教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

総合学習全廃論=結界消失論

2007-08-31 20:48:35 | 文化・芸術
2007/08/31 02:03配信の産経新聞の記事はおもしろい。歴史的にあとから振り返れば、官僚近代教育の亡霊を呼び戻そうとする人たちオンパレードといった記事だ。

★<「基礎基本の学力が定着しない段階で総合学習を取り入れたのは、そもそも無理だったのでは」プロ教師の会を主宰する日本教育大学院大学の河上亮一教授はこう指摘する。>とあるが、基礎基本って何だろう?総合学習が遊びになりがちということらしいが、ふだんの授業はどうなんだろう。

★<学力低下問題に詳しい国際医療福祉大の和田秀樹教授も「学力低下に対応する画期的な内容だが、総合学習は全廃すべきだ。勉強意欲を増すといわれてきたが、実際には勉強ができる子にしか効果が表れていない」と話す。>とあるが、勉強ができる子とは一体どんな子?テストで高得点、高偏差値がとれる子?もしそうならば、総合学習やらなくても、事態は何ら変わらないのではないだろうか。

★<埼玉県の公立小学校教諭は、授業準備の負担が大きいため、行事の準備時間に利用したり、勉強の苦手な子供向けの“補習”に利用したりしている学校もあるという。「総合学習は、教員側に問題があるともいわれるが、時間も費用もないなかで独自の授業などできない」と嘆く。神奈川県の公立中学の野牧雅子教諭も「どうせなら全廃すべきだ」と主張する。>と、昔からある責任転嫁論。

★要するに新しいことやりたくな~い!わかんな~い!と言っているのに等しいわけだ。大妻の教育理念に「恥を知れ!」というフレーズがある。志低き指導者に子供たちはどうやってついていくというのか。そんなの関係ない!基礎基本の授業はすでに指導者無し授業。総合学習は実質行われているからと。


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東京外大の「日本力」高度化推進プログラム

2007-08-31 20:20:40 | 文化・芸術
2007年8月31日配信の読売新聞によると、

<世界に通用する「日本力」を身に付けよう――。東京外国語大学(府中市)は10月から、「『教養日本力』高度化推進プログラム」を2年半計画でスタートさせる。「自国のことを知らなさ過ぎる」と日本人が外国人に批判されがちな現状を改善し、日本の本当の姿を学び、世界に向けて正確な情報を発信することを狙う。断片的に伝えられてきた“外国で語られる日本”の体系的調査なども行う。>ということだ。

★よいことだが、発想はすでに多くの私立中高一貫校でやっていることだ。大学生がどうせやるのならば、発信で終わるのではなく、企画提案をし、起業家的発想にステップアップしてはどうだろう。

★今日の日経にもあったが、東京のどこかの自治体を、ユネスコのクリエイティブ・シティーズ・ネットワークに登録して、認定させる企画支援をするというのはどうだろう。日本のことを知ることができるし、語学も生かすことができる。

★クリエイティブ・シティーズ・ネットワークに参加し、政府および国際機関、民間企業、中小規模の文化産業、専門家団体、財団、NGO、非営利団体等との協力関係を築く活動の支援をするプロジェクトを企画運営したらどうだろうか。

ユネスコ文化局は、このような活動によって以下のようなメリットがあると説明している。

① 世界に対して、地域の文化資産をアピールすること。
② 創造活動を地域の社会的・経済的発展につなげること。
③ 世界各地の文化団体と知識を共有すること。
④ ノウハウ・経験・専門家の交流を通じて、新しい文化を創生すること。
⑤ ユネスコのグローバル・アライアンスの専門性やネットワークを利用すること。
⑥ 国内および国際マーケットにおいて、さまざまな文化製品を宣伝すること。

★また、以下の7つの分野で都市のネットワークへの登録が進んでいるという。
①文学 
②映画 
③音楽 
④フォーク・アート 
⑤デザイン 
⑥メディア・アート 
⑦ガストロノミー(食文化)

