民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

家族とは何か

2015-08-14 08:21:15 | その他

盆になりました。先祖供養のときですが、今はむしろ先祖は遠いものとなり家族関係の再確認の時だといっていいでしょう。それで、家族のことを書きます。

母は特別養護老人ホームに入れていただくことができまして、そこで暮らしています。申し込みをしてから何年も待つという話ですが、1年ばかりで入所できました。いろいろな好条件が重なったとは思いますが、自分と母の関係がよくないことが好条件の大きな一つになっていただろうと思います。可能な限り週に1回は様子を見に行き、昨日は盆なので1日帰宅させて面倒をみました。これは産んでもらったことに対する義務だと思っています。できれば顔を合わせたくないというのが本当の気持ちです。若い時から、帰宅するたびに不快な思いとなり、2度と会いたくないと思っては家を後にしました。親離れができないことの裏返しの気持ちなのかと思っていましたが、だんだんそうではないことが、年をとるにしたがってわかってきました。わかってきたのは自分の側だけで、母はわかっていないと思います。原因は、母のアスペルガーないしはアスペルガー的傾向性にあり、それは少なからず自分にも受け継がれてきているものと思われます。

自分が幼いころから、母の口癖は父と結婚して大家族とくらして(わずか1年余りにすぎないのに)、いかに自分がいじめられて苦労したか。そして、一切の財産、茶碗一つ分けてもらえず分家したこと。まわりの人々がいかに冷たかったか、どれだけ自分が苦労したか。自分ほど苦労した者はいない。ということでした。繰り返しこうした話を聞かされた父はよく耐えたと思います。幼かった自分は、母の苦労を思って相手を憎んだものでした。ところが、成長するにしたがって段々おかしいことがわかってきました。誰でも一通りの苦労をして生きてきています。苦労の種類は違っても、一生楽したなんて人はいないはずです。また、いじわるな人ばかりいたようにいいますが、時にはいじわるなことがあっても、人はそればかりではないはずです。陰に回っては悪口をいう人は、良く言われるはずがありません。母にとって家族の多い婚家での生活になじめなかったのは事実でしょう。そこまでは誰もが体験したことですが、おそらく母は多くの人間関係の中での関係の構築、つまりは相手の思っていることが推し量れなかったのだと思います。それは今もそうなのですが。そして、このことを言ってしまえば相手がどれだけ傷つくかということがわからず、不用意に思ったことをそのまま口にしてしまった。そして今も。あからさまにこのことを母にいったことがあります。あなたは自分に都合のいいことだけで、相手の気持ちを考えないと。まったくこのことはわかってもらえず、息子に怒られたといういやな思いを残しただけでした。

人の悪口なんかいうもんじゃない、といってきかせる傍から悪口をいいます。認知症らしくなってから、性格の悪い面が余計に表面に出てきてしまったように思います。恐ろしいことに、こうした精神構造は息子である自分に受け継がれているのでしょう。介護保険制度に感謝しています。それがなくて、どうしても肉親が面倒をみなくてはならないとされていたら、この親子関係は最悪の状態になっていたと思います。家族とは恐ろしいものです。


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