教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

21世紀の国富論~ジョージ・ハラの日本文化論

2008-08-31 16:31:37 | 
21世紀の国富論
原 丈人
平凡社

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☆考古学に没頭した若き青年原丈人(はら じょうじ)氏は、今ではシリコンバレーを代表するベンチャーキャピタリスト。

☆時代の求めているものを的確に見出す眼は、考古学者の目なのだろうか。いずれにしても1990年以降の世界の産業構造の大変化をとらえ資金を集めたり投資したりして大成功を収めているだけに、シンプルだが説得力ある一つの視覚は参考になる。

☆ハードからソフトへ、ソフトからハードとソフトが一体したPUC時代へ。PUC時代を構築するのは芸術家のようなクリエイティビティの持主・・・。

☆ただし、それはアメリカとEUの話。日本は先進国の仲間のようにおだてられながら、ハード産業が中心であるのは、韓国やBRICsと同じだ。そこに気づき、日本のモノづくりの職人芸をソフト化することが重要だと。

☆しかし、所詮そのソフトもハード化しなければ商品にならない。ソフトを生み出すアイデア、ソフトのソフトを育てる教育産業は、どうも市場化されにくい。すべてが市場化されるより、市場化されない目に見えないアイデア部分がある方が世のためかもしれないが、市場化されないと本当の意味でクリエイティブな仕事は広まらぬ。

☆市場万能資本主義の世界に教育はなかなか根ざしにくい。ここで本書の議論は終わる。資本主義的市場の危うさというとらえかたをすれば、倫理的市場のあり方を模索できる。資本主義と市場とは違うのだ。

☆いずれにしても21世紀の国富論は、ソフトのソフト、ハードのアイデアではなく、そのアイデアを生み出すアイデアの部分が市場で商品となる必要がある。この部分は、まだまだ大学がクローズド。日本だけの問題ではない。知の鎖国状態をなんとかせねばなるまい。

各紙の教育見識~日経に軍配上がるか

2008-08-31 09:49:44 | 文化・芸術
☆8月29日に、小学6年と中学3年を対象とした2回目の全国学力テストの結果が公表された。この結果を受けて、各紙が社説やコラムで見識を披露している。

読売新聞の社説は、オーソドックスというか可もなく不可もなく。。。

昨年と今年の結果を見ると、学力と家庭での生活・学習習慣には相関関係がある。「朝食を毎日食べる」「学校に持って行くものを前日か当日朝に確かめる」など、規則正しい生活を送る子どもは正答率が高い。学力の高い学校にも、一定の共通点がある。例えば、物を書いたり様々な文章を読んだりする習慣をつける授業をしている。また、地域に理解と協力を求めるため、教育活動をホームページで公表したり、住民が自由に授業参観できる日を設けたりしている学校だ。

☆どうも共同体的相互監視道徳のアピールに終わっている。あらゆる個人の生活ルールは、自由である方がよい。社会のルールと生活ルールのぶつかり合いをどのように調整しているかどうかがポイントなんだが。読売が教育記事を重視しているので、もう少し知の自由、真理への自由がアピールされるかなと期待したのだが・・・。

朝日は社説ではうまく経済の問題に逃げたなぁ。

このように、多額の予算と労力を費やして全員を対象にしたのに、ふさわしい果実は得られない。となれば、思い切って見直すのが筋だろう。・・・・・・そして何よりもいま力を注ぐべきなのは、少人数指導など、この調査でも有効性が確認された授業形態を少しでも実現させることではないのか。そのために欠かせないのが、教員の数と質の向上である。今年の調査にかかった費用はざっと60億円にのぼる。文科省は7月に決めた教育振興基本計画に小学校の外国語教育向けの教員増を盛り込もうとしたが、財政難を理由に実現しなかった。その予算が、学力調査の費用でそっくりまかなえるのである。

