徒然なるまま”僕の趣味と遊ぶ”

タイガース、水彩画、鉄道などの、僕の気ままな”独り言”

オランダ・ベルギー事情あらかると・・・・

2011年07月25日 13時58分53秒 | オランダ・ベルギー旅行

5月に10日間のオランダ・ベルギー旅行から帰って2ヶ月経ちました。
その様子は、僕なりの感想を入れ、書いてきましたが、そこに書き忘れたことや、日本との違いなどをまとめてみました。

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どの国もそうなのですが、オランダもベルギーも自国の古い歴史を誇りにし、その様子を出来るだけ、昔のまま残してゆこうとする有様があちこちに伺えます。

整然とした建物群は、なにかロケ風景かおもちゃのようです。
それも、昔の風景はこうであったと言うように、同じような形で、それもメーン通りは勿論、そこからの裏通りも同じような建物が並んでいます。

    

整然と見える一つの原因は、洗濯物を表に干さないということと毒々しいネオンサインがないということです。
それは、市街地であろうと、田舎に行こうと、そこには同じような風景が望めます。

洗濯物は、その建物には中庭があり、そこのベランダに干すように、法律で決められているところもあるようです。
ある住宅街では、布団が干してある家は、日本人が住んでいるということだそうです・

その上、建物の窓枠は白色に統一されています。
これは、法律と言うより、昔からのしきたりのようなものだそうです。

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オランダでは、自転車が非常に多く、慣れていないと危険です。
と言うのは、道路には、ほとんど自転車専用レーンがあって、そのレーンをスピードを出して走っているからです。
道路の端から、歩道、自転車レーン、自動車道となっているのは日本と同じなのですが、そのスピードは凄く早く、写真でも撮ろうと歩道から少しでも自転車レーンに入ると、ぶつかってしまいます。

  
   自転車の専用信号 自転車と自動2輪の標識    左から歩道、自動車駐車場、自転車道、
                                     右には、自動車道があります。

自転車が、町の中にわがもの顔に走っており、駐輪も至る所にしてあります。
町の中には縦横走っている運河があり、そこには多くの橋がかかっています。
その橋の上に、並んで自転車が駐輪してあり、その光景は、自転車が主役ということの表れのようです。

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ヨーロッパの国では、トイレは有料化されている国があります。
オランダやベルギーも例外ではありません。
トイレの入口には、係員が居るところや自販機で切符を売っているところもあります。
それでは、さぞかし立派できれいであろうと思われるのですが、残念ながら、多くは日本のそれより、見栄えは悪いです。
日本でも同じですが、観光地のトイレは、特に奇麗とは言えません。

その上、小便器は、日本人には、あまりにも高すぎます。
いかに日本人というより、僕の背の低さを嘆かざるを得ません。

 
  有料トイレの自動切符販売機 €0.5(約60円)   ホテルのエレベータ各階の表示

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まだ、日本では、不思議なことがあります。
ほとんどのビルでは、日本で1階と思われているのが、0階と表示されていることです。
2階が1階と表示され、地下1階は、マイナス1階なのです。
数学的には、これで合っているのでしょうか?
日本の日常とは、違う感覚で、少々戸惑いがありました。 
習慣とか、慣れとは、恐ろしいものです。

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旅行記でも書いたのですが、オランダ、ベルギーとも日本にない法律があります。
一つは、同性でも結婚出来るということ、二つ目は、大麻がある量まで買うことが出来るということ、
三つ目は、売春が特定の場所では認められているということ。

これらは、多くは犯罪の温床になりかねないのですが、ある程度合法化すれば、隠れてしなくなり、現に、犯罪は増加していないということでした。
これらが、この国の基本的な考えになっているようです。

 


ベルギー、”ナミュールとデュルビュイ”⑯

2011年07月08日 12時46分11秒 | オランダ・ベルギー旅行

旅行8日目
今回の旅行の見学する日は、この日で最後となります。
9日目はブリュッセル国際空港から帰国の途につきます。 ブリュッセル国際空港からアムステルダムのスキポール空港を経て、10日目の朝に関西国際空港に着く予定となります。

