徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

観光列車あれこれ ① 「トワイライトエキスプレス瑞風」

2016年11月30日 20時48分25秒 | 鉄道のよもやま話

まず最初に紹介するのは、先日(11/29)にJR西日本から発表された豪華寝台列車「トワイライトエキスプレス 瑞風」です。

  

来年6月にデビューする京阪神と山陽・山陰エリアを結び、運行中に沿線を立ち寄って観光するというものです。
「トワイライトエクスプレス」は1989年から運行を始め、大阪駅と札幌駅を結ぶ寝台特急の名称でした。
往年のオリエント急行を彷彿させる豪華列車でしたが、車両の老朽化や青函トンネルの新幹線通過、経由路線の一部がJRから移管されるなどの環境の変化により、その歴史は閉じられました。

この列車の名を冠したのが、新たに運行される「瑞風」です。
「瑞風」の由来は、「美しい瑞穂の国を風のように駆け抜ける列車」ということからだそうです。

 

車両は10両編成で定員は30名、食堂車、ラウンジカーが連結され、編成の前後両端には、展望スペースが設けられています。

   

車窓から西日本に広がる原風景を楽しみ、日本の素晴らしさを再発見してもらうのが狙いとか・・・
同じような豪華列車には、JR九州の”ななつ星”が2013年10月から観光運行を開始しており、JR東日本も同じような列車が2017年5月1日から運行する予定です。

片道コース(1泊2日)が一人当たり27万~75万円。
京都・大阪から下関経由で戻る周遊コース(2泊3日)が50万~120万。月1~4回運行され来年6月~9月分の予約を12月5日~1月31日に受付、多数の場合抽選となります。

LCCや夜行バスにより、鉄道が奪われているということから、反対に高額でゆとりのある旅を提供するという今後の鉄道旅行に新しい旅を楽しみ方の方向性が示されたものと言えます。

しかし、高額のため誰でもというわけにはいきません。
それはそれとして、もう少し一般にも利用出来るものが欲しいところです。

そこで、JR西日本では、この瑞風に続く、新たな観光用の長距離列車をも投入する計画で、瑞風よりも安価なものになると言われていますが・・・。


伊豆・箱根旅行 ⑦ 中伊豆 ~ 三島

2016年11月27日 13時21分42秒 | 旅行・観光

天城山トンネルから引き返し、修善寺温泉を横に見て、韮山反射鏡に向かいました。
最終日の今日は、三島駅発15時48分の新幹線で帰阪するため、その時間まで界隈を見学してゆく予定です。

最初は、世界遺産に登録された韮山反射鏡。
幕末期、欧米諸国の開国要請に対抗して、日本(江戸)を守るために、韮山代官であった江川太郎左衛門が、幕府に進言して築いた金属溶解炉です。

  
                 韮山反射炉    

品川沖に作られたお台場(砲台)に据えるための大砲を鋳造するもので、安政4年(1857年)に完成し、元治元年(1864年)の使用中止までに大小の大砲数百門を鋳造した。
炉体と煙突が、完全な形で現存している日本唯一の産業遺産で、国指定史跡であるほか、ユネスコ認定の世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産」にも含まれています。

 

でも、この価値ある遺産も、この反射炉だけでは、素人には価値観が湧きません

周りの道路等も色々整備されつつあるようですが、出来れば、周りの施設などの建物(上記参照)やその役割などがあれば、より分かりやすくなるのではないでしょうか・・・ 

 

次に訪れたのが、伊豆と言えば、源頼朝が流された所とされていますが、その場所に碑が立っている小さな公園に立ち寄りました。

  
      源 頼朝 配流地に建つ遺跡碑          源 頼朝夫婦像が立つ蛭ヶ小島

平治の乱に敗れた源頼朝は、平清盛に継母・池禅尼の命乞いによって伊豆に配流され、1160(永 暦元)年2月の14歳の少年期から、1180(治承4)年8月に旗挙げする34歳までの20年間をこの地で過ごしたとされます。

当時は沼地でその中の小島に住まいしていたとかで、江戸時代の学者が蛭ヶ小島と推定し、今も周りは全くの田舎景色ですが、天気が良ければ富士山が見えたようです。
1790年に碑が建てられ、伊豆の国市の指定有形文化財となっており、公園内には頼朝・政子夫婦像がつくられています。

