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歪曲しているのはどちらか――櫻井よしこの麻生発言評と朝日批判を読んで

2013-08-14 14:00:08 | 「保守」系言説への疑問
 少し前に、MSN産経ニュースで、櫻井よしこの「朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言」(8/5付)を読んだ。

朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言
2013.8.5 17:26

 なるほど、朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲(わいきょく)していくのか。麻生太郎副総理発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である。

 8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で「熱狂」した。日によって1面の「天声人語」、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した。

 討論会の主催者兼司会者として現場に居合わせた私の実感からすれば、後述するように朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない。

 7月29日、私が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)は「日本再建への道」と題した月例研究会を主催した。衆議院、都議会、参議院の三大選挙で圧勝、完勝した安倍自民党は、如何(いか)にして日本周辺で急速に高まる危機を乗り越え、日本再建を成し得るかを問う討論会だった。

 日本再建は憲法改正なしにはあり得ない。従って主題は当然、憲法改正だった。

 月例研究会に麻生副総理の出席を得たことで改正に向けた活発な議論を期待したのは、大勝した自民党は党是である憲法改正を着実に進めるだろうと考えたからだ。

 が、蓋を開けてみれば氏と私及び国基研の間には少なからぬ考え方の開きがあると感じた。憲法改正を主張してきた私たちに、氏は「自分は左翼」と語り、セミナー開始前から微妙な牽制(けんせい)球を投げた。

 セミナーでも氏は「最近は左翼じゃないかと言われる」と述べ、改正論議の熱狂を戒めた。私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないという氏のメッセージだと、受けとめた。

 「憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」「しつこいようだが(憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で決めてほしくない」という具合に、氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。

 事実を見れば熱狂しているのは護憲派である。改憲派は自民党を筆頭に熱狂どころか、冷めている。むしろ長年冷めすぎてきたのが自民党だ。いまこそ、自民党は燃えなければならないのだ。

 にも拘(かか)わらず麻生氏は尚(なお)、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を口にした。「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。

 憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞はまったく別の意味を持つものとして報じた。



 たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何(いか)にして可能なのか、不思議である。天声人語子の想像力の逞(たくま)しさに私は舌を巻く。

 朝日の記事の水準の高さには定評があったはずだ。現場にいた記者が麻生発言の真意を読みとれないはずはないと思っていた私は、朝日を買いかぶっていた。

 朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした。そこには公器の意識はないのであろう。朝日は新たな歴史問題を作り上げ、憲法改正の動きにも水を差し続けるだろう。そんな疑惑を抱くのは、同紙が他にも事実歪曲(わいきょく)報道の事例を指摘されているからだ。

 典型は「読売新聞」が今年5月14、15日付で朝日の誤報が慰安婦問題を政治問題化させたと報じた件だ。読売の朝日批判としては珍しいが、同件について朝日は説明していない。

 古い話だが、歴史問題にこだわるなら、昭和20年8月の朝日の報道も検証が必要だ。終戦5日前に日本の敗戦を示唆する政府声明が発表され、朝日新聞の編集局長らは当時こうした情報を掴(つか)んでいた。新聞の使命としていち早く、日本敗戦の可能性を国民に知らせなければならない。だが、朝日新聞は反対に8月14日、戦争遂行と戦意高揚を強調する社説を掲げた。これこそ、国民への犯罪的報道ではないか。朝日の歴史認識を問うべきこの事例は『朝日新聞の戦争責任』(安田将三、石橋孝太郎著、太田出版)に詳しく、一読を勧めたい。

 これらのことをもって反省なき朝日と言われても弁明は難しい。その朝日が再び麻生発言で歴史問題を作り出し、国益を害するのは、到底許されない。

 それはともかく、自民党はまたもや朝日、中国、韓国などの批判の前で立ちすくむのか。中国の脅威、韓国、北朝鮮の反日、米国の内向き志向という周辺情勢を見れば、現行憲法改正の急務は自明の理だ。それなのに「冷静な議論」を強調するのは、麻生氏を含む多くの自民党議員は憲法改正に消極的ということか。日本が直面する危機に目をつぶり、結党の志を横に措(お)き、憲法改正の歩みを緩めるのだろうか。であれば、護憲の道を歩む朝日の思う壺(つぼ)ではないか。自民党はそれでよいのか。私の関心は、専ら、この点にある。


 なるほど、櫻井よしこはこのようにして事柄を歪曲していくのか。これが私の率直な感想である。

 櫻井が前半で述べている、麻生が「左翼」を自称し改憲論議の熱狂を戒めたという話は、それまでの発言をめぐる報道や論評で触れられていなかった点であり、なかなか興味深いが、本題ではないのでここでは置く。

 にも拘(かか)わらず麻生氏は尚(なお)、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を口にした。「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。


 この肝心の点をさらっと流しているが、意味不明である。
 麻生は、単に、事実でない「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」ことに学べと発言したのではない。
 朝日新聞デジタルが伝える「発言の詳細」にはこうある。

憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。

 わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。


 「ある日気づいたら……変わっていた」「だれも気づかないで変わった」「みんないい憲法と……納得して……変わっている」、そのナチスの手口に学んだらどうかと述べているのだ。
 それが何故「「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと」受けとめられるのか、私にはまるで理解できない。

 仮に、ナチスはわーわー騒いで、熱狂、狂乱の中で憲法を変えた、その手口に学べと麻生が口にしたのなら、「反語的意味」だと櫻井が言うのもわかる。
 しかし、麻生発言の文脈では、ナチス自体を肯定しているわけではないが、ナチスの改憲の手口は肯定すべきものとなっている。それがどうして「反語的意味」となるのか。
 無理矢理「反語的意味」とすることで、問題視すべきものではないと収束を図っているとしか考えられない。

 さらに言えば、「民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」とわざわざ断っているということは、自らの発言が民主主義を否定するものととらえかねないことを麻生が自覚しているということになるはずだが、これはどう説明するのか。

 朝日の「発言の詳細」は全文でないから作為が施されているのだという批判がある。仮にそうであれば、櫻井は国基研の理事長なのだから正確な全文を入手できるはずであり、それに基づいて朝日を批判すればよい。しかし、櫻井が引用している発言はいずれも朝日が報じている内容と同様である。

 そして櫻井は、朝日の報道を麻生の真意を歪めるものと批判する。

たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何(いか)にして可能なのか、不思議である。天声人語子の想像力の逞(たくま)しさに私は舌を巻く。


 私は、前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」いても、麻生が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしている解釈も十分に可能だと思う。現に麻生自身が「民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」とわざわざ断っているのだし。

 当の産経の8月3日付「主張」(他紙の社説に相当する)にしても、

《「学んだらどうか」といった、ナチスの行為を肯定すると受け取れかねない表現を用いたのはあまりに稚拙だった。》

《「いつの間にか」「誰も気づかないで」憲法が改正されるのが望ましいかのような表現は不適切だ。》

と同様の趣旨で発言を批判しているのだが、櫻井は産経の報道には疑問を覚えないのだろうか。

 櫻井が挙げた天声人語にしても、何も麻生がナチスの手法に習おうとしているとストレートに批判しているわけではない。「素直に聞けば」そうなるということであり、麻生の真意が「冷静で落ち着いた論議をすべきだという考えなら、わかる。」ともしており、主旨は発言の不適切さの指摘にある。念のため全文を引用しておく。

ぎょっとした。麻生副総理が7月29日、ある会で改憲に触れて、こう述べたという。「気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうか」。同僚記者の取材と麻生事務所に確認した結果をあわせ、以下紹介する▼麻生氏はまずナチスがどうやって独裁権力を獲得したかを語った。それは先進的なワイマール憲法の下でドイツ国民が選択したことだ、と。いかに憲法がよくても、そうしたことは起こるのだ、と▼次に、日本の改憲は騒々しい環境のなかで決めてほしくないと強調した。それから冒頭の言葉を口にした。素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう▼氏は「民主主義を否定するつもりはまったくない」と続けた。としても、憲法はいつの間にか変わっているくらいがいいという見解にうなずくことは到底できない▼ヒトラー政権は当時の議会の機能不全に乗じて躍り出た。対抗勢力を弾圧し、全権委任法とも授権法とも呼ばれる法律を作って、やりたい放題を可能にした。麻生氏の言うナチス憲法とはこの法のことか。そして戦争、ユダヤ人大虐殺へと至る▼巨大な罪を犯した権力集団を、ここで引き合いに出す発想が理解できない。熱狂の中での改憲は危うい、冷静で落ち着いた論議をすべきだという考えなら、わかる。なぜこれほど不穏当な表現を、あえてしなければならないのか。言葉の軽さに驚く。


 「前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり」「部分だけを取り出して」批判しているのは誰なのだろうか。
 なお、紙面で見る限り、朝日は発言を批判する記事に併せて、何度も発言の要旨を掲載している。

 そもそもこの講演の「ナチス」発言を最初に報じたのは読売新聞であり、朝日ではない。櫻井が触れている慰安婦問題と異なり、朝日が火を付けたのではない。

 「現場にいた記者が麻生発言の真意を読みとれないはずはないと思っていた私は、朝日を買いかぶっていた」とあるが、天声人語子が現場にいたはずもあるまいに、天声人語を引きながら現場の記者を批判するというのも理解不能だ。
 現場にいたかどうかは知らないが、講演当日の29日付の朝日新聞デジタルの記事は次のとおりで、

「護憲と叫べば平和が来るなんて大間違い」麻生副総理

■麻生太郎副総理

 日本の置かれている国際情勢は(現行憲法ができたころと)まったく違う。護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違いだし、仮に改憲できたとしても、それで世の中すべて円満になるというのも全然違う。改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべきなんです。そうしないと間違ったものになりかねない。(東京都内で開かれたシンポジウムで)


「ナチス」の語には全く触れておらず、狂騒の中で改正すべきでないという麻生の真意をきちんと報じている。
 
 朝日がこの発言を問題視し始めたのは、他のマスメディアで報じられ、海外でも注目され始めた後のことである。
 なのに、朝日だけをことさら目の敵にする櫻井の書きぶりは尋常でない。

 さらに昭和20年8月の朝日の報道まで持ち出して批判するのは、ほとんど言いがかりというものではないだろうか。朝日が最後まで徹底抗戦を唱えたことは事実だが、それは他紙でも同様だろう。「いち早く、日本敗戦の可能性を国民に知らせ」た新聞がほかにあったというのでなければ、朝日だけを批判する意味はないし、だいたいこれは麻生発言と何の関係もない話である。

 私は、憲法改正が急務であるという点では全く櫻井と同意見であり、朝日的な護憲論には反対である。しかし、このような、ひたすら朝日を悪く言えばいいというだけの粗雑な主張が改憲派のシンクタンクの理事長名義で発せられることが、果たして本当に憲法改正に資することになるのか、疑問に思う。

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呉善花の入国拒否に思う――好ましからざる人物の入国拒否は当然

2013-08-05 00:11:37 | 「保守」系言説への疑問
 韓国出身の呉善花・拓殖大学教授が先月27日、親族の結婚式出席のため韓国を訪れたところ、入国を拒否された。
 この件を30日付の産経新聞が、1面コラム「産経抄」と社説に当たる「主張」でそろって取り上げている。

【主張】呉氏の入国拒否 韓国は納得のいく説明を
2013.7.30 03:49

 韓国出身の評論家で日本国籍をもつ呉善花・拓殖大教授が明確な理由を告げられず、韓国への入国を拒否された。

 呉氏は歴史問題などをめぐって、韓国に厳しい評論活動で知られる。入国拒否の理由について、韓国当局に納得のいく説明を求めたい。

〔中略〕

 韓国に批判的な呉氏の言論活動が入国拒否の理由だったとすれば、由々しき問題である。

 韓国は中国や北朝鮮と違い、自由な言論を尊重しなければならない民主国家だ。どんな批判でも、それがテロなど危険な行為を伴うものでない限り、許容し、入国を認めるべきではないか。