☆予算の配分の効率性の指摘という点では、世間に対し説得力はあるが、根本の問題を表現していない。気持はわかりますが^^;・・・。

日経のコラム「春秋」は一つの見識として、マスコミが共有してほしいものだった。

▼「ゆとり」の名の下で「ゆるみ」が進んだという危機感はよく分かる。とはいえ、子どもを机に縛り付ける時間を増やせば学力が上向くとは限らない。知識はなかなか豊富でも、それを活用するのが苦手――。文部科学省の全国学力テストは昨年と同じく、こんなアンバランスな学力事情を浮かび上がらせている。▼文科省は来年度予算の概算要求に、新指導要領に備えた経費をいろいろと盛り込んだ。脱「ゆとり」シフトだが、それがたんなる詰め込み教育に戻るのでは意味がない。じつは昭和30年代の学力テストでも「実際への応用力が劣る」との分析があった。本当の学力とは何か。この宿題はずっと手つかずのままだ。

☆世界で共通の知識は何か、学習指導要領は知識の選択・配列も世界標準のモノサシに合わせつつ、検討されるべきなのに、それはなされていない。タコツボ型社会で通用する学力であればよいでは困るのに、そんなことは顧みられないまま、反動的になるのではないかと不安を吐露しているのがよい。さらに戦後ずっと応用力の育成が学習指導要領に盛り込まれていないという認識も明快に表現している。

☆本当に、ここが大事なんだなぁ。もともと学習指導要領には、論理的思考、批判的思考、創造的思考の育成プログラムが本気になっては組み立てられていない。全国学力テストはPISA型をモデルにしていると言われている。外的形式はそうだろう。しかし内的な思考のレベルは無視されている。PISAこそ論理、批判、創造のための思考力をいかに育成するか、そのための調査テストなのにー・・・。





学力テストで上位の秋田に学べ!

2008-08-30 08:38:38 | 文化・芸術
☆【学力テスト】小学校は秋田1位、中学は福井 大阪ふるわず(産経新聞 2008.8.29 17:09)によると、

全国学力テストの都道府県別順位表 文部科学省は29日、今春、小学6年生と中学3年生を対象に行った全国学力・学習状況調査(全国一斉学力テスト)の結果を公表した。平均正答率は基礎を問うA問題、活用力を問うB問題ともに昨年度に比べ9~16ポイント低下した。幅広く出題し難しくなったことが原因とみられる。昨年度同様、活用力に課題があるとともに、学力がばらつき、二極分化していることも浮かび上がった。都道府県別の正答率では、秋田、福井など上位層、沖縄、北海道など下位層は変わらず地域差の固定化が懸念される。

昨年に引き続き、秋田、福井の子どもたちががんばっている。小学生では、青森、富山、石川の子どもたちがすごいな。小学校では東京も5位。

☆大阪や北海道、沖縄、長崎、滋賀などの子どもたちは、心配だ。このような格差を学力格差と称し、国語と算数(数学)の問題の解き方で競わせるのは、やはり問題である。全国学力テストをやるまでもなく、得点格差はつく。学力格差という表現は問題を見えなくする。たんに得点格差というべきだ。

☆得点格差をなくすことを学力格差を是正することだという大義名分で、政策を立てる。これが問題だ。結局解き方の勉強しかしなくなる。

☆ところがだ、秋田の中高一貫校の校長を経て、小学校の校長に就任にした先生は、数学(算数)を通して人間存在の故郷を回復したいと言っている。子どもたちは、教科を学ぶのではない。教科を通して、論理や感性、それ以上の人間性すべてを感じるのだ。それが大事だと。

☆この意味で学力格差がつくならばそれはゆゆしき事態だ。だから全国学力テストは実行しなければならない。実行するからこういうリスクが見えてくる。しかし、本質を見失うと、再び解き方ゲームという、人間存在の悲喜こもごもを隠ぺいする結果となる。

☆秋田に学べ!人間存在の回帰への教育を!

ペシャワール会の痛みを共有するのは簡単ではない

2008-08-28 05:41:46 | パラダイム
☆まずは、「ペシャワール会」の伊藤和也さんの偉業を称え、ご冥福をお祈りしたい。

☆治安「認識甘かった」 NGOの中村代表(日経ネット 2008年8月27日)によると、


アフガニスタンで非政府組織(NGO)「ペシャワール会」の伊藤和也さん(31)が武装グループに拉致され死亡した事件で、同会の現地代表中村哲医師(61)が27日、バンコク国際空港で記者会見し、現地の治安悪化について「わたしを含め、情勢に対する認識が甘かった」と無念さをにじませた。・・・・・・ジャララバードに残っている日本人スタッフは早急に帰国させるという。一方で「伊藤君の遺志を継ぐ意味でも、活動をやめることはない」と語り、アフガン人スタッフで事業を継続する意向を示した。

