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日々の思いをたまに綴るブログ。

危険運転致死傷罪について再び思うこと

2012-06-02 23:19:43 | 事件・犯罪・裁判・司法
 危険運転致死傷罪について述べた昔の記事がリンクされていた。

 リンク先を見てみると、「教えてgoo!」に掲載されたこんな質問だった。

無免許で死亡事故起こして何故危険運転罪にならないの

質問者:1151123 投稿日時:2012/05/14 22:53

京都で無免許で居眠り運転のクソガキが死亡事故起こしましたが、免許を一度も取ったこともない無免許運転で死亡事故起こしてるのに何故か危険運転罪が適用されないそうです。

免許無しで死亡事故起こしてるのに何故危険運転罪にはならないのでしょうか。
免許が無いのに運転しても危険運転ではないのですか。

質問番号:7476017


 で、回答の中に、拙ブログへのリンクを張っているこんなのが。

No.4回答者:nekonynan 回答日時:2012/05/14 23:32

政府解釈が国会答弁があるから・・・それが原因ですよ

 http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/5fd1234f6601cf284f6e423d6efa016a

 国会答弁変更しろ・・糞政権 民主党


 これに対して質問者は、

この回答へのお礼

わかりました。

糞政権の民主党が悪いのですね。
それは否定しません。
同意します。


と応じている。

 危険運転致死傷罪の創設は民主党政権より前のことなのだが……。

 また、別の質問もあり、

危険運転致死罪と京都の車暴走事故

質問者:manoppai 投稿日時:2012/05/23 15:26

以前気になった質問で、京都の車暴走事故の話があったのです。続きが気になったのですが締め切られていました。この質問です。
裁判長は求刑以上の判決を出せる?その逆は?
http://okwave.jp/qa/q7481914.html

あれだけの大惨事でしたから、検察は危険運転致死罪で公訴すべきなのに、最高刑が懲役7年の業務上過失致死で起訴した話です。
どうみても検察の怠慢起訴だって批判は多かったのですが、morizou02さんは一人だけ、「構成要件にあたらないからやむ得ない」と主張していたんですよね。その時何言ってんだと思いました。

http://www.kyoto-np.co.jp/politics/article/20120523000021
亀岡事故1ヵ月 遺族ら法改正求め連携

でも、この記事をみると、法律のほうに欠陥があって、morizou02さんの指摘がどうも正しかったというのはわかってきたのです。
しかし、なぜ無免許運転による危険運転が、危険運転致死罪の構成要件に該当しないのか釈然としないままなんですよね。morizou02さんの指摘だけだと。だれか詳しく教えてください。

質問番号:7491705


 この質問への回答の中でも、同じnekonynanさんが、

No.1 回答者:nekonynan 回答日時:2012/05/23 15:43

 構成要件については、政府解釈が国会答弁があるから・・・それが原因ですよ

 
 http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/5fd1234f6601cf …


 国会答弁で解釈を変更すれば・・それで問題なく適応可能だと考える


 さっさと誰か国会で質問して解釈変更させろ


 民衆党 政権辞めてくれ・・・


 糞民主党&国会議員よ・・・


さらに、

No.3 回答者:nekonynan 回答日時:2012/05/23 16:06

リンクミス
http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/m/200801/?st=1

http://blog.goo.ne.jp/GB3616125/e/5fd1234f6601cf284f6e423d6efa016a


とある。

 この質問へのNo.2の回答者は、きちんと刑法の条文を挙げて、構成要件に当たらないことを説明しており、回答としてはこちらの方がはるかにまともであるにもかかわらず、質問者はNo.1をベストアンサーに選んでいる。
 不思議な対応だ。

 上の2つの質問への回答の中には、まともなものも少しはあるが、ほとんどが愚にも付かないものであり、なるほど、「バカが意見を言うようになった」(小谷野敦)とはこういうことかと思った。

 最初の質問の質問者は、いくつかの回答に対し、「この回答へのお礼」で

今回の事故をきっかけとして今後今回の事故と今回同様の事故は危険運転罪適用すればいいのですよ。

以前、遺族が騒いだから殺人事件の時効が無くなったし悪質な酒飲み運転は危険運転罪適用されるようになりました。
今回も泣き寝入りしないでもっと騒げば国会で法改正してもらえるかもしれません。
今のままの法律では今後も何も変わらずクソガキが喜ぶだけです。
見せしめの為にでももっと厳しく法改正するべきでしょう。


という文章を繰り返しコピペしているが、既に結論が出ている問題ならわざわざ質問するには及ぶまい。
 また、法改正により「今回同様の事故は危険運転罪適用す」ることはできるかもしれないが、改正前の「今回の事故」に適用できるはずがない。
 不遡及は法の大原則だが、この人はわが国を法治国家でなくしたいらしい。

 私が以前の記事で引用した国会でのやりとりは、単なる解釈の問題ではない。立法趣旨はどうだったのかということを確認したのだ。

 もちろん、世の中は移り変わるものであり、立法当時に想定されていなかった問題が出てくることも有り得る。必ずしも立法趣旨に沿わなくても、拡大解釈して法律を適用するといった運用も可能だろう。
 しかし、法律に書いていないことや、普通に考えて困難な解釈を、無理矢理適用することはできない。それでは、わが国は法治国家ではなく、中国や北朝鮮のような人治国家になってしまう。
 
 刑法の危険運転致死傷罪の規定は、

(危険運転致死傷)
第二百八条の二  アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2  人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。


というものだ。
 この「進行を制御する技能を有しないで」に無免許運転が含まれるかどうかが問題となったわけだが、結局、技能を有していると判断されたのだろう。
 そりゃあ、無免許だからといって、技能を有していないとは言えまい。
 結果的に事故を起こしているのだから技能を有しているとは言えないのではないかという見方もあるだろうが、それではあらゆる交通事故に危険運転罪を適用すべきだということになってしまう。

 この質問者は、別の「この回答へのお礼」で、

免許は無くてもそれなりの技能があれば免罪ですか。

普通は、無免許=無技能、ってみなしませんか。


と述べているが、みなさないのが普通だろう。

 ちなみに、危険運転致死傷罪の創設が審議された平成13年11月22日の参議院法務委員会では、次のようなやりとりがあった。

○佐々木知子君〔引用者注 自民党議員、元検事〕 「進行を制御する技能を有しない」ということは書かれてありますけれども、これはどういうことを想定しておられますか。いわゆる無免許運転でこういう事故を起こしたという場合には恐らくそういう認定がしやすいかと思いますけれども、進行する技能を有しないというのはあくまでも技能に注目したもので、一々技能を持っているかどうかということを認定するということでしょうか。
○政府参考人(古田佑紀君)〔引用者注 法務省刑事局長〕 これも先ほど申し上げましたとおり、自動車の走行のコントロール自体がおよそ困難だというふうな場面を前提としているわけでございまして、したがいまして、「進行を制御する技能を有しない」というのは、単に無免許ということではなくて、ハンドル、ブレーキ等の運転装置を操作する、どうやって操作するか、あるいはそれを操作した場合にどうなるかというようなことについての基本的な技能、そういうふうなものも持っていない、大変、言ってみれば運転、自動車の走らせ方というのをほとんど知らないというふうな、そういう未熟な状態のことをいうわけでございます。
 したがいまして、実際に判断する場合には、運転免許を有していないことは当然のことでございますが、それまでの車両を扱った経験あるいは実際の、特に重要なのは、運転状況などということなどを総合的に考慮して判断するということになると考えられます。


 別にこれは法務省の解釈がおかしいのではなくて、普通に考えればそうなるだろう。

 先の質問者は、続けて

それなりの技能ってのもあやふやだし、おかしいと思うのですが。
どれぐらいならそれなりの技能なのでしょうね。
小学生だって教え込めばそれなりに運転出来るんじゃないのかな。

免許無いなりにそれ以前から公道を運転していてそれなりの技術が有ったって、本来は公道を走ってはいけないんじゃないの。
無免許で繰り返し公道走ってうまくなったから免罪にするって本末転倒なんじゃないの。
馬鹿げてるとしか思えませんね。


と述べているが、もちろん無免許運転はいけないことだし、当然今回の犯人は無免許運転でも処罰されるのだから「免罪」などにはならず、馬鹿げているとは思わない。

 危険運転致死傷罪で検索したら、こんなことを述べている方もおられたが、

 京都府亀岡で起こった無免許運転者による3名死亡事故で危険運転に当たらない、と検察が認定したのはまさしく噴飯ものの判断だ。

 無免許運転でも繰り返し行って習熟していれば「危険運転」ではない、というのなら無免許運転の奨励になりはしないだろうか。この国の検察判断によると無免許で未熟な技術によって人身事故を起こせば「危険運転」だが、繰り返し無免許運転という法令違反を繰り返して運転に習熟していれば最高刑20年の懲役ではなく、最高刑7年の「過失事故」に相当するのだそうだ。

 無免許運転は明らかに「未必の故意」を形成するのではないだろうか。そうではない、と判断するのなら全国の自動車学校は要らなくなる。勝手に無免許者は路上で訓練して技能を習熟した上で免許試験場へ行けば良いだろう。

