教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

「2020年の大学入試問題」という3つの「問題」

2016-02-24 11:31:04 | 
2020年の大学入試問題 (講談社現代新書)
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講談社


「2020年の大学入試問題」は、今の中1が直面する問題です。いったいどんな問題があるのかというと、それは、3つあります。
1つ目は今まで大学入試センター試験のような選択肢から正解を1つ選ぶ問いから記述式や論述式の思考力を活用する問いにシフトするという問題です。

 2つ目は、なぜこのように限られた条件の中で正解を1つ選ぶ頭の使い方から、条件まで自分で設定して頭をフル回転し、正解が1つではない自由度の高い書く問題にシフトするのかという問題です。

 3つ目は、「各大学の個別の独自入試」において「英語の試験」がなくなるかもしれないという問題です。もちろん、「英語」という科目がなくなるということではありません。TOEFLとかIELTSとか、民間の外部資格試験のスコアを出願時の書類に添付することになるということです。

 なんのことはない、4技能ですから、今までの「読む」「聞く」「書く」に「話す」が加わるだけのようですが、それは全く違います。これらの「書く」「話す」は、相当レベルが高く、日本語で論述試験や口頭試問に臨む感覚です。つまり、ここでも、かつてのように正解が1つの問題を選ぶ問題ではなく、正解が1つではない自由度の高い論述やスピーキングの力が求められるのです。

 「高等学校基礎学力テスト(仮称)」「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」「各大学の個別の独自入試」という3段階の大学入試制度が、制度として合理的で公平性があるのかどうかについては、手続き論的には文部科学省の中央教育寝審議会を中心に多くの分科会のワーキングループが議論の最中です。制度的な情況は今後も紆余曲折するでしょう。

 しかし、待ったなしの変化は、以上の3つのシフトです。1つにまとめると「知のパラダイムシフト」となります。エッ、今更パラダイムシフトというのは、読者の方々には、時代錯誤ではないかと思われるでしょう。グローバリゼーションの時代です。激動の時代です。不安の時代です。不確実性の時代です。解なき社会と言われているぐらいです。

 しかし、教育の世界は、頑強な縦割りで、ツリー構造の組織で、その組織で妥当する知識の体系がすべてだったのです。ポストモダニズムだとか現代思想だとか、ハイパー資本主義だとか電脳資本主義だとか、ツリー構造からリゾームだとかという話は、現代国語の読解リテラシーをトレーニングする際の素材に過ぎなかったのです。

 しかし、18歳選挙を目の前に、中高生は与えられた情報を理解するだけではなく、その新しい思想をクリティカルシンキングし、自分とは何かという「自分軸」で判断して、ルールを創り換えていく知の理論をスキルとして備える必要がでてきたのです。

 今まさに、教育の現場は混沌としています。いったい大学入試問題はどんな自由度の高い未知なる世界を創りだす問いを投げかけてくるのか?いったい教育の世界にグローバル教育は何をもたらすのか?英語はもはやツールではなく、言語と思考という地平に立たされるならば、今までの英語教師で対応できるのか?

 しかし、混沌の中にこそ希望の種はあるのです。「2020年の大学入試問題」は、混沌を生み出しながら、同時に混沌を解決するような問題を、受験生とともに考えていく逆説的な仕掛けになっています。この問いを考える力を「学習を通じた創造的思考力」と次期学習指導要領では呼んでいます。

 この「学習を通じた」というのはどのような学習でしょう。それが次期学習指導要領の肝である「アクティブ・ラーニング」なのです。この学びの中核は対話です。対話は、生徒の潜在的可能性を、自分とは何かの想いである「自分軸」をテコに自己実現への道を開きます。従来のように客観的な知識を憶えるだけではなく、「自分軸」によって判断しながら考え創造していく問いの仕掛けが「2020年大学入試問題」そのものです。

 本書では、このような問いを大胆に予想し、教育の現場でどのように生徒と考えてきたのかその実践例も交えています。遅れてきた学校の「知のパラダイムシフト」を促進する一助になることを期待しています。
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アクティブラーニングにおけるコミュニケーションを学ぶ

2015-07-20 10:55:13 | 
コミュニケーションを学ぶ (ちくまプリマー新書)
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筑摩書房


