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「やられた史観」は見苦しい

2008-11-03 23:11:44 | 日本近現代史
 航空幕僚長が「侵略国家はぬれぎぬ」といった主張で更迭されたそうである。
 アサヒ・コムの記事。

空自トップを更迭 懸賞論文で「日本の侵略ぬれぎぬ」
 航空自衛隊トップの田母神(たもがみ)俊雄・航空幕僚長(60)が「我が国が侵略国家だったというのはぬれぎぬ」と主張する論文を書き、民間企業が主催した懸賞論文に応募していたことがわかった。旧満州・朝鮮半島の植民地化や第2次大戦での日本の役割を一貫して正当化し、集団的自衛権の行使を禁じる現行憲法に疑問を呈している。政府見解を否定する内容で、浜田防衛相は31日、田母神氏の更迭を決めた。

 政府は同日深夜の持ち回り閣議で、田母神氏を航空幕僚監部付とする人事を承認した。

 政府は95年に、植民地支配と侵略で「アジア諸国の人々に、多大の損害と苦痛を与えた」とした村山首相談話を閣議決定した。麻生首相も継承する考えを表明している。

 実力部隊を指揮する制服組の高官が、アジアでの日本の侵略行為を公然と否定したことは、麻生政権のアジア外交にとって痛手となる。武器使用制約の緩和など自衛隊の運用政策にも踏み込んでおり、文民統制(シビリアンコントロール)の観点からも問題視されることは必至。野党各党は国会で政府の責任を追及する構えだ。

 浜田氏は31日夜、防衛省で記者団に「政府見解と明らかに異なる意見を公にすることは空幕長として不適切で、速やかに職を解く」と述べた。麻生首相周辺によると、首相は同日夕に論文を読んで「不適切」と判断し、更迭に向けた調整に入ったという。首相は同日夜、首相官邸で記者団に「個人的に出したとしても、それは、今、立場が立場だから、適切じゃないね」と語った。

 田母神氏は同日夜、東京都内の自宅で取材に応じ、更迭について「政府の指示に淡々と従います」と答えた。論文の内容については「来週以降に答えます」と述べた。

 論文の題は「日本は侵略国家であったのか」。ホテルチェーンなどを展開するアパグループが主催する第1回「真の近現代史観」懸賞論文の最優秀賞(賞金300万円)に選ばれた。同社は31日、ホームページで論文を公表。防衛省詰の報道各社に報道発表文を配布したことから、投稿の事実が明らかになった。

 論文は日中戦争について「中国政府から『日本の侵略』を執拗(しつよう)に追及されるが、我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者」と主張。旧満州、朝鮮半島について日本の植民地支配で「現地の人々は圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」としている。

 日本の安全保障政策についても「集団的自衛権も行使できない。武器使用も制約が多く、攻撃的兵器の保有も禁止されている。(東京裁判の)マインドコントロールから解放されない限り我が国を自らの力で守る体制が完成しない」と、抜本的な転換を求めている。
 論文がネットで公開されているのでざっと目を通した。簡単に言うと、渡部昇一あたりが言ってそうな、何でもかんでも「コミンテルンの陰謀」で片付けて、わが国は悪くないと言い募るだけの史観の産物だ。『正論』の諸論文を適当にミックスするとそういうものが出来上がるのではないか。こんなのが最優秀賞ではその賞自体のレベルが知れるなあ。また、幕僚長というのはこんな程度の歴史観で務まるものだということにも驚いた。朝日新聞の社説が、
こんなゆがんだ考えの持ち主が、こともあろうに自衛隊組織のトップにいたとは。驚き、あきれ、そして心胆が寒くなるような事件である。
〔中略〕
 防衛省内では要注意人物だと広く認識されていたのだ。なのに歴代の防衛首脳は田母神氏の言動を放置し、トップにまで上り詰めさせた。その人物が政府の基本方針を堂々と無視して振る舞い、それをだれも止められない。
 これはもう「文民統制」の危機というべきだ。
と述べているのもむべなるかな。

 田母神論文に対して異論は多々あるが、余裕がないのでここでは触れない。別の点について少しだけ述べておく。

 こうした主張に対して以前から思っているのだが、仮に、真珠湾攻撃がルーズベルトの陰謀によるものだったとしよう。日中戦争でわが国は蒋介石に引きずり込まれたのだとしよう。
 だったら、わが国は何の非の打ち所もない、純粋な被害者なのか?
 陰謀に乗せられた側、戦争に引きずり込まれた側、そしてその結果敗北を喫した側には、当然、陰謀にまんまと乗せられてしまった責任、戦争に引きずり込まれてしまった責任があるのではないか?
 しかし、こうした主張をする側からは、そのような責任を問う声は一切聞かれない。ただ、やられたやられたと言い募っていれば、あたかも自らの正当性が保証されるかのようである。まるで、よってたかって一方的にいじめられたいじめられっ子だったと言っているかのようである。
 そうした姿勢では、過去を教訓とすることはできないし、他者からの理解も敬意も得ることはできないだろう。

 かつて、韓国に次のような主張が見られた。
 日本は韓国を植民地化し支配した。収奪と愚民化政策によって韓国の発展は阻害された。さらに、日本の降伏が遅れたことが分割占領と南北分断の悲劇を生んだ。そのために生じた朝鮮戦争により南北は壊滅的な打撃を受けた。日本の支配さえなければ、韓国は統一国家としてもっと発展していたはずだ。韓国の発展を遅らせた責任は全て日本にある。
 あるいは、在日韓国・朝鮮人ならさらに次のように言っただろうか。
 強制連行により、あるいは日本の支配による経済的要因により、我々の先祖は渡日を余儀なくされ、そこで差別的待遇を甘受せざるを得なかった。しかも戦後は一方的に外国人とされ、諸権利を剥奪され、やはり差別的待遇に置かれ続けてきた。我々の現状の責任は全て日本にある。

 こうした主張に対し、自己の被害を言い募るだけでは、同情はされても尊敬は得られない、自らの主体性というものをもっと考える必要があるのではないかという指摘が、たしか田中明からあったように思う。もうずいぶん前のことで、うろ覚えだが。
 ひどく感心したのを覚えている。
 まだ「嫌韓流」がブームになる10年以上前のことである。

 かつて、韓国的なものと指摘されたタイプの主張が、近年、日本人により、それも国粋的な立場の者によりなされているという現象は、微苦笑を誘う。

 私は、「日本の植民地支配にはいいところもあった」とか「韓国併合は韓国人にも責任がある」とか「日本だけが侵略をしたのではない」といった主張には賛同する。
 しかし、この田母神論文のような、近年見られる、陰謀論に基づく日本全肯定論とでも言うべき見方には到底賛成できない。
 そして、陰謀論に基づくやられた史観は、端的に言って見苦しいと思う。


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