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石原慎太郎「侵略ではない」発言の不可解

2013-05-20 07:09:38 | 大東亜戦争
 18日付朝日新聞朝刊は1面で、橋下徹が先の大戦を「侵略」としたことを石原慎太郎が否定したと伝えた。

 日本維新の会の石原慎太郎共同代表は、先の大戦の旧日本軍の行為について「侵略じゃない。あの戦争が侵略だと規定することは自虐でしかない。歴史に関しての無知」と語り、侵略とした橋下徹共同代表の見解を否定した。朝日新聞の取材に答えた。従軍慰安婦などをめぐる橋下氏の発言への批判が収まらないところに加えて、歴史認識をめぐる両共同代表の認識でも違いがはっきりしたことで、党内の混乱が一層深まりそうだ。


 深まってほしくて仕方がないのだろう。

 4面に掲載された石原の発言要旨全文は次のとおり。

 (橋下徹共同代表が先の大戦を「侵略だと受け止めないといけない」と述べたことは、石原氏の意見と)違うね。全然違うね。(橋下氏の一連の発言は)みんな迷惑しているよね。やっぱり前後の脈絡を考えてものを言わないと。彼なりに論理立ててものを言ってもしょうがないんだ。過去にあったことは実際に事実だろうけども、現代の倫理観で判断してものを言わないと。
 正確な歴史観、世界観を持っていないとダメだ。国のトップになろうと思っているなら、(橋下氏に)世界観、歴史観がないとしょうがない。
 (先の戦争は)侵略じゃない。「自衛のための戦争」ってマッカーサーがちゃんと議会で証言しているじゃない。資源を断たれたらね、結局、東南アジアに展開せざるを得ない。日本のような有色人種が近代国家をつくるってことを許せなかったんだ、白人は。そういう歴史観というのを持たないで、あの戦争が侵略戦争だと規定をすることそのものが自虐でしかないんだ。歴史に関しての無知。(植民地支配について)そんなもの、近世になってからヨーロッパの白人は全部やったじゃない。世界中そうだった。食うか食われるかの時代だったんだよ、近代っていうのは。
 そういう歴史の連脈みたいなものを考えずに、東京裁判で決められた白か黒かみたいな価値観にのっとって、自分の歴史について、日本人が間違った規定をすることは間違いですよ。


 同日夕刊によると、橋下はTBSのテレビ番組で、

「石原代表は当時、命をかけて戦っていた(時代の)人。いろんな考え方があるだろう」と理解を示しつつ、「戦争を知らない僕の世代は敗戦国として(侵略を)引き受けなければだめだ」と自らの主張は変えない考えを示した。〔中略〕近く石原氏と意見交換することも明らかにした。


という。

 橋下は、最初の発言でこう述べていた。

それから戦争責任の問題だって敗戦国だから、やっぱり負けたということで受け止めなきゃいけないことはいっぱいありますけど、その当時ね、世界の状況を見てみれば、アメリカだって欧米各国だって、植民地政策をやっていたんです。

だからといって日本国の行為を正当化しませんけれども、世界もそういう状況だったと。そういう中で日本は戦争に踏み切って負けてしまった。そこは戦勝国としてはぜったい日本のね、負けの事実、悪の事実ということは、戦勝国としては絶対に譲れないところだろうし、負けた以上はそこは受け入れなきゃいけないところもあるでしょうけど。

ただ、違うところは違う。世界の状況は植民地政策をやっていて、日本の行動だけが原因ではないかもしれないけれど、第二次世界大戦がひとつの契機としてアジアのいろんな諸国が独立していったというのも事実なんです。そういうこともしっかり言うべきところは言わなきゃいけないけれども、ただ、負けたという事実だったり、世界全体で見て、侵略と植民政策というものが非難されて、アジアの諸国のみなさんに多大な苦痛と損害を与えて、お詫びと反省をしなければいけない。その事実はしっかりと受け止めなけれないけないと思いますね。

日本の政治家のメッセージの出し方の悪いところは、歴史問題について、謝るとこは謝って、言うべきところは言う。こういうところができないところですね。一方のスタンスでは、言うべきとこも言わない。全部言われっぱなしで、すべて言われっぱなしっていうひとつの立場。もう一つは事実全部を認めないという立場。あまりにも両極端すぎますね。(SYNODOSによる全文文字起こしより)


