教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

学びの変化が学校を変える

2005-11-30 08:23:43 | グローバリゼーション
子供たちが学ぶというと
戦後50年間は
学校がその場所だった。

しかし、IT、インターネットが
普及する21世紀は、

金融サービスに顕著に表れているように
場所を選ばない。

大事なのはスペース。場所から空間へ。

学校はリアルな場所で、
インターネット内はバーチャルだという
二元論は、通俗的で、
この考え方でいくと学びは何も変わらないし、
学校も変わらない。

しかし、どうやらリアルの対義語はあくまでサイバー。
リアルであれ、サイバーであれ、
場所として捉えている間は、何も変わらない。
リアルもサイバーもスペースであって、
その意味ではバーチャルなのだと捉えるように
なると、すべてが一変する。

クリエイティブになるのである。

今聖光学院がその変化に挑戦している。
工藤校長先生が
もし、聖光から「進学」というものをとった
としたら、何が残るでしょう。
それは「クリエイティブ・スクール」ですと
説明会で語っている。

もちろん「進学」をやめることはない。
「進学」の背景にある目に見えないものを
露にするために、もし~がなかったらという
発想を使ったのだが、

この発想自体実に創造的である。

あらゆる知識は、その始まりは
創造的だったはずである。

知識を場所から空間に開放してみよう。
再び創造性が生まれてくるはずだ。

場所としての学びは学校を超えられない。
校外学習などというのは場所を変えて
超えようとすることだが、
今度はそれが学校に帰ってきたときに
つながらない。

しかし、空間としての学びは
学校を拠点に、いつも学校を超えることが
できる。

このような視点で、
学びを捉えている学校は、聖光以外に
挙げろと言われれば、
すぐに思いつくのは、
たとえば
開成、麻布、
洗足学園
鴎友学園女子、
武相学園、
横浜女学院、
聖徳学園
自修館だろう。

スペースとしての学びという
視点で学校や塾を
見てみると、
これはまたおもしろい。

NTS教育研究所にアクセス急増の1日

2005-11-29 02:40:38 | グローバリゼーション
仏国立行政学院、60年目の憂鬱 エリート養成に批判と皮肉
という記事がYahoo Newsに
流れるや、

1日3500人から4000人訪問するNTS教育研究所の
訪問者が
11月28日は
いっぺんに6700人を超えた。

Yahooの記事に触発され、
関連記事である
フランスの高等教育状況 」by田中厚行
に3000人ぐらい殺到したからだ。

この記事は昨年の記事。
NTS教育研究所」は
(1)マスメディアなどのマテリアルから教育情報を収集要約している。
(2)所員のネットワーク、体験からの貴重な情報蓄積
(3)所員の編集した学習プログラムの実践例
(4)教育を超えた社会現象を切り取る所員の視角
(5)未来を創る学校・学習の提言
などの情報で
構成されていて、
更新は毎日であるから生の情報を味わえると同時に
教育や社会の情報を調べることができる
貴重なデータベースにもなっている。

11月はHITsに関しては200万件を越えると予想されるが、
首都圏の私立中高一貫校を中心に、海外の教育や社会現象を射程に
いれているマニアックなサイトの割には
閲覧件数が多い。

