなんだ景品として、バターがありました。虎=バターを連想できる人は、かなりの博識です。さあ、どうでしょうか。

*左;和菓子・夢のかたち、中山圭子著、1997年、東京書房発行、右;ちびくろ・さんぼ(岩波の子どもの本)

*<ちびくろ・さんぼ>という子ども向きの本があります。チビクロが差別用語にあたるとして、図書館からのシャットアウト騒ぎのあった本です。その中に、サンボが虎をこらしめるために、トンチをきかせて、虎が他の虎を襲う構図で円形に、虎が前の虎を追いかけ追い続け、グルグル、高スピードで回り続け、ついには、バターになってしまう。私が大昔に、子どもに読んで聞かせていた時に、どうしても、この発想、虎がバターになることが、が理解できなかったのです。読みながら、いつも悩んでいたことなのです。


エベレストに祈る、平山郁夫さん、知人のネパール赴任の日に(2010.1.7)

2010-01-07 21:08:50 | Weblog

*平山郁夫さんの壁画の前での法要を伝える朝日新聞(2009年12月3日)、真ん中の壁画と同じ風景=私の写真。

 平山郁夫さんが亡くなったことを知ったのはは、先月12月3日の新聞でした。平山郁夫さんは、私には、仏教伝来の道への旅に向かうロマンをあたえてくれた人です。

 朝日新聞社会面には、平山さんが描いて薬師寺に収められた<大唐西域壁画>の前で、法要が行われている写真がありました。新聞紙のモノクロ写真ではあったのですが、思わず合掌したくなる敬けんさを覚えたのです。

 薬師寺でこの壁画をみたことはありません。薬師寺には、1960年代の大阪時代に出かけたことはありますが、今のような絢爛たる薬師寺ではなく、天平の古寺だったのです。

*ネットにあった平山郁夫さんの壁画。一番左側の山がエベレスト、その右がローチェ。手前の右端はタムンセルク。

  ただ、このヒマラヤの壁画は、私がようやく出かけ、見ることが出来た、はじめて目に飛び込んできたエベレストの風景そのものだったのです。懐かしさと感傷のつのる風景です。

 朝日新聞によると、平山さんは、<68年から僧・玄奘三蔵の足跡を求めて、中国やインド、ネパールなどに約130回も訪問した>、私が現役時代、朝日新聞社・テレビ朝日がシルクロード・楼蘭探検に熱中していた頃の、楼蘭=平山さんと重なります。

 平山さんがネパールにそんなに出かけているとも思えず、ネパールでの足跡、この壁画のスケッチ旅行を調べてみる気になって、春日部市立図書館で自伝を借りてきました。

 読んでみました。少し拾ってみます。
 <昭和56年12月20日、東京芸大が冬休みに入ると、私はヒマラヤ山脈の高峰エベレスト(チョモランマ)を描くために、ネパールへの旅に出た。・・・かって玄奘三蔵は、インドへの求法の旅の途中で、釈迦の生誕地ルンビニを訪れたり、聖山であるヒマラヤ山脈を遠くから礼拝したことが考えられる。ヒマラヤは仏教でいう須弥山(しゅみせん)にあたる。私は薬師寺の壁画制作のためにも、どうしてもこの目でヒマラヤが見たかった>

 <翌朝、窓からエベレスト峰とローチェ峰が、晴れ上がった青空の中にくっきり姿を現した。それは崇高で、神秘的ですらあった・・・・私は、小屋の外に出て懸命に山の写生を始めた。晴れ上がっていても、外気の温度は低い。4千数百メートルの高さで、しかも暮れの12月24日である。手袋を二枚重ねて、ガタガタ震えながら、エベレストとローチェを描いた。・・・・・苦労して登ったエベレスト・ビューのこの場所が雄大で、周辺の広がりもあって景観が素晴らしい。・・・・涙の出るような感銘を覚えた>(p.217-223)

*左;引用した<永遠のシルクロード>、平山郁夫著、講談社、2000年1月発行。右;私の旅ノートの同じ風景のスケッチ(2002.11.1、08;20am)、平山さんの絵と並べるのは恥ずかしいですが。

    【おまけ】

* ネパールを歩き回っていたのは、仕事をなくした2002年の10月~11月。後半は、エベレストに接近する一人旅です。前半、同じ仕事をしていた後輩=知人と一緒で、アンナプルナを遠望する山々を歩いたのです。

*その知人も仕事をやめ、今日(2010年1月7日)、ネパール・ポカラで、日本語を教えるために、成田を発ったのです。ソウル乗り継ぎで、今夜は、韓国ソウル泊まりでしょう。

*その日のカレーバイキング。ネパールには青菜・野菜がない。私のカレー&じゃがいも好きは、ネパールで毎日食べていたからでしょう。

*ネパールの人たちのために志を高く、十分に準備をしての出発です。それで、先日1月3日に食事をしました。ともに野田線沿線の住んでいることもあって、知人が選んだのは、柏の<ネパール料理屋=ルンビニ>でした。私には、はじめての店でした。すぐに、カレー攻めの日が続くのですが、お昼のカレー・バイキングでした。

*壁に同じ風景がかかっていました。(柏のネパール・レストラン、ルンビニ)

*その店に、今日のブログ話題の<エベレストをのぞむ>と同じ風景の油絵がかかっていました。友人は、もちろんパソコンを持っていっています。メールや写真が届いたら、このブログで紹介していきます。私も、けっこう長いネパールの旅をしてきましたが、暮すということは別の話です。

