2006年は今日でおしまい(2006.12.31)

2006-12-31 19:33:32 | Weblog

2006年は、どんな一年だったかのか、なあ、世間にとって、私にとって。
とりあえず今日のブログを、12月31日中に送り出して、その後、ぼつぼつ【おまけ】に付け加えることにします。

月日の流れ、時間のスピードは、絶対的なものですが、速いなあと思う時と、遅いなあと思う時があります。いいことを待つときは遅い。いいことの最中のときは早い。年齢とともに、時間は速くなります。
このことを、数学的、理学的に表現することはできないかなあ。そういう研究者もきっといるに違いないでしょうね。

皆さん、良いお年をお迎えでしょうね。
では2007年も、ときどきこのブログを覗いて下さい。

  【おまけ】

*私にとっての2006年・・・・この後、随時追加します(12月31日19時19分記)


今年も後2日、カレンダーを掛けかえなければ(2006.12.30)

2006-12-30 17:32:02 | Weblog

庄和町で農業をやってる知人の話しでは、今日30日は、みんな餅つき日のようです。
昨日は、世間は大納会で、勤め人は今日からお休みでしょう。息子も昨夜、カレンダーを持って帰ってきました。わが家のカレンダー資源は、これだけです。
ウチでは、餅はつかないから、私のお正月準備作業は、カレンダーをかけかえることぐらいしかありません。

その昔、仕事場に集まってきたカレンダーを見るのは楽しみでした。仲間と分け合ってもち帰るのですが、3、4本持ち帰っても、<壁が少なくなってしまったわが家で>使うのは、まあ1本。私のお気に入りは、NECのカレンダーで、20年以上、わが家の壁の同じ位置を占拠してきたのです。今、そのカレンダーに代わっているのが、息子の勤務先のカレンダーです。

一昨日、東京に出たとき、店頭で目に付いて旧暦のカレンダーを衝動買いしました。1500円。ここのところ、精神状態が旧暦で動いているというか、季節感、自然観が旧暦の方がいいな、と思うこともあって買ったのです。今年は、月の満ち欠けに合わせて、生きていこうかなあと。ただし、旧暦すなわち太陽太陰暦は、調整=“うるう”のカウントが難しい、よくわからない。

今年はじめて、毎日することもなく過ごすようになって、今日が何日であっても、何曜日であっても、まったく、どうでもいい生活なのです。だから、曜日を間違えたりすることがしばしばあります。今日は何日でしたかと、用事の窓口で聞いたり、ブログの日付を間違えたりするのです。・・・・こうしてアルツ****になっていくのでしょう。

 

さて、壁空間を占拠しているとはいえ、カレンダーが有効に、そのコストに見合う働きをしているかというと、そうでもないでしょう。
わが家でもっとも活躍しているのは、毎月、新聞に折り込みされる“ペラの月別予定書き込み表”です。わが家の新聞では、朝日が始め、日経も始めたから、たぶん他の新聞にもあるでしょう。
これが常に、テーブルの上に転がっているのです。家人も私も、そこに予定を書き込むのです。これがあれば充分です。ただし、時に、これが行方不明になって、パニックになってしまうこともあるのです。


千駄木では、ネパール料理ミルミレと古書ほうろう(2006.12.29)

2006-12-29 14:01:26 | Weblog

*ネパール料理店“ミルミレ”

昨日(28日)の夜は、知人に誘われていました。場所は、千駄木のいつものネパール料理の店“ミルミレ”。ミルミレは、ネパール語で曙(あけぼの)の意味です。私が、ネパールをさすらってから、ときどき出かけるようになったのです。

玄関前に、ネパール国旗がありますが、気取ったレストランではありません、気楽なお店です。マスターであるシャルマンさん、ネパール・カトマンズから来て8年ぐらいとのこと、気性はもう完全に日本人のようです。
シャルマンさんの来日のきっかけは、安曇野のペンションシ舎驢夢のオーナーとネパールで知り合ったことです。舎驢夢で、しばらくコックとして働いていたのです。私の松本にいた友人が舎驢夢のオーナーの友人だったという、不思議というか、ただの偶然というか、そういう関係でもあったのです。そのことは、ずっと後に知りました。