 しかし、「主張」の文中にもあるように、呉善花は韓国出身ではあるが既にわが国に帰化している。韓国にとっては外国人である。

 本紙の取材に、入管当局は「プライバシーに関することで回答できない」と語ったが、説明として不十分だ。


 何故不十分なのだろうか。一外国人の私的な入国を拒否したからといって、いちいちその理由を他国のマスメディアに説明しなければならない義務があるのか。

菅義偉官房長官は「思想信条を理由に入国を拒否されたのであれば、日本国民に対する極めて残念な措置だ」「事実関係を把握した後、適切に対応する」と述べた。当然である。


 だが産経の報道によれば、菅官房長官はこうも言っているのである。「国際法上、一般的に外国人の入国を認めるか否かは、基本的には各国主権に基づく裁量だ」と。

呉善花氏の韓国入国拒否「極めて残念」 菅官房長官
2013.7.29 12:37

 菅義偉官房長官は29日午前の記者会見で、評論家の呉善花氏=日本国籍=が韓国入国を拒否され、日本に引き返した問題について「思想信条を理由に入国を拒否されたのであれば、今回の韓国側の措置は日本国民に対する措置として極めて残念である」と述べた。

 また、「国際法上、一般的に外国人の入国を認めるか否かは、基本的には各国主権に基づく裁量だ」としつつも、「事実関係を把握した後、適切に対応する」と語った。〔太字は引用者による〕


 民主国家であれそうでない国家であれ、外国人の入国を認めるか否かは、その国が独自に判断すべきことである。それが国家主権というものである。
 「自由な言論を尊重しなければならない民主国家」であるとしても、その「自由」はあくまでその国内において、その国の国民に対して保障されるのである。国外における外国人の言論の自由をも保障しなければならないというものではないし(そもそもそんな権限はない)、その外国人の入国に際してその言論の内容を理由に拒否してはならないという根拠もない。
 産経は何かとてつもない勘違いをしているのではないだろうか。

 同じく産経の記事によると、呉善花は韓国側から入国拒否の理由として、韓国の出入国管理法第76条を挙げられたという。

韓国入国拒否の呉善花氏「言論の自由の侵害。民主国家ではあり得ない」
2013.7.31 19:30

 韓国から7月27日に入国を拒否された同国出身の評論家で拓殖大教授の呉善花氏(56)=日本国籍=が31日、東京都内の日本外国特派員協会で記者会見し、「明らかに言論の自由の侵害で、民主国家としてあり得ない」とあらためて韓国に対する強い抗議を表明した。

 呉氏によると、入国拒否の理由について韓国の空港では一切説明されず、日本に戻った後、成田空港でようやく「出入国管理法76条の規定により」と記された書類を渡された。同法は韓国の安全や社会秩序を害する恐れのある外国人の入国禁止について定めている。

 呉氏は「私はどれも該当しない。著作活動を理由としているとしか考えられない」と指摘。今回の問題について「嫌韓をあおる呉善花」と呉氏への非難しか伝えず、言論の自由の侵害に触れようとしない韓国メディアの論調も批判した。


 韓国Web六法というサイトによると、韓国の出入国管理法の第76条は次のようになっている。

第76条(送還の義務)次の各号の1に該当する外国人が乗った船舶等の長又は運輸業者は、その者の費用と責任でその外国人を遅滞なく大韓民国外に送還しなければならない。

 1.第7条第1項から第4項まで又は第10条第1項の規定による要件を備えない者

 2.第11条の規定により入国が禁止され、又は拒否された者

 3.第12条第4項の規定により船舶等の長又は運輸業者の帰責事由で入国が許可されない者

 4.第14条の規定により上陸した乗務員であってその者が乗っていた船舶等が出港する時まで帰船しない者

 5.第46条第5号又は第6号の規定に該当する者であって強制退去命令を受けた者


 このうち、呉善花の入国拒否に関連するものは、第2号で挙げられている同法第11条なのではないかと思われる。
 同じサイトで第11条を見るとこうある(機種依存文字を変更。太字は引用者による。以下同じ)。

第11条(入国の禁止等)①法務部長官は、次の各号の1に該当する外国人に対しては、入国を禁止することができる。<改正97・12・13>

 1.伝染病患者・麻薬類中毒者その他公衆衛生上危害を及ぼすおそれがあると認められる者

 2.銃砲・刀剣・火薬類等取締法で定める銃砲・刀剣・火薬類等を違法に所持して入国しようとする者

 3.大韓民国の利益又は公共の安全を害する行動をするおそれがあると認めるだけの相当な理由がある者

 4.経済秩序又は社会秩序を害し、又は善良な風俗を害する行動をするおそれがあると認めるだけの相当な理由がある者

 5.精神障害者・放浪者・貧困者その他救護を要する者

 6.強制退去命令を受けて出国した後5年が経過しない者

 7.1910年8月29日から1945年8月15日まで日本政府、日本政府と同盟関係にあった政府、日本政府の優越した力が及んでいた政府の指示又は連繋の下に人種、民族、宗教、国籍、政治的見解等を理由として人を虐殺・虐待する仕事に関与した者<<施行日98・3・14>>

 8.その他第1号から第7号までの1に準ずる者であって法務部長官がその入国が不適当であると認める者<<施行日98・3・14>>

2 法務部長官は、入国しようとする外国人の本国が第1項各号以外の事由で国民の入国を拒否するときは、その者と同じ事由でその外国人の入国を拒否することができる。


 呉善花は、韓国の出入国管理法の「どれも該当しない」と述べたそうだが、この条文の第3号か第4号、あるいは第8号に該当すると判断されたのではないだろうか。

 わが国の出入国管理法にもこの第3号や第2項と同様の規定がある。

(上陸の拒否)
第五条  次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に上陸することができない。
〔中略〕
十四  前各号に掲げる者を除くほか、法務大臣において日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者
2  法務大臣は、本邦に上陸しようとする外国人が前項各号のいずれにも該当しない場合でも、その者の国籍又は市民権の属する国が同項各号以外の事由により日本人の上陸を拒否するときは、同一の事由により当該外国人の上陸を拒否することができる。


 おそらく、どの国にもこうした規定はあるのではないのだろうか。

 かつてべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の代表を務めた作家の小田実(1932-2007)は、ベトナム戦争終結後10年以上経っても米国から入国を拒否されていたと記憶している。1990年代にはわが国の731部隊の関係者がやはり米国から入国を拒否された。
 わが国だって、2008年に『<帝国>』の著者の1人であるイタリアの哲学者アントニオ・ネグリの入国に際し、予定されていた訪日の直前にビザを申請するよう要求し、事実上入国を拒否していたことがある。
 産経はこれらに際し、自由民主主義国家として入国拒否はまかりならんと論陣を張っただろうか。

 また、仮に呉善花の言論の内容自体には問題がないとしても、韓国メディアの論調に見られるように呉善花への世論の反発が強いのなら、呉善花に対する不測の事態の発生を恐れての入国拒否という面もあったかもしれない。
 さらには、入国を認めることにより、政府への批判が沸き起こることを恐れたとも考えられる。
 その判断を、外国の一メディアが、言論の自由の観点から一概に批判できるのだろうか。

 産経「主張」はさらにこう続ける。

 韓国は一昨年、当時野党だった自民党の国会議員3人が竹島に近い鬱陵(うつりょう)島を視察しようとした際も、「公共の安全を害する行動を起こす恐れがある」として、ソウルの空港で入国を拒否した。入管当局は入国目的も聞かず、いきなり不許可を告げた。これも著しく礼を失した対応だった。


 この件については当時の記事でも述べたが、国会議員であれ何であれ、外国人の入国を認めるか否かはその国の裁量の問題であろう。一国の国会議員という特別な地位にある者なのだから、外国においてもその地位を尊重して極力便宜を図るのが当然であるとは言えない。
 領土紛争の現場に乗り込んで視察することが、紛争の相手国の国会議員として当然認められるべきと考えているならば、やはりとてつもない勘違いをしているとしか思えない。

 また、ソウルで28日に行われたサッカー東アジア・カップ男子の日韓戦で、韓国側応援団が「歴史を忘れた民族に未来はない」と日本を誹謗(ひぼう)する横断幕を掲げた。韓国政府の意向ではないにしても、国際的なスポーツ競技でのマナーに反する行為である。


 確かにマナーに反するが、「主張」も言うように韓国政府の意向ではないのだし、これは全国紙の社説が取り上げるべき話題なのだろうか。

 日本と韓国は、歴史認識や領土問題で対立しても、北朝鮮の核開発や中国の軍拡など安全保障面では協力しなければならない関係にある。経済的なつながりも深い。日本と同じ自由と民主主義を重んじる隣国として、韓国には冷静で理性的な対応を望みたい。


 いかにも、産経が「自由と民主主義を重んじ」「冷静で理性的な対応」を心がけているようだが、そもそも、韓国が一外国人の私的な入国を拒否したからといって、「納得のいく説明を求めたい」「由々しき問題である」と騒ぎ立てる産経も、相当ヒートアップしているように見えるが。
 他の全国紙4紙は、この話題を1面コラムでも社説でも取り上げてはいないし、そのようなレベルの話だとも思えない。

 自由民主主義国家においては「テロなど危険な行為を伴うものでない限り」外国人の入国を拒否すべきではないとするならば、わが国においても、テロなどの理由がないならば、政府が好ましからざると考える外国人、あるいは民間が好ましからざるとして批判している外国人の入国を拒否できないことになる。
 私はそれはよろしくない、理由が何であれ外国人の入国においてその国の裁量権は当然認められるべきだと考えるが、産経はそれでもかまわないと考えるのだろうか。どちらが国益に合致しているだろうか。

 今年の「主権回復の日」の翌日、「主張」は「本紙は「国民の憲法」要綱で、国家主権を明記した。政府も国民も、国家主権の大切さを改めて考えてみる必要がある。」と説いた。
 そんな産経が、他国もまた国家主権を行使できることに極めて鈍感な論説を掲げるのは珍妙と言うほかない。



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辛光洙の釈放を要望した議員は拉致事件を知っていたとの主張について

2013-07-14 20:48:14 | 「保守」系言説への疑問
 2年ほど前にBLOGOSに転載された「辛光洙釈放要望署名をめぐる櫻井よしこのお粗末」という記事に、今月初めに何故か多数のアクセスがあった。
 記事タイトルや私の名などで検索してみたが、理由はわからなかった。
 そのアクセス増とは直接関係ないが、検索の途中で、次のツイートが目にとまった。



 この記事の事実関係に誤りがあるとおっしゃりたいらしい。しかし私には覚えがない。
 このツイートに対して「事実関係に誤りがありますか?」と返信してみたところ、返信であることに気付かず、この方のツイートで現在進行中の話題に言及されたと思われたらしく、トンチンカンな答えが返ってきたので、改めて



と問いかけてみたところ、次のようなツイートが発せられた。













 これらは何故か返信ではなく、独立したツイートだった。会話の流れを表示させたくないのか、はたまた独り言が大好きなのか。

 で、リンク先もあわせて読んでみると、どうも、釈放要望書が出された前年の国会審議で辛光洙による拉致事件が取り上げられているから、署名した議員が知らなかったとは「嘘」だとおっしゃりたいようだ。
 しかし、では前年の国会で取り上げられた事案を、出席した議員は全て記憶していると言えるのだろうか。

 この(バ°△°ロ)--花押 (@abribarreau) という方が「この議事録を自分で調べて読んだのかな」と言う議事録は、2009年11月5日の衆議院予算委員会のものだが、当時野党だった自民党の稲田朋美議員(現行政改革担当相)と千葉景子法相のこんなやりとりがある。