★登録されている都市と分野(登録順)は次の通り。日本もどこかの都市が実行したほうがよいのではないだろうか。おそらくしているだろうが・・・。

Edinburgh,スコットランド(文学)
Popayan,コロンビア(ガストロノミー)
Santa Fe, New Mexico,アメリカ(フォーク・アート)
Buenos Aires,アルゼンチン(デザイン)
Aswan,エジプト(フォーク・アート)
Berlin,ドイツ(デザイン)
Seville,スペイン(音楽)
Montreal,カナダ(デザイン)
Bologna,イタリア(音楽)

★映画とメディア・アートの分野はまだ登録されていないではないか。日本にとって大いにチャンスがあるではないか。
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小学校授業10%増し

2007-08-31 04:20:22 | 文化・芸術
8月30日22時23分配信の毎日新聞によると、

 <文部科学省は30日、小学校の「総合的な学習の時間」を削減し、主要4教科(国  語、社会、算数、理科)と体育の授業時間を約1割増やす方針を固めた。また、高学年 を対象に週1時間程度の英語活動を新設するなどして、年間の総授業時間を低学年で7 0時間、中高学年で35時間程度増やす。同日の中央教育審議会の専門部会で大筋で了 承され、同省は今年度中に改定される学習指導要領に反映させる方針だ。小学校の授業 時間が増えるのは77年の改定以来30年ぶり。>

★この文脈の背景から、様々な叫びが聞こえてくる。総合的学習を完全に撤廃できないのは、近代教育の抑圧部分の緩衝スペースを作らないと、不登校やいじめに対応できないという気づきがあるからだ。近代教育はモラルと知の内面化なんだが、これは個性化のベクトルとはまったく逆。この抑圧の解消が、いろいろな形で噴出する。だから近代教育の中にその矛盾をやわらげる居場所づくりが必要になる。

★一方でその近代教育の抑圧に耐えて、その上に自己実現の道を見出せるタイプの人材に対し、体力と知力と英語力を目一杯身につけさせねばならない。近代教育は精神による国家防衛策の一環である。安倍内閣は戦後近代日本を創ってきた亡霊の総決算である。その亡霊が安倍首相の後ろ盾。なんだかんだといって他の議員は恐怖の顔を隠せない。やはり神の国・呪術の国=美しい国だった。教育の再生による国家防衛と軍事力による国家防衛が経済の防衛になるという信念が見え隠れする。しかし、総合学習を残さざるをえなかった。

★この亡霊の復活を封印する結界が「総合的な学習の時間」。結界が小さくなっても打ち破られてはたいへんなことになる。結界師と魑魅魍魎との闘い。夏休みも終わるが、昔から学校のカイダンが話題になるのも、理由が無いわけでもない・・・。
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耳塚寛明の合格実績水増し批判

2007-08-28 10:37:05 | 文化・芸術
★日経新聞(2007年8月27日)の「まなび再考」というお茶大の耳塚寛明教授のコラムに「合格実績水増し~問われる学校の誠意」という文章が掲載。

★成績優秀な生徒に受験料を出して、多くの大学を受験してもらい合格実績を「上乗せ」していた高校を批判するコラム。この「上乗せ」という言葉を教授は使うが、行為を表現する言葉として間違いでないが、コラムの中ごろで「効能を偽った虚偽情報」とか「水増しは誇大広告以外のなにものでもない」と表現しているから、「上乗せ」には「虚偽の表現」という評価が背景にあると受けとめられる。

★またこうも言っている「成果指標が明確な進学実績にしてこれだけの誇大広告である。いわんや人格形成をや。人格形成は成果を測り難い分虚偽が暴かれにくい。」と。

★ときどきこのようなリーガルマインドのない教育学部の教授はいるものではある。また科学的思考ができない典型的なものの見方でもある。

①まず、もし進学実績に「上乗せ」があればそれは誇大広告かもしれないが、教授も「大学合格実績」と言っているように、そこには誇大表示はない。

②成果実績を表現することは、私学の経営の問題。そのやり方がインパクトがあったからといって、教育もそうだと、因果関係を決め付けるのは、科学的考え方ではない。現実と理想は必ずしも一致しないという現象はよくあることだ。