 技能に習熟した無免許運転者に「事故を起こしてやろう」との故意がないから危険運転は問えない、というのならこの国の法律を順守して免許証をキチンと取得して運転している人たちの規範意識と相容れないのではないだろうか。


 へー無免許ってだけじゃ危険運転罪に当たらないのか、じゃあ俺も免許取らずに運転しよーっと。やってりゃそのうちうまくなるだろ。
 どうせ事故っても懲役7年だし。

 ――などという考えで無免許運転の常習に及ぶ者がどれほどいるというのだろうか。

 この方はさらに、

 泥棒の最高刑は懲役10年だが、交通事故の「業務上過失致死」は最高で懲役7年だ。人の命を奪っても、何人奪っても、それが過失なら最高刑懲役7年で済む。こんなバカな話があるだろうか。

 道路交通法が出来た当初、車を運転する人は特権階級の人たちだった。一般的な国民は自家用車を持っていなかった。だから、特権階級に配慮した法律が出来たと考えると被害者の命が軽く扱われる理由が理解できるだろう。

 法律は成立した時代の空気を反映している。国民の誰もが車を持ち、誰もがハンドルを握るこの時代に、運転者を特権者扱いする法律が果たして正しいのか再考すべきではないだろうか。

 それでなくても車は車に乗らない人たちにとっては迷惑千万な代物だ。生活道路でもお構いなく疾走するし、臭い排気ガスを撒き散らす。おまけにバカな運転者はラッパのようなマフラーをつけて爆音まで撒き散らす。

 人身事故による最高刑が泥棒よりも軽いとは驚きだ。危険運転事故でも20年とは、この国の運転者は何処まで守られなければならないかと怒りを覚える。


と述べているが、私も一部ドライバーのマナーの悪さには閉口することが多々あるが、むしろ「誰もがハンドルを握るこの時代」だからこそ、故意犯はともかく過失犯を安易に厳罰に処すべきではないのではないだろうか。
 でなければ、ただでさえ過剰収容が問題となっている刑務所がそれこそいっぱいになってしまうし、刑務所経験者がそこらじゅうにいることになってしまう。

 また、自動車による過失致死は最高7年だが、単なる重大な過失による致死は最高5年、重大ではない過失であれば何と最高でも50万円の罰金にすぎない。

(過失致死)
第二百十条  過失により人を死亡させた者は、五十万円以下の罰金に処する。

(業務上過失致死傷等)
第二百十一条  業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
2  自動車の運転上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、七年以下の懲役若しくは禁錮又は百万円以下の罰金に処する。ただし、その傷害が軽いときは、情状により、その刑を免除することができる。


 人命が失われているのに何故こうも軽いのか?
 そもそも犯罪とは故意に行われることが原則である。一部の結果重大な行為につき、過失による場合でも例外的に罰則が設けられているにすぎない。

(故意)
第三十八条  罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。


 そうしたことも考慮する必要があるだろう。

 今日、この亀岡の事件について、遺族らが危険運転致死傷罪で起訴するよう求める署名活動を行ったとの報道があった。

遺族が署名活動=無免許暴走、危険運転罪求め-京都

 京都府亀岡市で登校中の小学生の列に車が突っ込み10人が死傷した事故で、遺族らが2日、無免許運転で事故を起こした無職少年(18)をより重い危険運転致死傷罪で起訴するよう求め、京都市などで署名活動を行った。
 遺族らは、亡くなった家族の写真をプリントしたTシャツを着て署名を呼び掛けた。死亡した松村幸姫さん(26)の父中江美則さん(48)は「死んでいった子どもたちの悔しい気持ちを伝えていきたい」と訴えた。
 亡くなった小学2年小谷真緒さん(7)の母絵里さん(30)は「無免許運転の人はもっといると思うが、また真緒みたいな被害者が出るのはつらい」と話した。(2012/06/02-12:15)


 遺族らの無念は察するに余りあるが、しかしこれは無理というものだろう。
 あるいは、この事件をきっかけに、無免許運転致死傷罪とでも言うべきものが新設されることになるかもしれない。そのための力には成り得るかもしれないが。


(関連記事
危険運転致死傷罪について思うこと(1)
危険運転致死傷罪について思うこと(2)
危険運転致死傷罪について思うこと(3)
コメント (2)
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土肥信雄とはどういう人物か

2012-02-07 00:07:09 | 事件・犯罪・裁判・司法
 昨日の記事の補足。

 昨日も書いたように、私はこの土肥信雄という人物やこの訴訟についてこれまで知らなかった。どこかで読んだことはあるかもしれないが、記憶にない。

 土肥の氏名で検索してみたら、Amazonのサイトで著書が2点と土肥を扱った本が1点あることがわかった。

 カスタマーレビューを見てみた。

 『学校から言論の自由がなくなる―ある都立高校長の「反乱」』 (岩波ブックレット、2009、尾木直樹、西原博史、藤田英典、石坂啓との共著)のレビューから(太字は引用者による。以下同じ)。

 著者・都立三鷹高校の元校長土肥氏による、職員会議での教職員の挙手・採決禁止をはじめとする都教委との闘いを前半で、後半では他著者らとの公開シンポジウムを採録している。

 日の丸・君が代の過度の強制や処罰等を都教委は真っ先に行い、それが全国へと広がっている。
 そのような管理体制が進む中、教員は92万人中5千人(2007年)が心の病で休職している。
 だが現場の長は教委のロボットとなり、上意下達を繰り返すだけだ。
 工場であってもこのような厳しい管理体制は許容し難いが、学校での相手は子どもであり、結果的にはそのようなもの言えぬクウキを子どもにも強要する事になろう。
 と考えれば、校長も教育者である以上、子どもの盾となって不当な弾圧には抵抗せねばならず、土肥氏の後に多くの校長が続いて欲しいと思う。

 土肥氏は今年の定年退職後、殆ど落ちる人のいない非常勤講師としての再雇用試験を不合格とされ、都教委と法廷闘争中である。
 また闘うだけの人でなく、4年間在籍後の三鷹高での離任式で、同年の卒業生から卒業証書を貰う程生徒には慕われており、その中には「都教委の弾圧にも負けず」の文言がしっかりと書かれてあった。


 教委に従う校長が教委のロボットなら、教委に刃向かう校長に従う生徒は校長のロボットだろう。

 別のレビュアー。

現役の東京都立高校の校長先生が、石原慎太郎下の東京都教育委員会の集合知弾圧/大声での脅迫に、静かな表現で異議を申し立てています。当然、不法な嫌がらせや暴力が振ってかかるでしょうから、彼やその支援者(その高校の多くの生徒/保護者など)の勇気には、最大の賛辞をお送りします。もちろん、岩波書店にも!


 「静かな表現」とやらを見習ってはどうかな。

 『それは、密告からはじまった―校長vs東京都教育委員会』(七つ森書館、2011)のレビュー。

こよなく生徒を愛し、優れて民主的な学校運営を続けた土肥信雄さん。ほとんどすべての生徒と保護者から愛され、支持されてきた稀に見る校長先生を、東京都教育委員会と石原知事が任命した将棋棋士の米長教育委員は目の敵にし、権力をもって弾圧・陰湿なイジメを行ってきましたが、その実態が本書では、事実をもって淡々と語られています。ただし、土肥さんの心は熱く、叙述はユーモアに富んで楽しいですが。

これを読むと、東京都教育委員会の「狂気」という他にない言動の意味が分かります。戦前と同じく、特定のイデオロギーにつく行政=政治がもつオゾマシサ・危険性が戦慄と共に明白になります。現場・当事者の意思を無視し、上位者のもつ特定の思想を強権によって実現しようとする事がどれほどの「悪」であることか。彼らの所業は、近代市民社会の常識を大きく逸脱し、根源悪と呼ぶほかありません。


 上位者の意思を無視し、現場・当事者のもつ特定の思想を強権によって実現しようとすることは「悪」ではないのですね。

本書を読み、一連の出来事の「事実」を知ってなお、東京都教育委員会に理があると思う人は、おそらく唯の一人もいないでしょう。議論すること自体を認めない!!という教育とは、酷い管理でしかありませんが、管理と教育が二律背反であることさえ知らない人が教育行政に関わるとは、ただ絶句あるのみです。管理とは機材や設備、あるいは品質について言われることであり、人間を管理するというのでは、悪未来のSF小説でしかありませんし、歴史的には、ヒトラーのナチズムや戦前の天皇制下の軍国主義における人間抑圧そのものです。

いま、土肥さんは、東京都教育委員会を相手に裁判をしていますが、この裁判で万一土肥さんが「敗訴」するなら、わが日本の民主主義は完全にオシマイでしょう。繰り返しますが、本書を読まれてなお、土肥さんに非があると思う方は、一人もおられないと思います。ぜひ、ご一読を。


