ジャズまつりには、皆で“C ジャム・ブルース”(2007.9.29)

2007-09-29 19:20:40 | Weblog

10月21日(日)の“Swing Swing Swing=正風館ジャズまつり”の開催まで、1ヶ月をきりました。

埼玉県東部地区の3つのビッグ・バンドが、一堂に集まって、競演・共演しようとするものです。
参加バンドは、私らスウィング・ベアーズ(旧庄和町)、ドリーム・スイング・キングダム(春日部市)、オール・スウィング・ジャズ・オーケストラ(越谷市)<写真上から>で、この順番に30分ずつ演奏、そうして、3バンド合同、皆でおまつり演奏を30分。
ただのジョイント・コンサートを超えて、皆で燃えるおまつりコンサートにしたい、なるでしょう。

*開催日時;2007年10月21日(日)、開場;午後1時、開演;1時30分。
*会場;正風館ホール(庄和地区公民館)、東武野田線南桜井駅下車、徒歩6分
*むろん 入場無料です。

参加バンドから、演奏予定曲が届きました。
このブログでも、“Swing Swing Swing=正風館ジャズまつり”での、演奏曲を紹介しながら、ビッグ・バンド・ジャズの楽しさを書いていきます。

ビッグ・バンド・ジャズといえば、グレン・ミラー、カウント・ベーシー、ベニー・グッドマン、デューク・エリントンの名前が出てきます。それぞれ超有名なビッグバンドのリーダーです。それぞれのバンドのサウンド、スタイルがあります。

スウィング・ベアーズのステージでは、これらのビッグ・バンド・ジャズの名曲を紹介しながら演奏していきます。

第一回の今日は、デューク・エリントンのお話です。
デューク・エリントンといえば、まず“Take the A Train (A 列車で行こう)”です。エリントン楽団のオープニング・テーマでもあります。
“A列車やってよ”とよくいわれます。
1941年2月が初吹き込み。A Trainは、ニューヨーク地下鉄のA号線のこと、ニューヨーク・グリニッチ・ビレッジあたりで演奏して(飲んで?)、さあA Trainに乗ってハーレムに繰り出そう、ということのようです。
ありとあらゆるバンドのスタイルの“A 列車で行こう”があります。
とはいっても、“A 列車で行こう”は、“あの”ピアノのイントロ、そして、ペットのソロが聞かせどころです。今度のステージで演奏するドリキンさんは、イントロを延長して1コーラス分のピアノ・ソロが入ります。

フィナーレ近くの合同おまつり演奏の中でも、エリントンをやります。
“C-ジャム・ブルース(The “C” Jam Blues) ” です。簡単なリフの12小節ブルース。この繰り返しをアドリブでまわしていきます。時間のこともあって各バンド、2人限定の6人がアドリブします。メンバーは、われもわれもと思っているようでもあります。会場全体が軽快に、楽しくスウィングしていくことになるでしょう。

エリントンは、他にもあります。ドリキンさんが、女性ヴォーカルの入ったDon’t get round much any more、ベアーズが、Mood Indigo(ムード・インディゴ)、I don’t mean a thing (スウィングしけりゃ意味ないね)を演奏します。

  【おまけ】
*皆さん、ぜひお出かけ下さい。入場無料、整理券などありません。駐車場もないわけではありませんが、駅から近いので、できれば電車で。お問合わせは、スウィング・ベアーズ(藤井;048-746-6909)。

*このブログの写真の、デューク・エリントンのCDは、“デューク・エリントン・ベスト(BVCJ-38189~40)です。RCA音源。日本編集盤だから安い2,100円、2枚組み40曲。そのうち“A列車で行こう”を含め5曲は、2つの演奏バージョンが入っています。


今日は中秋の名月ですが、満月ではないのです(2007.9.25)

2007-09-25 23:50:38 | Weblog

*ウチのデジカメはこれが最大です。中秋の名月の日なのですが、満月ではないのです。

ブログ・ネタもないし、今日のブログはやめようと思ったのですが、夜空を見たら月がとてもきれいなのです。
今日は、旧暦の8月15日、中秋の名月です。なんとか、月の写真を貼り付けてブログにすることにしました。

ところがです。じっと見ていると、どうも満月ではないのです。
中秋の名月、旧暦の15日の月は、満月ではないの?

 *旧暦カレンダーの8月です。17日が満月になっています。

わが家には、旧暦カレンダーもあって、それをみると、間違いなく、新暦9月25日は旧暦8月15日で、中秋・芋名月と書いてあって、中秋の名月の日です。
そして、満月は2日後の旧暦8月17日、新暦9月27日になっています。

この辺のことを、ネットでちょこっと調べようとしたのですが、答えが見つからないなのです。

  【おまけ】
* 今年だけのことなんでしょうか。残り少ない今年のカレンダーをめくってみると、旧9月の満月は16日、旧10月の満月は15日、旧11月の満月は15日になっています。

* はい、昨日のブログは長すぎたので、今日は短めにしました。 この短さで、なんとか今日(25日)中にできました。今11時50分です。


お彼岸に、ストーン・ヘンジの模型を飾って(2007.9.24)

2007-09-24 11:44:04 | Weblog

*どちらが東西南北か、正確に置けないのです。ネットで調べてみます。模型の直径10cm。

昨日(23日)は彼岸の中日でした。近隣の市の三大ビッグ・ジャズバンドとのジョイント・コンサート(10月21日)開催を進めていて、最終ミーティングを持ちました。
ひとり、“お彼岸だから親戚に行ったり来たりで忙しいんだ”という人がいました。でもちょっと遅れて自家製のお団子(お餅)を持って駆けつけてくれました。

