当初、東北旅行を計画した時(8月ごろ)には、10月の中頃は、紅葉が奇麗だろうという期待感がありました。
その反面、今年の夏の暑さが厳しく、紅葉はもっと遅れるのではという悲観的な思いもありました。
しかし、10月下旬から11月にかけては、個展や展覧会の出展が予定されていましたので、10月上旬になりました。
と言うことで、紅葉はありません。
四日目は、八甲田山の中腹、城ケ倉大橋に向かいました。
弘前市内を横切りブナの木が生い茂る八甲田山に近づくに従って、やはり紅葉には、ほど遠い様子です。
城ケ倉大橋は、津軽と南部を結ぶ国道394号の難所を、城ケ倉渓谷をひとまたぎしています。
全長360mで谷底からの高さ122mの上路式アーチ橋で、アーチ支間長さが255mで日本一だそうです。
八甲田山と言えば、日露戦争前の明治35年(1902年)、雪中行軍遭難事件が有名です。冬季訓練中の210名中199名が死亡するという悲劇があった場所で、この山の名前を聞くと、なにか悲壮感が漂います。
下山すると直ぐに、奥入瀬渓流に入ります。
端から端(十和田湖畔子ノ口から焼山)までの14Kmで、十和田八幡平国立公園に属し、国指定の特別名勝及び天然記念物に指定されています。
この渓流沿いは、遊歩道や車道が整備されています。
時間の都合で、石ケ戸から雲井の滝まで、歩くことにしたのですが、時間の都合で滝まで行くことが出来ませんでした。
案内の人の話も聞きたいし、写真も撮りたいということで、何やらどっちつかずで、時間足らずとなってしまいました。
奥入瀬の両岸には屏風岩がそびえ、以前来た時には、印象がありませんでした。
出来ることなら、端から端までじっくりと歩きたいものと、これから何年後かに訪れたいところの一つとなりました。 それも紅葉のきれいな時期に・・・・。
代表的な阿修羅の流れをはじめ、多くの岩を裂く流れとそれと反対に、静かな流れが交互して現れ、それが済むと、多くの滝が現れます。
その名前が、その流れや滝の特徴をとらえるように付けられていました。
奥入瀬渓谷
十和田湖畔の子ノ口には”一万一千百五両”の眺めがあります。
これは、万両の流れ、千両の岩、百両の橋、そして五両の滝を表しているそうです。
その反面、今年の夏の暑さが厳しく、紅葉はもっと遅れるのではという悲観的な思いもありました。
しかし、10月下旬から11月にかけては、個展や展覧会の出展が予定されていましたので、10月上旬になりました。
と言うことで、紅葉はありません。
四日目は、八甲田山の中腹、城ケ倉大橋に向かいました。
弘前市内を横切りブナの木が生い茂る八甲田山に近づくに従って、やはり紅葉には、ほど遠い様子です。
城ケ倉大橋は、津軽と南部を結ぶ国道394号の難所を、城ケ倉渓谷をひとまたぎしています。
全長360mで谷底からの高さ122mの上路式アーチ橋で、アーチ支間長さが255mで日本一だそうです。
八甲田山と言えば、日露戦争前の明治35年(1902年)、雪中行軍遭難事件が有名です。冬季訓練中の210名中199名が死亡するという悲劇があった場所で、この山の名前を聞くと、なにか悲壮感が漂います。
下山すると直ぐに、奥入瀬渓流に入ります。
端から端(十和田湖畔子ノ口から焼山)までの14Kmで、十和田八幡平国立公園に属し、国指定の特別名勝及び天然記念物に指定されています。
この渓流沿いは、遊歩道や車道が整備されています。
時間の都合で、石ケ戸から雲井の滝まで、歩くことにしたのですが、時間の都合で滝まで行くことが出来ませんでした。
案内の人の話も聞きたいし、写真も撮りたいということで、何やらどっちつかずで、時間足らずとなってしまいました。
奥入瀬の両岸には屏風岩がそびえ、以前来た時には、印象がありませんでした。
出来ることなら、端から端までじっくりと歩きたいものと、これから何年後かに訪れたいところの一つとなりました。 それも紅葉のきれいな時期に・・・・。
代表的な阿修羅の流れをはじめ、多くの岩を裂く流れとそれと反対に、静かな流れが交互して現れ、それが済むと、多くの滝が現れます。
その名前が、その流れや滝の特徴をとらえるように付けられていました。
奥入瀬渓谷
十和田湖畔の子ノ口には”一万一千百五両”の眺めがあります。
これは、万両の流れ、千両の岩、百両の橋、そして五両の滝を表しているそうです。