さて、この日はブリュッセルから62Km離れた「ナミュール」へ向かいました。

ナミュールは、古代ローマ人も定住し、中世初期には、2本の川が交わる場所に、町を見下した岩の上に城が築かれてから有名になりました。
1640年代はスペイン領、1692年にはルイ14世によってフランス領となり、1709年にはオランダ領となるも、実質町を支配したのは、オーストリアのハプスブルグ家でした。

 

 

その後も領主や国が転々とし、第1次世界大戦にはドイツの侵攻を受け、占領され、第2次大戦でも甚大な被害を受け、今では、軍事面でも経済面でも重要な町となっています。

ナミュールを離れ、モダーブ城に行きました。
ベルギーには、多くのお城が残っているようです。
ドイツやフランスのお城に負けず劣らず、立派なお城が多くあるそうです。

 

  

現在のお城には色々あり、レストランや結婚式場を行っているお城、持ち主が住んでいるお城や公開されて、中の調度品などを見学させているお城などがあります。

このモダーブ城は、内部の調度品や装飾品などが見学出来、当時の貴族の生活を垣間見ることが出来ます。
お城の一部は13世紀のもので、現存のお城は、1652年に再建されたものだそうです。

このモダーブ城から25Kmと比較的近いところに、世界で一番小さな町という「テルビュイ」を訪れました。
人口は、500人程度ですが、中には教会やレストラン、ホテル、お土産屋さんもあり、郊外の静かな町という感じです。

 昔は、このような街があちこちにあり、無くなった街もあり、統合されてゆく街もあります。
この様は、世界中同じですが、このようにこじんまりとして昔の面影を残しているのは少ないようです。

これで、オランダとベルギーの2カ国の旅行は終わります。
この2カ国とも、昔のままの姿を出来るだけ現在に残そうとしています。
どこの広場にも、建物にも、国旗が掲げられて、その国とその歴史に誇りを持っているように見受けました。

また、機会があれば、両国の違いや国情について感じたまま、述べて行きたいと思います。


ベルギー、アントワープ「ノートルダム大聖堂」⑮

2011年06月21日 20時28分30秒 | オランダ・ベルギー旅行

旅行7日目。
ブリュッセルの北西45Kmにベルギー第2の都市「アントワープ」があります。

ここも15世紀後半に水運を利用して毛織物交易の中心として発展し、同時にダイヤモンドの取引の町としても有名だそうです。

17世紀に活躍した画家、ルーベンスの生地で、最近はベルギーファッションの流行発信地として注目を浴びています。

何よりも、日本では「フランダースの犬」の物語でTVアニメで有名です。
この「フランダースの犬」で登場する「ノートルダム大聖堂」が有名です。

  
 大聖堂の前にあるフランダースの犬の碑   大聖堂の中は、ステンドグラスが多くあり、美しい

 この物語はイギリスの作家がベルギーのアントワープで犬が荷物を運んでいるのを見て作ったそうです。
でも、肝心のブルギーでは、この物語は「負け犬の死」と言われ、ほとんど読まれなくなりました。

しかし、1975年に日本でアニメがTV放送されると、日本で有名になり、ベルギーを訪れる人が増え、ベルギー当局が驚き、そのアニメを日本から購入し、ベルギーで放映するとたちまち人気を博し、視聴率80%となったともいわれています。

これを機会に、世界中に知られるようになったそうです。
ただし、アメリカでは、最後があまりにも悲し過ぎるということで、主人公の少年ネロと犬のパトリシエは、死なないようにしたそうです。

主人公ネロは画家を目指しており、ノートルダム大聖堂には、当時有名だったルーベンスの絵があり、それを見るために、ノートルダム大聖堂を訪れます。

  
 ルーベンス作 「キリスト昇架」              同 「キリスト降架」     

  
  祭壇の絵は、ルーベンス作の「聖母被昇天」    

「ルーベンスの家」は、現在は美術館として多くの人が訪れています。

     
  ルーベンスの家                              ルーベンス自画像 


ベルギー、ブリュッセル、「グランプラス」⑭

2011年06月18日 14時12分16秒 | オランダ・ベルギー旅行

「グランプラス」とは、ブリュッセルにある世界で最も美しいとされている広場のことです。
この広場は、中世の面影を残した世界遺産です。

11~12世紀にかけて、市場が開かれる場所として栄え、14世紀には、政治・経済の中心地とし機能しました。

15世紀には市役所が建造され、15~16世紀には全盛を極めたギルドハウスが次々と建てられました。
ギルドハウスとは、相互扶助などを目的とした同業組合の建物です。
しかし、1695年、フランス王ルイ14世の軍隊で破壊されましたが、1699年に現在のゴシック様式を中心とする建物で再建されました。

