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憲法96条改正は「ルール」の変更か?

2013-05-04 01:25:34 | 日本国憲法
 政府与党が日本国憲法の改正手続を規定した96条の改正を主導するのは、ルールを勝手に変えるものだという批判がある。

 かさこ「憲法違反の政治家が憲法を変えやすいようルールを変えちまえって恐ろしい話」

憲法違反している政治家が憲法を変えようって犯罪者が取締りルールを勝手に変えちまえって話と同じ。
しかもそういう無茶苦茶なことができないようにルールを改正するには高いハードルが課されているのに「だったらルール改正のルールから変えたらいいじゃん!」ってルールを守っていない人たちが勝手に決めるってこんなひどい国はない。


 辻元清美「「憲法九六条改正」問題について━━自分が有利になるようルールを変えるのは卑怯だ」

これは、たとえばスポーツの世界でいえば、試合になかなか勝てないから、自分が有利になるようにルールを変えてしまえ、と言っているに等しいのではないですか。
どんな世界でもそんなことをしたら「ズルイ」「卑怯だ」という声が飛んできそうです。それは、道理に反するからです。
安部総理は「こどもの道徳教育が大事」とおっしゃっています。そうであるのなら、今のルールで、正々堂々と自分の主張を実現する努力をするべきではないでしょうか。


 初鹿明博「96条改正は国民主権の危機だ!」

憲法は、多数を握った権力者が横暴、圧制を働くことがないように、国民の基本的人権や自由を守るために、守らなくてはならない最低限のルールをあらかじめ定めたものであります。つまり、国民が権力者を縛るためのものが憲法です。

ですから、権力者が変わるごとに、自分達(もしくは自分)の都合が良いように安易にルールの変更が出来ないように改正の手続きが他の法律よりも厳しく規定されているのです。

ですから96条を改正して改正の要件を緩和するということは、時の権力者もしくは多数者の意向によって、都合の良いように変えることが出来るようにするということで、立憲主義に反することであります。

しかも、それを時の権力者である総理大臣が先頭に立って言っているというのは、民主主義や国民主権、立憲主義の基本を理解していない、民主主義国の政治家として失格だと私は感じています。憲法改正について権力を握っている内閣の構成員が発言することは減に慎むべしと思います。


 憲法記念日である昨日、朝日新聞朝刊のオピニオン面に掲載された石川健治・東大教授による「96条改正という「革命」」と題する長文の寄稿も、似たようなことを述べているが、さらに問題の本質に迫っている。

憲法改正条項たる96条を改正する権限は、何に根拠があり、誰に与えられているのだろうか。これが、現下の争点である。結論からいえば、憲法改正権者に、改正手続きを争う資格を与える規定を、憲法の中に見いだすことはできない。それは、サッカーのプレーヤーが、オフサイドのルールを変更する資格をもたないのと同じである。

 フォワード偏重のチームが優勝したければ、攻撃を阻むオフサイド・ルールを変更するのではなく、総合的なチーム力の強化を図るべきであろう。それでも、「ゲームのルール」それ自体を変更してまで勝利しようとするのであれば、それは、サッカーというゲームそのものに対する、反逆である。

 同様に、憲法改正条項を改正することは、憲法改正条項に先行する存在を打ち倒す行為である。打ち倒されるのは、憲法の根本をなす上位の規範であるか、それとも憲法制定者としての国民そのものかは、意見がわかれる。だが、いずれにせよ、立憲国家としての日本の根幹に対する、反逆であり「革命」にほかならない。打ち倒そうとしているのは、内閣総理大臣をはじめ多数の国会議員である。これは、立憲主義のゲームに参加している限り、護憲・改憲の立場の相違を超えて、協働して抑止されるべき事態であろう。

 なかなか憲法改正が実現しないので、からめ手から攻めているつもりかもしれないが、目の前に立ちはだかるのは、憲法秩序のなかで最も高い城壁である。憲法96条改正論が、それに気がついていないとすれば、そのこと自体、戦慄すべきことだといわざるを得ない。


