クッキーズ、春日部で小さい子ども連れ歓迎のほのぼのコンサート(2012.9.24)

2012-09-24 11:29:33 | Weblog


 暑さ、寒さも彼岸まで”。全くその通りの昨日、お彼岸の中日は終日、肌寒い雨でした。

 旧知の“クッキーズ”さんから案内をもらっていて、カフェ・ライブにでかけました。
 “ベビーカーが並ぶコンサートですけど”と言われていました。なるほどそのとおり、胸に赤ちゃんを抱いたママが、あそこにも、ここにも、です。
 キュートなクッキーズのライブに、ぴったりな会場風景だな、思っていました。

 <小さな赤ん坊がいると、どこにも行けません、ましてやコンサートなんて、とんでもない>、なんでしょうか。

 
ちょっとグズル子もいないわけではありません。でも、ちっとも邪魔になりません。何人かのママは、立ち上がってリズムをとりながら、身体をゆすります。そうして、眠りに落ちていくのでしょうか。上手に寝かせます。

プログラムに・・・・、
  いちばん大切な時間
  そんな時間を心いやす音楽とちょっぴりのお話で・・・
  とっておきの素敵な演奏を、あなただけのために
  贈ります。
  みんなの笑顔と感動を
  それが私たちの願いです。

 ダイナミックなドラミングのなか、強烈なトランペットが叫ぶ・・・といった、この頃、多少、乱暴な空気に入り浸っているワタシには、静かな秋、すこし上品な時間が持てました。
 もちろん、あたたかいコーヒーもぴったりです。

 【おまけ】

*クッキーズ、フルートの加藤洋子さん、ピアノの櫛引真弓子さんの出演だと聞くと、出かけていきます。ただの追っかけ爺さんです。
*次の出演は、春日部市民の日記念という、かすかべ街角コンサートです。11月3日(日)。昨年まで、春日部駅前周辺で実施していたものです。今年は、旧庄和町・南桜井駅周辺でも、やることになりました。
*南桜井駅界隈の街角コンサートにふさわしいアーティスト、クッキーズだな、と思ったのです。会場は、南桜井駅南口すぐ、イタリアン・レストラン“さくらの木”さん。11月3日(土・祝)、文化の日。12時~、15時~の2回。マスター小澤さんご自慢で、評判の高いお料理のついたランチタイム・コンサートです。
*予約とか詳細は、もう間もなく配られる春日部市広報10月号をご覧下さい。

 


春日部市南桜井駅前工事も着々、ぶらぶらカメラ散歩(2012.9.20)

2012-09-20 18:24:47 | Weblog

*地下道アート、春日部市のビッグアートさんの作品です。暗いことの続く町に、通り抜けると未来に一筋の明るさがあると期待させてくれます。

 朝一番、といって10時の開店同時に、ヤオコーにいく用事があって、久しぶりに南桜井駅界隈を歩きました。東武鉄道野田線の南桜井駅界隈です。
 
駅北側に、海鮮丼の店が先日オープンしましたが、その大安売りに並ぶのが目的ではありません。

 旧庄和町と春日部市の“合併特例債”・・・による(たぶんですが)、南桜井駅前(北口側と南口側)の整備工事も大詰めになっています。合併して、もう何年にもなります。合併特例債というと、なんか懐かしい響きになりました。
*北口側工事は、今年度末(2013年3月)完成のようです。

*北口から南口に渡る地下道入口、庄和の大凧マークが残っていて嬉しい。今は、どこも春日部の大凧ですから。左の道をたどると、閉店してしまったヨークマートとマツモトキヨシの跡地に出ます。跡地にはマンションができるそうです。*地下道を通りぬけて、こちら南口側です。工事はすでに完了しているようです。
*ロータリーの多目的スペースです。ステージ風にできあがっていました。
*今日の散歩の目的のひとつです。開店したコンビニ。南桜井駅前シャッター街の象徴だった?駅ビル1階にオープンしました。よかったよかったと思いながら写真を一枚撮って帰りました。


ボブ・ディラン、ノーベル文学賞の賭け屋予想第2位なので、海賊盤の話(2012.9.18)

