鉄道は、しばしば小説に登場し、大きな役割をしている場合があります。
推理小説にも鉄道はトリックの大きな要素となっています。
昨年、映画にもなりました「阪急電車 片道15分の奇跡」まだ記憶が新しいです。
毎日乗っていると、沿線の様子などで、どこを走っているのかが分かってきますが、それを「風が違う」と表現したエッセイがあります。
これは、風土と沿線文化についての考察した文章です。
この文章を書いた筆者は、精神医学者の中井久夫氏でタイトルは「阪神間の文化と須賀敦子」です。
須賀敦子は、1929年(昭和4年)に芦屋で生まれ、6歳の時に阪急神戸線の夙川に転居しました。
8歳の時に、父の転勤により東京に移っているので、この辺りの空気を吸っていたのは、ホンわずかでした。
その彼女が「風が違うのよ」と言ったのには、どのようなことだったのでしょうか?
昭和初期の頃の阪急電車 900形 現在、神戸線の最新車両 9000形
900形は1930年に製作され、現在に至る阪急の車両設計の基礎となった車両
その風が違うのはどのあたりなのでしょうか?
梅田を出た阪急神戸線の電車が西宮北口をこえて夙川に近づく、そのあたりだそうです。
「電車の窓をすとんとおとして ふんだんに風を入れる五月初めならば、当時日本全国をおおっていた、あのひりつくような匂いがかき消え、代わって、松の樹脂の香りと花の匂いと風化花崗岩の湿り気とかすかな海の塩とを交えた爽やかな風がどっと車内に満ちた」・・・・・・
これは、昭和初期の話で、今は香りや匂いは弱くなったのですが、地形や地質自体は少しも変わっていません。
阪急 夙川駅 駅からも桜が・・・・・ 春が待たれます・・・夙川の桜
この阪急神戸線沿線は、並行して走る東海道線や阪神本線とは異なる独自の文化圏となっているということからなのでしょう。
そこには、「阪急電車は、以来今日まで基本的なデザインも外見をも変えず、車体のマルーン(栗)色も車内の白い天井も、木目を写した明茶色の側壁も・・・・・」と注釈を書いています。
当時、阪神間の文化は、阪急神戸線の文化という意識が強く、車体が変わらないのは、沿線住民の文化に対する意識がそこに反映されてきたからでもあったと言われています。
この項は、原武史著「鉄学概論」を参考にさせていただきました。