ウッドストック1969は、ジミヘン“米国国歌”とバエズ“勝利をわれらに”(2009.9.30)

2009-09-30 17:13:49 | Weblog

*朝日新聞2009年9月27日日曜版、見出しは<反戦ではなかったのか>です。

 今年は2009年だから、私らの青春ど真ん中の1969年から40年です。
 その年、アメリカであったことは全部40周年です。
 だから、ウッドストック・ミュージック・フェスティバルも40周年。あるに違いない40周年イベントには行こうと思っていたけど、行けなかったと、つい先日、このブログに書きました。

 この間(9月27日)の朝日新聞日曜版に、でっかくウッドストック1969&2009の原稿が載っていました。
 朝日の2面をつぶす原稿にしては、ちょっと軽いなあ。この記事を読んだ私ら世代、あるいは、ロック評論家さんは思ったでしょう。筆者の田中光記者はわざわざ1969年生まれと書いています。その時0歳だったなら、しょうがないでしょう。

 そこで、1969年に、ギターが質屋を出たり入ったりしていた、ごくごく普通の若者(私!のこと)にとっての、ウッドストック1969を書いておきます。

 1960年代の初め、アメリカはプロテスト・フォーク(反戦フォークでも社会派フォークでもまあいいでしょう)の時代。日本には、3~5年遅れぐらいで、その風が吹いていました。そしてアメリカでは、1965年あたりから急速にエレキ・ギターのロックに移り、若者が社会問題・時事問題を歌うことが流行らなくなりました。たぶん、そうでしょう。

 アメリカからちょっと遅れる1969年の日本は、まだまだフォークの余韻がしっかり残っていたでしょう。そんな中 1969年8月、ウッドストックでのミュージック・フェスティバルが、30万人の観客を集め開かれたのです。
 中村とうようさんのニュー・ミュージック・マガジンは、3,4ヶ月遅れで記事にしていました。 そうして、実況録音盤のLPレコードが出ます。それから、記録映画ウッドストックが日本でも上映され、そのすごさが日本人にも明らかになったのです。

*発売されたLPレコード(左;まず3枚組み、右;それから続編2枚組み)

*映画ウッドストック・パンフレットの表紙

 私が、この映画が観たのは、札幌で暮らしていた時だから1970年の秋ではなかったかな、と思います。その時、なお社会派フォークの余韻を引きずっていた私は、ジョーン・バエズやアーロ・ガスリーのステージをスクリーンに観たかもしれませんが、映画には、ステージの演奏より、とにかく観客の多さ、自由奔放さのすごさに圧倒されていました。

 そして、その余韻の中に、映画のラスト近くで、ジミー・ヘンドリックスたった独り<アメリカ国歌・星条旗よ永遠なれ>弾くの夜明けの光景にジーンと来てしまったのです。 他のミュージシャンの演奏の記憶は、完全に消えてしまったのです。
 ベトナム戦争反対なんて・・・全然なし、これが<アメリカの若者の今>なんだと思ったのです。

 そうして、日本で、だんだんウッドストックの解説記事がでます。
 ボブ・ディランのバックバンドからスタートして、カントリー・ロックで私を夢中にさせていた“ザ・バンド”も出ていたのです。その頃、3、4年遅れで、初めて知った、ジャニス・ジョプリンもそこに出ていたのです。レコードにも映画にもでてきません。マネージャー(プロダクション)との関係もあったらしい、のです。

*映画パンフレットの中のジョーン・バエズのページ

 ウッドストックの研究者やマニアが雑誌に、その全ての出演者・演奏曲を発表します。 99年の30周年の時には、レコード・コレクター誌99年10月号が、全リストを載せました。同時に、レコード会社や映画会社は、残りの映像・音を新しく売り出します。 私は、せっせと買いました。金銭的にピンチに陥るほどでした。

 ジョーン・バエズが、5曲歌っていることを知ります。
 その中には、We shall overcome(勝利をわれらに)も歌っているのです。そこ、ウッドストックで、歌っているのです。
 We shall overcome(勝利をわれらに)は、社会派フォーク<一番の曲>です。1960年代後半、私も何度も、<大阪の>集会で歌っていました。

 もし、ウッドストックの映画の中で流れれば、気分はシンクロして、涙ボロボロだったでしょう。

 日本のロック評論世界、例えば、ニューミュージック・マガジンなんかは、ジョーン・バエズを扱う時は、もうボロクソに書きはじめていた時代でした。

 私は、まだまだジョーン・バエズに未練を残していました。
 ベトナム、カンボジアから、その後も持続させていくジョーン・バエズの良心・志にひかれていました。むろん、2001年9月11日から、今もなお、志は変わりません。

 そのウッドストックでのWe shall overcome(勝利をわれらに)は、LP,CDに登場しませんが、一度だけ、ビデオになって売り出されました。
  しかし、他のCDなどで買いすぎて、ピンチで買いそびれてしまったのです。今でもその映像をみたことがないのです。

   【おまけ】

*左;ニュー・ミュージック・マガジン(70年1月号)、右;ジョーンバエズのシングル盤

*ウッドストック・ミュージック・フェスティバルと書きましたが、正確には、3days  of  Peace & Music(平和と音楽の3日間)がタイトル。会場もウッドストック近郊のベセルにある農場です。

