徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

京都、光明寺で、今年最後の紅葉を満喫

2010年11月30日 08時37分58秒 | 旅行・観光

昨日、京都西山 光明寺に、今年最後になるだろう紅葉狩りに出かけました。

ここは、大阪からも近く、阪急電車 京都線 長岡天神駅からバスで10分程で行けます。
京都西山三山とは、ここの光明寺と善峰寺、楊谷寺(柳谷観音)があります。
その他に、ここ洛西には、大原野神社、若山神社など、紅葉が有名な寺社が多くあります。

  

     

  

西山浄土宗総本山で粟生の光明寺さんと呼ばれています。
その光明寺のいわれとは、
  平安時代の終わり、武蔵の国の熊谷直実(1141~1207)という武将が、逃げる平家の武将を捕まえると自分の子供くらいの若武者で、17歳の平敦盛(清盛の甥)でした。

 後に、その敦盛を斬ったことを悔いた直実は、世の無常を感じ、浄土宗を開いた法然(1133~1212年)に会って、自分の思いを語ると、「ただ念仏を唱えよ。そうすれば往生出来る」と教えられ、刀を捨てて僧になりました。

 その直実が1198年に、念仏三昧堂を建てたのが、光明寺の始まりで、その後、法然の遺骸がここで荼毘に付されたことでお寺になり、法然の石棺から、まばゆい光明が発せられたことにより、光明寺と呼ばれるようになったということです。

       

     

今日は、風は時折強く吹きましたが、陽射しは暖かく、京都の予想気温13度よりは、暖かく感じました。
色とりどりの紅葉に、多くの参詣者から感嘆の声があちこちから聞こえ、今年の紅葉の見おさめをしてきました。

帰路は、徒歩で長岡京駅まで行くこととしました。
道中、乙訓寺や長岡天神に寄りましたので、そのことは、後日に掲載します。
そこも、最後の紅葉を楽しませてくれました。


大阪駅はどのように変わるのか・・・・③

2010年11月27日 10時24分48秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

大阪駅の全面改修工事のために、設置された「フロートコート」や「トラベルコート」は、完成後2012年にも取り壊されます。

もともと、この建物は、工事のため、立ち退いた店舗が入っており、大阪駅の改修が終われば、それらの店舗は、再び大阪駅構内に戻ります。

 
  「フロートコート」                    「トラベルコート」    

「フロートコート」は、御堂筋口側に飲食店などの商業施設が入っています。
「トラベルコート」は、桜橋口側にJTBなど旅行会社が入っています。
いずれも、鉄骨2階建。

これらが撤去されると、今まで大阪駅前が窮屈な印象があったのですが、これで駅前に空間が出来、多少、駅前がスッキリするのではないでしょうか?

また、来年5月、大阪駅改修工事を終えた時点で、新たに長距離バスの乗り場やタクシーが新設されます。

長距離バス乗り場は、新北ビル「ノースゲートビル」の北側に、またタクシー乗り場は、同ビル2階に新設するように計画しています。

現在、「トラベルコート」横の長距離バス乗り場は駅北側の専用乗り場に移転され、跡地はタクシー乗り場に変更されるようです。

 


大阪駅はどのように変わるのか・・・②

2010年11月26日 10時49分06秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

JR大阪駅の1日の平均乗降客数は、約85万人だそうです。
これは、西日本一の多さで、私鉄、地下鉄への乗り換え客も多く、この改修工事は、その混雑ぶりを解消する役目もあります。

旧駅では、エスカレーターが上り、下り各1台しかないホームもあったのですが、新駅では増設され、エスカレーターは21台から74台に、エレベーターは5台から12台になります。

 
               連絡通路からホームへのエスカレーター     

駅の東側改札口「御堂筋口」は、地下鉄と阪急電鉄との乗り換えに使われ、乗降客の約半分を占めます。
そこには、改札口とホームを結ぶエスカレーターがなく、階段のみだったのが、エスカレーター5台が設置され、朝のラッシュ時は、その内4台が改札口からホームへ向かい、混雑を緩和させます。

混雑時間帯以外では、上り下りが2台と3台に変更されます。
そうした変更などは、相当な回数のシュミレーションを重ねており、効果が期待されます。

その他、通路や一部のホームの幅を広くし、混雑によるストレスを感じさせないようになるようです。

バリアフリー面も向上しました。
今まで、各ホームの東側に1台しかなかったエレベーターを2台に増設し、西梅田方面への移動もしやすくなります。

混雑緩和を図ると同時に、人の流れを加速させ、ストレス軽減に役立てようと、ここにも大阪駅の変貌の効果を見ることが出来るようです。


大阪駅はどのように変わるのか・・・①

2010年11月25日 11時16分12秒 | 変貌する街、過去・現在・未来

「今まで 駅の上空は活用されなかった。画一的な駅から世界に誇れる駅にしたい」とJR西日本大阪ターミナル開発課長が述べています。

では、新しい大阪駅はどのように変貌し、上空はどのように活用されるのでしょうか?