☆本書が出版されたとき、対話という領域で感想を書いた。

☆しかし、昨今のアクティブラーニングの大合奏ともいえる

☆着目度に、アクティブラーニングにおいてこそコミュニケーションのあり方が重要であるのに、

☆インタラクティブや相互通行型という「言説」で終わっている。

☆かりにインタラクティブであっても、極端な話、敵対的交流や敵対的交渉は可能であるが、

☆そこはあまり配慮されていない。

☆もちろん、ファシリテーターというロールプレイが重視されているから

☆敵対的なコミュニケーションは見た目はあり得ない。

☆しかし、同調圧力などのコミュニケーションは見過ごされてしまいがち。

☆コミュニケーションのスキルとマインドについいて

☆専門的な本は山ほどで出版されているが、

☆それらをここまでコンパクトに

☆しかもただ紹介するのではなく、

☆高田流儀で統合して書かれている。

☆対話ではもちろんのことであるが、

☆アクティブラーニングという領域でこそ

☆本書は明快な方法論として大いに参考になろう。

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勉強が楽しくなるとは、知識を生き物に変質させるアイデアに充ちるコト

2015-04-11 11:47:11 | 
クリエイティブコンサルタントの思考の技術
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かんき出版


☆勉強というと、知識を憶えるというイメージがあって、なんともおもしろくない。

☆でも、アイデアしだいで、干物の知識ではなく、

☆生ものの知識に蘇生する。

☆その蘇生術が、クリエイティブデザイン。

☆「鉛筆」は今では、自分の考えを書くための道具という干物の知識と化しているけど、

☆サッカーボールという異質のものとつなげるというアイデア術を活用すれば、

☆そこから、ノーベル賞級のアイデアが生まれ出ずる。

☆また、セルロースに注目すれば、またまた新たな発見が!

☆干物としての鉛筆が、まるで魔法の杖さながらに生き生きとしてくる。

☆もはや生ものの知識としてアクティブになる。

☆もともと流動的で自由な状況を

☆知識として冷凍保存してきたのだから、

☆知識を解凍すればおもしろいことになる。

☆知識がこれほどおもしろいものとは!となること間違いなし。

☆本書は、知識を解凍したり、知識と知識を結び付けて

☆ケミストリーを起こす

☆アイデア方法論!

☆必見です!
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21世紀型スキルの要は未翻訳

2014-05-11 13:59:36 | 
21世紀型スキル: 学びと評価の新たなかたち
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北大路書房


☆オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、シンガポール、香港、イギリス、米国、カナダ

☆などとシスコシステムズ、インテル、マイクロソフトが協力して

☆初等中等教育の21世紀型の学びを構築。

☆ICT活用

☆議論展開

☆クリエイティブプレゼンテーション

☆チームワーク

☆メタ認知レベルの思考力

☆などなどが授業で展開される。

☆知識を伝達し暗記する20世紀型の授業や教育とは全く違う学び。

☆新しい学びについて、日本でもたくさん本が出ているが、

☆ここまで充実している本はない。

☆わかりやすく編集しようというあまり、授業で展開されている

☆子どもたちの複雑な思考過程や心情の起伏を見ていない本ばかりが

☆出版されている。

☆そういう点では、この21世紀型スキルの本は重要だ。

☆しかし、わかりやすくとうい編集が、この本にまで行き届いていて

☆肝心のe-assessmentという評価の方法論などの部分が翻訳されず、

☆日本の21世紀型スキルを活用したケースにすり替えられている。

☆ここの部分は悪くはないが、世界で行われている21世紀型の学びの

☆矮小化版。

☆これが21世紀型スキルや学びだと錯認してしまう日本の教育関係者が

☆多くなったとしたら、それは残念である。
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新しい資本主義を考えるテキスト「純粋贈与」

2014-05-06 05:32:45 | 
愛と経済のロゴス カイエ・ソバージュ(3) (講談社選書メチエ)
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講談社