*映画ウッドストック、後に、ビデオを買い、後に、DVDを買いましたが、いずれも見ていません。映画館のスクリーンしか、感動(?)の再現はできないでしょう。

*ウッドストックで熱狂のステージを持ったジミー・ヘンドリックスも、ジャニス・ジョプリンも、翌1970年に死んでしまいます。


少しいわくつき、頼まれ・頼み、雑草地で畑作業を始めるつもり(2009.9.27)

2009-09-27 11:59:04 | Weblog

*夏草におおわれたトモちゃんちの畑です。

 長い間、私のウチに大根を持ってきて下さっていたご近所さんがいます。
 そのご近所さん、昨(2008)年暮れに倒れて、今クルマ椅子。そして娘さんが帰ってきて介護な日々なのです。

 大根?畑の話になって、<それどころじゃあないな>と感じ、それでも<オヤジさんの畑なので続けたい>とも感じ、<手伝うよ>と言ってしまったのです。

 畑は、ウチら新興住宅民に、旧お百姓さん住民が菜園用地を提供しているものです。ウチから徒歩3分。
 子ども時代を田畑の中ですごしていた私は、畑やること自体はなんともないのですが、農業=日々の根気、に課題があって、<ご近所から届けてもらう派>だったのです。

 娘さん=トモちゃんと畑に行きました。ひと夏、手をいれずにいた結果は、見事な雑草地になっていました。 <1ヶ月かけて刈って、11月には、冬野菜を植えられるようにしようと言ってはみたのですが、こりゃ大変だ・・・>。

 私は生来、<ヒトに頼むぐらいなら自分でやる、いや自分でできることは自分でやる>主義です。やたら、ヒトにやらす、ヒトにフルえらそうなヒトは好きではないのです。

 ところが、トシのせいか、出来ないことを自分でやろうと頑張らなくなったのです。あきらめがはやいというか、<こなせるヒトに頼む>ようになったのです。
 自分の進歩はもう望めません。それは、もういいのです。

 同じ団地の中に、大き目の敷地に野菜を作っているオウチがあります。そのAさんは草刈り機を使って、よく空き地の草刈りサービスをされています。
 それで、草刈り機を貸してもらおう、と頼んだのです。

*左;どこかの畑、右;ウチラの畑

 そうして、昨日(26日)なんとオペレーター付で借りたのです。
 ちょっと教えてもらって、自分でやるつもりもあったのですが、<やってみます>とついに言い出せず、とりあえず草刈りは終わりました。

 さあ、これからです。耕して、雑草を根こそぎ抜いて、それから畑づくりです。
 草刈りをやって下さったご近所Aさんが、<雑草の種がいっぱい落ちてるから・・・ね>と。来春からは雑草との格闘の日々です。

 農家の嫁ほどいいものはない、と言ってのけた農家の嫁さんも知人です。畑の応援者は何人もいるように思います。

*雑草もこうしてみればきれいです。

 決して応援者にはならないに違いない家人も様子を見に来ました。野草というか雑草を持ち帰っていきました。

 【おまけ】

*昨日の畑の収穫は、ミニトマトです。雑草の下から出てきました。半分ほどわが家に。皮がやや硬いですが甘く美味しい。

 *トモちゃんがお礼に、(正確には、前の日のことで、逆ですが)、わが好物の豆カレーを持ってきてくれました。レンズ豆です。東京にいる時には、インド人カレー屋さんでアルバイトをしていたほどのインド・カレー好きです。春日部の藤塚橋近くのインドカレー屋さんに一緒にいったら、その後もひとりで出かけたと言っていました。


もう一度行きたいイギリス、ストーン・ヘンジ、釣魚大全のホテル(2009.9.25)

2009-09-25 23:29:08 | Weblog

*ストーンヘンジで買ったミニチュアのストーンヘンジ。太陽が真東に昇る<お彼岸の中日>には、わが家は、これを飾ります。

 見知らぬ旅人・まゆみさんから絵はがきやコメントが届きます。イギリスから便りでしたが、今日はどのあたりでしょうか。

 私が仕事をやっていた頃、20年とか10年前、何度かロンドンで仕事をしてきました。 駐留していたわけではありませんが、1ヶ月ほどいたこともあります。仕事ばかりでしたが、ロンドンの街中は、少しは歩けます。

 一度だけロンドンの外に行ったことがあります。現地法人**ヨーロッパ社の社長が、どこか行こうか聞いてくれたことがあって、ストーン・ヘンジに行きたい、と言ってつれていってもらったのです。
  だから、自分の旅ではないのです。助手席でロードマップ見ながら走ったのですが、ロンドンから何時間だったのか、覚えていません。

 平原に、ストーン・ヘンジが見えたときは、感動しました。
 もともと巨石文化というか、巨石信仰、太陽信仰に関心があったのです。いったい何のために、こんな大きな石を建て並べてサークルを作ったのか。太陽の動きから、春夏秋冬、季節の動き、暦を知るため、の観測台、太陽信仰的な施設といわれています。
 もっとゆっくり見たかった。小石のひとつも拾いたかったし、おみやげ物屋の解説本もゆっくり探したかったのですが、そうも行かなかったのです。

 ロンドンへの帰り道に、お茶、アフタヌーン・ティをして行こうと立ち寄ってくれたホテル、といっても小さなホテルに驚かされました。

 The Complete Angler(コンプリート・アングラー)ホテルだったのです。
 コンプリート・アングラーは、釣魚大全として訳されている釣り文学、自然文学(ナチュラル・ライティング)の古典です。当時私が、ソローの<森の生活>と同じように夢中だった本です。
 その作者・アイザック・ウォルトンゆかりのホテルだったのです。