2012-09-18 16:28:48 | Weblog

*この夏に買ったディラン本2冊
 先週、昔働いていた所の大先輩で、ノーベル文学賞のフォークナー研究者さんからメールをいただきました。<ノーベル文学賞の賭け屋の予想の第2位がボブ・ディランですね>と。先輩と、アメリカ南部の風土と気質、文化といった話をした時に、ボブ・ディラン好きと話したのでしょう。ずいぶん前のことです。
*日経ですが、共同通信の配信記事です。
 ボブ・ディラン;ノーベル賞の話は、10年以上前から、ときどき話題になります。ワタシ、ディランの詩を読んでも理解できませんので、文学に相当する詩作であるか、全くわかりません。プロテスト・ソングを歌っていた時代の曲は、辞書片手に理解しようとしていました。
 今は、訳詩すら読みません。歌の意味なんて気にかけないロックとして聞いています。

 今日は、この夏に買ってしまったボブ・ディラン本を紹介します。
 買っても読まないのですが、<ボブ・ディラン>の新刊となると買ってしまうのです。
 ひとつは、<ボブ・ディラン読本> 2012年7月6日発行
 表紙に、<ディラン、レコード・デビュー50年>とあります。
 訳詩者の片桐ユズルさんの原稿が再録され、中川五郎さんの原稿が載っています。まず読みました。久しく本屋の書棚でお会いすることのなかった三浦久さんが、<ディランとアップル・コンピュータのスティーブ・ジョブスさんの接点>に言及されており、興味深かった。

 もうひとつは、<ザ・バンド&ボブ・ディラン> 2012年8月14日発行
 表紙に、<追悼・レヴォン・ヘルム>とあります。

 ここでは、ディランのブートレッグを書かれていた鈴木カツさんに触発され、ディランの海賊盤集めに夢中だったことを書いてみます。

 書き出せば、軽く一冊になるでしょうが、少しだけ書きます。
 ノーベル文学賞級の文学であるかはわかりませんが、日本にさえ、大学の先生が研究対象とされていたようです。アメリカ文学研究であるのか、余暇の雑誌向き原稿であったのか、面識がないのでわかりません。ワタシ自身は、授業の宿題のようにディランに接していました。いや、今の言葉でいえば、オタクでしょうか。

 1960年代初頭、アメリカの公民権運動の先頭で歌っていた20歳少々の若者ディランが、運動から次第に遠ざかっていきます。1965年夏のニューポート・フォーク・フェスティバルで、ロックンロールを歌います。歌った・・・と、4,5年たって聞こえてきます。そのことは、日本の音楽雑誌の記事(それも米国の雑誌記事の翻訳が頼りだった)、から知ります。
 ライブレコードや、ライブ映像で知ったわけではありません。

 ・・・・ずっと10年か、20年もたって、その時のライブがレコードになって出ます。公式盤ではありません。誰かの録音を、誰かがレコードにして、秘かに?売り出すのです。ブートレッグ、海賊盤と言わる、オフィシャルでないレコードです。

 今では、コンサートがあると、すぐにネットに、映像が流れるでしょう。その昔のコンサートの、誰かが撮影した映像もネットに流れています。誰でも、ネットに流すことができそうです。CD-Rに焼いて<売り出す!!>こともできるでしょう。
 40年前の話です。CDもない、レコード盤(ビニール盤)の時代の話です。

 ディランは、1966年7月29日に、オートバイ事故を起こし、音楽世界から遠ざかります、公式レコードの発売も止まります。世間では憶測が飛び交います。そのころ、ディランは、ウッドストックで、静かに暮らして、時おりザ・バンドの連中とセッションをつんでいたのです。
 そのセッションのテープから、レコードが作られ売り出されます。もちろん海賊盤です。
 レコード・ジャケットは、真っ白でした。レコード真ん中のレーベルにも何も印刷されていません。
 その通称<グレート・ホワイト・ワンダー>は、新聞や雑誌にも取りあげられ大評判になっていくのです。
*ワタシの持ってる最も古い部類の海賊盤レコード一番上は<GWW Live1961 >・・・・ただし買ったのは1990年12月、ニューヨークです。15$でした。むろん中古です。
 その後、ディランのライブや、公式盤の未使用曲(アウトテークス)など、ありとあらゆる音源からレコードが作られ、さらに、それをコピーして新たなレコードが作られます。正確には知りませんが、数多くの会社が作り、アメリカだけでなく、規制がない国?でしょうか数多くの国で作られていきます。
*この<ボブ・ディラン=アン・リリースド・レコーディング(Paul Cable著)>を頼りに買っていました。
 日本でも次第に買うことができるようになりますが、なかなか見つけることはできません。ディランの海賊盤を求めて、西新宿あたりをさすらっていたのです。1980年代になっていたでしょう。
 今では、いや1990年になると、完全にCDの時代です。海賊盤も公式盤と同じように、きれいなカバーのかかった、音源がきちっと書かれ、ライナーノーツも入った海賊盤です。いくらでも買える時代になりました。
 ワタシ自身、ボブ・ディラン60年代70年代の音源は、海賊盤としてほぼパーフェクトに揃ったかなと思い始めました。急速に、興味を失っていきました。

