徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

映画 「 居眠り磐音 」

2019年05月21日 20時17分32秒 | 映画・社会

時代小説で知られる佐伯泰英の人気シリーズの映画化。

このシリーズ初めての映画化で、松阪桃李が時代劇初めての主演であり、今後のシリーズ化が期待されます。
しかし、この映画は、ピエール瀧の代役で話題を呼んだ作品でもありました。

さて、時代劇につきもののチャンバラは、この映画には、欠かせないシーンとなっています。
同時に時代劇にして、良くある話として、恋があり、人情があり、そして勧善懲悪で絶対的、強力な正義が存在します。

  
 

人情に厚く、さわやかな好青年の坂崎磐音(松阪桃李)は剣の達人ではあるが、日向ぼっこで居眠りする老猫のような剣術で、眠っているか起きているのか分からないようなことから”居眠り剣法”と呼ばれていました。

磐音と幼なじみの小林琴平(柄本佑)、河井慎之輔(杉野遥亮)は、江戸の佐々木道場(道場主 ・佐々木蔵之介)で腕を磨き、江戸勤番を終え、三年ぶりに故郷の国元、豊後関前藩に戻ります。

 


3年前、磐音と言い かわした琴平の妹 奈緒(芳根京子)と祝言を控え、河合新之助が奈緒の姉の舞を留守中に不倫を働いたという噂を信じて切ってしまう事件が発生します。
それに激怒した琴平は、慎之輔を斬ってしまいます。

  
   国家老 宍戸文六(奥田瑛二)
 

藩の国家老 宍戸文六(ピエール瀧の代役に奥田瑛二)らは、噂を流したりして、三人を亡き者にしょうとする陰謀の一端として、磐音に上意討ちを命じ、打ち取りはしたものの、磐音は脱藩します。

奈緒の兄を斬った磐音は、一緒になれないと思い、この地にとどまることが出来ず、江戸に流れます。

 

 

  
   佐々木道場 佐々木玲圓(佐々木蔵之介)  両替商 有楽斎(柄本明)

 

 

以上、ここまでは、この物語の序曲で、江戸での生活は、用心棒として波乱万丈で新貨幣騒動から陰謀に巻き込まれ幕閣にまで影響を及ぼす事態となります。

話としては、あの事件後半年が経ち、用心棒としての磐音の活躍が痛快で、複雑怪奇な人間関係をも見どころです。

  


江戸では、浪人として、その日暮らしにも困るほどであったが、大家の金兵衛(中村梅雀)の世話で昼はうなぎ屋で、夜は両替商 今津屋(谷原章介)の用心棒として働きます。
腕が立つことから人々に頼られる存在となり、今津屋の女中で金兵衛の娘・おこん(木村文乃)からも好意を持たれます。


そこから新たな物語が複雑に絡んで、幾多の困難が待ち受けています・・・・

 

他に西村まさ彦、陣内孝則、ベンガル、五月女太一、財前直見、石丸健二郎など芸達者が物語を進めます。

さて、最後は、ハッピーエンドとなったのでしょうか・・・

 

     尚、カバータイトルの架空のお城は、映画の中で豊後関前藩の城として映し出されています。


花博記念公園 鶴見緑地は今・・・・

2019年05月13日 20時44分19秒 | 旅行・観光

1990年4月1日から9月30日まで開催された  ” 国際花と緑の博覧会 ” (通称・花博)のメイン会場となったのが、鶴見緑地公園として、今も多くの人が憩い集っています。

花博が開催される前、1941年の防空緑地公園計画に由来する大阪4大緑地(服部、鶴見、久宝寺、大泉)のひとつで、1972年4月に鶴見緑地公園として開園し、その後前述の花博として整備されました。


1970年の万国博覧会は、色々思いだすのですが、1972年に開催された花博は全く思いだすことが出来ませんでした。

  

”花博”というだけあって、季節ごとの花がこの公園の売りで、この季節には、風車とその周り一面の”ネモフィラ”は見事でした。
なお、この風車は、博覧会開催以前から存在したものだそうです。

 

  

  


  

 
 バラもバラ園だけでなく、あちこちの花壇に色とりどりが咲いていました。

かってのパビリオンも中国や韓国など2,3が残っていますが、荒れ果てて中に入ることは出来ません。
そのパビリオンのあった「街のエリア」は今はほとんどが大芝生広場となっていました。


 中国館
  

  
                          韓国館 や カナダ館の1部
 

これだけの広大な敷地の整備には多くの費用が掛かると思うのですが、なんと有料施設以外は入場無料です。

帰りの道端には雑草が茂っており、たとえわずかでも徴収して、道路の整備や季節の花の入れ替え、雑草の整備などに使っては思いましたが・・・・
しかし、多くの人が喧騒な町中を逃れてこの緑の多い公園を散策する姿を見れば、そうとも言っておられないようです。
それでなくとも、日本の都市には公園が少ないと言われており、税金をこういう場所こそ有効に使うべきなのでしょう。