「ヒトラーのナチズムや戦前の天皇制下の軍国主義」
 どうして、スターリンや毛沢東や金正日は例示されないのでしょうか。

 前回の記事で述べたように、こんな訴訟は敗訴して当然だと思いますが、ではわが国の民主主義は「完全にオシマイ」になったのですね。

 別のレビュアー。

私は土肥校長の学校で教員をしていました。土肥さんはこの本で書かれているように、いつも生徒の中に嬉々として入って行き、生徒を励まし、事あるごとに「平和主義と基本的人権」の大切さを熱く語り、弱者への配慮ができる社会的リーダーになることを求めていました。常に、生徒のため、将来の平和で民主的な社会のためといった視点で考え、実行される方でした。生徒、保護者、教員からの信頼も絶大で、土肥さんが校長をされている時は学校が明るく、生き生きとしていました。しかし、そんな校長を今の東京都教育委員会は許さず、陰湿に陰険に脅し、いじめ、裁判となると公然とうそをつくのです。このような信じがたい都教委の暴走の実態をぜひ一人でも多くの方に知ってもらい、世論の声で東京の教育が民主的なよりよい方向へ変わることにつながることを願っています。


 澤宮優『生徒がくれた“卒業証書” ~ 元都立三鷹高校校長 土肥信雄のたたかい』(旬報社、2010)のレビュー。

わたしは、東京都教育委員会のすさまじいまでの強権。戦前の国家主義となんら変わらぬ思想・態度を知り、公共的な憤りが腹の底からフツフツと湧いてきました。

民主主義の原理について何も理解していない都教委の役人たちを、東京都民は税金で雇っている。高給を与え、威張り散らす特権を与えて。

高潔で誰からも愛される校長先生を弾圧し、言論の自由を奪う。まるで北朝鮮のよう。

これほどまでに堕落した東京都の教育現場を知ると、都立高校の卒業生であり、1969年に高校改革の先頭に立って民主的改革を成就させたわたしは、呆れ返り、言葉を失います。

しかし逆に、パワーが湧き上がってもきます。個々人から立ち昇る〈魅力〉を奪う「国家主義」をその根元から断つための思想の闘いに、また新たなエネルギーが充填されました。


 別のレビュー。

 都教委=石原都知事に対し、現職校長として抗ってきた人物と書くと、左翼と疑われそうだが、土肥元校長は法令遵守をモットーとし、憤りながらも都教委による職員会議での挙手採決禁止(ここは保守系論客の高橋史朗明星大学教授ですら「職員の意向を把握する為の一つの方法として挙手させる事自体に問題はない」としている)、入卒業式での国歌斉唱・国旗掲揚への職務命令は行い、処罰も受けていない。


 法令遵守をモットーとし、挙手採決禁止、国歌斉唱・国旗掲揚に従っているからといって、左翼でないとは言えないだろう。

 また、高橋史朗は「職員の意向を把握するための一つの方法として挙手させること自体に問題はない」としているだけで、意思決定のための挙手は校長の最終決定の権限を侵害するおそれがあり問題だとしているのだから、挙手採決を高橋が「問題はない」と見ているように語るこのレビュアーは嘘つきだろう。

 なるほど、だいたいどういう話なのかわかってきた。

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辺野古アセス評価書送付をめぐる朝日新聞の報道を読んで

2011-12-29 11:55:02 | 事件・犯罪・裁判・司法
 防衛省は26日、普天間飛行場の辺野古への移設に向けたアセスメントの評価書を沖縄県に郵送した。郵送は異例のことだが、提出阻止を図る「市民団体」が県庁前に集まっているため、沖縄防衛局の担当者による手渡しを断念したのだという。

 ところが27日、運送業者は「市民団体」によって配送を阻まれ、評価書は県に届けられなかったという。
 アサヒ・コムの記事より(太字は引用者による。以下同じ)。

辺野古アセス提出阻まれる 市民団体抗議で引き返し

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の辺野古移設に向けて防衛省が発送した環境影響評価(アセスメント)の評価書は27日、沖縄県庁前で抗議を続ける市民団体などが運送業者の車を阻み、県に届けられなかった。政府は、沖縄防衛局の職員に直接運ばせるなどの方法を検討している。

 県庁入り口ではこの日、市民団体のメンバーらが荷物の宛先を一つ一つ確かめたため、一時騒然となった。白いワゴン車が県庁の搬入口に来たのは午前11時過ぎ。「提出阻止」のプラカードやのぼりを持った約50人が車を囲み、車内に積まれた10箱ほどの段ボール箱を見つけて中身を問うと、運送業者は「評価書だ」と答えた。

 県に渡さないよう詰め寄る市民団体と1時間ほど押し問答の末、業者は正午過ぎに立ち去った。県によると、混乱でけが人が出かねないことから、車を引き返させるよう防衛省に求めたという。


 沖縄は無法地帯か。

 この記事の写真を見ると、「市民団体」なるものの実体がよくわかる。
 こういうのは、「共産党や労組などが」と書くべきではないか。

 さて、そこで沖縄防衛局の職員が28日未明、県庁に車で訪れ、評価書の入ったダンボール箱を運び込んだという。
 28日の朝日新聞夕刊社会面には、こんな扇情的な記事が掲載されていた。

午前4時、無言で守衛室へ…
「卑劣」怒る沖縄 辺野古アセス

 沖縄平和運動センターの山城博治事務局長によると、段ボール箱が運び込まれたのは28日午前4時過ぎ。沖縄県庁前の道路に車5台が横付けされ、沖縄防衛局職員らが小走りで次々に箱を守衛室に積み重ねた。車内には真部朗・沖縄防衛局長もいたという。
 県庁前では27日、市民団体が抗議活動を続け、評価書を運んできた運送業者の車を追い返していた。だが、28日未明の時点で周辺にいたのは山城さんら数人だけで「こんなやり方はやめろ」と訴えたが、職員らは無言で5分もかからずに作業して立ち去ったという。
 〔中略〕

「闇討ち」■「信頼築けぬ」

 「あまりに卑劣で、公の機関のやることとは思えない。これで正式な提出と言えるのか」。県庁前で抗議活動を続けていた山城事務局長は、声をふるわせた。


 何の権限もないのに、公共施設を訪れる車を臨検し、実力をもって配送を阻止するのは卑劣ではないのか。

 検索すると、この山城という人物は、元沖縄県職員で、自治労県本部副委員長を経て、昨年の参院選で社民党の推薦を受け沖縄県選挙区で立候補している。自民党の現職に敗れて次点となったが、かなりの票を得ている。
 そういう「市民」たち。

 県庁には、強行搬入のニュースを知った市民らが28日午前7時ごろから続々と集まった。「信じられない暴挙だ」と1階の守衛室前に100人以上が詰めかけ、県の担当窓口である環境政策課へ評価書が運ばれるのを阻止しようと、廊下で座り込みを始めた。「荷物を、この部屋から出すな」。怒声が飛び交い、県職員の出勤時間も重なって、一時は騒然とした。


 やりたい放題だな。

 同課前の廊下にも、肩を寄せ合う市民約100人が「怒」と書いた紙を手に座り込んだ。那覇市の女性(64)は、「このような闇討ちで評価書を届けるなんて、でたらめさがはっきりした。県民を踏みにじる姿勢だ」。与那原町の無職森山次雄さん(66)も「郵送というのは県民を欺くための作戦だったのか。誠心誠意と言いながら、中身が伴わない。こんなことで沖縄との信頼関係が築けるわけがない」と話した。


 作戦も何も、郵送が阻止されたから、直接届けざるを得なかったんだろうに。

 県庁前では市民団体が27日、評価書を運んできた運送業者の車を追い返した。だが、閉庁時間帯の搬入はないと考え、夜間は少人数しか残っていなかった。那覇市の公務員、宮城厚さんは搬入を聞きつけて20分ほどで駆けつけたが、市民団体のメンバーは5、6人しかいなかった。「まさかと思った。こんなやり方は馬鹿にしている」


 搬入がないと考えたのなら、全員引き揚げればいいはずである。
 もしかするとあるかもしれないと考えたが、彼らにも個々の生活があるから徹夜もできず、少人数が残っていたのだろう。
 もっとも、本気で絶対に阻止したいのなら、夜間だろうが何だろうが常時大人数で監視を続けていればよかったはずである。
 今回の未明の搬入は、ある種の「落としどころ」であったのかもしれない。

〔中略〕
 防衛省幹部は「我々として考えられる一番混乱がない方法でお届けした」と述べた。運び込んだ評価書は16部あるが、法律や条例で必要な部数には足りていない。この幹部は「(搬入の)途中で混乱が生じる恐れがあり、引き揚げた」と語った。


 引き揚げざるを得ない妨害行動があったということなのだろうが、その詳細については触れられていない。

 28日朝日朝刊の社説はこの問題を取り上げているが、「市民団体」の行動については、

 反対派の市民らに、配送業者による県庁への搬入が阻止されるという異常事態は、この問題の難しさを象徴している。


と述べるのみで、何ら批判を加えていない。結論は、「日米両政府は、いまこそ立ち止まるべき」と相変わらずである。

 「市民団体」が評価書の送付に反発するのは勝手である。しかし評価書の宛先は県であり、県は受理すると言っている。
 これもアサヒ・コムより。

仲井真知事、埋め立て承認しない意向

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐって、沖縄県の仲井真弘多知事は27日、現在進行中の環境影響評価(アセスメント)手続きの後に想定されている政府からの公有水面の埋め立て申請について「県外移設を求める(自分の)考えと違う結論は出ないだろう」と述べ、埋め立てを承認しない意向を明らかにした。