私が、1ヶ月のネパール放浪していた日々に、毎日食べていたのが、ダル・バートです。ダルはご飯、バートは豆汁です。それにチキンカレー汁を、(私は)ぐじゃぐじゃに混ぜて食べるのです。それが大好きなのです。さすがにここでは、やりませんが、現地では“手で”食べていました(!?)。ネパールの旅の間は、ダル・バートとジャガイモ、ほんの時々チキン、そしていつもカレー味の日々でした。だから、嫌いじゃないのです。
日本に住んでいるネパールの若い夫婦を、ときどき誘うことがあります。“ほんとのネパールの味ではない”と言っていました。私には、その差はわかりません。
最近、インド人コックもく加わり2人で、24時間営業を始めたようです。だからインド料理もあります。

 *古書“ほうろう”

千駄木に来ると、必ず寄る古本屋に、古書“ほうろう”があります。私の本をけっこういい値で買ってくれた古本屋でもあります。
昨日もまた、約束の時間よりかなり早く千駄木に行き、ここで時間調整をしていました。

若いオーナーは、放浪・旅・精神の自由を求めています。だから、そんな本が集まってきます。
WEB(ここです)にこう書いています。<ほこりっぽくない、薄暗くない、敷居が高くない、あるのは夢と野望と志(なんつって)、あとやたらに面積がある、そんな町の古本屋です>

時には、ポエトリー・リーディングとかフォーク・ライブもあるらしい。デザイン系も含めて、やたらミニコミとか、個展のお知らせのフライヤーが転がっているところは、60年代の雰囲気そのままです。


わが家(春日部)の灯をおとして暮れの“除夜釜”(2006.12.28)

2006-12-28 10:52:29 | Weblog

昨(27)日、春のような暖かい夜、わが家での、年の暮れのお茶会の2日目でした。
電灯を消し、灯を落としたわが家に集まっていただきました。

“初めてです”の知人・友人たちが中心に。だから私も、ジーンズで同席です。かく言う私は、はじめて同然なのです。

点心から、仲立ち、濃茶、薄茶と進みました。人の目は、不思議です。あんなに暗いなあと思っていたのですが、暗さの中に見えてくるのです。茶の湯のあたたかさ、背筋をのばす心地よさが、しだいに感じられてくるのです。

  【おまけ】

*現代生活が明るさの中にありすぎるのかも知れませんね。いろんなものが見えすぎる、じっと目を凝らして見るなんて言葉も死語でしょうか。そのことが、結果として、よく見えてないこともあるかもしれません。
同じことは、聞くことにもいえそうです。音が少ない世界で、集中してかすかな音、気配を感じとる・・・といったこともなくなります。

*人間、現代人、あるいは都会人、先進国人は、本来、人間の持っている能力を退化させているのかもしれません。

*暗い夜道を歩いたことのない世代もいるでしょう。私らの子どもたちもそうです。

*暗い世界より、明るい世界がいいのに決まっているのですが・・・・。


庄和町一番のお蕎麦だと思いました(2006.12.27)

2006-12-27 11:00:09 | Weblog

昨夜(26日)、私の家人が、年の暮れのお茶会“除夜釜”を開きました。
ほのかな灯のお茶会です。それはそれとして、年越しは、やはりお蕎麦ですから、庄和町の“蕎麦うち”の小島彦一さんにきてもらい、皆さんといただきました。

17人分を、ご自宅でうって持ってきて下さった。大きなお鍋いっぱいに湯を沸騰させ、1人分ずつ、お蕎麦をいれます。ぐるぐる混ぜてはいけません、蕎麦が沈んで、再び浮いてきます・・・・<それからどうするんだったかな~>。お鍋が2つだから、2人前ずつ出てきます。3分以内に食べ始めることも、美味しい鉄則です。

おいし~~~い。おいしいね、と皆さん。

“こだわり”のオンパレードでした。おつゆは、・・・。***のとうがらしも用意されていました。二八蕎麦です。お蕎麦は、信州小諸の・・・。挽いて一週間以内の粉で・・・。
お蕎麦の一般常識から、材料、お道具にいたるまで、にこにこ顔の小島さんがたくさん、お話ししてくださいました。あまりに多すぎて、私のメモリーはあふれてしまいました。

お出でいただいたお客様と“蕎麦匠”小島さんとのやりとりを聞いていて、楽しんでもらえたな思いました。そして皆さんは、“おいしいお蕎麦”が、ほんとに好きなんだな、と。
何から何まで準備してこられ、遅くまでおつきあいいただいて、小林さんには感謝の夜でした。

