先日、現存十二天守のある城の一つ、高知城に行ってきました。
四国には徳島県を除いて残り3県にその現存の天守のある城があります。
香川県には丸亀城、愛媛県には松山城と宇和島城、そして高知県には高知城があります。
高知城は、高知平野のほぼ中央に位置する大高坂山(標高44.4m)上に築かれ戦国時代は、大高坂山城が築かれていましたが、江戸時代初期に掛川から土佐藩主として山内一豊が赴任すると一豊によって新たに着工したのが、現在みられる城です。
一豊によって当初、河中山城(こうちやまじょう)と名づけられましたが、高智山城と名を変えたのち、現在の城名になりました。
別名は「鷹城」と呼ばれています。
その由来は、屋根瓦のグレーと白漆喰壁の白が鷹の色合いを思い起こすことから言われているようです。
城の周りは、高知公園として開放されています。
どこにもあるように、そこには県庁、市役所など行政の中心地でもあります。
高知城の本丸の建物が完全に残る唯一の城で、明治初期の廃城令や第二次大戦による空襲をも逃れ天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されています。
本丸御殿 築城の際、二の丸御殿が出来るまで、山内一豊と見性院(千代)
が暮らしていた。
したがって、思っていた以上に城郭は広く、現存の城としての風格がありました。
追手門の手前にある池 ハスが咲いていました。
遠くに天守が望めます。
この城には、山内一豊と千代の像がありますが、郡上八幡城にもあります。
日本の城 もう一つの名前 ⑭ 郡上八幡城(2013年11月12日付け)を参照して ください。
詳細は、後日、高知城 その2 として掲載する予定です。