 改正規定それ自体は改正できないという説はしばしば聞く。
 しかしそれでは、クーデターや革命によって政体が変わらなければ、永遠に改正規定が維持されてしまうことになる。
 制定者の意思が、未来永劫将来の世代を縛ることになる。
 それはおかしいのではないだろうか。

 私は、無制限改正説でよいのではないかと思う。

 その点を差し引いても、こうした「ルール」という観点からの主張に対しては、さらに次のような疑問がある。

 では、その「ルール」は、誰がどのように決めたのか。

 これを国民が決めたというなら、話はまだわかる。
 国民が革命を起こして独裁者を打倒し、民主的な国家に変えた。その体制の根幹である憲法の制定に際して、改正するには厳しい要件を付した。だからこれを安易に変えてはならない――と言うのなら。

 しかし、日本国憲法を制定したのは、国民ではない。
 言うまでもなく、GHQである。

 GHQが1946年2月13日に日本政府に呈示したいわゆるマッカーサー草案の外務省仮訳では、改正規定は次のようになっていた。

第八十九條 此ノ憲法ノ改正ハ議員全員ノ三分ノ二ノ賛成ヲ以テ國會之ヲ發議シ人民ニ提出シテ承認ヲ求ムヘシ人民ノ承認ハ國會ノ指定スル選擧ニ於テ賛成投票ノ多数決ヲ以テ之ヲ爲スヘシ右ノ承認ヲ經タル改正ハ直ニ此ノ憲法ノ要素トシテ人民ノ名ニ於テ皇帝之ヲ公布スヘシ
(江藤淳編『占領史録 3 憲法制定経過』講談社学術文庫、1989、p.202。一部の旧字体の漢字はフォントが見当たらず新字体に直した)


 これは、成立した憲法96条の

第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
2  憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。


とほぼ同じである。
 マッカーサー草案に対しては、わが国の政府や国会における憲法制定過程において、一院制が二院制に変更されるなど、さまざまな修正が加えられたが、この改正規定はほとんど問題にされなかったという。問題にできる性質のものでもなかったのだろう。
 だから、この「ルール」を決めたのはGHQであって、日本国民の意思は反映されていない。

 もっとも、当時の政府も国会も、この「ルール」を承認している。
 しかしそれは、占領下という、承認せざるを得ない情勢にあったからこそ、承認したにすぎない。

 したがって、石川が言う

打ち倒されるのは、憲法の根本をなす上位の規範であるか、それとも憲法制定者としての国民そのものか


は、どちらでもない。
 打ち倒されるのは、GHQによる占領管理体制である。

いずれにせよ、立憲国家としての日本の根幹に対する、反逆であり「革命」にほかならない。
 

 これも当たらない。
 占領管理体制として形成された日本の根幹に対する、反逆であり「革命」にすぎない。

打ち倒そうとしているのは、内閣総理大臣をはじめ多数の国会議員である。これは、立憲主義のゲームに参加している限り、護憲・改憲の立場の相違を超えて、協働して抑止されるべき事態であろう。


 そんなことはあるまい。
 憲法の下で民主的に選出された国会議員、そして彼らが選出した内閣総理大臣の行動が、立憲主義に基づくものでなくて何だというのか。
 100年前のわが国に、第1次憲政擁護運動があった。わが国が当時のような情勢なら、石川の言うこともわからないではない。しかし、現在のわが国は、当時のような藩閥政府によって治められているのではない。

 独立国が国内に残存する占領管理体制を打倒する。誠に結構なことではないか。
 石川は、図らずも問題の本質を露呈してくれたようだ。

 日本国憲法無効論というのがあるが、私はこれを支持しているわけではない。
 現実に有効なものとして機能してきたのであり、今さら無効だと言ったところで始まらない。

 また、現憲法や、占領下の諸改革の意義を全否定するつもりもない。評価すべき点は多々あろう。
 現憲法が諸悪の根源であるかのごとき主張もあるが、私はこれに与しない。

 しかし、GHQ製の憲法であるにもかかわらず、日本国民が国家を縛るために生み出したかのごとく語る欺瞞は、全く支持できるものではない。

 96条改正論にしても、それは96条に規定された手続を踏まないと実現できないのに、いったい何をそんなに恐れているのだろうか。

 仮に両議院の3分の2以上の賛成を得て国民投票が実施されたとしても、そこで否決されれば、それはこの改正規定が国民によって明確に支持されたということになるというのに。