 報道各社の合同インタビューで語った。仲井真知事は県外移設を公約に掲げて2010年に再選。日米合意にもとづいて辺野古への移設を進める政府に対し、「地元の名護市長や多くの県民が反対する中、辺野古移設は事実上、不可能だ。県外移設を探るのが早道」と繰り返してきた。

 インタビューで仲井真知事は、埋め立て申請の書類が出された場合、受け取りを拒否することはせず、公有水面埋立法上で定められた項目などを1年以上かけて検討して結論を出すと言及。「公約を変えるつもりは毛頭ない。(申請への判断で)私の考えと違う結論が出るのか。まず出ないだろうと思う」と埋め立て承認をしない考えを示した。

 辺野古移設に向けたアセスは、最終の報告書である評価書を事業者の沖縄防衛局が26日に県に発送。アセス手続きが進めば、来年6月にも、政府は埋め立てを申請するとみられる。〔後略〕


その上で、県が埋め立て申請に反対なら反対すればよい。それだけの話である。

 にもかかわらず、評価書の年内提出を阻止すべしとの政治的主張に基づいて正当な行為を妨害するのであれば、それは威力業務妨害に、国の職員が相手なら公務執行妨害の罪に問われる。朝日がそれを知らぬはずはあるまい。
 でありながら、彼らの行動に何ら批判を加えないという姿勢は、「一切の不法と暴力を排して腐敗と闘う」(朝日新聞綱領)はずの報道機関にはふさわしくないのではないか。

 朝日を反日売国と非難する自称愛国者はネット上に珍しくないが、彼らが大挙して、朝日新聞の発行を断固阻止するとして社屋に座り込んだり、販売店を強襲して配達をやめさせたりしても、朝日は「問題の難しさを象徴している」と論評するにとどまるのだろうか。

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いわゆる尖閣映像流出の問題について

2010-11-17 08:08:43 | 事件・犯罪・裁判・司法
 流出させたとされる海上保安官の行為を「義挙」ととらえる向きが多いという。

 保守派のリアリストである櫻田淳までが、何やら肯定的に評価しているようである
 憂うべき事態だと思う。

 下僚が、職務上知り得た情報を「これは国民が知るべき」などと勝手な判断で公開してはならない。
 下僚にはそんな権限はない。
 それによって生じた事態への責任も取れない。

 公開するか否かは、しかるべき権限を与えられている者が判断すればよい。
 それによって生じた結果は、その者が責任をとればよい。
 権限のない者が独自の判断で勝手な行動をとってはならない。
 そんなことは、組織人として当たり前のことではないだろうか。


 この件について石原慎太郎都知事は次のように論評したと報じられている(アサヒ・コムから)。

 石原慎太郎知事は12日の定例記者会見で、尖閣諸島沖の中国漁船衝突をめぐる映像流出事件について「やった(流出させた)人間は愛国的。売国内閣に罰する資格があるのか」と述べ、「自分が流出させた」と名乗り出た神戸海上保安部の男性海上保安官を擁護する姿勢を示した。

 石原知事は「あれ(映像)は本当に秘密と言えるかどうかわからないし、秘密であっても、私は公開すべきだと思う」と主張。「(海上保安官が)意図的に流したなら、崇高な志だと思う。国民に知らしめるべきだと思った、その動機は愛国的だ」と話した。


 「崇高な志」で「愛国的」だから罰するべきではないというのである。

 これは、五・一五事件の首謀者たちに減刑を嘆願した者どもと同じ論理であろう。
 独断専行である満洲事変を不問に付した指導者層と同じであろう。

 動機がどうであろうが、やってはいけないことはやってはいけないのである。
 かつてそれを許したわが国は、結局は国を亡ぼすに至った。
 動機を理由にこの海上保安官への処分を批判する者は、歴史から何も学んでいないと言えよう。

 もっとも、流出した映像が、そもそも処罰に値するほどの秘密と言えるものなのかという疑問はある。
 その点で石原の発言の一部には共感する。

 なお、この海上保安官が本当に流出させたのかという点についても、私はまだ疑いを抱いている。
 そのプロセスが捜査上明らかになっていないと伝えられているのだから、断定的な物言いは慎むべきだろう。


(関連記事)
櫻田淳の意外な反応

「尖閣衝突の船長に起訴議決」の記事を読んで

尖閣で騒ぐな 尖閣を騒ぐな

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そら、アカンやろ。

2010-11-07 23:41:10 | 事件・犯罪・裁判・司法
 10月28日の朝日新聞夕刊の1面トップに、次のような記事が載っていた。

空き缶集めアカン?

京都市 業者排除へ条例
野宿者側 「生きる糧」抗議

 資源ごみをめぐり、京都市が指定業者以外の回収を禁じる廃棄物処理条例の改正案が28日、市議会で可決された。回収前の空き缶を持ち去って転売する業者が相次いだためだが、缶集めで暮らすホームレスの支援団体が「生きる糧を奪うな」と反発。市はホームレスに仕事を紹介する支援策も決めた。同様の条例は各地で施行、検討されており、行政の対応が注目されている。 (岡見理沙、柳谷政人)

 回収が禁じられるのは、街角の集積所に出される空き缶、びん、ペットボトルなどの資源ごみ。条例改正のきっかけは、金属価格の高騰を背景に、空き缶を無断で集め、転売しているとみられる業者が目立ったためだ。市民からは「業者らしき車が大量に缶を持ち去った」「市指定の有料ごみ袋で出す意味がない」といった苦情が寄せられていた。

 市が指定業者に空き缶を売却する収益は年間1億円前後で、財政難の市にとっても貴重な財源。来年4月に施行される改正条例では、指定業者以外の資源ごみ回収や持ち去りが禁じられる。ただ、違反者に対する罰金や過料などの罰則規定はない。

 ところが、こうした市の動きに、ホームレスの支援団体などが反対の声を上げた。今月20日には、支援団体のメンバーら約350人が市役所を「人間の鎖」で囲み、「野宿者を排除するな」などと抗議した。

 反貧困ネットワーク事務局長の湯浅誠さんも駆けつけ、「野宿者が生活の糧とする空き缶回収の禁止は時代に逆行する動き。住民と野宿者の双方が納得できる形をつくることが行政の仕事」と訴えた。

 京都市内では、資源ごみ回収日の朝になると、空き缶を徒歩や自転車で集めて回るホームレスが少なくない。鴨川の河川敷で暮らす男性(66)は週3日、空き缶を集めて暮らす。転売すると1キロ70~100円になる。「禁止されたら収入がなくなる。不況が続き、高齢では仕事も見つからない」とこぼす。
抗議の声を受け、市は今月に入り、ホームレス124人から聞き取り調査を実施。40%が就職を希望し、空き缶集めを続けたい人は6%にとどまった。調査を踏まえ市は来年度から、常勤的な仕事に加え、ビルの管理・清掃業務や調理補助などの短期や訓練的な仕事も紹介する。

 市議会は28日、「ホームレスの一部が空き缶収集で収入を得ていることも事実。ホームレスの自立支援策をより一層速やかに推進する必要がある」とする付帯決議も可決した。

各地で禁止次々

 資源ごみの持ち去りを禁じる条例は2003年以降、東京都杉並区や世田谷区、札幌市、横浜市、さいたま市、大津市などで制定された。

 違反すると罰金20万円以下の罰則がある世田谷区では08年、古新聞を持ち去った業者の有罪が確定。区はトラックで根こそぎ持ち去るような悪質な業者を中心に規制しており、ホームレスの場合には口頭で注意しているという。

 大阪府内では6市が資源ごみの持ち去りを条例で禁止し、河内長野市と茨木市では違反者に罰金を科している。河内長野市では08年に20万円以下の罰金を科す条例を施行したところ、紙類や缶、びんの回収量が増えたという。同府箕面市も、空き缶などの資源ごみの持ち去りを禁じる条例改正案を12月議会に提出し、来年度中の施行をめざす。

 厚生労働省がまとめたホームレスの自立支援に関する基本方針では、自治体に対し「アルミ缶回収など職種の開拓や情報提供を行う」と支援策を示している。



「空き缶集めアカン?」
 そらまあ、アカンのとちゃいますか。

 正確に言うなら、空き缶を集めること自体は別に問題はないだろう。
 しかし、資源ごみとして出された空き缶を、市町村のごみ事業とは無関係な私人が集めて、それを売却して収入を得るというのは、問題ありというのが普通の感覚だろう。

 私もごみ出しの際に、こうした持ち去りを狙っている、トラックに乗った業者らしき人物と出くわすことがよくある。
 はっきり言って、不愉快きわまりない。

 廃品回収を生業としているから不愉快なのではない。
 廃品回収も立派な職業の一つである。
 ならば、空き缶はありませんかと大声で呼びかけて町内を回るがいい。
 あるいは、道端や川などに捨てられている空き缶を回収すればいい。
 