*右は、フロントにおいてあった日本語の<ホテルを紹介したカード>

 正真正銘の英国のアフタヌーン・ティを楽しみながら、窓の外のテムズ川上流の風景を見ていました。山中の川、渓流とはいっても、水がたっぷり、緑の濃いテムズ川だったのです。
 このホテルには、それらしいお土産売り場はなく、ただフロントには、新書版のコンプリート・アングラーを売っていました。むろん、買いました。ここで買うことに意味があったのです。

*私は、訳書<釣魚大全>を3冊も持っているのです。

 ストーン・ヘンジからコンプリート・アングラー・ホテルへの旅。
 あとで自分ひとりで来ようと思っていたのです。どうも、もう行けそうにありません。


わが故郷・岡山の山間部に、大逆事件で処刑された森近運平(2009.9.23)

2009-09-23 17:02:01 | Weblog

*<郷土が生んだ偉人たち>井原市教育委員会発行より

 昨日、わが家に客が来るからと<片付け>をしていて、ひょっこり今年(2009年)5月ごろの新聞スクラップが出てきました。だから、今日は高目の直球、ボール球ブログです。

*朝日新聞夕刊2009年5月~6月。執筆は、早野透記者)

 大逆事件の人を追ったレポートでした(朝日5月19日~6月5日)。ちょうどその頃、雑誌<世界>にも大逆事件の連載がありました。
 詳しく書くスペースはありませんが、体制転覆を企てたとして、幸徳秋水、菅野スガら12名が処刑された事件です。大逆とは、大君(天皇)に対する反逆でしょうか。

 なぜ、2つのメディアが揃って今、大逆事件を扱うのか。1911年1月18日に、死刑24名の判決があって、1月24,25日に12名が処刑されました。大逆事件100年なのでしょう。

 私が、大逆事件に少し関心を示すのは、そこに連座し、処刑されたもののひとり、森近運平が郷里・岡山県現井原市の出身者であるからです。
 といって、同じ郷里の私ら世代で、森近運平の名を知っているものは、ほとんどいないでしょう。私は、小学生の頃、昭和20年代から知っていました。そんな子どもは、そうはいないでしょう。
 ついこの間まで、大逆者であったわけです。山あいの村です。長い間話題にも出来なかったでしょう。

 私のオヤジが、森近運平の出身の村(現井原市高屋町)の小学校の校長であったこともあって、<家の中で聞いた、もれ聞こえた>名前です。オヤジが子どもらに話して聞かせたわけではありません。
 その頃そこに、森近運平の妹さんが住んでおられました。妹さんのことも時々聞いていました。 妹栄子(ひでこ)さんは、1961年1月18日、大逆事件判決50年目の日。昭和30年、1950年目の日に再審請求をします。(これは65年末に東京高裁で退けられました)

 だから、大逆事件の記事があったりすると、森近運平の記述を探すのです。
 朝日新聞の夕刊連載を、毎日読みながら、森近運平の回を今日か今日かと待っていました。最終回(第14回)の終わり半分の所にやっと出てきました。たったの29行でした。それだけ、話題性に乏しい、大逆中心から離れていたのでしょうか。
 それでも、処刑されたのです。その時30歳です。

*右は、<大逆事件100年の道ゆき>を連載中の、雑誌・世界の2009年5月号、6月号。執筆は、田中伸尚さん(朝日新聞記者から独立したノンフィクションライター)。

 井原市教育委員会は、昨年、<郷土が生んだ偉人たち(井原歴史人物伝)>を発行した。森近運平に1ページをさいています。
 最後をこう締めくくっています。<・・・・しかし、帰郷後、わずか1年あまりで大逆事件に連座される。運平は大逆事件の首謀者とは関係なく冤罪であったが、政府の社会主義運動を一網打尽に壊滅させる犠牲者となり、助命運動もかなわず死刑となった。>

 雑誌世界の5月号には、<森近運平の郷、岡山県・高屋村では、大逆事件の連座者では、唯一、助命運動が起きた>と書いています。

 ついこの間、大逆者であって、今、市の教育委員会発行の書物で、郷土の偉人として扱われます。
 その間に、昭和20(1945)年8月15日の、先の大戦!(太平洋戦争)の敗戦という、体制の大きな変革がありました。

     【おまけ】

*この8月、自由民主党が大敗し、野におりました。これもまた<体制の変革>なんでしょうか。どんな体制にあっても、せいっぱい自分の信じる道をまっすぐ生きるしかないのです。行きたいものです。


私にかかってきた詐欺電話(たぶん)にのってしまった春日部の人(2009.9.20)

2009-09-20 20:07:16 | Weblog

*ウチの近所のどこにでも、彼岸花です。好きではない花ですが。

  2,3日前(9月14日)の昼すぎ、私に詐欺電話がかかってきました。
  春日部医療センターとか、国民医療支援センターの名を出した危ない電話でした。
  その日、ブログに書きました。
<ここです>

  今朝(20日)の朝日新聞(埼玉版)を見て、声をあげてしまいました。
 「埼玉国民医療センター」の職員と名乗る男に、キャッシュ・カードをだましとられた、という記事でした。

*朝日新聞2009年9月20日付29面

  9月18日昼に電話があったというのです。 
  これは、私にかかってきた電話と同じです。ひっかかる人がいるんですね。
  76歳の男性です。35万円が奪われたようです。

 詐欺さんは、ついそこまで来ているのです。
 電話は、疑ってかからなければいけない、ようです。
 電話には、<こっちから>名乗らないようにしなければ。でも、名前、詳細情報付の名簿が流通しているんだろうな。 
  気をつけましょう。