 そうして今、インターネットには、なんでもありでしょうか。ネットで探してみたことはありません。今でも、西新宿にあたりのレコード屋があるのかどうかも良く知りません。


敬老会が逃げていく、生きても生きても逃げていく・・・(2012.9.17)

2012-09-17 14:05:22 | Weblog

*イオン(Aeon)が提唱、9月17日はGGデー(グランド・ジェネレーション・デー)、恵方巻きを買おうみたいなスーパーが決めたジージーデー。
 今日は、敬老の日です。ずっと9月15日と決まっていたのに、三連休をつくる口実に月曜にしてしまった。だから、敬老の日の意味は薄れ、ハッピー・マンデー、ただの三連休の一日。
 敬老会も、9月17日の敬老の日にある儀式でなく、3連休の役所の都合のいい日に行われるようになった。
 ワタシの住むまちは、今年は9月17日です。が、敬老されるべき老人のワタシですが、招待状はきません。
 資格は75歳以上だといいます。ついこの間までは、70歳だったし、その前は65歳、60歳以上だった時代もあったように覚えています。

 何年か前に、ボランティアで敬老会のお手伝いした時は、<島倉千代子ショー>でした。閉じられたドアの外で、終わるのを待っていました。<島倉千代子ショー>を早くみたいなあ、と。
 対象者が多いから、資格を引き上げたのだそうです。敬老の精神って、そういうもんじゃないでしょう。
 私ら世代、ずっと競争選別の時代に生きてきました。競争原理の市場社会だからしょうがないか。
*日経と朝日(2012年9月14日付朝刊)
 役所=行政に比べて、スーパーは、高齢者に優しいです。新聞に、フルカラーの全面広告をうって、9月17日は、GGデー(ジージ―の日)だと言って祝ってくれます。
 高齢者には、大安売りでもあるのでしょうか。
*まあ、もっとお金を使いましょうといってるのでしょう。最後の行<まずは。敬老の日あらため、GGデーから新しいことを>、バーバーでなく、ターゲットはジージーです。
お金をにぎってるのは、バーバーなのにね。
 
<これからのターゲットは高齢者だ>と流通業界が言っているようです。すべてに興味が薄れているのに・・・・どういうことでしょうね。
 
がんばれ!!若者世代さん。

 【おまけ】
*・・・この話を家人にしたら、<敬老会の案内状がきても、どうせ行かないのに・・・>と。そうかもしれませんね。
*ワタシが所属しているジャズ・バンド<スウィング・ベアーズ>が、庄和町の敬老会に演奏したことがあります。春日部市に合併する前の小さな町のころ、20年前ぐらいです。大きな市と違って、有名歌手なんて来てもらえる費用がなかったのでしょう。庄和町体育館でした。♪憧れのハワイ航路、♪川の流れのように、とかやりました。敬老会の演奏の経験は一回だけです。成人式に演奏したこともあります。♪イノセント・ワールドをやりました。<正直に生きていって下さい>のメッセ―ジでした。


中国に反日デモ、暴徒化、昨年の今ごろは中国西域旅行中だった(2012.9.15)