 “わたしゃ、わが家、お彼岸といっても、なんもしない”
お墓参りも、ご先祖にお供えも、まったく関係なし。ましてや、親戚が来たりなんてなしです。
この頃、としのせいか、ヒガンが近いせいか、“そのこと”をさびしく思うのです。子どもたちのお彼岸の行事を伝えて来なかったことにも悔いが残るのです。これも日本伝統文化です。

今日は、“おはぎの日です”だけでもいいのです。自分の家で作るといいなあ・・・・・。
秋の彼岸=おはぎ=粒あん、春の彼岸=ぼた餅=こしあん。
秋=萩の花=アズキがとれる季節、春=牡丹の花=新鮮アズキがない季節。

私は神も仏も・・・・信じます。何でも信じます。子どもの頃、里山で遊んでいても、真っ暗な夜道にも、そこに居そうと思っていました。お寺の板壁に描いてあった“地獄・極楽の絵”には、目をそむけてきました。

“なぜ、ここにお宮があるのか、お寺があるのか”という伝説風の話は、好きでした。 “江戸川大改修に伴って神社が移転”というわが町の話には、霊験あらたを感じません。

もっともっと昔、神代の話です。私が好きな話は、米作りに不可欠な暦(季節)を知るために、夏至・冬至・秋春分を、太陽の入り出の風景の位置から知ることです。
あの山から出れば、春分という話です。それが、あの尖った山から出ればと、明確に判断できればいいのです。そういう風に見える場所に、観測の役目を果たす所を、特別な場所とした、神聖な場所、それが次第にお宮になっていく。そういう話が好きだったのです。
山を歩きながら、岩を組み上げた“岩くら”風な場所があったり、そこに注連縄でも見たら、もういけません。深く手を合わせてしまうのです。

*“知られざる古代”の2冊。今読んでも、とても面白いです。

 私に、明確に教えてくれたのは、NHKのテレビ番組、<知られざる古代“謎の北緯34度32分をゆく”>です。北緯34度32分線上に、東は、伊勢湾の神島、伊勢斎宮跡から、奈良盆地の三輪山、箸墓から淡路島に至るまで、古代遺跡が連なるという話です。
チーフディレクターの水谷慶一さんは、この後、朝鮮半島での同様の話を番組にしています。<続知られざる古代“龍王のきた道”>です。いずれも、太陽神、太陽信仰を思い起こします。

*左;謎の北緯34度32分線がわかりますか。右;テレビ番組作成のきっかけとなった、写真家小川光三さんの“大和の原像”。

秋・春分の日は、そういう日です。真西に沈む陽を拝み、はるか彼方(かなた;彼岸ひがん)に西方浄土を思う気持ちは、私にもあります。海に沈む夕日を見ると、涙ぼろぼろ気分になりますし、山頂でご来光を見ると、勇気りんりんになります。

季節・暦のために、太陽の動きを観測する施設(太陽信仰と深い祭祀場)は、古代世界の中にいたる所にあるようです。
最も有名なのが、英国のストーン・ヘンジです。 20年ほど前に、仕事でロンドンにいた時、現地法人の社長が<どこか行きましょうか>と言ってくれて、ロンドンから遠いことを承知で、ストーン・ヘンジと答えて、つれていってもらいました。車で2時間ぐらい。
突然、巨石群があらわれて、感動はしたのですが、どこにいってもおきる<これか!>というだけの感じでもありました。そもそも出張中ではしゃげないのです。
ここでは、紀元前3000~全1000年ごろに建てられたとだけにします。その目的も正確にはわかっていないようです。

 *右下が東北です。

おみやげに、ストーン・ヘンジの模型を買いました。
太陽の観測台だぞ!といいながら、この模型を、東西南北、正確におくことができない、と今、気がついたのです。
それすら、わからないようでは、毎年のお彼岸に取り出し飾る習慣を作っても、子どもらに“うんちく”を語ることもできません。
もっとも、子どもも大きくなって、もう聞いてくれるとは思いませんが。


今朝のコーヒーは、ミッキーマウス印です(2007.9.21)

2007-09-21 17:40:14 | Weblog

久しぶりに、コーヒーの話題です。旅が仕事の息子の海外でのお土産にコーヒーが多くなっているのです。

昨日(20日)、ロスとラスベガス8日間の旅から帰ってきました。
音楽系の専門学校の研修だそうで、プロをめざす若者30名と一緒だったようです。午後7時ごろ帰ってきて、すぐに“寝る!”と言って寝てしまった。時差ぼけ解消には、飛行機で寝ないことが一番です。

朝の出勤前に、置いていったお土産が、ミッキーマウス印のコーヒーでした。
息子の自由な時間は、若者たちをディズニーランドに送り込んだ後の時間だけだったとのことです。まあ仕事だから、当然といえば当然です。

コーヒーファンの私には、珍しいブランドのコーヒーです。
ラベルだけかもしれません。東京ディズニーランドにもあるのでしょうか。知りません。

MICKEY’S “REALLY SWELL”COFFESと書いてあって、缶は3つで、DISNEY BLEND、FRENCH VANNILLA、HAZEL NUT です。フレンチ・バニラは、わかるとして、ヘーゼル・ナッツってなんだったかな。辞書をひくと、“ハンバミの実”だそうで、余計にわからない。
明朝まずは、ディズニー・ブレンドから飲んでみよう。

 Made in USA そして、100%アラビカ(Arabica)豆と書いています。
最近、春日部でフェア・トレードのコーヒーを扱っている方を知ったのですが、フェア・トレードと最も反対の位置にあるのが、ミッキーマウス・コーヒーかもしれません。