○稲田委員 〔中略〕さて、千葉法務大臣にお伺いをいたします。
 千葉法務大臣は、この拉致実行犯の辛光洙元死刑囚の釈放嘆願書に署名をされたということを聞かれて、拉致問題は国際的にも、私が人権を大事にすることからも、許すことができない問題だ、どういう状況の中で署名したか、経緯は調べている段階だ、本当に、まあ、うかつだったのかなという気持ちはあるとおっしゃっているわけでありますけれども、大臣がこの辛光洙の嘆願書に署名されたときに、辛光洙が拉致実行犯であるということを御存じだったでしょうか。
○千葉国務大臣 私が嘆願書に署名をしたということは、私も調べてみまして、多分そうであったというふうに認識をいたしております。ただ、そのときには、韓国の民主化にかかわる政治犯の釈放をという先輩議員の皆さんのさまざまな活動に賛同して署名をさせていただきました。
 そのときに、そのような辛光洙が含まれているというようなことについては、私も大変うかつであった、不注意であったと思いますけれども、認識はございませんでした。
 以上です。
○稲田委員 辛光洙が含まれていることに気づかなかったという御答弁ですけれども、それはおかしいと思うんですよ。政治犯の釈放、牢獄から出すというその嘆願書の、だれを出すかということに気づかず署名をされているということは私はないと思います。
 また、知らなかったということに関連しましては、この署名をされたのは一九八九年、平成元年のことでございます。そして、それより一年前の昭和六十三年の参議院の予算委員会でこの辛光洙のことが取り上げられております。
 少し読みますと、共産党の橋本議員が、「ところで話は変わりますが、大阪でコックをしていた原さんという人が突然誘拐されたらしくて所在不明になった。」「警察庁、説明してください。」ということについて、当時の局長である城内局長が、「ただいま御質問にありました事件は、いわゆる辛光洙事件というものでございます。」そしてその後、「一九八〇年に、大阪の当時四十三歳、独身の中華料理店のコックさんが宮崎の青島海岸付近から船に乗せられて拉致されたというような状況がわかっております。」それに続けて共産党の橋本議員が、「辛光洙とはどういう人物ですか。」これに答えて城内局長が、「私どもとしては恐らく不法に侵入した北朝鮮の工作員であろうというふうに考えております。」と。
 この時点で、すなわち大臣が署名をされた一年前に参議院の予算委員会で、辛光洙が原さんを拉致した実行犯であり、しかも北朝鮮の工作員であることが明らかになっております。そして当時、大臣はこの参議院の予算委員会の予算委員でいらっしゃいまして、これは昭和六十三年三月二十六日ですが、この日も大臣は予算委員として出席をされているわけであります。
 ですから、辛光洙を知らないとか、そして知らないで署名した、もし知らないで署名したとしても大変問題だとは思いますけれども、大臣が署名されるときには、辛光洙が実行犯であり、そして北朝鮮の工作員であったということは十分御承知のはずであったということを指摘いたしておきます。(中井国務大臣「委員長」と呼ぶ)いえ、結構です、答弁を求めておりません。
 この問題についてはまた御質問いたしたいと思います。


 まず、「事実関係など国会議事録等を確かめてから書くべきだ」の一言だけで、いったい何の「事実関係など」が問題視されているのかを理解し、該当の「国会議事録等」を調べてみよとは、超能力者に対してでもない限り無理な要求ではないだろうか。

 そして、「だれを出すかということに気づかず署名をされているということは私はないと思」う、「北朝鮮の工作員であったということは十分御承知のはずであった」と言ったところで、それは稲田の主張でしかない。「認識はございませんでした」という千葉の答弁を否定する根拠にはならない。

 稲田は弁護士であり、この(バ°△°ロ)--花押 (@abribarreau)という方も司法試験がどうのと語っているところを見るとその種の世界に何らかの関わりがあるのかもしれないが、仮に裁判の場でこの知っていたかどうかという点が問題になった場合、前年の国会審議で拉致事件が取り上げられていたという理由だけで、判決が知っていたと認定するとでも考えているのだろうか。

 中井国務大臣が「委員長」と発言を求めたのはそういった反論がしたかったのかもしれない。しかし稲田は「いえ、結構です、答弁を求めておりません」と逃げている。指摘するだけして反論を許さない、卑劣な手法である。

 「他人を批判するなら、その前後くらい読んだからどうかな」のツイートでは、「その前後」らしきツイートがリンクされている。







 なるほどこれらを読んでいれば、この方の主張したいことはすぐにわかっただろう。
 しかし、「その前後」に目当ての記述があるのかどうかもわからないのに、いちいちそんな手間はかけられない。冒頭で挙げたツイートで明記していれば済むことだ。
 「他人の時間を自分のために使わせて平気」とは自身のことだろう。

 リンクされている「しんぶん赤旗」のサイトには、確かに次のような記事がある。
 これは民主党ではなく公明党の議員を攻撃したものであるが。

“知らなかった”ではすまない

署名の1年前に橋本議員追及

88年3月26日参院予算委 2公明議員が出席

 昨年十月、公明党が北朝鮮による拉致問題で党略的な日本共産党攻撃をおこなってきたのにたいし、本紙は、「『反省』すべきは公明党ではないのか」という根拠の一つとして、韓国に潜入を企て逮捕された日本人拉致実行容疑者の辛光洙(シン・グァンス)とその共犯者の金吉旭らの「釈放」をもとめる要望書に、公明党の六人の国会議員(衆院議員三人、参院議員三人)が署名していることを指摘しました(昨年十月二十七日付)。その後も、十一月二十三日付特集では、六人の署名の写真を付けて報道。「これこそ、拉致問題解決の妨害」と批判してきました。

 公明党はこの指摘に四カ月近くも沈黙していましたが、最近になって“知らないで署名した”といい始めました。「当時は辛が日本人拉致の実行者だとは分かっていなかった」「今から14年前の話であり……辛が拉致実行者であると知っての釈放要望でない」(公明新聞二月十六日付)といっています。

 しかし、辛光洙と共犯者をふくむ「政治犯」二十九人の釈放要望書が来日する韓国の盧泰愚大統領あてに提出されたのは、八九年七月。それより一年も前に、国会の参議院予算委員会で日本共産党の橋本敦議員が辛光洙事件をとりあげていました。この参院予算委員会には、公明党から署名した六人のうち猪熊重二、和田教美の二人の国会議員が出席していたことになっています(八八年三月二十六日、参院予算委員会会議録)。

 原敕晁さんを一九八〇年に拉致した辛光洙について、日本政府は「不法に侵入した北朝鮮の工作員であろう」(城内康光・警察庁警備局長)と答弁、共犯者の金吉旭が七八年に「四十五歳から五十歳の独身日本人男性と二十歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮に連れてくるようにという指示をうけていた」(同)ことも明らかにしました。橋本議員は「事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略」と批判しました。

 辛光洙事件そのものは、摘発された八五年に「日本人を北朝鮮にら致、韓国、工作員ら3人拘束」(「朝日」八五年六月二十八日付夕刊)と大きく報道されました。そして八八年のこの橋本質問です。

 公明党は、こうした事実の指摘に「反省」しないばかりか、公明党パンフの「公明党は拉致解明にどう取り組んだか」という記事では、一九八〇年の「国会で最初に質問、一貫して努力」といっていたものです。これほど明々白々な事実を知らなかったこと自体おかしな話ですが、だとすれば拉致解明の「一貫した努力」がなかったことを「反省」すべきではないでしょうか。(S)


 しかし、この記事は、「知らなかったこと自体おかしな話」としながらも「だとすれば拉致解明の「一貫した努力」がなかったことを「反省」すべきではないでしょうか」と知らなかった可能性も認めている。見出しも「“知らなかった”ではすまない」と「知らなかった」可能性を全否定してはいない。
 共産党がデマを用いることはしばしばあるが、そんな共産党ですら言っていないことを、稲田やこの(バ°△°ロ)--花押 (@abribarreau)という方は主張しているわけである。

 そして、私は先の記事で「菅、江田、千葉は当時若手議員であり、先輩議員から要請されれば「よく知らずに」署名したとしてもおかしくない」とは書いたが、彼らが実際に知らなかったとは主張していないし、そもそも知っていたか否かを問題視していない。
 辛光洙事件は釈放要望書より前に国会で取り上げられており、署名議員が知らなかったはずはないという主張があることは知っていた。しかし、当時の辛光洙事件の知名度や北朝鮮による拉致事件への関心の低さを考えると、知らなかったという主張も十分説得力があり、知っていたのではないか?という疑問は呈示できても、稲田やこの方のように「“知らなかった”というのは嘘」などと断定できるものでは到底ないからだ。

 それに、この方は「署名議員も出席していて知らぬはずがない」ともおっしゃるが、櫻井よしこが批判した菅直人、江田五月、千葉景子のうち、千葉は確かにこの共産党の橋本敦議員が辛光洙事件を取り上げた1988年3月26日の参議院予算委員会に出席しているが、菅は衆議院議員、江田も当時は衆議院議員であり、この委員会には当然出席していない。この方の論法なら、出席していないのだから知らないことも有り得るということになる。

 「社会通念上政治家として軽率の誹りを免れない」とは私もそのとおりだと思うが、だから何なのだろうか。私は彼らが軽率でないなどとは言っていない。記事本文でも「私は、辛光洙の釈放を求める署名が正しかったと言っているのではない」と明記している。

 「韓国が民主主義国家かどうかなど全く論点が外れている」ともあるが、私は櫻井の文を読んで不審に思ったからあのように書いたまでであり、私の記事の論点はまさにそこにある。彼らが知っていたか否かを論点にしたいのはこの方の勝手だが、私の記事への批判としては的外れだ。
 署名議員が辛光洙について知っていようがいまいが、「民主主義国家である韓国が」云々という櫻井の主張がお粗末であることに変わりはない。

 「事実関係は説明した通り」とのことだが、URLの呈示があるだけで、全然説明になっていない。この方の言う「事実関係など国会議事録等を確かめて」、果たして私の記事のどこをどう修正する必要があるというのか。

 こういった趣旨のことをツイートで尋ねてみたが、以下のような支離滅裂な発言があるばかりだった。



 事実を調べた上で記事を書いています。間違いを示すのは、間違いだと批判する側がやるべき当然のこと。





 「記憶せずとも」……??



 何だか、実際には知らなかったかもしれないが、議事録にある以上は知っていたのと同じだという主張に変わってきていませんか。
 知らなかったとすればそれはあくまで知らなかったのであって、知らなかったのに議事録にあるから知っていたと答えればそちらの方が「嘘」でしょう。



 誰も免責されるなんて言っていませんが。









 よしこサマの御言葉は神聖にして侵すべからず、少々おかしい点があろうが目をつぶれ、口をふさげということですかね。
 この国を中国や北朝鮮のようにしたいのですか。



 その「間違」いとやらを具体的に指摘できないくせに、



 勝手に論点を限定し、それ以外の点は全て無視。その一点だけの正当性を全面的な正当性に拡散する。
 典型的な一点突破主義




 で、一方的に勝利宣言。



 そして拒絶。
 「“知らなかった”というのは嘘」という「憶測」につきあわされているのはこちらの方なのだが。

 さて、最後に、この方が根拠とする、共産党の橋本敦議員による1988年の参議院予算委員会での質問において、辛光洙事件がどのように扱われていたかを検証してみたい。

 橋本議員は、税制改革をめぐる長時間の質問の後、北朝鮮による日本人拉致事件を取り上げる。
 まず、1987年の大韓航空機爆破事件でわが国の偽造旅券が使われた件についての捜査状況を質問し、続いてその犯人である金賢姫の教育係ウネ(李恩恵、のち田口八重子さんと判明)が拉致された日本人であるとされていることを挙げる。
 さらに、北朝鮮によると疑われる4組のアベック拉致事件(うち1件は未遂)を取り上げ、続いて辛光洙事件に言及する。

○橋本敦君 ところで話は変わりますが、大阪でコックをしていた原さんという人が突然誘拐されたらしくて所在不明になった。ところが、この原氏と名のる、成り済ました人物が逮捕されてこのことがはっきりしてきたという事件があるようですが、警察庁、説明してください。

○政府委員(城内康光君) お答えします。
 ただいま御質問にありました事件は、いわゆる辛光洙事件というものでございます。これは韓国におきまして一九八五年に摘発した事件でございます。その事件の捜査を韓国側でやったわけでございますが、私どもはICPOルートを通じてそういったことを掌握しておるわけでございまして、それによりますと、一九八〇年に、大阪の当時四十三歳、独身の中華料理店のコックさんが宮崎の青島海岸付近から船に乗せられて拉致されたというような状況がわかっております。

○橋本敦君 辛光洙とはどういう人物ですか。

○政府委員(城内康光君) お答えいたします。
 本件につきましては、私どもの方で捜査をしたわけではございませんので十分知り得ませんが、私どもとしては恐らく不法に侵入した北朝鮮の工作員であろうというふうに考えております。

○橋本敦君 共犯があると思いますが、共犯者はどういう名前ですか。

○政府委員(城内康光君) お答えいたします。
 共犯者としては、名前が出ておりますのは、同じく北朝鮮工作員の金吉旭という名前が出ております。

○橋本敦君 その金吉旭は、日本女性の拉致という問題について何らか供述しているという情報に接しておりませんか。

○政府委員(城内康光君) お答えいたします。
 この北朝鮮工作員金吉旭が一九七八年に次のような指示を上部から受けておるということを承知しております。すなわち、四十五歳から五十歳の独身日本人男性と二十歳代の未婚の日本人女性を北朝鮮へ連れてくるようにという指示を受けていたということでございます。