  【おまけ】

*小林さんは、町の“そばうち同好会”の代表さんです。公民館まつりなどのイベントでのお蕎麦の人気は、私らのバンド“スウィング・ベアーズ”もかないません。日ごろ、小・中学校で子どもたちへの実習型の指導や福祉関係のボランティア出前などなど、広く活躍されています。

*今回初めてわかったことは、小島さんは、美味しいお蕎麦のノウハウを、感覚だけでなく定量的に、まるで実験データのように記録されていることです。仕事をやめて始めたとのことですが、前職は、技術屋さんか研究者だったろうと想像しています。

*あれだけこだわり、夢中になれること持っておられることを、羨ましくも思いました。
蕎麦、ワイン、コーヒー、紅茶、ケーキ、お酒。何かを突き詰めている人は、ほんとにかっこいい。

*昨夜話題になった庄和町(現春日部市)のお蕎麦屋は、いくつかありますが、大凧会館の前のお店でしょうか。“お昼早めにでかけること”、“食べる事ができたら幸運・・・”なんて話題もありました。

*とはいっても私は、岡山出身の関西・うどん系で、関東人ほど、お蕎麦=年越しのイメージはなかったのですが、これで、めでたく年が越せそうです。・・・年賀状に着手していませんが、まあいいか。


日経が日本一と紹介したケーキ屋さん“オークウッド”(2006.12.25)

2006-12-25 21:45:14 | Weblog

クリスマスだから、クリスマス・ケーキを食べることにしました。それで迷わず、あの春日部のオーク・ウッドに行きました。日経がおとりよせケーキのナンバーワンとしたケーキ屋さんです。私もそれが、春日部のケーキ屋さんだったので、少し嬉しくなってブログに紹介しました。(ここに紹介)

16号を東部市場の所を春日部駅の方に曲って、その通りの一つ左手(東側)の通りに入れば、絵本の“お菓子の家”のようなケーキ屋さんはすぐにわかります。駐車場もたっぷりあります。広い敷地に野草があふれていました。

ドアを押して入ると、とても広い、きれいなフロアです。そこはもうお菓子工房です。若い男の子や女の子が、ケーキづくりに懸命でした。日本一の“モーンシュートレーン”はもう完全に売り切れです。これはクリスマス限定のケーキです。来年のクリスマスシーズンまで待つことにします。ここは、ひょっとして焼き菓子が得意なのかもしれません。でも今日は、ケーキを4個求めました。

“日経に載ったことは知らなかったのです”、“おかげで・・・でも、ケーキが間に合わなくて、お断りして申し訳なかったのです”と。
“テラスでお茶を飲んでもらっていたのですが・・・・・。春になったら、お茶の飲める別棟を建てる計画なんです”・・・・などなど、ちょっとおしゃべり。

帰り道。ケーキを壊さないように、車をゆっくり走らせていました・・・・なんか特別のケーキを買った気分でした。


やはり渋谷のブックカフェ、フライング・ブックス(2006.12.24)

2006-12-24 11:09:16 | Weblog

一昨日(22日)の横浜。氷川丸で名残りのカレーライスを食べたので、中華街は、おみやげの月餅とシュウマイを買うだけ。その夜の飲み会のお誘いは、6時に新宿だから、少しだけ時間がある。渋谷におりる。渋谷で必ずよるのが、ブックカフェ・フライング・ブックスです。(ここです)

渋谷駅すぐ、ちょっとごちゃごちゃしたところ、渋谷古書センターの2階。階段を上がって店に入る。まず真っ直ぐ突き当たりの書棚に、ビート詩人のジャンルが並んでいる。60年代の気分をくすぐる書棚である。ゲーリー・スナイダーが並んでいる。アレンギンズバーグが並んでいる。たいてい見慣れた本だが、そこは古書店で“何がでてくるかわからない”。ちょっと高めの書籍が左のケースの中にある。

それからぐるっとひとまわり、60年代文化、スピリチャル世界、旅、山、フォークロア、詩集、画集。米国の古雑誌も、きれいに積み上げてあるが、いつもめくってみる時間がない。

一冊お買い上げで、コーヒーを頼み、レジ兼のカウンターに座る。独り分づつ挽いて炒れてくれます。コーヒーを待ちながら、フライヤーを拾い、若いカルチャー・イベント情報を知ります。若い女性ががやってきて、しばらく書棚をながめて、すっと消える、しかし人は切れない。静かに時が流れます。
眼をつけている本が一冊あります。早く買わないと、売れたらなかなか出てこないでしょう。

