ことしは暮れてしまったが、新年には花を枯らせてはいけない(2012.12.31)

2012-12-31 18:31:56 | Weblog

*東北・天童の啓翁桜です。
 先ほど、近くの郵便局前のポストに、年賀状の最後の一束15枚ほどを投函。5時が締め切りで、元旦に届くはどうかはわかりませんが、ともかく<リリース!>。この3日ほど、朝8時と夕刻5時の2回、そこまでに書いた賀状を持って通っていました。現役中に書いていた宛先が、すっかり変わってしまった。書きながら<・・・・もういいか・・・>の人が続きました。

  2,3日前に、家人宛に、家人の友人さんから、宅急便で<桜の小枝>が届きました。
 上手に<咲かせて下さい>のメッセージがついていました。

 ・・・・さあ、うまく咲きますか。世話をするのは家人、ワタシはただ見ているだけです。
 このブログで、時々、現状を伝えることにします。

 ちょうど今、息子から電話です。<8時頃に帰る、蕎麦持って行きます>と。

 まもなく、NHK紅白歌合戦になるのでしょう。裏(?)のN響の第九を見たいのだけれど、しかたないでしょう。
 第4楽章あたりで、チャンネルを切り替えよう。来年は無理としても、2,3年後には、わがまち春日部でも暮れには、ベートーベンの交響曲第9番のコンサートを開きたいな、とひとりで思っているのです。

 もっとも大晦日の春日部市民は、ボクシングの世界戦、春日部出身の内山選手に決まっているようです。ワタシは<殴り合い>好きではありません。春日部市から市長さんをはじめとして応援団がくり込んでいるのでしょう。

  【おまけ】
*読んで下さっている皆さんにとって、新年が良い年でありますように。来年もよろしくご愛読下さい。
*世間、今、大きな曲がり角のような気がします。1930年代とそっくりだと、識者、学者さんは書いています。政治のオセロゲームは、危険な曲がり角に来ています。戦争のない、平和な社会の方が、ワタシは好きなのですが、世間は違うのかなあ。


暮れ12月30日は春日部庄和の有機農家さん庭先で恒例の餅つきで賑わう(2012.12.30)

2012-12-30 22:46:02 | Weblog


 今年も終わりそうです。お正月のお餅、今年も近くの横川さんのウチ、庭先での餅つきに寄せてもらいました。
 朝から雨だったのですが、みゅーこさんから、<前日からお米を洗ってあるから中止はないよ>とメールもらい、<そりゃそうだな>でした。
 12時少し前に、孫ふたり連れて出かけます。準備万端、整ったころ到着です。
 いつものように、ひと臼(ひとうす)目は、まず食べます。お汁粉、大根おろしの辛み餅、生姜餅、海苔餅、そして鴨汁などの用意がしてあります。
 いつもの子どものたちも集まっています。

 そうして、つきあげていきます。
が、今年は、<自分でつこう>という気持ちをなくしています。中学・高校時代は<餅つき戦力だった>のですが、完全引退で、孫の成長を待ちましょう。

 真っ白なお餅でなく、玄米餅、7分つき餅、5分つき餅です。
 横川七江さんは、ここ庄和(町)で、EM石けんを紹介、広めた人のひとりです。水野さん、津江さんらの小学校、中学校での石けん活動から、今や、身体と環境にいいEM石けんの利用は、この町では<ごく普通に>なっています。
 だから横川さんのEM農家さんです。肥料を使わないお米です。

 だからお餅もおいしい。玄米餅は特に美味しい。玄米餅はわが家のお正月の定番になっています。

【おまけ】
*いつも、ここに寄せてもらって思うのは、家族一丸(いちがん)の農家さん、大勢で暮す楽しさ心豊かさです。帰りに、畑の白菜をど~と一個、<持っていきますか?>の大らかさです。


春日部市で今評判の市民サロン・ウィークエンド・ブランチ(2012.12.28)

2012-12-28 23:29:36 | Weblog

 12月28日ということは、官庁は、仕事納め、今日でおしまい、の日です。
 納会も株価今年最高値をつけた、めでたしめでたしなのか、あぶないなあ。

 東武・南桜井駅にある掲示板も、いつもはあふれていたのですが、年末で、少しさびしい掲示板です。
 
ウィークエンド・ブランチという市民サロンのポスターが2枚貼ってありました。
 1月には、2度開かれます。
 
1月13日(日)10時~12時の、第6回ウィークエンド・ブランチは、ゲストに三輪祐子さんを迎えてのカフェ・サロンです。
 1月27日(日)10時~12時の、第7回ウィークエンド・ブランチは、朝日新聞東埼玉支局の今井由紀子記者です。

