トラッシュボックス

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事実に即した憲法改正論議を

2013-05-06 01:30:50 | 日本国憲法
 これじゃデマ合戦だよ。

 5月4日付朝日新聞朝刊2面の小林節・慶大教授(憲法学)による「96条改正は「裏口入学」。憲法の破壊だ」という記事(太字は引用者による)。

 私は9条改正を訴える改憲論者だ。自民党が憲法改正草案を出したことは評価したい。たたき台がないと議論にならない。だが、党で決めたのなら、その内容で(改正の発議に必要な衆参両院で総議員の)「3分の2以上」を形成する努力をすべきだ。改憲政党と言いながら、長年改正を迂回(うかい)し解釈改憲でごまかしてきた責任は自民党にある。

 安倍首相は、愛国の義務などと言って国民に受け入れられないと思うと、96条を改正して「過半数」で改憲できるようにしようとしている。権力参加に関心のある日本維新の会を利用し、ひとたび改憲のハードルを下げれば、あとは過半数で押し切れる。「中身では意見が割れるが、手続きを変えるだけなら3分の2が集まる。だから96条を変えよう」という発想だ。

 これは憲法の危機だ。権力者は常に堕落する危険があり、歴史の曲がり角で国民が深く納得した憲法で権力を抑えるというのが立憲主義だ。だから憲法は簡単に改正できないようになっている。日本国憲法は世界一改正が難しいなどと言われるが、米国では(上下各院の3分の2以上の賛成と4分の3以上の州議会の承認が必要で)改正手続きがより厳しい。それでも日本国憲法ができた以降でも6回改正している。

 自分たちが説得力ある改憲案を提示できず、維新の存在を頼りに憲法を破壊しようとしている。改憲のハードルを「過半数」に下げれば、これは一般の法律と同じ扱いになる。憲法を憲法でなくすこと。「3分の2以上で国会が発議し、国民投票にかける」というのが世界の標準。私の知る限り、先進国で憲法改正をしやすくするために改正手続きを変えた国はない。

 権力者の側が「不自由だから」と憲法を変えようという発想自体が間違いだ。立憲主義や「法の支配」を知らなすぎる。地道に正攻法で論じるべきだ。「96条から改正」というのは、改憲への「裏口入学」で、邪道だ。(聞き手・石松恒)


 小林節。この人は確かにかねてからの改憲論者だが、第1次安倍内閣のころの自民党の改憲論に対しても、愛国心を強調する姿勢などを批判し護憲派寄りに回った。私は当時、「言わばなんちゃって改憲派」「現憲法の下で諸活動を続けているうちに、日和った」と評していた。今もそのスタンスに変わりはないように見える。
 彼は本当に改憲を実現させたいのだろうか。それとも、改憲が困難な情勢の下での「改憲派」という立場それ自体を維持したいにすぎないのだろうか。
 「権力参加に関心のある日本維新の会」って、維新の会が自民党との連立を主張しているの? そもそも政党が権力参加を志向して何が悪いの? 「確かな野党」がそんなに偉いの?
 「だから憲法は簡単に改正できないようになっている」そうしたのは誰なの? 日本国民なの?
 閑話休題。

 日本国憲法が世界一改正が難しいなどということはなく、例えば米国の方がより厳しいという見方には、以前の記事にも書いたように私も同感だ。
 だが、「改憲のハードルを「過半数」に下げれば、これは一般の法律と同じ扱いになる。憲法を憲法でなくすこと。」とはおかしいだろう。一般の法律には国民投票はないのだから。
 そして、「「3分の2以上で国会が発議し、国民投票にかける」というのが世界の標準。」とは言い過ぎではないだろうか。以前民主国家の改正手続を比較してみたが、「3分の2以上で国会が発議し、国民投票にかける」国は日本と韓国ぐらいしかなかった(註)。
 「世界の標準」並みの厳格さだという趣旨かもしれないが、しかしこれでは、「3分の2以上で国会が発議し、国民投票にかける」国はわが国だけでなく多数あるのだろう、何しろ憲法学者サマ、しかも改憲派の方がおっしゃっているのだから間違いない、と誤解する読者も多いのではないだろうか。

 一方、同じく憲法学者の西修・駒澤大学名誉教授による「憲法改正へ「世界一の難関」崩せ」「先進国で最も厳しい発議要件」といった見出しの記事を4月1日付産経新聞が掲載していたのは以前批判したとおりだ。

 96条改正論に対して、これを支持するなり、批判するなり、様々な見方が当然有り得るだろう。
 しかし、各国と比較してわが国の改正要件はどうなのかというごく客観的な考察において、何故これほどまでに極端な差が出るのか。
 しかも素人ではない、憲法学者によって。

 学者でありながら、自らの政治的主張のために、事実を枉げてはばからない。
 こういうのを曲学阿世の徒と言うのではないか。

 いわゆる有識者がこんなことでは困る。
 そして報道機関も、社論に沿ったデマを無定見に拡散するのではなく、もう少し本質を突いた議論が行われるよう配慮してもらいたいものだ。


註 「3分の2以上で国会が発議し、国民投票にかける」国は日本と韓国ぐらいしかなかった

 スペインは、特別な場合にのみ3分の2以上を2回、さらに国民投票を要する。
 通常の改正では上下両院のそれぞれ5分の3以上の賛成で足りる(いずれかの院の10分の1が要求すればさらに国民投票)が、憲法の全面改正や、憲法の基本原理、基本的権利及び義務、国王に関する規定などの重要規定の改正については、両院の3分の2以上の賛成の後、解散総選挙し、新国会で再び両院の3分の2以上の賛成を得て、さらに国民投票で過半数の賛成を要する。
 詳しくは↓参照。
http://www.derecho-hispanico.net/boletin/pdf/20090523noguchi.pdf
 後者は特別な場合であり、また紙数の制約があるとはいえ、上記の西修の記事中の「憲法改正を必ず国民投票に付さなければならないという規定を持つ国」についての記述において、このスペインの事例に一切言及していないことには不審を覚える。