○橋本敦君 それらが事実とするならば、恐るべき許しがたい国際的謀略であると言わなければなりません。


 しかし、辛光洙事件についての言及はここまでである。
 続いて橋本議員は、レバノンにおいても北朝鮮によるレバノン人女性の拉致事件が発生したが、結局全員レバノンに帰国できたこと、さらに韓国の映画監督申相玉とその夫人で女優の崔銀姫が北朝鮮に拉致されていた際に、同じく拉致された日本人を見たという情報を挙げる。
 そして、政府側とのこんなやりとりがある。

○橋本敦君 外務大臣、自治大臣にお聞きいただきたいんですが、この三組の男女の人たちが行方不明になってから、家族の心痛というのはこれはもうはかりがたいものがあるんですね。
 実際に調べてみましたけれども、六人のうちの二人のお母さんを調べてみましたが、心痛の余り気がおかしくなるような状態に陥っておられましてね、それで、その子供の名前が出ると突然やっぱりおえつ、それから精神的に不安定状況に陥るというのがいまだに続いている。それからある人は、夜中にことりと音がすると、帰ってきたんじゃないかということで、その戸口のところへ行かなければもう寝つかれないという思いがする。それからあるお父さんは、突然いなくなった息子の下宿代や学費を、いつかは帰ると思って払い続けてきたという話もありますね。
 それから、御存じのように新潟柏崎というのは長い日本海海岸ですが、万が一水にはまって死んで浮かんでいないだろうかという思いで親が長い海岸線を、列車で二時間もかかる距離ですが、ひたすら海岸を捜索して歩いた。あるいはまた、一市民が情報を知りたいというのは大変なことですけれども、あらゆる新聞、週刊誌を集めまして何遍も何遍も読んで、もう真っ黒になるほどそれを読み直している家族がある。こう見てみますと、本当に心痛というのはもう大変なものですね。上海でああいう悲惨な事件も起こりました〔引用者註:この質問の2日前に上海で起こった列車事故で修学旅行中の日本人高校生ら28人が死亡〕けれども、家族や両親にとっては耐えられない思いです。
 こういうことで、この問題については、国民の生命あるいは安全を守らなきゃならぬ政府としては、あらゆる情報にも注意力を払い手だてを尽くして、全力を挙げてこの三組の若い男女の行方を、あるいは恩恵を含めて徹底的に調べて、捜査、調査を遂げなきゃならぬという責任があるんだというように私は思うんですね。そういう点について、捜査を預かっていらっしゃる国家公安委員長として、こういう家族の今の苦しみや思いをお聞きになりながらどんなふうにお考えでしょうか。

○国務大臣(梶山静六君) 昭和五十三年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、御家族の皆さん方に深い御同情を申し上げる次第であります。

○橋本敦君 外務大臣、いかがでしょうか。

○国務大臣(宇野宗佑君) ただいま国家公安委員長が申されたような気持ち、全く同じでございます。もし、この近代国家、我々の主権が侵されておったという問題は先ほど申し上げましたけれども、このような今平和な世界において全くもって許しがたい人道上の問題がかりそめにも行われておるということに対しましては、むしろ強い憤りを覚えております。

○橋本敦君 警備局長にお伺いしますが、これが誘拐事件だとして、時効の点を私は心配するわけであります。しかし、今国家公安委員長もお話しのように、あるいは外務大臣もお話しのように、これが北朝鮮の工作グループによる犯行だというそういう疑いがある。これが疑いじゃなくて事実がはっきりするならば、これは犯人は外国にいるという状況がはっきりしますから、その意味では時効にはかからない、そういうことは法律的に言えるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

○政府委員(城内康光君) お答えいたします。
 まず、一連の事件につきましては北朝鮮による拉致の疑いが持たれるところでありまして、既にそういった観点から捜査を行っておるわけであります。
 一般論としてお答えいたしますと、被疑者が国外に逃亡している場合には時効は停止しているということが法律の規定でございます。

○橋本敦君 そこで外務大臣、この問題が北朝鮮工作グループの犯行だという疑いがぬぐい切れないわけですけれども、そうだといたしますと、大臣が先ほどからおっしゃったように、誘拐された国民に対する重大な人権侵犯、犯罪行為であると同時に、我が国の主権に対する明白な侵害の疑いが出てまいるわけですね。だからそういう意味では、そういう立場で大臣がおっしゃったように主権国家として断固たる処置を将来とらなくてはならぬ、これは当然だと思いますが、その点については私はもう既に国民世論だと思うんです。
 例えば二月九日の読売新聞は、「日本の浜を無法の場にするな」、こういう表題で、
 とまれ、「李恩恵」という人物についての真相解明を急ぐべきであり、北朝鮮側によるら致が事実とあれば、わが国は北朝鮮に対し、原状の回復を求め、同時に、その責任の所在を明確にするための適切な措置をとることが必要である。
  わが国からわが国民をら致するような国に対しては、それがどの国であれ、動機が何であれ、毅然として対応すべきである。わが国がそのような非人道的無法行為の現場にされるいわれはまったくない。
こう言っておりますし、また同じ日の朝日新聞は、
  事実とすれば、日本の主権にかかわるきわめて重大な事件である。他の国の機関が、日本国内から力ずくで日本人を連れ去るといった理不尽なことが、許されるはずはない。
  日本の警察が北朝鮮にら致されたのではないかとみている三組の男女についても、疑惑は大きく膨らんでいる。
こういうように言っておるわけですね。
 私は、政府として、こういう重大な主権侵害事件として、これから事実が明らかになるにつれて毅然たる態度で原状回復を含めて処置をしていただきたいということをもう一度重ねて要求するのでありますが、いかがですか。

○国務大臣(宇野宗佑君) 先ほども御答弁申し上げましたが、繰り返して申し上げますと、ただいま捜査当局が鋭意捜査中である、したがいまして、あるいは仮定の問題であるかもしれぬ、しかしながら、仮にもしもそうしたことが明らかになれば主権国家として当然とるべき措置はとらねばならぬ、これが私の答えであります。

○橋本敦君 私はきょう、三組の男女、それから未遂事件について被害に遭った人の名前はここでは言いませんでした。警察の方も名前はおっしゃいませんでしたが、しかし捜査はほとんど公開捜査でなされておりますから名前等も明らかですね。また、公開で全国民に協力を呼びかけておられる家族もあるわけです。そうして、家族が一番心配しているのは、いつかこの問題が大きな問題になってくる中で、連れていった先で殺される心配があるのではないかということが本当に悲痛な心配であるんですね。そういうことも含めて私はきょうは名前なしに言いましたが、客観的には氏名等ははっきりしております。
 私はこの問題は、日本国内において断固としてこういった不法な人権侵害や主権侵害は許さない、この男女を救わねばならぬという国民世論がしっかり高まることと、国際的にも相手がどこの国であれこんな蛮行は許さぬ、そして誘拐された人たちは救出せねばならぬ、それが人道上も国際法上も主権国家として当然だという世論が大きく沸き起こりまして、こういう世論の中でこそ、命の安全を確保しながら捜査の資料を次々と引き出し、捜査の目的を遂げ、そして法律的にも事実上もきちんと原状回復を含めた始末をする、こういう方向が強まると思うんですね。隠してはいけない。恐れてはいけない。我が党も、相手がどこの国であれテロや暴力は一切許さないという立場で大韓航空機事件でも対処しているわけですが、そういう立場で、これらの人たちが救出されること、日本政府が毅然とした対処をとることを重ねて要求したいのでありますが、そういう問題について法務大臣の御意見を伺っておきたいと思います。

○国務大臣(林田悠紀夫君) ただいま外務大臣、国家公安委員長から答弁がありましたように、我が国の主権を侵害するまことに重大な事件でございます。現在警察におきまして鋭意調査中でございまするので、法務省といたしましては重大な関心を持ってこれを見守っており、これが判明するということになりましたならばそこで処置をいたしたいと存じております。


 これで橋本議員は拉致問題関連の質問を終え、修学旅行中の日本人高校生らが死亡した上海の列車事故に話題を変える。

 「重大な人権侵害」「毅然たる態度で」と威勢はいいが、ここで語られているのは李恩恵の拉致疑惑とアベック拉致事件である。辛光洙事件ではない。
 金賢姫の偽造旅券行使を捜査せよ、申相玉と崔銀姫を情報収集のため調査せよとは説くが、辛光洙事件については、辛を日本人拉致事件の容疑者として捜査せよと主張するわけでもなければ、北朝鮮に原さんの情報について照会せよと説くわけでもない。単なる北朝鮮による日本人拉致の一例として触れているにすぎない。原敕晁(はらただあき)さんのフルネームさえ述べられていない。
 当時の辛光洙事件の扱われ方とは、このようなものでしかなかったのである。

 この議事録の内容をもって、この委員会に出席し、かつ釈放要望書に署名した議員が「“知らなかった”というのは嘘」と断ずるのは、無理があると言わざるを得ない。

 繰り返すが、だからといって私は、かの釈放要望書への署名を肯定しているのではない。
 安倍晋三首相が2002年に内閣官房副長官だった時、この問題を取り上げて「土井たか子と菅直人はきわめてマヌケな議員」と批判したと聞くが、全くそのとおりだと私も思う。

 しかしそのことと、「民主主義国家である韓国が」云々という櫻井の主張がおかしいこととは全く関係ない。
 そして私は、部分的に正しい主張が含まれていようが、おかしいことにはおかしいと声を上げるべきだと考える。
 何故なら、それが結局はその正しい主張の利益となると思えるからだ。

それは真実かも知れぬ、しかし、いまそれを言うと敵を利するだけである!」。
 今なおそんな論理で左翼の二の舞を演じるわけにはいかない。


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「日本に生まれたこと」を「誇りに」?

2013-03-05 08:22:55 | 「保守」系言説への疑問
 数日前にテレビでこんなニュースを聞いて、ちょっと引っかかるものがあった。

 政府の教育再生実行会議は去年、学校でのいじめを巡る問題が全国で相次いだことを受けて、26日の会合でいじめや体罰への対策を盛り込んだ提言を取りまとめ、安倍総理大臣に提出しました。
これについて安倍総理大臣は「教育再生を果たすためには、子どもたちが日本に生まれたことに喜びや誇りを感じられる教育を実現する必要があり、提言は教育再生を実行する第一歩だ。スピード感を持って取り組むよう下村文部科学大臣に指示したい」と述べました。


 人は、ある国に生まれたことに誇りをもてるものなのだろうか。

 首相官邸のホームページにも、安倍首相はこう述べたとある

「ただ今、本会議の第一次提言をいただきましたことに心から感謝し、一言ご挨拶申し上げます。
 日本国の最重要課題である教育再生を果たすためには、まず、子供達が日本に生まれたことに喜びを感じ、誇りに思うことができる教育を実現する必要があります。


 検索してみると、昨年9月に自民党総裁に当選した時や、先の衆院選1月の衆議院本会議など、ずっと繰り返し言ってきたことなんですね。知りませんでした。

「日本に生まれたことに喜びを感じ」
 これはわかる。
 私も、日本に生まれてよかったなとは思う。
 戦乱の絶えない国、飢餓を克服できない国、独裁者の統制の下に呻吟する国などに比べたら。
 そして、素朴に、日本はいい国だとも思う。
 もっとも、私は他国で生活したことがないから、直接の比較はできない。単なる根拠のない印象にすぎない。
 それでも、この国から逃れたいというような不満は全くないし、将来に希望がないとも思えない。

 しかし、
「日本に生まれたこと」を「誇りに思う」
 これはよくわからない。

 念のため、「誇り」を辞書(デジタル大辞泉)で引くと、

誇ること。名誉に感じること。また、その心。「一家の―」「―を傷つけられる」


とある。
 「誇る」は、

1 すぐれていると思って得意になる。また、その気持ちを言葉や態度で人に示す。自慢する。「技(わざ)を―・る」
2 誇示すべき状態にある。また、そのことを名誉に思う。「輝かしい実績を―・る」「長い歴史と文化を―・る都市」


 「名誉」は、

1 能力や行為について、すぐれた評価を得ていること。また、そのさま。「―ある地位」「―な賞」
2 社会的に認められている、その個人または集団の人格的価値。体面。面目。「―を回復する」「―を傷つける」