 会場はいずれも、ララガーデン隣のふれあいキューブ6階の春日部市市民活動センター。
 200円の参加費がいりますが、暖かいコーヒー・紅茶のついたおしゃべりカフェです。予約など不要で、ふらりとお出で下さいとあります。

 1月13日のゲストの三輪祐子さんは、春日部で開く<まちこん><はるこん>の主宰者です。春日部の街に繰り出し<まち友をつくろう>と呼びかけています。また、<かすなび>の名前で、ネットで春日部を広報している人でもあります。
 1月27日のゲストの今井由紀子さんは、春日部市周辺を担当される朝日新聞記者さん。12月9日のウィークエンド・ブランチのゲストに予定されながら、突発的総選挙報道のお仕事で延期していたものです。
 そのため、月2回のウィークエンド・ブランチになったのです。

 週末の朝一番で催されるイベントですが、通勤者にしてみれば、やっときた週末、つらいけど、ここ一番、朝から動くと週末2日間が有効に使えます。
 地域春日部で動いているゲストの話から、元気と活力をもらえると、今評判のしゃべり場カフェ<ウィークエンド・ブランチ>です。


今の時代に、年末だから新聞切り抜きをするという徒労(2012.12.25)

2012-12-25 19:52:41 | Weblog

 
 
暮れは大掃除の季節とはいっても、まだクリスマスです。ぼんやりしていたら、家人が新聞の束を、ワタシの前にドーンと積み上げて、だんしゃり指令です。

 新聞の切り抜きは、50年近くのワタシの習慣です。
 この頃、なにしろ時間はたっぷりありますから、色鉛筆(正確には赤のボールペン)を持って新聞を読みます。さっと読みながら、切り抜きマークを入れます。・・・丁寧に読まず後で読もうとマークを入れることが多いのですが。
 ウチの団地は、第3日曜日がリサイクルの日だから、たいていその前日に、1か月分、日経と朝日の二紙を切り抜きます。そして、それをビニール袋に放りこみます。

 その状態のまま、一年半ぐらい分が未整理で山になっていたのです。
 むろん、原稿や講演の参考にするとか、今や全くありませんから、ぜんぜん差し支えありません。二度と読まない記事ばかりです。むろん、そのまま捨てても、全く問題ありませんが、捨てられないのです。
 何かの役に立つかもしれない・・・・と思い続けているのです。
それがなかったら、生きていく意味もなくなる、生きていく糧みたいなものです。

 それから、スクラップ帳(私の場合は、A4の紙に)一件一枚で貼っていくのが、現役中のプロセスでした。今日、少し始めました。


 今、朝日新聞に、原発関連で2つの連載があります。朝刊3面の<プロメテウスの罠>、夕刊の<原発とメディア>です。欠かさず読み、切り抜きます。今日現在で、後者は304回続いています、前者も同じくらいです。特に<原発とメディア>は丁寧に読みます。原発を報道機関が、どう報道してきたかです。ごく最近は、朝日新聞が、原発ゼロをめざすべきと論調を統一したあたりの話です。

 むろん、二つの連載は、すでに書籍となって出版されています。だから、切り抜きに何の意味もない、ということもあるでしょうが。新聞マニア・切り抜きオタクにしてみれば、全然違うようにも思えるのです。
 <今や、インターネット検索を使えば、新聞の切り抜き努力なんて水泡、卒業論文、学位論文も軽く書けます>、書き写すこともなく、コピ―&ペーストで万事OKです。
 そのとおりですが、そのこと承知で、いまだに新聞を切り抜いているのです。今の効率一辺倒の時代の前の時代を生きてきたからでしょう。


春日部・弥次喜多道中になった氷雨の東武健康ハイキング(2012.12.22)

2012-12-23 10:48:58 | Weblog

 

日(12月21日)は、待ちにまった、東武電車の春日部まちめぐりハイキングの日です。朝から冷たい雨です。
 それでも、8時過ぎの東武野田線に乗ります。春日部駅西口、ここは<早朝の山小屋のようでした>。皆さんが、レインウェアを着こみます。リュックを背負って、ポンチョをかけます。雨の日の山小屋の出発を思わせます。
 