そのうち、春日部フェア・トレードのコーヒーに変えるとして、まずは、ディズニーランド土産のコーヒーを飲んでみましょう。すぐになくなるから、フェア・トレード・コーヒーはそれからです。

  【おまけ】


*Korean-Airの機内食です。ちょっと想像出来にくいですね。お国柄ですね。機内食はいつも楽しみです。

*デジカメの写真に、機内食の写真がありました<さすが私の息子!>。
Korean-Air(大韓航空)だそうです。ビビンバが美味しかったよ、と言っていました。私は、Korean-Airに乗ったことはありませんが、朝鮮焼肉は、現役の頃に、よく行きました。しばらく行っていないなあ。


うれしい芋虫の絵はがき、切手は裏に、でも着いた。(2007.9.20)

2007-09-20 16:43:58 | Weblog

*芋虫の左肩に切手をはってます。

ほとんどウチの中ですごしていると、郵便屋さんのバイク、朝日も日経も、夕刊配達のバイクの音は、すぐにわかります。
郵便バイクがウチに止まると、すぐにとりに出て行きます。通信手段が郵便しかなかった時代も、すっかり郵便を使わなくなった今も、日々郵便がきたらしいと感じたときの、わくわくする気持ちはかわりません。

いつも期待は裏切られます。商品のダイレクトメール(最近は、お彼岸前だから墓地の案内)か、クレジットカード、電話会社の内訳のたぐいです。しかし、ごくごくたまに、定年退社のご挨拶状、や知人の個展案内が届きます。
こちらが出さないのに、手紙がくるわけはないのです。
(信州に一人暮らしをしていた2年間は、まったくと言っていいぐらい郵便はきませんでした)

昨日(19日)に、思いがけない人から絵はがきをもらいました。
消息を知らせてくれたのです。子どもの頃から、虫が大好きだった人らしく、芋虫の絵はがきでした。しばらく見ていたら、 The Very Hungry Caterpillar の文字の、キャタピラってなんだったかと思い始めました。トラクタのキャタピラかなあと思い、辞書をひいてしまった。芋虫・毛虫そのものがキャタピラだったのです。
なるほどトラクタの車輪部分の動きと芋虫は同じです。この絵の絵本に記憶があります。

そうして、おもしろいのは、芋虫の左肩に“50円”の切手が貼ってあることです。
宛名書きの所ではなく、絵はがきの裏(絵の面)に切手が貼ってあるのです。これでよく届いたなあ。切手にはちゃんと消印がおしてあります。
宛名書き面(表面)は、私信ですので、ここに貼り付けることはできませんが、宛名の所に<切手裏面添付>という、赤いスタンプが押してあるのです。
スタンプがあるということは、けっこう、こういう人がいるのでしょう。

*郵便局もかなり親切です。

ハガキの2/3ぐらいぎっしりと書いてくれて、残り1/3が宛名と自分の住所と名前です。切手の貼るスペースがないのです。だから“50円”切手は裏面なのです。
間違いなく届いたから、なんの問題もないのですが、なんか、おもしろいなあと。

絵はがき着いたよ、と携帯メールを送ったあと、こちらも絵はがきを送ろうと思ったのです。
信州の友人もまた手紙など、たぶん日々来ないのに違いないと思ったのです。


アメリカ放浪、ナッシュビルでディランの帽子にふふふ(2007.9.18)

2007-09-19 09:37:41 | Weblog

ナッシュビルのテネシー州立ミュージアムで、テネシーの自然・歴史の展示を見ていたら、ガラスの箱の中に帽子がひとつ展示されていた。

“えっ、ふふふ・・・”と口元がゆるんだ。懐かしさがこみ上げてきた。
70年代にボブ・ディランが、ローリング・サンダー・レビューと名づけた全米コンサート・ツアーで、かぶっていた花かざりについた帽子なのです。
日本の私らには、雑誌のグラビア写真でしかしらないのですが、それでもしっかり覚えているディランの帽子なのです。

ガイドブックの指示どおりに見てまわる旅には飽きていて、むろん探していたわけでなく、ふっと出会ったのです。親しい古い友人に、思いがけなくであったような気持ちだったのです。

ひとり旅です。そのおり、このことを誰にも伝えることはできません。
たかだか帽子ひとつの話で、このはしゃぎようが、おかしい。
まあ、普通には、“馬鹿みたい!”でしょうね。

60年代、私は、アメリカの公民権運動、ベトナム反戦運動をはるか日本から見ていました。そこでは、同世代の若者が歌っていました。私も、大阪でギターを買って歌おうと思っていました。

この間のブログ<ここです>に書きましたが、黒人解放運動(公民権運動)の一番大きな集会は、ワシントン大行進です。ジョーン・バエズ、ボブ・ディランが歌いました。1963年です。

それから、ディランは、急速に社会運動の現場で歌うことをやめていきます。
そのことについては、いろいろ言われてきました。
公民権運動(黒人解放運動)の中では激しい衝突がありました。多くの犠牲者を生んでいます。特に黒人解放運動の“白人の応援者”が標的にされてきました。アメリカは、今でも銃による秩序維持社会です。
今度のアメリカ南部の旅で、50-60年代の激しい黒人運動の現場(今や史跡)を訪ねていて、その恐怖を深く感じることができました。
1964年、黒人解放を示したケネディ大統領もまた射殺されます。指導したマルチン・ルーサー・キングもまた射殺されます。