とある。

 だから、「誇りに思う」とは、その者自身の具体的な長所や美点に対する心理ではないだろうか。
 難関大学に合格したとか、勤め先の業績アップに貢献したとか。
 顧客に強く満足してもらったとか、ある分野で何らかの賞を授与されたとか。
 そういったことなら、「誇りに思う」のは当然だろう。

 しかし、「日本に生まれたこと」は、そういったことだろうか。

 母校が高名な賞の受賞者を輩出したら、何やら自分までもがその賞の近くに位置するような気がするかもしれない。
 知人が高い社会的評価を受けて著名人になったら、何やら自分までもが著名人の仲間になったような気がするかもしれない。
 しかし、それは錯覚であり、自分とは何の関わりもないことだ。

 日本がいかにすばらしい国であろうと、そこに生まれたことには、自分の力は何ら寄与していない。単なる運にすぎない。
 単なる運の良さを、人は「誇りに思う」ことが可能なのだろうか。
 宝くじに当たったことを、自分は天から選ばれた人間なのだと「誇りに思う」人間がいるとしたら、その人はどうかしているだろう。

 戦後の復興や高度経済成長を支えた世代が、我々が日本をここまでにしたんだと誇るというなら、わからないでもない。
 しかし、「生まれたこと」自体は、何ら誇るべきこととは私には思えない。
 
 仮に、「日本に生まれたこと」を「誇りに思う」のなら、他の国に生まれたことは「誇りに思」えないということになる。全ての国がそうでないかもしれないが、少なくともそうした国が存在するということになる。何故なら、上で辞書を引用したように、「誇り」とは他者との比較によって生じる感情だから。
 しかし、人は生まれてくる国を選べない。
 日本に生まれた子供がそのことを「誇りに思う」とすれば、それは、金持ちの子が、貧乏人の子を蔑むのと同じようなものではないか。
 名家に生まれた者が、無名の者に対して、出身を鼻にかけるのと同じようなものではないか。
 人として決して誉められた行いではないのではないか。

 おそらく、安倍首相らが「日本に生まれたこと」を「誇りに思」える教育をと説く真意は、そういうものではないのだろう。
 いわゆる自虐史観、戦前真っ暗史観が未だ払拭されていないのが不満なのだろう。そしてわが国ほど悪い国はこの世にないかのような論評がまかりとおっている現状が歯がゆいのだろう。
 わが国にも良い面は多々あるのであり、そうした自覚を子供時代から持たせたいということなのだろう。

 だとしても、「日本に生まれたこと」を「誇りに思う」心理とは、突き詰めていけば上記のようなものだろう。ちょっとわが国の伝統的な歴史観、国家観とは異なる気がする。わが国の歴史の悪しき面に通じるような気がする。

 日本はこんなにすばらしい、すごいんだ、偉いんだとうつつを抜かしている間に、後発国にあっさり抜かれてしまわないとも限らない。
 単に「感じ」「思う」ことによってどうにかなる部分よりも、実際の学力向上、競争力強化に重点を置いていただきたいものだ。

(関連拙記事「誇るべきものとは」)
コメント (2)
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尖閣諸島の岩に描かれた日の丸をどう思いますか?

2012-07-21 11:01:27 | 「保守」系言説への疑問
 先日の記事「尖閣諸島の日の丸、そしてヤギ」に関連して、上のような質問を「人気ブログランキング」の投票サービスで作成してみました。

 リンク先はこちらです。
 左のサイドバーからも投票できます。

 よろしければ、ご意見をお聞かせください。
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尖閣諸島の日の丸、そしてヤギ

2012-07-10 20:26:41 | 「保守」系言説への疑問
 しばらく前に、MSN産経ニュースのこんな記事を見た。

絶海の尖閣に領土の証し 東京都議視察漁船に同行
2012.6.27 23:05

 絶海に浮かぶ魚釣島の岩肌に荒々しく、くっきりと描かれた日の丸。それは日本の領土としての確固たる証しだった。

 「国がやらないなら、都がやる」と東京都の石原慎太郎知事が打ち出した尖閣諸島(沖縄県石垣市)購入計画。その思いに呼応した都議会議員7人(民主党6人、無所属1人)が25日夜から丸1日かけ、民間団体による集団漁業活動に加わる形で実施した尖閣諸島周辺視察に同行した。乗り組んだ漁船は、国境の島々まで約20メートルに迫った。

〔後略〕


 岩肌に日の丸?
 何てことをするんだろう!

 北朝鮮では、白頭山や金剛山といった名峰の岩肌に、体制賛美のスローガンを刻んでおり、心ある人々を嘆かせていると聞くが、日本人にも同じような輩がいるのだな。 

 調べてみたら、かつて尖閣諸島に灯台を設置した日本青年社が描いたものらしい。
 こちらのサイトに写真があった。 

 もっと巨大なものかと想像していたので拍子抜けしたが、落書きみたいで情けなくなった。
 産経はこんなものを「日本の領土としての確固たる証し」と手放しで喜んでいていいのだろうか。

 その後、本屋で尖閣などの領土を扱った本を見ると、同様の写真が載っていたので、知っている人は多いのだろう。

 私は、尖閣諸島は当然わが国の領土だと思っているし、石原構想はともかく国有化してもよいと思うが、こんな感性の者共に国土を好き勝手にしてほしくない。

 そういえば、日本青年社は灯台建設のために上陸した際に島にヤギを放し、それが現在、島固有の生物を脅かしていると聞く。
 以前読んだ、松井正文『外来生物クライシス』(小学館新書、2009)の178ページ、「ヤギ」の項にその話が出ている。

 雌雄1頭ずつのヤギがもち込まれたのは1978年のこと。島に灯台を建てるために上陸した政治団体によるものだった。
 この団体のメンバーらは、魚釣島上陸前に与那国島に滞在した。その際、島民から緊急時の食糧としてヤギを連れていくように勧められ、島のヤギを贈られたのだという。
 ところが、灯台建設を無事終えて島を引き揚げる際に、彼らは運び込んだヤギを置き去りにしてしまった。国内外来種による生態系の破壊などという考えが世間に存在していない時代のことである。まさか自分たちが運び込んだヤギが後に大繁殖し、魚釣島の貴重な自然を破壊することになるなどとは想像もしていなかっただろう。


 大繁殖は想像していなかったかもしれないが、外来種の問題は当時既に指摘されていたのではないか。
 そうでなくても、せっかくいただいたヤギを島に置き去りにしていいのだろうか。

 同書によると、1991年に琉球大学の専門家らが中心となり島に上陸してのヤギの調査が行われ、300頭以上のヤギが生息し、島の植物相や生態系を破壊していることが明白となったが、政府はその後一般国民の上陸を禁止したため、「専門家たちは歯ぎしりして傍観するしか手だてはないのだ」という。
 また、

 ヤギを置き去りにしてしまった政治団体は、上陸できるようであれば責任を取って捕獲作戦を行いたいと述べているようだが、彼らがなんといおうとも、現在の状況では上陸は許されない。


ともある。
 私はこれを読んで、彼らも何とかしたいとは考えているが、政府の方針に従って上陸できないのだと思っていた。

 ところが今日、日本青年社のホームページを見てみると、彼らは平成12年から15年にかけて毎年魚釣島に上陸している。16年にも上陸しようとしたが低気圧の接近により引き返している。17年には灯台を国に譲渡し、以後は上陸していない。22年には中国漁船衝突事件が起き、抗議のため上陸を計画するが、政府の圧力により断念したとある。

 その気になれば上陸できるんじゃないか?

 もちろんホームページにはヤギ問題についての記述はない。

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建国記念の日の産経「主張」を読んで

2012-02-20 00:01:51 | 「保守」系言説への疑問
 これが一般紙の社説か。

【主張】建国記念の日 歴史への誇りこそ底力に
2012.2.11 03:02

 昨年3月11日の東日本大震災のあと初めて迎えるきょうの「建国記念の日」は、例年にもましてその意義が一段と強く胸に迫ることだろう。

 大震災と原発事故によってわが国は未曽有の困難に直面し、今は復興と並んでさらに多くの難題が加わっている。内に経済不安や急激な少子化による国力の衰退懸念を抱え、外との間では、領土・領海が中国などによって脅威にさらされ、日米同盟の弱体化が国家の安全保障を不安定なものにしている。

 わが国の存立基盤は危機的状況にあるといわざるを得ない。

 しかし、危機をはね返す底力は日本人に備わっているはずだ。先の敗戦後でも、日本人は一致団結して復興を成し遂げた。

 思い起こしたいのは、被災地で命懸けの救援にあたった自衛隊の活躍だ。救出した人は1万9千人を超える。国家と国民を守る組織があったればこそだ。絶望の中で冷静に行動して助け合った日本人の姿も、目に焼き付いている。

 国民の多くがそこに民族の精神の柱を見たはずである。その淵源(えんげん)は、紀元前660年の建国に求めることができるのではないか。

 『古事記』や『日本書紀』などには、国生みの神話などに続いて神武天皇即位の記述がある。現在の「建国記念の日」につながるものだが、残念ながら戦後、神話も建国のいわれも皇国史観や軍国主義に結びつけられ排除された。

 代わって反日的な自虐史観が勢いを増し、健全な愛国心が希薄になった面もある。自国の歴史を否定する国家にどうして民族の誇りや自信が育ち得ようか。

 わが国では、建国当初の国家が一度の断絶もなく現在まで継承され、神武以来125代にわたって一系の天皇を戴(いただ)いてきた。日本人は、神話や建国の物語とともに、この世界にもまれな歴史に畏敬と誇りをもち、幾多の国難を凌(しの)いで国造りに努めてきたのである。

 今年は古事記の完成から1300年にあたる。国民が神話を見直し、古代人のものの見方や国造りに対する考え方に触れる契機にしてほしい。

 苦しいとき、人は故郷(ふるさと)を思い出して試練に耐えることができる。日本人が現下の国難に立ち向かって底力を発揮すべく誇りと自信を取り戻すには、国家と民族の故郷ともいうべき建国の経緯を振り返ることが必要ではなかろうか。


 宗教団体の機関紙かと見まがう内容だ。
 試みに神社新報のホームページを見てみると、建国記念の日を扱った1月30日の論説に、似たような箇所が多々ある。

 さて、ツッコミ所は多々あるが(命を賭した一般国民も多かったろうに、まず自衛隊の活躍を思い起こしたいってどんな先軍政治?とか、「紀元前660年の建国」などと神話を歴史的事実であるかのように語ってよいのかとか、震災に対して一致団結せずに民主党政権批判に終始し国論を分断したのは誰なのかとか)、ここでは次の2点について述べるにとどめたい。

1.「自国の歴史を否定する国家にどうして民族の誇りや自信が育ち得ようか」

 いわゆる保守陣営から、こういうことはしばしば言われる。
 私も保守を自認しているが、前にも書いたが私はこうした主張に同調できない。

 産経「主張」の言う「反日的な自虐史観」とは、いわゆる東京裁判史観、田母神俊雄がアパ論文で批判したわが国は「侵略国家」だとする見方を指すのだろう。
 そんなものが本当に現在でも「勢いを増し」ているのかどうか疑問だが、それはここでは置く。
 しかし、東京裁判史観にしても、せいぜいが満洲事変以降のわが国の国策を批判しているのだろう。
 論者によってはわが国の侵略性をさらに対華21箇条要求や韓国併合、日清・日露戦争、征韓論にまでさかのぼることがあるかもしれないが、それにしも明治期が限度だろう。あとは豊臣秀吉の朝鮮出兵ぐらいか。
 歴史のある一時期におけるある国策を批判することが どうして「自国の歴史を否定する」ことになるのだろう。

 では、産経の論法では、自国の歴史は一切批判すべきではないということにならないか。
 大東亜戦争における敗戦と占領が、60年以上経た現在に至っても、わが国の在り方を根源的に規定していることに産経も異論はないだろう。
 そして普段の論調から察するに、産経はその規定のありように不満なのだろう。私もそうだ。
 ならば、何故そのような結果に至ったのかと、昭和戦前・戦中期の歴史を批判的に見るのはむしろ当然のことではないだろうか。