2012-09-15 18:20:49 | Weblog

*今日2012年9月15日の夕刊
 今週初め、ある会合で隣りに座った“女性”から、<昨年の昨日、出発したのよね>と囁かれました。<楽しい旅だったねえ>とだけ返しました。中国、西安から敦煌へ・シルクロード入口をバスで旅したのです。
 正確には、<中国沙漠緑化体験ツアー>でした。シルクロードの沙漠に植林事業を進めてきた<草炭緑化協会>のツアーに乗っていました。
 今日(9月15日)お昼12時のNHKニュース。北京での反日デモが暴徒化している映像がありました。西安でもありました。夕刊には、日本全国の、日中友好イベントが中止になったと、伝えています。

・・・・昨年でかけた<日中友好とは表記していませんが、そのツアー>は、今年なら中止になっていたのか、と思いました。そこで予定を変更して、このブログです。
 いや、早稲田大学の研究室を中心に、長く続けられている<沙漠緑化活動>です。長い間の太い絆があるでしょう。むろん、中止にはならなかったでしょう。
*熱烈歓迎草炭緑化協会・砂漠緑化
 私は、ちゃっかり乗せてもらったにすぎませんが。でも、ツアーの中心人物さんと、中国側の人たちの友好の太さは、その夜のお酒・杯の交換ぶりから、充分にわかりました。
*中国沙漠緑化ツアー一行。

*ウチのご近所さん4名。左が団長さん。
・・・緑化活動は、↓ のブログにありますhttp://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20110920

 日本と中国には、今、尖閣諸島の領有問題があります。
 それ以前に、長い歴史があります。隣国どうしの深い関係です。
 ワタシ、中国本土に出かけたのは、昨年の10日間ほどの旅だけです。

 香港が、中国でなかった時代には、何度か香港に行き、一か月ほど仕事をしていたこともありますが、ビジネスとはいえ、半分お客様扱いだったでしょう。でも、人と人はわかりあえると実感しています。
 ただ言えることは、人と人の感情の問題ではないことです。国と国の問題です。中国は、共産党一党支配の国です。
 よく言われることですが、日本やヨーロッパ諸国のように、小さい国の治め方と、中国のように、広い地域と多数の民族を統治するのは、根本的に違うということです。

 【おまけ】
*昨年一泊だけ、帰国前夜(9月17日)に北京に泊まりました。その夜の北京では、<SMAP>のコンサートがあって、日本からも多くの追っかけさんがいたようです。今年なら、SMAPコンサートは中止だったでしょう・・・か。

  


なが~いうどんの短いお話(2012.9.13)

2012-09-13 23:48:45 | Weblog

*食べようとして梱包をあけたら、この長さのうどんでした。これは、ニュースです。
 9月も中旬というのに、今日も暑かった。<夏が乗り越えられるか>という言葉がありますが、少し実感しました。
 暑い日は、気力も食欲もなしです。それでも、お昼は、冷やしの、うどん・そうめん・うどん・そうめんの繰り返しです。
 ラーメンは大好きですが、冷し中華は好きでなく、そうめん・うどん、だけで夏をしのぎました。

 先日、知人から、高松の旅行みやげを送ってきました。讃岐うどん、でした。また<うどん>だの気持ちもあったのです。
 わが家のうどんの在庫がなくなったとき、お土産のうどんを食べました。
 すると、写真の、この長さのうどん だったのです。

 それだけの話です。

 【おまけ】
*知人、実は息子ですが、夏に高松・瀬戸内を旅したようです。<今、高松に着いた>という短いメールについていたのが、このうどんの写真です。とても美味しかったとも書いていました。
*ワタシ、高校時代は、広島県で過ごしていました。何しに行ったのか、思い出せませんが、JR(その頃は国鉄)高松駅のプラットホームで食べた,立ち食いうどんが美味しかったことは、今でも覚えています。讃岐うどん、の評判なんか全く知らなかった、いや、なかった50年前の話です。今では、<うどん県>と宣言しているようです。
*ただ、この写真を見て、うどんのお汁が少ないなと。最近、しばしば行く、春日部・ララガーデンのうどん屋(丸亀**)もまた、お汁がほとんどない。ワタシ、お汁じゃぶじゃぶ・たっぷりのうどんが好きなのです。
*このうどんを食べた家人が、<もちもち>しているねと。ワタシ、この頃テレビで女性タレントさんが発する<もちもちしている>がよくわからない。もっとわからないのが<シコシコしている>です。そんな日本語あったのかなあ。


