原文
「第二の分別諸乗分に、また五つ有り。(だいいにのふんべつしょじょうぶんに、またいつつあり。
建・絶・相・二・一、是れなり。(こん・ぜつ・そう・に・いつ、これなり
初めに、建といっぱ、所謂、建立如来の三摩地門是れなり。(はじめに、こんといっぱ、いわゆる、こんりゅうにょらいのさんまじもんこれなり。
「色不異空」というより、「亦復如是」に至るまで、是れなり。(「しきふいくう」というより、「や . . . 本文を読む
If every man would sweep his own doorstep the city would soon be clean.
ということわざがあります。「各々が自分の家の前を掃けば町は綺麗になる。」という単純な意味です。
私も道掃除を長年やっていますが此の感をいつも深くします。
一軒一軒の家が自分の前だけでもきれいにすれば町全体が綺麗になるし自分の家も繁盛するのです。
恐ろし . . . 本文を読む
原文「
第一の人法総通分に五有り。(だいいちのにんぽうそうずうぶんにいつつあり。)
因・行・証・入・時、是れなり。( いん・ぎょう・しょう・にゅう・じ、これなり。)
「観自在」といっぱ、能行の人、即ちこの人は、本覚の菩提を因となす。(「かんじざい」といっぱ、のうぎょうのにん、すなわちこのにんな、ほんがくのぼだいをいんとす。)
「深般若」は、能所観の法、即ち是れ行なり。(「じんはんに . . . 本文を読む
神皇正統記にも後醍醐天皇のところで「後宇多の御門こそゆゆしき稽古の君にましまししに、(=後醍醐は)その御跡をばよく継ぎ申させ給へり。あまさへ諸々の道を好みしらせ給ふこと、ありがたき程の御ことなりけんかし。 仏法にも御心ざしふかくて、むねと真言を習はせ給ふ。初めは法皇(=父親)に受け(=指導を)ましましけるが、後に前大僧正禅助(ぜんじよ)に許可(こか)まで受け給ひけるとぞ。天子灌頂の例は唐朝にも見え . . . 本文を読む
・・自分の体は受信機のようなもの、放送局は仏様です。随って受信機の三つの螺子(身口意)がピッタリと合わねば放送が受け取れぬのです。・・大日如来様よりの放送は六根を清浄にして身口意を一つに合わせれば判然受け取れるのであります。・・・
この世の中に矛盾を感じる間は未だ大日如来を本当に拝むことができぬわけで、それはむしろこちらにそれを見るだけの目が開けないからです。・・・
この際(満州事変の後に書か . . . 本文を読む
中秋の名月は旧暦で8月15日のことを言います。
2016年の十五夜(旧暦8月15日)は今日9月15日(木)です。
仏説兎王経佛説兎王經
聞如是。一時佛舍衞祇樹給孤獨園に遊ぶ。
大比丘衆千二百五十人と倶なり。佛諸比丘につげたまふ。「昔兎王あり。山中に遊ぶ。群輩と倶なり。『果蓏を食するに飢え、泉水を飮するに渇しても四等心を行じ、慈悲喜護せよ』諸眷屬に教え、悉く仁和ならしめ、衆惡をなすことなし。畢に . . . 本文を読む
原文「般若心といっぱ、この菩薩に身心(しんじん)等の陀羅尼有り。
この経の真言は、即ち大心呪なり。(このきょうのしんごんな、すなわちだいしんじゅなり)。
この心真言に依って、般若心の名を得。(このしんしんごんによって、はんにゃしんのなをう。)
或るが云く、「大般若経の心要を略出するが故に、心と名づく。是れ別会の説にあらず」と云々。(あるがいわく、「だいはんにゃきょうのしんようを . . . 本文を読む
(先に「仏様を拝むということは「懺悔」「随喜」、「勧請」、「菩提心」、「廻向」の五つからなります」といったが、まずこの「懺悔」とはどういうものかをのべると)
凡そ懺悔に自己的懺悔と大我的懺悔とがあります。自己的懺悔とは世間的な仕事の遂行上に起こる懺悔(道交法違反で捕まった時の懺悔のようなもの)です。
次の大我的懺悔がほんとうの懺悔です。私は世の中を恨んで恨みぬいて死んでやろうと思って10日食べずに . . . 本文を読む
原文「この三摩地門は、仏、鷲峯山に在して、鶖子等の為に之を説きたまえり。(このさんまじもんな、ほとけ、じゅぶせんにいまして、じゅしとうのためにこれをときたまえり。
この経に、数の翻訳あり。
第一に、羅什三蔵の訳、(このきょうに、あまたのほんやくあり。だいいちにらじゅうさんぞうのやく、)今の所説の本、是なり。(いまのしょせつのほん、これなり。)
つぎに、唐の遍覚三蔵の翻( . . . 本文を読む
原文
「「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」といっぱ、この題額に就いて二の別あり(ふたつのべったり)。梵漢(ぼんかん)別なるが故に。
今、「仏説摩訶般若波羅蜜多心経」といっぱ、胡漢(こかん)、雑(まじえ)挙げたり。
「説心経」の三字は、漢名なり、余の九字は胡号(こごう)なり。
もし具(つぶさ)なる梵名ならば、ボダハシャマカハラジャハラミタカリダソタラン(梵字で)と曰うべし。
初め . . . 本文を読む
原文
「或るが問うて云く、『般若は、第二未了の教なり。何ぞ能く三顕の経を呑まん。(はんにゃは、だいにのみりょうのきょうなり。なんぞよくさんけんのきょうをのまん。』
如来の説法は、一字に五乗の義を呑み、一念の三蔵の法を説く。
何に況んや、一部一品、何ぞ匱しく、何ぞ無からん。(いかにいわんや、いちぶいっぽん、なんぞとぼしく、なんぞなからん。)
亀卦・爻蓍、万象を含んで尽くること無 . . . 本文を読む
第3回関東ほか一宮等巡拝のお知らせ
安房一宮 安房神社 、安房一宮論社 洲崎神社(階段150段あり)
日時 平成28年10月2日(日)
集合 JR館山駅 東口 高速バス降り場付近
時間 10時10分
<アクセスご参考>
・JRバス 「房総なのはな号 5号」 東京駅八重洲南口 8:20発
館山駅 10:08着
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原文「余、童を教うるの次でに、聊か綱要を摂って、かの五分を釈す。
よ、どうをおしうるのついでに、いささかこうようをとって、
かのごぶんをしゃくす。
釈家多しと雖も、未だこの幽を釣らず。
しゃくけおおしといえども、いまだこのゆうをつらず。
翻訳の同異、顕密の差別、並びに後に釈するが如し。
ほんやくのどうい、けんみつのしゃべつ、ならび . . . 本文を読む