③契約関係で問題があるわけではないのだから、法律に抵触しているわけではない。コラムの文脈では「虚偽」と言う言葉には法的意味合いがどうしても忍び込んでしまう。日常用語として使っていると主張されるだろうが・・・。

★①に関して、法的には問題がない。道義上の問題、教授の言葉でいえば「誠意」の問題ということになるが、いくらでも入試が受けられる大学入試のマーケットをお金を払って活用しているのだから、道義上でもまったく問題ない。あのひと儲かって羨ましい以外の快不快以外の判断しかここにはない。

★②経営と教育はつねにぶつかり合っている。特に独法化の後の国立大学はそこで大変苦労しているはず。それがうまくいっている私立高校があるからといって羨望から嫉妬へとシフトするルサンチマン的発言は勘弁してほしい。

★契約関係は信義誠実に反してはならないが、今回の行為が信義誠実に反するかどうかの議論がなされていないのに、誠意に反すると決め付けるのは問題。国立大学の教授なら議論をせずに恫喝してもよいのだろうか。ここには日本の教育の古い体質が映しだされている。

★こういう国立大学は教育再生会議の大学改革論ではどう取り扱われるのだろう。大学と教授は別問題ではあるが・・・。もっとも教育再生会議の大学改革論も検討が必要かもしれないが、新内閣ではそれができるか不安・・・。なにせ議論というコミュニケーションは2レベルであるから。おっとこれも私の独断と偏見に過ぎぬが・・・。
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シモン・ペレス大統領の視点

2007-08-27 13:39:04 | 文化・芸術
★日経新聞(2007年8月25日)に、イスラエル大統領シモン・ペレス氏に対するインタビュー記事が載っていた。氏は94年にノーベル平和賞を受賞しているが、まとめられた記事から受ける印象は、非常に冷静で合理的な平和論の持ち主。

①以前の戦争は、国家と宗教勢力の間で起こってきたが、現在は宗教勢力とテロ集団との間。いらいろな宗教を信じる人々の間で、テロをなくす対話をする必要があると。

②過去の戦争の原因は領土争い。科学が進んだ今は、脱領土争いに転じる。土地の持つ重要性は薄れた。日本は国土が狭いのに経済大国になっているのはその証拠。土地に変わる戦争の原因をつくってはいけない(はっきりは言っていないが、日本はその原因をつくりかねないということか?)。相互依存、透明性、開放性、安定性がそれを防ぐ。

③経済こそ平和を生み出す最重要な原動力。ただし、資金援助という経済支援はうまくいかないだろう。

④中東産油国の石油収入拡大はいずれ限界。それよりも真の経済発展とは現金がいくらあるかではなく、明日へ向けた成長があること。人材を育成し高い技術力を持つ高品質の製品を作れるかどうかが鍵。日本のようにと。

⑤産油国は、ユダヤ人がイスラエルを支援するように、中東地域の安定に対し資金を出すべきだ。

⑥イラク戦争などにおいて米国は間違いをしているかもしれないが、米国抜きで世界の問題を解決することはできない。イラク戦争で批判されるが、アメリカ以外に誰がフセイン政権にストップをかけようとしたかは理解したい。批判されることの多いブッシュ政権下でも中東和平を実現する力はある。ブッシュ政権後は、イラク問題においては超党派で対応するだろう。

⑦世界のテロの多くは、近代化を否定している。近代化や進歩を止めることはできない。日本人は石を投石のためにではなく、石庭を作る素材として使った。ここには前向きの近代化のヒントがある。