もう旧聞、スティーブン・ホーキング博士がパラリンピック開会式に(2012.9.11)

2012-09-11 09:53:46 | Weblog

*朝日新聞2012年8月30日付夕刊
  ロンドンのパラリンピックが終わったようです。期間中、全く新聞もテレビも見なかったのですが、初日の開会式に、スティーブン・ホーキング博士が登場されたことは、翌日の朝日新聞で知っていました。
 このブログで、オリンピック開会式に、ポール・マッカートニーが登場したことは、<イギリスには、ビートルズがあった>とはしゃいだのですが、同じ様に、<イギリスには、スティーブン・ホーキング博士>がいるのだ、思ったのです。

 朝日新聞の記事をそのまま書きうつします。
 <英国人の宇宙物理学者、スティーブン・ホーキング博士(70)が開会式を導いた。全身の筋肉が動かなくなる難病「筋委縮性側索硬化症」のため、車いすで生活する。式の節目にステージ上に現れ、「好奇心を持ち続けよう」「何が我々の宇宙を成り立たせているのか思いをはせよう」といった言葉を紡いだ。>

*ネット画像(無断引用)
 テレビ中継も、たぶん今もネットにあるに違いない動画も、見たわけではありません。

 ホーキング博士の今も変わらぬ、身体不自由のなかの、心の自由さを感じます。
 ずっと以前に、東京でのスティーブン・ホーキング博士の講演会に参加したことがあります。
 さっき、書庫という名の物置を探してみました。
 1995年11月11日のことでした。17年前のこと、もちろん現役中のことです。

*まだ捨てずにいた17年前の講演会のリーフレット。<宇宙の誕生会>のサブタイトル。
 
国際シンポジウム「宇宙定数と宇宙の進化(東大初期宇宙研究センター主催)」に来日され、翌日に、講演会があったのです。
  NTT-DATAニューパラダイム セッション‘95
  S.W.ホーキング博士 W.L.フリードマン博士
  特別講演会「見える宇宙と、あるべき宇宙の間で」
でした。

 その頃、NTTデータは、新聞(日経)に、ホーキング博士とその理論を紹介する広告シリーズの掲載をしていました。ちょうどその時期、ワタシ、NTTデータと一緒のプロジェクトをやっていたのです。
*こんな本=ホーキング博士の講演文集、も買っていました。監訳は、佐藤勝彦さん。左から、宇宙における生命(1993年)、時間順序保護仮説(1991年)、創造の扉(1995年)、発行元は、いずれもNTT出版。
 ほんとうは・・・少し、このブログで、講演の話、理論の話を書こうと思っていたのですが、<何も書けません、20年たっても、それは、やっぱり無理ですね>

 そのウチ、【おまけ】に書き足して行きたいのですが・・・・。

 【おまけ】

 


ノマドな働き方、春日部で市民サロン<ウィークエンド・ブランチ>が今週末に(2012.9.6)

2012-09-06 23:20:59 | Weblog

*日本経済新聞 2012年9月2日朝刊。
 先日(9月2日)日経の読書面に、大きく「ノマド」という働き方、の見出しがありました。けっこう物知りだと思っていたのですが、「ノマド」が全くわからないのです。
 30年超の大手町生活をやめて、ぼんやり春日部暮らし10年で、世間・社会についていけなくなったのか、と大きなため息です。

 この記事によると、<・・・・「ノマド」(nomad)とは、英語で遊牧民という意味。遊牧民のように、何にもとらわれずに自由に働く人たちのことを、ノマドワーカーと言ったりする・・・>
 <・・・しかも「ノマド」と似た概念というのは、40年以上前から存在する。「脱サラ」だ。会社に雇われず、やりがいのある自由な仕事をするという意味で、ノマドと大きな違いはない。その後も、「フリーター」、「フリーランス」、「インディペンデントな生き方」、「起業家」ブームが起きてきた>
 <時代に合わせて名前を変えながらも、日本人たちは、常に「自由な働き方」を渇望してきたのだ。>