今、大阪駅へ行くと、地上は工事中で迷路となっており、駅の上を見上げると、灰色にくすんだ老朽化した屋根が目に入ります。
それも来年の春には、取り払われ、その上の大きなドームに覆われることになります。

新しい大阪駅の屋根は、東西180m、南北100mで、サッカー場の2.5面分という広さです。

   
   11月現在の大阪駅の上空 (サンケイニュースから)       完成予想図

駅の上空の利用とは、大阪駅の北と南を結ぶ大きな広場(橋)が出来ます。
駅の北側に建つ「ノースゲートビル」(来春完成)の5階と南側に建っている「サウスゲートビル」(現アクティ大阪)の6階をつなぐ”空中”広場が作られ、乗降客などが南北に行き来出来る通路になります。

 
   11月1日から乗り換え連絡通路として利用。  通路から下をホームをのぞく。

 
   通路からホームに降りるエスカレーター       

 
   ホームから西梅田方面のドームを見上げる。    ノースゲートビル      

今までの大阪駅には、たたずむ空間がなく、ただ移動だけの空間からの脱却を図るため、8つの広場が設けられます。

地上22mに設けられた広場から下をのぞくと列車をジオラマのように眺めることが出来、ガラス張りの明るいドーム形屋根から光が降り注げば、まさしく、一服の清涼剤的にたたずむことが出来るのではないでしょうか?

 
  サウスゲートビル(現アクティ大阪、大丸が増床されました)   ノースゲートビル

ノースゲートビルの14階には、駅ビルでは、初めて1500㎡の農園が出来、トマトやサクランボが栽培されるそうです。

従来の駅という概念を取り払い、「小さな街のような駅になるのでは・・・・」と鉄道関係者も期待を込めています。

来年5月には、JR大阪駅が生まれ変わりますが、大阪の街自体も変わる可能性を秘めています。
平成16年5月に着工し、約2100億円を投じた巨大ターミナルは、今後どのように人の流れや街を変えて行くのか、興味が付きません。
その変貌のいったんを連載してゆきます。
                            (11月10日付けの産経新聞を参照しました)


「勤労感謝の日」と「新嘗祭」

2010年11月23日 08時59分20秒 | 今日は、何の日

昨日11月22日は、語呂合わせで、11(いい)2(ふ)2(ふ)「いい夫婦」の日でした。
そして、二十四節気で「小雪」でした。

「小雪」とは、陽射しは弱まり、冷え込みが激しくなる季節で、木の葉は落ち、平地にも初雪が舞い始める頃です。

暦の上では、11月7日の立冬で、冬は既に始まっています。
二十四節気では、昨日の「小雪」そして12月7日ごろの「大雪」、12月22日頃の「冬至」で本格的な冬を迎えます。

さて、今日11月23日は、「勤労感謝の日」で国民の祝日です。
「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」です。
祝いたくとも、職がなく、祝うことも出来ない人もおられることでしょう。

戦前は、この日を「新嘗祭」と言っていました。
明治6年(1873年)に制定され、昭和22年(1947年)までの祭日で、天皇が新穀を天神地祇に勤め、これを食する祭儀です。

          
             2008年10月作  F6           2009年10月作  F6    

11月23日は、これ以外に、色々制定された記念日があります。

J リーグの日   平成4年(1992年) J リーグ初の公式戦の決勝戦が行われたのを記念
            して制定されました。

外食の日      昭和59年(1984年)に日本フードサービス協会が創立10周年を記念
            して設けた日で、家族で外食することの楽しさを知ってもらうため、祝日
            の勤労感謝の日としたという。
他に、「ゲームの日」「手袋の日」など

また、語呂合わせでは、
いい兄さんの日      いい(11)にい(2)さん(3)
いい家族の日       いい(11)ファ(2)ミ(3)リー


多武峰街道を行く・・・・

2010年11月22日 08時50分31秒 | 旅行・観光

談山神社へは、往路はバスで行ったのですが、帰路は、多武峰街道を桜井駅まで徒歩で行くことにしました。

黒い雲が覆い、一時小雨が降ったのですが、それもつかの間、薄日も出て、歩くことにしました。

談山神社を後にして、下り坂にある3か所いや4か所もあったろうか駐車場を過ぎると、山中の自然が一杯でした。

歩き始めて、30分もすると、またポツポツと雨が降り出してきました。

    
   途中に談山神社の東の入口 東大門        バス停多武峰の近くの屋形橋
    1803年に建立された高麗門      

しばらく行くと屋形橋があり、その近くに多武峰バス停がありました。
バスの時刻を見ると、あと20分程でバスが来るので、雨宿りを兼ねバスを待つことにしました。

バスは、この多武峰街道では、一番の難所と思われるほど、道幅は狭く、坂が急となっていました。 結果的に、ここを歩かなくて良かったと思われました。

が、ここを過ぎると、眼下が広がるように明るくなり、雨も上がったので、聖林寺前のバス停で降りました。

   

聖林寺は、小高い丘の上に甍が先ほどの雨で濡れていました。
聖林寺の創建は古く、奈良時代に談山神社(当時妙楽寺)の別院として、藤原鎌足の長子が建てたとされているそうです。

