徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

今の企業の責任の取り方は・・・・

2006年07月21日 12時57分47秒 | 会社は誰のもの

今、企業のあり方が問題になっています。
毎日のように、企業の偉い人が頭を下げているのを見かけます。

パロマもそうですが、シンドラーの欠陥エレベーターも、会社側の謝罪会見が遅れた上に、責任を回避しょうという姿勢が見えます。

製造者責任(PL法)や企業の社会的責任(CSR)をもって対処すべきですが、それを作った技術者は、どう感じているのでしょうか?

  今日の絵は、”ひまわり”です。F8号

日本文化は、”物つくり”ですが、モノマネとか、オリジナリテーがないとの風評もあります。
江戸時代の商人たちは、売主として責任を持っていました。
不具合があれば直させ、弁済などもしたと言う。 
”腹をくくって”
今で言う社会的責任を背負っていたのです。

その根底にあるのは、”人様のために働く””人様に迷惑をかけない”と言う儒教的な考えもありますが、武士が自分の行動に責任をとるのと同じ”覚悟”があったからです。

武士と言えども、めったやたらに腹を切るのが武士道ではありません。
自分の信念に基づいた行動が
相手に受け入られなかった時に、初めて、”自己責任”において腹を切るのです。

自己責任とは、違法や過失を起こした場合は責任を負う原則があり、その原則があって、個人は自由な行動を取ることが出来るのです。
簡単に言えば”人様に迷惑をかけない”と言うことです。

にも拘わらず、迷惑をかけた側が責任をとらないのは、企業の責任という意味において武士道を失いつつある”偉い人”たちが多いように思いますが・・・・・

    


”天罰が下った”!!村上フアンド

2006年06月06日 10時52分42秒 | 会社は誰のもの

昨日、村上フアンドの村上氏が逮捕されました。 ライブドアーのホリエモンもそうですが、まだ日本には、フアンド系の企業は、企業として未成熟です。

昨日の記者会見での村上容疑者は、あたかも自分が、それもプロ中のプロと自負していながら、過失をしたかのような発言をしましたが、これは詭弁に過ぎないと思います。

元通産省の役人で企業買収を手がけていた人間が、インサイダー取引を”うっかり”することがないのです。 初歩的な、それも悪質な行為です。

   今日の絵は、”しゃくやく” F6号

儲けるつもりでないようなことを云っていますが、これには呆れてしまいます。
株を買い占めるのに儲けるつもりがないとは、考えられません。
自分があくまで潔く、ルール違反を認めたかのような発言にも、これからの身の振り方の魂胆があるように思われます。 フアンドから今後手を引くようにも言っていますが、これからは、裏で操るのではないかと危惧されます。

「めちゃくちゃ儲けたから、皆さんに嫌われた」とも云っていますが、嫌われたのは、汗水流してのお金ではないことと、余りにも金でなんでも出来る風潮を作った罪は重いということなのです。 なにか以前のどこかの球団と同じようです。

星野SDの言った「天罰が下る」についても、子供の教育上良くないと云っていますが、自分のしたことの方が教育上良くないことで、まさに逮捕され前科が付く身となれば、「天罰が下った」と云われても仕方が無いことではないでしょうか

これで10月1日に阪急と阪神は統合されますが、阪神タイガースは、名前もチームもそのままに引き継がれることになり、フアンの一人として、村上や他の外資系のフアンドに支配されるよりは、良いのではないかと安堵しています。

   


”日本株式会社”は何処へ

2006年05月26日 11時45分53秒 | 会社は誰のもの

戦後の日本を豊かにした最大の功労者「日本株式会社」と言われています。
勿論、そんな会社はありませんが、日本の企業の活動を総して、そういう呼び方をすることがあります。

会社とは、「営利を目的として設立された社団法人」「営利」とはお金儲けをすることですが、それだけではありません。
「営利の追求だけではなく、得た利益をその構成員に分けることも目的とする」。