この店を知ったのは、3年ぐらい前。あるイベントに出展していた店長と、長めの立ち話をしてからです。私らのように60年代の生き残りでなく、その時代に生まれた世代とその時代の話をするは楽しい。彼の本の“腰巻”にこう書いてあります。
<フライング・ブックスは文学的なロックンロール・ラウンジであり、今の日本の若者たちが創り上げようとしているニューカルチャーの中心的空間だ!>

今日の“お買い上げ”は、“地球の上に生きる”の原書(living on the earth)です。70年代はじめ、けっこう読まれて、私も“読んで”いたのです。
むろん、その時代に、誰もそれを実践したわけではないでしょう。精神を読み取ろうとしたのでしょう。

谷川俊太郎さんが、腰巻に、“手づくりの生活をするために、この本にしるされたことを、かたっぱしから自分の手で試したい。せめて試すことを夢見たい。それだけでも私の人生は、きっと根本から変わるだろう”、と書いています。

この日、古本の原書を見つけたと思ったのですが、きれいな本、実は、新本(?)だったのです。初版1971年なのだが、なんと2003,2004年に再版されていたのです。今の時代にも、売れているんだろうか。この翻訳、日本では、再版されることはたぶんないでしょう。
2004年版の巻末にある、この本を実践するための、関連ショップや関連図書がWEBのURLとともにのっています。30年後、アメリカがぐんと近づき手が届くようになりました。本だけの世界から、街・自然に出る助けになるでしょう。

 【おまけ】
*“地球の上に生きる” アリシア・ベイ・ロール、深町真理子訳、1972年、草思社発行>ネット本屋のアマゾンで間違いなく買うことができるでしょう。


横浜・新聞博物館“新聞の未来”展と最後の“氷川丸”に(2006.12.23)

2006-12-23 10:19:15 | Weblog

横浜の新聞博物館でやっている、日経130年記念“新聞の魅力”展に行きました。一度行かねばと思っていながら、終了日12月24日の直前、昨日(22日)やっと出かけました。 10月からやっていたのにです。

新聞博物館は、横浜・関内駅すぐの日本大通り。たしか、昔の電話局の外観を保存した、いい感じの建物です。重厚なドアを押して入ると、ロビーには、ずっと使われてきた新聞印刷輪転機がどーんと鎮座しています。

日経創刊130周年を記念したイベントで、「戦後の日本経済の歩み」と「新聞の未来」を展示しているのです。今日の私は、日経が“新聞の未来”をどう考えているかを見に来たのです。(ここにあります)

<最新の情報通信技術を活用した「新聞の未来像」を、新聞のある生活をコンセプトに新聞がある生活をコンセプトに新聞が「こうなると便利」「こうなると楽しい」といった「夢の新聞」をさまざまな形で表現します>と書いています。

過去何度かの万国博で、新聞社が展示し続けてきた、未来の新聞、夢の新聞です。日経が考える“今日の作品”に興味があったのです。

○テレビ融合型新聞(テレビ視聴中に関連する日経紙面が現れ、プリントもできる)
○テーブル新聞(テーブルに広げた新聞紙面の記事に触れると関連情報がテレビモニターに映る)
○ニュースミラー(洗面所の鏡の一部に日経ニュースが映る)
○ロボット新聞(ロボットが新聞を読んで解説する)
○ニュース・ハンティング(記事上に印刷された透明なコードを携帯電話で読み取り詳細情報を得る)
○電子ペーパー(折りたたみ可能な次世代ディスプレーに新聞を表示実験)

さあ、これらが、先々どんな風に実現していくのだろう。
それより、新聞そのものはどうなっていくのでしょう。ざっと50年前、テレビが始まったころ、まもなく新聞はテレビにとって代わられて、なくなってしまうと言われてきました。まだ、なくなっていませんね。今は、インターネット時代で新聞がなくなると“評論家”は言っています。どうでしょうか。
むしろ、新聞社は、若者が新聞を読まないという方に、危機意識を持っているそうです。でも、就職活動のときには、読んでいるようですがね。

  【おまけ】
*新聞博物館の常設展示は、再々見ているので今日はとおりすぎるだけです。
新聞博物館は、新聞紙面から見ていく日本の歴史を丁寧に展示しています。1月5日からは、2006年報道写真展がはじまります。また、ショップは、おしゃれな“横浜おみやげ”の穴場かもしれません。ミュージアム・カフェも好きです。(ここです)