 現在のルール(96条)にのっとったプレイ(改正手続)を否定する者こそがむしろルール違反ではないのだろうか。



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28 コメント

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Unknown (自由主義者)
2013-05-04 03:35:56
いや、憲法(に記された価値観)は民主主義に優越しているのだから、過半数だから云々は間違い。

過半数で決めたなら財産没収も虐殺もアリってのが民主主義であり、それを抑制するのが憲法。

自由・平等・普通選挙に関しては、三分の2ですら甘いと考える。
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Unknown (ししまる)
2013-05-04 19:07:29
だから、この「ルール」を決めたのはGHQであって、日本国民の意思は反映されていない。

・・・とのことでいらっしゃいますが、私はどこがこの憲法をもたらしたからいいとか悪いとかはどうでもいいと思っています。悪いところがあれば直せばいいし、無ければ直さなければいいと思います。

それと、結局はあの戦前(昭和)を肯定するかどうかということに尽きるように思います。ここが結局はすべての出発点のような気がします。私は日本史上でもっとも暗く重苦しい時代だと思います。あのような国家が国民に重苦しくのしかかる時代は二度と嫌です。あの戦争を肯定する人達もいますが、その人達は、あの自国のみならず他国にも圧制を強いた体制を肯定しているのでしょうか?私は絶対に肯定したくありません。

そしてその圧制に終止符を打ったのが、太平洋戦争の敗戦です。普通、敗戦した国はがっくりきますが、なぜか、あの敗戦後の焼け野原の人々の風景映像には、なんとも言えない明るさとや希望を感じました。これは、敗戦と同時に、あの軍事体制からの解放でもあったからです。そして、アメリカ軍は、進駐軍であると同時に、解放軍でもあったのです。だから、多くの日本人はあの敗戦と原爆まで落としたアメリカに恨みを持っていないのです。

言いたいのは、あの時、日本はアメリカに負けたからこそ、民主主義を得れたと言うことです。もしも、アメリカに負けていなければ、あのまま抑圧的な軍政が続き、国民や他国を抑圧していたでしょう。だから、私はあの時、アメリカに負けて本当に良かったと思います。これが中国やロシアに占領されていたら都思うとゾッとします。アメリカだから、民主主義も手に入れられ、その後の経済発展もあったのです。そういったことを抜きにして、アメリカが作った憲法だからダメだと言う考えはどうなんだろうと思います

。じゃあ、日本はあのままで自分で民主主義を作れたのか?と思います。アメリカのおかげじゃないか思います。アメリカやフランスのように、自分で打ち立てた民主主義じゃありません。敗戦によってアメリカからもらった民主主義です。そして、多分にその民主主義や国民主権の精神が憲法に反映されたと思います。それなのに、よくもこの憲法はアメリカの押し付けだからダメだなんて簡単に言えると思います。

大体、明治で富国強兵でなんとか欧米(特にロシア)の植民地からまぬかれたのも、アメリカが黒船で早々に目を覚まさせてくれたからです。アメリカの意図はどうであれ、結果的にけっこうアメリカにはお世話になっているのです。今だって尖閣に中国が手を出しづらいのはアメリカのおかげです。

だから、そういうことを抜きにして、一概にアメリカに押し付けられたからダメだと、憲法の中身も何も抜きにして飛躍するのは、おかしいと思います。要するに、成立の経緯などはどうでもいいのです。問題は中身。これがおかしければ変えれば良いし、今のままで別段、支障なければこのままでいいのです。私としては、とにかく戦前のような抑圧的な国家にするような改憲は絶対にして欲しくないと言うことです。

その際に、もっとも恐れるのが、憲法96条の改定ということです。これだけは、一番、戦前に戻す際の憲法改定のキーとなるものだからです。それが分かっているからこそ、靖国参拝に熱心な自民党は、これの改定に一番こだわるのです。なぜ、彼らは戦前を美化するのか?それは、世襲議員だからでしょう。世襲議員はいわば特権階級です。一般国民とは違います。生まれながらに、国民の上に立つものとして誕生しました。生まれながらの支配階級なのです。だから彼らは、国民主権ではなく、戦前のような国が国民の上に立って政治を行う体制を欲するのだと思います。