   【おまけ】

*ご近所のお庭に、白い彼岸花。

【9月23日の追加情報】

*一昨日(21日)あたり、市役所の防災?有線で、詐欺電話の注意勧告が何度も流されていました。詐欺さんも手当たり次第に電話しマクって、たぶん今日あたりは、別の町に移っているのでしょう。


11月14日どうせやるなら江戸川でウッドストック。出演者大募集です。(2009.9.20)

2009-09-19 16:55:44 | Weblog

*ここでウッドストックをやりたい。どこを使ってもいいらしい。あのウッドストックに似てなくもない。

 今年は、2009年ですから、あの時代1969年の40周年です。
 1969年夏に開かれたウッドストック・ミュジック・フェスも40周年です。40年記念コンサートがあるなら、行こうと思っていたのですが、身に重大異変があって、渡米禁止状態でした。
 またまた雑誌は40年記念特集号、CDも再編集の豪華セット販売と続きます。

 まじめに春日部市立図書館で静かに過ごしていて、新着棚に<ウッドストックがやってくる>なる軽装本を見つけました。何冊もウッドストック関連本を買っていて、またかと思いながら、買うわけでなく、借りるのだからいいかと、レジにいきました。

*実は、ゲイ(の手ほどき)がいっぱい出てきて、学校や市立図書館が置く本らしくない(左)、右は、観光客も多い地下空間。私も、ここでテレビドラマのエキストラをやったことがあります。役は、ホームレスおじさんでした。しっかり顔がテレビに出たらしい(私は見ていません)。

 例によって、あとがき、訳者あとがきから読み始めます。訳者(1969年生まれ)が、<町おこし>の事例として、ウッドストック・ロックフェスを捕えていることに、私ら世代にはない面白さを覚えたのです。

 このごろ、春日部市役所周辺に出没することがあって、<町おこし>、<町づくり>と、さんざん聞かされるのです。
  それで、最近頼まれた、あのイベントを、<江戸川ウッドストック>にしようと思いついたのです。

 月とスッポンの違いがあってもいい、<江戸川ウッドストック>でいこう。
 江戸川を、東京湾からデイズニーランドの所を遡ると、埼玉県春日部市の旧庄和町に着きます。私の住んでいる町です。その江戸川の土手に、<首都圏外郭法水路>施設(龍Q館)があります。そこは地下40mを流れる川です。このごろ、雑誌に<観光スポット>として紹介されるのが、水のない時期に地下40mの異区間見学です。ギリシャ悲劇舞台の趣きです。人気があるらしい。

 地下空間の自由解放を中心として、国交省の土木の日にあわせた<彩龍の川>まつりなのです。主催は、水辺の丘運営協議会(国土交通省・春日部市・G-CANS)です。

 例年、4000人とも5000人ともいう人出らしい。タウンバザール、フリーマーケットに、いくつものアトラクションがあるようです。 知人の何人もが、関係者です。私のいるバンドへの出演依頼が、そもそものきっかけです。
 私が、そこにあって<開かずのログハウス(ウドゥン・ハウス)>を使うといいね、といったばかりに、OKですからと。このあたりで、なにをやってもいいから、お願いします、といわれてしまったのです。

*ちょっといいログハウス内部

*丘の上に、ログハウス(ウドゥン・ハウス)

*外は、アメリカ西部の廃屋。出来てから、何にも使われていないのです。

 2,3日前に、草ぼうぼうの現地を見ました。草は刈りますから、と知人。イベント空間としたら、けっこう面白いかもしれないなあ、と言ったら、ぜひ、考えて下さい、ということになってしまったのです。

 まだ誰が演奏するの?状態です。
 それで、今日のブログでも、呼びかけてみます。

 11月14日(土)9時~3時ぐらい。
 江戸川ウッドストック(?仮称)、<彩龍の川>まつりの音楽部門のイベントです。
 音楽ジャンルは、問いません。エレキ系、ロック系は、屋外に、アコースティック系クラシック系は、ログハウス屋内がいいでしょう。ピアノはありません。
 知人がコーヒーを出します。カフェ気分でしょうか。
 演奏時間は、最長1時間ぐらい、応相談。
 内容に制約はありません。自由に自分たちのステージを作って下さい。
 有名・無名を問いません。
 ギャラは出せません。入場無料、出入り自由のイベントです。

 場所は、16号線が江戸川を渡るあたり。東武野田線・南桜井駅下車徒歩30分(当日は、現地までバスが運行されます。

 関心のある方は、メールで連絡して下さい。たくさんの問い合わせ大歓迎です。詳細のお話をします。
  
geibunkyou@mail.goo.ne.jp

  【おまけ】

*右;1970年の雑誌、中;1999年の30周年特集の雑誌、左;今・2009年の40周年特集。

*1999年には、いっぱい30周年特集雑誌がでました。


ちょっとお洒落な街路の路面が、車椅子の人を激しく揺さぶる(2009.9.16)

2009-09-16 21:53:49 | Weblog

*ここは私のウチの前、古い団地なので問題ありません。

  ご近所に、最近、車椅子生活に入った知人がいます。
 今日も私のウチを訪ねてくれました。知人のオタクから私のウチまで、私の足では、3,4分です。
  ただ、そこにバリア(障害)があったのです。

