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土肥信雄元校長の訴訟を支援する朝日の異様

2012-02-06 00:21:28 | マスコミ
 2月1日付朝日新聞の社説。


校長の「反乱」―教委の強圧を許す司法

 判決理由からは、いまの学校現場への深い洞察は読み取れない。民主社会でなにより大切にすべき「精神の自由」への理解も、うかがうことはできない。

 がっかりする判決が東京地裁で言い渡された。

 東京都立三鷹高校の元校長、土肥信雄さんが都に損害賠償を求めた裁判の一審は、土肥さんの全面敗訴で終わった。

 3年前、定年退職後も引き続き教壇に立ちたいと望んだが、都教委は認めなかった。790人が応募し、768人が合格したのに、不適格と宣告された。

 土肥さんはどんな校長だったのか。裁判をとおして明らかになった姿はこうだ。

 何百人もいる生徒の名前を覚え、声をかける。社会的リーダーの育成を目標に掲げ、補講のコマ数を増やす。定時制クラスにも顔を出し、さまざまな事情を抱える生徒と交流する。

 保護者や地元有識者らがしたアンケートでは、生徒の85%、保護者の95%が「この高校に入学して良かった」と答えた。

 だが、都教委はこうした評価には目を向けず、土肥さんのふたつの行動を問題視した。

 ひとつは、職員会議のメンバーに挙手や採決で意思表示させるのを禁じた都教委の通知を批判し、メディアの取材にも応じたこと。もうひとつは、教員の評価方法をめぐり、やはり都教委に異を唱えたことだ。

 どちらも組織の一員としての立場をわきまえず、協調姿勢に欠けると判断した。

 都教委は挙手・採決禁止の理由を、学校運営の決定権は校長にあり、職員に影響されてはならないからだと説明する。通知は6年前に出されたが、追随した自治体はない。

 これに対し、土肥さんは「最後は校長の私が決めるが、挙手で意見を聞いてなぜ悪いのか。職員がやる気を失い、教育現場から議論がなくなる害の方がずっと大きい」と唱えた。

 だからといって、会議で挙手させたり採決したりしたわけではない。「悪法も法」として、通知自体には従っていた。

 どちらの意見や対応が教育の場にふさわしいか。土肥さんだと言う人がほとんどだろう。

 それなのに東京地裁は、再雇用は都教委に幅広い裁量権があると述べ、不採用を追認した。

 力をもつものが異議申し立てを許さず、定年後の生活まで人質にして同調を強いる。こんな行きすぎを押しとどめるのが、司法の役割のはずだ。

 息苦しい学校は、物言えぬ社会に通じる。そこからは明日をになう活力は生まれない。



 私はこの土肥という人物やこの訴訟についてこれまで知らなかった。読んだことはあるかもしれないが記憶に残っていない。

 社説を読むと、生徒や保護者から人気の高い個性的な校長が、都教委に疎まれ、いじめられ、司法によっても救済されなかったという物語になっている。

 だが、この裁判では、そもそも何が争われたのだろうか。
 社説では、定年退職後の再雇用が認められなかっただけのようだが、明言されていない。
 疑問に思って、朝日新聞デジタルで検索してみると、こんな記事があった。


「職員会議での挙手の禁止」は適法

 職員会議での挙手や採決を禁じた東京都教育委員会の通知は教育への「不当な支配」にあたるなどと主張して、都立三鷹高校元校長の土肥信雄さん(63)が都に約1850万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が30日、東京地裁であった。古久保正人裁判長は「通知が相当かどうか議論のあるところだが、職員会議を主宰する校長の裁量権を侵害したとは言えない」として土肥さんの請求を棄却した。

 都教委は2006年4月、学校の運営方針を職員会議で決めるのは不適切だとの理由から、都立の学校長に対して挙手や採決で職員の意向を確認することを禁じる通知を出した。土肥さんは校長会やメディアで「民主主義的な議論を奪う」などと繰り返し主張。09年3月の退職前に非常勤教員の採用に応募したところ不合格とされ、「意見表明への報復だ」として訴訟を起こした。

 判決は、都教委の通知について「挙手によって校長の決定権が拘束されていた一部の都立高の状況を改善し、校長が権限を十分に行使できる環境を整えるためのもので、必要性があった」と指摘。「教育への不当な支配にもあたらない」と述べ、通知の違法性を否定した。さらに、「通知はそもそも個人の権利を対象としたものではない」として、国家賠償請求の対象にならないとも述べた。


 職員会議での挙手や採決を禁じた都教委の通知の不当性を訴えた訴訟だとなっている。
 社説は何故その点について触れないのだろうか。

 記事が伝えている、判決の

・都教委の通知は「挙手によって校長の決定権が拘束されていた一部の都立高の状況を改善し、校長が権限を十分に行使できる環境を整えるためのもので、必要性があった」
・「教育への不当な支配にもあたらない」として通知の違法性を否定
・「通知はそもそも個人の権利を対象としたものではない」から国家賠償請求の対象にならない

といった理由は、いずれも是認できるものだ。

 社説は、土肥は「最後は校長の私が決めるが、挙手で意見を聞いてなぜ悪いのか。職員がやる気を失い、教育現場から議論がなくなる害の方がずっと大きい」と唱えたという、それも一理あるだろう。
 だが、その是非を決めるのは校長ではなく都教委である。
 そして、通知は土肥個人ではなくあくまで校長としての土肥を縛るものだったのだから、校長としての裁量権を侵害されたとして現在一私人である土肥が損害賠償を求めるのはそもそもおかしい。
 敗訴は当然のことだろう。

