市民による春日部市財政白書の報告会で自治基本条例の施行を思う(2010.4.30)

2010-04-30 13:13:01 | Weblog

*久しぶりの講義室でした。

 春日部市役所から月初めに配られる“広報かすかべ”を丁寧に読むことは、あまりありませんが届いたらすぐゴミ箱でもありません。そのまま貯めています。

 “広報かすかべ”の4月号には、ちょっと丁寧に読んだ記事が2本ありました。

 ひとつは、今年(平成22年)度の予算です。
 昨年10月だったか、“緊急財政健全化計画が発表されていて、12月頃に、このブログにも書きました。
<ここクリック>
 結局いったいどのような歳入歳出の予算になったのか関心があったのです。私にも、市は税収不足で前年度の3割とか4割カットになると聞こえていたのです。

 でも“広報かすかべ”には、1ページ目から本年度施策・施政方針が何もなかったように並んでいます。財政健全化計画・・・ってなんだったのか。しかし、よく見ると下の方に、前年までの施策で見直した事業が小さな活字で並んでいます。これを活字どおりに受け取るとすると、市民生活への直接的な影響もありそうに思います。
 春日部市役所流の仕分けがなされたようです。“広報かすかべ”から、詳細はわかりません。

*市内の本屋さんに売っています、600円。

 新聞各紙が報道していた<市民による春日部市の財政白書>の報告会が昨日(4月29日)にありました。いささか固いテーマのイベントでしたが、会場は、100人近くでいっぱいでした。久しぶりに講義室でゼミを受けている感じでした。

 埼玉県40市中で、財政健全度が最下位(武蔵野銀行研究所の比較手法)である春日部市財政の20年間のデータを埼玉県40市と比較して分析されていました。東洋経済誌、日本経済新聞の分析評価も、春日部市財政はよくないことを発表してるようです。

*<市民がつくる春日部市の財政白書>の報告会

 目に見える課題は、歳入不足・市債依存が続いていることです。この日の白書報告は、現実を知るというのが趣旨で、それでどうするかには踏み込んでいません。そのことを、後半の討論の中で熱く語った人が何人かいました。

 もうひとつ、“広報かすかべ”4月号で丁寧に読んだのは、春日部市自治基本条例が、4月1日に施行されたという記事です。

*みんなで取り組むまちづくり、と書いています。

 近年、自治基本条例が、あちこちの市町で制定されていますが、その意味が、いまひとつよくわからないのです。“広報かすかべ”は、市民向けに、“これからの市政運営やまちづくりは、行政と議会だけでなく市民も担うようになります”と解説しています。

 報告会の中では、これからは、行政・議会・市民が三権分立のようになっていくので、行政=議会と市民が対立軸のままではいけないのだ、との話もありました。条例を作って、それを規定していく流れが、日本中にあるようです。

 市民も役割りを持つ、それはすなわち市政に、市民も責任を負うことです。そういう時代に、次第になっていくのでしょう。


郷里・西江原藩に隠されていた話(岡山県井原を40年ぶりに訪ねる旅⑤)(2010.4.22)

2010-04-22 22:57:57 | Weblog

*大本山総持寺直末・那須与一公菩提寺・禅洞山・永祥寺、江戸時代には大伽藍のお寺だったようだ。

 私が岡山県の山地(西江原)で過ごしたのは、18歳まで、昭和20年代、30年代のことです。その日その日を生きていくこと、食べることにせいっぱいの時代だったはずです。

 40年ぶりに郷里を、私が子どものころに聞いていた伝説をなぞって歩いてみます。源氏と平家の戦、屋島の合戦のおり、扇の的を射た源氏の若武者・那須与一が褒美に与えられた荘(くに)が、私が育った荏原(江原)の荘だったのです。

 今の子どもらは、那須与一も、扇の的の故事も知らないでしょう。学校の歴史の授業には出てこないでしょう。

 源氏の天下になって、那須与一が荏原の荘に来た記録はありませんが、お墓があります。もっとも那須与一の墓は、全国に2つも3つもあるようです。
 その菩提寺が永祥寺です。ウチから4キロぐらいの所で、遊び場であったわけではありません。
 子どものころの行動範囲は、徒歩圏せいぜい1キロ四方の狭い範囲でした。