*ネパールに着いたら日本語世界でなくなります。知人に日本語の読物提供として、このブログの中から、エベレスト接近記を知らせておきます。ここに書いています。<ここです>


ボブ・ディランなら一緒に行ってもいいよと、20代の息子と親子の会話(2010.1.3)

2010-01-03 21:10:16 | Weblog

*朝日新聞、09年12月22日付朝刊の広告。

 3世代が一緒の賑やかなお正月でした。孫2人が寝入ったら親子の会話が始まります。
 下の息子が、<ボブ・ディランが来るねえ、行ってもいいなあ>と、突然、思いがけない発言でした。

 1960年代から、ギター抱えて反戦歌時代に大阪で暮らしたオヤジ=私です。聞くことがなくなってからも、ボブ・ディランの海賊盤を買い集め、60、70年代の音源はほぼパーフェクトに持っていたり(子どもらに話したことはありません)、日本公演には必ず出かけているオヤジです。

 むろん、この3月に、日本にやってくることは知っていました。

  日本公演は、4,5年毎にありました。まあ、こんな感じでした。
 1回目;ひとりで孤独に行きました。
    1978年初来日、初日と最終日の2回行きました。
 2回目;家人と行きました。
 3回目;ある女性と行きました。
 4回目;チケット2枚買ったことが、家人に発覚、チケット1枚没収。
 5回目;今年、2010年です。

 だんだんチケットがとりにくくなっているのです。時代が変わって、購入する仕組みが良くわからないのです。昔は、チケット売り場(プレイ・ガイド=チケット・ピアでもいい)に並べばよかった。今は、ネット販売だの、先行予約だの仕組みがよくわかりません。販売日・受付時刻には、まずつながりません。ダフ屋が<大型コンピュータ・システム>を稼動させ押さえてしまうのです。
 しかも、今回は、ライブハウス公演で、たぶん席数も少ないようだし、無理だろうな、と思っていたのです。

 今ごろ、ディランでもないだろう、<大人げない>と思ったりしていたのです。それに、一緒に行ってくれるヒトもいそうもないし、と思っていました。

 そうか、そうか。息子と、ディランに行くのも悪くないな。二世代交流、親子の会話も悪くない。それなら、研究して<何としてもとるぞ!>。

 ここで、上の息子が、ネットを覗いて<先行予約分は、もうないよ>と。
 発売日に頑張るしかありません。

 しかし、下の息子が、<平日は、深夜まで仕事で行けない、土・日だけ>と発言。
 とすると、日曜か、とりにくいなあ。

 <あっ、3月21日(日)は、だめだ>と、オヤジ。
 オヤジの<ステージ、swing-swig-swing(会場;越谷・サンシティ)>の日です。
 夜は、大きな打ち上げがあることも決まっているのです。

   【おまけ】

*息子の賀状です。

 * それでも、平日のどの日かチケット獲得の挑戦をしてみよう。一緒に行ってくれるヒトは、とれてから探そう。

*キャロル・キング&ジェームス・テイラーのコンサート(朝日新聞、09年12月22日付朝刊の広告)

* 同じ新聞に、キャロル・キングのコンサートの広告が載っています。こっちなら、簡単にとれるでしょう。


めでたさも・ちゅうぐらいなり・おらが初春(2010.1.2)

2010-01-02 09:52:49 | Weblog

*同じような写真が、どこかのブログにありましたが、これはウチの写真。

 寒波・大雪の日本、関東ど真ん中、わが町には、快晴のお正月がきました。
 といっても、宇宙的、天文学的には特別な日でない、わたしにも普通の日。

 5時に起きてソファで寝ている息子に<かわるぞ>と、一声。前夜から泊り客が多くて、ウチを<シェア>、昼と夜の<スミワケ>です。

 昼組みは、ともあれ初まいり。いつもの、ご近所、氏神様、大衾の香取神社。いつものこと。正月らしさが、まるでないお宮です。
 <ほんとうは、大きなご利益があるのですが、誰も知らないのです>

*ウチの<昼組>、大衾香取神社。人出が少ない分、ご利益にあたることが多いのです。

 それから、マクドナルドのそばの歩道橋で富士山を仰ぎ、足をのばし西金野井の香取神社へ。こちらは、県議A,Bさん、市長さん、市議さんからの奉納金も貼ってあるほどのお宮です。
 毎年のコースですが、今年は、かみさんに向かって、ずら~っと並んでいるのです。10時ごろのことです。いつものブログによると、Rikaさんが出かけたお昼前にはもっと並んだらしい。どうしたんでしょうか。よほど景気が悪いんでしょうかね。
 おみくじ >>>小吉、例年どうり。

 帰り道に、一昨年に家人が建ててくれた!<ワタシ之墓>を娘に披露、<いいんじゃない>とだけ。

  この散歩で、たいてい2,3人の知人に会うのですが、ことしはゼロでした。

     【おまけ】

*今年は、埼玉新聞を加えました。

* 日の出前、新聞をとりに出て、そのまま30秒先のコンビニに行く。元旦の新聞を駅の売店に買いにいくのも習慣です。いつも毎日と読売ですが、ここには毎日新聞がないのです。<おめでとうございます>と店長に挨拶されてしまい、埼玉新聞を加えます。

* 気分はとっくに東京でなく埼玉ローカルに変わっているのですが、埼玉新聞を買ったのは初めてです。

* 多すぎる新聞をめくりますが、ほとんど読みません。日経本紙(第一部)がもっとも読み応えがあります。そのことは、お正月が終わって、わが家が静かになってからにします。

*新聞各紙が、今年は<>ページだ、なんてことも、広告が不調だとか書くことはやめましょう。