*新しい団地、お洒落な街に入れば、車椅子にはバリアがあるのです。

 私の団地は、40年近くになる古い住宅地と、10年ちょっと前に、町の開発公社が分譲した住宅地があります。新しい方の住宅地の街路の一部、公園のまわり等がお洒落に作ってあるところが、問題なのです。
  正確にはなんと言うのか知りませんが、石畳(もどき)の化粧道路が、ガタガタと車椅子とそれに乗る体調をくずした知人を激しく揺さぶるのです。
 車椅子の父を外出に連れ出す娘さんの気持ちを暗くするのです。

*お洒落にしたつもりなんでしょうが、してくれない方がよかった。

 バリア・フリー、ユニバーサル・デザインを、理解はしているつもりでした。
  
お洒落にお化粧した設計者の工夫が、余計なことになっていたのです。
  石畳ではなく、偽装石畳は、お洒落を装う街によく見られます。

    【おまけ】

* そこは、私がバンドの練習に行く正風館への通り道です。ウチに車がない時には、ギターアンプをキャリアに乗せて引き歩くことがあります。そこはガタガタ道です。自慢のフェンダーのアンプの真空管が壊れるのではないかと心配するのです。だから私は、道路両端の側溝のフタの上を走らせるのです。車椅子は、そういうわけにはいかないのです。

* 知人は、私のウチにさいさい野菜を持って下さった菜園ファーマーさんでした。今、野菜作りが出来なくなった知人に代わって、その畑を私が作ろうかと思ったりしているのです。


ウチ(春日部)にもかかってきた国民医療支援センターの詐欺電話(2009.9.15)

2009-09-15 10:10:00 | Weblog

*これが、そのときのメモ。18=埼玉県ですから内線18を指示。18に注意。

  昨日(9月14日)お昼どき、年寄り(つまり私)がひとり留守番をしている時です。
  春日部医療センターと名乗る<中年公務員風の語り口>の電話です。
 <5月ごろに???の封筒を送ったが、返信がない。・・・・配達証明付で5月28日に届けている。記憶にありませんか。返信がないので、本人確認ができていないのです>

 そもそも、私は、春日部医療センターと名乗っていても、保険の勧誘のたぐいとふんでいて、電話を切るタイミングを探していました。

 <本人確認ができないので、医療費負担割合が下がったのに、適用できないのです>

  私は、ここ半年、高額な医療費を払っていたのでぐらっ、ときました。以前に、社会保険センターに毎年4月に送るべき<現況報告>を送り忘れて、年金支給額を減らされた経験があって、<ぐらっ>と来たのです。
 ただ、わたしゃ、元の会社のOB健保ですから、ミスは会社健保から言ってくるはず、との、冷静さは持ち続けていました。

 それで、どうしたらいいですか?<国民医療支援センターに電話して本人確認をして下さい。電話は、03-3870-XXXXです。埼玉県ですから、内線18といって下さい>ところで、オタクはどこのかたですか?<春日部医療センターです。大沼にあります>

 すぐに、ネットで国民医療支援センターを調べなきゃ、と思っていました。私、そんなアホではありません。

 夜に、調べました。Yahooの検索で調べました。

*Yahoo検索で、すぐに詐欺だとわかりました。

*野田市のホームページ。かけさせる電話番号は違いますが、内線18は同じです。18は、その詐欺さんの得点のための識別番号でしょうか。

 ただ、こんなに簡単に<それは、詐欺だ>と出てくるとは、思っていませんでした。
 そのひとつ、ウチのご近所の野田市役所のお知らせです
<ここにあります>

 それから電話をかけたら、どうなったかを<追跡調査>したい気持ちもないではありません。でも怖い。電話番号も、名前も、知られているでしょうから。

    【おまけ】

*ウチの団地の公園にも彼岸花。30年住んでいて、ここで初めて見ました。誰かが植えたのかなあ。彼岸花は、私の子どものころは、<きつね花>と言って、忌み嫌われた花でした。

* 先日、何の時だったか、この頃、役所へ電話しても<担当者が名乗らない>という話題になりました。その時、誰かが<ウチにかかって来る電話には、先に名乗りません。学校でも名乗らないように話していますよ>と。それが正解。その方がいいと思いますね。

*それでも、わたしゃ、30年以上サラリーマンをしていて、受話器をとると<はい、***です>と、言ってしまうのです。不信な相手は、すぐさま<親しげに***さん>と。

* もう10年以上前の話。娘が高校生の頃の話。よく娘に、友だち風な電話がかかってました。わたしゃ、娘に取り次ぎます。<友達の電話は、ケイタイにかかってくるから>とオカンムリ。10年たって、やっと私へのプライベートな電話もケイタイになりました。固定電話は、墓地、保険、投資、詐欺専用です。

* この頃、書類に、固定電話に加えてケイタイ電話を書かせることが多くなりました。書く必要はない、書いてはいけない、のですね。


春日部・庄和のこども・ジャズダンス・グループ・チビックス(2009.9.14)

2009-09-14 09:48:53 | Weblog

  今日も、masaharusさんの公民館(正風館)でのおまつりの写真を借用します。
土・日と2日間、ホールでは、朝から夕方まで、町のグループ・サークルのステージが切れることなく続きます。計24団体にもなります。

  一番人気は、土曜のトリをつとめた<こども・ジャズダンス・グループ・チビックス>です。収容500名の小ぶりのホールですが、ほぼいっぱい。毎年いっぱいになります。町で人気の、私らのジャズバンド、スウィング・ベアーズもかないません。