つまり、会社が儲けるだけではなく、そこで働く人たちやオフィスや工場がある地域も恩恵を受けることがなくてはなりません。

   
      今日の絵は、”舞鶴にて” F8号

辞書のひとつには「同じ志を持ってものごとを行う集団。仲間」また「サラリーマンが働く組織」とあります
要するに「ひと」が主役なのです。

今から60年前、日本が戦争に負けてまもなくは「重厚長大」産業が主役でした。
鉄鋼会社、石炭会社、繊維メーカー、電機メーカー、銀行、自動車、情報通信と言った産業や総合商社などが業績を伸ばし、利益を生み出してきました。

時代と共に「花形産業」は変わってきたのです。
昔の国鉄がJRに、日本電電公社がNTTに、日本郵政公社も民営化され、政府がお金を出していたのを、民間の経営に任せようというものです。

規制緩和が進んで会社が病院や学校をも経営出来るようになり、会社の行う仕事の範囲がどんどん増えています。
お役所のやり方より、民間の方が決断が早く、効率的に仕事が出来るのです。

このように状況が大きく変化している中で、今までのやり方ではなく「日本株式会社」も変わらなくてはならないのです。

今のファンドや金至上主義では、「日本株式会社」は育たなくなり、日本の活力が削がれることを、充分認識しなくてはなりません。

    


「会社は誰のもの」

2006年05月24日 13時00分34秒 | 会社は誰のもの

商法が107年振りに変わりました。
日本の会社についての取り決めた商法が施行されたのが1899年。
1940年には、有限会社法が出来、会社の種類は株式会社、有限会社、合資会社、合名会社の4つになりました。

しかし、今年の5月から施行された会社法(「新・会社法」と呼ぶことが多いようです)は、これまでの内容をがらりと変えるもののようです。

  
   今日の絵は”神戸・北野の風見鶏の館”です。 F8号

まず、目的ですが企業の活躍を活発にすることで国民の生活を豊かにしようという狙いがあり、会社の設立や組織、運営などについてのルールを、これまでより緩やかになっています。

今までは、株式会社の資本金は1000万円以上でしたが、新会社法では、最低資本金の制限をなくしたのです。 つまり「1円」から会社が設立出来るのです。
実際は、印紙税、登録免許税などで24万1千円が必要ですが・・・・

あとは、会社を吸収合併するのに、今までは株主総会を開いて承認が必要でしたが、新会社法では、取締役会の決議だけで出来るようになりました。
また、会議を開かずとも書面やメールでものごとを決めることも出来ます。

その他、企業の合併・買収や不祥事を防ぐための内部統制システムなどについても、制限を減らして実行しやすくなりました。

しかし、これらのように簡素化は、なにも「企業の社会的責任」(CSR)を軽くすると言う事ではなく、「法令順守」(コンプライアンス)は、当たり前のことです。

つまり、以前にも僕がこのブログで書いたように「会社は誰のもの」であるかを考えることに繋がります。 ひとつの考えは「会社は株主のもの」でしょうが、今問われることは、「会社は株主だけのものではない」という考えなのです。

ホリエモンとか村上フアンドにもこの考えをしっかりと受け止めて欲しいものです。
「ステークホルダー」と言う言葉がありますが、訳せれば「利害関係者」ということで、会社は、株主だけではなく、従業員、地域住民など、その会社にかかわる全ての人たちにとっても会社の存在は多きいと言う考えなのです。

   


村上フアンド、なにすんねん!!!

2006年05月08日 10時30分29秒 | 会社は誰のもの

村上フアンドは、阪神電鉄の6月の株主総会に向けて16人の取締役のうち過半数の9人を送り込もうとしています。

ファンドという会社は他人の金を集めて株等を買い占めて株価を吊り上げ抜け切り、その収益を金を出した人(出資者)に多くの利息を付けて返すことにあるはずです。

現に、阪神株を買い占めてきた昨年の10月ごろは、あくまで投資が目的会社経営には関心のないと言っていました。 又村上氏本人も阪神フアンとか、大阪から灘高に阪神電車で通学していたので愛着があるとも言っていました。

  
  
昨日の雨中の横浜球場       久保田を指名する岡田監督

阪神電鉄の価値を上げると言っていますが、果たしてこの行為が、阪神の価値を上げるのでしょうか? もし、阪神の経営権を握れば阪神を分割してしまう恐れがあり、金貸しが鉄道を運営するという極めて危険な行為が行われて仕舞いかねません。 
鉄道の経営は、長年の安全面とか技術の蓄積があり、素人が出来るものではないと思われますが・・・・・

