*今日、5月16日は旅の日です、と、NHKが、ラジオ体操の後に言っていました。松尾芭蕉が、奥の細道の旅に出発した日だから、旅の日にしたというのです。
芭蕉の旅立ちの日は、元禄2年3月27日、新暦で1689年5月16日です。つまり、今日です。
そういうことなら、第一夜、春日部=粕壁宿に泊まったのも、今日5月16日です。
*奥の細道・松尾芭蕉を観光資源にしているのは、草加市=草加宿です。奥の細道で、芭蕉は、<早加(そうか)>に泊まったと書いているからです。
随行した曽良の日記は、粕壁に泊まったとしています。どうも、粕壁の方が真実らしいのです。
春日部市での宿泊は、東陽寺とも、小渕の観音院ともいわれています。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/33/538a2060db413b1009cbcad88963b7a9.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/6c/cde2f1497b62073f4b1de1ad7ea275c5.jpg)
両者とも、曽良日記にある「廿七日夜、カスカベニ泊ル 江戸ヨリ九里余」を刻んだ石碑があります。
ワタシは、小渕の観音院を支持しています。九里という距離、それに、最近知った<春日部で円空と芭蕉があっていた>ということに、ロマンを感じるからです。
円空と芭蕉の遭遇のことは、4月にブログに書きました。↓;クリック
http://blog.goo.ne.jp/geibunkyou/d/20130404
早坂暁さんの著作を読んでいて見つけたのです。早坂暁さんは、森敦さんの「われもまたおくのほそ道」の中で、見つけたというのです。
・・・・ワタシ、すぐに古本をアマゾンで買いました (トップの写真)。ついこの間、4月のことです。
以来・・・<奥の細道>にはまっているのです。
誰かれなく <5月16日、その日に、千住から春日部まで歩く>と言っていたのです。
そうして、忘れてしまい、今日になったのです。
それで、春日部まちおこし方策として、5月16日を<粕壁宿の日>に制定し、<千住ー春日部>を歩く日にしよう、ということにしたのです。
来年こそは歩こう。
【おまけ】
*奥の細道、東北から日本海側を南下、ゴールは、大垣市です。
*今、この本を、正風館の廃棄本棚に見つけ、拾ってかえり読んでいます。<養老乃瀧>の<養老の水>の話です。なかなか面白い。中に、大垣・養老近郊の芭蕉の句碑の話があります。たくさん句碑があるのです。
*その中に、<草臥れて宿借る頃や藤の花>。藤の花をうたった句がありました。この藤の花は、粕壁の藤とは、関係なさそうです。藤の花なんて、どこの山にもあったでしょう。