今日は守覚法親王(注1)が一字金輪法を修された日。
元暦二・文治元年 (1185) 七月九日 大地震 (注2)があり、「七月十日
地震御祈りのため、 院御所 で一字金輪法を修法
(仁和寺御傳)」
地震御祈りのため、 院御所 で一字金輪法を修法
(仁和寺御傳)」
(注1)守覚法親王は後白河天皇の第2皇子。仁和寺門跡。広沢流と小野流を伝授され,両派を統合。通称は北院(喜多院)御室。事相に勝れ「秘鈔」を著す。
(注2)1185年の地震は文治地震といい、壇ノ浦の戦いの約4ヶ月後に発生。『平家物語』や『方丈記』にその記述が見られ、『平家物語』には「この度の地震は、これより後もあるべしとも覚えざりけり、平家の怨霊にて、世のうすべきよし申あへり、」と記されている。