徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

明日から キャンプ・イン 世代交代は・・・・・

2012年01月31日 11時06分33秒 | 野球・タイガース

いよいよ、明日からプロ野球のキャンプが始まります。
3月30日の開幕に向けて、まずチーム内の戦いと自分自身との戦いに勝つことなのでしょう。

今年のタイガースは、あまり大きな補強はありませんでした。
敢えて、言えば、監督が替わったこと、その和田新監督の言葉を借りれば、FAの選手がタイガースに留まったことだそうです。

さらに、今年のドラフトルーキーは、W伊藤を始めとして、即戦力が期待される選手が多いとも云われているのですが・・・・

一昨年、昨年と期待外れの成績に終わり、今年こそはという意気込みを、監督を始め多くの選手が持っています。
もちろん、ファンも同様、今年こそは、やってくれるのではないかと、毎年思っています。

特に今年の焦点は、世代交代が上手くいくかどうかにかかっているように思います。
いわゆる、育てながら勝ってゆく、ということで、ベテランと若手をどのように使うか、采配が勝負を決めると同時に、今年だけではなく、将来のタイガースをも決めて行くのではないでしょうか?


   
 

世代交代で注目は、捕手と外野です。

 捕手では、城島の膝の調子があまり良くないと言うことで、藤井、小宮山の3人併用となるかも知れません。 そこで小宮山をどれだけ、そしてどういう場面で、投手を限定して使うのかを注目したいです。

外野では、云わずと知れたベテラン金本の肩がどれだけ復活しているか、そして、ルーキー伊藤隼がそのベテランを追い越せるかが注目です。
外野には、出遅れている柴田のほか、俊介や野手に転向した一二三、それにキャンプに1軍メンバーに加えられた3年目の田上が注目です。

他に野手では、上本や大和、捕手では中谷、岡崎などが、どれだけレベルアップ出来るかもキャンプでの注目です。
中谷は、捕手としてではなく、野手として、長打力の魅力を伸ばし、将来の4番とも云われていますが、その片鱗がでるのでしょうか?

投手では、藤川がキャプテンとして頑張っているようです。
能見と岩田の二枚看板は別にして、誰がローテーションに入るか、それを見極めるのもキャンプなのです。

それに、中継ぎ陣を決めるのもキャンプです。
藤川を7回からとも、久保をセットアッパーにとか言われていますが、果たしてどうなるか?
安藤や福原、久保田が往年の力が出せるか、秋山や西村、それに二神や鶴、白仁田もどれだけレベルアップが出来るか?

 

               



まだ注目の一人がいます。
小林宏が、先発に回るのか、セットアッパーに留まるのかも注目です。

今年のキャンプは、1軍が沖縄・宜野座村に居座ります。
ファームの安芸との選手の往来は、頻繁にあるのか、誰が動くのかも注目です。

沖縄に、多くの球団がキャンプをしており、2月の練習試合が増えています。
3月のオープン戦を含め、どのようなオーダーになるのかも、楽しみであり、注目してゆきたいものです。


映画”ALWAYS三丁目の夕日’64”

2012年01月28日 10時04分59秒 | 映画・社会

映画”ALWAYS三丁目の夕日’64”を見てきました。
元々はマンガだったのですが、2005年11月に1作目が公開され、異例のロングランヒットとなり、日本アカデミー賞など多くの賞を獲得し、続編を望まれ、2作目がその2年後に公開されました。

今回は、あれから5年経ち、しかも3D映画で再々登場しました。
それも舞台は、東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)、高度経済成長の中、活気にあふれた時代でした。

この物語には、悪人はいません。
善良なとなり近所の人情味溢れる話で、涙あり笑いありで、震災以来特に云われている絆がこの時代は普通にあったようです。
今から考えれば、物質的には、すべてに貧しいものでしたが、精神的には、今より豊かであったかと思われます。

昔は”よかった”と言われる所以がここにあるのではないでしょうか?