 しかし、市町村が指定したごみの収集日に、住民が出した空き缶を、市町村による回収に先んじて持ち去っていくという作業には、ほとんど労苦を必要としない。
(持ち去って運ぶ行為自体にいくばくかの労苦はあるだろうが、それとてトラックを使えばさしたるものではないだろう)
 自らは何もせず、他人が全て用意したものを横からただ掠め取るだけである。
 そうしたことを、何の恥じらいもなく、さも当然のようにやってのける彼らのその性根が実に嫌らしいと感じるのだ。

 言ってみれば、丹精して育てた作物を、収穫期の到来と同時に盗んでいくようなものではないだろうか。

 個人的には、空き缶よりも古紙の回収の方にさらに問題があると思っている。
 私の居住地では、古紙の収集日の朝には、住宅街をトラックが走り回っている。
 出された古紙を他人より少しでも早く回収しようと、血眼になっているのだ。
 目障りなだけでなく、身の危険すら覚えることがある。

 朝日の記事は、空き缶集めは野宿者の生活の糧であるとして禁止に反対する立場を紹介している。
 しかし、生活の糧と言うなら、京都市の指定業者にとっても同じことではないのか。
 そしてまた、彼らの持ち去りにより市が減収を余儀なくされることについて彼らはどう考えるのだろうか。
 
 資源ごみとして出された空き缶の持ち去りは、条例で罰則が定められていれば明らかに犯罪だが、そうでなくても犯罪まがいの行為だろう。
 そして、京都市の聞き取り調査によると、空き缶集めを続けたいホームレスは6%にとどまったという。
 ならば、湯浅氏らは、ホームレスの自立支援を行政に訴えるべきではあっても、犯罪(まがいの)行為による生計の維持という現状の温存を図るような主張はすべきではないのではないか。
 現状の温存は、いったい誰にとって有益なのだろうか。
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千葉法相の死刑執行批判について(兼・宗伯さんへの返答)

2010-08-01 01:14:10 | 事件・犯罪・裁判・司法
 以下の文章はもともと7月29日の「千葉法相の英断を評価する」という記事に寄せられた宗伯さんという方のコメントへの返答として書いたものだが、長文になったのと、他の千葉批判に対しても有効でありそうなので、新記事にしておく。

 宗伯さん、こんにちは。
 オノコロさんのブログでの私のコメントを見て来られたのですね。

 私が「英断」と表現しているのは、記事本文を読んでいただければわかると思うのですが、千葉が死刑廃止論者でありながら、個人的心情よりも法相としての職務を優先して執行に踏み切ったからです。
 それは法相としては当然のことなのですが、その当然のことができなかった法相が自民・自公政権下に数名おり、廃止論者でありながら千葉も同様の事態となることを不安視していたからです。
 しかも、千葉個人としては死刑廃止論を放棄したわけではないようです。
 死刑廃止論者の中には、法相が死刑を執行しなくなることにより、事実上死刑を廃止するという邪道を狙っている者もいますが、千葉はそうではなく、国民的論議の下での死刑廃止という正攻法を意図しているようです。私は死刑存置論者ですが、敵ながら天晴れと言うべきです。

 「見苦しい擁護」とおっしゃいますが、私はただ千葉の行為を評価しただけであり、別に擁護しているつもりはありませんし、千葉が私などに擁護されなければならないひよわな存在だとも思いません。
 「見苦しい」文章を書いているつもりもありませんので、どこがどう「見苦しい」のかご教示願いたいものです。

 コメントを読む限り、あなたがおっしゃりたいのは、要するに、

>落選して留任し批判が高まった途端に死刑執行したことが全てを物語っている

>椅子にしがみつくために殺したのは明白

>この人は自身への批判をかわすため「だけ」に死刑を執行した

ということのようですが、どうしてこのような批判が生じるのか不思議です。

 というのは、まず、死刑廃止論者たちからは当然何故執行したのかという批判が出ますし、野党からも私が記事で挙げたような批判が出ています。さらにネットでもあなたやオノコロさんのような愚にもつかない批判も出ています。
 千葉は、全く「批判をかわ」してはいないではないですか。

 「椅子にしがみつくため」とおっしゃいますが、千葉は落選を理由に菅首相に辞意を表明したものの、9月に予定されている民主党代表選後の内閣改造までは留任するよう求められたと伝えられています。
 つまり、9月までは千葉の地位は安泰です。
 死刑を執行するなら、退任直前にもできたはずです。
 にもかかわらず、このタイミングで何故執行したのでしょうか。

 千葉が言うように、落選が今回の死刑執行に全く影響していないのかどうか、私にはわかりません。千葉の言い分を支持する根拠もありませんが、かといってそれを否定する根拠もありません。
 しかし、「批判をかわすため」だの「椅子にしがみつくため」といった批判が的を得ていないことは明白だと思います。

 なお、

>ずっと執行していなかったものを

>法で定められた期日を散々無視しておいて

とおっしゃいますが、確定から6箇月以内に執行していないのは何も千葉に限ったことではなく、これまでの自民・自公政権で行われていたことです。この点で千葉のみを批判するのは不当です。
 宗伯さんは、死刑制度の運用について、あまりご存じないようですね。それとも意図的に誤りを書いているのでしょうか。

 さて、宗伯さんは、私へのコメントで

>いくらなんでも
英断という評価は、節操がないにもほどがある
のはないですか?

とおっしゃいますが、「節操」という言葉の意味を理解しておられるのでしょうか。

 そう言う宗伯さんは、ご自分のブログで、この死刑執行前の記事「立派な主張です
で、千葉をこう批判していますね。

死刑は慎重に、大変立派な主張だと思います。私は死刑が必要だと考える人間ですが
慎重であるべきだ、との考え方には耳を傾けるべきだとは考えています。

ただし、法相の仕事を放棄してよい ということにはなりませんけどね。

政治的な立場を主張するのは本来勝手ですが大臣となると話は別ですね。

大臣でありながら、政治的な立場により職務を遂行できないなら
それは即刻辞職すべきである、また国民もそれを要求しているということは

民主党支持者からも見放されなければ出ることのない
「現職大臣落選」
という厳然たる結果が出たことによっても明らかです。

どうして左翼の人って、こう無責任な人間が多いのでしょうか。
職務放棄して組合活動、政治活動に没頭している教員なんてのも多いですよね。
公務員はこういうことをしてはいけない、というのは常識なんですが
ルールを踏みにじって権利を絶叫する様はまさに滑稽の一言に尽きますよね。
まじめに教職に向き合っている教員に失礼でしょう。

話を千葉さんに戻しますが
とにかく立場をわきまえないこの図々しい態度、思想を建前に職務放棄、
選挙民から断罪されても大臣職にしがみつくこの厚かましさ・・・

仕事はしないわ、選挙には落ちるわ、

この老人が法務大臣であり続けてよい条件など 何一つないわけですが民主党は続投宣言。

よほどこの大臣が推進する日本解体3法案に傷がつくのが嫌なんですね。
死刑を遂行しない態度と同時に、この法案が否定されたから落ちたようなものなのにね。


 死刑を執行しないのは職務放棄であると述べていますね。
 私も同様の考えであることは、前回の記事や、昔の「死刑執行は法務大臣の職務」という記事などで述べました。

 ですから私は職務を執行した千葉を評価しました。
 しかしあなたは、執行が報じられた直後の「椅子の為に信念も捨てた」という記事で

批判を回避するためだけに信念を捨てアッサリ死刑を執行するのか?
これは法相の職務を遂行したのではなく批判をかわすために人間の命を利用したわけだ。
この老人こそ、もっとも人の命を軽んじていると遠慮なく言おう。

まぁ人権屋の正体など こんなものだ。

死刑に最後まで反対し、しかし民意を尊重せねばならぬと自ら職を辞すならば
その信念に一定の敬意を表するところだったが、
もはや民意も自らの信念も捨て、ただただ大臣の椅子に執着する見苦しい老人という印象以外
この人物への評価は何もなくなってしまったな。

辻本先生もよくみておくことだな。
ただ政権への執着から社民党を離脱したのならば この老人と同じ評価になる。

こんな信念も民意もアッサリ捨て批判回避のためだけに人間の命を利用するようなものを、
国民に否定されてなお続投させるとは、やはり民主党など論外だ。


と、やはり千葉を批判しました。

 死刑を執行しなければ職務放棄と批判し、死刑を執行したらしたで「批判を回避するためだけに信念を捨て」云々とやはり批判する。
 こうした行為こそが、「節操」がないと批判するにふさわしいものではないでしょうか。
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千葉法相の英断を評価する

2010-07-29 01:20:45 | 事件・犯罪・裁判・司法
 昨日の朝日新聞夕刊は1面トップで千葉法相が死刑執行を命じたと報じた。

千葉法相 2人死刑執行
 政権交代後初 自ら立ち会う

 千葉景子法相は28日午前に記者会見を開き、死刑囚2人の死刑を同日に執行したと発表した。死刑の執行は昨年7月に3人に対して行われて以来、1年ぶり。確定した死刑囚はこれで107人となった。政権が交代し、千葉法相が昨年9月に就任してから初めての執行となる。かつての死刑廃止議員連盟のメンバーで、今月の参院選で落選した千葉法相が執行に踏み切ったことは、論議を呼びそうだ。