 そしてそれは、「健全な愛国心」とは全く関係ない。

 人はごく自然に、生まれ育ってきたふるさとを愛するものである。
 それは、ふるさとが他の地域に比べて優れているからではない。自らの歴史の一部がそこにあり、それ故に愛着があるからである。
 もちろん、ふるさとに何かしら優れた点があれば、それを誇りに思うことだろう。だが、ふるさとがこれといった特徴のない地域、あるいはむしろ世間的には評価の高くない地域であったとしても、そのためにふるさとを否定することは普通はないだろう。
 愛郷心とはそういうものであり、それが自然に愛国心にもつながるのだろう。
 それが「健全な愛国心」だろうと私は思う。

 わが国はこれほどまでに優れている、だから国民は国を愛すべきだと説き、歴史における汚点に目を向けようとしない姿勢は、決して「健全な愛国心」によるものとは思えない。

2.「日本人が現下の国難に立ち向かって底力を発揮すべく誇りと自信を取り戻すには、国家と民族の故郷ともいうべき建国の経緯を振り返ることが必要ではなかろうか」

 とてもおかしなことを言っている。

 米国のような人工国家が、誇りと自信を取り戻すために独立戦争を思い出せと言うならわかる。
 あるいは、旧ソ連が、ロシア革命や大祖国戦争を思い出せと言うなら。
 中国が、抗日戦を思い出せと言うなら。
 北朝鮮も、1990年代に「苦難の行軍」という、抗日パルチザンに由来するスローガンを掲げていたな。

 それらは、確かに建国の原点であろうから。

 だがわが国のように有史以来連綿と続き、建国の経緯が神話のベールに覆い隠されている国家にとって、それを振り返ることにどれほどの意味があるのか。
 そもそも神武天皇による建国とはどのようなものなのか、産経の論説委員は知っているのか。
 神の子孫たるカムヤマトイワレヒコノミコトが、日向から統治の地を求めて東へ向かい、どこそこへ行ってだれそれを倒した、またどこそこではだれそれを下した、最後は橿原で即位し天下を治めたという、ただそれだけの話である。
 わが国の建国の経緯がこのように語り継がれてきたことは知っておくべきだろう。だがこの物語をもって、どのようにして「国難に立ち向かって底力を発揮すべく誇りと自信を取り戻す」ことができるというのか、産経には具体的に説明してほしい。
 わが国は神の子孫によって治められた神国であり、神聖不可侵であり絶対不敗であるとでも言うのか。そうした妄想こそがまさに60余年前の敗戦を招いたのではないのか。

 国難に際して、もし韓国や北朝鮮が檀君の偉業を思い起こせと、中国が黄帝の偉業を思い起こせと説いたら、馬鹿じゃなかろうかと私は思う。
 この産経の「主張」が言っていることはそれに近い。

 そもそも、建国記念の日の前身である紀元節が定められたのは明治6年のことだ。それまでは、わが国の建国の日など誰も気にしてはいなかったのだろう。
 そして、明治政府がわざわざ紀元節などというものを設けたのは、単に欧米諸国の模倣にすぎない。
 わが国古来の伝統とは関係のない話である。

 私は、神話は事実でないから無意味だと言いたいのではない。そうしたものを我々の祖先が生み出し、語り継がれてきたのは事実なのだから、それにはやはり敬意を払うのが当然であり、後世に伝えていくべきであろう。
 ふだんなかなか思い起こすことのない日本神話に、建国記念の日にぐらい思いを馳せるのもいいだろう。
 だが、古来から、わが民族が幾多の国難を凌いでこられたのは、何も神の子孫であり万世一系の天皇を戴いてきたからだけではないだろう(ならば何故そのような主張が最高潮に達した先の大戦であのような未曾有の大敗を喫しなければならなかったのか)。むしろそれは、先人たちの努力に対して、あまりにも不遜な表現だろう。

 そして、神話は神話として、歴史的事実としての建国の経緯はどうだったのかもまた検証されなければならないだろう。
 『古事記』や『日本書紀』などの記述を重視するあまりに、実証史学の成果を軽視するのであれば、嘘で塗り固められた金日成一族の歴史を奉じる北朝鮮を嗤えまい。

 近年の産経の論調を見ていると、もし現在に津田左右吉や美濃部達吉、桐生悠々らが存命していたら、彼らですらも反日売国、自虐史観と指弾されそうで、暗澹たる気分になる。


付記
 2月11日は「建国記念日」だと私はずっと思っていた。正しくは「建国記念の日」であることをこの記事で初めて知った。

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自民党に背骨はあったか

2011-07-14 20:41:57 | 「保守」系言説への疑問
 自民党の稲田朋美衆院議員が6月17日付け産経新聞の「正論」欄「背骨なき党と手握るは愚策なり」で次のように述べている。

〔前略〕

「反自民」でのみ結束の民主

 茶番劇を通じて露呈したのは、民主党が、第1に民主党を壊さないこと、第2に自民党を復権させないことを優先し、災害復興と被災者救済に責任を持つことを、その後に回した点である。民主党の一貫した主張はただ一つ、「反自民」だったということである。

 一昨年夏、政権交代が実現したのはなぜか。当時の自民党が国家国民のための正しい政策を実現することではなく、政権与党であり続けることにのみ価値を置く政治をしている、と国民が見て、政権を委ねる資格なしとの審判を下したからである。代わって登場した民主党もまた、政権与党であり続けることにのみ汲々(きゅうきゅう)としている。

 一方、わが自民党も、内閣不信任案提出を機に、またもや大連立の声が上がるなど、いまだに政局に翻弄されている。民主党政権の誤りは、菅氏が首相であることにとどまらず、党の綱領すら持たない“野合の衆”が政権にあり、民主主義も法治国家であることも無視した世論迎合の思いつき政治を続けている点にある。菅氏が首相でなければ連立を組むとか、菅氏が辞めたら特例公債法案を通すといった事柄ではないのである。

 民主党の問題は、国家観、祖国愛がないこと、財政規律無視のばらまき政策を反省しないこと、意思決定のプロセスがいい加減なこと、ウソを認めないなど政治姿勢が不真面目なことにある。要は、綱領がないことに象徴されるように政治の背骨がないのである。

連立は閣内不一致で立ち往生

 政党とは本来、政治について思想信条を同じくする者が集まるものである。背骨のない民主党などそもそも、政党とは言い難い。「反自民」の一点でのみ結束できるというのでは、あらゆる政策課題についてまともな決断ができず右往左往するのは当然だろう。震災対応がこうも遅れているのも、政権党に背骨がないからであり、迷惑しているのは国民である。

 そんな背骨なき政党と連立しても何一つ決まらないばかりか、外交、防衛、教育など重要基本政策をめぐって閣内不一致になるのは目にみえている。だから、大連立は愚策なのであり、首相が誰かということが理由なのではない。


 たしかに、民主党には綱領がない。
 党のホームページには「基本理念」及び「基本政策」なるものは掲げられているが、これは綱領ではない。
 民主党を批判する際にしばしば指摘される点である。

 これについては民主党も自覚しているようで、今年2月には党改革推進本部が設置され、綱領、規約、代表選のあり方の3点についてそれぞれ検討する委員会を設け、「遅くとも夏までには議論を集約して成案を得る」としている。

 本来、綱領は結党時に定められるものだろう。
 1998年の結党から10年以上も経つのに、何故綱領が定められなかったのか。
 それは、民主党が様々な勢力の寄り合い所帯であったがために、統一的な綱領を定めることが困難であり、またそれを必要としなかったからだろう。
 「民主党の一貫した主張はただ一つ、「反自民」だったということである。」という稲田の弁は正しい。ただ、付け加えるなら、「非社民」「非共産」でもあった。
 自民党にも社民党にも共産党にも与しなかった勢力が、最終的に民主党に結集したのである。
 そこにはかつての「社会党のプリンス」もいれば、除名されたが西村眞悟のような民族派もいた。綱領が策定できなかったのは当然だろうし、仮に綱領があれば、これほどの結集が可能だったかどうか疑問である。
 言わば、政党と言うよりは自民党政権打倒のための諸グループの連合体であり、だからこそ、福田康夫首相と小沢一郎代表との間で進められた大連立への動きに対して、党内からあれほど強い反発が生じたのだろう。

 しかし、民主党の政権獲得後の混迷ぶりは、果たして稲田が言うように綱領を欠いているためなのだろうか。

 そういう自民党には「政治の背骨」があったのだろうか。

 自民党結党時の綱領は現在でも自民党のホームページに掲げられている。次のようなシンプルなものである。

綱領
昭和三十年十一月十五日

一、わが党は、民主主義の理念を基調として諸般の制度、機構を刷新改善し、文化的民主国家の完成を期する。

一、わが党は、平和と自由を希求する人類普遍の正義に立脚して、国際関係を是正し、調整し、自主独立の完成を期する。

一、わが党は、公共の福祉を規範とし、個人の創意と企業の自由を基底とする経済の総合計画を策定実施し、民生の安定と福祉国家の完成を期する。


 率直に言って、読みようによってどうとでもとれる、曖昧模糊としたものだと思う(仮にこれを民主党の綱領だと言っても通用するのではないか)。
 「経済の総合計画」「福祉国家の完成」といった語句からは社会民主主義の臭いも感じられる。

 これを、例えば、同年に左右が統一して成立した社会党の綱領や、宮本体制が確立した1961年の共産党の綱領と比較すれば、その違いは歴然としている。

 何故こうしたことになるのか。
 
 それは、自民党がいわゆる保守政党であり、現状維持と漸進的改革を志向した政党であるからだろう。

 Yahoo!百科辞典で「綱領」を検索すると、『日本大百科全書』(小学館)の次のような記述が呈示される(太字は引用者による。以下同じ)。

大衆団体や政治団体、とくに政党の基本的立場や目標、実現の方法、基本政策、当面の要求、組織などを定めた文書。綱領は一般に結社の最大公約数的一致点を示し、できるだけ多数の支持を獲得するため、具体的でないものが多い。また、結社の存在理由を明示し、一般大衆に印象づける必要性から、簡潔明瞭(めいりょう)なものが好まれる。とくに、保守党の綱領は抽象的な項目の列挙に終わる傾向が強い。これに比べて、革新政党の綱領は運動の戦略・戦術まで詳しく展開したものが多く、とりわけ共産主義政党は、終極目標を示す最大限綱領、その過程の段階的目標を示す最小限綱領、当面の要求を示す行動綱領を厳密に規定している。綱領は、一面では世論を反映するとともに、他面では積極的に世論を形成する要素ともなる。1875年ドイツ社会主義労働者党のゴータ綱領、1891年ドイツ社会民主党のエルフルト綱領、1959年のバート・ゴーデスベルク綱領などがよく知られている。


 もっとも、自民党は結党時にこの綱領以外にも「立党宣言」「党の性格」「党の使命」「党の政綱」という文書を採択している。これらも先の綱領と同じページに掲載されており、準綱領的文書ということになるのだろう。
 これらを要約すると、自民党は結党時に次のように自己規定していたと言えるだろう。

1.階級政党ではなく国民政党である
2.議会主義に立ち、暴力革命を排し、極左、極右の全体主義と対決する
3.時代の要求に即応して現状を改革する進歩的政党である
4.自由主義経済に計画性を付与し、経済の自立繁栄と完全雇用の達成を図る
5.社会保障政策を強力に実施し、福祉国家の実現を図る
6.国連憲章の精神に則った平和主義に立ち、善隣友好外交を進める
7.憲法改正を図り、自衛軍備を整え、在日米軍撤退に備える

 そして、特に重点が置かれているのが、1と2だろう。

 忘れてはならないのは、この当時、国民政党を名乗り、議会主義に立つことが明白な政党は、国政を担う大政党では自民党しか存在しなかったということだ。
 自民党の結党に1か月先立ち、左派と右派に分裂していた社会党が統一した。統一綱領では「階級的大衆政党」という折衷的表現を用い、また「民主的、平和的に」と断りながらも「社会主義革命を遂行する」としていた。政権獲得の前後を問わず自由選挙と代議制を確保する「つもりであ」るとしていたが、党内にソ連型社会主義を支持する勢力を含む以上、その実行性は疑わしかった。
 そして国会には自民党と社会党のほかには、共産党などごく少数の政党しかなかった。民社党も公明党もまだ存在しなかった。
 したがって、社会主義に否定的な立場の者は、自民党に票を投じるしかなかった。

 自民党は、吉田茂系の自由党と鳩山一郎系の民主党の合同によって成立した。
 何故両党は合同したのか。
 それは、吉田内閣末期から鳩山内閣初期にかけて、自由党も民主党も共に少数与党で政権が不安定であったため、安定した政権基盤を確保する必要があったからだ。
 さらに、3分の2以上の議席を確保して、憲法改正を実現する意図もあったと聞く。