21世紀の社会を構築する情報発信サイトとして
少しは社会貢献をしているのではないだろうか。


豊島岡女子学園の特徴

2005-11-27 08:24:41 | 学校選択
豊島岡女子学園」の説明会に立ち寄った。

スーパーモダニズムのエリート校であると確信。

エクセレントスクール
クオリティースクール
エリートスクール
トラディショナルスクール

学校選択指標で分けて
以上のような4つの学校カテゴリーの
仮説を立てているが、(参考→「ホンマノオト2005年9月15日

スコア上はぎりぎりエクセレントスクール
なのが豊島岡女子学園。

しかしやはり実際はエリートスクールに分類されるなと
思った。

説明会に立ち寄ったのは、
豊島岡女子学園は変わったよ
とある学校の先生から聞いたからだ。

しかし、それはさらにモダニズム要素をパワーアップ
させたということだった。

本格的に校長職についた元国学院大学教授の
二木謙一校長先生は、

説明会のやり方を、今年からプロジェクター
とPPTを使ってやるようになった。学会では
当たり前なのですと、高らかに語られた。

しかし、1999年あたりから、東横学園や
鴎友学園、京北学園ではすでに先駆けて
やっていた。今ではどこでもやっている。

ともあれ、このスタイルはモダニズムだろう。

また、医学部に進学する生徒数は
桜蔭に次ぐ数で、女子進学校として
面目躍如を保っているというような
ことも語っていた。

ここを大事にしているのは
日本の近代官僚的な発想で、
モダニズム以外の何ものでもない。

小林教頭先生は

教育内容と教育施設の充実は
私学の両輪だと語られる。

教育施設は教育内容ではないというのも
モダニズム。

教育内容を支える道具としての施設だからだ。

なるほどすばらしい施設。
ただ、機能がはっきりしていて、
合理的なものばかり、
洗足学園にある庭園の不思議なオブジェのような
ものがない。コンテンポラリー・アートのような
要素がない。

機能的とは要素還元主義的だとも言える。
モダニズムだ。

20世紀日本を支えてきたモダニズムの
流れ。合理的で、効率的で、計算可能性重視、
予見可能性重視、安全が第一。

そして何より「運針」という毎朝の作業。
教頭先生ご自身が「運針」は「死語」しかし大事と
おっしゃる。

「運針」は20世紀日本モダニズムのある意味象徴。
人間の持つ精神の不合理な側面を
勤労・勤勉・誠実という合理性に
転換する明治期の日本近代資本主義を支えた
儒教的・プロテスタント的倫理そのもの。

小笠原流のマナーも
明治期の中産階級がエリートに
なっていくときに必要な
マナーコードとして活用されている。

もちろんこれは現在も有効。

校長先生ご自身は、
豊島岡女子学園は
勉強系のカテゴリーに入れてほしくはない。
「元気な勉強系」と言って欲しいと語られた。

曖昧性、レトリック、回答が多様、そういうものは
元気でなくする。暗い。おぞましい。(そこが
また創造的でよいのだが)

そういうものを排除してがんばる素直で明るい生徒
が育つ教育環境か。

おぞましさから美や生が生まれるという
コンテンポラリーや
ポストモダンな雰囲気はなさそうだ。

確かに安心・安全で、成果がでる学校であることに
間違いはないと確信した。



新しい学習空間~モエレ沼

2005-11-26 10:59:05 | 学習プログラム
イサム・ノグチの最大の遺作
として
モエレ沼公園
がある。

東京都現代美術館などのイサム・ノグチ展の
企画やデザインに
かかわっている武蔵野美術大学の講師
伊坂重春さんとお話をしていて
盛り上がった。

モエレ沼のイサム・ノグチの空間と
彫刻作品は

訪れた人たちが、歩き放題歩け、
触りたい放題触ることができる
贅沢な空間だ。

この空間はいかようにでも変容できる。
あるときはコンサート
あるときは癒しの空間
あるときは劇場
あるときはスキー場。
あるときは学びの空間。

私は、私なりの学習スペースを
作りたいなあと伊坂さんに
語った。

まずテーマを決めない。
チームで散策しながら
なんでもよいから感じたことを
話し合う。

そこから強烈に他者に伝えたい何か
をDe-sign(編集)する。
そしてアウトプット。

シンプルなプログラムだが、
意外とこの手のものはない。

まずテーマを決めないというのが
学習プログラムの中ではない。

しかし、テーマを子供たち自身が
自ら見つけたときぐらいモチベーション
が高まり、フロー状態になることはない。

チームでやる。これは独り善がり
を乗り越える装置である。

De-sign。デザインとは形を作るだけではない。
その前に破壊(DE)する。すでにあたりまえになっている
記号(SIGN)を。

Redesignではない。De-signでなくては。

だから私たちの思いをパンフレットにするときに
一般的なデザイナーとは話ができない。
あなたの言っていることはわけがわからない。
そんなんじゃ売れませんよと
たいてい偉そうなのだ。プロに任せないさいと。
プロの考えは大切。でも第3のものを創ろうという
創造的コミュニケーション能力の高い
クリエイティブ・ディレクターは少ない。