⑧前向きな近代化に夢を託せるかどうかは、「子供を大学に行かせ、より多くの情報に接するようにさせること」すべての子供たちに教育を。

⑨中東の諸紛争はイスラエル・パレスチナ和平の進展が前提ではない。

⑩イラク問題での日本社会の対米協力については、相互関係の中で自らの利益をどう守るかという問題である。

★国家にたよるな!経済利益をどう守るかを考えよ!イノベーションこそ重要!力の多様な関係を冷静に見定めよ!ベースは教育力だ!に尽きる。
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「中国、太平洋の東西分割提案か 米軍は拒否」という記事

2007-08-22 10:43:34 | 文化・芸術
2007/08/20 01:05配信の産経Webに、「中国、太平洋の東西分割提案か 米軍は拒否」という記事が掲載。

 <17日付の米紙ワシントン・タイムズは、キーティング米太平洋軍司令官が最近訪中 して中国軍事当局者と会談した際、中国側が、太平洋を東西に分割し東側を米国、西側 を中国が管理することを提案したと報じた。米側は拒否したという。提案の詳細には触 れていない。>とある。

★ヤバイな。軍事当局者の発言。軍事→経済→知識という権力シフトの話は、実はそうではない。並行して3つの権力がせめぎあっているということではないか。この3者の闘争をどう解決するかが焦点であるはずだが、どうもそこにはマスクがかかっている。

★地政学的にはわかりやすい発想。地経学的には釈然としない。もうすこし拡散しているだろう。知性(地政の超物質的形式)学的には、偏在こそ知性学。まったくもって理解し難いということになるのか。

★歴史は繰り返す。スペインとポルトガルで世界が二分された大航海時代のすぐ後のオランダとイギリスの世界戦略は知性学的要素もあった。NATOやOECD、EUの形成におけるアメリカの世界戦略は、オランダ、イギリスの世界戦略をもっとシステマチックにしたもの。

★アメリカの場合は、軍事×経済×知識という戦略だからせめぎあっているのではなく、メディアミックスしているのだろう。この調整は、圧倒的な量によって保たれてもいる。

★中国もまたアメリカ型になったとしたらどうだろう。ハイパー圧倒的な量である。アメリカのやり方では、アメリカの覇権は危うくなるのは見えている。まずは和議?そのうちに何をやろうというのか。

★日本はやはり小さいが量の国でもある。中途半端に量があるのだ。しかし、中国やアメリカには量では全く歯がたたない。日本はどう保守するべきか?知識以外にない。ドメスティック教育改革では、どうにもならない時期がきている。超グローバル・インテリジェンスでいくしかないではないか。オランダやイギリスがそうだったのである。おそらく明治維新の日本もそうだった。

★21世紀は再びその時代。もちろん覇権争いに参加しようというのではない。むしろ覇権関係の中でいかに平和を再構築するかということである。第二次世界大戦までは軍事力のバランス。それ以降は表面的には経済力のバランス。89年以降は知識のバランス。でもまだ表面的に過ぎない。水面下では軍事と経済のそれぞれの均衡のための覇権争いがある。ドメスティックな権力争いに興じている場合ではないと思う。


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日本の電子政府ランキング急下降

2007-08-21 08:29:37 | 文化・芸術
奥井規晶さんの「美しい日本の和魂洋才」というコラムページ(日経ビジネスオンライン)に、「北朝鮮より劣る? 日本の電子政府」という情報が掲載されている。

★奥井さんによると

<米ブラウン大学の電子政府ランキングが最近発表された。・・・昨年は8位であった日本のランクが、何と40位に落ちたのだ。39位が北朝鮮というのもショックだった。日本の電子政府は北朝鮮よりも劣っているらしい。ちなみにランキング1位は昨年に引き続き韓国、2位、3位はシンガポール、台湾と、アジア勢が上位を占める。4位が米国、5位が英国、6位がカナダといったあたりは、いつもの顔ぶれである。日本より上位で私が個人的に気になったのは、39位の北朝鮮以外に32位のアゼルバイジャン、34位のブータン、35位のコスタリカ、37位のエチオピア、38位のガボンなど。また、日本より下位で気になるのは、フランスの43位、中国の51位あたりだろうか。>