わずか22歳で、アメリカの分岐点となる集会で20万人の前で歌った、いうならば頂点にたったボブ・ディランが運動から離れていくことも必然でしょう。
今となっては、十分に理解できます。
しかしジョーン・バエズは、志を持続させていきます。

ディランは、音楽的には、フォークからロックのリズムに移します。1960年代の後半には、世間の前から姿を消します。そして再登場は、ナッシュビルのサイドメン(伴奏者)を使ったカントリーミュージックのスタイルだったのです。カントリー・ロックといわれ、ナッシュビル・サウンドといわれました。

日本で、レコードがアメリカとほぼ同時期に発売されるようになったのは、70年初頭からです。私が、ディランのLPを発売と同時に買うようになったのも、ここからです。LPのタイトルは、“ナッシュビル・スカイライン”です。
今でも、ナッシュビル・サウンド、カントリー・ロックが一番好きです。

ナッシュビルには、カントリー音楽の殿堂(Country fall of fame)があります。カントリー音楽の歴史ミュージアムです。半日入り浸っていました。
むろん、ディランの展示があるわけではありません。
売店でお土産探しに夢中になっていたら、壁に“ディランの使っていたハーモニカ”と“歌詞をメモしたノートの切れ端”がはってありました。
<おっととと・・・・これは・・・・>という感じで嬉しくなりました。
ディランが始めた(ひろめた)カントリー・ロックのナッシュビルだったなあ。

 *ディランのハーモニカとノートのメモ。

そうして、街をふらふらしていて、立ち寄ったテネシー州立ミュージアムで、ボブ・ディランの帽子に出会ったのです。

  【おまけ】

*ずっと後になって、公式発売された、“ローリング・サンダー・レビュー”。CDにDVDもついていました。

*この帽子をかぶってボブ・ディランが登場したローリング・サンダー・レビューは、1975年頃です。その頃、日本では雑誌の紹介記事だけの情報でした。公式のレコードは発売されませんが、後に、海賊盤(ブートレッグ)がやたら売られていました。たくさん買っていました。
ずっと後になって一度、テレビでコンサートが放映されました。タイトルは“激しい雨”。映画館上映の記録(?)映画もありました。タイトルは、“レオナルドとクララ”。

*このコンサートツアーは、10年ぶりの、ジョーン・バエズと一緒のコンサート・ツアーでもあって、私を喜ばせました。ディランは、顔を白く塗っています。1920年代のアメリカに、白人が顔を“黒く塗って”、黒人の道化をみせる、“ミンストレル・ショー”という旅まわりショーが大人気だったようです。ディランは、顔を白く塗ったのです。黒人解放運動の影を引きずっていたということかも知れません。


アメリカ放浪、ボブ・ディラン・スクラップブックを買った(2007.9.17)

2007-09-17 17:11:13 | Weblog

*ボブ・ディラン・スクラップ・ブック

久しぶりにアメリカ放浪の話に戻ります。
旅に出ると、すぐに本屋に入りますと書きました。本やレコードは見つけたときに買っておかなければ後悔するという、信念があるのです。外国ならなおさらです。1ヶ月ほど安宿をさすらう旅では、本の量(かさ)そして重さがこたえます。無収入者の貧乏旅行者ですし、我慢、我慢、買わないぞ、が必要なのです。
ある時、日本に帰ってからネット(Amazon.com)で買えばいいことに気がついたのです。本の名前などメモしておけば、いいのだと気づいたのです。
それでもこの旅で、10冊ほどの本、10枚ほどのCD、2枚のDVDを買ったのです。

日本に帰って、すぐにAmazonに注文したのが、Bob Dylan Scrapbook, 1956-1966です。サンフランシスコのCD屋で見つけたものです。
こんな本、私の現役時代なら、銀座イエナにいけば、確実に並んでいました。今、イエナがありません。イエナに代わる洋書屋を知りません。こんな本を丸善は扱いません。
ボブ・ディランは、私が、その昔に、いささか夢中になっていたフォークシンガーです。

この間の、アメリカ南部放浪の旅の目的のひとつは、60年代の黒人解放運動(公民権運動Civil rights movement )の史跡を訪ねることでした。
バーミングハム、モントゴメリー、 燃え上がった運動の現場に立ち、モニュメント、記念館に立ち寄ってゆっくり見て考えてこようと、思っていたのです。
60年代に、激しく衝突した現場は、若い(私と同年代の)フォークシンガーが歌っていたところでもあります。

1963年8月28日、マルチン・ルーサー・キングを先頭にして20万の人々がワシントントン集会を目指しました。ワシントン大行進(Mach on washington)です。

ニューヨークタイムズ(63年8月29日付)の1面の縮刷版があります。

埋め尽くす民衆を前に、マルチン・ルーサー・キングは、有名な“I have a dream私には夢があります”の演説をします。レコードで聞いてさえ、感動を呼ぶ魂の叫びです。その演説の前に、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランも20万人に歌いかけます。
わずか23歳と22歳です。今、この年齢、この若さだったのだと、ことさら思ってしまいます。

*ジョーン・バエズとボブ・ディラン(ネットからの写真)
ジョーン・バエズが歌ったのは、We shall over come です。
ここで黒人は勝利し、アメリカ社会は、大きく変わっていったのです。

*Folkways records FH 5502

記録したレコードが出ています。タイトルは、We shall over come (Documentary of the Match on Washington) (Folkways records FH 5502) 。
CDになっているかも知れません。探しているのですがわかりません。