 それから、もうひとつ。その永祥寺の裏山に、ぽつんと草むらの中にあるお墓を訪ねました。
 子どものころには、全く知らなかったお墓です。3、4年前、突然知ってブログに書いています。
<ここクリック>

*山の中にぽつんとあった関衆利の墓。

 忠臣蔵の話は、よく知っています。日本全国知らない人はいないでしょう。赤穂藩浅野家のお家断絶です。その浅野家の後に赤穂藩に入ったのが、西江原藩の森家だったのです。そのシーンは、映画の何本も見たはずだったのですが、郷里・西江原藩が登場していたなんて、全く知らなかったのです。

 そこに、<もう一人の浅野内匠頭>の悲劇が、同じ時代にあったのです。狂っただけで幕府にたてつく遺志はなかったとされ、お家安泰のため、西江原藩屋敷に蟄居幽閉され、生涯を終えた関衆利です。
 関衆利のお墓を訪ねました。お墓をなで、心の中で、無念さを感じ取りました。

 子どものころ、誰からも聞いたことのない話だったのです。長い間、西江原では、タブーだったのかも知れません。


春日部市議選が終わったからでなく、いい天気で農作業の季節です(2010.4.19)

2010-04-19 22:46:50 | Weblog

*畑のすみには、チューリップ

 春日部で市議会議員選挙が終わりました。議員の皆さん、お疲れ様でした。
 これから4年間、さて、ひとまず安心、しばらく、ごゆっくりでしょうかね。

 3月に予算議会も終わって、2月3月に続けられていた追い込み道路工事も、いつの間にかなくなり、静かな春日部市、寒くもあり、ちょっと停滞の感じでした。
 5月連休あけまで、春日部市はお休みモードでしょう。

 人間社会と関係なく、季節はめぐります。夏野菜の植え付けは待ってくれません。
 昨日、今日と畑で過ごしました。

*まずは畑地整備です。

*じゃがいもを植えました(3月19日)

*じゃがいもが芽をだしています。

  春先にトモちゃんが植えたじゃがいもが、やっと芽を出していました。

    【おまけ】

*投票日の翌日(4月19日)午後には、撤去されました。まあ、記録として残しておきましょう。


ボブ・ディラン印のチョコレート、ディランの絵本を買ってしまった(2010.4.18)

2010-04-18 23:47:40 | Weblog

*中身は、食べられるチョコレートです。でも、もったいなくて食べられません。

 昨日(17日)アマゾンから、ボブ・ディラン印のチョコレートが届きました。
 アマゾンのメルマガで知らされ、迷わずお買い上げしたのです。
 すごい物を考える人(たぶんあの人でしょうね)がいるもんだと、そのアイデアと商魂に感心します。

 ディランのすべてのLP(CD)ジャケットをチョコレートの包み紙にしているのです。
 ワタシャ、買いますよ。2ケース1組で2100円+送料700=2800円です。でも食べるわけにもいかんし、どうしたもんでしょうね。

*今年3月の日本公演マーク入りです。

 ディラン来日記念になっているんですが、あのライブ会場の特設テントで売っていたようにも思いません。けっこう混雑していたから気がつかなかったのだろうか。
 著作権なんてどうなってるんでしょうね。音がでるわけでないけど、登録商標とか、小うるさいことが絶対あるはずです。やっぱり、あの人のしわざ(いやプロデュース)でしょうね。

 とにかく、ビックリ仰天のチョコレートですが、問題、いいたい文句がひとつあります。レコードの古い順に、ケース1、ケース2につめるべきですね。

*2ケース並べて、左上から右へ。発売日順です。

 とまあ、この公式LP(CD)は、全部持ってます。
 うそです、最後(右下)のクリスマス・アルバム(2009年秋発売)を持っていません。

  【おまけ】

*おまけです。4月の初め、東京に出かけたとき、本屋で、なんとボブ・ディランの絵本を見つけ買ってしまいました。まったくワタシャ、アホだねと思います。どうせ、読み、いや見やしないのにです。岩崎書店、1600円。