話がそれましたが、要するに、戦前を肯定するかどうかが改憲に積極的かどうかに関わるのです。私が願うのは、とにかくあの戦前のような体制を復活して欲しくないと言うことです。あれを復活しようとするきな臭いがすると、非常に不安になります。だから、がちがちの護憲ではないながらも、簡単に96条を改正しましょうなんて考えることも出来ないのです。

深沢さんはあの戦前の態勢をどう思われますか?肯定されますか?あのまま日本がアメリカに勝って、中韓やアジアを支配していたほうが良かったと思いますか?勝っても国民は今の北朝鮮のような軍事国家に管理されていたと思いますが・・・その辺をお聞きしてみたいです。
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96条改憲だけは反対です (ししまる)
2013-05-04 20:06:29
自主憲法で無いから改定すべし・・という積極改憲論者の意見についてもう少し。

自主憲法は民主主義や国民主権によってなされなければなりません。そして、民主主義には、個人主義が必要だと思います。個人主義とは何か?他人に同調ばかりせず、自分で考えることも出来ることだと思います。これが西欧にはあったから、アメリカやフランスで民主主義が生まれたのだと思います。

日本はどうか?日本人は相手の心のうちをいつも気にしておもんばかります。これはいい時はいいのですが、悪い状態の時にも遠慮して、誰も異を唱えず、一気に悪い流れに乗ってしまうことがあります。戦前の軍事態勢や、バブルなどをみれば分かると思います。体制や世の流れに異を唱えず、従いやすいと言えます。だから、ものすごく、善良な面を見せる時と、戦前の軍事国家のような急に真反対の面も見せます。どちらかに突っ走りやすいのです。護憲出なければ、改憲、ハトはとタカ派みたいに。この国民性は要注意です。

また、自分で政策を考えて、政策で候補者を選ぶことはしません。だから昔ながらの世襲議員が多く当選してきます。自民党を見てください。ほとんどといっていいぐらい世襲議員です。

このような、大勢に流されやすく、自分で考えようともしない国民は、個人主義とは言えません。個人主義でなければ、正しく民主主義は出来ません。個人主義で個々人がしっかりと考えたものを基にした投票結果ではないからです。往々にして、世の大勢やなんとなくの空気に支配された投票行動だからです。

だから、このような低い民度の元で、自主憲法がどうのなんてこと自体がおこがましいのです。一人一人が考えられもしない国民がなぜ自主憲法なんて出来るでしょうか?最低でも、世襲議員に疑問を持って、彼らを生み出す一票の格差を是正しなければなりません。本当の個人主義や、民主主義が育ってないと思います。まだまだ民度が足りなさ過ぎだと思います。

それでも、道州制など憲法改正すべきものはすべきだと思います。しかし、この民度の低さを補う上でも、簡単に憲法を変えられるような96条をいじくるのは止めたほうがいいと思います。今の低い民度では危険です。ちゃんと日本人、個々人がしっかりと考えて決められるように、ハードルは今ぐらいに高くしておくべきです。世襲議員の比率が減り、日本人がムードで無く、政策で投票できるようにならない限り、96条の改憲はとても危険です。

結局、何度も言いますが、私と改憲(特に96条)積極派の違いは次の二点に尽きます。戦前の大勢を肯定するかしないかと、国民の民度を信じるか信じないか・・・です。私は戦前否定、民度は低しです。そのスタートが違う方とは、おそらくいくら議論しても平行線でしょう。
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自由主義者さんへ (深沢明人)
2013-05-04 23:28:49
 かなり特異な憲法観をお持ちなんですね……。
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ししまるさんへ (深沢明人)
2013-05-04 23:34:00
>私はどこがこの憲法をもたらしたからいいとか悪いとかはどうでもいいと思っています。悪いところがあれば直せばいいし、無ければ直さなければいいと思います。

 私も基本的にはそういう立場です。記事本文中にも、

>また、現憲法や、占領下の諸改革の意義を全否定するつもりもない。評価すべき点は多々あろう。
>現憲法が諸悪の根源であるかのごとき主張もあるが、私はこれに与しない。

