◆今日(2006年6月24日)、東京女子学院(TJG)で、合唱発表会が行われた。全校生徒が140人ぐらいのスモールサイズの学校のよさがしみじみ出ていた。ホールに全校生徒、在校生の保護者、OG、受験生とその保護者が一堂に会することができたし、何より1位と2位になったクラスは、再合唱するなど、余韻を楽しむこともできたからだ。
◆それにしてもTJGは変わった。外から見ているだけでは、たいして変化していないように思われるかもしれないが、このようなイベントに参加すると3年前のTJGとは学校の雰囲気が違っていることにすぐ気づく。
◆英語の大改革を断行したはじめのころは、pedagogy 1色だった。学校だからpedagogy
としての教育を実践するのは当たり前だったのであるが、外国人教師による、英語だけの英語教育の導入とは、実は同時に「学び学」を導入するという仕掛けがあったはずだ。しかし、それは先生方にとっては、環境の大変化をもたらすことを意味し、隕石でも落ちてきたかのような驚きだったと思う。
◆それでも酒井校長先生は、時代の先を読んでいた。学校の先生方の当惑に動揺せずに、新しい教育を取り入れていかれた。私学は先進性が特徴なのだと。20世紀末から教育に、pedagogy 以外の学びという方法論を導入する動きが先進諸国で明らかになってきた時期とも重なっていたこともあっただろう。
◆それまでは教育学を表現するpedagogyという言葉はあったが、「学び学」を表現する言葉は存在しなかったので、新たにmatheticsという言葉をMITのシーモア・パパート教授が作り出さねばならぬほど、「学び学」が要請されていた。もちろん今もそうで、北欧の教育はこの流れを教育に導入している。
◆つまり、生徒中心主義で、議論をしながら自分たちで調べながら知識を広め、あるいはアイディアを生み出し、提案として構築してプレゼンするというmatheticsをだ。これをアメリカのチャータースクールであるミネソタのニューカントリースクールではプロジェクト・ベース学習と呼んでいる。インドのエリートスクールでは統合的学習、日本では総合的な学習と呼んでいる。
◆しかし、北欧はそのルーツを実はソクラテスの対話に発見している。これは北欧のみならず欧米や東アジアの新興勢力の国々、BRICs全体に言えることだ。つまりアテネに帰れだ。
◆欧州ではスパルタとアテネは政治経済、文化、芸術、教育において対比される。教育においては、スパルタはpedagogy、アテネはmatheticsとなる。夏目漱石の文学は非常におもしろいのに、漱石の英語の授業はpedagogyでつまらなかったという。漱石が教える前には小泉八雲が講義を受け持っていたが、漱石に比べ対話型でたいそうおもしろかったという。漱石自身、自らの小説の中で、自らをつまらない教師として登場させているぐらいだ。とにかく漱石の講義形式は、日本の近代教育の典型。
◆ソクラテス型が見直されているのは、おそらくソクラテスの知の生み出し方が想起という産婆術だったからだろう。21世紀に必要な創造的なタレントを持った人材発掘のためには、教育学では限界がある。教育学は人を作るのは得意だが、タレントを引き出すのは不得意。そこでソクラテス的対話術をというわけだろう。もっとも欧州の知はカントにしてもヘーゲルにしても弁証術がベース。弁証法は対話術と訳すべきだったのだが・・・。またハイデッガーの存在論も結局ロゴスを通して、現存在が存在に気づいていくという方法論。現存在に存在を教え込むのではない。想起させるのである。
◆だから教育学の世界では、デカルトだけではなく、コメニウスが復権している。簡単に言えば、デカルトは左脳の覇者。コメニウスは右脳の支援者。TJGは右脳教育の先進校。ただし、現場は左脳中心だった。つまりpedagogy中心主義。しかし、それが英語教育の改革以降の3年間でデカルトもコメニウスもバランスよく登場してくる教育の雰囲気が生まれているということなのだろう。
◆酒井校長先生が、「合唱発表会のプロセスは、社会の縮図です。個人の力とグループの力の葛藤が存在し、それを乗り越える活動が行われていますね。個人と全体のバランスがとれるようになることは、人間になることです」と語られた。
◆生徒たちは、自分たちが歌う前に、自分達が取り組んできたプロセスと思いを200字程度の言葉で語った。それから合唱に入る。いかにクラスのチームワークを作っていくかその葛藤を乗り越えた苦労と詩の意味を深く読解したという2点について、表現はそれぞれ違うが、力を込めてプレゼン。そしてその意図どおりの合唱。会場は感涙に溢れた。
