民俗断想

民俗学を中心に、学校教育や社会問題について論評します。

敗戦記念日に

2005-08-15 10:30:06 | 政治
 一般には終戦記念日と呼んでいるが、私は敗戦にこだわりたい。日本は戦争に負けたのであり、そこから目をそむけたら何も始らない。敗戦60年という節目にあたり、戦争に関する番組がいくつも放映されている。戦争の風化を防ぐために、それは決して悪いことではない。ところが、その内容をみると大部分というか全て、被害に焦点を当てたものである。あの戦争では、庶民はこんなにひどいめにあったのだ、という主張である。日本の軍隊はこんなにひどいことをしたのだ、という番組はない。被害の経験はいつまでも語り継がれるが、加害の経験は忘れられていく。自国の対応がそうなのに、侵略し多大な被害を与えた近隣諸国には、どうしていつまでも過ぎた戦争にこだわるのか、もっと未来志向で行きましょうと、被害の経験を忘れることを期待する。この国際感覚以前の、人権感覚のなさの甚だしい、恥ずかしい日本人の私も一員である。
 先の戦争当時、親は子をどんな気持ちで送り出したことだろう。もはや、自らが戦地に赴くというより、子を送り出す歳になってしまった今、そんなことを考える。長男は、敗戦記念日の今日、戦勝国で今現在戦時下のアメリカに向けて、留学に旅立った。現在のアメリカに送るでさえ、こんなにも心配なのだから、戦争に送り出すとは胸もつぶれる思いだったはずである。大事に育てた子どもを、戦争などにとられたらたまらない。

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