次は、JR三島駅近くにある、三嶋大社にお詣りしました。
創建の時期は不明ですが、奈良・平安時代の古書にも記録があるとか・・・

 
   三嶋大社                  七五三詣りに出会いました。

この三嶋大社は、東海唯一の神格と考えられ、この社名・神名の「三島」が地名ともなりました。
頼朝旗揚げ成功以来、武門武将の崇敬篤く、又、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として広く天下に広まっていきました。

平成12年には、御本殿が重要文化財に指定され、当社の文化的価値の高さも再認識されています。

伊豆・箱根の旅の三日間は、最終日は曇り空でしたが、ほゞ満足できる天気でした。
旅の成否は、天候次第とも言えますが、行ってみないと分からないところや、予定以外に遭遇することが多くあり、それも旅の楽しみの一つです。


伊豆・箱根旅行 ⑥ 天城越え

2016年11月24日 20時19分56秒 | 旅行・観光

旅行3日目
修善寺温泉からまず向かったのは、落差25m、幅7mの浄蓮の滝。
浄蓮の滝は、石川さゆりの演歌の歌詞にあり、滝のそばに歌碑が立っていました。
かつて滝の付近に「浄蓮寺」という寺院があったことから「浄蓮の滝」という名称がついたと伝わっています。

浄蓮の滝        
 

浄蓮の滝の駐車場に”伊豆の踊子”の銅像が立っています。

  
       浄蓮の滝                   ワサビ畑   


伊豆の踊子は、川端康成の小説で有名で、松本清張の小説「天城越え」ともに知られています。

ここから、その小説に出てくる”天城越え”は、静岡県伊豆市と河津町の境にあり、これを超えるのは下田街道の最大の難所でした。
明治37年(1904年)に天城トンネルが開通し、多くの人と物資がここを超えることが出来るようになりました。
途中には、ワサビの段々畑があちこちに見受けられ、浄蓮の滝にもワサビ畑があり、ワサビ漬けなどが販売していました。

  
  浄蓮の滝の駐車場に立つ”伊豆の踊子”     旧天城山トンネル 通行止め区間    

 
     重要文化財碑  天城山隧道 


 天城トンネルに行く途中、工事のため通行止めとなっていました。
今日、天城トンネルに行くことをタクシー運転手に伝えたあったのに・・・・
運転手があちこちに連絡を取り、トンネルの反対側に回ることし、かなりの山の中を通り、何とかトンネルの入り口にたどり着きました。
トンネルの中を往復し、結果的に一応トンネルの両端を見ることが出来ました。

  
    旧天城山トンネル  伊豆側           旧天城山トンネル  修善寺側
 

 

僕らが入ったトンネルの入り口(伊豆側)の手前には若干の駐車スペースがあり、もう一方の入り口(修善寺側)には、トイレや駐車場などもあり、碑も立っていますが、この方向が通行止めだったためなのか、1台の車も通りませんでした。

トンネルを後にして、元来た道を引き返し、世界遺産となった韮山反射鏡を経て、三島駅から帰阪することとしました。
それは次回に・・・・




伊豆・箱根旅行 ⑤ 修善寺温泉

2016年11月21日 19時34分02秒 | 旅行・観光

修善寺温泉には、修善寺駅からバスで約10分程で着きました。
荷物を旅館に預け、温泉街を散策しました。

この地には、京都と同じ名前の地名などがあり、どうやらこの地に流された人々が京都を忍んでつけたのではないかと言われています。

 川は桂川、橋は渡月橋、そして山は嵐山と言われています。

   

 まず最初に訪れたのが修禅寺。
地名は「修善寺」、寺名は「修禅寺」で、表記が異なるが、両方とも「しゅぜんじ」と読みます。
修禅寺の名前は鎌倉時代初期から定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようにまりました。
ここのお寺は、源頼朝の弟の源範頼と頼朝の息子で2代将軍の源頼家が、当寺に幽閉され、その後この地で殺害されたことで知られています。

  
       修禅寺 境内                菊に囲まれた山門  


修禅寺物語は、岡本綺堂による頼家の死にまつわる戯曲です。
悲劇の鎌倉2代将軍「源頼家」のお墓、その叔父にあたる源範頼のお墓もあり、源氏ゆかりの土地です。

  