  写真は、もっとたくさんあるのですが、これだけにします。きれいな写真が多く、みんなに渡したいところですが、客席には、パパのカメラがずらっと並んでいました。愛情を写しこんだ写真があるでしょう。

     【おまけ】

*チビックス・オール・スターズです。

* チビックスを率いるのは、知人のやよいちゃんです。もう何年も前、私らの演奏で、松ケンサンバを踊ってくれたことがあります。皆で踊ろう企画だったのですが、結局だれもついていけず、だったのです。

* こどもたちにダンスを教えているやよいちゃんですが、教えるより<ステージに並ばすことが大変だな>、と金曜のリハーサルを見ての私の感想でした。翌日、土曜の本番では、そのことを思わさないステージになりました。

* いつもなら明日15日が老人の日でしょうか。別のイベントで、お年寄り向きプログラムを考えることになって、思いつきませんでした。もう老人であるわたしには、こどもたちや若者たちの元気いっぱいのステージがいいな、と思いますね。

*春日部市の敬老会の出し物は、去年が島倉千代子ショー、今年が水前寺清子ショーです。ワンパターンというか、<どうでもいい感じです>。私には招待状はきません。少子高齢化社会とかで、どんどん年齢制限が上がって、最後まで懐メロショーには行けないかもしれません。皆さん長寿で、めでたいことです


春日部・庄和の若者たちが、正風館で見事なロック・ソーランを披露(2009.9.13)

2009-09-13 14:13:14 | Weblog

  今日、日曜、当地は快晴。私もめずらしく何の予定もない、ぼんやり過ごしています。
  昨日の土曜は、この町の小学校の運動会。雨が降ったりで、あいにくの空模様でした。次の土曜は、中学校の運動会。秋は、毎週のように、まつりだ、フェスだと賑やかです。だから公民館のおまつりは、夏休みが終わったばかりの9月5、6日の週末しか、あいてないのです。おまけに、当地の農家は稲刈りの真っ最中です。それでも人出も多く、皆さん、いい笑顔でした。

  そこで今日は、公民館(正風館)でのお祭りの、ホール、ステージの写真をお見せします。
  私の住む町の若い人たちの、堂々とした見事な、踊り、舞、ダンスでした。 正確には、よさこいソーランというのでしょうか。私は、ロック・ソーランという呼び方が好きです。

  春日部市庄和地区には、2つの若者チームがあります。<庄和ソーラン輝(きらり)>と<庄和ソーラン軌(わだち)>です。
  10年も前、私の知人たちが真ん中で、踊っていました。その流れを、みごとに繋いでいるのでしょう。

     【おまけ】

*この町の公民館(正風館)には、中高年だけでなく、多くの若者も集まります。この伝統の流れを大事にしてくれているのです。

*写真は、このブログに時々、コメントを下さる<masaharus>さんです。このイベントに3000枚の写真を撮ったそうです。被写体として惹きつけるものがあったと信じたい。

*この地の風物や人間模様を、詩情豊かな、ときに、強烈なインパクトを与えるカメラ・ワークです。<masaharus>さんご自身のブログを紹介します。<ここにあります>


会ったことのない人のアイルランド・ダブリンからの絵はがき(2009.9.10)

2009-09-11 07:10:36 | Weblog

*まゆみさんからの絵はがき

 明日(9月11日)は、セプテンバー・イレブンの日、もう8年もたってしまいました。
 昨日(9月9日)は、全世界一斉に、ビートルズのレコードの<最新技術による再CD化>発売日だったらしい。新聞も日本のテレビ・ニュースでも発売前から並ぶ人たちを報道していました。
 春日部のロビンソン・デパートに行く用事があって、6階のレコード屋新星堂に立ち寄ったら、ここでも<そのキャンペーン>。私は、買うつもりはありません。
 それより、ウチからこ一時間でいける<ジョン・レノン・ミュージアム>に行きます。9月21日の老人の日は、入場無料です。

 先日の公民館でのお祭りで、私がいるビッグバンド・スウィングベアーズも40分ぐらい演奏したのですが、ビートルズを2曲、ヘイ・ジュード、レット・イット・ビーもやりました。一番うけたでしょう。
 私らの時代は、ビートルズが背景にあったことは間違いないでしょう。

 そこで今日は、イギリス・ダブリンの話題を・・・・。・・・ダブリンは、アイルランドでした。昨日、アイルランドから、絵はがきが着きました。合ったことのない人からです。

 このブログを、いつも見てくださる人は、本文右側のコメント欄に<まゆみ>の名前が、最近たくさんあるのに気づいていらっしゃるでしょう。その<まゆみ>さんからなのです。

 夏の間中、アメリカ・西海岸・マーセド(アメリカの上高地・ヨセミテの入り口)に長逗留していて、このブログを見つけ、コメントを下さったのです。
(そこいらの状況は、たくさんのコメント読んでみるとわかります)

 年間かなりの時間を外国で暮らしている方のようです。しかも、あっちこっち気の向くまま・・・かな?、この頃、行動範囲がご近所限定の私には、羨ましい、刺激的な日常です。

 アメリカ・マーセドから、サンフランシスコに、そしてカナダへ。トロントのユース・ホステルで8月16日に絵はがきを書いてくれています。そして、昨日ついた絵はがきは、9月3日にアイルランドのMother-of-the-Cliffで書いているとあります。
 使えるネット環境のある所からは、コメントが届きます。ない所からは、絵はがきです。
<・・・・アイルランドの天気は本当に変わりやすく、私たちがバスから降りると雨が降り出し、ザーッと本降りになりびしょぬれに。アイルランドの緑は、日本の新緑とも、夏の深い緑とも違って、やわらかい、優しい緑です・・・>(9.3発信の絵はがき)