こちら、いちおう<ゴアテックス!!!>の雨具を持ってきてはいたのですが、いつもの街散歩スタイルです。
*春日部市役所に、9時受付の10分前に到着。ざっと500人程が受け付けを待っていました。まあ、ほんとに冷たい雨なのにご苦労さんのことです。

*春日部市長さんら市役所職員さんの見送りを受けながら出発です。
 ワタシは、ばったりあったお2人と、弥次喜多道中になってしまいました。14kmロードレースのつもりで参加したのですが、最初の一歩で壊れてしまったのです。

*これが噂の、矢島橋です。

*あの、♪都鳥・・・の隅田川は、これか・・・、初めてです。

*粕壁宿に戻って、寺町あたり。

*おづつみ園でお茶の接待を受けます。集団は誰も立ち止まらず、黙って歩き続けます。

*このあたりには、その昔には映画館。

*春日部駅前には<羽子板市>です。

*ロビンソンデパートにも冷たい雨です。誰も立ち寄りません。

*そして、ここがゴールです。

 ゴールの春日部商工センターには、何人もの顔見知りが迎えてくれます。 
アトラクションも用意されていて、見たかったのですが、こちらの弥次喜多、中から身体を暖めたいと、某お店で、お湯割りを抱いていました。
 少しあたたまって、
店を出るころ、雨が止んで薄日がさしてきました。天の無情、この頃、いつもこうです。


春日部は武蔵野国で、旧庄和町は下総国。文化圏が異なっていたよう(2012.12.19)

2012-12-19 23:00:45 | Weblog

    ↓この下あたりが関宿城。右下(東南)に太く流れているのは利根川です。

*天保年代の下総国絵図(今の千葉県北部)左上を虫めがねで見ると旧庄和町地域の集落が読めます。

  住んでいる所、今は春日部市です。春日部市の多くは低湿地埋め立て地で、春日部市役所が作ったハザード・マップでも指摘しているように、決して安全な地ではありません。

 関東平野の真ん中のエリア、地図で一般的に緑色になっている平野エリアはどこも良くない。縄文時代は海の底ですし、その後、川がどこを流れているかわからない低湿地です。江戸時代に、田んぼに開墾された荒れ湿地で、40、50年前に宅地に造成されたのです。

 江戸時代以来のことでいいから、この地はどんな状態だったのか。川はどこを流れていたのかを知りたいと思っていました。旧庄和町教育委員会、春日部市教育委員会が、市民向けに売り出している<史書>も、人と治世を中心に書かれていて、よくわかりません。

 

*野田市市民会館

 先日(17日)、野田市のキッコーマン醤油の祖・茂木佐平治家の旧宅=現・野田市市民会館に行きました。そこに、一般人が誰でも閲覧できる、野田市関係の書棚がありました。そうして以前に、同敷地内にある野田市郷土博物館で、<野田の古地図>展が開催され、その図録<江戸時代の野田をいく=古地図にみる「むら」の景観>が発刊されていること知ったのです。

 職員さんに聞くと<まだ残部があって1200円です>と。それで一冊買ってきました。

 
 例えば、襖(フスマ)一枚の大きさの絵地図が、図録ではA4版で載っていて、虫めがねを使っても見えない文字を読んでいます。

 これが、なかなか楽しい。これを機に、本気に調べてみたいと思っています。
 
この度、知ったことではありませんが、旧庄和町は下総国、春日部市は武蔵国が明確です。その境は川です。たぶん、その川は中川でしょう。中川は、旧庄和町と春日部市の境の川です。むろん江戸川ではありません。江戸川は、江戸時代に下総国の台地を掘って、細い川を広げ、沼をつないだ、いわば運河です。明治時代になって千葉県と埼玉県の県境にしたのです。 

*左の□が関宿城です、上部を右に流れているのが利根川。右下に流れているのが江戸川。江戸川の下側に、旧庄和町の集落が描きこまれています。その下の国境が川=中川(その頃は、庄内古川、いや古川はないですね、庄内川?)です。

 

 私の住む、南桜井駅周辺は、旧庄和町の中のわずかな台地です。千葉県から、西に広がる下総(しもふさ)台地の西の端です。さらに西は、低湿地(田んぼ)を経て、春日部市(武蔵国)になります。

