教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

中教審部会の学力低下対策

2006-02-11 13:16:43 | パラダイム
読売新聞(2月9日0時14分更新)
によると
中教審部会は、

≪小・中学校で「国語」と「算数・数学」、
「理科」の授業時間増を求める
審議経過報告書案をまとめた≫

ようだ。

一昨年12月に公表された国際学力調査結果で、
日本の子どもたちの学力低下が判明したことを受けた措置。

だが、一年間も、結局同じことを言ってきたのか。

その間に、学力に対する論議は
市民や最前線では深まっているというのに。

PISAの報告を受けた当時の
印象をそのまま引きずっているとは
さすが官僚主義。

「国語」と「理数」が
重視されるのはよい。

しかし、

≪報告書案は、国語を「すべての教科の基本」、
理数教育を「科学技術の土台」と位置付け≫
時間増という政策をとるようだが、

ここには社会に貢献する知性という考え方が
抜けている。自己を創るのに重要だという
見識が見られない。

≪国語では、子どもが古典や名作に触れ、
日本の言語文化に親しんだり、
自分の考えを用紙1枚程度に表現する力を
身につけさせたりすることが不可欠と指摘≫

もちろんそうだが、言語の多様な働き
とアイデンティティの相関について
研究を進めなければならないだろう。

≪理数教育では、小数や分数の意味、
エネルギーの概念などを実生活と
関連付けて理解させることが重要≫と
訴えられているようだが、

それが世界平和につながるのは
なぜか文部科学省は
回答できるのだろうか。

数学がハイデガーと
どんな関係になっているのだろうか。
文部科学省はそれについて回答できなければ
世界平和は創出できない。

理念なき教育は
倫理なき経済を
生み出す。

しかし倫理は
人間関係にあるのではない。

人間関数という存在と
人間との関係にあるのだ。

人間関係にのみ倫理を
求めると
それはファシズムになる。

存在と人間との関係に倫理は
ある。そのうえで人間関係は
倫理から解き放たれる。

そこに自由はあり、
市場経済は成り立つ。

市場経済というリアルな場所に
倫理はいらない。
ただし、存在と人間との関係に
倫理がないとき、
その市場はもはや市場ではない。

何を言っているのかわからない
と感じたら
そう感じている自分が
世界に無関心であることに
気付くだろう。

世界に無関心でありながら
自分には関心があるように
生きている人々は
自分の存在に無関心なのである。

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