☆中沢新一の贈与論は、

☆「交換―贈与―純粋贈与」というシステム。

☆そして、本書では、これは

☆「父―子―聖霊」という三位一体のシステムに

☆メタファではなく、考え方の原理として重なっているのだとする。

☆しかし、近代以降の資本主義は

☆「交換―贈与」の関係になっており、

☆それは「父―子」の関係になっているから

☆この経済状況を打破しないと、キリスト教は

☆自らを異端に貶めることになる。

☆三位一体を経済にまで浸透させたのは、中沢新一によると

☆カトリックである。

☆しかし、カトリックの純粋贈与の部分は、教会に独占され

☆三位一体が人間化あるいは物象化されたために

☆13世紀には托鉢修道会ドミニコ会が現れ

☆純粋贈与の部分に神の息吹を取り戻そうとした。

☆この再生理論を構築し、それがルソー、ヘーゲルや

☆アダム・スミス、カント、マルクス、モースにまで影響を与えたのが

☆トマス・アキナスである。

☆ところがルネサンス前夜、宗教改革前夜、この修道院の動きも停滞する。

☆そこで生まれたのが、ドイツ語訳の聖書で、「純粋贈与」の部分を

☆市民に公開したプロテスタントが生まれた。

☆マックス・ウェーバーは、ここに資本主義の源流を見るが、

☆「純粋贈与」が「資本」に物象化されるや

☆プロテスタンティズムの資本主義は、異端と化する。

☆資本主義は、トマス・アキナスやプロテスタントの「純粋贈与」

☆カントの「物それ自体」、ルソーの「自然状態」の息吹を取り戻すことによって、

☆新しい資本主義を実現できる。

☆ところで、それはいかに可能か?

☆松岡正剛の千夜千冊の「マルセル・モース 贈与論」によれば、

☆SNSなども、「純粋贈与」の兆しだという。

☆もっとも、松岡正剛自身は、まだ「純粋贈与」という考え方を持ち出してはいないが。

☆また「千夜千冊」の「内田樹・中沢新一・平川克美 大津波と原発」は

☆太陽光も原発も、実はエントロピーを引き算できないから

☆原発vs太陽光発電という枠組みにならないことも指摘。

☆これは、原発や太陽光は、「純粋贈与」であるはずの自然が

☆「純粋略奪」に転化する着想を予告する。

☆また、松岡正剛は、中沢新一が、一神教より仏教のような多神教的な発想が

☆「贈与論」としての新しい資本主義が想定できると言っていることを紹介している。

☆しかしながら、このことについては、カトリック宇和島教会の司祭田中正史神父の

☆聖書の「ぶどう園の労働」の解釈に
よって、必ずしもそうではないことが了解できる。

☆「父と子と聖霊」というキリスト教的な発想は、

☆経済において、

☆「交換―贈与―純粋贈与」という発想に重なっている。

☆しかし、現実は

☆「交換―権力―純粋略奪」というシステムになっていった。

☆トマス・アキナスの三位一体的経済の再生理論をまつまでもなく、

☆聖ドミニコの異端を改宗させるロゴスは、その実践版だった。

☆しかし、歴史は中世は、ドミニコ会の活動を反転させる。

☆そこで、宗教改革。

☆プロテスタンティズムなのであるが、

☆純粋略奪を切り落としたために、

☆「交換―贈与」つまり

☆「父と子」という異端経済が成立してしまった。

☆そして「交換―権力」という格差社会が20世紀をすっかり覆ってしまった。

☆「交換―権力―純粋略奪」の復権である。

☆新しい資本主義は、

☆「交換―贈与―純粋贈与」の実現である。

☆発想はもともとあったが、実現したことはかつてない。

☆しかし、ルソーの自然状態やカントの物それ自体の夢想の中に

☆記憶として刻印されつづけた。

☆その記憶を実現へ。

☆SNSはそのカギとなるだろうか。

☆社会起業にそのヒントはあるだろうか。

☆まずは「交換―贈与―純粋贈与」という経済システムのイメージを

☆対話するところからかもしれない。





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会話モードと対話モードの往復のススメ

2014-04-11 11:06:18 | 
人生も仕事も変える「対話力」 日本人に闘うディベートはいらない (講談社プラスアルファ新書)
クリエーター情報なし
講談社


☆会話と対話は違う。

☆でも井戸端会議民主主義は

☆何気ない会話モードが

☆だんだん深い問題を語り合う対話モードにシフトしていく

☆可能性が開かれている。

☆そういう意味で対話型民主主義はいい感じ。

☆ところで、サンデル問題を解題しつづける

☆小林先生の考えにいつも刺激をうけつつ

☆どこか違和感を感じてきた。

☆一度参加したワークショップ型講演でも

☆魅力的だけれど、どこか違和感を感じた。

☆本書の7章にいたって、その理由らしきものが

☆わかったような気がする。

☆ソクラテス―アリストテレス―観照ー(トマス・アキナス)