     

日枝神社は、修禅寺に隣接し、修禅寺の鎮守で、源範頼が幽閉されていたという信功院跡があります。

前の渡月橋をわたり、竹林の小径に・・・

  竹林の小径  

桂川にかかる赤い橋(楓橋)を渡り、桂川沿いを宿のほうに戻ってゆくと、足湯と”とっこの湯”といわれる修善寺温泉のシンボルが見え、ここは伊豆最古の温泉と言われています。

  
  楓 橋                      とっこの湯   

この修善寺温泉が有名になったのは、修善寺物語にもよりますが、明治時代に多くの文化人が宿泊したということがあります
僕の今日の宿も夏目漱石が泊まったといわれる旅館で、趣のあるたたずまいで、玄関の下には桂川が流れています。

  
      漱石庵        夏目漱石ゆかりの旅館      

明日は、タクシーで伊豆の踊子の舞台となった天城越えをしますが、それは次回に・・・・

 

 


伊豆・箱根旅行 ④  元箱根~三島

2016年11月19日 10時47分18秒 | 旅行・観光

箱根町で下船して、早速元箱根辺りをタクシーで案内してもらうことにしました。
箱根町港を出たところに正月の恒例行事、箱根駅伝のゴールがあり、そこを通って箱根関所跡、箱根旧街道の杉並木、石畳、箱根神社と定番を見物し、富士山がもっと見えるところに連れて行ってもらいました。

  
                       箱根関所跡  


 
 箱根旧街道 杉並木                  箱根旧街道 石畳  


 
箱根神社 箱根権現と称せられ、古代からの山岳信仰の霊場で関東屈指のパワースポットとか・・・



あるゴルフ場の駐車場からは眼下に芦ノ湖と富士山が見えました。
もう少し天気が良ければもっと富士山がはっきりと見えることでしょうが・・・

 




ここを後にし、伊豆箱根鉄道の三島駅へ向かいました。
このタクシーの予約時間は、3時間を予定しており、時間的余裕があれば、三島までの途中の三島スカイウオークを見学することでしたが、どうやら時間内で行くことが出来そうでした。

  
   三島スカイウオークからの富士山      

 

この三島スカイウオークは、日本最長の吊り橋です。
見たところ丈夫そうに出来ており、高所恐怖症でない限り何ら問題はない様に思ったのですが、1/3程のところで揺れが段々とひどくなり、まして多くの人の往来も重なり、揺れは益々腹に響くようになり、中ほどで引き返しました。

ここからの富士山もかすんでいました。
明日は天気が悪そうなので、富士山もここで見納めかも・・・

  

三島駅から伊豆箱根鉄道 駿豆線 特急踊り子(115号)に乗ることが出来ました。
チョット複雑なので僕自身も理解できないのですが、ここ三島から修善寺までの区間は、JR東日本、JR東海、そして伊豆箱根鉄道の3社が関係しており、そのためICカードは使えませんが、この区間は、指定券も特急券もなしで、乗ることが出来るようです。

 予定より早く修善寺に着き、旅館に荷物を置いて、修善寺温泉街を見物することにしました。
それは、次回に・・・


伊豆・箱根旅行 ③ 大涌谷~芦ノ湖

2016年11月17日 10時25分27秒 | 旅行・観光

旅行2日目 
宿泊地の早雲山からロープウエイで大涌谷を経由して終点の桃源台駅へ・・・・。
このロープウエイでの見ものは、大涌谷の地獄、ここから見える富士山です。

  

大涌谷は、昔は地獄谷と呼ばれ、約3000年前に箱根火山最後の爆発で出来た火口の爆裂跡で、現在も白煙が立ち込め、火山活動の迫力が感じられました。
この風景で、硫化水素のにおいが強烈!で大自然のすごさが感じられました。

  

  
  

2015年6月30日、大涌谷で小規模な噴火が発生し、いわゆる水蒸気爆破で入山規制で、このロープウェイも休止されていたのですが、2016年7月26日から規制が緩和され再開されました。

 <動画> ロープウェイから大涌谷を・・・

 

さて、このロープウェイから富士山は見えたのでしょうか・・・
最初は、見えませんでした。
それが、この大涌谷を超えたところから、裾野の広がりが見え始め徐々に全体がボヤッと現れました。
雲が張れてきましたが、それでもガスがかかったようで、頂の雪は、山梨側のみで、チョットバランスが悪い様相でした。

