民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

丸投げの政治を望んだのか

2016-12-15 09:33:44 | 政治

与党に絶対多数を与えるとどうなるか、しっかり見せつけられた1年の締めくくりである。ことにひどいカジノ法案。目先の投資先、それも国民から外国の投資企業が富をむしり取るという博打を、ほとんど審議しないまま認めて、将来のつけの責任は誰がとるというのだろうか。今から何年か先、議員を引退した自民党元議員に「なぜ賛成したのか」と問えば、あの時はみんな賛成して反対できる雰囲気ではなかったというだろう。いつだってそうなのだ。この国の指導的立場にいて、将来にわたってビジョンを作り責任を負わなければならないやつらは、最後に問い詰められれば仕方なかったとか、自分は決定する立場にいなかったと答えるのだ。年金は抜本改革もなく、減らせば何とかなるという場当たり的対応をし、切り捨てて平然としている沖縄では、オスプレイが墜落している。日銀の量的緩和策は行き詰まり、アメリカの利上げに対応する政策はもうない。

何でも政府の決めたようになるのだから、国会で議論する意味などほとんどないと与党は感じていることだろう。聞く耳を持たないから、自民党議員の口調は日々ぞんざいなものになる。何という世の中だろう。品位というものが失われてしまった。戦争に向かっていた昭和のはじめころもこんなふうだったのだろうか。当時は政党ではなく軍部のいいなりに政治は動き、政策失敗の責任をあいまいにするために、次々と新しい局面を開いていった。その挙句が全面戦争となったのだが。安部政権の政策の失敗をロシアとの経済協力という幻想で糊塗し、あたかも大きな成果をあげたかの宣伝をして選挙になだれ込んでいく作戦なのだろうか。もっと将来を見据え、国民に真実を伝え、正しい選択を迫るような政治家はいないのだろうか。目先の利益と名声、故郷に錦を飾ること、そんなことに踊らされている国民が、もっと賢くならなければならないのだが。


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