 

この物語には、親子関係、子弟関係、恋人関係、そして夫婦の関係と庶民の問題が浮き彫りにされています。

得てして、特に親子関係では、思っていることと、口に出して云うこととは違うのが、なかなか分からないために、ジレンマがあり、誤解があるようです。
子供は、親から云われても素直に聞かなくとも、傍の他人から云われれば素直になるようです。

物語は、鈴木モータースの鈴木則文(堤真一)鈴木トモエ(薬師丸ひろ子)夫婦とその向かいの茶川龍之介(吉岡秀隆)茶川ヒロミ(小雪)夫婦を中心に物語は進みます。

 

前作では、茶川龍之介は、芥川賞を逃がした小説家ですが、その養子となった(これも前作では色々経緯があったのですが・・・)古行淳之介(須賀健太)が小説家として、親を越える評価を受けます。
龍之介は、親から勘当を受けていたのですが、それは、小説家として成功するための叱咤激励であったのですが・・・・・
それを、龍之介の親(米倉斉加年)が亡くなってから知った龍之介は・・・・

鈴木モータースに住み込みの店員星野六子(堀北真希)と医者の菊池孝太郎(森山未来)の恋の行方は・・・・・

さて、このような映画で3Dは、どのようにその威力を出すのかも見どころです。
今までの3Dは、カメラは2Dで後は、立体化したい部分をコンピューターで切りだして3D化をしていた作品(ハリーポッター等)が多くあったのですが、この映画は、最初から3Dカメラで撮ったものだそうです。

冒頭の東京タワーやゴム飛行機などは、目の前に突き刺さるようでしたが、そのような場面はあまりないのですが、3Dは、何気ない人波や、輪になっての会話の場面にその効果がなにげなく現れていました。

 


廃藩置県から道州制まで ⑤ -平成の大合併ー

2012年01月27日 08時19分11秒 | 明治維新とは・・・・

現在の市町村の数は、1719(東京特別区23は除く)あります。
内訳は、市が 787、 町が 748、 村が 184となっています。

明治21年(1888年)には 71314もあったのですが、明治の大合併、昭和の大合併、平成の大合併を経て、上記の数になりました。

 過去の水彩画 2008年作 「たぬき」 F6号

明治の大合併は、当時近代的な地方自治行政を実現するための基盤を整備することを目的として小学校や戸籍の事務処理を行うため戸数300~500戸を基準として進められました。
その結果、1888年(明治21年) 71314 が 1889年には 15859 とほぼ1/5に減少しました。

昭和の大合併は、戦後の地方自治、特に市町村の役割を強化する必要性から、中学校1校を効果的に設置管理してゆくために進められました。
1953年(昭和28年) 9868 あったものが 1961年(昭和36年)には 3472 となりました。

では、平成の大合併は、何を目的としたのでしょうか?
その目標とは、地方分権の推進をしてゆくなかで、自治体数を1000にするという方針をの基に進められました。
結果 1999年3月31日 3232 あったものが
    2006年3月31日 1821    2008年3月31日 1793 

平成の大合併は、市町村合併特例新法が期限切れとなる平成22年(2010年)3月末に終了しました。

 

 

それぞれの大合併の最終的な目的は、地方自治行政の効率化なのですが、その評価には色々問題点もあるようです。
合併によって、旧市町村の活力が喪失しており、住民の声が届きにくくなって住民サービスが低下しているとか、旧市町村地域の伝統、文化、歴史的な地名などが喪失しているなど合併による問題点や課題があるようです。


キャンプ・インまで1週間・・・・

2012年01月25日 11時37分00秒 | 野球・タイガース

プロ野球のキャンプ・インまで、あと1週間となりました。
そこで、去る23日にタイガースの今春、沖縄キャンプのメンバーが発表になり、その中で、注目選手を取り上げてみたいと思います。

沖縄メンバー
◎ 投手     渡辺、榎田、能見、藤原、安藤、伊藤和、二神、筒井、岩田、藤川、秋山、福原、小嶋、
           久保田、久保、小林宏、西村、鶴、若竹、メッセンジャー、スタンリッジ、白仁田、 
                                                          以上22名                     
◎ 捕手     城島、小宮山、清水、藤井、岡崎、中谷                      以上 6名
◎ 内野手   大和、鳥谷、関本、上本、平野、新井、新井良、黒瀬、ブラゼル、森田    以上10名
◎ 外野手   金本、俊介、マートン、桧山、伊藤隼、田上、                    以上 6名