しかし伊坂さんと話していると不思議だが、
互いの話をマテリアルとして
言葉とイメージの彫刻をその場で創って行くことが
できる。もちろん、見ることはできない。
あくまでもバーチャル。
しかし、視覚でとらえる彫刻も
実際にはバーチャルに捉えているのだ。

このバーチャルな対話をモエレ沼にかかわる人たちと
徹底的にやらねば、
モエレ沼という場所で学びをやることになる。
場所から空間へ次元をシフトすることが
学習空間の命。

対話というバーチャルな彫刻が
加わり、その空間の中で学習をすることが
最大のポイント。

イサム・ノグチの作品は
普遍だが変容を続ける。

その変容の部分は、作品に接する人々が
創造的な対話と遊びを加えることによって
初めて可能なのだ。

私は今「学習ツアーセンター
という
Future Literacy Centerを運営している。

子供たちがクリエイティブな生活をしていくための
さまざまなリテラシーを創っていこうとしている。

現在

ロサンゼルス

ツインリンクもてぎ
Honda「発見・体験学習」

を学習スペースにしている。

やがてアルザスもしたいと
企画中。「第3回≪未来を創る学校≫セミナー」を
プロデュースしたのもそのため。

来秋は豊洲にできる
KidZania Japan
を学習スペースとする企画を関係者と話し合っている。
対話がどこまでできるかだ。

また星野リゾートもおもしろい。
なんといっても
内村鑑三がかかわっている精神を
掘り起こせるからだ。

そして「モエレ沼」。
イサム・ノグチと
新渡戸稲造の精神から
何が生まれてくるのだろう。

学校だけではなく
地球上のあらゆる場所を
学習空間として演出するのは
実に楽しい試みであり、
新しい教育のあり方の模索と
なるだろう。

平和教育の場「ヒロシマ」

2005-11-24 09:02:56 | 学習プログラム
TBS(2005年11月23日)で
文化庁芸術祭参加作品が再放送
されていた。

戦後60年特別企画で
「“ヒロシマ”・・・あの時原爆投下は
止められた・・・今明らかになる悲劇の
真実」というもの。

開発・投下・撮影をすべて行った
唯一のアメリカ人博士が
60年後初めてヒロシマを訪れ、
被爆者2人とディスカッションする
場面を見ることができた。

博士は、戦争中はみんなが罪人で、
民間人かどうかは問題ではない
ということをはっきり語っていた。

すごい作品だなと思った。

そして、私は謝る必要がないとも
断言した。

パールハーバーで私も友人を失った。

原子爆弾で命を失うのも
そうでない攻撃で命を失うのも
同じなんだ。

ヒロシマだけ特別ではない、
これが戦争というものだという
趣旨のことを語っていた。

被爆された方々は、
なぜ私たちの痛みを理解してくれないのか
くやしいと語っていた。

戦争はまだ続いている。
世界の常識と
日本の常識との
対話が平行線をたどっているからだ。

戦争解決のために
創造的な仕事がまだまだ残されていると思った。

平和教育のポイントは
平和を維持すること
戦争解決の方法を考えること
そして何より
日常に戦争と平和の両方の種が
あることを知り
平和の花を咲かせる創造的
仕事を開発することである。

“ヒロシマ”“ナガサキ”は
その象徴であるはずである。

キャリアデザインと都市

2005-11-23 07:29:22 | 
村上隆がニューヨークで活躍しているが、
それは、ニューヨークでなければ
コンテンポラリー・アーティストは
仕事がないからだ。