と明記しています。

 この記事は、権力側が憲法改正規定を改正しようとするのは「ルール」違反であり、立憲主義に対する反逆であるという主張に対して、ではその「立憲」は誰によってなされたのかと問いただしたものです。日本国憲法が日本国民によって制定されたかのような欺瞞を突いたものです。
 私は別に昭和戦前期のわが国を全肯定しているわけでも、占領憲法だから全てダメだと考えているわけでもありません。

>アメリカ軍は、進駐軍であると同時に、解放軍でもあったのです。だから、多くの日本人はあの敗戦と原爆まで落としたアメリカに恨みを持っていないのです。

 そうした面があったことも事実でしょう。

>言いたいのは、あの時、日本はアメリカに負けたからこそ、民主主義を得れたと言うことです。もしも、アメリカに負けていなければ、あのまま抑圧的な軍政が続き、国民や他国を抑圧していたでしょう。

 ここはちょっと違うと思います。
 わが方からあの時点で開戦せずにそのまま事態の推移を見守るという選択もあったと思います。
 そうすれば、枢軸側の不利を悟って中立を維持し、戦後の世界の大勢に合わせて、より民主的な政権が誕生する可能性もあったと思います。
 スペインのフランコは枢軸側の協力を得て内戦に勝利しましたが、第二次世界大戦では中立を維持し、国土と国民を戦火にさらすことなく、戦後は西側陣営の一員となり、その死後に王政を復古し民主化を実現しました。

 もっとも、こんなものは結果論でしかありませんが。

>だから、私はあの時、アメリカに負けて本当に良かったと思います。これが中国やロシアに占領されていたら都思うとゾッとします。アメリカだから、民主主義も手に入れられ、その後の経済発展もあったのです。そういったことを抜きにして、アメリカが作った憲法だからダメだと言う考えはどうなんだろうと思います

 この点には同意します。だから、GHQ製だからダメだとは言っていません。現憲法の憲法制定権力が日本国民ではなかったことを指摘しているだけです。

>アメリカの意図はどうであれ、結果的にけっこうアメリカにはお世話になっているのです。

 この点にも同意します。

>私としては、とにかく戦前のような抑圧的な国家にするような改憲は絶対にして欲しくないと言うことです。

 私もそう思います。
 ただ、抑圧的な国家になったのは明治憲法のせいだけではないと思います。大正デモクラシーなんてものもありましたし。

>深沢さんはあの戦前の態勢をどう思われますか?肯定されますか?あのまま日本がアメリカに勝って、中韓やアジアを支配していたほうが良かったと思いますか?勝っても国民は今の北朝鮮のような軍事国家に管理されていたと思いますが・・・その辺をお聞きしてみたいです。

 全肯定はしません。全否定もしませんが、かなり否定的です。
 詳しくは、このブログの左に表示されているサイドバーの「カテゴリー」中、「靖国」「日本近現代史」「大東亜戦争」「「保守」系言説への疑問」といったカテゴリーのt過去記事をご参照いただければ幸いです。

>このような低い民度の元で、自主憲法がどうのなんてこと自体がおこがましいのです。一人一人が考えられもしない国民がなぜ自主憲法なんて出来るでしょうか?最低でも、世襲議員に疑問を持って、彼らを生み出す一票の格差を是正しなければなりません。本当の個人主義や、民主主義が育ってないと思います。まだまだ民度が足りなさ過ぎだと思います。

 そうした考え方も理解できます。しかし、人間のやることは所詮完璧ではありません。
 わが国には戦前からポツダム宣言に言うところの「民主主義的傾向」があり、そして戦後70年近く民主制の下でやってきたのです。今さら戦前のような体制に戻るでしょうか。
 また、わが国にはわが国独自の歴史があり、社会観や政治観も当然欧米と同一ではありません。
 「本当の個人主義や、民主主義」なるものが定着するのを待っていては、いつになるやらわかりません。