 旅日記はとても楽しい。 9月9日、コメントで寄せられたお話をオモテにそのまま出してみます。

 海外でのひとり旅には、心細さがあります。若い人には不安だらけでしょう。だから、ヒトとの突然の出会いが格別に嬉しいのです。そんなお話でした。

 【まゆみさんの旅日記】

 日本人学生をレスキュー (まゆみ) 2009-09-09 08:59:56

今日は天気予報の通り、雨でした 。水曜・木曜と二日日間来たアイルランド・ツアーにいくので、金曜日の小学校訪問の準備が間に合わない!とせっせと折り紙で「木登りおさる」を56枚折り、一人2枚ずつセットにして三角に折りました。久しぶりの授業になります。 どんな子供達に会えるのか楽しみです。友人の話だと、すでに子供達はわくわく楽しみにしているとか・・・。期待に沿えるような授業を計画したいと思います 。

 ところで、タイトルの日本人学生レスキューとは? 実は、昨日バス停で、アジア人を見かけたのです。カナダと違って、ダブリンではそれほどアジア人を見かけません。思い切って「日本の方ですか?」と声をかけました。彼女はびっくりした様子で「そうです」と。だって私は中華料理のデリの入った白いビニール袋(中国語でなにやら書いてありました)をぶら下げて、インド系の模様の入った肩掛けかばんを提げ、ファスナーには韓国のストラップ。見た目はアジア人でも、何系かさっぱりわからなかったはずです・・・ 。

 話をすると、ホームステイを1ヶ月するとか。すでに10日間が過ぎたけれど、アイルランドの英語は速くて聞き取りにくいし 、ホームステイと言うよりも、下宿 と言った感じだそうで、日本食を恋しがっていました。

 私の友人の戸棚や冷蔵庫には、みそ・しょうゆ・ゴマ油・みりん・梅干・緑茶・ゴマドレッシング・キューピーマヨネーズ・うどん・そばの乾麺まであるほどです。

 バスが同じ方面だったので、後で電話するねと番号を交換しました。
 友人に話すと、せっかくアイルランドに来たんだから、アイルランドでいい思い出を作ってもらいたい!今から電話して、迎えにいこう! という訳で、車で5分。日本語で「助けに来ました!行きましょう!」と気さくな私の友人の言葉に、とてもうれしそうでした。うちの鍵を渡すから、好きなときに来て日本料理作って食べて、パソコンも使って、自由にしていいよ。帰りは送ってあげるから・・・。」と思いもかけない言葉に驚いていたようでした。

 私の友人は、日本で本当に親切にしてもらったから、今度は私が親切にする番!とうれしそうでした。 わずか2時間でしたが、一緒にお茶をして、話をし、情報交換をしました。

 ちなみに今度の金曜日には、アイルランドのスピリチュアルな(神聖)場所である、歴史的な建造物を見に行ってきます。なんと、エジプトのピラミッドよりも古い歴史を持つ石の建造物です 。友人のお母さんが私達を案内してくれることになりました。

 偶然出会ったのですが、海外ではすぐに親しくなれる友達のことを、インスタント・フレンドと言うそうです。 振り返ると本当に・・・私のこれまでの人との出会いに感謝です 。


町の公民館(春日部市)に、皆で集まってはしゃいで、また来年、ね(2009.9.8)

2009-09-08 11:29:01 | Weblog

*こどもたちのジャズダンス、チビックスさん(写真は、金曜のリハーサル)

 先週末(4,5,6日)は、朝から晩まで、近くの公民館(正風館)で過ごしました。
 2009庄和地区公民館まつりという名のイベントがあったのです。

*チビックスさん(写真は、金曜のリハーサル)

 いつもお尻のポケットにいれてるデジカメで撮ったスナップの中から何枚かを貼り付けます。(そのうち、もっといい写真が届いたら差し替えます。今日は、これで・・・)

*6日・ランチタイムのロビーコンサート;栗岡・川畑さんのブリランテ<ヴィオリラの風>

*5日・ランチタイムのロビーコンサート;長尾ゆかりさんたちが軽いジャズ。

*そのまま、3階の<お抹茶ギャラリー>でも、歌ってくれました。マイクなしのアコースティック・ライブになりました。

  【おまけ】

*土曜のお昼(ショッカイさん)、少し食べて写真を撮りました。午後5時です。

* この公民館でのおまつり、庄和町時代と比べていろいろ変わってきました。そのひとつが、玄関先で<焼きそば>を作って売ることができなくなったこと。公民館で物を売ったらいけない、公民館主催(正確には公民館共催)のまつりだから、なおさらだめ、なのです。バザーもだめなのです。

* この種の人の集まりに、食べ物がないというのは、さびしいものです。それで、規則に抵触しないように、ない知恵を絞りました。食事を提供するのサークル発表のひとつ、という形で、<公民館事務局>を正面突破(?)しました。

* そのサークルは、おとしよりさんたちと一緒に食事をしている<ふれあい会食会>さん、それに、食生活改善協議会庄和支部、ショッカイさん。知人さんでもあり、昨年から頼んでいるのです。

*安く美味しい昼食を用意してくれました。私は、12時から、舞台設営、軽く練習、本番、舞台バラシ、をやっていてお昼なんか食べる間がなかったのですが、<早く来てよ>といいながら、最後の一つになった<おうどん>を作ってくれました、2時です。会食会さん、すんません。

