*今年は、買わず、この写真を飾ります。
明日は、弥生3月1日、桃の季節です。昨年夏、娘に娘が生まれました。
世間では、ジージ―がひな人形を贈るのが慣わしでしょうか。
諸般の事情から、そんなことを全く思っていませんでした。が、昨日、野田の街中をクルマを走らせていて、いくつかの雛人形店に幟が翻っているのに気がついて、そのうちの一軒に寄ってみました。
店には、雛人形が並んでいましたが、2月の最後の日曜を終えて、五月人形への並べ替え準備をやっていました。
<もう遅いですね。間に合いませんね>とか言って、見せてもらいました。
<雛人形をしまう>のが遅いと、婚期が遅くなるという、全く根拠のない話も聞いたことがあります。
ワタシら、桃の節句も、端午の節句も、七五三も、子どもの季節季節の祝いを何もせずでした。ワタシら自身の子ども時代には、それどころでなく生きることに背いっぱいだったのです。自分らが知らないことを次の世代に伝えることはできません。
むろんわが町、ご近所の田んぼのあるオウチには、鯉のぼりが翻っていました。
*こっちの方がいいね、つるし雛です。
店員さんに<今年は、写真を飾るだけにします。写真を撮らせて下さい>と断って、写真を撮りながら、<値踏み?>をしていました・・。
娘には、ほかのことに使った方がよさそうだなあ。
【追加:今日は3月3日】
*女の子です、6か月です。
【おまけ】
*ひな祭りシーズンで、<嫌だな>と思う話があります。あちこちで1000とか3000体とかのひな人形を積み上げて、<街おこし>風観光イベントにしている話です。使われなくなったひな人形集めることが、美談のように報道されます。不要になったひな人形たちの行く末のあわれさを感じるのです。
*川に流して、その娘に訪れる災いを人形に背負わせて流す<流しびな>の方が、はるかに美談です。川に流すと川が汚れて問題なんでしょう。燃やして自然に帰す、日本にはそういう精神があったように思います。