トラ、12連戦で先行きが明るくなったのか・・・

2019年05月09日 20時37分15秒 | 野球・タイガース

4月27日から5月8日までの12日間の連戦を8勝3敗1引分と好成績を挙げました。

開幕からこの連戦までの24試合が10勝13敗1引分で3つの借金がありましたが、この連戦で貯金を2つとなりました。

この勝因は何だったのでしょうか・・・
そして、この戦いは本物なのでしょうか・・・


  

 5月5日 サヨナラホームランは福留の2ラン   5月1日 マルテも来日1号

 ともかく、投手陣の奮起がこの連戦中の戦いを優位に進めました。
防御率も3.48と広島、巨人に次いで3位につけました。
西は、ビシエドに逆転3ランを打たれるも安定度は抜群、青柳の完封、メッセの完投、岩田の好投、秋山の踏ん張り、若手の才木、高橋の予想を上回る好投等・・と投手陣の奮起が目立ちました。

今後とも、先発陣はもちろん、救援投手陣も、ジョンソン、ドリスの勝ちパターンももう1枚の投手が欲しいところです。 
藤川、能見も頑張っていますが、見ていてもハラハラします。
力の衰えは顕著です。
桑原、岩崎の復帰が待たれます。

  9月7日 始めてのヒーローインタビュー  怠慢走塁を見返したのか・・・これから全力疾走を誓う・・木浪

他に問題点は、エラーが多く、それも記録にならないミスも少なくはありません。
1塁への全力疾走をしなかった木浪を翌日は先発から外すということもありましたが、それ以外にも随所に守備の緩慢な動きが見受けられました。

以前、4月22日のブログで、打てず、守れず・・・と言いましたが、その時、ルーキーの活躍が目立ってベテランや中堅選手はどうしているのかと叱責しましたが、この12連戦もおなじことを言いたいです。

今後、福留の休みをどうするのかが課題となりそうです。

 
  
  5月8日 今後の遺恨を残さないように  12回 代打中谷2塁打2打点で勝負あった
                        と思ったのですが・・・

 

特に岩田の青木に対する頭への死球は、今回だけではなく以前にもあり、その時には真偽のほどは分かりませんが、青木は当たったフリをしたともいわれ、青木の死球は、岩田だけではなく多くあり、巷では、あの打撃ホームがホームベースに覆いかぶさるようであり、青木自身避けるのヘタとも言われています。

  
  青木 死球                   危険球退場 悔しい岩田投手

 

5点リードして、何も当てようとする者はおらず、あまりにも過剰反応と言わざるを得ません。

以前の鳥谷の顔面死球や上本の死球の時も、翌日には、投手を気遣う発言をしていますが、青木にその度量があるのか、昨日の態度も、被害者意識があまりにも強く、にらみつける威喝態度を見ていてスポーツマンとして如何なものか・・・
これがメジャー帰りのプライドなのでしょうか・・・


特にヤクルト戦は2年前の藤浪の畠山への死球で乱闘があり、その後の藤浪のトラウマは今も続いています。
死球をした投手が悪いのは当然ですが、なにもわざとではないとするなら何時までも根に持たないようにしてほしいものです。 スポーツマンとして・・・・

 

 


” 端午の節句 ”

2019年05月03日 13時50分16秒 | 独り言・社会・ニュース

5月5日・・・こどもの日ですが、端午の節句とも言われ、”端午の節句”とはどのような意味があるのでしょうか・・

”端午の節句”は「菖蒲の節句」ともいわれています。
強い香気で厄を祓う菖蒲やよもぎを軒に吊るし又は、菖蒲湯に入ることで無病息災を願いました

 もともと”端午の節句”は、中国の戦国時代(2300年前)が発祥とされていますが、日本でも奈良時代から続く古い行事です。

        

 

5月5日の端午の節句に鯉の吹き流しを立て、武者人形を飾って男の子前途を祝うようになったのは江戸時代からだそうです。

室町時代にも武家では5月5日の端午の節句に吹き流しを立てましたが、江戸時代に入って町人階級も紙で庭先に立て、男の子供が元気に育つようにと親の願いがこいのぼりに込められていました。
 
         

    現在の五月人形は、日本独特の物のようです。     ちまき  
 

 

では、発祥の中国は、どうなっているのでしょうか・・・

日本では、新暦の5月5日に子供の日として国民の祝日になっています。

中国は、今でも三大民族祭日(春節、端午節、中秋節)として旧暦で祝日となっています。
ということは、毎年端午の節句は、異なり、2018年は6月18日だったものだが、2019年は、6月7日です。

ちまきを食べるのは同じですが、ボートレースをすることが異なります。
それは、もともと中国の詩人屈原(くつげん)が仲間の陰謀から川で自殺をしますが、その時魚に食べられないように舟を出し、粽(ちまき)を投げつけて魚を追い払ったことが起源と言われています。

          

     このボートレースは、中国の端午の節句が起源。  鍾馗さんは魔よけの神様です

2300年を経て、日本は日本の歴史、風習に従って変化してゆきましたが、中国はその昔の面影を踏襲しているのです。