 ・・・そういうことなら、ワタシ、良くわかります。

 このごろ、よく行く(だんだん遠ざかっていますが)春日部市民活動センターの上の階(5階)には、埼玉県施設・創業支援ルームがあります。県が創業・起業を支援しているのです。20人ほどの起業家さんが一部ルームシェアして、つまり20社ほどの新しい会社があるようです。
 ひょっとすると 「ノマドさん」でしょうか。*南桜井駅・市の掲示板
 月一度、土曜の午前に、自由な語らいの場、市民サロン<ウィークエンド・ブランチ>が開かれます。
 今月9月は8日(土)今週末の10時~12時です。
 話のきっかけとなるゲストさんを囲むのです。今月は、<創業支援ルーム>の人たち=ノマドさん?です。
 コーヒー片手に、気楽な集まりで、予約不要、ふらっと参加できます

  【おまけ】
*ただ、というべきか、ところで、というべきか。自由な・・・、就職しないで生きていく・・・ということが、就職できないので、ということになると話は違います。自由に生きるということと、フリーターで生きるということは、今は全く違う意味になってしまった。
*新自由主義というか、規制緩和の大義は、自由な働き方、多様な働き方に対応するためと言われてしまった。小泉構造改革です・・・・、ナンデモOKの規制緩和です。経済界は、正社員から非正規社員の時代にしてしまいました。
*ノマドって、この記事も、かっこよく響きます。もう皆、ノマドになる時代が来そうです。
*今もむかしも、会社に雇われず、自由に働くことには相応のリスクが伴うのでしょう。それでも、起業=ベンチャー・ビジネスに憧憬の念を覚えます。


日本橋高島屋のバーナード・リーチ展、民藝展に行く(2012.9.4)

2012-09-04 18:53:17 | Weblog


 9月になって少し涼しくなったので、東京のデパートに行きました。半年ぶりの東京です。
*高島屋がすっぽり包装紙に包まれていました。外装工事中のようです。
 この頃、新聞にデパートの広告がなくなったと感じています。景気が悪いのでしょう。デパートには、美術展など、出かけたいと思うイベントが再々あったのですが。
*2012年8月29日付の(右)が朝日新聞、(左)が日本経済新聞。他に読売新聞も含めて、シリーズ3部作広告です。
 ネットにデジタル化されていて、大きくきれいに読むことができます。↓ です。  http://www.takashimaya.co.jp/base/st/store/special/mingei/takashimaya_ad/index.html
 8月末に、朝日、日経に、高島屋の全面広告がありました。すぐに行ってみようと思っていました。

 民藝がけっこう好きでした。おみやげ民芸品ではありません。民藝です。民藝運動にひかれてということです。
 柳宋悦らが、<生活のための道具・用品こそ美しい>と着目した民藝です。
*30年前、当時のカタログです。
 昭和9年、前年に開店したばかりの東京・日本橋の高島屋で、「現代日本民藝展覧会」が開かれました。そして今日、高島屋で民藝展が開かれています。<今一度、70余年前の展覧会を高島屋は、開催します>と。

 民藝運動には、柳宋悦、河井寛次郎らとともに、英国人バーナード・リーチ、そして、益子の浜田庄司の名が、いつもありました。
 高島屋でバーナード・リーチの生涯をゆっくりみて歩きました。
 1882年香港で生まれ、すぐに母と死別。日本に住む祖父母に引き取られます。10歳で英国に渡り、22歳で再来日します。1920年(33歳)には、若き浜田庄司を伴って英国セントアイブスに登り窯を築きイギリスに窯を開き、リーチ工房を構えます。その時代に戦争もあります。英国と日本の間を何度か行き来します。1979年、英国セントアイブスで死去、92歳。
*英国、南西部の半島の先っぽ。セントアイブス。美しい街、芸術の街だといいます。行ってみたいなあ。
 リーチ工房は、再開し、今も引き継がれ、何人もの陶芸家が活動しています。リーチ工房の日本人女性・遠藤みどりさんの作陶展も高島屋で開かれていて、会場で遠藤さんをお見かけしました。

 【おまけ】
*当地・春日部に住んで、遠来のお客があると、よく益子に案内していました。昨年3・11の大地震で、浜田庄司の展示なんかも壊れたと、新聞にありました。その後、出かけていません。