   
 ロープウェイからの富士山 初めは裾野から徐々に全体が表れました。少し霞んでいますが・・・

   
その富士山が見え隠れして、終点の桃源台に到着。
そこから海賊船にのって芦ノ湖を縦断して箱根町港へ。

  

箱根町に上陸して、ここから元箱根一帯を見学してゆき、その後三島へ移動するため観光タクシーを依頼しました。
その内容については、次回に・・・・



伊豆・箱根旅行 ② 強羅公園~早雲山

2016年11月14日 19時56分28秒 | 旅行・観光

箱根湯本から箱根登山鉄道で約40分で強羅につきました。
3両編成の列車は、通勤ラッシュ並みの混雑でした。
この軌間、3つのスイッチバックがあり、運転手と車掌がその都度入れ替わっての運行でした。

強羅は、明治27年早雲地獄から引き湯で温泉地として開発が始まり、大正8年に箱根湯本~強羅間に登山鉄道が開通し、ここから本格的に温泉付き別荘分譲が始まりました。

   

強羅駅から急な坂道を徒歩で登り、10分程で強羅公園につきます。
強羅公園は、温泉地として避暑地として富裕層が別荘を建て、その親睦や保養を目的に大正13年(1914)に開園されました。

  

戦後は有料公園となり、現在は、箱根美術館の庭園として残されて、植物園や体験型工芸施設などが整備されています。
なお、前回の箱根フリーパスで無料で入園できます。
ちなみに入園料は400円です。

天気も良く、空気も良く、緑の山々に囲まれ、坂を上ってきた疲れも吹っ飛びました。
最寄りのケーブルカーの駅、公園下駅から、今日の宿泊地 早雲山に向かいました。

  

早雲山駅は、箱根ケーブルカーと箱根ロープウエィとの中継地点にあたり、標高750mで、ここから強羅のパノラマが望むことが出来ます。

ここで1泊し、翌日は念願の芦の湖からの富士山が見れるのでしょうか・・・ 
なお、箱根登山鉄道では、唱歌「箱根八里」の発車メロディーが使用されています。

 


伊豆・箱根旅行 ① 小田原城~箱根湯本

2016年11月12日 16時51分58秒 | 旅行・観光

去る11月6日から3日間、伊豆箱根方面に旅行してきました。
11月も中ごろ過ぎると紅葉狩りなどで混むのを避けたつもりだったのですが、6日は日曜日だったためか、多くの人出で少々思惑外れとなりました。

目的は、富士山を眺めることと修善寺温泉界隈を訪ねることにあり、天気が気になるところです。

初日は、まず新幹線で”小田原”へ。
小田原駅のコインロッカーに荷物を預け、小田原城に1番近い小田原城北口まで東海道線沿いを歩きました。 約10分程でつきました。

  

  
  小田原城では菊花展が開催。       天守閣から常盤木門を望む。 昭和46年に復興。

新幹線の車窓からも見える三重4階の天守閣は、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリートで復興されました。
15世紀中頃大森氏が築いた城を前身とし、北条早雲に始まる北条氏の本拠となり、北条氏滅亡後は徳川家康の家臣 大久保氏が城主となります。
その後 稲葉氏が継ぎ明治維新を迎え、明治3年(1870)に廃城となり、建物は解体・売却されました。

現在は、城址公園として国の指定史跡、都市公園に指定されていますが、今も史跡発掘や整備が進まれています。
城址公園をすべて見るには、1日では済まないようです。
公園内には遊園地もあり、甲冑・忍者の館などがあります。

小田原城見学を1時間ほどで切り上げ、小田原駅に戻り、同じ駅舎内にある箱根登山鉄道の小田原駅から箱根湯本へ向かいました。

これからケーブル、ロープウエー、そして芦ノ湖では海賊船に乗るにはいちいち切符を買う手間も時間も惜しいので、フリーチケットがあるかどうか案内所で訊ねと”箱根フリーパス”が2日間、3日間有効の2種類あり、小田急電鉄関連の箱根の旅に見合う切符があり、早速2日間のフリーパスを購入しました。

