朝日が日本を国際社会の笑い物に…歪曲された麻生発言
2013.8.5 17:26
なるほど、朝日新聞はこのようにして事柄を歪曲(わいきょく)していくのか。麻生太郎副総理発言を朝日新聞が報じる手口を眼前にしての、これが私自身の率直な感想である。
8月1日と2日、朝日の紙面は麻生発言で「熱狂」した。日によって1面の「天声人語」、社会面、社説を動員し、まさに全社あげてといってよい形で発言を批判した。
討論会の主催者兼司会者として現場に居合わせた私の実感からすれば、後述するように朝日の報道は麻生発言の意味を物の見事に反転させたと言わざるを得ない。
7月29日、私が理事長を務める国家基本問題研究所(国基研)は「日本再建への道」と題した月例研究会を主催した。衆議院、都議会、参議院の三大選挙で圧勝、完勝した安倍自民党は、如何(いか)にして日本周辺で急速に高まる危機を乗り越え、日本再建を成し得るかを問う討論会だった。
日本再建は憲法改正なしにはあり得ない。従って主題は当然、憲法改正だった。
月例研究会に麻生副総理の出席を得たことで改正に向けた活発な議論を期待したのは、大勝した自民党は党是である憲法改正を着実に進めるだろうと考えたからだ。
が、蓋を開けてみれば氏と私及び国基研の間には少なからぬ考え方の開きがあると感じた。憲法改正を主張してきた私たちに、氏は「自分は左翼」と語り、セミナー開始前から微妙な牽制(けんせい)球を投げた。
セミナーでも氏は「最近は左翼じゃないかと言われる」と述べ、改正論議の熱狂を戒めた。私はそれを、改正を急ぐべしという国基研と自分は同じではないという氏のメッセージだと、受けとめた。
「憲法改正なんていう話は熱狂の中に決めてもらっては困ります。ワァワァ騒いでその中で決まったなんていう話は最も危ない」「しつこいようだが(憲法改正を)ウワァーとなった中で、狂騒の中で、狂乱の中で、騒々しい中で決めてほしくない」という具合に、氏は同趣旨の主張を5度、繰り返した。
事実を見れば熱狂しているのは護憲派である。改憲派は自民党を筆頭に熱狂どころか、冷めている。むしろ長年冷めすぎてきたのが自民党だ。いまこそ、自民党は燃えなければならないのだ。
にも拘(かか)わらず麻生氏は尚(なお)、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を口にした。「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。
憲法改正に後ろ向きの印象を与えた麻生発言だったが、朝日新聞はまったく別の意味を持つものとして報じた。
◇
たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何(いか)にして可能なのか、不思議である。天声人語子の想像力の逞(たくま)しさに私は舌を巻く。
朝日の記事の水準の高さには定評があったはずだ。現場にいた記者が麻生発言の真意を読みとれないはずはないと思っていた私は、朝日を買いかぶっていた。
朝日は前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり、失言部分だけを取り出して、麻生氏だけでなく日本を国際社会の笑い物にしようとした。そこには公器の意識はないのであろう。朝日は新たな歴史問題を作り上げ、憲法改正の動きにも水を差し続けるだろう。そんな疑惑を抱くのは、同紙が他にも事実歪曲(わいきょく)報道の事例を指摘されているからだ。
典型は「読売新聞」が今年5月14、15日付で朝日の誤報が慰安婦問題を政治問題化させたと報じた件だ。読売の朝日批判としては珍しいが、同件について朝日は説明していない。
古い話だが、歴史問題にこだわるなら、昭和20年8月の朝日の報道も検証が必要だ。終戦5日前に日本の敗戦を示唆する政府声明が発表され、朝日新聞の編集局長らは当時こうした情報を掴(つか)んでいた。新聞の使命としていち早く、日本敗戦の可能性を国民に知らせなければならない。だが、朝日新聞は反対に8月14日、戦争遂行と戦意高揚を強調する社説を掲げた。これこそ、国民への犯罪的報道ではないか。朝日の歴史認識を問うべきこの事例は『朝日新聞の戦争責任』(安田将三、石橋孝太郎著、太田出版)に詳しく、一読を勧めたい。
これらのことをもって反省なき朝日と言われても弁明は難しい。その朝日が再び麻生発言で歴史問題を作り出し、国益を害するのは、到底許されない。