 「民度」というあなたのキーワードを用いるなら、民度が低いが故に、法の支配を徹底させるために、改憲を実現する必要がある。そのためには、憲法改正要件を緩和するのもやむを得ないのではないかというのが、今の私が傾きつつある考えです。
 解釈改憲のままでいいと国民の過半数が考えているなんて、ふざけていると思います。
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やはり私は心配です。 (ししまる)
2013-05-05 10:34:26
何度も投稿してすいません。また、丁寧なお答えを頂きありがとうございます。

やはり最後のところでどこまでいっても意見は違うのだと思います。深沢さんは私よりも、96条改定に少し楽観的なようでいらっしゃいます。私は突如として96条と言うものが持ち出されてきた時にはじめてそういう憲法があることを知りました。当初は良く分からず、憲法を改定しやすくすることに半信半疑でした。また、そんなに重要とも思ってませんでした。

しかし、決定的にこれはあぶないと思い始めたのは、自民党の改正案を見たときからです。公共の福祉を公益と変えて、それに服することを義務とするとか、自衛隊を国防軍と呼ぶとか、天皇を象徴ではなく、元首とするとか・・・戦前の抑圧的な世を彷彿とさせるような内容でした。こりゃだめだわ。と思いました。おまけに最近の高支持率に酔って、閣僚は靖国に参るは、安倍総理はそれを支持するのみならず、侵略否定みたいなことは言うはで。

こんな政権に96条を変えられて、中韓の脅威を利用して、前期の様な憲法改正に国民を誘導されたらたまったものでは無いと思いました。そんな思惑に異を唱えなければと思いました。今、きな臭い段階で止めないと大変なことになると思いました。この国の国民は、一旦勢いが付くと止まりませんから。戦前(私が言う戦前とは昭和以降の戦前ですが)は、そのきな臭い前兆があったにもかかわらず、止めることが出来ませんでした。

本当の個人主義や民主主義が定着するのを待っていては、いつになるやら・・とのことですが、私はそうでもないと、そこは楽観的です。(と言うか、それでも待つべきと考えていますが。)この前の衆院選では、初めて政策で投票するという”芽”がでてきたように思います。まだまだムードや名前を知ってるからだけで投票する人が多いと思いますが、少しづつ日本も政策で投票するようになっていくのではと思っています。(ほとんど願望に近いですが)

どちらにしても、まず96条の改定と言うことではなく、堂々と現行条件のもとで、個々の憲法改定をひとつひとつ問うべきだと思います。もしそれで否決されれば、それはそれでまだ機が熟していないと思うべきです。何が何でも変えたいが為に、96条をまず変えよましょうという理屈には、どうにも納得いきません。

ちなみに私は、日露戦争までは割りと肯定しています。あのまま放っておいたら、中韓のみならず、日本もロシアの植民地になる危険性がありましたから。でも、その後満州に居座ったり、朝鮮を併合したり、中国に手を出したり、南方アジアに向かったり、勝ち目の無いアメリカとの戦争を始めたりはまったく否定します。特に、戦争に関わらず、戦前(昭和)の抑圧的な体制は間違っていたと思います。
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日本は自力で民主化できたのかについて (ししまる)
2013-05-13 10:43:41
>わが方からあの時点で開戦せずにそのまま事態の推移を見守るという選択もあったと思います。
 そうすれば、枢軸側の不利を悟って中立を維持し、戦後の世界の大勢に合わせて、より民主的な政権が誕生する可能性もあったと思います。

・・・それは全く無かったと思います。そのままの事態の推移を見守るも何も、中国とは開戦してましたし、満州国はあるし、朝鮮は併合状態ですし、それをアメリカが許すわけありませんから。許すためには、最低限、中国や満州から手を引く必要があったでしょう。そもそも暴走で中国に手を出した軍部がそれを飲むわけがありません。終戦の間際まで、往生際悪くバカな戦争を続けたぐらいですから。とても冷静な判断など出来る政体ではありませんでした。

また、百歩譲って、アメリカとの戦争を一旦は回避したとしても、満州支配や朝鮮併合は続いていたでしょうし、それも撤退したとしても、日本国内の抑圧的内閣はそのままであったわけです。その状態で民主主義を立ち上げるには、革命でも起き無ければ無理です。あまりにも楽観的なお考えだと思います。