一昨日(9月15日)、7月初めにAmazon。comに頼んでいた“ボブ・ディラン・スクラップブック”が、届いたのです。2ヶ月半かかったのです。
Amazonは,いつもは一週間もすれば届きます。あまりに遅いので8月中旬に問い合わせをしていました。途中で事故でもあったのでしょう。

ただの本や写真集では、ありません。1956-1966の10年間のディランのノートの切れ端や、コンサート・チケット、宣伝チラシが復刻挟み込まれているのです。
本物のコレクションのかなわない私には、まさに宝箱なのです。

ひとつだけ紹介します。ワシントン大行進のステージパスが入っていました。
今でいえば、首からつっているスタッフ証です。おお、これが本物かと感動したのです。むろん、レプリカですが。

 *左は、ワシントン大行進のステージ・パス 右は、風に吹かれて の歌詞を書いたノート。
*ジョーン・バエズ、♪We shall over comeを歌う。(ネットからの写真) 

家人が留守の今日、さっきギターを出して、胸のポケットにステージパスを入れて、♪We shall over come を、声をはりあげて歌いました。
その昔、大阪で歌っていたようにです。もう40年も前のことです。

   【えらそうなおまけ】

*けっこうたくさん本の名をメモしてきましたが、例えばカリフォルニア大学バークレイ校の生協の本屋で、メモした60年代の同校での社会運動関連の本の4,5冊など、2ヶ月たった今、一冊も注文していません。結局、不要な本ということなのでしょう。

*やっぱり本というものは、出合った、見つけた瞬間に衝動的に買うというのがいいのです。本との正しい出会いなのです。


市民参加条例制定の裏に、何が隠されているのだろう(2007.9.14)

2007-09-14 18:37:08 | Weblog

*2年前の10月1日、庄和町は春日部市になりました。そのとき発売された“記念ビール”です。

もう4,5日前のことです。春日部市役所別館5階で、市民参加推進担当のお手伝いをしていました。
終わって夕暮れ、眼下に広がる春日部市に見とれました。高い所からの街の風景を何年も忘れていて、夕暮れの感傷もあって、ちょっとだけいいなあと思ったのです。
こうして私も、庄和町民から春日部市民になっていくのでしょう。

市民参加条例制定に向けて、市民の声を集める作業に関わっているのです。
知人がやらない?と誘ってくれたのです。正式な名前は、春日部市市民参加条例検討ワークショップという長たらしい名の集まりです。

8月中旬、30人近い市民が集まっていまして、1/3は市民活動団体からの推薦参加者、残りが応募者です。友人2人の他、町で見かけたことのある人が3,4人。
初日は、春日部市の市民参加について、それぞれの実感を話し合いました。活動団体の人はもちろん、普通の人も、<何かしらの活動>の長い豊富な経験をお持ちなのです。
まいったなあ。私など、とてもとても、公民館へバンドの練習に通っているだけ、とは恥ずかしくていえません。
世のため人のため地域のためなんて、何にもないのです。場違いだったなあ。

市役所が、市民参加条例を作るというのです。そのために市民の考えを集める、意見を出し合うのです。私は、話すこともなく聞き役にまわっていたら、皆の雑多な発言を整理するはめになってしまったのです。
それで、初めて春日部市役所の玄関に入りました。しかし、まっすぐ通り抜けるだけで、裏の別館の5階にいったのです。

市民が、役所に<市民の声を聞いてほしい><市民の立場に立った行政をやってほしい>と懸命に訴えても、適当にあしらわれるのが、通常の市民参加の形でしょう。ところが、この市民参加条例は、役所の方から作ると言い出したのです。市民から、そういう要望が湧き上がったのではないと思うのです。

しかも、全国多くの市町がいっせいに始めている。
<これは、市民に言わない裏があるのではないか>、<役所は、これから市民に何をやらせようとしているのだろうか>

ここ10年、お上がすごく簡単に作ってしまう法律には、必ず裏があって、社会は悪くなる一方ではないか、と、ヒネクレ者になっている私は、そう考えてしまうのです。

そういう視点で話を聞いていこうと、3,4回通ったのです。
やはりありました。悪名高き??構造改革というお上の方針です。市場原理・競争原理につながり、自己責任と言う言葉が出てくるのです。民間企業の話でなく、地方の公共の団体(市役所)も、公共分野も、この原理で進め!という方針のようです。

そして、どこかの大学の先生が、<市民参加条例は、自治体と市民との関係を再構築しようとする条例として位置づける・・・・・>書いていました。

<おお、またまた再構築か・・・>。10年ほど前、民間企業の中で、再構築(リストラクチャア)という言葉が金科玉条のように叫ばれました。そして、リストラの嵐が日本を覆ったのです。

・・・・・という、ねじれた視点でなく、市民参加条例を、市民運動・市民活動の天国・極地として、すばらしい、夢の市民参加を考えましょう。

*初めて春日部市役所の行った時の記念写真です。

春日部市市民参加条例についての、市民向けの“説明会”“発表会”が、この週末、9月16日(土)午後2時から、春日部市教育センター(ロビンソンの近く)で開かれます。出かけてしっかり聞きましょう。2,3日前のブログに書きました。<ここです>

私も出かけます。ひょっとすると、市民生活の大きなターニングポイントになるかもしれません。 そういう予感がするのです。


9月11日は、ニューヨークを思って雑誌もニューヨーク特集(2007.9.11)