 
  フリーパスの範囲 今回の旅行は、小田原ー箱根湯本ー強羅ー早雲山ー桃源台ー箱根町まで


箱根湯本の駅では、荷物を当日宿泊する旅館・ホテルまで届けてくれます。(有料です)
昼食をとり、町内見物と思ったのですが、あまりの人の多さにすぐ駅に引き返し強羅を目指しました。
小田原駅、箱根登山列車の車内、そして箱根湯本でも、まるで外国に来たかのような錯覚を起こすような言葉が乱れ飛び、昼食の食堂でも順番待ちの状態でした。
少々先が思いやられます。

  

強羅では”強羅公園”を見学し、今日の宿泊地 早雲山に・・・
これについては、次回に・・・


映画 「 インフェルノ 」

2016年11月09日 19時59分23秒 | 映画・社会

トム・ハンクス主演ローバート・ラングトン シリーズの第3段となる ” インフエルノ ” も暗号解読のサスペンスドラマです。

前々作の”ダ・ヴィンチ・コード”は、モナリザが、そして前作の”天使と悪魔”は、ヴァチカンの抱える問題点を、そして今回の”インフェルノ”はダンテが、キーポイントになっている作品です。

このまま地球上の人口が増えれば、人類は滅亡すると考える生化学者が、人類の半数を犠牲にするウイルスを開発し、それの拡散を防止すべく複雑な暗号を解読してゆくというストーリーです。

  

 謎の刺客に命を狙われたラングドン教授は2日間記憶を喪失し、病院に入院していたが、女医のシエナの助けを得て病院を脱出します。
「なぜ、命を狙われるのか・・」思いだせないラングトン教授のポケットには1本のペンライトが・・・
それに映し出されたのは、詩人ダンテの神曲「地獄の見取り図」とそこに刻まれた” 暗号 ”だった。

   
                  ダンテ 地獄絵           ダンテ デスマスク

そして、ダンテのデスマスクの持ち主で大富豪の生化学者ソプリストの存在にたどり着きます。
イタリアのフィレンチエ、ベネチア、からトルコのイスタンプールを舞台に謎解きの舞台は移ってゆきます。

  

  イタリア フィレンチエ             イタリア ベニス サンマルコ聖堂

  
 イスタンプール                イスタンプール 地下宮殿内の「地下貯水池」

   以上 4枚の写真はラングトンが活躍した都市・・・・

さて、謎を解いて、人類を危機から救い出すことが出来るのでしょうか・・・


トロッコ列車と保津川下り 番外 ③ 大河内山荘

2016年11月04日 15時41分07秒 | 旅行・観光

 

嵐山の着船場到着は12時半頃となり、その到着10分程前に我々が乗っている船におでんやイカ焼き、その他ビールなど飲料水を売る船が横付けし、良い匂いをさせて我々のすきっ腹を刺激しました。
昼食は、嵐山で食べることにしていたので、ここはガマンして、下船して急いで、昼食場へ。

  

昼食は、天竜寺の塔頭の一つ「妙智院」の中にある嵯峨で一番古い店 ”西山艸堂(せいざんそうどう)”で湯とうふを食べました。

  

そこから”大河内山荘”へ・・・
野間神社、竹林を超えたところにあり、昨年も”河内山山荘”のそばを通り過ぎ、その時は時間的余裕がなく、いずれとは思っていたのが、案外早く実現できました。

”大河内山荘”は、時代劇で有名な(若い人はご存じないでしょうが・・・)大河内傅次郎(1898~1962)が昭和6年(34歳)から64歳で逝去するまでの30年をかけて創り上げた庭園です。

  

庭は回遊式借景庭園で多くの松、桜、楓などが生い茂り、眼下には保津川、京都市内、そして遠く、比叡山や東山も望めます。

  

ここまでの道中にあった竹林には、外国人が多く写真を撮ってたむろして、通行の邪魔になるほどでした。
でも、ここ大河内山荘には、日本人よりも、外人でも東洋系の人はほとんどおらず、散策しているのは、ほとんどが欧米人で、この風情を楽しんでいました。
この時期、まだ紅葉には程遠いですが、あと2,3週間先ごろではないかと、その欧米人の方が言っておられたのが印象的でした。

   
 写真は、大河内山荘の10月27日現在 あと1週間先ぐらいから本格的に紅葉の季節が始まるかな・・