★ブラウン大学政治学部教授、トーブマン公共政策センター所長ダーレル・ウェスト氏は、電子政府の現在の主流は「サービス型電子政府」だということらしい。日本の電子政府の最も不得意とするところ。

★この点について、奥井さんは次のように語っている。

<日本の電子政府は、官僚視点でしか作られていない。国民の使い勝手よりも官僚の都合が優先されているのだ。官僚の都合とは、「政府が言うから仕方なくやるしかない」「取りあえず、現在の手続きをそのまま電子化しよう」「最高レベルのセキュリティー機能を組み込んでおけば、後々問題になることはないだろう」「予算の制限があるから、事情をよく知っている既存のベンダーに手っ取り早くやらせよう」といったところだ。>

★ことはe-governanceだけのことではない。一事が万事である。電子政府ランキングは、コミュニケーションが創造型国家なのか抑圧型国家なのかのランキングでもあるかもしれない。

★ “Global E-Government, 2007”by Darrell M. West Center for Public Policy Brown University から、ランキング1~64ぐらいまで列挙してみよう。フィンランドもさりげなく上位にいる。しかし、スウエーデンやノルウェーなんかは60位以下。どうやら北欧の事情も違うようだ。OECD/PISAだけではわからない事情が・・・。

※( )内は2006年の数字。国名の前の数字は順位。後の数字は指標。

1. (1) South Korea 74.9 (60.3)
2. (3) Singapore 54.0 (47.5)
3. (2) Taiwan 51.1 (49.8)
4. (4) United States 49.4 (47.4)
5. (6) Great Britain 44.3 (42.6)
6. (5) Canada 44.1 (43.5)
7. (48) Portugal 43.8 (31.3)
8. (12) Australia 43.5 (39.9)
8. (27) Turkey 43.5 (33.7)
10. (8) Germany 42.9 (41.5)
11. (7) Ireland 42.4 (41.9)
12. (16) Switzerland 42.3 (36.9)
13. (38) Brazil 41.1 (32.1)
14. (11) Dominica 41.0 (40.0)
15. (65) Bahrain 40.3 (29.6)
16. (40) Equator. Guinea 40.0 (32.0)
16. (32) Liechtenstein 40.0 (33.0)
18. (133) Andorra 39.0 (24.0)
19. (14) New Zealand 38.4 (37.6)
20. (35) Italy 38.0 (32.9)
21. (10) Spain 37.7 (40.6)
22. (20) Hong Kong 37.5 (35.4)
23. (19) Finland 37.3 (35.6)
24. (30) Vatican 37.0 (33.5)
25. (36) Malaysia 36.9 (32.7
26. (15) Netherlands 36.8 (37.4)
27. (46) Czech Rep. 36.7 (31.7)
28. (106) Brunei 36.5 (26.8)
29. (84) Cyprus (Rep.) 36.4 (28.3)
30. (40) Liberia 36.0 (24.0)
30. (56) Austria 36.0 (30.6)
30. (17) Azerbaijan 36.0 (36.0)
30. (143) Sierra Leone 36.0 (24.0)
30. (39) Bhutan 36.0 (32.0)
30. (175) Costa Rica 36.0 (20.0)
30. (73) Eritrea 36.0 (29.0)
30. (166) Ethiopia 36.0 (22.0)
30. (137) Gabon 36.0 (24.0)
30. (17) North Korea 36.0 (36.0)
40. (9) Japan 35.9 (41.5)
41. (28) Malta 35.8 (33.6)
42. (23) France 35.6 (34.7)
42. (24) Qatar 35.6 (34.5)
44. (67) Israel 35.5 (29.4)
45. (88) Croatia 35.0 (28.0)
46. (51) Iceland 34.6 (31.1)
47. (77) India 34.2 (28.7)
48. (54) Peru 34.0 (30.8)
48. (150) Zambia 34.0 (23.5)
50. (68) Mexico 33.9 (29.3)
51. (76) Peoples Rep. Chi 33.7 (28.8)
52. (66) Arab Emirates 33.6 (29.5)
53. (119) Armenia 33.3 (25.3)
53. (58) Hungary 33.3 (30.5)
55. (112) Argentina 33.1 (26.1)
55. (104) Panama 33.1 (27.0)
57. (28) Kazakhstan 33.0 (33.6)
58. (80) Colombia 32.8 (28.6)
58. (50) Syria 32.8 (31.2)
60. (63) Poland 32.7 (30.1)
60. (13) Sweden 32.7 (38.3)
62. (21) Norway 32.4 (35.0)
62. (49) Serbia, Montgro 32.4 (31.2)
64. (44) Denmark 32.1 (31.8)
64. (110) Jamaica 32.1 (26.4)
64. (55) Luxembourg 32.1 (30.7)