2007-09-11 20:49:43 | Weblog

*左は、ローリング・ストーンの2001年10月号。

ブログをはじめて1年少々です。昨年も同じように書いています。<ここです>

雑誌のニューヨーク特集は、必ず9月号なのです。
雑誌に、ニューヨーク特集、読書特集があると、ついつい買ってしまうのです。
今月初めから、TSUTAYAに並んでいるなと思いつつ、やり過ごしていたのですが、今日9月11日に、とうとう買ってしまいました。
芸術新潮(だから高い)の全一冊<ニューヨーク・美術館をめぐる冒険>。
ほんとに泣かせるタイトルです。・・・・もう行くことないだろうな・・・・下の息子(広告制作の)が喜ぶだろうから、まあいいか・・・と、ぶつぶついいながら帰りました。

2001年9月11日、日本時間夜10時過ぎ、ニューヨーク集中テロが起こりました。
ニューヨークは、9月11日朝8時過ぎです。その夜は、朝までテレビを見ていて、ほぼ寝ずに出勤でした。私のいた会社は大騒動でした。その頃、“窓際”に座っていた私の<最後の大仕事>、緊迫の一週間になったのです。
去年も、少し書いていますから重複します。
<昨年の9月11日のブログはここです>

*2001年9月12日付け日本経済新聞(13版1面)。

9月11日以来、世界は大きく変わったように思います。
翌(2002)年春に、完全自由の身になった私は、旅三昧で意味なく暮らしていました。
大学4年だった上の息子が夏休みにアメリカを一ヶ月ほどブラブラすると聞いて、9月11日には、ニューヨークに来るように計画させ、私も9月9日だったかに、ニューヨーク入りしました。
9月11日、ニューヨークの真ん中のタイムズスクエアのホテルを朝4時に置き、南端のグランドゼロの現場に歩く市民の行進に入り込みました。グランドゼロに8時に到着。
1年目の9月11日のその時には、米国集中テロの現場にいようと思っていたのです。

あれから6年。その日、1年目のその日に持った高揚した気持ちはすっかり忘れてしまったかもしれません。
ただ、この日だけは、<世界、地球でなく人が作る世界>を思うことを続けていきたいと思っているのです。

  【おまけ】

*お久しぶり有働由美子アナウンサー。

*9月11日午後7時のニュース。グランドゼロの様子を伝える現地からニュースに、有働由美子さんが登場しました。
今年の6月にニューヨークに赴任したという新聞記事を読んでいたのですが、その後全く登場しないので少し気になっていたのです。ごひいきとはいえ有働アナウンサーの登場をブログに書く人もそうはいないでしょう。

*おかげで、なかなかよかった芸術新潮の全一冊特集<ニューヨーク・美術館をめぐる冒険>を紹介するスペースがなくなりました。明日にでも書きます。


春日部ドリーム・スイング・キングダム、さいたまJAZZ dayで見事な演奏(2007.9.9)

2007-09-09 22:10:42 | Weblog

*ドリーム・スウィング・キングダムのステージ。

今年の、さいたま新都心JAZZ dayは、昨日(9日)と今日(10日)です。
今朝、早くから行こうと思いながら着いたのは、昼1時すぎ。ケヤキ広場のビッグバンド・ステージには、東京の小学生バンドが演奏中だったのです。4,5,6年生だという、<やるなあ>。

真上からの夏の日ざしは強く、ステージ前真ん中の椅子席は、ガラガラ。皆、木陰に移って聞いていました。

私らスウィング・ベアーズは、今年不参加で、会場の手伝いもなく、木陰に椅子を移動し、どっかり腰掛けて社会人ビッグバンドを楽しみました。
まあ気楽でいいのですが、おまつりに出演参加しないのは、やはりつまらないですね。

4時からは、エスカレーターで地階(1階?)に降りて、コンボバンド・ステージに。
お目あては、練馬バンドという名で出演の五十川さんのバンド。去年、ここコンボステージの会場係でPAをやっていて、素晴らしく楽しかったのです。
今年も、おっさんスタイルでトロンボーン。オール・オブ・ミーのヴォーカルは、ご愛嬌だが(すんません!)、まさに本物の楽しいステージでした。

5時20分、再び地上に上がってビッグバンド・ステージ。まん前に席を取る。
今年のJAZZ dayで最後に登場した春日部市のドリーム・スウィング・キングダムのステージです。
さしもの夏の日も西に傾き、ステージ照明が輝きを増します。
アロハ・シャツで登場。このJAZZ dayを中心で進めた成田さんが、JAZZ Dayへの思いを重ねて、吹きまくります。

*引っ張る成田さん。

共催のアリーナの会社から希望曲であったという、Take the A Train(A列車で行こう)が始まります。最初1コーラスをピアノが歌うデューク・エリントンのスタイル。その後に続く、るみ(?)さんヴォーカルの3曲もいい。
気がつけば、ステージ前席はもちろん、周囲の立ち見もぎっしりとお客さんで埋まっています。

オーラスのグランド・フィナーレは、イン・ザ・ムードです。ステージと会場が一体となります。
そして、静かにというより力強いムーンライト・セレナーデで、それぞれが来年のJAZZ dayでの再会を思いながら、今年のJAZZ dayは終わりました。

スタッフの皆さん、お疲れさまでした。

ドリーム・スウィング・キングダム(春日部市)は、来る10月21日に、地元の庄和地区公民館での正風館ジャズ・まつり(スウィング・スウィング・スウィング)で、その見事な演奏を披露してくれることを確信した一日でした。10月21日の演奏を期待しましょう。

  【おまけ】

*一方スウィング・ベアーズは、静かに幕が上がるの待ちます(9月8日のステージ)

*正風館ジャズ・まつりに、ドリーム・スウィング・キングダムを迎える、私らスウィング・ベアーズは、今年のJAZZ dayを欠席し、8日は、チャリティ・コンサートに出演していました。