☆という流れは最高に良いのだけれど、

☆ロールズvsサンデル

☆が

☆井上達夫vs小林正弥

☆という

☆図式になっていたからだ。

☆サンデル教授は、この「vs」をいかに乗り越えるか

☆考えるヒントを与えてくれるのに、

☆小林先生は、リベラリズムvsコミュニタリアニズム

☆の図式を強固に持続可能性にしてしまうなあと感じてしまった。

☆しかし、そこは、読者が解決すればよいことである。

☆帰国生の帰国生大学入試の小論文や

☆学校の先生とチームワークとは何かなどを

☆考える際に、サンデル問題を必ず議論するが、

☆本書もテキストにしたい。

☆来春の中学入試の現代文の素材にも活用されるだろう。

☆今度首都圏模試会場の保護者会で話す機会があるので、

☆受験生の保護者にススメておこう。

☆出題されるされないにかかわらず、子どもの進路を考える時に

☆大いに参考になるだろう。
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システム思考×デザイン思考=パッション!

2014-04-07 05:40:07 | 
システム×デザイン思考で世界を変える 慶應SDM「イノベーションのつくり方」
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日経BP社


☆システム思考とデザイン思考

☆両者を掛け合わせると

☆イノベーションが生まれる

☆イノベーションは、しかしパッションである。

☆このままでは世界はダメになる

☆なんとかしなければという大義が情熱が

☆生まれるところから始まる。

☆ではこのパッションはいかにして生まれるのか?

☆観察 フィールドワーク

☆ブレスト チームワーク

☆プロトタイピングとリファインの反転連続

☆そこに気づきが?

☆ところが、日本社会ではそれをやっても生まれない。

☆それは「枠内思考」だからである。

☆システム思考とデザイン思考のスキルを枠内思考でやってしまうから。。。

「儲けようと思えば、それなりに儲かる。しかし、それだけだ。大成功している経営者の共通点は大義を持っている点だ。社会をよくしたいという本気の思い。その思いが社会に伝わるから、大成功につながる」

☆つまり、「儲けようと思えば、それなりに儲かる」という経済をつくる「枠内思考」。

☆社会をよくしたいというパッションが、イノベーションの大前提なのにである。
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日本の存在自体ポストモダンだった?

2014-04-01 20:25:49 | 
日本の風景・西欧の景観 そして造景の時代 (講談社現代新書)
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講談社


☆「もののあはれ」「みやび」の型を考えて

☆検索していたら、

☆この本に出会った。

☆ヤンキー文化も

☆AKBも

☆ジャニーズも

☆みやびだし

☆卒業という

☆もののあはれ

☆の精神の型がある。

☆この型はグローバルかローカルか?

☆そんなことを妄想していたら、

☆松岡正剛氏のサイトで

☆和辻哲郎とオギュスタン・ベルクのつながりが

☆指摘されていた。

☆そこで、アマゾンでとりよせてみた。

☆1989年に書かれた本であるが、

☆89年以降のグローバリゼーションについて

☆的確に予言していた。

☆日本のミーハー文化や

☆ヤンキー文化が

☆近代化によって大切なものが失われた

☆証ではなく、

☆その近代化の限界をぶち破るポストモダンとして

☆明治に表れたハイブリッド。グローバリゼーションの予兆として

☆日本の文化があるということのようだ。

☆途中、そのハイブリッドなポスモダンは、

☆ロシアアバンギャルド

☆ドイツのバウハウス

☆同様に、抑圧されたが

☆AKBやヤンキー文化として

☆桜色に開花している。

☆この文化は、公立学校の官僚近代主義のカウンターとして

☆生まれている。

☆私立学校は、これを美学に高めようとしている。

☆オギュスタン・ベルグは実におもしろい。

☆この自然の文化化と文化の自然化の平衡こそが美学である。

☆この平衡をめぐって、リキッドモダニズムは

☆迷走しているようにもみえるし、革新的にもみえるのであろう。
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グローバル化はなぜ矛盾を抱きかかえているのか