いくら将来何かになりたいと思っても
自分の仕事を理解してくれる
人々・市場・インフラ・アウトプットスペース
などがなければ生きていけない。

都市の研究は重要だ。

もしクリエイティブな仕事
(金融・医療・政治・教育
法律・国際ビジネスコンサル
などなど)
をするならば、仕事場を
田園地帯に設けたとしても
ハブを
グローバルシティー
グローバルシティー・リージョンズ
に置く必要がある。

では、グローバルシティーや
グローバルシティー・リージョンズ
とは何か。どこにあるのか。

そういう研究をする必要がある。

「グローバル・シティー・リージョンズ」
アレン・J・スコット編著(坂本秀和訳)
ダイアモンド社(2004年)

はきわめて重要な都市論。

これに

「分断されるアメリカ」
サミュエル・ハンチントン著
(鈴木主税訳)
集英社(2004年)

を読み合わせると、

新たな都市のコンセプトが浮かび上がる。

「クリエイティブ・グローバル・シティー(CGC)」

という概念が。

このCGCが生まれるには

リチャード・フロリダの本も
読むとよいかもしれない。

高橋尚子とチームQ

2005-11-21 09:22:47 | 学習プログラム
昨日(2005年11月20日)
東京国際女子マラソンで
高橋尚子さんがゴールドメダルを
再び手にしたのはみんな知っているだろう。

ここに到る道のり
つまり
プログラムの
背景は
実際は
たいへんなどろどろ劇が
あったに違いない。

しかし、走っている高橋尚子さんは
尚子さん個人が自分自身で
光を放っていた。
これはまぎれもない事実。

だから彼女の夢を持とう
夢に向かって歩こうよ
という言葉に力がある。

それにしても
コーチからチームへ
と力点をシフトし、

プログラムのコンセプトの立案
プログラムのデザイン
プログラムの運営を

徹底的にディスカッションして
やってきて
成果を出したというのはすごいことだ。

高橋尚子さん自身

小出監督の偉大さが改めて
わかりました。そして
チームでやってきたことに
仲間たちに感謝です。
チームQ最高です!

と言ったとき、
タレントを見抜いた小出監督と
タレント引き出して
実現するエンパワーメント
のあるチームの役割の違いを
しっかり認識したことだろう。

3Tの時代の象徴。
それが東京国際女子マラソン
だった。


自民党50年の歴史と今後が意味するコト

2005-11-20 11:17:30 | 戦略
NHKの日曜討論(2005年11月20日)で
中曽根元総理などが出演して
なぜ自民党は50年続いたのか特集をやっていた。
あまりに奇麗事、精神主義的なことを言っていたので、
まじめに聞いていなかたっが、

中にオッと瞬間思った意見がでた。
東大の教授が、イデオロギー政党ではなく
利益政党だからねと言っていたが、
そうだなあと思った。
もっとも教授の方は、
自分たちの都合でという
やや情緒的な意味合いを込めていた
ようだが。

そうではなく、はっきりとそうなのである。

それは財務省の統計を見れば
明らか。
所得・消費・資産等の税収構成比の国際比較(国税+地方税)
によると

日本の法人所得税は、アメリカに比べても2倍以上の割合で
国は回収している。

アメリカやイギリス、ドイツなどは
個人からの所得税の割合が非常に多い。
フランスも消費課税の割合が多い。

つまり日本政府は、他の先進諸国に比べ
企業がたくさん税金を払っているということ。
そしてその企業が自民党を支えてきたということだ。

なんてったって、かつては自民党以外の社会党や共産党は
資本主義批判というイデオロギーで成立していたから、
自民党が勝利し続けるのは、どう考えても必然。

そして今民主党の路線はといえば、
やはり企業がベース。労働組合といっても
かつてとは意味合いが違う。
もはやベルリンの壁は崩れ、冷戦は終焉して
しまったから。

だから民主党はあいまいな立場を避けられない。
党員の戦略的なコンセプトのレベルの問題では
ない。

税金の問題なのだ。税金を多く出しているところが
発言力があるのは当然ではないだろうか。
その発言力のあるグループに多少なりとも
批判的にならざるを得ない民主党は今のところ
勝ち目はない。