                                                          計  44名

大きな補強もなく、ほぼ昨年と同じメンバーであり、新規加入といえば、ドラフトで獲得した選手であり、ほぼ未知数に近いものですが、あえて和田監督は、そのルーキーの内”W伊藤”を実戦向きとして期待しているようです

    

”W伊藤”というネーミングで売り出そうとしている二人とは、ドラ1の外野手の伊藤隼(22歳、慶大)とドラ4位の投手の伊藤和(22歳、東京国際大)の二人で、どちらも大卒であり、学生での実績もあり、当然、即戦力としての加入です。

このメンバーの中で、もう一人注目の選手がいます。
それは、2年目の捕手の中谷(19歳、福岡工大付属城東高、2010年のドラフト3位)です。
といっても、昨年ファームで21試合、46打数 12安打 打率0.261、ホームランはゼロで、2軍としてはそこそこの成績であっても、1軍としての数字ではありません。
が、登録は捕手なのですが、昨年の出場は全て外野手でした。

で、中谷を4番打者に育てる英才教育をするプロジェクトを立ち上げるとか、それも守れる外野手として、外野の3ポジション全てを練習すると言うことらしいです。

  



技術的なことは分かりませんが、首脳陣が多いに期待し、将来の4番とまで言っているのですが・・・・
といって、多くの選手が伸び悩んで、期待を裏切ってきたことを思えば、少々不安でもあるのですが、ここは、その首脳陣が上手く育ててくれることを信じて、期待したいです。

守備は、練習で鍛えれば、ある程度上手くなると思いますが、その選手がレギュラーを取るのには、そのセンスとカリスマ性があれば申し分がないのですが、彼にはそれがあるかどうか・・・・・。

残念ながら、今のところ、タイガースには、生え抜きの4番バッターがいてません。
近年、候補者すらいない現状は、寂しい限りです。
是非とも、生え抜きの4番が出てくることを期待したいものです。

タイガースの優勝を、全ての選手が口にしており、その実現には、若手の底上げが絶対条件です。
過去に実績があって、ベテランと云われている選手の成績が下降気味の今こそ、一人でも二人でもそのベテランを追いつき追い越してレギュラーを取った時に、優勝という名の実現性が出てくると思われるのですが・・・・・

他に、ドラ1でまだ1軍に登れない白仁田、二神の今年こそは1軍に入れるか?
大和、上本は、レギュラーポジションがとれるか?

今年のキャンプから目が離せそうもありません。

1軍キャンプは、2月1日(水)~2月29日(水)  沖縄 宜野座村野球場
ファームキャンプは、2月1日~2月27日(月)  高知県安芸市営球場
   休日は、両方とも 2/6 (月) 2/10(金) 2/15(水) 2/20(月) 2/24(金) 


鉄道うんちく ⑤ 阪急の車両の所有者は・・・

2012年01月23日 16時27分44秒 | 鉄道のよもやま話

阪急電車の車両の色は、地下鉄の乗り入れ車両以外は、あずき色(マルーン)の塗装です。
同じ色でも製造された時期や形式が当然違うのですが、その中でも8300系は、阪急電鉄の所有ではないのです。

その車両の所有者は、カリブ海の楽園、英国領ケイマン諸島の会社です。

阪急電鉄8300系電車は1989年から製造され、神戸線と宝塚線が8000系、京都線が8300系です。

 阪急 8300系  

8300系は阪急電鉄がグループ会社のアルナ工機(現 アルナ車両)に発注され、当初は当然阪急電鉄が所有者でしたが、2002年に阪急電鉄は8300系全84両をケイマン諸島の「S&Hレイルウエイ」に売却しました。

84両の当時の帳簿価格は27億2700万円、その売却価格は102億900万円、その差額を阪急は特別利益で計上しました。
車両を売却した理由は、「資産保有形態を見直し」で、この車両の売却によって一時的に大きな資金を調達し、長期にわたってリース料金として返してゆくということだそうです。