スウィング・ベアーズも、9月8日の「小さな命」を大きな愛で救おうコンサートに出演(2007.9.7)

2007-09-07 16:50:17 | Weblog

正しいコンサートの名称は、<第2回「小さな命(不幸なワンちゃん、ネコちゃん)」を大きな愛で救おう!チャリティコンサート♪>です。

 <罪もなく殺処分されてしまう犬や猫が年間約60万匹もいます。虐待を受けて心に傷を負っている仔も少なくありません。そんなワンちゃんやネコちゃんを少しでも救いたい!何か私にも力になれることはないのだろうか・・・・・>と思った、同じ旧庄和町(現春日部市)に住む、石坂恵美さんの呼びかけに、応えて出演します。

*8月23日毎日新聞に登場の石坂さん。

 日時;2007年9月8日(土)午後1時30分~
 場所;春日部市中央公民館(東武野田線・八木崎駅下車、徒歩3分)
 チャリティ料金;大人1,000円、小人500円

 出演順 スウィング・ベアーズ(ジャズ)
      渕田 和子(オカリナ)
      渡邊 重信(シンガーソングライター)
      樽見 康隆(オカリナ)
      ブリランテ(ヴィオリラ) 
      BUCK YOUR LUCK(ジャズ) 
      風(フォン)(コカリナ、オカリナ、キーボード)

   【おまけ】

* 台風が通り過ぎました。この地域にさほどの被害もなくやれやれでした。しかし、台風はそのまま北上。東北から北海道へ。

* 私らスウィング・ベアーズのドラムさんは、明日は仕事で参加できないので、今転勤で札幌に住んでいるHさんを頼んでいたのです。

* 飛行機は飛ぶのだろうか。Hさん来れるだろうか。午後4時現在、まだわからないのです。

* 15,6人編成のバンドというと、その日仕事で都合がつかないなんてことは、ままあるのです。万一に備えてドラムさんを探さねばなりません。
春日部のスウィング・キングダムさんは、さいたま新都心JAZZ DAY (8,9日) <詳細はここにあります>に出演です。
越谷のオール・スウィングさんは、8,9日両日、草加のアコス・ホールで、ふたつのイベントに出演なのです。

* 私に、これ以上、ドラムさんを探すすべはありません。飛行機が飛ぶのを祈るだけです。

*ここにあげた、埼玉県東部地域の3つのビッグバンドは、正風館ジャズまつり<スウィング・スウィング・スウィング>で、共演・競演のジョイント・コンサートに集まります。 
  10月21日(日)開場:午後1時、開演:午後1時30分 
  会場;庄和地区公民館(正風館)ホール(東武野田線・南桜井駅下車6分) 
  <ここを参照して下さい>


春日部市市民参加条例に向けて、9月16日の市民発表会に行こう(2007.9.6)

2007-09-06 16:07:27 | Weblog

*春日部市民ですが、まだ入ったことのない春日部市役所

<春日部市役所では、市民の行政への参加を積極的に進めていくために、市民参加の考え方や参加方法を具体的に定める「市民参加条例(仮称)」の制定に向けて準備をしています>

市民自身が、積極的に春日部市政に発言・参画していくことのベースとなる市民参加条例について、勉強し、意見をいうこともできる市民発表会が開かれます。

*公民館などにおいてあるチラシ

参加して、3月議会制定を予定している市民参加条例が、市民側からみて意義あるものにしていきましょう。

春日部市の行政が、春日部市民のためになされていることは、ごくあたりまえのことです。なぜ今、市民参加のための条例なのでしょう。
ともかく、この条例は、行政が市民の声を常に聞くという表明なのです。
こういう機会(チャンス)は、そうはありません。

市民参加とは何でしょう。市民自身が考え、まわりの市民と意見を交換し、この条例つくりに発言し、しっかり見守ることが大切です。

そのことが条例制定後、市民のための運用に、つながっていくのです。

――――と、このブログでも<いつもと違って、少しまじめに>呼びかけます。

すでに、案内のチラシが公民館などに置かれています。

 日 時 ; 9月16日(日)午後1時30分~4時
 会 場 ; 春日部市教育センター 2階 視聴覚ホール
 内 容 ; ①“市民参加条例について学ぶ”明治大学教授 牛山仁彦先生
         ②ワークショップ市民参加者による発表      
        ③その他(質疑応答、意見交換など)

 申込み ;  当日受付も可となっていますが、
        主催者は事前申し込み(電話、FAX、メール)を希望しています。

    申込みと問合わせ;春日部市役所 市民参加推進課 
     Tel ; 048-736-1111 内線2835
     Fax ; 048-736-3825
      Eメール; sanka@city.kasukabe.lg.jp

   【おまけ】

*春日部市でもっとも大事な、春日部市総合振興計画が、この間(8月)に決まったようです。


入院中の知人から今年も、今とれたお米(2007.9.5)

2007-09-05 08:07:02 | Weblog

*新米は、ほんとにおいしいのです。

今年は夏休みの名残りだったのですが、9月1,2日の週末は、当地・庄和町(春日部市庄和地区)では、稲刈りが始まっています。
岡山の田舎育ちの私には、50年前の稲刈りは、秋10月だったはずです。農繁休暇というのもありました。当地での稲刈りは、8月終わりから9月の初旬です。岡山からずっと東という稲刈り前線の違いか、早稲品種の改良か、<早い出荷は値がいいので>か、稲刈りが早いのです。

だから、私らのバンド、スウィング・ベアーズのメンバーにも、週末農家の“晴れたら稲刈り”さんがいるのです。今週末(8日)には本番(頼まれ演奏)があるので、雨を祈っています。