スペインの例を挙げていらっしゃいますが、それは特殊な例で、ほとんどの軍事政権というものは、暴走を始めたら、後は倒れるまで暴走を続けるものだと思いますよ。ナチスにしても、ナポレオンにしても、ポルポトにしても。日本の国民性から言って、そちらの可能性のほうが高かったと思います。現実もそうでしたが。また、倒れずに民主化しても、しばらくは、韓国のように、非常に抑圧的な民主化である事が多いです。それよりは、完全に倒れてくれて、再出発のほうが良いと思います。
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Unknown (やまだ)
2013-05-16 21:02:06
憲法96条改正ですが、大いに結構だと思います。

何かある度に「数の横暴」とおっしゃる方がいらっしゃいますが、あくまで「発議要件」ですから私は過半数どころか3分の1ですらいいと思います。

ポンポンと改憲発議が出されようと、決めるのは国民投票ですからね。

戦後の憲法論の不幸なところは、103も条文があるにもかかわらず、改憲、護憲ともほぼ「9条」のみしか語られなかったことです。

103の条文に、重いも軽いもありません。
103の条文すべてが、憲法なのであります。



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何が何でも発議したいなら・・ (ししまる)
2013-05-16 22:14:06
>ポンポンと改憲発議が出されようと、決めるのは国民投票ですからね。

それだったら、国会を緩和する代わりに、国民投票は過半数ではなくて、3分の2にすべきです。重要な憲法なのに、国会は無いも同然で、国民投票だけで言いというなら、それぐらいは必要です。たったの過半数では、国民の半分の意見を無視することになり、国民の総意とは言いかねるからです。国会も国民投票も過半数で良いという人は、憲法の重要性をまったく理解していない人なので、話すのは無駄になります。

それから、今まで改憲がされなかったのは、特に緊急必要性も無かったからであり、国会に掛けられたことさえなかったからです。また、これを持ち出すと、選挙に勝てなくなるからです。選挙に勝てないというのは、すなわち国民は望んでいないということです。とにかく、憲法改定が出来ないことを、憲法96条のせいにするのは、筋が違います。

何も私は改憲するなといっているのではありません。簡単に発議(国民投票へ)出来るようにするなら、国民投票をもっと厳しくしなければいけないといっているのです。国民投票を3分の2ことには文句無いはずです。国民の総意なのですから。それさえ過半数でよしとする人は、単純に自己本位なだけです。
返信する
ししまる氏への返答 (やまだ)
2013-05-18 20:49:18
他の方への返答を、深沢氏のブログ上で行うのは申し訳ないような気もしますが。



>たったの過半数では、国民の半分の意見を無視することになり、国民の総意とは言いかねるからです

なぜ51%ではいけなくて66.7%では良いのでしょうか。49%の異論は尊重しても、33・3%のいろんなラバ無視しても良い、その線引きはどこから導き出されるのですか?私は「発議」自体はどんどん行えば良いと思いますが、理由は国民が憲法について考える機会が増えるからです。

>半数で良いという人は、憲法の重要性をまったく理解していない人なので、話すのは無駄になります

ならば、私の意見にコメントをする必要はないのでは?時間のムダでしょうから。


>選挙に勝てないというのは、すなわち国民は望んでいないということです

当方浅学非才なので、「勝てない」と「国民~」がなぜ繋がるのか理解しかねるのですが、何もしないこと(憲法云々を話題にすること)=国民が望んでいない、ということなのですか?

ならば「護憲平和」で生きている社民党が選挙のたびに議席を減らしているのは、大多数の「護憲」を望んでいないということでは?

>国民の総意なのですから。それさえ過半数でよしとする人は、単純に自己本位なだけです

以前のコメントで「国民を信用していない」と仰ったようですが、そんなに総意を求めるのならば、100%賛成を主張されてはいかがですか?100%に限りない賛成が見込める国に、北朝鮮がありますが、北朝鮮はさぞかし民意が反映されている国なのでしょう。

国民が信用できないのであれば、100%でも66.7%でも51%でも、国家はあなたの望まない方に行くと思いますよ。
むしろ民主制を廃止して、「正論」を持った賢人会議でも作って、国家を運営しては如何でしょうか。



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