☆ペシャワール会は、アフガンの人々の痛みを共有し、癒し、解決する現実的な支援活動を行ってきたし、これからも続けるという。そして伊藤さんも、この痛みを、アフガンの人々と共に感じ、農業支援をいっしょに行ってきたすごい人だったと思う。

☆その痛みをわたしたちも共有しなければと思うが、それがどれだけ難しいことか。そんな勇気はなかなかもてない。もはやそれほど危険なところで、活動する理念をもつことはできない動物化された私たち。ひたすら危険を回避することでしか生きていけない。

☆そんな社会にあって、希望の光は、ペシャワール会であった。大澤真幸氏も「不可能性の時代」の中でそう述べているほどである。しかし、私は、ペシャワール会の思いの継続とその活動の安全を、ただただ祈ることしかできない。伊藤さんの思いと行為の大きさははかりしれない。

ロシアの国際政治経済の方向転換?

2008-08-26 06:42:27 | グローバリゼーション
☆NATOと断絶辞さず ロシア大統領、グルジア紛争で言及(2008年8月26日 中日新聞朝刊)によると、

ロシアのメドベージェフ大統領は25日、グルジアの南オセチア自治州をめぐる紛争で悪化している北大西洋条約機構(NATO)との関係について「断絶も辞さないとの意向を示した。ロシアは同日、上下両院がグルジアからの同自治州とアブハジア自治共和国の独立承認を大統領に求める声明を採択するなど、強硬姿勢を強めている。・・・・・・これに対しグルジアのサーカシビリ大統領は、24日付の米紙のインタビューで「グルジアの旗の下に南オセチア、アブハジア地域の統一を追求する。軍も完全に復活させる」と述べ、対抗意識をあらわにしている。一方、ロシアのプーチン首相は25日、世界貿易機関(WTO)加盟交渉について「国益に反する合意の一部は履行を凍結する」と語った。

☆ロシア対グルジアではなく、冷戦時に回帰するような動きが背景にあるということか・・・。ただ、新しい冷戦への転換だとみなしておいたほうがよい。

☆20世紀の冷戦時は、3角経済圏が2つあったわけであるが、21世紀の3角経済圏は1つである。この3角経済圏の覇権争いが生まれているということだろう。ロシアの孤立が論議されているようだが、化石燃料などの多くの資源を事実上大量に有しているロシアが、孤立するはずはないだろう。

☆経済の回収システムをロシアが飲み込もうとする国際政治経済の方向転換を推進しているのだろう。もはやロシアはBRICsから抜けだし、BRICsはBICsとなり、その他の新興国があとに続くというわけだろう。

☆つまり、「中東―日米欧―BRICs」は「中東―日米欧露ーBICs」となるということではないか。「日米欧露」の間での文明の衝突、もちろん3角の頂点同士の文明の衝突もある。多次元の文明の衝突ということか。しかしこれは避けねばならない。教育の力の腕の見せどころである。

武道必修化と建築費

2008-08-24 09:29:30 | 文化・芸術
☆<武道必修化>中学校に道場新設へ 来年度予算要求60億円(8月23日15時1分配信 毎日新聞)によると、

文部科学省は、中学校の新しい学習指導要領(12年度完全実施)で武道を必修化するのに伴い、09年度予算の概算要求に全国の中学の武道場整備費50億円を盛り込む方針を固めた。専用の武道場がある学校は半数程度しかなく、09年度は200校程度で施設整備を図り、その後も計画的に校数を増やす。関連で地域で指定校を定め、指導者を招くなどの事業に10億円を計上する方針だ。・・・・・・武道は、柔道、剣道、相撲から選択するが、地域や学校の実情に応じ、なぎなたや弓道なども認められる。

☆武道そのものは、「道」を究めるという意味で重要だ。茶道や華道も書道も、そういう意味では相通じる。

☆「道」は、ハワード・ガードナー教授も言う、「熟練」「統合」「創造」「尊重」「倫理」という5つのマインド(5M)の実現のプロセスであるからだ。

☆しかし、この5Mのうち、「倫理」が崩れると、内田樹氏の言うように、武道は「殺傷技術」に変容する

☆こうならないようにチェックするシステムがどこにあるのだろうか?現文科相は「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」を盛り込んだ改正教育基本法は、軍隊的精神に基づいた愛国心を育もうなんて思っていないと言っている。

