ネルソン・フレーレ(Nelson Freiré/1944~ )はブラジル出身の名ピアニストである。筆者が学生時代(1970年代)のころは国内ではネルソン・フレーアと表記されるのが一般的だった。今日紹介する写真のLPもその表記になっている。
このレコードの初出の当時(1970年)はそれほど話題にのぼらなかったと記憶しているが、この録音、ピアニスト、フレーレ(当時24歳)のデビュー録音と共にケンペ/ミュンヘン・フィル、コンビのCBSとの初レコーディングの1枚であった。ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe/1910~1976)は1967年から亡くなる76年までこのミュンヘン・フィルの音楽監督のほかイギリスのロイヤル・フィルの首席指揮者(1961~63、1966~75)も兼任していた。来日は結局果たせなかったが筆者は彼の指揮する演奏を生で聴きたく1973年3月ロンドンでロイヤル・フィルを指揮する彼に接することができた。この辺りについては昨年11月10日のブログ「想い出の演奏会」でふれているのでそちらもぜひご参照いただきたい。
さて本題に戻りこの演奏、改めて聴き直しみたところフレーレとケンペの息があった素晴らしい演奏を展開している。チャイコフスキー第1番の協奏曲は言うに及ばず第2面のグリーグがことさら見事な演奏で感心した。フレーレ自身も当時最も気の合う指揮者は「ルドルフ・ケンペ」と語っていたと伝えられている。そのフレーレも今年65歳、これからもその円熟した演奏が期待できるピアニストの一人であり今後の新録音にも期待したい。
因みにフレーレは同時期(1968年)に同コンビでシューマンのピアノ協奏曲イ短調作品54、リスト「死の舞踏」もレコーディングしている。(写真は1972年にCBS・ソニーから「BEST Classics 100として再プレスされたSOCL92)
このレコードの初出の当時(1970年)はそれほど話題にのぼらなかったと記憶しているが、この録音、ピアニスト、フレーレ(当時24歳)のデビュー録音と共にケンペ/ミュンヘン・フィル、コンビのCBSとの初レコーディングの1枚であった。ルドルフ・ケンペ(Rudolf Kempe/1910~1976)は1967年から亡くなる76年までこのミュンヘン・フィルの音楽監督のほかイギリスのロイヤル・フィルの首席指揮者(1961~63、1966~75)も兼任していた。来日は結局果たせなかったが筆者は彼の指揮する演奏を生で聴きたく1973年3月ロンドンでロイヤル・フィルを指揮する彼に接することができた。この辺りについては昨年11月10日のブログ「想い出の演奏会」でふれているのでそちらもぜひご参照いただきたい。
さて本題に戻りこの演奏、改めて聴き直しみたところフレーレとケンペの息があった素晴らしい演奏を展開している。チャイコフスキー第1番の協奏曲は言うに及ばず第2面のグリーグがことさら見事な演奏で感心した。フレーレ自身も当時最も気の合う指揮者は「ルドルフ・ケンペ」と語っていたと伝えられている。そのフレーレも今年65歳、これからもその円熟した演奏が期待できるピアニストの一人であり今後の新録音にも期待したい。
因みにフレーレは同時期(1968年)に同コンビでシューマンのピアノ協奏曲イ短調作品54、リスト「死の舞踏」もレコーディングしている。(写真は1972年にCBS・ソニーから「BEST Classics 100として再プレスされたSOCL92)
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