徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

岡山後楽園 と 岡山城  その2

2014年07月28日 20時01分08秒 | 旅行・観光

日本三名園の一つ後楽園に隣接する岡山城は、別名 ”烏城(うじょう)” または ”金烏城(きんうじょう)”とも言われています。
日本三名園とは、水戸・偕楽園、金沢・兼六園とここ岡山・後楽園です。
別名の由来は、黒い外観から”烏城”、または金の鯱から”金烏城”。

  
   月見橋から天守を望む                 金色に輝く鯱   

外壁の下見板には黒漆が塗られて、太陽光に照らされ、それがあたかもカラスの濡れ羽色ににていることから”烏城”と言われています。
この壁が黒いのは、戦国時代の名乗りです。

戦国時代に備前西部から美作、備中にかけて勢力を伸ばした宇喜多氏が本拠としたことで、近世城郭の基礎が生まれ、その後小早川氏、池田氏により、現在の形になってきました。
ちなみに、現在の岡山城は、第2次大戦中の空襲で焼失されましたが、昭和41年(1966年)に復元されたものです

岡山城には、他の城と違う特色が3つある・・・・と岡山城の案内の人から説明を受けました。

前述の黒漆塀が特徴の一つ目で、二つ目の特徴は、2階建ての建物を大中小と三つ重ねてあるということです
三つ目の特徴は、天守閣が北側に大きく突き出た不等辺五角形をしているということです。

  

   

 
   以上の写真 3枚から変形五角形が分かるでしょうか・・・・

  岡山城案内図
    
右下が後楽園に通じる月見橋    
   
少しびっくりしたのですが、この月見橋は、名前は良いのですが、後楽園と岡山城をつなぐ橋としては、すごく無粋であまりにも周りの景色とあいません。
せっかくのこの景観が台無しです。  


天守閣には、時間がなく、又足腰に無理が生じないように登城しませんでした。
次回には、時間を取って天守閣にも登りたいものです。

 

 


岡山後楽園 と 岡山城  その1

2014年07月25日 09時45分54秒 | 旅行・観光

四国に所要があり、その途中 時間があり、岡山で途中下車して、岡山城と後楽園に行ってきました
術後初めての旅行で少し不安があり、長時間歩くことが出来ず、休み休みの散策となりました。

幸いなことに、この日の後楽園も岡山城も人出が少なく、時間をかけてゆっくりと回ることが出来ました。

まず後楽園・・・・・
岡山後楽園は、江戸時代を代表する大名庭園の一つです。

まず、正面から入って気がつくのは、広々とした芝生です。
この芝生は、日本に広く自生している野芝です。
築庭当時の芝は、庭園の真ん中にある沢の池西側の延養亭(藩主が後楽園を訪れた時の居間として使われた建物)から見える範囲にだけに使われていました。
園内の大半は田畑で、今日のように広く芝生が植えられたのは明治以降だそうです。

  
    後楽園   正門                     延 養 亭

岡山後楽園は、岡山藩主池田綱政公が家臣の津田永忠に命じて元禄13年(1700年)に完成しました。
その後も時の藩主の好みで手が加えられ、ほぼ江戸時代の姿を大きく変えることなく現在に伝えられてきました。

  
       岡山城を望む                         後楽園  沢の池       

後楽園は、藩主の静養の場、賓客接待の場と使われていましたが、日を決めて領民にも観覧が許されていました。

明治17年(1884年)に岡山県に譲渡され一般公開されました。
昭和27年には文化財保護法による「特別名勝」に指定されました。

岡山城について後日に・・・・・・・

 

岡山・後楽園

 

 


手術後のリハビリテーション・・・④・・・・

2014年07月15日 14時53分02秒 | 腰部背柱管狭窄症について

明日(7月16日)は、手術後3ヶ月目となります。
歩行器から杖を頼りに、自分の足で歩くことが、いかに大変であったか、そして大事なことであるのか思い知らされた日々でした。

僕の場合、医師からは、リハビリテーションとは普通の生活をするようにすれば良い、なにも特別のことをする必要はない、但し、無理をしないように・・・ということでした。
この普通の生活とは、僕自身の病気に罹る前の生活であり、一般的ではありません。

でも、未だに普通の生活は出来ていません。
まず、歩くことから始めて、その距離と時間を徐々に伸ばしていくようにしました。
が、現在は、20~30分も歩けば、足腰がだるく、そして重くのしかかるようになり、足が動きません。
少し休めれば、再び歩くことが出来るのですが、その繰り返しとなります。

