民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

アウシュビッツを考える

2015-08-03 09:08:18 | 歴史

浅間温泉の神宮寺の高橋住職は、盆の供養をやめて「いのちの伝承」と題して、もっと広く大きく亡くなった人々の魂の救済をしています。今年は、丸木美術館から「アウシュビッツの図」を借りて展示し、アウシュビッツにある国際青少年交流の家教育プログラム部門副代表のユデット・ヘーネさんを招いて、高橋さんとの対談をしました。その対談を聞きながらおもったことを書きます。

会場は神宮寺のアバロホールです。観音堂であり、普段は葬式が行われる場所ですが、ステージ上に巨大な「アウシュビッツの図」が展示され、その前に高橋さん・ヘーネさん・通訳を務める赤木さんが座ります。3時からでしたが、ほぼ満席どんどん人が集まりあいている所には椅子が並べられ余地はなくなりました。200人はいます。空調がきいているので、涼しすぎるくらいです。お寺のホールとは思えません。で対談が始まりましたが、痛感したのは通訳を介しての対談、それも専門の通訳ではなく日独の2世で今はドイツに住んでいる方でしたが、日本語の専門用語、ボキャブラリーに苦労されていて、話をつなげながら聞く方も苦労でした。ヘーネさんはドイツ国籍ですが、ポーランドのアウシュビッツの近くにあるNGOの事務所で、全世界から集まる青少年のアウシュビッツに関する教育プログラムの実践に従事している方でした。事前にチラシを読み込んでいかなかったので、それを理解するまでに苦労しました。高橋さんから、講師の長めの紹介があったほうが話はスムースに進んだと感じました。ドイツにとってアウシュビッツは本当なら忘れたい記憶ですが、それを長く記憶にとどめ青少年に伝えるための努力を続けていることが、何よりこの国と違うところです。それで、ヘーネさんの心情などを聞きながら考えたのは、アウシュビッツと広島をダブらせながら語ることは、日本人にとっては誠に心地よいものです。なぜなら、アウシュビッツは遠い国の出来事で、そんな非人間的なことは絶対ゆるせないと何の制約もなくいえますし、広島は我々はひどい目にあったから、あのような殺戮兵器は唯一の被爆国として許せません、ともいえます。(将来の核武装や核の傘の下にいると感じている政治家にはいえない人もいますが)ところが、ドイツ人のヘーネさんが、アウシュビッツの近くに移り住んで青少年にアウシュビッツのことを教えるのは、例えていうならば私が南京に移り住んで、戦争博物館で青少年に日本軍の蛮行について教えるプログラムに従事するようなものです。アウシュビッツを語る時は自分をユダヤ人に重ね、広島では被爆者に重ね、東京大空襲では被災者に重ね、ということを繰り返していけば、いつまでたっても犯されて殺された中国の女性や、日本兵として死ななければならず何の保証も与えられていない韓国・朝鮮の人々、サハリンに置き去りにされた韓国・朝鮮の人々などは視野にはいってこないのです。その死を悼まなければならないのは、戦争で死んだ祖先ばかりではなく、理不尽にも日本人によって生命をたたれたアジアの多くの人々です。今日の話で、ドイツがまず隣国と始めたのは、謝罪からだったといいます。どんなすばらしいことをいっても、根っこに本当の謝罪の気持ちがなければ、相手にはうけいれてもらえないというのです。

教室で子どもたちにイジメの話をするとき、よくいったのは、なぐった方はそのことをすぐ忘れてしまうが、殴られた方は決して忘れない、ということでした。だから、真剣に謝らなくては許してもらえないのだと。規模は違いますが、国と国のつきあいも誠実さが基本だと思うのです。


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