 出た! 「論議を呼びそうだ」。
 
 千葉法相は会見で、自ら執行に立ち会ったことを明かし、「死刑に関する根本からの議論が必要だと改めて思った」と語った。法相として執行に立ち会ったのは「おそらく初めて」という。そのうえで、法務省内に勉強会を設置し、死刑制度の存廃を含めたあり方を検討する▽国民的な議論の材料を提供するため、メディアによる東京拘置所内にある刑場の取材の機会を設ける――ことを明らかにした。

 執行されたのは、2000年6月、宇都宮市の宝石店で女性従業員6人を焼死させ、1億4千万円相当の貴金属を奪ったとして、強盗殺人などの罪が確定した篠沢一男死刑囚(59)▽03年8月、埼玉県熊谷市で飲食店従業員などの男女4人を殺傷したとして、殺人などの罪が確定した尾形英紀死刑囚(33)――の2人。ともに東京拘置所で執行された。

 篠沢死刑囚は02年に宇都宮地裁で、尾形死刑囚は07年にさいたま地裁でそれぞれ死刑判決を言い渡された。いずれも07年に死刑が確定し、執行までの期間は、篠沢死刑囚が約3年4カ月、尾形死刑囚が約3年だった。

 近年では、鳩山邦夫元法相が約1年の在任期間中に約2カ月に1度、計13人の死刑を執行した。千葉法相の前任の森英介前法相も3回にわたって9人に執行した。

 死刑執行まで1年以上の空白期間ができたケースも過去にはある。就任会見で「サインしない」と発言し、直後に撤回した杉浦正健元法相の在任期間(約11カ月)を含む06年12月までの約1年3カ月、執行されなかった。


 以前にも述べたが、死刑執行の法務大臣命令について、刑事訴訟法第475条第2項は

判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない。但し、上訴権回復若しくは再審の請求、非常上告又は恩赦の出願若しくは申出がされその手続が終了するまでの期間及び共同被告人であつた者に対する判決が確定するまでの期間は、これをその期間に算入しない。


と定めている。したがって、この項の但し書きに当たらない死刑囚については、法務大臣は判決確定から6か月以内に死刑執行を命じ「なければならない」はずである。
 だから、法務大臣個人が死刑に賛成でないからといって、死刑執行を停滞させるがごとき行為は、この条文に反しているのである(もっとも、この6か月以内という期限については、法的拘束力のない訓示規定にすぎず、これに反しても違法ではないとする地裁判例があるそうだが)。

 ところが、55年体制下の第2次海部改造内閣で法務大臣を務めた左藤恵は、自己の信条を理由に死刑執行を拒否し、しかもそれを公然と表明した。続く宮沢内閣の田原隆法相の下でも死刑の執行はなく、宮沢改造内閣で警察官僚出身の後藤田正晴が法相に就くに至って、ようやく死刑の執行が再開された。
 以後、短命大臣を除いて、死刑は細々と執行され続けてきたが、第3次小泉内閣の杉浦正健法相が、またしても信条にのっとり執行しなかった。そのためか後任の長勢甚遠と、その後を継いだ鳩山邦夫は、近年にない2桁台の執行に及ぶこととなり、鳩山は朝日新聞夕刊のコラム「素粒子」に「死に神」と揶揄されるに至った。
 死刑執行が法務大臣の裁量によるものであるかのような前例を作った左藤の罪は極めて重い。

 政治家が個人の信条として死刑廃止論に立つことはあっていいし、それを政治課題としてもかまわない。
 しかし、わが国の死刑制度が上記のようなものである以上、法相の地位に就いたのなら、粛々と死刑を執行すべきだし、それができないというなら初めからその地位に就くべきではないというのが私の持論である。
 千葉景子が死刑廃止に積極的であるとは聞いていたので、左藤や杉浦のような事態が三たび繰り返されるのではないかと心配していた。
 だから、今回の執行は英断であると評価したい。

 アサヒ・コムには千葉法相の記者会見の模様がもう少し詳しく載っていた

死刑執行に立ち会い、千葉法相「根本からの議論が必要」

 「執行が適切に行われたことを自らの目で確認し、あらためて根本からの議論が必要と感じました」。死刑執行に立ち会った千葉景子法相は、神妙な面持ちでそう語った。

 就任以来、執行に慎重な姿勢を示し「国民的な議論」と「刑場などの情報公開」が必要との考えを繰り返してきた。執行前日の27日の記者会見でも「在任中に具体的な動きを起こす考えはあるか」と問われ「なかなか知恵がないですけれども、いろいろと念頭に置きつつ努力を継続している」と、かわしていた。

 その翌日の執行。「国民的議論をする前になぜ執行したのか」と記者会見で問われると、「国民的な議論を深めるに至ることができなかったことは確か」と認めた。そのうえで、「今後真正面から議論させていただき、それを受け止めて議論が展開していくことを願っている」と話した。

 死刑は、再審請求されている場合などを除き、判決確定から6カ月以内に執行するよう刑事訴訟法に定められている。千葉法相は、選挙前から確定した裁判記録を読むなどして「様々な要件や状況を検討してきた」という。今月の選挙で落選したことの影響を問われると「まったくそれはございません」と否定した。

 今後の内閣改造の時点で、政界から引退することを示唆しているが、省内には勉強会を設けることも決めた。その成果については「簡単に結論が出るとは思えないが、ご意見を聞きながら議論の内容を発信していきたい」。

 死刑廃止の持論をなぜ曲げたのか、という問いには「考え方を異にするということではなく、職責に定められていることをさせていただいた」と厳しい表情のまま語った。


 わざわざ執行に立ち会ったこと、「今後真正面から議論させていただき」と述べていることなどから、千葉はまだ死刑廃止論者であるように見える。
 にもかかわらず執行に踏み切ったその姿勢を重ねて評価したい。

 これに対し、自公両党からは落選大臣に死刑執行の資格などないといった声があがっているという。

政府・与党、死刑執行「適正な判断」=野党、落選法相を批判

 民主党政権下で初めて死刑執行されたことについて、政府や与野党からは28日、賛否両論が相次いだ。政府・与党は「千葉景子法相が法の定めるところに従って適正に判断された」(仙谷由人官房長官)と強調。これに対し、野党側は千葉氏が参院選で落選したことを問題視し、「国民にノーと言われた人が死刑執行のはんこを押した」(川崎二郎自民党国対委員長)と批判した。

 仙谷氏は記者会見で、今回の死刑執行について「政権内部でいま執行すべきだとか、すべきでないとか議論したことはない。あくまでも任された千葉氏の判断だ」と説明した。

 千葉氏が命じたことの是非に関しては「法治主義の下で自らの職務を全うした。それ以上でもそれ以下でもない」と述べた。枝野幸男民主党幹事長も「粛々と法に基づいて法執行を行ったと受け止めている」と記者団に語った。

 これに対し、川崎氏は記者会見で「レッドカードを受けた人がやるべきことではない」と批判。山口那津男公明党代表も「(千葉氏は)法相の職にふさわしいかどうかという点で民意を得られなかった。国民の理解が得られない」と指摘した上で、「菅直人首相の任命責任が改めて問われる」と記者団に語った。 

[時事通信社]


 しかし、左藤や杉浦の職務怠慢を問うこともなく放置してきた自民党(杉浦については公明党も)にそんなことを言う資格があるのか。
 国務大臣の任命権は内閣総理大臣にある。選挙は国会議員を選ぶ機会ではあっても大臣としてふさわしいかどうかを判断する場ではない。「レッドカード」「法相の職にふさわしいかどうかという点で民意を得られなかった」との非難は当たらない。

 言っておくが私は千葉法相が積極的とされる人権擁護法案にも夫婦別姓法案にも反対である。千葉のかねてからの政治的スタンスも支持しない。
 しかし、今回の死刑執行は上に述べたような理由で評価するし、落選したから大臣の資格もないといった主張は実に低次元の言いがかりにすぎないと考える。

(関連記事
 死刑廃止論者の言い分
 死刑執行を自動的に? 鳩山法相
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越権行為も「市民感覚」?

2010-07-21 23:55:55 | 事件・犯罪・裁判・司法
 今日の朝日新聞夕刊社会面の片隅に、こんな記事が載っていた。

「横峯議員、犯罪関与」不起訴事件 検察審指摘

 東京第四検察審査会は21日、恐喝事件に関して不起訴となった男性を「起訴相当」とする議決を公表。その中で、横峯良郎・民主党参院議員が「深く犯罪に関与している」と指摘した。

 7日付の議決書によると、審査対象の男性は、プロレスラーら数人と共謀して昨年6月に東京都渋谷区の飲食店経営者に対し、約30万円を脅し取ったとする恐喝の容疑で逮捕された。

 議決書は「逮捕された関係者は6人だが、もう一人、被疑者と言える人物の存在が認められる」と、横峯議員を挙げた。議員はこの事件を企画し、共犯者を手配し、指揮・監督するなど「参謀のような活動をしており、深く犯罪に関与した」と指摘した。

 横峯議員の事務所は「本人が海外に行っており、コメントできない」としている。


 アサヒ・コムの記事を読むと、議決書はさらに、「なぜか議員は事情聴取さえ受けていない。議員が介入しなければ、おそらく事件は発生しなかった」と述べているという。

 横峯議員が真に犯罪に深く関与していたのなら、それは由々しきことだろう。議員辞職を余儀なくされるかもしれない。

 だがそれは、検察審査会が判断すべきことなのか?
 そして、それを議決書というかたちで公表していいのか?