それはともかく、自民党はまたもや朝日、中国、韓国などの批判の前で立ちすくむのか。中国の脅威、韓国、北朝鮮の反日、米国の内向き志向という周辺情勢を見れば、現行憲法改正の急務は自明の理だ。それなのに「冷静な議論」を強調するのは、麻生氏を含む多くの自民党議員は憲法改正に消極的ということか。日本が直面する危機に目をつぶり、結党の志を横に措(お)き、憲法改正の歩みを緩めるのだろうか。であれば、護憲の道を歩む朝日の思う壺(つぼ)ではないか。自民党はそれでよいのか。私の関心は、専ら、この点にある。
なるほど、櫻井よしこはこのようにして事柄を歪曲していくのか。これが私の率直な感想である。
櫻井が前半で述べている、麻生が「左翼」を自称し改憲論議の熱狂を戒めたという話は、それまでの発言をめぐる報道や論評で触れられていなかった点であり、なかなか興味深いが、本題ではないのでここでは置く。
にも拘(かか)わらず麻生氏は尚(なお)、熱狂を戒めた。その中でヒトラーとワイマール憲法に関し、「あの手口、学んだらどうかね」という不適切な表現を口にした。「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」と氏はいうが、その事実はない。有り体に言って一連の発言は、結局、「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと私は受けとめた。
この肝心の点をさらっと流しているが、意味不明である。
麻生は、単に、事実でない「ワイマール憲法がナチス憲法に変わった」ことに学べと発言したのではない。
朝日新聞デジタルが伝える「発言の詳細」にはこうある。
憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。ぜひ、そういった意味で、僕は民主主義を否定するつもりはまったくありませんが、しかし、私どもは重ねて言いますが、喧噪(けんそう)のなかで決めてほしくない。
「ある日気づいたら……変わっていた」「だれも気づかないで変わった」「みんないい憲法と……納得して……変わっている」、そのナチスの手口に学んだらどうかと述べているのだ。
それが何故「「ワイマール体制の崩壊に至った過程からその失敗を学べ」という反語的意味だと」受けとめられるのか、私にはまるで理解できない。
仮に、ナチスはわーわー騒いで、熱狂、狂乱の中で憲法を変えた、その手口に学べと麻生が口にしたのなら、「反語的意味」だと櫻井が言うのもわかる。
しかし、麻生発言の文脈では、ナチス自体を肯定しているわけではないが、ナチスの改憲の手口は肯定すべきものとなっている。それがどうして「反語的意味」となるのか。
無理矢理「反語的意味」とすることで、問題視すべきものではないと収束を図っているとしか考えられない。
さらに言えば、「民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」とわざわざ断っているということは、自らの発言が民主主義を否定するものととらえかねないことを麻生が自覚しているということになるはずだが、これはどう説明するのか。
朝日の「発言の詳細」は全文でないから作為が施されているのだという批判がある。仮にそうであれば、櫻井は国基研の理事長なのだから正確な全文を入手できるはずであり、それに基づいて朝日を批判すればよい。しかし、櫻井が引用している発言はいずれも朝日が報じている内容と同様である。
そして櫻井は、朝日の報道を麻生の真意を歪めるものと批判する。
たとえば1日の「天声人語」子は、麻生発言を「素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう」と書いた。前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」けば、麻生氏が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしているなどの解釈が如何(いか)にして可能なのか、不思議である。天声人語子の想像力の逞(たくま)しさに私は舌を巻く。
私は、前後の発言を合わせて全体を「素直に聞」いても、麻生が「粛々と民主主義を破壊」する手法に習おうとしている解釈も十分に可能だと思う。現に麻生自身が「民主主義を否定するつもりはまったくありませんが」とわざわざ断っているのだし。
当の産経の8月3日付「主張」(他紙の社説に相当する)にしても、