 下総国のことですから、武蔵国の春日部市教育委員会の収集にはないかもしれませんが、見せてもらいたいと思っています。
 
国(藩)が違うということは、文化も違います。これもよく言われていることですが、下総国(旧庄和町)は香取神社の勢力圏、武蔵国(春日部市)は氷川神社の勢力圏です。
もちろん、国境エリアです。ふたつの文化が混在しているでしょうが。

 

【おまけ】

*旧庄和町=庄内領、江戸時代は関宿城下、明治になっては、キッコーマン城下町の野田の文化圏だったように思うのです。低地は民百姓の集落(村)、台地は栗林の地で人の住んでる地域ではなかったのでしょう。その未開発地を狙って?整地し、東京の精工舎が疎開してきて軍需工場を作ったのでしょう。

 

 


投票所の神社で見る月は月牙だったが、餃子のような月の方が好きです(2012.12.17)

2012-12-17 18:59:38 | Weblog

    選挙、投票には行くようにしています。昨日の総選挙の投票に出かけたのは午後7時過ぎで真っ暗な道を、投票所の神社に急ぎます。投票所が土地の氏神様境内というのは、いかにも埼玉14区、郡部です。
 冷たい空に、三日月が尖ってみえました。

 中国では、三日月を“月牙(げつが)”というそうです。なるほど、牙(きば)だなと思いました。

 昨年秋、シルクロードの旅で、敦煌の沙漠で<三日月型に水がたまる>“月牙泉”に行きました。さして感動のある“月牙泉”でもありませんでした。
 しかし、こうして冷たい空気の中にみる三日月には、<月の牙>の命名がよくわかりました。

 でもワタシは、椎名誠さんのいう<餃子のような月>の方が好きですね。


フェイスブック、ミクシィ、ツイッターの時代についていけない情報弱者になった(2012.12.16)

2012-12-16 12:13:40 | Weblog

*今朝の日経の読書面
 物を書いて世間に出す時に、“孫引き”は、最もやっていけないことです。<後出しジャンケン>です。ブログでもそうでしょうか、ブログは<いい加減メディア>だから問題なしでしょうか。
 今日は、“孫引き”以上の“ひ孫引き”です。インターネット世界では、こんなこと、全然問題なしでしょうか。
 ずいぶん前から、今やSNSが社会を動かしている、とかなんとか言われています。アラブの春、米大統領選挙・・・おそらく、今日(12月16日)が投票日の、日本の突発的解散による総選挙もそうでしょう。

 さて、孫引きの話を始めます。
 今朝の日本経済新聞(2012年12月16日朝刊)の読書面(23面)に、「デジタルネイティブの時代(木村忠正著)」の紹介がありました。
 孫引きです。

 <おもしろいのは、ミクシィ、フェイスブック、ツィッターという3大ソーシャル・ネットワーク・サービスが、それぞれ「コミュニティ」、「ソサエティ」、「コネクション」という異なる集団形成原理に基づいているという指摘である>

 ツィッター=「コネクション」
 ↓
 ミクシィ=「コミュニティ」
 ↓
 フェイスブック=「ソサエティ」

 ・・・・なるほど、と思ったのです。
 50年代=ビート
 60年代=ヒッピー
 70年代=コミューン(コミュニティ)
 80年代=ネットワーキング
 ・・・の時代をとおり抜けてきたワタシにしてみれば、その後を、ひとくちで表すことができなかったのです。

 続きを勝手に書けば、
 90年代=インターネット
 2000年代=ソーシャル・ネットワーク(SNS)

 もう少し、孫引きを続けます。
 <高度に個化が進展した消費社会では、継続的で安定的関係を期待することが難しくなっている。それが、空気を読んだり、相手との距離を気にしなくてはならない電話やメールでなく。自由に発信できるツィッター利用の拡大につながっている>

 ・・・そうでしょうね。よくわかりますが。孫引きを続けます。
 <意外にも、デジタル・ネイティブ(中学時代からネットに接している世代)たちは、楽しみながらデジタル機器を操っているのではない。むしろ、他者との関係の中で空気を読み、「テンションを共有」する努力を続けながら、サイバースペースへの強い不信感から来る不確実性を回避しようともがいているのだ>