春日部・まちの公民館で、プチバレリーナ・ソーラン輝・公民館ジャズバンド(2012.9.2)

2012-09-02 11:07:59 | Weblog

*6年間のまぶしい成長です(プチバレリーナ)
 ウチのご近所、ローカルな公民館のお話。9月1日の昨日、公民館まつりがありました。
 ワタシら、スウィング・ベアーズは、まちの公民館に集まってきた<公民館バンド>です。ワタシが元気だった現役中に、<埼玉県郡部の公民館ジャズバンド>と原稿を書いたことがあって、<都会?で、それが受けて>、雑誌に取材をされたこともありました。ウチが近いこともあって、週末には、マチの正風館(公民館)に入り浸っていました。その庄和町も、6(?) 年前に、春日部市と合併して中心が春日部本市に移ったために、いやいやトシとったせいで、公民館に行かなくなったのです。

 それでも、年に一度の正風館まつり(合併して、春日部に合わせて公民館まつりと呼称変更しています)では、演奏してきました。

  10年ほど前から、正風館のステージで一緒だった ムッちゃん!が率いる<プチ・バレリーナ>さんが出演していました。6年ぶりということです。
*シャッター・タイミングが良くないなあ・・・。
 プチバレリーナの小さなプログラムが配られました。
 <・・・スキップがやっとできるかできないか・・・そんな生徒さん達に貴重な舞台発表の機会を与えて下さったのが、始まったばかりの公民館(当時は正風館)まつりでした。その後、生徒さんたちの成長とともに、発表の場は、春日部文化会館へと移りました。・・・今日は一部のメンバーで、5月に開かれたバレエコンサートの演目の中から抜粋でお届けします>
 <・・・かっての正風館まつりでは、まだ幼くスキップしていた中学生メンバーの成長した踊りを、是非ご覧ください。>と。

 正風館まつりで、一番人気は、公民館ジャズバンド=スウィング・ベアーズではありません。2日間、土曜日曜のトリは、決まって<プチバレリーナ>と、栗原弥生ちゃんの<チビックス(こどもジャズダンス)>です。ホールをいっぱいにしていました。

 <チビックス>も公民館まつりを卒業(?) したようです。この間8月末の春日部コミュニティまつりで見事なダンスを見せたことでしょう。

*今、この子たちの時代。庄和ソーラン輝(きらり)
 このごろ、公民館まつりのステージを引っ張るのは、よさこいソーラン輝(きらり)です。中学生、高校生の爆発的な元気さが感動を呼びます。若さには、かないません。
 ・・・よく見ると弥生ちゃんも踊っています。ワタシにも思い出いっぱいの輝(きらり)です。もう10年ぐらいでしょうか、子どもたちは成長していきます。社会環境も変わっていきます。そんな中で、持続させている気持ちと、その馬力が嬉しい。

 【おまけ】
*24年目のスウィング・ベアーズです。(masaharusさんの写真)
*スウィング・ベアーズは、24年です。とんでもない長さだな、と思います。それでも少しずつ若いメンバーも入っています。
*スウィング・ベアーズの出演は、午後1時で、12時から舞台設営でした。集合は11時45分。ワタシが着いたのは、11時40分。受付のプログラムに、<図書室にあった本を無料配布します>のチラシが入っていました。
*こういうのは見逃せません。集合時間が来ているのに、旧図書室に走ります。なんでもいいから気分で2冊ゲット。本番中は、ギターアンプの上にのせていました。
*たしかに右の2冊にラベルが貼ってありません。

*夕刻、わが家。完全別行動の家人さんも一冊ゲットしていました。<あれ!これ図書室の廃棄本なの? 図書室の蔵書ラベルも蔵書印もないね>と家人さん。
*・・・・・推定です。証拠はありません。不要の本を図書室に寄贈する町民もあったでしょう。10年程前には、正風館もそれをすすめていました。そして、図書室に配架するものと、一階ロビーの<自由にお持ち下さい>コーナーに落とす本をわけていました。
*ワタシがゲットした2冊は、おそらく町民寄贈本で、未処理の本だったのでしょう。まあ、これで正風館の図書室は完全クローズです。春日部市との合併効果で、みんなが望んだ庄和図書館ができています。