そこで、車両は、阪急の固定資産ではなくなるので、阪急電鉄は減価償却処理は不要となり、リース料金の全額を経費として参入出来ます。
つまり、資金調達と節税が出来るということです。

     

売却先のケイマン諸島は、英国領ですが、自治権があり、法人税とか所得税などはなく、保険業や投資信託などの金融関連の会社が多くあります。
ちなみの、ここは南国の楽園で、経済の楽園でもあるようです。
観光もスキューバーダイビングの名所でもあるそうです。

鉄道車両をリース契約するのは、なにも阪急8300系だけではありません。
日本では、山形新幹線の初代400系が「山形ジェイアール直行特急保有株式会社」という第3セクターが保有し、JR東日本が借用していました。
その他、相模鉄道も同様な契約をしていますが、まだまだ車両リースは一般化していません。
が、航空会社では機材などのリースは一般化されているそうです。


鉄道うんちく ④ 阪急電車「風がちがう」

2012年01月22日 17時05分07秒 | 鉄道のよもやま話

鉄道は、しばしば小説に登場し、大きな役割をしている場合があります。
推理小説にも鉄道はトリックの大きな要素となっています。

昨年、映画にもなりました「阪急電車 片道15分の奇跡」まだ記憶が新しいです。
毎日乗っていると、沿線の様子などで、どこを走っているのかが分かってきますが、それを「風が違う」と表現したエッセイがあります。

これは、風土と沿線文化についての考察した文章です。

この文章を書いた筆者は、精神医学者の中井久夫氏でタイトルは「阪神間の文化と須賀敦子」です。
須賀敦子は、1929年(昭和4年)に芦屋で生まれ、6歳の時に阪急神戸線の夙川に転居しました。
8歳の時に、父の転勤により東京に移っているので、この辺りの空気を吸っていたのは、ホンわずかでした。
その彼女が「風が違うのよ」と言ったのには、どのようなことだったのでしょうか?

 
 
昭和初期の頃の阪急電車 900形        現在、神戸線の最新車両 9000形
 
900形は1930年に製作され、現在に至る阪急の車両設計の基礎となった車両


その風が違うのはどのあたりなのでしょうか?
梅田を出た阪急神戸線の電車が西宮北口をこえて夙川に近づく、そのあたりだそうです。

「電車の窓をすとんとおとして ふんだんに風を入れる五月初めならば、当時日本全国をおおっていた、あのひりつくような匂いがかき消え、代わって、松の樹脂の香りと花の匂いと風化花崗岩の湿り気とかすかな海の塩とを交えた爽やかな風がどっと車内に満ちた」・・・・・・

これは、昭和初期の話で、今は香りや匂いは弱くなったのですが、地形や地質自体は少しも変わっていません。

 
  阪急 夙川駅 駅からも桜が・・・・・           春が待たれます・・・夙川の桜     

この阪急神戸線沿線は、並行して走る東海道線や阪神本線とは異なる独自の文化圏となっているということからなのでしょう。

そこには、「阪急電車は、以来今日まで基本的なデザインも外見をも変えず、車体のマルーン(栗)色も車内の白い天井も、木目を写した明茶色の側壁も・・・・・」と注釈を書いています。

当時、阪神間の文化は、阪急神戸線の文化という意識が強く、車体が変わらないのは、沿線住民の文化に対する意識がそこに反映されてきたからでもあったと言われています。

                        この項は、原武史著「鉄学概論」を参考にさせていただきました。


鉄道うんちく ③ 鉄道紀行作家たち

2012年01月21日 11時23分14秒 | 鉄道のよもやま話

鉄道好きの人にとって、鉄道についての本をいくらかは読んでいることでしょう。
鉄道についての本といっても、鉄道の歴史とか構造とか、それこそ うんちく を書いてあるものも多くあるのですが、”乗り鉄”にとっては「鉄道紀行文学」といわれるものを愛読しているようです。

紀行文では、旅先での見聞や感慨が、自然や風土を交え書きつづられるものです。
鉄道紀行文では、もちろん その移動手段は鉄道であることなのですが、列車内や乗り換え駅やその状況、車窓なども含め、もろもろの鉄道に対する思い入れが書いてあります。