*翻訳絵本です。なのにアマゾンで原本を探したりしているのです。だいたい、こんな絵本は、いったい誰が買うのだろう。やはり、私ら世代でしょうね。

*この間の旅での孫です。ホテルのロビーにピアノを見つけ、リュックもおろさず弾いています。いつもはエレクトーン、初めてピアノなのです。

*孫に、読んで聞かせてみましょう。でも、喜ばないでしょうね。


春なのに雪、のち晴れジャズデイ春日部に満員のお客さん(2010.4.17)

2010-04-17 22:58:17 | Weblog

*屋台村もあたたかい食べ物がじゃんじゃん売れたに違いありません。年々楽しくなる屋台村です。

 朝起きたら銀世界でした。今日やるの、できるの?メンバーからの問い合わせをかわしながら、皆を集めます、集まります。

 私らと春女(かすじょ)さんが出演するから晴れます、と今年もステージで言ったのですが、この日ばかりは、奇跡、天からの応援があったに違いありません。それに、銀世界の会場を、短時間で観客席にしあげてくれたスタッフさんに感謝です。

 私らの出番は、午後2時。写真なし、入手しだい掲載します。

 その後が、オール・スウィング・ジャズ・オーケストラ(越谷市)。

その後が、ドリーム・スウィング・キングダム(春日部市)

 12時の開会式のすぐ後は、春日部女子高校、白岡のセイガ中学、さいたま無断ジャズさんでした。

 今日のゲスト・バンドは、守屋純子セクステット。うまいなあ、当たり前です。

    【おまけ】

* 春日部女子高校吹奏楽部の定演、4月24日(土)を知らせるポスターがありました。どうも今日のステージで、持ち歩いたらしい。春日部女子高校は、今年創立100周年らしい。

* 私らは、私が一番見たかった春女のステージの時間には、ララ・ガーデン1階ステージでやっていました。

*本番前の音あわせ(ららガーデンで)

* ほんま、朝一番、ウチの窓からこの雪景色。よくやれたなあ、と思います。

*・・・と、ここで、誰かさんを思い出し、♪なごり雪♪をひとふし歌っています。


いまやらねば・・平櫛田中さんの町(岡山県井原を40年ぶりに訪ねる旅④)(2010.4.10)

2010-04-15 18:28:55 | Weblog

  いまやらねば、いつできる
  わしがやらねば、たれがやる

 この旅で、やっかいになった兄夫婦のウチにのれんがかかっています。
 この町に関わる者すべてが知っている言葉です。私も、過去に何度もつぶやいていた言葉です。その後に、<今日できることは、今日やる>があったか、なかったか。私は、勝手につぶやいていました。

*直筆、田中美術館

 彫刻家で文化勲章をもらった平櫛田中さんの言葉です。子どものころには平櫛田中さんに対して、<郷土が生んだ偉人>という認識もなかったかもしれません。昭和37年春に、私はこの町を発ち、同じ年の秋に、平櫛田中さんは文化勲章を受賞されと名誉市民になられたのです。
  昭和44年(1969=97歳)、井原市に田中館が開館、昭和48年(1973=101歳)11月に、井原市立田中美術館として、新発足します。

 郷土が生んだ芸術家・平櫛田中の名は次第に、在郷人と同様に私も強く知ることになりますが、田中美術館に出かけたことはありませんでした。

 この旅で出かけ(3月30日)、はじめて全体像を知ったのです。
 明治5年西江原村生まれ、義之小学校(西江原小学校の前身)を終えると大阪に奉公に出ます。苦労して彫刻の修行し、明治30年(1897=25歳)に上京、高村光雲の門をたたき、10年後、明治40年、岡倉天心と出会います。 生涯の師をえたのです。

*岡倉天心像、“五浦釣人”

*岡倉天心胸像

*田中美術館で、もっとも感銘を受けたのはこれ、岡倉天心坐像の後の<Asia is One>の拓本です。アジアはひとつ、岡倉天心の信念です。井原の地の子どもたちが、この言葉を意識してくれれば、いいのだが、と思ったのです。

  【おまけ】

*新幹線福山駅前にある岡倉天心像、“五浦釣人”