 私にはこうした主張が実にしっくり来る。
 そして、石原が今回言っていることは全く理解できない。

 この違いは世代的なものだろうか? しかし、石原と同じようなことを私よりはるかに若い世代が口にしているのを耳にすることもある。

 石原は、

>過去にあったことは実際に事実だろうけども、現代の倫理観で判断してものを言わないと。

と言いつつ、近代ヨーロッパは皆植民地支配をやっていたから、わが国のそれも正当化されるかのように語る。
 「現代の倫理観」からすればどちらも侵略だろうし、それを認めることが何故東京裁判史観の容認なのか。
 「前後の脈絡を考えてものを言」うべきなのはどちらだろうか。

 こういう主張は石原だけのものではない。2008年に田母神俊雄・航空幕僚長が更迭される原因となった論文「日本は侵略国家であったのか」も、古くは1986年に文部大臣を罷免された藤尾正行も、同様のことを言っている。大東亜戦争肯定論者にしばしばみられる主張である。
 当時の欧米列強がやっていたからといって、何故それでわが国の行動が「侵略じゃない」となるのか。ならば欧米列強のやったこともまた侵略ではないことになる。しかし大東亜戦争で、わが国は欧米の侵略からアジアを解放すると称して戦ったのではなかったか。

>「自衛のための戦争」ってマッカーサーがちゃんと議会で証言しているじゃない。

 この議会証言は、マッカーサーが朝鮮戦争で全面戦争も辞さずとの方針をとり、トルーマン大統領と対立して解任された件の真相究明のため行われたものであり、日米戦争がテーマであったのではない。マッカーサーの中共封鎖論が日米戦前の対日封鎖と同様であったのではとの質問に対して、マッカーサーがそのとおりだと答える中で語られたものにすぎない。
 そして、マッカーサーは、自衛すなわち self-defense のための戦争だったなどとは言っていない。security によるものだったと述べている。
 わが国には工場があり、労働力があったが、原料はなかった。原料はアジアの海に存在した。原料の供給が断ち切られたら膨大な失業者が発生することを日本は恐れた。したがって、日本が戦争に向かった目的は主として security によるものだったとマッカーサーは述べている。
 小堀桂一郎は『東京裁判 幻の弁護側資料』(ちくま学芸文庫、2011、旧版は『東京裁判 日本の弁明』講談社学術文庫、1995)で、この security を「安全保障」と訳し、証言中のこの箇所を

したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです。


と訳している。そして、小堀による解説では、何故か

彼がその証言の一節において、日本が戦争に突入したのは自らの安全保障のためであり、つまりは大東亜戦争は自存自衛のための戦いであったという趣旨を陳述しているということが早くから知られていた


と、「安全保障」が「自存自衛」にすり替わっている。
 確かに security は「安全保障」とも訳される。日米安全保障条約は「Japan-U.S. Security Treaty」である。
 しかし、security は一般に「安全」や「安心」「無事」とも訳される。この証言の場合は、こちらの訳の方が適切ではないだろうか。失業者の発生の回避は普通「安全保障」とは表現しないだろう。
 「自衛のため」とは、意図的な誤訳ではないかと思える。

 この点についてはできれば稿を改めて論じたいが、こうした見方は私の独創によるものではなく、検索すればいくつか見ることができるはずだ。

>資源を断たれたらね、結局、東南アジアに展開せざるを得ない。

 わが国は延蒋ルートの遮断のため北部仏印進駐に踏み切った。これに対して米国は屑鉄や銅の対日禁輸で応じた。
 わが国はさらに東南アジアへの進出ルートを確保するため南部仏印にも進駐した。これに対して米国は石油を禁輸し、米英蘭は日本資産を凍結した。
 東南アジアに進出した結果として資源を断たれたのであり、因果関係が逆である。

>日本のような有色人種が近代国家をつくるってことを許せなかったんだ、白人は。

 では何故、ペリーやプチャーチンやパークスやロッシュは、わが国を軍事力で制圧しなかったのだろう。
 いわゆるお雇い外国人がわが国の近代化に貢献してくれたのは何故なのだろう。
 不平等条約の改正にも応じ、第一次世界大戦後の世界秩序に加えたのは何故なのだろう。

 あまりにも偏った見方ではないだろうか。

>そういう歴史観というのを持たないで、あの戦争が侵略戦争だと規定をすることそのものが自虐でしかないんだ。歴史に関しての無知。

 橋下が「そういう歴史観」を持ち合わせておらず「無知」であるのは幸いなことだと思う。

 橋下は石原とこの差異について直接話し合うとしているそうだが、不一致なら不一致で別にかまわないのではないだろうか。
 一致させるべく無理をしないでもらいたい。


 関連過去記事。

侵略国家だと誇りは持てない?


「当時の価値観」で過去を見るべき?


田母神論文への反応に対していくつか思ったこと(1)


Re:日本語感覚・日本語解釈(前編)


建国記念の日の産経「主張」を読んで