昨日(4日)宅急便が届きました。お米でした。まさに、超・超新米でしょう。昨年は、わざわざ持ってきていただきました。
去年もブログに書いています。<ここです>

送り主は、今入院中のKMさんでした。 3ヶ月ぐらい前に、入院の噂を聞いていて、すごく気になっていた方なのです。<どなたとも、面会はできない>と聞いてなおさら、なんとかお話できないかと、思っていた矢先だったのです。おそらく、ご家族が送って下さったのでしょう。

庄和町役場(教育委員会)にお勤めでした。ある町民組織というか、グループを立ち上げられた時からの縁です。もう7,8年前のことです。そこに集まった、集められた多士済々の町民さんは、まさにKMさん一家になりました。

町が春日部市と合併し、組織は解散を余儀なくされましたが、それぞれは、それぞれの世界に戻って、それぞれの立場で、それぞれの形で、地域を支えています。
私の町の友人には、ここで初めて知った人が何人もいます。

KMさんが、春日部市教育委員会に移って、また同様(いや、もっと格上)の集まりに呼ばれました。そして一年、この春に新しい職場に移られて、しばらくして入院の知らせを聞いたのでした。

時々、働きながら身体を壊した“同僚”のことを、私に話しながら、気遣っておられました。役場に勤めていたHAさんの訃報を、一番に私に知らせて下さったのもKMさんでした。

ご自身が入院の報に、私は、言葉を失っていました。
“うたれづよい方”と思っていたのですが、やさしい方だけに心労も多かったのでしょうか。
KMさんの本復を祈るだけです。


スウィング・ベアーズ、次は三大ビッグバンドが集まる正風館ジャズまつり(2007.9.3)

2007-09-03 16:00:24 | Weblog

*開場5分前のステージ練習

春日部市庄和地区公民館まつり(1,2日)が、まずまず盛況のうちに終了しました。
私らスウィング・ベアーズは、2時15分からスタート。500人入る公民館ホールに、300人の入りでしょうか。いつも楽しんで下さる、<楽しみしているんですよ>の皆さんです。感謝です。 50分ほどの演奏は、そこそこバッチリと書いておきます。

さあ次は、10月21日(日)の正風館ジャズまつり“スウィング・スウィング・スウィング”です。
ご近所、埼玉県東部地域の“三大(といっても他にないかも)ビッグバンド”が集まって競演・共演ジョイント・コンサートをやります。そして最後に、全メンバーがステージ上で、こぼれ落ちた人はステージ下で、お祭り大合同演奏を計画しています。


出演は、オール・スウィング・ジャズ・オーケストラ(越谷市)、ドリーム・スウィング・キングダム(春日部市)、そして私ら、スウィング・ベアーズ(旧庄和町)です。

正風館で“ジャズまつり”です。とんだ飛び入りさんやハプニングが出てくるおまつりになりそうな気がします。
もちろん入場無料(大丈夫かな~~~会計さん!)です。

昨日の公民館まつりのステージでは、しっかり宣伝させてもらいました。
プログラム裏にも刷り込みました。はじめて世間に知らせたのです。
早くあちこちで宣伝、それに練習しなければ。もう1ヶ月少々しかありません。

皆さん、ぜひ手帳やカレンダーに印をして、10月21日(日)にお出かけ下さい。
開場1時、開演1時30分。終演は、一応4時30分のつもりです。
場所は、正風館(春日部市庄和地区公民館);東武南桜井駅下車・徒歩6分。

   【おまけ】

*今日のデザート;こちらは、本番5分前。“わんぱく音遊び+音の広場”のステージそで。


春日部市庄和地区公民館まつり、秋なのにススキがない(2007.9.1)

2007-09-01 20:52:43 | Weblog

*百千鳥のお抹茶カフェ(町にススキがないのです)

今日と明日(1日、2日)は、春日部市の庄和地区の公民館まつりです。旧庄和町の時代には、正風館まつりと呼んで、春に実施していたものです。

朝から、細かい雨が降ったりやんだりでしたが、猛暑でもなく、210(二百十)日の台風の心配もなく、盛況のうちに第一日が終了しました。

私らスウィング・ベアーズの登場は、明日(2日)日曜の午後2時です。
ベアーズ・メンバーの何人かは、朝から焼きそば係で奮闘しました。

3階の小さな会議室では、家人のグループ<百千鳥>が、お抹茶カフェをオープンして、気楽なお茶を楽しんでもらっていました。
お花は、萩とススキ。萩は、わが家の庭から持参。ススキは、若いメンバーが庄和町内を走りまわって、ようやく見つけたのです。田舎・庄和町だから、ススキなんて、どこでもありそうですが、どうもそうでもないようなのです。

お茶碗は、陶芸グループの皆さんの、今日、公民館まつりの販売コーナーで購入した作品も、使用したようです。
お菓子は、いつもの庄和町(米島)の新柳さんです。

1時半から2時間のオープンで、100人のお客さん。。
クローズ後の片付けに入った頃に、家人の知人がひょっこりと。<もう終わったのです。ごめんなさい>。
そして知人さんは、ススキをもらっていいですか?と、抱えて持って帰られたのです。息子さんが、勤めている福祉関係のイベントに使うために、ススキを探していて、見つからなかったという事情があったようです。
どこにもありそうなのですがね。時季がちょっと、早いのでしょうか。

明日2日は、お茶室で、茶友会の皆さんのお茶のふるまいがあります。

   【おまけ】

*昨日(31日)の準備風景