 自民党もまた、民主党と同様、様々な勢力の集合体であった。官僚出身の池田勇人や佐藤栄作、党人派の大野伴睦や河野一郎、戦中期に大臣を務めた岸信介や賀屋興宣もいれば、左派の三木武夫や宇都宮徳馬もいた。
 彼らに共通するのはただ一点、議会主義に立つ国民政党に与するということだけであり、要するに非社会主義、もっと端的に言えば「反共」であろう。
 民主党が「反自民」で一貫していたのと同様、自民党もまた「反共」で一貫していた。

 そして、三木おろしや40日抗争のような危機はあったが、何よりもまず「自民党を壊さないこと」「社会党に政権を渡さないこと」が優先された。
 ソ連が崩壊し、社会党が政権に加わってもわが国が共産化しないことが明白になって初めて、小沢一郎らは集団離党に踏み切って自民党を下野させ、また自民党は社会党と連立して(社会党の首班を担いでまで!)政権を奪還したのだ。
 「反共」が意味を失った後は、単に与党であること自体に存在意義を見出したと言えるだろう。自自連立、自公連立にしてもまた同じ。
 「政権与党であり続けることにのみ価値を置く政治をしている、と国民が見て、政権を委ねる資格なしとの審判を下した」との稲田の見方はこれまた正しい。

 だが、稲田が言うように、民主党には綱領がなく「反自民」の一点で結束したにすぎないから、「あらゆる政策課題についてまともな決断ができず右往左往」しているのだろうか。
 では自民党は各種の政策課題について統一的な見解がとれているのだろうか。
 現在問題となっている原発についてはどうか。
 TPPには賛成なのか、反対なのか。
 外国人参政権はどうか。人権擁護救済法案はどうか(この2つを民主党が進めているかのように主張する者がいるが、これらはもともと自民党政権の下で出てきた話である)。
 女系天皇を認めるのか、認めないのか。認めないとすれば皇室存続のためには至急何らかの対策を立てるべきではないのか。

 「背骨」があるなら何故、「刺客」を放ってまで落選させようとした郵政民営化反対派を、その1年後に復党させるなどという無様な真似をしたのか。

 「党の政綱」に掲げられた「現行憲法の自主的改正」が池田内閣以来安倍内閣まで棚上げされてきたのは何故か。また「駐留外国軍隊の撤退」は現在に至るまで全く無視されているのではないか。

 私は何も自民党を否定したいのではない。戦後のわが国はおおむね正しい方向を歩んできた、それは長らく与党であった自民党の功績だと考えている。
 しかし、民主党には綱領という「背骨」がないから右往左往しており、自民党と大連立を組んでも閣内不一致で立ち往生するだけだという稲田の主張には賛成できない。
 私には、綱領があろうがなかろうが、民主党の成り立ちは自民党のそれと比べてさして違いがあるとは思えない。
 民主党に結集した勢力は、かつて自民党に結集した勢力よりさらに幅が広く、しかも今は「反共」で通用するイデオロギーの時代ではないから、綱領の制定は容易なことではないと思うが。

 そもそも連立政権は綱領ではなく政党間の政策協定に基づいて運営されるべきものだろう。
 自民党も、「背骨」がかなり異なるにもかかわらず、「反小沢」の一点で一致して、社会党及び新党さきがけとの連立政権を維持したではないか。

 ところで、稲田は上記の引用部分に続けてこう述べている。

 さて、翻って、自民党は真の政党たりえているのか。自民党の支持率が上がらない要因は、有権者たちがためらわずそうだといえないあたりにあるのではないか。

 綱領も理念もない民主党と手を組めば、自民党の存在感はますます薄れてしまうだけでなく、自民党もまた、思想信条なき政党に転落しかねない。そうならずとも、早晩、民主党の大衆迎合政治や社会主義的な発想とは妥協できなくなって連立離脱を余儀なくされ、そうなれば「ふらふらしている」党という印象を与えてしまう。

 では、今の難局をどう打開するのか。最終的には解散・総選挙しかない。復旧復興には最大限協力する、しかし、誤りは厳しくただす、そして選挙ができる状況になれば解散・総選挙に追い込んで戦う。「急がば回れ」である。

自民首班で空白埋める道も

 政治空白をいつまで続けるのかと問われれば、民主党政権が続く限りと答えるしかない。今回のような緊急事態では、全国津々浦々に張り巡らされた組織や人のネットワークの活用が必要だ。が、自民党にはそれがあり、民主党にはそれがない。つい先日も、ある経済人が発災直後、自民党の多くの政治家からは協力要請があったのに民主党の政治家からは何もなかった、と空白感を嘆いていた。

 解散・総選挙をせず、現有議席の下で即断即決できる体制を作ることも可能である。野党第一党の自民党の総裁を首班とする政権を編成し、その政策に賛同する国会議員すべてが参加するのだ。これは連立ではない。民主党議員は野合をやめ、自らの良心に照らして自民党の首班に投票してもらえばいい。その体制下で復旧復興を即断即決で進める一方、最高裁で違憲とされた一票の格差を是正する選挙制度改革も早急に行い、そのうえで解散し国民の信を問う。

 いずれにしても、今の日本の政治家に求められていることは、たった一つである。私利私欲や政局ではなく、この国難にあたって自らを国に捧(ささ)げる覚悟である。(いなだ ともみ)


 現在衆議院では民主党は3分の2近くの議席を占めている。自民党はその民主党の4分の1程度の議席しか持たない。
 この勢力比でどうやって自民党総裁を首班とする内閣が成立し得るというのか。仮に成立したとして、政党ではなく個々の議員の支持に基づいて、どのような「即断即決できる体制」を構築できるというのか。
 これは確かに「連立ではない」だろう。これは他党議員の「一本釣り」ならぬ「百本釣り」だ。
 しかしそんな、稲田の弁によれば“野合の衆”の支持に基づく内閣に、まともな政権運営が可能とは思えない。

 それにしても、
「政治空白をいつまで続けるのかと問われれば、民主党政権が続く限りと答えるしかない」
とは恐れ入った。
 稲田は、
「今の日本の政治家に求められていることは、たった一つである。私利私欲や政局ではなく、この国難にあたって自らを国に捧(ささ)げる覚悟である。」
と締めくくっているが、この政治空白を続けるという主張や先の自民党首班内閣の提言が「私利私欲や政局」でなくて何だというのだろうか。
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今上天皇が第何代目かを知らなければ日本人ではない?

2011-06-11 23:57:01 | 「保守」系言説への疑問
 法華狼さんの所で、8日付の産経抄が次のような内容であったことを知る。

天皇陛下は初代の神武天皇から数えて第125代の天皇である。それでは区切りとなる50代目の天皇はといえば、西暦794年に平安遷都を行った桓武(かんむ)天皇だ。さらに第100代は南北両朝の合一がなった後小松(ごこまつ)天皇ということになる。

 ▼平安遷都といえばずいぶん古いことのように感じられる。だが日本の歴史の始まりからすると、天皇の代数で50代もたっている。南北朝時代もかなり昔というイメージだが、有史以来現代までの5分の4程度のころのできごとで、「ついこの間」のような気がしてくる。

 ▼日本の歴史の重要なことがらも「第何代天皇のころ」として見れば、ぐっと分かりやすく身近に感じられる。しかしそんな日本の歴史も、枝野幸男官房長官にはあまり関心事ではなさそうだ。一昨日の参院決算委員会での「答弁」でそう感じた。

 ▼山谷えり子議員が、天皇、皇后両陛下の被災地ご訪問にからみ「天皇陛下は何代目の天皇かご存じか」と尋ねた。これに対し枝野氏は「存じません」と答えたそうだ。日本人なら誰でも知っていると思っていただけに、このニュースは衝撃的だった。

 ▼確かに戦後の歴史教育は神武天皇についてすら教えてこなかった。昭和39年生まれの枝野氏だから無理はないとの見方もあろう。だが歴史や皇室に少しでも関心のある人なら、簡単に調べられることである。しかも枝野氏は菅直人首相の後継候補に名前があがり、政府の中枢にいる。

 ▼もし首相となれば、外国要人との会談の合間に「日本の天皇は何代続いていますか」と聞かれるかもしれない。答えられなければ国として恥をさらすことになる。政治家は国の将来だけでなく、その歴史も背負っているのである。



 「日本人なら誰でも知っている」とは、また大きく出たものだ。
 戦前・戦後を問わず、当時の天皇が何代目に当たるかなど、国民はいちいち気にしてはいなかったと思うのだが。
 「畏くも第124代今上陛下におかれましては……」などという表現が戦前においても用いられていたとは聞かない。

 徳川幕府と足利幕府の将軍がともに15代続いたことは常識だろう。
 社会科のテストで、家光や吉宗や義満や義政が何代目かと問われることもあるだろう。
 鎌倉幕府で源氏の将軍は何代続いたかが問われることもあるだろう。
 だが、推古、天智、聖武、桓武、後白河、後鳥羽、後醍醐、孝明といった著名な天皇が何代目に当たるかなど、問われることはまずないだろう(あれば難問奇問の類だろう)。

「歴史や皇室に少しでも関心のある人なら、簡単に調べられることである」

 そう、簡単に調べられることである。
 簡単に調べられることだからといって、それを常に記憶していなければならないとは言えまい。
 産経抄子はわが国の政治にも当然関心が深いだろうが、菅直人が第何代目の首相に当たるのか即答できるのだろうか。

 産経抄の記述は、次の産経の記事に拠っているようだが、


枝野長官、今上陛下が第何代か「知らない」2011.6.6 16:14
 枝野幸男官房長官は6日の参院決算委員会で、現在の天皇陛下が第何代なのかについて「知らない」と述べた。天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。枝野氏は今年が皇紀何年(2671年)にあたるかも答えられなかった。山谷えり子氏(自民)に対する答弁。



記事中でわざわざ「天皇陛下は初代神武天皇から数えて125代目にあたる。」と断っていること自体が、必ずしも「日本人なら誰でも知っている」わけではないことの証左ではないのか。

「南北朝時代もかなり昔というイメージだが、有史以来現代までの5分の4程度のころのできごと」

 これを私は最初理解に苦しみ、いわゆる皇紀で数えてのことかと思ったのだが、読み直してみて、どうも単に後小松天皇が第100代だから、第125代の現代から見て「5分の4程度」と言いたいのだと気付いた。
 いやはやすさまじい歴史感覚だ。
 それで、

「日本の歴史の重要なことがらも「第何代天皇のころ」として見れば、ぐっと分かりやすく身近に感じられる」

となるわけか。
 「○○天皇のころ」というのなら、著名な天皇であれば、わかりやすいということもあるだろう。
 しかし、それぞれ在位期間も大幅に異なる歴代天皇中の「第何代」のころだからといって、それで何がわかるというのだろうか。
 弘文天皇(大友皇子)のように、天皇として数えるかどうか時代によって変わるケースもあるというのに。

「外国要人との会談の合間に「日本の天皇は何代続いていますか」と聞かれるかも」

 現実に「何代続いていますか」と聞かれることなどあるのだろうか。
 私は英国女王エリザベス2世やスペイン国王のファン・カルロス1世、オランダのベアトリックス女王、タイのプミポン国王、サウジアラビアのアブドラ国王らが何代目に当たるかなど全く関心はないのだが。
 産経抄子は外国人から聞かれたことがあるのだろうか。

 聞かれるとすれば、むしろ「何年続いていますか」ではないだろうか。
 仮にそう聞かれたら、産経抄子は果たしてどう答えるのだろうか。
 神武天皇を「有史」の起点と見る産経抄子のことだ、誇らしく「2671年です!」と答えるのだろう。

 かつて檀君紀元を公式に採用した韓国と同じレベルではないか。
 「国として恥をさらすことにな」らなければよいが。

コメント (6)
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外国国章損壊罪についての大いなる誤解

2011-03-08 00:47:15 | 「保守」系言説への疑問
 少し前に「虚構の皇国」というブログで、自民党が「国旗損壊罪」を新設すべく刑法改正案をまとめたと知った。

「国旗損壊罪」は「日の丸」フェチの極致

ついに「日の丸」フェチシズムが刑法にまで進出するのか。すさまじいリビドー政治だな。

もしも法案が成立すれば、国家的暴力装置を背景として一部の人間の性的物神崇拝が国家宗教にまで高められることになるわけで、我が神国日本も、米仏独伊にならぶ糞ったれ近代宗教国家に堕落してしまう。嗚呼、恥ずかしい国・ニッポソ!