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「教育・文化ふくい創造会議」始まる

2007-08-20 11:31:10 | 文化・芸術
8月18日午前10時12分配信の福井新聞によると、

<教育、文化の新たな振興策について検討する「教育・文化ふくい創造会議」の第1回会合は17日、県庁で開かれた。本県の教育力アップを目指して、県内外の有識者や専門家らが(A)教員の指導力向上策(B)理科・数学教育の充実―の2テーマについて議論を交わした。10月上旬までに計4回の会合を重ね、提言を取りまとめ県に提出する。>

★会議では、
①「受験に対応する教育と、子どもたちが興味をもつ内容は別では」
②「体系的に数学を考えることが受験学力にもつながる。そうしたプログラムを作る必要がある」
③「実験の感動を持続させ、子どもたちに理論付けて教える授業を」
④「各地の公民館などを利用して、子どもたちが手作りの道具に触れて学べる数学博物館をつくっては」
⑤「地場のモノ作り産業と学校の理科を結びつけた教育を」などのアイデアが出たそうだ。

★多角的に意見がでているようだが、①から⑤は、同じテーマだ。具体と抽象のループの実現だ。具体的な現実や実験環境を子供たちにただ与えるだけでは、抽象化はおきない。もちろん少数の子供には起こる。この違いはなんだろう。ここの解明なくして、理数教育の充実はない。そしてそれを知っている教師が、指導力のある教師である。

★ところが、ここの解明がないままこの話はいろいろな自治体や国で議論されている。本当の問題の回りを永劫回帰しているのである。なぜか?この問題が解決したら利潤目的の資本主義社会、化石燃料トライアングルの国際資本主義がひっくり返るからだ。

★さて利潤目的資本主義を保守するか市民市場主義にシフトするか。これが21世紀の新しい産業構造転換と内面の構造転換の問題である。利潤目的資本主義と市民市場主義がどう違うのか?同じではないかと思えば、その人の目には21世紀は見えない。
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中教審が指導要領改定へ~「言語力」!脱「ゆとり」!

2007-08-17 08:32:24 | 文化・芸術
8月17日3時5分配信の読売新聞によると、

 <今年度中に改定が予定される小中高校の学習指導要領について、中央教育審議会(文 部科学相の諮問機関)は16日、基本方針を「ゆとり教育」から「確かな学力の向上」 に転換した上で、自分の考えを文章や言葉で表現する「言語力」を全教科で育成してい く方針を固めた。>

★OECD/PISAなどの国際学力調査で低下していることが明らかになった文章表現力や思考力を向上させなければということのようだが、問題はその向上のレベル。今年実施された全国学力テストも、OECD/PISAにならって作られたようだが、決定的にPISAと違うのはレベル。たとえば、読解リテラシーでいえば、PISAのレベル4や5の段階の問題がほとんどない。これでは、またマニフェストは空回りではないだろうか。

★国際標準に合わせた学習指導要領を設計するには、アメリカのようにIB(国際バカロレア)レベルのプログラムとそれを指導できる教員養成をする必要があるのではないだろうか。参考→米国の科学教育の巻き返し法制化
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広岡守穂さんのゆとり教育論の意義