 検察審査会の職務とは何だろうか。
 検察審査会法には次のようにある。

第二条  検察審査会は、左の事項を掌る。
一  検察官の公訴を提起しない処分の当否の審査に関する事項
二  検察事務の改善に関する建議又は勧告に関する事項


 そして、実際にはもっぱら「一」の方、つまり検察官による不起訴処分の当否を審査するのが仕事である。

 今回、不起訴処分となったのは、「審査対象の男性」である。横峯ではない。
「もう一人、被疑者と言える人物の存在が認められる」
などと横峯を名指しで被疑者扱いしていいのかという疑問がまず一点。誰を被疑者と判断するかは警察や検察といった捜査機関の仕事であり、検察審査会の仕事ではない。

 例えば、裁判で、被告人は有罪である(あるいは無罪である)とは言えても、ほかに有罪となるべき人物がいるなどと言えるはずもない。その裁判で起訴されていない人物の刑事責任について、裁判官は判断する権限を持たない。
 検察審査会は裁判ではないが、検察官の権力が正しく行使されているかを国民の立場からチェックする機関であり、その立ち位置は裁判所と同様中立公正であるはずである。

 次に、
「議員はこの事件を企画し、共犯者を手配し、指揮・監督するなど「参謀のような活動をしており、深く犯罪に関与した」」
「議員が介入しなければ、おそらく事件は発生しなかった」
とあるが、それはいずれもこの「審査対象の男性」が起こしたとされる恐喝の事件記録から読み取れることでしかない。
 おそらくそこからは横峯の関与が窺えるのだろう。だがそれはあくまで「審査対象の男性」の処分を決めるために集められた資料だ。横峯の処分を決めるためのものではない。
 仮に横峯が被疑者となっていれば、また別の資料が存在するかもしれない。

「なぜか議員は事情聴取さえ受けていない」
と言うが、事情聴取すら受けていない、つまり何ら抗弁する機会を設けられていない者を、捜査機関ならともかく、中立的な機関であるはずの検察審査会が、一方的に被疑者扱いしていいのだろうか。

 ネットで他の報道機関の記事も見てみたが、似たり寄ったりで、この検察審査会の議決に問題があるという視点は見られなかった。
 しかし、私はこの議決には上記のような問題があると思えるし、今後もこうした議決が相次ぐようなら、検察審査会制度自体への不信が高まるのではないかと危惧している。
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JR福知山線脱線事故をめぐる最近の報道について

2009-10-01 00:34:50 | 事件・犯罪・裁判・司法
 2005年のJR福知山線の脱線事故について、ただ1人起訴された山崎正夫前社長をはじめとするJR側の失態を示す報道が相次いでいる。
 第一報はこれだった(以下、記事の引用は全て「アサヒ・コム」より。青字は引用者による)。


宝塚線脱線、事故調委員が情報漏らす JR西前社長に

 05年のJR宝塚線(福知山線)の脱線事故で、原因を調べていた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現運輸安全委員会)の委員が守秘義務に反し、最終報告書の公表前に、調査内容を当事者であるJR西日本の山崎正夫前社長(66)に知らせていたことがわかった。前原誠司国交相が25日、記者会見で明らかにした。

 前原国交相は会見で「言語道断。許し難い行為。ご遺族らにおわびします」と謝罪した。同委の守秘義務規定には罰則がないことから、重大な違反について新たに罰則を設けるよう検討を指示した。

 情報を漏らしていたのは、元委員の山口浩一氏(71)。山口氏は旧国鉄出身で、山崎前社長とは先輩・後輩の関係だった。01年10月~07年9月に同委の委員を務め、脱線事故の原因究明にも携わっていた。

 安全委によると、山口氏は調査報告書の作成過程だった06年5月以降、JR西日本の山崎氏からの働きかけを受け、5回ほどホテルの喫茶室などで面会して、調査委の調査状況や内容を伝え、原案の文書の一部を渡していた。その際、山崎氏からは、事故で問題となったカーブに新型の自動列車停止装置(ATS)が未整備で、装置があれば事故を防ぐことができた、とする報告書案の文面について、「後出しじゃんけん(のような評価)だ」として、削除や修正を求められたという。

 これを受けて山口氏は07年6月、委員会の懇談会の場で、文面の削除を求める発言をしていた。だが認められず、結果として報告書には反映されなかった。

 山口氏はこの間、山崎氏側から食事の接待を受けたり、鉄道模型やお菓子などを受け取ったりしていたという。

 山崎氏は、問題のカーブに新型ATSを優先的に設置しなかったことなどについて責任を問われ、業務上過失致死傷の罪で在宅起訴され、8月31日付で社長を辞任している。今回の情報漏洩(ろうえい)は、山崎氏に対する警察・検察の捜査の過程で発覚したとみられる。

 航空・鉄道事故調査委員会設置法(当時)には、職務で知った秘密を漏らしてはいけないとの規定があるが、罰則規定はなかった。運輸安全委は再発を防止するため、「原因と関係する当事者と密接な関係にある委員を調査に参加させない」とするルールを作成。事故調査中の関係者と飲食やゴルフをしない▽事業者から5千円以上の接待などを受けた場合は委員長に報告する――との規範も作成し、各委員に徹底を求めた。

 後藤昇弘委員長は25日会見し、「報告書に不信を与えたことは残念」と謝罪した。

 最終の調査報告書は07年6月28日に公表され、運転士(当時23)がカーブでブレーキをかけるのが遅れたことが、直接の原因と結論づけた。(佐々木学)


 この記事を1面トップで報じた9月25日の朝日新聞夕刊は、社会面では、
「事故調は遺族に対し『中立な組織』と繰り返してきたのに、自らそれを崩した。遺族への背信行為だ」
「ほかにも裏で事故調に対する働きかけをしていたのでは、という不信を抱いてしまうような話だ」
「JR西と事故調は根底は一緒で、報告内容がねじ曲げられたと思わざるをえない」
といった遺族や負傷者の声を紹介している。

 29日の朝日新聞朝刊は、ある遺族が前原国交相宛にメールで、事故調の報告書について、事故の最大の原因はATS未設置だったと書き直すことなどを求める要望書を送ったとの記事が載っていた。

 しかし、ちょっと待ってほしい。
 情報漏洩は確かに許されない行為だ。
 だが、記事にも、山崎の意向を受けた山口の発言は、「結果として報告書には反映されなかった」とある。
 いたずらに報告書の信用性を問題にするのはいかがなものだろうか。

 事故調の最終報告書では、運転士が「カーブでブレーキをかけるのが遅れたことが、直接の原因と結論づけた」という。
 それはそうだろう。普通に考えればそうなるだろう。

 たしかに、新型ATSがあれば、事故は防げたかもしれない。
 しかし、それは結果論だろう。
 事故地点のカーブが急カーブに付け替えられたのは1996年12月のことである。事故は、2005年4月に発生した。その間の8年4か月の間、無数の電車が事故地点を通過したが、事故は発生しなかった。
 運転士の行動が事故の直接の原因だとする事故調の結論は、しごくもっともだ。
 「後出しじゃんけん(のような評価)だ」という山崎の言い分も理解できる。
 私は、山崎に同情する。

 この情報漏洩をめぐる報道がしばらく続いた後、今日の朝日の朝刊の1面トップには、次の記事が載っていた。

JR西、脱線事故資料隠蔽か 類似2例を提出せず

JR西日本が、宝塚線(福知山線)脱線事故の調査、捜査をしていた国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)と兵庫県警に対し、97年1月に開かれた同社安全対策委員会の会議資料のうち、カーブでの速度超過による脱線事故として宝塚線事故の類似事故とされる96年のJR函館線事故に関する資料を提出していなかったことがわかった。

 同社はこの1カ月前の会議の資料でも、函館線事故をめぐって自動列車停止装置(ATS)の必要性を指摘する資料を提出していなかったことがすでに判明している。神戸地検は、抜け落ちていたこれらの資料は、当時、鉄道本部長だった山崎正夫前社長(66)=業務上過失致死傷罪で在宅起訴=が宝塚線の事故現場にATSを設置する必要性を認識していたことを裏付ける重要な物証とみており、類似事故の資料が連続して提出されなかったことから、JR西が意図的に隠蔽(いんぺい)しようとした疑いが出てきた。

 抜け落ちていた資料はいずれも、神戸地検が去年10月に同社本社などを家宅捜索した際に押収。事故調から提出された資料とも照合した結果、足りない部分があることが発覚した。JR西は取材に対し未提出の事実を認めたが、いずれも「膨大な資料を要請から提出まで1カ月あまりで準備したため、単純なコピーミスや提出前の確認不足が原因で資料が欠落した。意図的に隠したわけではない」と説明している。