ギルドハウスは、現在組合は解体され、建物はレストランなどに使われています。

 

グランプラス界隈

 
  小便小僧                       セルクラースの像 
   世界三大がっかりの一つ               触ると幸せになるブロンズ像 道路脇にあり
  コペンハーゲンの人魚姫、シンガポールの        ます。 どこにもこんなのはあるのですね。
  マーライオン (これらはあくまで日本人の
  評価で、その他の国では、また 違う
  そうです) 

 
  グランプラス界隈には、ホテル、レストラン、土産物店などがあります。


ベルギー、ブリュッセル「王立古典美術館」⑬

2011年06月16日 16時09分52秒 | オランダ・ベルギー旅行

旅行6日目、朝から「ゲント」へ行き、聖バーフ教会を見学後、午後にベルギーの首都 ブリュッセルに入りました。

まず、王立古典美術館を見学しました。
この美術館は2部構成になっており、メインは、15世紀~18世紀までの作品を収めた古典美術館19,20世紀の作品を収めた近代美術館に2万点以上、所蔵しています。

今回は、そのうち古典美術館を見学しまました、

  

ここは、ルーベンスやブリューゲル等のブランドルの画家たちの作品が充実されています。

フランドルとは、オランダの南部、ベルギー西部、フランスの北部にかけての地域のことです。

 

 

 

この美術館はナポレオンがパリのルーブル美術館から送り込んだ名画の数々を展示する美術館が前進で、ヨーロッパ屈指の美術館です。

ここを出ると、世界で最も美しい広場と言われ、世界遺産の「グランプラス」に行きました。
中世の面影を残すこの世界遺産については、次回に・・・・・


ベルギー、中世の都「ゲント」へ ⑫

2011年06月13日 08時54分38秒 | オランダ・ベルギー旅行

旅行六日目、ブルージュを後にして、東フランダース州都の「ゲント」に向かいました。

ここは、東フランダース州州都で、中世は毛織物業で「花の都」とも呼ばれ繁栄しました。
今もベルギー有数の工業都市で、同時に大学も多くあり、アカデミックな都市となっています。

ベルギーの行政区分は、①ブリュッセル首都地域政府 ②フランダース政府 ③ワロン地域政府 の3つの地域政府に分かれています。
これの区分は、一つは公用語の言語区分となっています。
フランダース政府、ブリュッセル首都では、オランダ語   ワロン政府は、フランス語  但し都市部は英語が通じます。

         
           聖バーフ教会                    サン・バブォン広場に面した鐘楼

「ゲント」は、青い鳥の作者メーテルリンクの故郷で、スヘルド川とリース川の合流点にあり、ケルト語で合流点で「ゲント」という意味だそうです。
「ゲント」というのは、英語、ドイツ語読みで、オランダ語読みでは「ヘント」というようです。

  
   市庁舎 (1302年に建設)            市内には、路面電車(トラム)が・・・

今回の旅行での、ここの目的は、聖バーフ教会の中にあるファンアイク兄弟の作品「神秘の子羊」を見ることで、この絵は1432年制作された板絵の多翼祭壇画です。

           

  翼(パネル)を広げた状態の「神秘の子羊」  大きさ タテ 375cm ヨコ 520cm
    
聖母マリアと洗礼者ヨハネにはさまれて、イエス・キリストが、そしてその左右には、    
                 アダムとイブが描かれています                         

   
  翼(パネル)を閉じた状態       
          左右の赤い服を着た夫婦が、この作品の制作依頼者(パトロン)だそうです。

ここは、撮影禁止となっています。(上記は、ウエブから転載しました)
周りには、座り込んで、長い間、絵画と向き合っている人がたくさんおられました。

中世に描かれたものとは思えない程、色鮮やかで、繊細でリアルな描写です。

  

今日の予定は、ここゲントを後にして、昼食は、日本料理店「やぐら」で久しぶりの日本食「幕の内」を堪能して、ブリュッセルに向かいました。
ここでは、ブリュッセル市内観光のあと王立古典美術館でルーベンスなどのフランドル絵画を中心に見学する予定です。
この様子は、次回に・・・・・・