☆実によろしい覚悟だ。だが、この覚悟を見える化して形式知として法律に盛り込まなければ、暗黙知に過ぎない。この暗黙知が習慣法になってほしいのだが、今のところ国と郷土を愛するとか伝統文化を尊重するとかという慣習法的文脈は、軍国主義が最も強いのが、日本の現状ではないだろうか。

☆いくらそうではないと言っても、言語の文脈上、そうなんだなぁ。実に困った困った・・・。

☆学習指導要領の改訂は、武道問題だけではなく、教員の免許更新問題、それから私立学校の≪官学の系譜≫回収問題が横たわっている。いきなり改正教育基本法という新しい伝家の宝刀の試し切りをしているのだろうか。

☆それとも不動産不況を脱却するための突破口を開けようという土建国家復権の動きなのだろうか。

☆教育と経済の問題や教育の市場化を不問に付し続けてきた公立学校=≪官学の系譜≫の背景には、教育と経済の政治的つながりがあるのだろうか?合法的拠出金などということにならなければよいが・・・。

原油バブルは崩壊するのか?

2008-08-22 07:50:05 | 経済
☆原油価格下落 逃げ出し始めた投機マネー(2008年8月19日(火)2時12分配信 読売新聞)によると、

“原油バブル”の崩壊が始まったと見ていいのだろうか。原油価格の急激な上昇傾向に、大きな変化が生じている。国際指標であるニューヨーク市場の原油先物価格は、7月11日に1バレル=147ドルの最高値をつけたあと下落し、このところ110ドル台前半で推移している。下落幅は30ドルを超えた。・・・・・・原油価格は、2000年代の初めごろは20ドル台だった。だが、中国やインドなどの経済発展で原油需給が引き締まり、先行き値上がりすると読んだ投機マネーが流入したことで、一気に高騰した。・・・・・・投資ファンドの行き過ぎた行動に対する国際的な批判が高まり、規制に慎重だった米国が、重い腰を上げたことが流れを変えた。商品先物取引に関する米国の規制当局が7月下旬、原油市場などで不正な利益をあげたとして、投資ファンドの一つを摘発した。米議会には、先物取引の規制を強化する法案も提出された。こうした“包囲網”で、投機マネーが市場から逃避し始めたようだ。

☆今回の原油先物価格の下落が、規制によるものだとしたら、その下落は一時的なものだろう。というより、むしろ市場の原理による調整に過ぎないと思う。市場の原理では独り勝ちを持続することはできないからだ。

☆原油のマーケットは、基本的には化石燃料の争奪という戦争という暴力を背景にもったマーケットであり、その上下の不安定さは、中東―日米欧―BRICsの3角経済循環メカニズムをいかに形成するかにかかっている。

☆したがって、原油バブルが崩壊し、新たな産業社会構造メカニズムが世界に広がらない限り、再びバブルは生まれてくる。いや今回のバブル崩壊で3角経済循環も崩れると言われるかもしれない。

☆たしかに、ロシアが南オセチア自治州に軍事介入したグルジア紛争に市場はまだ反応していない。カスピ海原油を黒海に送るパイプラインが通っているグルジアだけに、従来なら価格高騰の要因になるはずだ。3角経済の綻びの象徴なのか。

☆そうではないだろう。このロシアの軍事介入こそ、3角経済循環のメカニズムの存在の証である。ただ、欧米の執拗なロシアの軍事介入排除の政治的活動が、高騰を規制しているだけであろう。

☆3角経済循環メカニズムそのものの崩壊ではなく、むしろこのメカニズム持続可能のための欧米による国内外の調整と見た方がよい。日本は、化石燃料を輸入する側だから、その政治力学のチャンスをつねにうかがうしかできない。

☆この悪循環から抜け出るには、化石燃料に頼らないイノベーションか、教養見識を持つ教育の開発とその浸透によるしかない。いずれにしても創造的才能者の輩出にこそ突破口があるのは確かである。

 

存在の響きを広げる若き人間

2008-08-18 01:41:23 | 文化・芸術
☆2006年の教育基本法改正以来、≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫をどうとらえようかと模索している。前者は「管理の不足」を課題解決のゴールとし、後者は「存在価値の喪失」の復元を解決の理念とする。