 関係者によると、欠落が新たに判明した資料は、97年1月14日に開かれた同社安全対策委員会の会議資料の一部。96年12月分の列車事故などを検証する会議で議題となった10項目のうちの1項目分で、同月4日未明に起きたJR函館線脱線事故の調査報告に関する資料4枚分だった。この資料には、カーブで制限速度を約40キロオーバーして脱線した事故の概要や、事故2日前からの運転士の乗務記録、事故原因、現場の詳細な見取り図などが記載されていたという。事故調には06年4月、兵庫県警には同年12月に、それぞれ4枚分が抜け落ちた状態で提出した。

 JR西は函館線事故直後の96年12月25日、安全対策を統括する鉄道本部が会議を開き、その会議用資料(計9枚)の付録資料2枚を事故調と県警に提出していなかったことが明らかになっている。この付録資料の中では、「ATSがあれば防げた事故例」として函館線事故が取り上げられていた。山崎氏はいずれの会議にも出席していたという。

 函館線事故は、カーブでの速度超過という状況が共通している点から、宝塚線事故の類似事故に位置づけられている。また、JR西は函館線事故の16日後に、宝塚線事故の現場カーブを半径600メートルから函館線事故とほぼ同じ304メートルに付け替えていた。


 さらに、夕刊の社会面には、次の記事が。

JR西、検察提出資料も欠落 隠蔽の疑い強まる
 JR西日本が宝塚線(福知山線)脱線事故の類似例資料を国土交通省航空・鉄道事故調査委員会(現・運輸安全委員会)と兵庫県警に提出しなかった問題で、同じ資料を神戸地検に対しても提出していなかったことがJR西への取材でわかった。JR西は「意図的に隠したわけではない」と説明しているが、同じ資料を連続して欠落させており、隠蔽(いんぺい)を図ろうとした疑いがさらに強まった。

 この資料は、宝塚線事故の類似事故とされる96年12月のJR函館線事故に関する資料。97年1月に開かれた同社の安全対策委員会の会議資料の一部で、制限時速を大幅に超えてカーブを走行、脱線した函館線事故の概要などがまとめられている。会議には当時鉄道本部長だった山崎正夫前社長(66)が出席しており、捜査当局はこの資料について、山崎氏が宝塚線事故の現場カーブに対する危険性を事前に予測していた重要な証拠とみている。

 JR西によると、06年3月下旬、事故調から同社に資料の提出要請があり、社内組織「福知山線列車事故対策審議室」の室員が、95~96年度にあった安全対策委員会の資料を約1カ月かけて2部コピーし、1部を同年4月下旬に提出、もう1部を手元に残した。この時のコピーで、函館線関連の資料が抜け落ちたという。さらに同年12月、県警から、事故調に提出したものと同じ資料の任意提出の要請を受け、事故調に提出した分を再びコピーした際も、同じ資料が抜け落ちたままだった。

 一方、神戸地検には08年10月1日に、要請を受けて提出。事故調、県警のケースとは異なり、資料の原本を集めてコピーし直した。しかし、ここでも同じ函館線関連の資料のうち主要な部分が欠落した。

 神戸地検は同年10月7日にJR西の本社などを家宅捜索し、資料を押収。その中に、完全な形の資料が含まれていた。地検の問い合わせに対しJR西が同年11月に社内調査を実施したところ、欠落した部分を発見。短期間に膨大な量の資料を集めてコピーしたためにミスが出たのと、提出前の確認を十分にしなかったことが原因と説明したという。朝日新聞の取材に対しても、「保管状態の悪さや単純なコピーミスなどが原因で、意図的に隠したわけではない」と話している。

 函館線事故をめぐっては、自動列車停止装置(ATS)の必要性を指摘する別の資料についても、JR西が事故調と県警に提出していなかったことが明らかになっている。


 これが、意図的な隠蔽なのか、そうでないのかの判断は保留したい。ただ、意図的な隠蔽であったとしても、それは十分有り得ることだろう。
 ただ、仮に隠蔽があったとしても、それが事故調や県警の結論に強く影響したと言えるのだろうか。
 こちらのブログの記事によると、書類送検時に、兵庫県警は、運転士の行動を事故の直接原因としながらも、山崎らのATS未設置の責任を問うていたようだ。

 また、言うまでもないことだが、犯罪者には黙秘権がある。自分の都合の悪いことは明らかにしなくてもよい権利がある。

 今回の一連の報道は、上記引用の青字部分から考えて、神戸地検によるリークによるものだと思われる。
 神戸地検はこの事故でただ1人山崎を起訴したが、その裁判はまだ始まっていない。
 本来、捜査上知り得た情報は、公開されている法廷の場で明らかにすればいいはずである。
 起訴後、まだ裁判が始まっていないこの時期にこれだけの情報を神戸地検がリークする理由は何だろうか。

 一連の報道によって、山崎とJR西日本のイメージはかなり傷ついたことだろう。
 情報を漏洩させ、さらに隠蔽工作まで行った汚い奴らとのイメージを作り上げたことだろう。
 裁判が開かれる前に、既に山崎=悪、JR=悪との筋書きを作り上げてしまうわけである。
 と同時に、そんな悪い奴らを懲らそうとするという神戸地検に対するイメージアップも期待できるのかもしれない。

 いったん、被告人=悪とのイメージを作り上げてしまえば、検察は相対的に善となる。
 私はこの山崎の刑事責任を問うのは、かなり難しいのではないかと思っている。
 山崎の起訴については、負傷者や遺族、それに世論に押される面が強かったのではないかと思える。
 そんな事件であっても、山崎はこんなに悪い奴だというイメージを世間に広めておけば、仮に事件自体が難しくて山崎が無罪になったとしても、世論の反発は検察ではなく裁判所に向くだろう。
 そんな計算もはたらいているのではないかと感じる。

 あと、政権交代の影響もあるかもしれない。
 政権交代によって、こうしたJR側の工作が明らかになったのだというセールスポイントになる。
 実態はそうなのかどうか疑わしいものだと思うが。

 いずれにしろ、この一連の報道が、官公庁サイドから、何らかの意図をもって流されているものであることは間違いないだろう。
 そうした世論操縦者の意のままに流されたくはないものだ。

 裁判所には、こうした報道に惑わされない、法に基づいた冷静な判断を期待したい。

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「友のごときもの」すらなき者でも

2008-11-24 23:04:48 | 事件・犯罪・裁判・司法
小泉容疑者の父、「私の命をささげたいくらい」と謝罪(読売新聞) - goo ニュース

「小泉毅」近所でトラブル 「みんな怖がっていた」(朝日新聞) - goo ニュース

 小泉毅が出頭前に10年ぶりに父親に電話をしていたという報道、また同じく出頭前に、それほど親しいわけでもない階下の住人に「いらないものがあるから」とアダルトDVDを渡していたとの報道に接して、昔、山本夏彦が梅川昭美について次のように述べていたことを思い出した。


 彼は流行の本を小脇にかかえて、このマンションの一階にあるスナックに出没しました。これも私たちがよくすることです。彼のいわゆる友人はこのスナックのマスターと、ここで知り合った何人かで、彼らは麻雀友だちだったようです。そして二十七日、犯人は机のかげでひそかにダイヤルを回して彼らに、また金を借りた相手に電話をかけています。してみると彼は手帳を持っていたことが分ります。犯人は死ぬ覚悟で、だれかに別れを告げたくて電話をかけたのです。
 お察しのとおり私はこの男を哀れに思っています。電話をかける友だちを持たぬ彼に現代人を見ています。むかしから船の中の友は友でないと言います。船の中で知合になっても、船を降りたらもう友でないこと、汽車の中の友が友でないがごとしです。以前はバーやキャバレで知合になった人とは名刺を交換しませんでした。談笑してもそれはバーやキャバレのなかだけのことで、その人を白昼訪ねませんでした。〔中略〕
 スナックのマスターやそこで知り合った麻雀友だちは、やはり友ではありません。思いがけず梅川から電話をもらったマスターは声をのんだことでしょう。「ま、がんばってしっかりやれや」と犯人に言われて、返す言葉がなかったことでしょう。
 梅川はこの期に及んで、借金を返そうとしています。ドロボーや人殺しをして奪った金で借金を返すなんて前代未聞のことで、ドロボーの風上におけないと、本もののドロボーなら笑うでしょう。
 これによってみると、彼は借りたものは返さなければならぬと思っているようです。親孝行もしなければならぬと思っているようです。四国の母親を訪ねると、マスターに土産を持って帰ったと言います。旅すれば必ず土産を持参するという習慣――ずいぶん多くの習慣が滅びましたが、これだけは滅びない習慣――梅川はこの土産を持参する相手がなくて、スナックのマスターに持参したのです。
 彼は人質の中の片親の子と子連れの客をいたわっています。律儀で親切なところがあると言わなければなりません。ただ頭の一個所がこわれているだけです。
(山本夏彦「友のごときもの」――『つかぬことを言う』(中公文庫、1987)より)


 彼は、麻雀仲間的な存在すらも持たなかったのだろうか。

 それでも、人は何らかのかたちで自分を社会に認知させたいと思うものらしい。

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