ベルギー、またまた「ブルージュ」 ⑪

2011年06月07日 09時45分23秒 | オランダ・ベルギー旅行

5日目、午前中、旧市街「ブリージュ」の主なところを見学し、午後からは自由時間です。

旧市街の狭い道路を、迷子にならないよう地図を見ながら、ウロウロ・・・・

再び、マルクト広場に出ると、どこともなく吹奏楽隊のパレードが・・・・・
何のパレードなのか分からないまま、見学しました。
どうやら警察の行進らしいと思いますが、何時も行われているのか、緊急に行われたのか分かりませんが、この瞬間に出会え幸運な気持ちになりました。

その様子を動画でどうぞ・・・・・

 

  (注) 動画の表題にブルクト広場と表示していますが、マルクト広場の間違いです。
      同じような広場が多くありますので、間違いました。 

オランダ・ベルギーは、歴史的にも密着な関係がありますが、お国事情は同じようなものが多くあります。
が又違うのも、ありますが、それは後日に・・・・

別に法律や条例で決まっている訳ではないのですが、暗黙の了解となっていることで、この両国独特のもので、他国では到底まねが出来ないと思われます。

その法律とは、洗濯物を外から見えるところに干してはいけないということだそうです。
その為か、街から洗濯物がなく、スッキリとした光景です。

住宅街で、布団をほしている家があれば、そこは日本人が住んでいるということだそうです。

では、どこに干すのかと言いますと、旧市街の独特の屋根にギザギザがある建物がおもちゃの家のように並んでいますが、そのどの家にも、中庭があるそうです。
洗濯物は、その中庭に干すため、外から見えず、外観を奇麗にしています。

 
 
この落書きは、どこの国にもあります。       ブル-ジュの飲み屋街・・・・

それと、日本のように広告看板があまりありません。
これも、別に法的(条例)決まっていないところもあるのですが、街の暗黙の了解として、どぎついイルミネーションも、看板広告も見当たりません。
但し、薬屋さんは、絶対緑十字の広告を出さなくてはならないということです。

オランダやベルギーでは、薬は、医者が出しません。
最近、日本でも調剤薬局制度を取っている医院や病院が増えていますが、ここは徹底しているそうで、そのかわり夜中でも薬を出してくれるそうです。

古い街並みを、何時までも、古いままに残しておこうとする考えが、国民全部に行き渡っているようです。

それでも、旅行を終わって、同じような両国でしたが、全く違う一面もありました。
それは後日に・・・・・

 


ベルギー,世界遺産の旧市街 「ブルージュ」 ⑩

2011年06月02日 09時23分21秒 | オランダ・ベルギー旅行

4日目の「グレラー・ミューラー美術館」を後にして、ベルギーに入り、ベルギー屈指の美しい水の都「ブルージュ」に向かいその日は、そこで一泊しました。

5日目、世界遺産の旧市街「ブリージュ」市内見学、運河めぐりをしました。

13~14世紀にかけてハンザ同盟の主要都市として栄えたが、その後運河の沈泥で商船の出入りが出来ず、街の繁栄はストップしました。
そのまま取り残されたこの街は、世界遺産として、昔のままの姿を残しています。

この旧市街地は、昔の運河が縦横に走り、マルクト広場を中心に多くの教会、博物館などがあります。

  
  マルクト広場のシンボル「鐘楼」を望む           広場に面して市庁舎

   
     鐘楼                   かっては、ギルドハウスでしたが、今はレストラン、
                           土産物屋、カフエ、それに銀行などが入っています。

  
   広場には、観光客用の馬車が・・・・            広場にあるポテトチップ屋 小で2.8€

 
              マルクト広場の一部分      

  
     運河で市内見学を・・・・

 

 
        ブルージュ運河           

   
    ペギン会修道院         修道院内にある白大理石のミケランジエロ作「聖母子像」

 もっと沢山のブルージュの写真は、下記・・・・


オランダ、「クレラー・ミューラー美術館」 ⑨

2011年05月30日 20時09分47秒 | オランダ・ベルギー旅行

三日目、「マウリッツハイス美術館」でフェルメールを堪能し、その日の夕食は、ミシュラン星付きのレストランで夕食を頂きました。
今回の旅行の三つの目的の内一つは、グルメです。