*その後、急ぎ足で、山下公園を歩き、係留公開展示している“氷川丸”に行ってみました。この観光名所“氷川丸”も、12月24日を最後に、廃止スクラップにされると聞いたからです。廃止の理由はよく知りませんが、維持費の問題で、ここでもリストラなのでしょう。

*山下公園からみる氷川丸の景色は大好きです。そこに氷川丸なくなったとき、その景色の美しさとその意味に、横浜のエライさんも気づくでしょう。
いささかセンチメンタルになって、船内見学コースを丁寧に一周しました。そして、どんより寒いアッパーデッキで、カレーライスを食べました。


12月27日夕、私の家(春日部市)の気楽な茶会“除夜釜”にどうぞ(2006.12.21)

2006-12-21 16:52:38 | Weblog

新年まで、残り10日、世間では、毎夜毎夜の忘年会でしょう。ご近所の”普通の家”でも、垣根いっぱいにキラキラのクリスマスの飾りつけを楽しんでいるおウチがあります。

茶の湯好きの家人が、暮れに釜をかけてお茶会を開きます。
“除夜釜”という茶の湯世界の、暮れの行事です。
門灯を消します、まぶしい電灯をほのかな灯にかえます。ほの暗い中で、夜、除夜を迎え、この年、縁のあった人たちと席を同じくするのです・・・・・あんまりよく知りません。
忘年会やクリスマスパーティと要するに同じ。新年を迎える行事でしょう。年越しだから、お蕎麦もほしいところです。

わが家で、2日間、除夜釜を開きます。
26日(火)は、家人が“茶の湯仲間”の人たちと開き、そして27日(水)には、どちらかというと、話好きの人たち、この年に縁のあった人たちをお誘いしょうとしています。

ブログを始めたのも何かの縁です。それでブログからも、呼びかけてみたわけです。茶の湯の作法なんて思わずに、気楽にお越し下さい。遠慮なくお出で下さい。

12月27日(水)6時すぎにお出で下さい。8時ごろまででしょう。
場所;私の家(東武野田線南桜井駅から徒歩4分)、ヤオコー&TSUTAYA近くです。
*会費1000円いただきます。
*お問合わせ、参加の連絡は、メール;geibunkyou@mail.goo.ne.jp にお願いします。 
 折り返し詳細連絡します。

 【おまけ】

*家中の電灯をおとしてと考えているようです。とはいっても、電気の光以外に何があるでしょうか。ロウソク、懐中電灯(?!)、アンドン(行灯)、ランタンなんて話していて、わが家のどこからかでてきたのが、写真の2つのランプです。

*左は、オランダ・ドイツ・フランス国境付近の“石炭・炭鉱用の作業ランプ”です。むかし、このあたりの仕事に関わっていて(石炭掘っていたわけではありません)、記念にいただいたのです。
ちょっとアンティックでいいな、と思っていただけで、灯をつけることがあるなんて思わなかったので、説明を聞いていません。だからつけ方がよくわからないのです・・・・。

*右は、昔の私の家にあったランプです。傘がないのですが、これは簡単に点けることができるでしょう。でも、日本の貧しい時代を思い出してよくないですね。


ホノルル・マラソンおみやげ話の残り(2006.12.20)

2006-12-20 22:29:23 | Weblog

 *写真1;テーブルの上に靴を置く

一日中、12月27日(水)夕の、お茶会“除夜釜”の準備を手伝っていました。
“除夜釜”は、暗闇(?)の茶会です。照明作りを楽しんでいます。
明日のブログで少し書きます。どなたでも、ぜひお出で下さい。

それでブログは簡単に、ホノルル・マラソンの残った話しです。息子は、ホノルル・マラソン帰ってからも、江戸川土手を走っているようなのです。いいことです。
脱ぎ捨てたトッラク・シューズにひときわ輝く“ホノルル・マラソンの・・・・(写真1)”これなんていうのでしたか?“タイムの自動記録を可能にするチップ”ですね。
庄和(現、春日部)大凧マラソンでも、チップをつけて走ります。私は、つけて走ったことは、ありません。

 “試合が終わってもつけっぱなしで、練習している気持ちはわかるなあーー”

写真1のメダル状のものは、完走賞(?)のただの“メタルのメダル”です。JALの提供です。

デジカメ持って走ったらしいのですが、さすがにレース中に、写真を撮った事実はありません(そういうシーンは、全然写っていなかった)。
颯爽と走ってる写真があると、“年賀状”に使えるんだが、と話したら、“あるよ”との返事でした。