*もう少し暖かくなったら、東京・小平市にある平櫛田中美術館を訪ねてみよう。小平市は、長く居住した終焉の地です。そこで、都会で、郷里・西江原(井原市)にある平櫛田中美術館を遠望、感じてみるつもりです。

*平櫛田中は、昭和55年(1980=108歳)で大往生です。

*まだまだ、 <いまやらねば、いつできる。 わしがやらねば、たれがやる>を唱えながら生きていかねばなりません。

 


冷たい雨、春日部<市井>の知人の通夜で読むメッセージで暗鬱に(2010.4.12)

2010-04-12 15:59:08 | Weblog

*貼りだされていたメッセージ

  人と生まれて来て別れは必ずあるもの、
  病気だろうと、事故だろうと
  別に人生に予約をした訳では 
  ないけれど勝手にやってくる。
  何が不安なのだろう、どうして 
  しがみつくのだろう。 
  これまで生きて人にどれだけ 
  迷惑をかけてきたのか、
  傷つけたりしたのか。 
  ひとりよがりの生き方の中で
  自分はどうしようもない男 
  だと思う。それなりにけん命に 
  生きてきたつもりだった。 
  でも何の為に生きて来たか
  何もできてはいなかった。

   3/8手術の前に、       孝

 私の春日部市井、下町・粕壁ただひとりの知人は、こう書き残して去っていきました。

 蕎麦処巴屋さんの主、佐藤さんのお通夜でした。気持ちも凍りつくほど冷たい雨でした。
 春日部市内の病院に入院されていることは聞いてはいました。
 6日の夜突然、<ネット世界・・・・トゥイッターに流れているよ>と知らせをもらっていたのです。

 お通夜は大勢の参列者でした。アロハで笑顔の故人の写真のまわりはお花で埋まっています。ヨーカドー春日部のバレーボールの主力の女子選手、何人もの噺家さん、ジャズプレーヤーと華やかでした。故人のご活躍世界の広さ、町なか下町の人たちに愛された故人が偲ばれます。

 手際よくさばかれるヒトの流れが、止まり淀んでいるところがありました。
 故人、佐藤さんのメッセージが貼りだされていました。立ち止まる人の肩越しに眺めていました。胸にくるものがありました。
 私には、とても心寒く感じました。享年59歳、私よりずーっと若いのです。

 一日おきに暖かい寒い・・・とやってきます。週明けの今日(4月12日)も冷たい雨です。

    【おまけ】
* 私もまたガン持ちです。摘出手術もしました。故人に<大丈夫ですか>と聞かれて、ちょうど一年です。もう十分に覚悟はできています。転移、肺への転移が発見されたら、私もまた、何かを書かねばならんでしょう。

* お通夜に出かけたら、住所氏名に<ご関係>を書く欄があります。友人、知人と考えながら、大きく<Jazz>と書いてきました。

* 今週末(4月17日・土)は、蕎麦処巴屋さんの裏の公園で、ジャズディかすかべが開かれます。暖かい、いいお天気になればいいのですが。この日、私には、私ら出演バンドの何人かには、弔いコンサート、弔い演奏の思いがあるのです。


孫が田舎で見つけた手押しポンプ(岡山県井原を40年ぶりに訪ねる旅④)(2010.4.10)

2010-04-10 22:29:16 | Weblog

*路地・小路のある暮らしも初めてだったかもしれません。

 7歳と5歳の孫が同道の旅でした。私ら世代の感傷旅行(センチメンタル・ジャーニー)は、全く関心のないものでしょう。お子様プログラムを入れておかなければ、と思わなくもなかったのですが、そんなゆったり旅行でもなかったのです。

 孫たちが、おもしろがっていたものに、手押しポンプがありました。水の出てくる手押しポンプです。
 確かに彼らの生涯で、初めての経験でした。こんな風な所から、水が出てくる。水にありつける、ということはいい体験だったでしょう。

*最初の手押しポンプは<教えました>、初めてみた時、何をするものかわからないでしょう。

*これと、もうひとつの2度。手押しポンプを見つけ、水を出していました。

 水道の栓をまわせば出てくる水しか知らないわけです。里山の中で、きれいなせせらぎに口をつけて水を飲む時代ではないのですが。

 大袈裟にいえば、生きていく方法でしょう。火つけることも含めて、私らが、しごく当たり前と思っていることが、孫世代には未体験なのです。教えていくことは、私ら世代の役割りかもしれません。