鉄道と冠する以上、「鉄道を手段としている」のではなく、「鉄道を目的として」の紀行文であり、要は「乗ること」が目的として綴っているようです

 

「阿房というのは、人の思わくに調子を合わせてそういうだけの話で、自分で勿論阿房だなどと考えていない。 
用事がなければどこへいっても行ってはいけないと云うわけはない。
なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思う」


これは、内田百(ひゃっけん)著の「阿房列車」シリーズの内「特別阿房列車」(1951年)の冒頭の一節です。
昔から鉄道に興味があったのですが、この一節を読んで、これが鉄道好きの極致を言っていると感心すると同時に羨ましく思い、一辺に鉄道に関する興味が高まったのを覚えています。


 



内田百は、鉄道は、移動手段としてではなく、趣味の対象として意識的に鉄道に乗り始めた最初の人とある本に書いてありました。

この百は、時刻表など調べず、束縛されず、全てが自分が決め、少し偏屈でへそまがり的な不思議な人間的な魅力を発揮しています。

百がもともと小説家であるのに対して、宮脇俊三は、根っからの鉄道紀行作家です。
といっても宮脇俊三は元々中央公論社の編集者であり、作家に転向したのは50歳を過ぎてからでしたが、勤務しながら列車に乗り続けていました。

それは、内田百とは、反対に、時刻表に従ってスケジュールを立てての乗車なのです。
彼が好んで乗ったのは、ローカル線で、新幹線には興味がなさそうでした。

内田百は、幹線を主に乗って、それも1等でなければ乗らないと述べています。
鉄道紀行作家として、2人は鉄道という趣味は同じなのですが、興味はまた全く違うものでした。

2人以外にも、阿川弘之も鉄道紀行作家で有名ですが、彼の場合は内田百とは、時代が違うということが分かるようです。
内田百を意識しながら、その時代には味わえなくなった列車の旅となり、窓の開かない列車、食堂車も展望車もなくなり、窓から駅弁も変えず、こうなれば「阿房列車」を受け継ぐには、外国に行くしかないという発想の持ち主でした。


内田百とは初めから時代が違うことを念頭に置いて、彼の考えや行動力を楽しんで読んでいましたが、宮脇俊三の内容には、現実性があったのですが、今となれば残念ながら、多くの路線が廃線になったり、第3セクターに移行したり、そのダイヤはもとより、様相は大きく変わってしまいました。
本からその当時を懐かしむ以外にないようです。

 


廃藩置県から道州制まで ④ -都道府県庁の所在地

2012年01月20日 13時35分09秒 | 明治維新とは・・・・

都道府県庁の所在地としてどのようにして決められたのでしょうか?
その主流は、城下町と天領が中心に決められました。

最も多数を占めるのが、県内最大の城下町が選ばれました。
23都市がこのケースです。

大分は、幕末は小藩であったのですが、大友宗麟の居館があったので選ばれたそうです。
岐阜も尾張藩領だったのですが、かっては、織田信長の居城のあった城下町でした。

天領では、東京や大阪、京都は当然重要都市として決められたと思われますが、静岡や甲府は、元大名領であったが、移転等で天領になっていました。
奈良、横浜、新潟、大津、神戸、長崎などの天領の諸都市も、単に幕府領だったと言うだけではなく、近隣の天領支配の中心的都市という性格を持っていました。

例えば、大津代官所は近江国内各地に散在する天領を監督しており、その組織がそのまま県庁へ移行しました。

  水彩画2008年の作品 
             ”昼下がり” F8号            

奈良に対する大和郡山、大津に対する彦根、神戸に対する姫路といった選択肢もあったようです。
これら、大きな藩の城下町、天領の重要都市というケースには、いずれも全県的な交通の要所にあり、また県の公共施設としての使用可能な建物も多かったので、スムーズに県政がスタートしたようです。

それ以外には、統廃合に際して地域間バランスをとるために決められた場合他に有力な候補があったにも関わらず、県庁としての建物がないために県庁にならなかったところもあります。
前者の都市には、青森、千葉、宮崎など、後者は高崎、浦和、長野などです。