オランダには、オランダ料理というのはありません。
近隣諸国のフランス、イタリア、ドイツ、それに北欧の国々の料理が混同しています。
あえて言うのなら、ジャガイモとチーズ、チョコレートが特徴なのだそうです。
総じて、イギリスと匹敵するぐらい、オランダの料理はまずいという説です。

それでも、ミシュラン星の店があり、それなりに、特徴を出しているのだそうです。
旅行を出発する前から、昼、夜は、グルメを楽しむことが出来ますが、朝は、完全なアメリカのバイキング様式と言われていました。

  

朝は、オランダもベルギーのどこのホテルもほとんど同じものしか出ません。
コーヒーか紅茶、パンとベーコンとソーセージ、それに卵と数種の果物だけで、野菜類はたまに玉ねぎのスライスが出る程度です。

さて、翌日旅行4日目は、デ・ホーヘ・フエルウェ国立公園にあるクレラー・ミューラー美術館に行きました。
オランダ最大といわれるこの国立公園の自然の中にある美術館は、有数のゴッホコレクションの他19世紀から20世紀にかけての絵画や彫刻が収められています。

  
    ゴッホ34歳の時の自画像 (1887年)        夜のカフエテラス (1888年)

      
   糸杉と星の見える道 (1890年)        アルルのはね橋 (1888年)

  
  種をまく人 (1888年)            種の出来た四本のひまわり (1887年)

絵画全体が渦巻き、揺れ動いていて、ゴッホの不安定な精神状態が現れている作品が多いです。
     

ここは、元は個人のコレクションであったものが、周辺の森とともに国に寄贈されたものだそうです。
特に、ここにあるゴッホの作品は279点以上あるそうで、誰もが一度は目にしたものが多くあります。

 ここは、フラシュなしで撮影OKでした。


オランダ、ハーグ、「マウリッツハイツ美術館」 ⑧

2011年05月29日 12時18分13秒 | オランダ・ベルギー旅行

今回の旅行の目的の一つ、フェルメールの代表作である「真珠の耳飾りの少女」を見ることです。

「マウリッツハイツ美術館」は、「アムステルダム国立博物館」とならぶオランダを代表する美術館です。

      
      オランダの国会議事堂のある建物                国会議事堂の中庭

この美術館は、オランダの国会議事堂の傍にあり、国会議事堂の中を通ってゆきます。
帰りに、国会議事堂でイタリアの首相が車に乗ろうとしているところに遭遇しました。
お付きの人らしき人が3人程いてるだけで、軽く笑顔で手を振って、車にゆっくりと乗られました。
勿論、我々は、その人が首相であるとは知りませんでしたが、ガイドさんが、良くご存じでした。

周りには、日本人の一行数人だけだったのですが、SPもおらず、気さくに近寄って手を振ったのには、少々驚きました。

さて、今回の目的の美術館の建物は、17世紀、当時オランダ領ブラジル総領事邸宅だったそうで、荘厳でかつ美しい建物でした。

   
   マウリッツハイツ美術館                        美術館の壁に・・・

作品数は決して多くはありませんが、何といっても、フェルメールの「真珠の首飾りの少女」が有名です。

少女が誰かに気付いて振り返った一瞬をとらえようとしたもので、不思議なことに、この絵をどこから見ても、少女が、見ている人を振り返ったかのように見えるのが不思議でなりません。

      
      フエルメールの「真珠の首飾りの少女」   「デルフトの眺望」

「青いバータンの少女」とも「オランダのモナ・リザ」とも呼ばれています。
この少女は誰なのか? 誰かに注文を受けて描かれた肖像画なのか?不明ですが、最近、有力視されているのが、フェルメールの娘の一人マリアではないかという説です。

この絵で最も有名な逸話として、1881年にハーグのオークションで2ギルダー30セント(約3000円)で売買され、この美術館に寄贈されたものだそうです。
ちなみに、最近の価格は、100億円とも150億円ともいわれています。

フェルメールの作品で「デルフトの眺望」という作品は、世界で一番美しい風景画と言われています。
この作品は、手前の街に影をとり、後景に光をあてた光彩描写され、構図も実際とかえて塔や門の配置を変えてあります。

(注) この美術館もが多分にもれず、撮影が禁止です。 
    ブログでの絵画の写真は、ウエブから転載いたしました。