賀山という名の里山・摩利支天様(岡山県井原を40年ぶりに訪ねる旅③)(2010.4.10)

2010-04-09 23:45:56 | Weblog

*いつも見ていた風景。甲(かぶと)山です。形がカブトに似てるからとも、頂上に神功皇后がカブトを埋めたから、とも。

 このところ、諸事諸々あって旅日記が進みません。3月28日ことです。
 福山駅から井笠バスで50分、井原という町に入ります。兄夫婦のウチの世話になります。
 私が育ったのは、隣町の西江原(にしえばら)という町です。小田川にかかる日芳橋を渡れば西江原です。50年前とかわらない山が目に飛び込んできます。
 山とはいえない里山です。もっともその頃、里山という言い方はありませんでしたが。

*変わらぬ橋、日芳橋です。
*このあたりで育ちました。もっともっと家は少なかったのですが。

 里山を歩きながら、なんともいえない安らぎを覚えました。今、東京郊外で普通に暮らしていて、それはそれで生活ですが、なんとはなしに忘れていたことを思い出しました。
 ここで走りまわっていた頃には、思いもしなかったけど、けっこう大事なものがあったのだなあ、と。今、すっかり失くしてしまっています。

 今住んでいるのは埼玉県郡部、決して都会ではありません。同じような田園地帯ですが、関東平野のど真ん中、山、坂のないどこまでも平坦な地域なのです。
 なんの意味もなそうな小さな山、里山がほしかったのです。

 その里山には、賀山(かやま)というハッピーな名がついています。

*兄夫婦、弟夫婦がつきあってくれました。

*里山をゆっくりゆっくり登ります。

*地べたに転がってる石にも注連縄です。子どものころには踏んづけたかもしれません。が、ここは、何かしら特別な思いの聖地?でした。摩利支天という呼び名に摩訶不思議を感じていました。

*摩利支天様と呼んでいました。

*こんな風にのぞいたことはありませんでした。社は立て直されていたのかもしれません。

 

   【おまけ】

*兄夫婦が訪ねたのは、この賀山が気に入って住み着いて工房を開いたという、なんと言うのか、木地師・塗師さん。お椀・お盆などの作品で、中央で名の知れたアーティストさん。いやぁ職人ですよ、と。

*工房の遠望です。普通の農家のたたずまいです。


ちょこっと福山・鞆の浦に寄り道(岡山県井原を40年ぶりに訪ねる旅②)(2010.4.6)

2010-04-06 10:45:19 | Weblog

*駅前ホテルの窓に、朝の福山城

 三世代家族5人の旅。働く娘と違って働かない親(私)は土日が多忙です。旅の日程を合わせるのもやっかいでした。

 私だけ日曜(3月27日)昼過ぎに、新幹線で東京から福山へ。岡山で別件をすませた他4人と福山駅で合流します。わが故郷への入り口ですが、福山駅で新幹線を下りるのは生まれて初めてです。

 翌朝早くから目が覚めます。ホテルから福山城が手の届きそうな所に見えます。
私のよ~く知ってる福山城は、左の櫓がひとつある城址だったのです。ここの天守閣もまた、昭和20年の8月、米軍の空襲で焼け落ちたのです。時に、昭和20年8月8日、広島原爆のあとのことです。ホテルから城を見ながら、なんとなく憤りを覚えます。城、天守閣の炎上は、どんな戦いであっても、当たり前の結末なのですが。

 早朝、ひとりホテルを出て、少し街を歩き、観光パンフレットを集め、今日半日の過ごし方を考えます。なんの計画も持たずの行きあたりばったりの旅だったのです。おまけに月曜。城も博物館も全てがクローズです。

 鞆の浦への定期観光バスを見つけました。<要予約・予約電話受付は10時から、出発9時10分>。普通ならあきらめるところでしょう。<旅なれたワタシ>です。今どき満員であるはずがない、と出かけ乗ってしまいます。お昼前に福山駅に戻ってくるこの定期観光は、1300円で◎でした。