 ・・・となると、さっぱりわかりません。ほんとかな、です。
 著者、木村忠正さんは東大教授、評者の土屋大洋さんは慶応大教授さんです。学者、研究者です。
 まずは、原著を読まねばなりません。近所の本屋にはないでしょうから、ここでもネット、アマゾンが頼りです。まあ、読んでも理解できないでしょうね。それが、若者世代です。

 【おまけ】
*ところで高齢者のワタシ、それでも社会参加を続けていきたいのですが、世間の風、世論がわからない、声が聞こえない。SNS世界で何が飛び回っているのかわからない。ましてやSNSが社会・世界を動かしているとすると、ワタシの知らない所で、社会が動いているとすると、ちょっと辛い。
*ワタシ、メールやwebをみるというインターネットの利用は、かなり早くからやっていました。ミクシィ、ツイッターにも手を染め、一年程前からフェイスブックにも顔を出しているのです。いや、ほんとの顔写真をさらすのは恥ずかしくて出していませんが。どのSNSも、うまく使えないのです。
*10年ほど、10年以上?前に。“情報弱者”という言葉を、行政や学者・評論家が使っていました。まさかと思いますが、ワタシも“情報弱者”になってしまったのです。・・・情報難民といわれるのか・・・。まあ、それもいいか・・、もう少しだから。


春日部の住民だけど12月22日の東武健康ハイキング(春日部めぐり)に行こう(2012.12.15)

2012-12-15 17:37:44 | Weblog

12

 12月22日(土)に、第306回東武健康ハイキング(春日部羽子板まつりと宿場町ハイキング)があります。
 東武鉄道が、電車に乗って来てください、参加費無料・電車賃は各自ご負担と呼びかけています。春日部の住民ですが、この春日部めぐりのハイキングに行ってみようと思っているのです。

 ワタシ、今春日部市民ですが、旧庄和町住民です。春日部のことは、駅界隈しかわかりません。ハイキング・マップをみていて、行ったことのないところだらけと気がつくのです。
 
古隅田川の在原業平史跡、奥の細道行で松尾芭蕉が泊まったのは東陽寺、とかなんとか。川の町・春日部というけど、古利根川、古隅田川、さらに古隅田旧川、いったいどこをどう流れているのだろう。

 参加資格とか準備は何もいりません。歩きやすい靴と寒くない服装だけです。雨天決行のようです。

 12月22日(土)の9時から10時30分の間に、春日部市役所でスタートの受付をして、地図などもらって、歩き出せばいいのです。
 4000人もの参加者がいるそうで、そこに挟まって歩けば迷うこともないでしょう。起伏のある山道ではなく、平坦な街中散歩です。約14km。途中でやめずに、12時から15時の間に商工振興センターにゴールすれば、完歩の感激も期待できます。

 実は、まじめに歩こうと思っています。出歩かない日々が続いています。クルマばかり使います。足腰が弱るぞと本気に思っているのです。
*元気印の会の奥村さん、シャッターアートの奥村さんです(10月28日のウィークエンド・ブランチで撮影)。

 それから、もうひとつ。春日部の街を元気にしようと活動する<かすかべ元気印の会>の皆さんが、4000人ものお客様が春日部にお出でになるのだったら、<春日部を気持ちよく感じて帰ってもらおう>と、<おもてなし>プランを考えていると聞きました。
 
そのお手伝いはできませんが、その<おもてなし>を体感して、感想を<かすかべ元気印の会>に伝えることくらいは出来そうだと思っているのです。

 ワタシは、9時頃には市役所で受付します。旗も目印も持っていきませんが目立つ工夫を考えます。<ワタシ>を見つけて下さい。一緒に歩きましょう。9時30分には出発するつもりです。

 【おまけ】

*この頃、春日部の<まちづくり>だとか、<まちの賑わい>だとか言っています。つい先日は、<春日部の観光>についてのワークショップに出ました。そこで、・・・・秘かに春日部の観光スポットを一夜漬けの試験勉強みたいに回っておかなければならないなとも感じたのです。

*ワタシのように、春日部に住みながら、春日部を点(スポット)としての春日部駅周辺としか考えていない住民は多いかもしれません。今回の東武健康ハイキング(春日部めぐり)は、とりあえずの春日部理解に便利そうです


春日部駅西口近くで地産地消野菜で地域を応援する酒膳・山蕗(やまぶき)というお店(2012.12.14)

