福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

雲伝神道( 和田大円述 小林正盛編)等について・・1

2021-10-23 | 法話

雲伝神道( 和田大円述 小林正盛編)等について・・1
第一章 神道の神髄
雲伝の神道・・・慈雲尊者の神道は世間一般の神道とは大いに相違している点がある。普通の神道家は「神を祀る行事」を神道と心得ているようであるが、我が国の神は、天照大神をはじめ、或いは伊弉諾尊とといひ、或いは高皇産霊尊と称するような方々はみな太古の天皇であって、天皇の道・・・君主そのものの行う処がそのまま神道である。君主が身を治め、心を治め、国を治める道が神道であって・・現在この日本国を治めさせたまふ天皇陛下の御心得がそのまま神道である。幽界のことを司るなどはいはば副業であって、正業ではないのであるが、後世の神道家などはこの方を正業のやうに心得るにいたったのは実に神道の堕落と申しべきである。
古は神道といふやうな名称はなかったので、これが書籍の上に現れたのは日本書紀巻二十一用明天皇紀(「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」)、同二十五孝徳天皇紀(天萬豐日天皇、天豐財重日足姬天皇同母弟也。尊佛法、輕神道斮生國魂社樹之類、是也)等であって「儒道」「仏道」に対して神道といふ名称が現れてきたのである。しこうして神国の道が即ち神道であって、別に神道と称するものに関して成文があったわけではなく、太古にあっては天照大神やその他の神々が行われたところ、言われたところが後世から考へてみて教訓になるといふ點からして、次第に神道といふ風に生い立ってきたのであって、別に制規や成文がはじめからあったのではない。ここに儒を籍りて言ふと、修身斉家治国平天下の大道であり、君主の理想である。幽冥界のことは太古に在ってはまったく大已貴命の司るところであって、神道・・・君主の道ではなかったのである。
天照大神の御子・正哉吾勝々速日天忍穂耳尊が高皇産霊尊の御女・栲幡千千姫(たくはたちぢひめ)を娶って天津彦々火瓊瓊杵尊がおうまれになった。高皇産霊尊は御孫の瓊瓊杵尊を特に御鐘愛になって、是非葦原の中國を支配せしめたいと思し召されたので、当時の葦原の中國の支配者であった大已貴神に使者を送って交渉せしめられたがなかなか埒があかなかった。最後に武甕槌神(たけみかずちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)とを使わして強硬に談判させて終に大已貴神をしてこの国土を献ぜしめ、皇孫瓊瓊杵尊は天の八重雲を排分け稜威の道別に道別て(いずのちわけにちわけて)日向の襲の高千穂の嶺に天下りましまして豊葦原中國をお治めになり、大已貴神は隠退して幽冥界の主権者となった(日本書紀・神代巻)。
而であるから、この神道の行ふ所は大已貴神の担当せらるる幽冥界ではなくて顕界(うつしよ)・・愛欲世界のことである。この現在世界において行わるる天子の道がすなわち神道であって亦雲伝神道の主眼として立脚点とするところである。従って現今世にふ神道とは大いに相違していることを思わねばならぬ。
 高皇産霊尊は武甕槌神(たけみかずちのかみ)と経津主神(ふつぬしのかみ)を葦原の中圀に遣はして、大已貴神に勅して曰ふよう『汝が治すところの顕露のことはよろしく吾孫(すめすま、瓊瓊杵尊)に「汝が治(しろ)す所の顕露(あらはに)のことはよろしく是れ吾孫(すめみま)が治すであらう。汝はよろしく神のことを治すがよい。・・大已貴神がこれに答へて申し上げた「まことにありがたい神勅であります。うやうやしく仰せにしたがひましょう。どうか私の治めておる顕露(うつしよ)のことは皇孫これを治めたまへ。私はこれから引退して幽れたることを治めるでございましょう。」(神代の下巻「一書(あるふみ)曰 天神(あまつかみ)遣(つかはす)經津主神(ふつぬしのかみ) 武甕槌神(たけみかづちのかみ) 使平定(しづむ)葦原中國(あしはらのなかつくに) 時二(ふたはしら)神曰 天(あめ)有惡(あし)神 名曰天津甕星(あまつみかほし) 亦名天香香背男(あまのかかせを) 請先誅(つみなふ)此神 然後下撥(はらふ)葦原中國 是時 齋主(いはひ)神號(まうす)齋(いはひ)之大人(うし) 此神今在(ます)于東國(あづま)楫戈取(かとり)之地(くに)也 既而二神 降到出雲五十田狹(いたさ)之小汀(をはま) 而問大己貴神(おほあなむちのかみ)曰 汝(いまし)將以此國 奉(たてまつる)天神耶以不 對曰 疑(うたがふ) 汝二神 非是吾處來者 故不須許也 於是 經津主神 則還昇報告(かへりごとまうす) 時高皇産靈尊(たかみむすひのみこと) 乃還遣二神 勅(みことのりす)大己貴神曰 今者聞汝所言 深有其理(ことわり) 故更條(をちをち)而勅之 夫汝所治(しらす)顯露(あらは)之事 宜是吾孫(すめみま)治之 汝則可以治神事(かみのこと) 又汝應住天日隅宮(あまのひすみのみや)者 今當供造(つくる) 即以千尋(ちひろ)木土ノ丁繩(たくなは) 結(ゆふ)爲百八十紐(ももむすびあまりやそむすび) 其造宮之制(のり)者 柱則高大(ふとし) 板則廣厚 又將田(みた)供佃(つくる) 又爲汝往來遊海(わたつみ)之具(そなへ) 高橋 浮橋及天鳥船 亦將供造(つくる) 又於天安河(あまのやすかは) 亦造打橋 又供造百八十縫(ももぬひあまりやそぬひ)之白楯(しらたて) 又當主(つかさどる)汝祭祀(まつり)者 天穗日命(あまのほひのみこと)是也 )。」」
尤も神國の道と云ふても時代の変遷推移に伴ふて治国の方法等が変化してゆくのは当然のことであると、慈雲尊者も申された如く、機に従い時に応じてゆくのが正しき智見の人と言ふべきものであって頑迷古陋に堕してはいけない。単に神道といえば神ながらの道であるから古いことのみ云へば可いといふように思ってはならぬ。人により、処により、時により、機に臨み変に応ずるだけの明智を備へなければならない。
中古に至ってある神道家が、神道とは「質素・正直」そのものであると称したり、或いは山崎闇斎(垂加翁)が、神道とは「金と土との道」である(「我が神道の宗源は土と金にある。(略)天地の間において土の徳があつまってまんなかに位置すると(略)この徳によっていろいろのものが生れる。/夫れ我が神道の宗源は土・金に在り。(略)天地の間、土徳の翕聚して中に位するや(略)百物此れに由りて生まる。(垂加翁神説)」と唱へたり、或いは「敬」の一字に収まるなどと説くのは何れも枝末の問題であって、神道の全貌を説明しえざる甚だしい僻見といふべきである。
凡そ「事」のあるところには必ず「理」があり、必ず備はり、「理」のあるところには「事」が必ず具はる。事理二用兼備して古今に通じ四方に渉り、万古不変の真理が神國の常道であり、神道である。しかし具眼の士でなければ是の万古不変の神道も猫に小判、馬の耳に念仏同様、無価値のものとなってしまふのであるから、吾人はまず心眼を瞭かにして是の神道を究めなければならぬ。高皇産霊や天照大神の話は・・句句の教えで断片的ではあるが天津御教である。・・我々は、断片的な句句のお言葉に目を開かなければならぬ。・・・

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