本来のフアンドの仕事である出資者に金を返すことも出来なくなり、出資者からも催促が出て、その影響から無理を仕出かす恐れがあり、なおさら無茶をし兼ねません。

先週の終値がまた1000円に戻っています。 阪急ホールデングが買い取るにしても、値が高くなりすぎて、動きが取れない状態になってきています。

最も恐れることは、阪急以外に高く買うところ、つまり外資系の会社が買えば最悪の状態になり、村上氏の当初の言葉は、やはり金至上主義だけのもので、村上氏自身の信頼や信用は皆無になってしまいます。

要は、儲かれば何でもすると言うことになってくるのですが、アメリカでは良くあることのようですが、日本では、日本人のやり方があってしかるべきではないでしょうか?
村上氏の猛省を促したいものです。

 クリックしてください   


阪神株は何処へ・・・・・

2006年04月20日 09時53分23秒 | 会社は誰のもの

桜も散ってきました。 今年の桜は、開花は早かったものの気温が低く満開になるのが遅く、それも地域や場所によってまた同じ場所でも木によって咲くのが違ったようです。

 咲く花も  また散る花も 桜かな

と言うような俳句があったように思いますが、昨日も近所の公園に行って来ましたが、殆どが落花している中で一段と華やかな木がありました。 八重さくらです。

 散る花に 負けじとさかん 八重桜

拙作ですが、”さかん”、”咲かん””盛ん”に掛けたのですが、拙いですね。

昨日も阪神が負け、貯金を使い果たしました。
鬼門と言われる名古屋で連敗し、甲子園での連敗に続いて、対中日戦は4連敗となりました。

  11回のさよなら負け。

内容も悪く、一昨日は完封負け、昨日はさよなら負けと後に尾をひく嫌な負け方でした。 去年も4月は13勝12敗1引き分けと一つの貯金しかなかったので、まだまだ頑張って欲しいものです。 金本・今岡が心配していた通り4・5番打者として機能していません。

これも昨日のニュースですが、村上フアンドの所有する阪神株が阪急ホールデングに売却すると検討されていますが、近日中に京阪電鉄・近鉄が反対を表明するそうです。つまり関西の私鉄の再編成を有識者などで検討するということなのですが・・・。

一時は、京阪にはその資金力がないと否定していましたが、関西私鉄全社で阪神株を持ち合いしょうとするもののようです。
今週中にも阪急は取締役会を招集する予定でしたが、延期しています。これもこのような空気を読んでの事だったのでしょうか?
今後とも目が離せません。   


会社は誰のもの??-その8-

2006年02月05日 10時12分50秒 | 会社は誰のもの

今まで会社は誰のものか??を色々と述べてきました。
論理だけでは何も解決しないことは、分かったと思います。

民主主義も論理は、きちっと通っていますが、「国民が成熟した判断が出来る」という大前提が永遠に満たされないのでは、民主主義も危ういのです。
その本質たる自由と平等はその存在と正当性のために「神」を必要とするという致命的とも言える欠陥があります。

 
  今日の絵は、”りんごのある風景”です。F8号

論理と合理に頼りすぎてきたことが、現代世界の当面する苦境の真の原因ではないでしょうか? 論理や合理性を否定してはなりません。「それだけでは人間はやっていけない」のです。

会社は、経営者や株主だけではなく、そこに働く従業員とその家族、そしてその企業の顧客・地域社会のものでもあるのです。

そこが、今の会社や社会に欠けているのではないでしょうか?
ライブドア事件、東横インホテルの経営者
には、何の使命感も責任感もありません。
あるのは金至上主義だけなのです。

日本の社会には、日本人が受け継いできたもっと大事なものがあるのではないでしょうか? 
日本人が古来から持つ「情緒」、あるいは伝統に由来する「形」、こうしたものを見直さなくてはならない時に来ているように思います。