2012-12-14 16:25:03 | Weblog


 もう10年、手帳を持ちません。むろん現役中は必需品でした。今、スマホを手帳代わりに使っているわけでもありません。何も持たないのです。行事予定は記憶だけが頼りなのです。この頃、記憶がおぼろげです。忘れることがあります。今朝10時に、市民活動センターに出かけ、<何もありませんよ>と言われました。
 いよいよ危なくなってきた気配です。

 それで、近くの飲み屋(!)・山蕗(やまぶき)に行きました。朝の10時すぎです。店じまいをやっているのに、入り込んで一杯!(ただし、お茶)ごちそうになってきました。
春日部駅西口から、ララガーデンのメインゲートに突き当たる道の、もう一本西(南)側の道をララガーデンの方に歩いて右側です。

  この頃、ときどきお話する松永さんのお店です。酒膳・山蕗(やまぶき)は、二交代制で、松永さんは遅番(深夜11時頃から朝まで)です。だからお店では、こんな時でないと合えません。

 もらった名刺には、<酒膳山蕗∞一粒会(代表)・地元産、知ろう・食べよう、楽しもう>、<埼玉地酒応援団>とあります。
 
地元生産者の顔の見える野菜を使っています。安心な野菜への思いと地元応援でしょう。<ジャズデイかすかべ>などのイベントで店を出すことも多く、先日も、ふれあいキューブ・ぽぽら一周年イベントでも一緒だったのです。

 ワタシら住人側と違って、街側、商店側から街と人を盛り上げている人です。夜が明けるころ、飲みに?食べに?やってくる常連さんや、出勤前の朝食をとるビジネスマンさんがいます。確かに、朝早くから開いているお店なんてないから、流行っているのでしょう。

 【おまけ】
*カウンターでしゃべっていると、お菓子をだしていただきました。春日部銘菓です。羽子板最中、春日部内牧特産の梨のお菓子。話には聞いていましたが、<これが梨のお菓子か>と思ったのです。
*先日、ちょっとしたことから、キャベツを丸丸一個もらったのです。今日は、そのお礼に行ったのです。・・・それなのに、またお菓子をもらって帰ったのです。


郷里、岡山県井原の“つるし柿”と一緒に届いた“井笠バス”倒産のニュース(2012.12.13)

2012-12-13 19:11:12 | Weblog

*つるし柿をつつんでいた新聞は、11月4日付山陽新聞です。
 ワタシの郷里は、岡山県だが広島県との県境あたりです。50年も前、くにを出た時代は、山陽本線笠岡駅から、井笠鉄道という軽便鉄道で小一時間行くところです。今は、井原市です。それから10年ほどして鉄道が廃止されて、そして山陽新幹線が開通、福山駅から井笠バスで40分乗ることに変わっていました。
 このところ、3年に一度ほど向かいます。いや帰りますが、現役時代は10年に一度でした。

 半月ほど前に、郷里の兄嫁さんから、“つるし柿”が届きました。干し柿ではなく“つるし柿”です。<お正月に飾って話題にして下さい>とメモが入っていました。
 そして、お返しというか、お歳暮というか、家人が送ったことに対して、昨日(12月12日)ハガキが届きました。

 <・・・選挙ですが、井原のまちに応援の声(選挙カー)など、何もなく静かです。こんなに静かでいいんだろうかと。井笠バス倒産、陸の孤島になっているのに、と思いますがね>と書いていました。

 <井笠バスの倒産!!>、井原・笠岡エリアの足、井笠バスの突然倒産のようです。全く知りませんでした。たぶん、当地、埼玉県、全国区的ニュースには、全くありません。日本全国、どこにもある山間地のバス会社の倒産でしかないのでしょうか。慌ててネット検索して読みました。驚き寂寥感があふれました。
*ネットにあった山陽新聞(11月1日付け)記事

 わが郷里、何もなくても、井笠鉄道、井笠バスだったのです。
 つるし柿を送ってくれた、ワタシの本家筋のウチは、JR井原線の徒歩圏です。しかし、ワタシが育ったエリア、もっと里山エリアでは、バスは生命線です。クルマの時代は、<むごいな>と感じます。
*あずき色の井笠バスは、もう見られないのか(ネットの写真)。

 11月1日から当面3月までは、別の会社(両備バスの子会社・中国バス)が運行をひきうける様ですが、本数も減ったでしょう。その後は、行政の支援を必要とするのでしょうか。