「国旗損壊罪」刑法改正を提案へ 自民  - MSN産経ニュース

 自民党は23日の法務部会で、国旗「日章旗(日の丸)」を侮辱する目的で傷つけたり汚したりした場合に刑罰を科す刑法改正案をまとめた。議員立法で今国会中の提案を目指す。

 刑法には、外国国旗を損壊すれば刑罰を科す内容が盛り込まれているが、日章旗については尊重義務や罰則がない。改正案では、「国旗損壊罪」を新設し、外国国旗と同様、「2年以下の懲役または20万円以下の罰金」を科すこととした。国会図書館によると、米仏独伊などの主要国では刑法や個別法で、自国国旗に対する侮辱には罰金や懲役を科している。



 このブログは、以前興味深い記事を見かけて、しばらくROMしていたのだが、この記事はいただけない。
 「フェチシズム」「リビドー」「性的物神崇拝」……何でも性的なものと結びつけずにはおけない変態さんかしら。

 さて、この改正案だが、「政調会長預かり」となったそうだ。
 MSN産経ニュースから引用する。

日の丸「格下」扱いをこれ以上放置するな!!
2011.3.5 18:00

 自民党の石破茂政調会長は2日の記者会見で、国旗(日章旗、日の丸)を傷つけたり汚したりした場合、罪に問われる「国旗損壊罪」を新たに盛り込んだ刑法改正案を今国会に提出する方針を明らかにした。現行刑法には外国の国旗に対する損壊罪が明記されているが、日の丸に関する条文はない。石破氏は「外国の国旗に対する罪があるのに、なぜ日章旗を汚損しても罪に問われないのかと言うのは素朴な感情だ。(本来は)国旗国歌法で国旗が日章旗だと定められた時(国旗損壊罪も)立法しておくべきだった」と語った。

 この刑法改正案は議員立法。提出者の高市早苗元内閣府特命担当相は「日本人が外国の国旗を焼いたり切ったりしたら、刑法92条で2年以下の懲役または20万円以下の罰金となるのに、日の丸を日本人や外国人が傷つけても(条文がなく)対象にならない。主要国の(法令の)例を見てもアンバランス」と説明する。日の丸は「格下」扱いされていると言っていい。

 実際、米仏独伊などでは刑法や個別法で、自国国旗に対する侮辱には罰金や懲役を科している。国立国会図書館によると、米国では1年以内の禁固刑、フランスは約100万円の罰金刑や6カ月拘禁の加重刑、ドイツは3年以下の自由刑か罰金となっている。

 反日デモで「日の丸」が損壊されるケースが散見される近隣諸国も同様だ。韓国には自国国旗と同様、外国国旗に対する損壊罪もあるが、自国国旗への損壊罪の方がはるかに重罰。中国に至っては3年以下の懲役や政治的権利が奪われる罰則などがあるのは自国国旗(五星紅旗)を損壊した場合のみで、外国国旗を侮辱しても罪に問われない。

 自国国旗のみ尊重する国。外国より自国を尊重する国。自国と外国を対等に尊重する国。国によって対応はまちまちだが、少なくとも外国国旗だけを尊重する国など皆無だろう。「日の丸・君が代」に大半の日本人が賛意を示す現在、自国と外国を対等に扱う法制こそ国民感情にかなうのではないか。第一、自国の国旗も尊重しないような国は、他国から信用もされなければ相手にもされないのは国際的にも常識。高市氏が指摘する「アンバランス」解消は急務といえる。

 日本の国会は戦後、多くの「宿題」を先送りしてきた歴史がある。他国が日本を侵略した際、国民を避難誘導させる有事法制も「再び戦争を起こす国になる」という平和ボケとしか思えない反対論で長年、議論すら回避した。その意味で、高市氏が「6年前から提出を目指してきた」今回の改正案は、真っ当な国際国家に脱皮できるかの試金石となるはずだった。

 ところが、改正案は翌3日の自民党シャドーキャビネットで原則の全会一致の賛同を得られず、「政調会長預かり」となった。党関係者によると、「自民党が右傾化したと思われる」との反対論が一部議員から出たためだという。

 年度末を控え、混迷が増すばかりの今国会だが、自民党は後半国会も視野に同法案の提出を再考すべきだ。平成21年、地方の会合で国旗2枚を切り裂いて党旗に作り替えた過去がある民主党だが、「日の丸・君が代は国旗国歌として定着しており、こうした国民感情を尊重し、本内閣でも敬意をもって対応する」と今年1月の参院本会議で菅直人首相が述べたように、賛同者は少なくないはずだ。この機会を逃したら、それこそ国会は怠慢のそしりを免れないだろう。(森山昌秀)


 この記事を読んで、読者はどう思われただろうか。
 次のような感想を抱いたのではないだろうか。

「外国の国旗を損壊したら処罰されるのに、わが国の国旗を損壊しても処罰されないとは。これは確かにバランスを欠いている。外国の国旗を日の丸より尊重するとは、日本は本当におかしな国だ」

 私も少し前まではそのように思っていた。

 外国国章損壊罪を定めた刑法92条の条文は次のとおり。

(外国国章損壊等)
第92条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。


 そして、わが国の国章については、同様の規定はない。

 となると、上記のような感想を抱くのが当然だろう。

 しかし、少し調べてみると、これは誤解の産物なのだとわかった。


 誤解その1 あらゆる外国国旗の損壊が処罰の対象となる

 刑法92条のみを素直に読むと、「その国の国旗その他の国章」としか書かれていないから、外国のあらゆる国旗その他の国章に対する損壊が処罰の対象となりうるように思える。
 例えばデモで、手製の外国国旗を損壊する行為も、その外国政府の請求があれば処罰の対象となりうるように思える。

 ところが、それは単なる素人考えで、学説でも判例でも、そのような解釈はしていない。
 『大コンメンタール刑法(第2版)』(青林書院)と昔の『注釈刑法』(有斐閣)の刑法92条の箇所を見てみたが、国章については、私人によるものは含まず、在日外国公館などで公的に使用されているものに限られるというのが通説であり、判例も方向性としてはそれに沿っているという。
 ただ、民間の国際的な行事で使用される国旗や、より広く、その国の祝祭日に私人が掲揚する国旗なども含まれるとする説もあるという。
 しかし、もともと損壊する目的で作成した手製の国旗もまた対象になるという見解は見当たらなかった。

 したがって、デモで手製の国旗を損壊するような行為は処罰の対象にはならない。

 先に、駐日ロシア大使館前において右翼団体がロシア国旗を引き裂いたとしてロシア政府から捜査を求められているのに対し、わが国外務省が罪とならないとの立場を表明しているのもうなずける。
 毎日jpの記事より。

ロシア:国旗は模造品、侮辱の事実なし 日本が伝達
 「北方領土の日」の2月7日、東京のロシア大使館近くで日本の右翼活動家がロシア国旗を侮辱したとされる問題で、日本外務省が同月下旬までに同大使館や在モスクワ日本大使館を通じて、ロシア側に「外国国章損壊罪(刑法92条)に当たる事実は確認されていない」と伝えていたことが分かった。

 ロシア側の情報によると、日本の警察当局が捜査した結果「侮辱されたのはロシア国旗を模した手製の物体。大使館に掲揚されている国旗を侮辱したのなら罪に問われるが、そうではない」と判断したという。【犬飼直幸、モスクワ田中洋之】



 誤解その2 日の丸を損壊しても罪に問われない

 そんなことはない。
 刑法261条に器物損壊罪がある。

(器物損壊等)
第261条 前3条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料に処する。


 政治的目的をもって、官公庁や式典などで掲揚されている日の丸を損壊すれば、当然罪に問われる。

 デモなどで、手製の日の丸を燃やしたり踏みつけたりしても、確かに罪に問われない。
 しかしそれは、外国の国旗でも同じことである。

 そして、器物損壊罪の法定刑は「3年以下の懲役又は30万円以下の罰金若しくは科料」だから、「2年以下の懲役又は20万円以下の罰金」しかない外国国章損壊罪より重い。
 したがって、日の丸の損壊犯に外国国旗の損壊犯よりも重罰を科すことも可能なわけだ。


 誤解その3 外国国旗を日の丸より尊重するのはアンバランス

 これは一見正しいように見える。
 しかし、上記「誤解その1」で説明したように、客体である外国国旗が在日外国公館などで掲げられた公的なものと考えると、見方は変わってくる。
 例えば各国の駐日大使は、わが国において彼らの母国を代表する存在である。その大使館において掲げられる国旗は、まさに各国の権威を表すものだろう。そしてそれを損壊する行為は、各国そのものを侮辱したに等しい。
 日の丸も、海外においては、同様の役割を果たすことになるだろう。しかし、わが国国内に一般に掲揚される日の丸と、駐日大使館などで掲げられる外国国旗とでは、その重みは著しく異なるのではないか。

 だからこそ、わが国においては明治時代から外国国章損壊罪が設けられ、かつ自国の国章損壊を処罰する規定は設けられなかったのではないか。

 そう、上掲の産経記事は巧みに触れていないが、外国国章損壊罪は戦後の産物ではない。明治40年に制定された現刑法で初めて設けられたものだ(明治13年に制定された旧刑法にはなかった)。
 そして、100年以上、わが国はその「アンバランス」な状態を維持してきた。

 それでも、外国において、自国の国章損壊を処罰する規定があるのなら、わが国においても設けてもいいのではないかという意見はあるだろう。
 明治時代ならいざしらず、こんにち希薄となった国家意識を喚起する良いきっかけではないかという見方もあるだろう。

 それはそれでいい。
 ただ、私には、今このような法改正が必要だとは思えない。
 所詮、手製の日の丸を損壊する行為を取り締まれるわけではないのである。
 ならば、より重罰を科し得る器物損壊罪のままでもよいのではないか。

 そして、上記のような誤解をそのままにして法改正に及んだら、国民に対しても、海外に対しても、誤ったメッセージを発してしまうことにならないか。

 例えば、PONKOさんのブログ「反日勢力を斬る(2) 」の「外国旗を毀損したら有罪、日の丸は無罪」という記事を読むと、どうも、中韓の反日デモで見られるような日の丸損壊がわが国で行われた場合、これを処罰をすることを期待しているようである。
 もっともなことだと思う。
 ところが実際には、仮に法改正が成ったとしても、期待通りの運用をされないわけだ。
 これでは、一種の詐欺ではないか。
 自民党のような伝統ある大政党にはふさわしくない、姑息な手段だと思う。

 それとも自民党は、手製の日の丸損壊を本気で取り締まるつもりなのだろうか。
 私は、手製のものであれ、政治的意図に基づいて国旗を損壊する行為を、率直に言っておぞましいと思う。
 しかし、それを刑罰をもって取り締まるというのは、表現の自由とのかねあいから言ってどうなのか。



付記

 産経の森山昌秀記者は、改正案が「政調会長預かり」となった理由について「「自民党が右傾化したと思われる」との反対論が一部議員から出たためだ」とし、PONKOさんはこの点についてえらくご立腹だが、当の政調会長石破茂のブログを読むと、

 昨日の総務会で、日本国を侮辱する目的を持って国旗を損壊、汚損などした者を処罰することを可能とする刑法改正案が継続扱いとなりました。
 総務会の前の政策会議ではほとんど異論なく了承されただけにやや意外の感もありましたが、「このような行為に刑罰をもって臨むべきなのか」「党議拘束をかけるべきなのか」「シャドウ・キャビネットで異論が出た場合、政府における閣議のようにどうしても賛同しない『閣僚』がいた場合は罷免するのか」などなど、内容、手続きともに更なる検討が必要であるとの判断から、保留扱いとなりました。
 確かに、刑罰で臨む前に、国旗尊重義務を定めるべきだとの意見にも一理あるようです。この件と、いくつかご指摘を頂いている相続税についての考え方については来週また記します。


とあり、右傾化云々との表現はない。

 「このような行為に刑罰をもって臨むべきなのか」の「このような行為」とは何を指すのか気になる。
 少なくとも、私が上に挙げたいくつかの誤解はクリアした上での議論がなされているものと信じたい。


(関連記事 「自民党 日の丸損壊罪の法案提出」との報道を読んで
コメント (2)
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