☆≪私学の系譜≫の現実態として私立学校があるけれど、すべての私立学校がこの系譜に属するわけではない。現実と理想のGAPを明確にするには私立学校のシステムとその実態を観察する以外にはないのだが、≪私学の系譜≫の思想性、世界性、歴史性を認識するには、それだけではムリであると最近少し絶望気味である。

☆しかし、そんなとき、私立学校出身者の思想家や小説家の書いたものを読んでいるうちに、彼らが中高時代にその思想的影響をかなりまともに受けていることに改めて驚き、その系譜をたどると確かに≪私学の系譜≫にいきつくなぁという直感めいたものが生まれてきた。

☆それで、東浩紀氏(氏は国立の中高出身者だけれど中学受験組ということで私立学校出身者と共有するものがあるかな・・・)、北田暁大氏(聖光出身)、宮台真司氏(麻布出身)、平野啓一郎氏(明治学園出身)などの作品を読んでいる。

☆そんなふうに≪私学の系譜≫のクライテリアのフィルターを作って、様々な人間の生き様を見てみると、リアルな私立学校を卒業していようがいまいが、≪私学の系譜≫に属している人々がたくさんいることに気づいた。

☆≪私学の系譜≫というのは、生き様を決定づける学びのシステムのことであるということになるのであるが、それが教育基本法の改正によって、阻害されることになる危機感が直感的にある。この感覚は≪私学の系譜≫としての私立学校の教師や≪私学の系譜≫としての公立学校の教師と共有しているものである。

☆とても長い枕だったけれど、この教育基本法の改正の動きは、憲法改正や憲法9条問題と実は重なるのである。この重なりの問題は、結局存在の響きあいをいかにして表現するのか、外部性の導入の正当性と信頼性と妥当性をコミュニケーションによって絶え間なくチェックしていく存在の響きを他者と自己と形作る自己の制作あるいは編集という芸術活動のテクノロジーをいかに陶冶していくのかという問題である。

☆そんなことを考えていた時、私の思いなどとっくに美術展というプロジェクトで実行している若者に出会った。それは渡辺真也氏。氏が私立中高出身かどうかはわからないが、ハイデガーではなくレビナス的存在論を背景に、存在の文脈を幾人かのコンテンポラリーアーティストの作品の展示De-signすることで、織りなしていく語り部の姿は、≪私学の系譜≫の生き様である。

☆しかも渡辺氏の場合、宮台真司氏や東氏、北田氏とはちがって、≪私学の系譜≫の第3世代的な感覚ではなく、第1世代の新島譲や江原素六のような生き様である。第2世代の新渡戸稲造や内村鑑三のような生き様ともいえるかもしれない。

☆宮台真司風にいえば、枢軸国的保守でも連合国的保守でもない。保守本流なのかもしれない。いずれにしても外部性なき大きな物語の消失が、外部性そのものを断絶する可能性のあるという意味で不可能性の時代を迎えているにもかかわらず、いやそうだからかもしれないが、外部性としての存在の響きの共振を広げようという若き人間がいることに驚き、そのような人間の生き様を形成する学びのシステムとしての≪私学の系譜≫は、どこにあるのか探すことは、そしてシェアすることは、意外と大切なことではないかと少し気分が開けた。

☆で、要するに何がトリガーになって書き綴ったのか。以下のサイトやブログを見るとわかると思う。そして、ぜひ代官山と品川にでかけて心身感覚で感じてほしい。

●アトミック・サンシャインの中へ渡辺真也氏の世界性がある。

●「アトミックサンシャインの中へ」渡辺真也・照屋勇賢インタビュー vol.1

●「アトミックサンシャインの中へ」渡辺真也・照屋勇賢インタビュー vol.2

●「渡辺真也×照屋勇賢×茂木健一郎」の対話

悪とは何か?

