民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

クロといたころ 3

2005-08-23 10:42:48 | 教育
 2年になってクラス替えをしたが、1学期にY君が自ら命を絶った。家庭的なことといって、原因は全く知らされなかった。僕たちはこの事をどう自分の中に位置付け整理したらよいのか、宙ぶらりんのまま2学期を迎えた。文化祭も近づいたある日、1棟の屋上の一番東側から、実行委員長のM先輩が宙にとんだ。自分の思うように文化祭が盛り上がっていかないことに悩んだ末だという。そして、3年時だったか、卒業生が静岡方面の旅館で自殺したという事件が確かあった。世の中ではうちゲバとかいって、若者が結構命をたっていた。
 クロは、担任となった筑邨さんの後をついて、現国の時間に教室にきた。授業中クロがどうしていたかは記憶に無い。そういえば、現国の時間にこんなことがあった。前後の関係は忘れたが、筑邨さんが「秋刀魚はどんな味がするか」と質問し、列の前から順に答えた。自分がどう答えたかは忘れたが、後ろに座った女子生徒のTさんが、「秋刀魚は苦い」ときっぱりと答えた。この答えに不満だった筑邨が、苦いわけがないと否定すると、Tさんは泣かんばかりに、「絶対に秋刀魚は苦い」といいきった。僕は、何もこんなことで対立することないのに、とぼんやり考えていた。このTさんは、今ではNY在住の現代音楽の作曲家となっている。自分の感性にこだわったのもむべなるかなと、今にして思う。
 卒業したとしに、都立大に進んだ友人が、体育の授業中の事故で亡くなった。いよいよ死神は、自分たちの身近に及んできたかと思わされた。同じクラブの仲間で追悼文集を編んだが、この年には先輩も2人亡くなった。1人は鉄道に飛び込み、1人は持病の心臓マヒだった。そして翌年、クラブの部長だった友人がバイクの事故でなくなった。彼にも追悼文集を編んだ。僕は大学2年になっていたが、皆、死にほとほと疲れていた。次は自分かと、みんな考えていた。
 メルヘンのような高校生なんているわけがない。それでもクロはいた。

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