 大型観光バスでなくマイクロバスが来ました。私ら5名+4名の9名で発車です。ガイド兼ドライバーさんは、<いつもは2、3人ですよ>と。

 まず芦田川沿いの草戸の明王院に寄ります。私が小学校3年生の遠足できた所です。その時のまま三重の塔があります。ずっと後になって、ここらにあった集落(草戸千軒)が芦田川の洪水によって埋もれてしまったこと、戦後発掘され<日本のポンペイ>といわれるほど当時の生活状態が出土したことを知っていました。本堂と三重塔は国宝です。

*国宝の本殿と三重塔、ご利益は【おまけ】に書きました。

 定期観光バスは、軽妙なドライバーのガイドの中に鞆の浦に到着。バスを降り、ボランティア・ガイドおばさんに連れられ歩き始めます。 まず対潮楼(福禅寺)です。寒い日でしたが、窓は開け放たれています。日本第一級の景色です。


*向こうの島が仙酔島、手前が弁天島。島への渡し船、平成いろは丸。

 陽気なおばさんのガイドを楽しみながら狭い路地を歩きます。ちょこっとだけ鞆の浦観光では、今、アニメ・崖の下ポニョの舞台、そしてNHK大河ドラマから坂本龍馬の足跡にスポットが当てられていました。が、どうしてどうして随所に伝統文化が感じられる古くからの港まちです。

*こんな道を歩きます。

*龍馬談判の町家。宮崎駿監督デザインの船宿いろはと書いてあります。

*龍馬海援隊の船・いろは丸の海中探索から引き上げた物をを展示する<龍馬いろは館>。鉄砲100挺を積んでいたというが発見されていない。どうも龍馬のハッタリらしい。紀州藩から莫大な賠償金をふんだくったが、半年後に龍馬は暗殺される。そのお金は、岩崎弥太郎が三菱を作る元手になった、とガイドのおばさん。

*いろは丸は、鞆の浦のずっと沖で紀州藩の軍艦に衝突し沈没。水中探索は、住民の町おこしグループが1988年からやってる事業であることが、痛快です。

*伝統の保命酒の醸造元。

*船具屋さん、寄ってみたかったけどパス。

*ここも龍馬ゆかりの家、隠れていたらしい。

*鞆の浦の海。この景観です。

   【おまけ】

*2009年10月1日付けの朝日新聞。

*草戸の明王院のご利益です。同行の娘に指摘され、しっかりお願いしてきました。ただし、お賽銭はせず。


小田川の堤の桜咲く(わが故郷・岡山県井原を40年ぶりに訪ねる旅①)(2010.4.1)

2010-04-01 23:42:07 | Weblog

*小田川堤で(3月27日)

 ちょっと思うことがあって、わが故郷を40年ぶりに訪ねる旅をしてきました。
 変わらぬ山川、変わった家並みを眺めて感傷にふけっていました。20年の時を過ごし、40年の空白を経ての旅でした。

 今日は第一回目、イントロです。
 その昔、岡山県後月(しつき)郡、今、岡山県井原市は、岡山県と広島県の県境あたり。瀬戸内海、海から北へひと山越えた所を流れる小田川の流域とそれに連なる吉備高原の西の端です。瀬戸内海沿いを走る山陽本線、新幹線では、広島県福山駅からバスで入ります。

 40年前、井原は小田川堤の桜と語られていました。3月末、ちょうど桜の季節に入り始めていました。

  【おまけ】

*3月23日、越谷でswing-swing-swing-2010のコンサートに、突然やってきた知人から、<小さな桜のつつみ>をいただきました。その知人、今、川崎に住んでいますが、同じように<くに>を出てきたのです。その昔、 私らは、<おやしき>のトモちゃんと呼んでいました。

*とてもいい匂いです、あの桜餅の匂いです。メモがついていました。神奈川県丹沢の八重桜です。
・桜ごはん;小さく刻んで、ごはんにまぜる。上に一輪おく。
・しょうちゅうのお湯わり;一輪入れると、中で咲きますよ~。
・レモンスカッシュにでも咲かせて下さい。<いろいろどうぞ>