2008-08-18 00:00:05 | 
決壊 上巻
平野 啓一郎
新潮社

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☆平野啓一郎氏の小説はいつも衝撃的である。1975年生まれの若手作家でありながら、中世カトリック修道院以来の普遍論争の知識があちらこちらに見え隠れする。

☆あまりにも日本の今の時代の犯罪舞台の小説であるのに、日本を超えたというか、外国の今日性をも超えたところに拠点を置いて表現している。

☆今朝のNHKの日曜討論「相次ぐ通り魔事件 いま何が必要か」は、最後の5分くらいしか見ることができなかったが、そこで、平野氏は、大きな物語はなくなって、個人個人の物語をつくるようにという時代で育ったけれど、結局個性を形成しても社会が受け入れない。勝ち組負け組という粗雑なシステムを同世代に埋め込んでしまう社会こそなんとかしなければというような趣旨のことを言っていたような気がする。

☆ジャーナリストの斎藤貴男氏も、そんな社会ダーヴィニズムのシステムこそ学校においても問題にしなければならないと平野氏に共鳴していたのに、日本教育大学院大学教授の河上亮一は、学校はそいうところではない。一人前の社会人に育てる場所だし、経済社会とは隔絶されているところだから、そこに経済社会の実際を持ち込まれても困るなんて応答をしていた。

☆学校という教育の社会は理想で、経済社会は現実社会というわけでもないにもかかわらず、現実を見せない場とは何だろう。

☆決壊(下)の最後の部分で、主人公がさらりとこういう。中世において悪とは「善性の欠如」であったけれど、現代の悪は「健康の欠如」であると。日曜討論を見て、現代の学校システムは、この「健康の欠如」を埋めるためのシステムなのかと思った。「大きな物語=善性」の欠如は問題にならないのである。

☆その他のメンバー、吉岡忍氏(ノンフィクション作家)、奥谷禮子氏(経済同友会幹事 人材教育・派遣会社社長)、斎藤環氏(精神科医)も平野氏の問いかけに共鳴していたのに、なぜか川上氏は、無視していた。学校社会が経済社会にかかわると歪みが生じるというリスクを隠ぺいする頑迷固陋なその姿が、世の決壊を生んでいるというのに・・・。

宮台真司氏の限界の思考戦術

2008-08-17 08:46:52 | 
限界の思考 空虚な時代を生き抜くための社会学
宮台 真司,北田 暁大
双風舎

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☆1959年生まれの宮台真司氏と1971年生まれの北田暁大氏の対話編。宮台氏は麻布から東大、北田氏は聖光から東大。おもしろいのは≪私学の系譜≫が脈々と再生産されているということが明確に表現されていることだ。

☆1980年代以降、≪私学の系譜≫は、空虚な時代の影響を受け、≪受験の象徴≫にすり替えられてしまった。これによって、≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫の格差が経済格差のシステムのごとく語られてきた。

☆本来そのリスクをヘッジするのが≪私学の系譜≫であるが、つまり人類普遍の原理の全体性や世界性、歴史性をいかに日常の生活世界に反映させるか、日常の生活世界からいかに全体性・世界性・歴史性を再帰するかがポイントであったのが、全体性や世界性、歴史性を、ボーダレスという言説で、つないでいるかのようであるが、切り取り、生活世界との限界を見えなくした。これが空虚な時代、不可能性の時代のなせるワザ。

☆全体性や世界性、歴史性は、生活世界内部の個々人のシミュレーションとして存在するに過ぎないのである。しかし、そのシミュレーションを持って、保守であるとか右翼であるとかみなされている。

☆ここにはナチズムに通じるものがある。宮台真司氏が天皇論に関心があるという戦術は、生活世界と全体性の限界線を見出すためだ。見出すことによってリスクを回避するという思考。それが限界を見出す思考ということだろう。宮台氏の天皇論はファシズムと非ファシズムの差異を明らかにする戦術ということか。

☆≪官学の系譜≫と≪私学の系譜≫が、東大で同居するというのが日本の教育のアイロニーである。本書は、社会学と現代思想の知識がないとなかなか読む気になれない幻惑的な表現で満ちているが、基本は座標系で言葉を整理しながら読んでいける。廣松渉的だし、西部邁的な思考背景があるからだ。いずれにしても保守本流の思想を探る思考戦術が、ここにはある。

☆だがしかし、この戦術は、宮台氏自らが有効だと考える枢軸国側のリフレクション知。連合国側のコモンセンス知をゆるゆると指摘する。枢軸国側の戦術知と連合国側の戦略知と、いずれが有効なのだろう。それはわからない。