*食生活改善・・・・って、私が子どものころからあって、<栄養のあるものを食べなきゃだめ!>という戦後の活動とは、全く違う時代になってしまったでしょう。今のテーマはなんでしょうか。食事のバランス、安全な食品もテーマでしょうか。

*ショッカイさん主催の男性料理教室、9月26日、正風館です。

*公民館もまた、戦後すぐのお上による施策。成人にも<社会教育>が必要とされた時代の遺物かもしれません。その理念は薄められて来ているでしょう。現代にあうように、法・目的が変わっているかも知れません。でも公民館は、社会教育法、公民館法の下の、社会教育施設なのです。


“目カメラ”の福添智子さんが出身地・春日部市の正風館で写真展(2009.9.2)

2009-09-02 19:24:05 | Weblog

*目カメラ<望郷>が展示されます。

  もう5,6年、いや7,8年くらいになるでしょうか、福添智子さんから、東京で写真展をやるたびに案内を送ってもらっていました。
  何度かでかけました。 “目カメラ”と題する不思議な世界でした。

  東京のど真ん中に、たぶん古いアパートを借りて写真の勉強、いや写真の仕事をしていたのですが、ちょっと事情があって、最近、ウチの近所に戻ってきていました。

  1ヶ月ほど前に、ばったり会って<正風館=公民館まつり>に写真を並べないか、と声をかけたのです。

 それで、9月5日(土)、6日(日)のたった2日間ですが、<“目カメラ”福添智子の写真>を、正風館3階の“お抹茶ギャラリー(通常は会議室)”に展開するのです。

 先日、私のウチに写真を届けてくれました。六ッ切大のカラー、ざっと30枚です。
 タイトルは、“望郷”です。“目カメラ・望郷”です。

 写真、カメラは、人間の眼以上に鋭くイメージを切り取ることができます。人が見た印象とはまるで違うイメージになります。人の目には、人が見ることには、常にやさしい感情があります。むしろ少しぼんやりした思いのイメージかもしれません。

 目カメラは、カメラ=<私の目>で撮った写真なのです・・・・と思います。そういう風に感じるのです。福添智子さんから聞いたことではありません。だから、目カメラの写真を見ながら、ほっとした感じをもつのです。

  一連の写真に<望郷>という、ちょっと大袈裟なタイトルがついています。
 望郷って、故郷を思うことでしょう。
 私は、岡山の山間部から出てきて暮らしながら、ごくたまに故郷・岡山の山野を思うことがありました。
  ふるさとは、遠くに離れて思うものです。

  私のこどもらも、福添智子さんも、この庄和町で育ったわけで、東京に暮らしながら、この町が<望郷>になるとは、思えないのです。

 

  写真は、長い旅の末の<故郷>のようです。

  写真に、にじんだような<桜島>が出てきます。目カメラ<望郷>は、中学生の頃に亡くなったお母さんの故郷への思いなのでしょう。鹿児島は、今、少し体調を悪くされているお父さんの故郷でもあるのです。

   【おまけ】

* 写真を展示する<3階会議室>では、今年も、百千鳥さんが<お抹茶カフェ>を開きます。例年、公民館まつりの展示作品を見てまわりながら、一息、お茶のできる<無料カフェ>です。

* 今年は、<お抹茶ギャラリー>になります。百千鳥さんが、茶を点ててふるまうのは、5日(土)の午後1時30分~3時ごろのようです。


さて9月。この週末5,6日には、春日部の公民館で本気のジャズ(2009.9.1)

2009-09-01 11:17:49 | Weblog

*この週末は、ジャズ アット 正風館になります。

 夏休み、宿題・自由研究も終わり、選挙も終わって、さわやかな秋になりました。
 わが町も、文化の秋、芸術の秋です。

 今週末には、公民館まつり(正式名は、2009庄和地区公民館まつり)。春日部市との合併までは、正風館まつりといって、春にやっていたものです。

 その正風館(現春日部市旧庄和町、東武野田線南桜井駅下車5分)での、公民館まつりには、2つのジャズのプログラムがあります。
 およそ田んぼの中の、ローカルな公民館ですが、本気のジャズ演奏が聞けそうです。

 この間の週末(土曜と日曜)にやっていた練習をのぞいてみました。

① コンボバンド <ライブ本番は、9月5日(土曜)12時~、正風館ロビー>
*練習中のコンボバンドさん

 長尾さんのヴォーカルを真ん中に、ギター・橋本さん、ベース・渡辺さん、ドラムス・鈴木さん、それに、ご近所の明仁愛子さんのピアノを加えるカルテットです。スウィング、ボッサノバのリズムも軽い演奏で、気持ちが軽くなります。

 やっていた曲を書き出します。
1. Day by day
2. My fanny valentine (マイ・ファニー・バレンタイン)
3. It don’t means a thing (スウィングしなけりゃ意味ないね)
4. Killing me softy with his song
5. No more Blues
6. As times goes by
7. ‘S wonderful
8. You’d be so nice come home to

 ② ビッグバンド <ライブ本番は、9月6日(日曜)12時40分~、正風館ホール>
*練習中のビッグバンドさん

 地元のビッグバンド、スウィング・ベアーズです。ジャズディ春日部でもおなじみです。

 演奏予定曲の中に、You’d be so nice come home to もあるようです。

 ヴォーカルのあるコンボジャズとビッグバンドジャズを聞き比べるのも楽しいでしょう。