政府価値を構成する割合が、政策を左右するから。

そういったって、フィンランドは市民も企業も
いっぱい税金払っているのではないかと反論されるかもしれない。
何せめざせフィンランドですからね。日本は。

しかし、法人所得税のほとんどは外資系ではないだろうか。
外資系の場合は、政策のためにお金を出すのではなく、
場所代ですから。

したがって、フィンランドの場合は市民の発言力が
ものを言う。

日本も、外資に活躍してもらうか
市民の税金をいっぱい払うか。

うーん。やっぱりアメリカ型がよいでしょう。
多少市民が税金払っても、企業が利益をあげて
その配分が多い方がよいというのが
アメリカ型。それだと市民も政治に参加できるし。

定率減税の廃止や増税のお話が
来年にはピークに達するだろうが、
要は、お金を払っても
口出しはできないでは困る。

金融庁の金銭教育は
市民価値の話を盛り込まねばなるまい。

洗足学園の進化/深化

2005-11-19 11:00:32 | 学校選択
洗足学園
受験業界で
確固たる位置を占めている。

偏差値も上昇しつづけ、
大学進学実績も順調に伸びている。

このまま邁進すれば問題ない。

と思っているのは、外部の人間。

内部では、次のステージをどうするか
変容こそ質を上げることなのだというのが
前田校長先生の意志でもある。

この質というかクオリティというか
アイデンティティ。

これをさらに磨き上げ深めていく。
このチャレンジャブルなアクションが
学内で生まれているようだ。

国際情報室室長岡部憲治
JERC(日米教育サポートセンター)
招かれて、講演をしたときのことである。
終了後1人の
母親からこんな質問があったそうだ。
「アメリカの教育のような開放的でポジティブで
好奇心を大切にしてくれるような日本の学校は
ないですか。こっちの学校生活とGAPのない私立学校
を教えてください」と。

岡部がそのときどのように回答したのか
それは秘密だそうだが。
講演の中で洗足学園の例をあげていたのだから
当然同学園の話題になっただろう。

帰国子女のクラスが1クラス成立するぐらい
帰国生の生徒が集まる学校だからだ。
学年にもよるだろうが、30人から40人のサイズの
クラスなのである。

帰国生が集まる理由は、
おそらく、質問した母親に
対する回答にもなるだろう。

ポジティブ・シンキング
オープン・マインデッド
タイム・マネージメント
インディペンド・ラーンナー

帰国生はある意味外から
学校を眺めることができる。

彼女たちが見つめる洗足学園の
魅力。ここに洗足学園の
ブランドの種があるのではないか。

洗足学園の帰国生について
NTS教育研究所の
野田のコラム
参考になる。

「オカベの目」的ファイナンシャルリテラシー

2005-11-18 08:50:32 | 学習プログラム
「オカベの目」的ファイナンシャルリテラシー
おもしろい。

私たちが学習プログラムや
ビジネスチームをマネジメントするとき
「時間」というものを大切にする。

単純にスケジュールを運営するというのでは
なく、オカベの目のいうように

≪時に左右されて「アセット」か
「ライアビリティー」になるモノを、
うまくマネジメントしたり、
コンサルティングして「アセット」
の方にしていこうという業務≫だし、

≪所有しているモノをできるだけ
「アセット」となるようにうまく分散して
「ライアビリティー」の率をトータルで
減らしていく、あるいはその分散比率が
適正かどうかを判断すること≫である。

ここで重要なキーワードは
「時」と「分散比率の適正」。

学習プログラムでチームを
マネジメントしていくときは
まさに人材というアセットの
活用を、「時」と「分散比率の適正」化
が必要。

ビジネスチームも同じ。

さすがはアメリカだなあ。

かつてベンジャミン・フランクは
Time is money.
と行ったのはそういうことだったのか。