 *写真2;サービスされる息子の写真

すべての参加走者の写真を提供するサービスがあるというのです。インターネットからそのサーバーに入って、ゼッケンナンバーの入力すをれば、自分の写真をみることができるのだ。その画面をプリントしたのが写真2です。確かに10コマほど写っています。24,000人全員の写真が、こうして提供されているのです。 10ヶ所ほどのポイントで、すべてのランナーの写真をとり、画像からゼッケンを読み取り分類する・・・・この商売!!すごいけど、まあできるな・・・・。

 *写真3;ゴール(この大きさなら無料);ここに使うと著作権侵害?でも、自分の写真だから、かまわんでしょう!

この画面で得られるのは、サムネール画面程度の大きさ、これをブログにはりつけると、写真3の感じになります。高品質の大きな画像はネットから申し込むことになります。1枚18ドル程度ようです。息子が買ったのかどうか、知りません。  

 【おまけ】

 *写真4;家族へのおみやげ

*ついでに、私どもへのお土産は、コナ・コーヒーが好きとブログに書いたので、コナ・コーヒー(ここを見てください)と、ひとりコーヒー嫌いもいますので、紅茶(ロイヤルティー)、そしてチョコレートでした。
左の金塊型のチョコレートは、スイス産らしいのですが、どこの空港にでも売っているようです。“金塊好きの、いや見せかけ好きの”、わが家の海外旅行のお土産の定番です。
ほんとに、キラキラの“お土産物的な”おみやげでした。


今でもわからないアーサー・クラークの宇宙エレベーター(2006.12.19)

2006-12-19 20:50:51 | Weblog

春日部市立図書館から“宇宙エレベーター”という本を借りっぱなしです。
読もうと思いながら、進まない。もう返さなければいけない。期限はすぎています。

この“宇宙エレベーター”は、“こうして僕らは宇宙とつながる”とサブタイトルがついています。著者はアニリール・セルカン。東京大学大学院の助手さんです。
“宇宙エレベーター”というタイトルを見ただけで借りたのです。

SF界の巨匠という書き方は好きではないですが、“2001年宇宙の旅”を書いた、アーサー・C・クラークが、1979年に書いた“楽園の泉”(The Fountain of Paradise)を思い出したのです。

 *アーサー・C・クラークさん

赤道上空に静止させた通信衛星の3個があれば、地球上すべての場所から通信ができるという提案を、1942年に発表し、通信衛星の基本原理を発明した人とされている。その提案から、30年たって実現し、今や、世界の通信は、衛星の通信・放送利用なしには考えられません。

1970年代後半は、私自身が、仕事(!)で通信衛星の利用を追っていた頃でもあったのです。アーサー・クラークの新作“楽園の泉”を、SF(サイエンス・フィクション;空想科学小説)というより、未来学者の提言・予言のように読んだのです。

アーサー・クラークは、赤道直下近くのセイロン島に居住しています。そのセイロン島(スリランカ)の高い山の上の寺院の塔を天に伸ばしていく話なのです。そして静止衛星と地上をつなぎ自由に行き来する“宇宙エレベーター、軌道エレベーター”になるのです。
・・・・・よくわかりませんでした。読みきったとも思っていません。
しかし、ひっかかる言葉にはなったのは確かでしょう。

それから、24,5年後、再び宇宙エレベーターの本に出会ったのです。
ただし、サブタイトルの“こうして僕らは宇宙とつながる”という思想・ビジョンをわかりやすく述べたとしています。宇宙エレベーターを解説したものではありません。ただ、著者がNASAの宇宙エレベーターのプロジェクトに関わっていること、そのプロジェクトは、2062年建設開始を目指していることを知りました。それでもまだまだ、SF世界のような気がしています。

 *NASAの宇宙エレベーター構想図

この本の内容もまた、よくわからなかったし、若者(1973年生まれ)の自由な発想であったのでしょうが、共鳴するものは、あまりありません。もう図書館に返してしまおうと思っています。

 【おまけ】

*アーサー・クラークの静止通信衛星の原理を提案した、Wireless World 1942年10月号 EXTRA-TERRESTRIAL RELAYSから、基本原理の図を引用しておきます。 これは、理解できます。


30年分の私の賀状を並べて見ました(2006.12.18)