《「学んだらどうか」といった、ナチスの行為を肯定すると受け取れかねない表現を用いたのはあまりに稚拙だった。》
《「いつの間にか」「誰も気づかないで」憲法が改正されるのが望ましいかのような表現は不適切だ。》
と同様の趣旨で発言を批判しているのだが、櫻井は産経の報道には疑問を覚えないのだろうか。
櫻井が挙げた天声人語にしても、何も麻生がナチスの手法に習おうとしているとストレートに批判しているわけではない。「素直に聞けば」そうなるということであり、麻生の真意が「冷静で落ち着いた論議をすべきだという考えなら、わかる。」ともしており、主旨は発言の不適切さの指摘にある。念のため全文を引用しておく。
ぎょっとした。麻生副総理が7月29日、ある会で改憲に触れて、こう述べたという。「気づいたら、ワイマール憲法がナチス憲法に変わっていた。誰も気づかないで変わった。あの手口に学んだらどうか」。同僚記者の取材と麻生事務所に確認した結果をあわせ、以下紹介する▼麻生氏はまずナチスがどうやって独裁権力を獲得したかを語った。それは先進的なワイマール憲法の下でドイツ国民が選択したことだ、と。いかに憲法がよくても、そうしたことは起こるのだ、と▼次に、日本の改憲は騒々しい環境のなかで決めてほしくないと強調した。それから冒頭の言葉を口にした。素直に聞けば、粛々と民主主義を破壊したナチスのやり方を見習え、ということになってしまう▼氏は「民主主義を否定するつもりはまったくない」と続けた。としても、憲法はいつの間にか変わっているくらいがいいという見解にうなずくことは到底できない▼ヒトラー政権は当時の議会の機能不全に乗じて躍り出た。対抗勢力を弾圧し、全権委任法とも授権法とも呼ばれる法律を作って、やりたい放題を可能にした。麻生氏の言うナチス憲法とはこの法のことか。そして戦争、ユダヤ人大虐殺へと至る▼巨大な罪を犯した権力集団を、ここで引き合いに出す発想が理解できない。熱狂の中での改憲は危うい、冷静で落ち着いた論議をすべきだという考えなら、わかる。なぜこれほど不穏当な表現を、あえてしなければならないのか。言葉の軽さに驚く。
「前後の発言を省き、全体の文意に目をつぶり」「部分だけを取り出して」批判しているのは誰なのだろうか。
なお、紙面で見る限り、朝日は発言を批判する記事に併せて、何度も発言の要旨を掲載している。
そもそもこの講演の「ナチス」発言を最初に報じたのは読売新聞であり、朝日ではない。櫻井が触れている慰安婦問題と異なり、朝日が火を付けたのではない。
「現場にいた記者が麻生発言の真意を読みとれないはずはないと思っていた私は、朝日を買いかぶっていた」とあるが、天声人語子が現場にいたはずもあるまいに、天声人語を引きながら現場の記者を批判するというのも理解不能だ。
現場にいたかどうかは知らないが、講演当日の29日付の朝日新聞デジタルの記事は次のとおりで、
「護憲と叫べば平和が来るなんて大間違い」麻生副総理
■麻生太郎副総理
日本の置かれている国際情勢は(現行憲法ができたころと)まったく違う。護憲、護憲と叫んでいれば平和がくると思うのは大間違いだし、仮に改憲できたとしても、それで世の中すべて円満になるというのも全然違う。改憲の目的は国家の安全や国家の安寧。改憲は単なる手段なのです。狂騒・狂乱の騒々しい中で決めてほしくない。落ち着いて、我々を取り巻く環境は何なのか、状況をよく見た世論の上に憲法改正は成し遂げるべきなんです。そうしないと間違ったものになりかねない。(東京都内で開かれたシンポジウムで)
「ナチス」の語には全く触れておらず、狂騒の中で改正すべきでないという麻生の真意をきちんと報じている。
朝日がこの発言を問題視し始めたのは、他のマスメディアで報じられ、海外でも注目され始めた後のことである。
なのに、朝日だけをことさら目の敵にする櫻井の書きぶりは尋常でない。
さらに昭和20年8月の朝日の報道まで持ち出して批判するのは、ほとんど言いがかりというものではないだろうか。朝日が最後まで徹底抗戦を唱えたことは事実だが、それは他紙でも同様だろう。「いち早く、日本敗戦の可能性を国民に知らせ」た新聞がほかにあったというのでなければ、朝日だけを批判する意味はないし、だいたいこれは麻生発言と何の関係もない話である。
私は、憲法改正が急務であるという点では全く櫻井と同意見であり、朝日的な護憲論には反対である。しかし、このような、ひたすら朝日を悪く言えばいいというだけの粗雑な主張が改憲派のシンクタンクの理事長名義で発せられることが、果たして本当に憲法改正に資することになるのか、疑問に思う。