この寂しげな寺には、似つかわしくない(失礼)国宝の十一観音菩薩があります。
それ以外にも、南北朝時代や室町、江戸時代からの曼陀羅が多く秘蔵されていました。

本堂には、石仏の子安延命地蔵菩薩があり、江戸元禄時代に安産、子授けの祈願として、有名だそうです。

ここ門前から、桜井の方向に山辺の道、三輪山を見渡すことが出来ます。

  
          聖林寺からの眺め       

再び、聖林寺を出て歩き、桜井駅に向かいました。
辺りは、自然を一杯、と言いたいのですが、国道沿いには、工場や学校などがあり、人家に近づいてきたことを実感しながら、歩きました。

しばらくすると、紅葉に包まれた神社があり、立ち寄ることにしました。
かなり、広い境内には、それ相応のいわれがあるように思われました。

等彌(とみ)神社といい、神武天皇が大和平定と建国を祈願し、大嘗祭の舞台となったところで、鳥見山(標高245m)の西麓に鎮座し、建国の聖地だそうです。

 
            広い等彌神社にも、紅葉が・・・・・       


広い境内ですが、時間の都合があり、当初予定もしていなかったので、早々に引き揚げました。(奈良盆地には、このように、古くからの言い伝えられているお寺が沢山あるようです)

途中、雨で、全部歩くことが、出来ませんでしたが、充分多武峰を楽しむことが出来ました。


大和路、桜井、紅葉の談山神社へ

2010年11月19日 12時21分08秒 | 旅行・観光

今年も紅葉を求めて、大和路 桜井の談山神社に行ってきました。

奈良の紅葉の名所には、奈良公園や長谷寺、室生寺などの中に多武峰(とうのみね)と言うのがあります。

この多武峰の山中に十三重の塔を中心に大小様々な社殿が配置されている神社が談山神社なのです。

近鉄桜井駅(JR桜井駅に隣接)から奈良交通バスで約25分で到着します。
この時期、奈良交通では臨時に出ています。

  

入山入口の前の鳥居をくぐると、140段の石段があります。
その入り口から、あちこちに紅葉の鮮やかな色が目にはいります。

上り詰めると右に拝殿と本殿があり、早速昇殿しました。
といっても、本殿は修理中で、拝殿のみでしたが、ここには、鎌倉時代の能面が沢山陳列されていました。
その拝殿から見渡す景色もいにしえの雰囲気があり、紅葉とマッチして、雅な気持ちにさせられました。

   

そこを出て、左側には、ここのシンボルともいえる十三重の塔が、紅葉に包まれて建っていました。
この十三重の塔は、高さ17mあり、現存の塔は、享禄5年(1532年)に創建され、木造十三塔としては、世界唯一だそうです。

     

談山神社は、大宝元年(701年)に神殿が創建さえ、藤原の鎌足の木像が御神体です。
神社のある多武峰は、大化の改新に談合の地です。

中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が、蘇我入鹿を討つ談合をした場所で、その後中央統一国家として文治政治が完成し、大化の改新として歴史上有名です。

現在の社号の「談山神社」もここからきているそうです。

          

桜井駅までの帰路は、歩くことにしました。
小雨が途中で降ってきたりしましたが、途中にある聖林寺や等彌神社などを寄って桜井駅までたどり着きました。
その様子は、後日に・・・・・

 

 


御礼申し上げます。「ひろし展」終了

2010年11月17日 19時15分52秒 | 芸術・水彩画

去る10月29日より、開催しておりました「ひろし展」が今日17日に無事終了しました。
これも、皆様のご声援の賜物と感謝しております。

           
             会場の”ギャラリー喫茶「密」

 

沢山の方々が、お忙しい中、お越しいただき本当に、ありがとう御座いました。

今後とも、よろしくご声援、ご支援を賜りますようにお願い申し上げます。

この場を借り、御礼申し上げます。


鉄道新型車両デビューーJR西日本225系ー

2010年11月15日 10時13分34秒 | 鉄道のよもやま話

225系の新型は、225系0番台と5000番台の2種類があります。
225系電車は、JR西日本の直流近郊形電車です。

225系0番台は、東海道、山陽各本線や湖西線などの新快速用として、また5000番台は、関空快速や紀州路快速用として、現在の223系の次世代車両として製造されています。

  
    左が223系、右が新型225系           225系0番台 新型電車

といっても、223系がすぐ引退するわけではありません。 他線区への転換となることでしょう。

どちらも、2010年12月1日に営業開始されます。
0番台は110両、5000番台は116両を約300億円かけたそうです。

                                             天井中央に液晶画面による情報案内板が設置されています。  
  右側の写真は、黄色ラインによって識別された乗降口とバリアフリー化されたトイレ部

JR西日本には、2005年4月25日の福知山線脱線事故のトラウマが重く圧し掛かっています。

この事故を受け、列車が衝突した際、運転席周りに比べ、相対的に強度を低くした先頭上部が先につぶされることで、力を上方へ逃がし乗客への衝撃と客室の変形を押える構造を、JR西日本の車両で初めて採用しました。