今の間欠跛行は、手術前の症状残存なのか、それとも術後の血腫による下肢麻痺なのか、神経除圧操作に伴う一時的な下肢筋力低下なのか、素人判断では、今の段階では分かりませんが、次回の主治医の予約検診が8月5日にあり、その時点で医師の判断を仰ぎたいと思います。

医師によれば、一応3ヶ月が目安で、コルセットも外すことが出来、普通の生活が出来る第1段階と聞かされています。
人それぞれ違いますので、一概に言えませんが、僕の場合少し遅れているのかも知れません。

筋力が落ちて、足腰が弱っているのは確かであり、気長にリハビリをしてゆかなくてはならないようです。
患部の疼痛や違和感は、しばらくは続くと思います。
半年なのか、1年なのか、それとも一生それと付き合ってゆかなくてはならないかも知れません。


今年の初めから、この病気と付き合っていく中で、リハビリ以外の時間はたっぷりあります。
今年の作品から   -- 花 --

 
   
     青い花瓶   F6                     花かご    F6    

  
      チュウリップ     F6    

   
    網かご      F6                        シクラメン    F6     


トワイライトエキスプレス 引退の本当の理由とは・・・

2014年07月07日 10時50分48秒 | 鉄道のよもやま話

寝台特急 ”トワイライトエキスプレス” の引退が決まりました。
鉄道ファンとしては、一抹の寂しさを感じます。

僕も4~5年前に乗車し、その時から、この車両も随分古くなってきているなぁと感じていましたが、まさか、ここに来て引退・廃止が決まるとは、残念です。

その廃止の原因は、25年間走り続けて、老朽化とのことですが・・・・・
本質的な問題は、それ以外にあるのではと憶測が流れています。

   
   引退される”トワイライトエキスプレス”       北海道への寝台特急のルート



ただ、この問題は、トワイライトエキスプレスだけではなく、”北斗星”も”カシオペア”にも当てはまり、寝台特急の存亡にかかわるのではないかと言われています。

 
トワイライトエキスプレスは、登場から25年、今でも個室のチケットは、なかなか取れないプラチナチケットで、「ゆっくりと旅したい」 というシニア層には根強い人気があるのですが・・・・

 

それでも廃止に至る要因に、老朽化以外に、2016年の北海道新幹線の開通があります。
現在の交流20キロボルトから、新幹線用の25キロボルトになることで、トワイライトを引っ張る機関車が使えなくなることがあげられます。

新たに機関車を製造するには、1両当たり数億円かかり、しかもそれは在来線では使えないということです。
それだけの金を使うのなら、他に投資した方が良いという考えです。

もう一つの問題点は、「並行在来線」への支払い問題があります。
新幹線と並行して同じ区間を通る在来線は、JRの経営から外れ、第三セクターに移管されます。

トワイライトの場合、北陸線とか信越線は、北陸新幹線が開通する来春、「あいの風とやま鉄道」や「えちごトキめき鉄道」などの別会社路線になります。
そこに”トワイライト”が乗り入れる場合、第三セクター側に通行料を支払う必要が生じます。

それが、年間数億円とも言われ、いかに人気があっても、列車1本にそこまで払えないということが廃止へと連なって言ったのではないでしょうか?

   
  JR西日本 新型豪華寝台特急イメージ         JR東日本 新型豪華寝台特急イメージ
    どちらも2017年に導入予定しています。 そして豪華・・・と。 その内容については後日に。

 

 

ただ、その代わりというのも、おかしなことですが、JR西日本は、2017年の春には、新しい寝台列車の運転開始を発表しています。

いわゆる「ななつ星」の人気にあやかろうというもので、日本列島縦断型の寝台列車をなくし、それを新幹線に引き継ぎ、JRそれぞれの管内だけ(通行料の支払いが不要)の豪華寝台列車に取って代わるということなのでしょうか・・・・・。

そこで、北海道新幹線開通に伴い、「北斗星」も「カシオペア」もどのようになるのか、気になるところです
ただし、「サンライズ瀬戸」や「サンライズ出雲」は、今も人気があり、今回の問題点から外れていますが、今後の動向が注目です。

  
  根強い人気のある”サンライズ”           このような寝台列車は、残るのでしょうか