 だから、社説は訴訟のそうした面には触れず、再雇用の問題であるかのように矮小化しているのではないか。


 「裁判をとおして明らかになった」土肥の姿と言うが、それは単に土肥サイドの主張を鵜呑みにしているだけではないのか。どんな手法によって実施されたアンケートなのだろうか。

 そして、そもそも土肥がどんなに熱心な校長であろうと、生徒や保護者からの信頼があろうと、それは上記の通知をめぐる事情に影響を及ぼすものではない。

 その通知自体には従いながらも、マスメディアを通して公然と反対意見を表明したのであれば、都教委が「組織の一員としての立場をわきまえず、協調姿勢に欠けると判断した」のは当然のことだろう。

 それを、都教委側が通知を発した理由はまるで無視して、「どちらの意見や対応が教育の場にふさわしいか。土肥さんだと言う人がほとんどだろう 」と決めつける。

 しかも、「力をもつものが異議申し立てを許さず、定年後の生活まで人質にして同調を強いる」とまで批判する。
 都教委は別に「異議申し立てを許さ」なかったわけではないだろう。土肥の口をふさぐことなどできなかった。発言を理由に校長を辞めさせることもできなかった。
 だが、再雇用は、社説が言うように9割以上が合格するにしろ、別に権利ではないだろう。都教委に裁量権があるのは当然のことだ。それを「定年後の生活まで人質にして」とは失笑を禁じ得ない。定年後の生活まで都教委が保証しなければならないのか?

 朝日に記者の再雇用の制度があるのかどうかは知らないが、仮にあるとしよう。
 そして、あるスター記者が、社の報道姿勢に疑問を持つも社内では言い分が通らないので、外部メディアで社の批判を激しく続け、社はその記者を辞めさせられないまま、記者は定年を迎えたとする。
 いかに優秀、著名な記者であったとて、朝日はその記者を再雇用するだろうか。
 「組織の一員としての立場をわきまえず、協調姿勢に欠ける」と判断するのではないだろうか。


 「息苦しい学校は、物言えぬ社会に通じる」
 まるで今現在が「物言える社会」であるかのような、脳天気な表現だ。
 もしそうなら、何で私が変名でブログを書く必要があろうか。

 朝日は(朝日だけではないが)、これまでさまざまな政治家や官僚や民間人の発言を批判的に取り上げ、「物言えぬ社会」を作り上げてきたのではないのか。

 全国紙5紙の中で、社説でこの問題を取り上げたのは朝日のみである。同紙がどういう層を対象としているのかをよく表していると言えよう。
 それにしてもこの土肥個人への入れ込みようには、異様なものを感じる。

 2月2日付け朝日夕刊のコラム「窓 論説委員室から」で、渡辺雅昭論説委員は「米長委員は悪人か?」と題してこう述べている。

 最初は噴き出し、次に考え込み、やがて何とも嫌な気分になった。
 東京都立三鷹高校の校長だった土肥信雄さんが都教委と争った裁判を取材するなかで、次のような出来事があったのを知った。
 2005年11月の校長連絡会。都の教育委員だった米長邦雄さんが来て、「私は将棋指しだから敵は好きだ。でも味方の顔をした敵は許さない」などと講演した。
 その後、仲間内の懇親会が開かれた。席上、土肥さんは「私は米長さんの敵だから、米長さんに好かれている」と冗談を飛ばした。
 「生徒の名簿は男を先に、女は後から」との考えを米長氏がもち、混合名簿に批判的なのを皮肉った。
 前年の園遊会で天皇陛下が米長氏に対し、「(日の丸・君が代は)強制でないのが望ましい」と言われたことにも触れ、「それなのに強制するのは許せない」とも語った。
 後にこの話が都教委の耳に入り、土肥さんは呼び出しを受ける。
 都教委「米長委員は悪人であると言ったことはあるか?」
 土肥「悪人とは言っていない。意見が違うということである」
 酒席でのざれ言が密告され、当局は躍起になって査問する。そんな荒涼とした風景の中で進められる教育って何なのだろう。どんな希望がそこにあるのだろう。


 あっけにとられた。

 ついふた月ほど前、内容も不確かな酒席での官僚によるざれ言が公にされ、当局どころか全マスメディアがこぞって彼をさらし者にしたばかりではないか。
 そんな荒涼とした風景の中で進められるわが国の政治って何なのだろう。どんな希望がそこにあるのだろう。
 と、渡辺論説委員は少しでも考えたことがあるだろうか。

ジャンル:
社会
キーワード
東京都教育委員会 朝日新聞デジタル
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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2012-03-21 12:06:16
 確かに再雇用の問題に矮小化してる感は否めない。本人も挙手禁止に対する反対が主だって書いてるし。
 ただ、この裁判が教育裁判であるにも拘らず原告全面敗訴を記した判決文には生徒の話題に一切触れられていないというのは明らかに問題がある。教育委員会が議会制民主主義の理念に従っていないわけだから都教委の正当性にかかわる問題だと思う。
Re:Unknown (深沢明人)
2012-03-31 10:26:23
私は判決文を読んでいませんが、判決文が生徒の話題に一切触れていないと何が問題なのでしょうか。

教育委員会が議会制民主主義の理念に従っていないとは何を指してのことでしょうか。

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