それが、この狭い島国で培われてきた長い歴史のある日本人のDNAが、今失われて来ているように思われてなりません。

次回のシリーズでは、この日本人のDNAについて述べていきます。


会社は誰のもの??-その7-

2006年02月01日 09時08分41秒 | 会社は誰のもの

本当に大事なことは、親や先生が幼いうちから押し付けないといけません。
たいていの場合は、説明など不要です。

もちろん、子供は反発したり、別の価値観を見出すかもしれません。それはそれで良いのです。 初めに何かの基準を与えることによって、子供は子供なりに判断し、動きだすのです。

野に咲く花は美しい。モーツアルトが美しいと言っても論理的に説明は出来ません。
卑怯はいけないと言っても論理的に説明は出来ないのです。

戦後、日本は、過去の過ちから論理的に説明出来るもののみを教えるようになりました。 しかし、反省し過ぎた結果、もっとも大切なことが、抜けてしまったのです。

 今日の絵は、”くつろぎ”です。F6号

今、会社は病んでいます。 いや社会も、国民も、政府も、すべて病んでいます。
すべて論理的に貫く
ということは、欧米的な考え方であり、日本には日本の古来からの論理で説明できない部分をしっかり教えるという国柄なのです。

そこに、日本的で全ての国民の高い道徳的な観念の源泉があったのです。
それは、日本人のDNAとして受け継がれているものですが、これを忘れているのではないでしょうか?  

治療には、このことをもう一度考え直すことから始めなくてはならないと思います。


会社は誰のもの??ーその6-

2006年01月29日 09時28分43秒 | 会社は誰のもの

論理には限界があり、本質的に解決出来ないものがあります。
悪いことは、悪いことと幼い時から教えなくてはなりません。

江戸時代、会津藩に白虎隊も教えを受けた「日新館」という藩校がありました。
ここに、「什の掟」というのがあります。
そこには、こう書いています。

1、年長者のいうことに背いてはなりません。
2、年長者には、お辞儀をしなくてはなりません。
3、虚言を言うことは、なりません。
4、卑怯な振る舞いをしてはなりません。
5、弱いものをいじめてはなりません。
6、戸外で物を食べてはなりません。
7、戸外で婦人と言葉を交わしてはなりません。


 今日の絵は、「水郷」です。 F8号

これには、7っ目を除いては、一応納得の出来る物ではないでしょうか?
これらの七か条の後は、こんな文句で結ばれています。

ならぬことは、ならぬのです。

要するにこれは、「いけないことはいけない」と言っています。
これが最も重要なことで、すべてを論理的で説明しょうとすることが出来ないのです。

だからこそ、「ならぬことはならぬものです」と、価値観を押し付けたのです。


会社は誰のもの??ーその5-

2006年01月28日 10時01分42秒 | 会社は誰のもの

会社は、誰のものなのでしょうか?
今、多くの会社が病んでいます。 
論理や近代的合理主義の破綻が起こっています。

  
 アトリエ舞展は、無事終了しました。観賞にこられた方、有難う御座いました。

バブルの崩壊後、多くの金融機関の債務超過、倒産があり、西武王国の崩壊、カネボウを初めとする上場企業の粉飾、三洋電機の経営の行き詰まり、Mファンドの株の買占め、そしてIT産業の買収、ライブドア事件と内容もやり方も卑怯で下品で尋常ではありません。

そこには、何の恥じも外聞もなく、節度や心意気というものがありません。
金至上主義、物質主義と論理さえ徹底すれば問題が解決されると言う風潮が今日の歪を生んだのと思います。

論理には、限界があり、そして論理だけでは、重要なことが解決されないということです。

もし、人間にとって重要なことが、すべて論理で説明できるのなら、論理だけを教えていれば良い訳です。

ある生徒が先生に「なぜ、人を殺してはいけないのですか?」と尋ねたそうです。
しかし、その先生は、それを論理的に教えることが出来ませんでした。
びっくりした当時文部省は、「人を殺してはいけない論理的理由をパンフレッドに作成中」と新聞に書いてあり、それを読んで笑ってしまいました。

良い理由や悪い理由なら沢山並べることが出来ます。が実態は、「駄目だから駄目」なのです。
これは、論理的ではありませんが、実際、論理的に説明で出来ないのです。

「いけない事は、いけない」幼児のころから価値観を教えこまなくてはならないのです。
今の世界には、これが出来てないのです。