 【おまけ】
*今夜、井原に返事のハガキを書かねばなりません。<こちら、埼玉県の旧郡部=埼玉14区も、選挙カーなどの声は全く聞こえません。静かすぎます。ほんとに、総選挙期間中なんだろかと感じます>と。


今日12月11日に、ぽぽら春日部・ふれあいキューブ一周年イベントがJCN関東で放映(2012.12.11)

2012-12-11 15:00:07 | Weblog

*ノスタルジック・カラーズさんを撮影するJCN関東のカメラマン(12月8日)。
 12月8,9日に開かれた、ぽぽら春日部・ふれあいキューブ一周年イベントをJCN関東がテレビ取材、放映は今日12月11日のデイリーニュースの中です。

 12月11日(火)の18時~、19時30分~、22時~、23時30分~、翌日6時30分~(30分番組)に、何度も放送されます。また、週末(土・日)には、ウィークリー・ニュースとして、9時~、18時~。21時~に、再放送されます。

 もちろん、短い放映時間に、たくさんのイベントで、何が登場するか、何が選択されるかはわかりません。取材は8日だけです。ただ、顔見知りのカメラマンさんの求めに応じて、いや勝手におすすめしたのは、ステージ・音楽系です。ワタシが登場するプログラムは、9日ですから、番組には登場しません。(・・・・放映を見た人によると、ワタシがばっちり登場していたというのです・・・顔を映しても問題ない人だからでしょうか・・・12月23日追記)

*12月8日、ふれあいキューブ1階の、ナオイパパのステージです。この日も元気なナオちゃんでした。

*8日、1階も4階も、用意した椅子いっぱいのお客さんでした。

*12月8日17時30分~のノスタルジック・カラーズさん。♪藤の花通り、春日部応援歌が素敵でした。なんと、ネット・ユーチューブに、その時の映像が流れています。ワタシにはキーが高くて歌えませんが、春日部の歌、なんか流行りそうな予感です。ここにあります。↓ をクリックしてください。

http://www.youtube.com/watch?v=MeRL8R9T8zk&sns=fb

 【おまけ】
*このイベントで食べて美味しかったので、紹介します。*旧知の山蕗(やまぶき)さんは、屋外でうどんの店を出していました。春日部の農家さんの野菜がいっぱい入っていました。寒い日は、おうどんです。・・・・ノスタルジック・カラーズの出演をすすめたのが、この店のオヤジです。ユーチューブにアップしたのも、この人でしょう・・・たぶん。

*クリスマス・シーズンは、旧知の高橋さんの、<おもしろ巻きずし>、飾り寿司です。今年も食べました。

【おまけー2=12.13】
*みゅーこさんが、わたしらの集まりに焼いてきてくれた可愛いクリスマス・クッキーを忘れていました。

 


春日部の恋歌“藤の花通り”を歌うノスタルジック・カラーズさんのステージは(2012.12.7)

2012-12-07 23:52:52 | Weblog

*ノスタルジック・カラーズさんのリハーサル
 春日部ララガーデンの隣りに、ふれあいキューブができ、4階に市民活動センター(ぽぽら春日部)がオープンして、ちょうど一年です。12月8日(土)、9日(日)に開催される、ふれあいキューブ全館、4階のぽぽら春日部の一周年記念イベントの準備をやっている今日(7日)、覗いてみました。

 お嬢さん3人組のフォーク・トリオがリハーサルをやっていて、しばらく聞いていました。

 本番ステージは、12月8日(土)17時30分~
 会場は、市民活動センター(ぽぽら春日部)
   中庭の木々のクリスマス・イルミネーションの点灯式のステージです、

 ♪藤の花通り という、まるで“春日部の恋歌”を歌っていました。藤の花、春日部の応援歌ですといっていましたが、恋歌でしょう。
 歌詞カードをもらったので、ここで書いておきます。

 ♪藤の花通り

  駅を降りると 藤色の街
  ここから二人 始めよう
  春の日に 出逢えた事
  偶然じゃないよね
  太陽の 匂いがする
  君を 待っていたんだ

  あなたと 歩いていく
  紫 萌ゆる藤通り
  たくさんの 想い出を
  この道に きざんでゆこう
  一緒に・・・

  萌黄色した あの日の君を
  知っているのは 私だけ
  真っ直ぐな 瞳の君は
  今も 変わらないね

  あなたと 歩いていく
  風が 薫るよ藤通り
  幸せな 足跡を
  この道に 残してゆこう
  一緒に・・・
  一緒に・・・

*ぽぽら春日部の中庭、点灯のリハーサル


春日部・ふれあいキューブとぽぽらのオープン一周年イベントで、ナオイパパのステージに注目(2012.12.4)