こうして決まった県庁所在地は、明治17年の栃木県庁の宇都宮移転以降は、変更されたことがありません。

 


鉄道うんちく ② 新旧交代の新幹線

2012年01月19日 12時52分05秒 | 鉄道のよもやま話

今朝の新聞にも載っていましたのでご存じの方も多いと思います。
新幹線100系、300系が3月16日にラストランするとJR西日本が18日に発表しました。

ここで、新幹線の歴史が消えていくようですが、これも進化の証明であり、技術の向上を物語っているのです。

東北新幹線でも新しい車種が発表され、新旧の入れ替えが行われています。
東海道新幹線の発足時からの推移をみると
  0系 → 100系 → 300系 → 700系 → N700系 です。

また、新たにN700系を越えるものが出来れば、N700系もそれに取って代わってゆくことでしょう。


 
   100系                           300系     

300系は、1992年 最高速度270Km/hで航空機とのシエア争いに対抗し、「のぞみ」として始めて登場し、一躍その名前が知られました。

その当時は、名古屋駅に停車せずダイヤの設定もあったのですが、今「300系」は「ひかり」「こだま」を中心として活躍しています。

新旧入れ替えの大きな要因は、電力消費量の差があります。
例えば、220Km/hの場合、電力消費量を0系が100とすると 300系は73% N700系は51%
つまり、N700系は、0系に対して半分の電力消費量ですみます。

また、速度にしても、東京・大阪間では
開業時の「ひかり」は 4時間かかったものが、1992年「のぞみ」の登場で2時間30分に短縮されました。
そして現在は2時間25分となっています。



ついでながら、300系の歴史としては
1993年  東海道・山陽新幹線 東京~博多間 300系 「のぞみ」で登場
1996年  300X新幹線試験車両が国内最高速度443.0Km/hを記録

その後、その他の移り変わりとして
1997年  500系「のぞみ}の登場
1999年  0系が東海道新幹線から引退し、700系「のぞみ」が登場

 


鉄道うんちく ① 繋がっていない環状線

2012年01月18日 12時25分52秒 | 鉄道のよもやま話

”うんちく”と偉そうなことを言っていますが、ちょっとした興味ある雑学を、とりとめもなく書いてみることにしました。

大阪環状線は、その名が示す通り、電車は都市の中心部をぐるぐると回って走っています。
東京の山手線も同様に都市の大動脈としての環状路線です。
が、この2路線とも驚くことに、「環状」でないのです。

大阪環状線の電車に乗れば1周して元の駅に戻ってきます。
なぜ、繋がっていないというのは、国土交通省の「鉄道要覧」によると・・・・・

その「鉄道要覧」によると、環状線は天王寺は起点で終点が新今宮となっています。
つまり、天王寺から京橋、大阪、西九条を経由して新今宮に至るルートが正式な環状線で、新今宮から天王寺は、環状線ではなく、関西本線なのです。

線路は繋がっていても、書類上は繋がっていないと言うことなのです。

   
                                         上記青色が 西成鉄道 

 環状線は、一度に出来た訳ではなく、城東線、西成線があり、それに環状線を繋ぐ路線を建設して、環状線となりました。

最初に開通したのが、天王寺~玉造の城東線で明治28年(1895年)5月に開業しました。
それから、5ヶ月後に玉造~大阪間が完成しました。

その前の明治22年(1889年)には、天王寺~今宮を含む現在の関西本線が開業していました。

明治31年(1898年)には、私鉄の西成鉄道(大阪ー西九条ー桜島ー天保山)が開業し、それが1909年に国有鉄道に移管され、西成線という名称になりました。

 戦後、大阪市内を一周する鉄道の構想が出て、昭和36年(1961年)に現在の大阪環状線が開業しました。

東京の山手線も同様で営業路線は田端~新宿~品川だけで、残りの田端~東京~品川の内、田端~東京間は、東北本線で、東京~品川は東海道本線となっています。

ここも一度に出来た訳ではなく、環状運転をしたのは、大正14年(1925年)のことでした。