2014-03-30 04:47:33 | 
リキッド・モダニティを読みとく: 液状化した現代世界からの44通の手紙 (ちくま学芸文庫)
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筑摩書房


☆私たちの身の回りは、

☆「グローバル」という言葉で満ちているが、

☆言葉は、現実を引き寄せているから、

☆自分の生活は、もはや「グローバル化」の空気で満たされている

☆といえる。

☆だから、ウクライナの話も、

☆9・11の話も

☆実はフクシマの問題性と同じ矛盾の構造を孕み

☆路上で突然きれて、なかば計画性もあるのだろうが、

☆人の道をそれてしまうのも

☆アブ・グレイブ収容所で起こってしまったことも

☆同じ構造なのである。

☆すべてはアウシュヴィッツと同じ構造である。

☆グローバル化の行きつく先が、

☆アウシュヴィッツだというのではない。

☆現段階のグローバル化は、

☆家族の中で起こっているDVも、

☆学校の中で起こっているいじめも

☆部活の中で起こっている体罰も

☆会社の中で起こっているパワハラも

☆社会の中で起こっている差別も

☆国家の中で起こっている格差も

☆世界で起こっている化石燃料の奪い合いも

☆世界で起こっている人権蹂躙も

☆アイヒマン構造と同じであることが

☆スマホで

☆タブレットで

☆要はウェブで

☆テレビで

☆要はメディアで

☆手に取るようにわかる時代であるということ。

☆グローバル化は、最終的には

☆アイヒマン構造を解体する越境性にあるわけだが、

☆現段階では、そこにいくまで、あらゆるところに

☆アイヒマン構造があることを

☆噴出させているために

☆グローバル化は矛盾を孕んでいるようにみえるのである。

☆最終的には、

「自分に合ったものを選び取る自由」

☆に満ちた社会がグローバル世界なのだが、

☆アイヒマン構造がある限り、

☆リーマンショックを引き起こすトリガーに

☆なってしまう表層的な

☆ビジョンだと思われてしまう。

☆ここにグローバル化が足踏みして、

☆アイヒマン構造を解体できない矛盾が立ちはだかる。
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ラノベの意味 ポップとライト オタクとぼっちの違い

2014-01-01 16:19:27 | 
ラノベのなかの現代日本 ポップ/ぼっち/ノスタルジア (講談社現代新書)
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講談社


☆ライトノベル、ラノベと呼ばれる作品群

☆1989年の昭和と平成

☆冷戦とポスト冷戦

☆ポップとライト

☆オタクとぼっち

☆ポストモダンとポストポストモダン

☆の断絶を象徴しているという考え方は、

☆オールタナティブモダニズムに生きる私には

☆新鮮だった。

☆オールタナティブモダニズムは、社会主義的排除社会も嫌いだが

☆高度資本主義的格差社会も嫌いだ。

☆必ずその両者を乗り越える未来があるという成長物語を信じている。

☆一方高度資本主義的格差社会は、大量生産・大量消費・大量移動によって
成長神話という大きな物語を信じてきた。

☆ポストモダンは、消費者立場にたって、快適物語として高度資本主義をメイクしようとしたが

☆それはできなかった。

☆アベノミクスは、高度資本主義としてのモダニズムへのノスタルジーかもしれない。

☆東京オリンピックがその象徴のようにもみえる。

☆しかし、ライトノベルは、

☆成長物語も

☆成長神話も

☆快適物語も

☆信じていない。

☆郷愁も未来もいまここでも存在の重さを感じない。

☆そのどこからも自由な軽さを求めrているように、

☆本書を読むと感じてしまう。

☆ライトとかぼっちというのは、

☆成長物語も成長神話も快適物語も抜けられないでいた

☆過去・現在・未来という時空の物語概念を逆転させている。

☆自分物語の中に時空を開放したのである。

☆その自分物語の中に開放した時空場を

☆J.J.ルソーは自然状態と呼んだ。

☆もちろん本書ではそこまで語っていない。

☆この自然状態の新しいとらえ方の可能性は

☆独断と偏見である。

☆しかし、孤独な散歩者であるルソーの新しいとらえ方を

☆ぼっちの概念が示唆していると考えるのは私だけだろうか。

☆オールタナティブモダニズムはいまだにマイナーである。

☆ぼっちに導かれて成長物語の脱構築は可能かもしれない。
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