2007-08-13 12:20:06 | 文化・芸術
JANJANに「広岡守穂の常住坐臥 」というコラムのページがある。8月11日のテーマは「本当の教育改革に求められるもの 」

★広岡さんは「いま教育改革が本当にめざさなければならないのは、子どもたちの心がふれあう機会をふやすことだと思う。そのために、ゆとり教育を堅持し、さらにもっと学校行事をふやすべきである。」と言う。

★大賛成だが、どうやって?たしかに「文化発表会や運動会や卒業式やといった学校行事は、準備や練習にたいへんな時間と労力を費やす。だからそれをつうじて、子どもたちの心と心がふれあう。演劇やお祭りや運動会は大切な心のスキンシップの場である」が、すでにそういう機会が少なくなって久しい。

★場を設けても、うまくいくだろうか。たしかに「ケンカも競争も反抗もコミュニケーションのかたちである」が、そもそもコミュニケーションって何だろう。

★かつての地域や隣人とのコミュニケーションは果たして理想的だっただろうか。そんなことはないだろう。20世紀型産業社会の労働者を保守する場ではあったかもしれない。しかし、そのような場を再び強制的に取り戻したとしても、事態は改善されないだろう。

★このコミュニケーション不全事態は、20世紀型産業社会の成れの果てなのだから。「学校で切れる小学生」の激増は、コミュニケーション不全症候群かもしれないが、これもまた成れの果てなのである。生み出した原因を再び取り戻そうというのは牧歌的ではなく、矛盾に満ちた話に過ぎない。

★「小学生ばかりではない。わたしは大学の教壇に立っているが、最近の若い人は感情表現が苦手というか、感情のコントロールが下手というか、とにかく対人関係をうまくやっていくことができない。泣いたり怒ったりして発散すればいいのに押さえてしまい、それが積み重なってあるとき突然いままで押えていたものが爆発したり。対人関係にものすごく気をつかうあまり、お互いにぱんぱんにふくれた腫れ物にさわるような状態になったり。そのためにうまく人とつきあっていけない。みんながみんなそうだというわけではないが、そういう若者がふえている。」とあるが、

★問題は、問題なそうな表情をして、いつも仲良し、良い子でテンションが下がることを怖れている、混沌感情が空洞化しきった優等生たちではないか。まさにクローン化された。私は私以上でも私以下でもない存在。多くの大人は彼らを信頼ではなく、頼りすぎる。自分が安心したいからだ。そしてそれが今の最大公約数の市民という名の大衆。

★こんなことはすでにオルテガをはじめ、19世紀末から思想家が警鐘をならしてきたことではないか。「いじめ、ひきこもり、虐待といった、最近深刻化している問題はコミュニケーション能力の衰退によって引き起こされている。民俗学者の柳田国男が「最近の日本人は泣かなくなった」と書いたのは半世紀ほども前のことになるが、そのころとは比較にならないほど日本人はコミュニケーションが下手になったのではないかと思う。学校教育は、まず感情表現や心のふれあいやコミュニケーションについて、子どもたち自身が経験する場でなければならない」とあるが、広岡さん本人も言っているように、半世紀まえからコミュニケション不全症候群は始まっている。今さらどうやって学校をふれあいの場に変えられるというのだろう。

★コミュニケーションの取扱説明書をきちんと作らねばならないということだろう。自然調和的なコミュニケションは今はもはやない。いやはじめからなかった。社会の規範や規制の中でのコミュニケーションしかなかったはずだ。社会が変わったのだから、かつてのコミュニケーションが展開できる余地が少なくなるのは当然だ。

★新しい社会には新しいコミュニケーションが必要であり、それは作る必要がある。自然予定説は、ここにはない。コミュニケーションのシステムをつくり、取扱説明書を開発し、それを使うプログラムを実行することが肝要である。それは「ゆとり教育」でしかできないと言うのなら、それには大いに賛同したい。
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