2012-12-04 14:25:00 | Weblog

*2012年の発足10年コンサートのナオイパパ
  突発解散と総選挙公示ですが、春日部の街中では、クリスマス・イベントです。春日部駅西口すぐ、ララガーデン隣にふれあいキューブ(正確には、東部地域振興ふれあい拠点施設)がオープンして、ちょうど一年です。
*市民活動センター・イベントのポスター
 全館(県の施設・春日部市の施設)あげて、一周年のイベント、お祭りです。
 今週末、12月8日(土)、9日(日)です。
 でかければ、コンサートあり、こども遊び場あり、うどんやクッキーのサービスあり、クイズラリーあり、ビンゴゲームあり、ちょっと固めの講演会があります。ともかくお遊びイベントだらけですが、市民活動センター・イベントらしい、まじめな団体の勉強会・討論会もあります。
 ごちゃまぜな雑貨屋イベントです。

  ここでは、春日部のフォークロア・ミュージック・グループ、ナオイパパ(Nao y Papa)さんのステージを紹介します。
 ワタシが、最も行ってみたいと思っているステージです。*2011年の彩龍の川まつりのナオイパパ
 開演日時;12月8日(土)14時30分~
 会場;ふれあいキューブ1階ホール
 入場無料。

 フォークロア・ミュージックとは、アンデス山地の民俗音楽です。詳細に説明できませんが、自然の風の音=いろんな笛を中心にギターとパーカッションの構成です。歌がまた、いいのです。
 ナオイパパとは、ナオさんとジャガイモのことです。ナオさん(榎原直美さん)のステージでの大活躍のファンなのです。
 ほんとに、おすすめです。


春日部・庄和の公民館で拾った廃棄処分本10冊の中に町史編纂資料(2012.12.3)

2012-12-03 23:52:11 | Weblog

*館外持ち出し禁止だったが、今や廃棄処分本。
 ウチから徒歩1分の、庄和の公民館(正風館)に入り浸りだった時代もあったワタシも、この頃全然行きません。昨日(12月2日)のバンドの練習に久しぶりに正風館に行きました。
 図書室の廃棄本がつんでありました。すかさず10冊拾って帰ります。

 旧庄和町には、図書館がなく、公民館の図書室がその役割を果たしてきました。春日部市との合併で、庄和図書館がオープン。正風館図書室の本も移っていったのでしょう。それにより、正風館図書室は閉鎖、ロビーの小さな図書コーナーになりました。
 それで今でも、ときどき廃棄処分本が出るのでしょう。
 驚いたのは、図書室時代には、赤○シールが貼ってあって、貸し出し禁止の本ばかりです。庄和町教育委員会発行の資料です。
 
廃棄してもほんとに良いのかなあ、と思えます。庄和図書館には、別の一冊があるのでしょう。教育委員会の倉庫には、処分できない在庫が山のようにあるのかもしれません。

  一番嬉しかったのは、<庄和町史編さん資料(8)新聞資料―戦後編―>(庄和町教育委員会、平成12年3月発行)があったことです。戦後すぐの、わが町のことを知っておきたいと思っているのです。
 
その頃の新聞を読むことが、てっとり早いと思っていたのです。とはいっても、庄和町が新聞のニュースになったことが、あまりありません。それも、庄和町(南櫻井村)の戦後の実像です。
 
埼玉新聞の庄和町地域に関する記事の、昭和20年8月28日から昭和45年11月21日まで、769項目があげられ、304記事がリライトされて掲載されています。
 
当時の新聞発行事情も、現在とは違うでしょうが、埼玉新聞だけというのが残念です。他、朝日、毎日、読売といった全国紙の記事はなかったのでしょう。

 それでも、読み応え十分です。しばらく、楽しめそうです。

*右から、庄和町の自然史Ⅱ、同Ⅰ、庄和町の絵馬・扁額(写真集)、新聞資料。
*真剣には読みませんが、庄和町遺跡(貝塚)の発掘調査報告書5冊。