2006-12-18 19:19:25 | Weblog

昨夜、風邪をもらったようです。朝から寒く身体がだるい。それで、一日中ウトウトしていました。はっきりしない。どうも日々の緊張感が欠けているのでしょう。世間、世の中は、もう歳末の慌ただしさがあるのでしょうか。
突然、年賀状を書かねばと思いました。

カット写真は、私の35年分全賀状です。
左上、1972年から、右下の昨年・2006年の方向に並べてみました。
私は、必ず一枚、自分に送っているのです。しかも、抽選番号の下2桁00を自分に送っているのです。
こうして並べてみると、長い人生のように思っていても、たったこれだけの人生であったことが身にしみます。とはいっても、その時代とは、いわなくても、その頃の状況が思い出されます。

いただいた賀状で“いいな”と思ったら保存しています。毎年素晴らしい版画の賀状を下さる人がいます。むろん版画は、ちゃんと保存しています。いつかまとめてお返しすると、喜んでもらえるかな、と思ったりします。

若い頃には、賀状=版画という小・中学の宿題の尾をひいて、版画の賀状時代がありました。それから、賀状を印刷屋に頼むという“社会人”のちょっとした憧れ時代がありました。おそらく枚数もぐんと増えたでしょう。市販ですが、けっこうデザインのいいものと探したのです。その頃、カラーのものはそんなになかった。印刷賀状でも、一筆添えることは必須です。空白の大きいデザインのものを選んでいます。

そして、子どもができ、成長していきます。子どもの写真を入れたくなります。ただし、親族・ごく親しい友人に限ります。印刷でなく、シールを貼っています。
毎年頼んでいた印刷屋さんが、この写真シールを扱わなくなった頃、賀状の親族バージョンと会社バージョンを別個に作るようになりました。すなわち、わが家にワープロ(OASIS)が入ったのです。

それから、私バージョンの賀状は、なんと5年間、毎年同じパターンの“あけまして おめでとう ございます”だけです。実は、印刷色が変わっているのです。もう、めんどくさいから、これでいいやになったのでしょう。
・・・・家人が、“たったこれだけを、印刷屋に頼むなんて無駄!パソコンで打ち出したらいいじゃない!”と。

ここらで人生をリセットします。賀状が年に一回の“近況報告”に変わっていったのです。このハガキのスペースに、ぎっちり書き込みます。ほんとに年に一回だけのご無沙汰だから、読んでもらっているでしょう。

 【おまけ】
*この私バージョンの賀状でなく、家族バージョン賀状(近況報告)の方が好評のようです。
“うち喪中だけど送って下さい”と言われるとすごく嬉しいものです。

*例年、年末28、29日あたりから焦りだし、30日、31日あたりにポストに入れます。今年も元旦には届かないでしょう。


庄和町(春日部市)で、12月27日に“除夜釜”を開きます(2006.12.17)

2006-12-17 12:18:52 | Weblog

昨日(16日)TUTAYA(庄和町)で、雑誌PEN<総力特集;茶の湯デザイン>を買いました。
この雑誌のタイトルに、PEN with New Attitudeとかいてあります。辞書を引いてみました。“新しい姿勢でペン”ですね。ぺらぺらめくってみれば、すぐわかります。新鮮なデザインを重視しています。車、家、器といった物だけでなく、“生活・ライフスタイル”に新しいデザインを、と感じられます。

同居していない、もうひとりの息子は、広告制作者です。私の買ったバックナンバーは、皆持っているようです。この雑誌は、一年一回くらい、“茶の湯・茶道”の特集を組みます。

私が、アメリカ、コーヒー好きであるのに対して、家人は、ニッポン、お茶好きなのです。手段は違いますが、自然や季節を感じて暮らしていこうとする姿勢(デザイン)は、同じということで、つりあっています。

例えば、PENという雑誌に見られるように、若い、気鋭のデザイナーやクリエーター(建築、プロダクト、服飾などいろんな分野の)が、古来の、古めかしいと感じる茶の湯(茶道)に、鋭いといってもいい、新しい視点を展開しています。“今の時代”美かもしれません。

お茶会を開くことを、釜を懸けるといいます。
暮れの、茶の湯の行事は、“除夜釜”です。除夜の鐘を聞きながら、というわけには行きませんが、夕刻暗くなって、ロウソクの灯の中でのお茶会です。今年ゆかりのあった方と、お話しながら、お茶を一服ということになります。

・・・・12月27日(水)に、私の家(旧庄和町・現春日部市)で、“除夜釜”を開くことを決めて、家人が準備をすすめています。

ブログを始めたのも今年です。これも何かの縁です。
読んで下さっている皆さんの中で、関心のおありの方は、このブログのコメントやメールで、ご連絡下さい。


クリスマスイブには春日部の教会で賛美歌を聞くのもいいかな(2006.12.16)

2006-12-16 12:13:04 | Weblog

時はとまってくれません。もうすぐに、クリスマスです。
自由人の私にも、年の瀬のあわただしさが感じられてきます。

何通かクリスマス・カードが届きました。
どれも“メリー・クリスマス”とは書いてありません。“シーズンズ・グリーティング(季節のごあいさつ)”です。いろんな信仰の人を思って、そう書くのでしょう。私ら、かまわず、誰かれとなく、“Merry Christmas and A Happy New Year”と書いてしまいます。

南桜井駅前(旧庄和町)のイルミネーションは、この季節の冷たい夜に、とてもきれいですが “十字架”があったりします。パブリックの場では、“ひょっとすると”気をつけなければいけないのかもしれませんね。

でも、いいのです。“そんなこと言っていたら、サンタクロースが来ないのだから!!”

ごく若い知りあいから、“私が聖歌隊で歌いますから来て下さい”と案内をもらいました。
12月24日(日)午後6時、春日部福音自由教会・中央会堂(春日部駅西口すぐらしい)。“燭火礼拝(キャンドルサービス)”という行事。お説教もあるようですが、ちゃんとした賛美歌の“クラッシク・コンサート”と感じます。

たぶん真っ白のドレスの聖歌隊で歌うのでしょう。そのReiさんの応援ということではなく、クリスマス・イブの日に教会にでかけて、年に一度ぐらい心を洗うのもいいのかなとか、思っています。


ホノルル・マラソン4085位で完走(2006.12.15)

2006-12-15 15:36:14 | Weblog

昨夕(14日)、ホノルル・マラソンを走った息子が帰ってきました。
真っ黒に日焼けして・・・と書きたいところですが、そうでもなく帰ってきました。

 “JAL22221”のゼッケン、“完走賞(証?)”、完走者だけがもらえる(!)Tシャツが出てきた(写真)。完走者って、Finisherフィニッシャーというようです。当たり前と言えば当たり前ですね。そして、ホノルルの広告新聞社が出した、“全完走者リスト”がありました。全完走者のゼッケン・順位・タイムが載っています。全完走者数は、24547名です。(まだ、どこかのwebに記録が載っているかもしれません)

フルマラソンが初めての息子の成績(内緒です)。4時間27分34秒です。全完走者24547名中、4085位。男子選手12888名中、3045位。25~29歳選手1441名の中、328位。1位は、2時間13分42秒です。 3時間を切ると、108位。3時間半を切ると、543位。4時間を切ると、1998位です。 10時間かかると、24239位です。
最下位は、15時間40分08秒です。それでも、ちゃんと片付けずに待ってくれるようです。

日曜(10日)、暗闇の朝5時がスタート。息子は、9時30分にはゴールしたことになります。だから、暑くもなく日に焼けない。10時間かかっても、<最初から全歩きの予定だったのでしょうね> 午後3時には、感動のゴールです。まさに、“ハワイのいい一日”になるのでしょう。

パンフレットをみると、マラソンの周辺のイベントが楽しそうです。著名マラソン選手を交えたパーティやレセプション(有森祐子さんも参加でした・・・出たかった!)、ナイキ他スポーツ用品会社のブース、歓迎ミュージック・フェス、各種のイベントが、前日やレース終了後にもりだくさんのようです。

次回に参加を考えるひとのために、ワイキキから、ダイアモンド・ヘッドの下、ビーチ沿いの公園みちを走る、往復のマラソンコースマップをコピーしておきます。

ハワイに遊びに行くなら、ホノルル・マラソンに合わせていくのが楽しそうです。全コースをハイキングと思えばいいようです。ただし、ホテルがなさそうです。息子は、4泊5日のホノルル・マラソン・ツアー(14万円)で行ったのです。

終了後、息子は一緒にいった友人と、ハレーダビッドソンをレンタルして、オアフ島一周したらしい。デジカメの中に、憧れの大型バイク・ハレーに乗って笑顔の写真がありました。アメリカは、ヘルメット不要なんですね。

老いたら子に従え・・・っていいます。
来年、ホノルル・マラソンに出るかなあ。出たいなあ。
まず来春5月の庄和(春日部)大凧マラソンに出てから考えましょう。