◆このような感動は、酒井校長先生の言葉、つまり建学の精神の自由な展開によってもたらせていることも明らかになった。生徒たちのプレゼンは、いかに先生方に支えられながら(決して教えられたのではなく)、協力し合って事を成したかについて語られていたからだ。
◆高校3年生が、「この行事が私達が参加できる最後の行事となりました」と語ってから最後の合唱を歌ったときに、歌っている本人たちだけではなく、会場の保護者も、そして先生方も涙していた。
◆トーマス先生も目を真っ赤にして涙を流していた。完全に異文化を乗り越えていた。そういえば、かつては英語科の先生が外国人教師と話しているのが多かっただろうが、今では行事の準備を他教科の先生方と外国人教師がいっしょになってやっている。互いに英語と日本語を交えながら。トーマス先生も一生懸命ビデオを撮っていた。
◆TJGの中学校3年生は1クラスしかなく、生徒は6人。合唱の前に、「『明日に渡れ』という曲はノリが良く、ハモるととてもきれいに聞こえ、私たちのクラスに合っていると思います。しかし、6人で初めての三部合唱は音を取るのが大変で、なかなかきれいにハモらなくて少し苦労しましたが、上手くできた時の感動はとても大きく、頑張ろうという気持ちにさせてくれました。6人の合唱は今年で最後なので、1人ひとりが責任を持って歌い、悔いが残らない歌にし、最高の思い出になるような合唱にしたいです。」と宣言。見事に2位になった。
◆この中3は、TJGの教育改革がまだ普及する前の生徒募集の時期にあたっていたため、集まったのは少なかったが、それがかえってよかった。確かに学校経営上生徒が少ないのは困るが、教育と学びのバランスがとれた環境、つまり左脳教育と右脳教育のバランスがとれた環境が、6人のタレント、テクノロジー、トレランスを見事に花開いたのである。
◆このような意味で、TJGの教育に変化が生まれたのだと思う。酒井校長先生の論理と芸術の両方を融合させた教育のアイディアが現実態になってきたということだろう。その現れの象徴が合唱発表会という出来事だったのではないだろうか。
◆それにしてもTJGは変わった。外から見ているだけでは、たいして変化していないように思われるかもしれないが、このようなイベントに参加すると3年前のTJGとは学校の雰囲気が違っていることにすぐ気づく。
◆英語の大改革を断行したはじめのころは、pedagogy 1色だった。学校だからpedagogy
としての教育を実践するのは当たり前だったのであるが、外国人教師による、英語だけの英語教育の導入とは、実は同時に「学び学」を導入するという仕掛けがあったはずだ。しかし、それは先生方にとっては、環境の大変化をもたらすことを意味し、隕石でも落ちてきたかのような驚きだったと思う。
◆それでも酒井校長先生は、時代の先を読んでいた。学校の先生方の当惑に動揺せずに、新しい教育を取り入れていかれた。私学は先進性が特徴なのだと。20世紀末から教育に、pedagogy 以外の学びという方法論を導入する動きが先進諸国で明らかになってきた時期とも重なっていたこともあっただろう。
◆それまでは教育学を表現するpedagogyという言葉はあったが、「学び学」を表現する言葉は存在しなかったので、新たにmatheticsという言葉をMITのシーモア・パパート教授が作り出さねばならぬほど、「学び学」が要請されていた。もちろん今もそうで、北欧の教育はこの流れを教育に導入している。
◆つまり、生徒中心主義で、議論をしながら自分たちで調べながら知識を広め、あるいはアイディアを生み出し、提案として構築してプレゼンするというmatheticsをだ。これをアメリカのチャータースクールであるミネソタのニューカントリースクールではプロジェクト・ベース学習と呼んでいる。インドのエリートスクールでは統合的学習、日本では総合的な学習と呼んでいる。
◆しかし、北欧はそのルーツを実はソクラテスの対話に発見している。これは北欧のみならず欧米や東アジアの新興勢力の国々、BRICs全体に言えることだ。つまりアテネに帰れだ。
◆欧州ではスパルタとアテネは政治経済、文化、芸術、教育において対比される。教育においては、スパルタはpedagogy、アテネはmatheticsとなる。夏目漱石の文学は非常におもしろいのに、漱石の英語の授業はpedagogyでつまらなかったという。漱石が教える前には小泉八雲が講義を受け持っていたが、漱石に比べ対話型でたいそうおもしろかったという。漱石自身、自らの小説の中で、自らをつまらない教師として登場させているぐらいだ。とにかく漱石の講義形式は、日本の近代教育の典型。
◆ソクラテス型が見直されているのは、おそらくソクラテスの知の生み出し方が想起という産婆術だったからだろう。21世紀に必要な創造的なタレントを持った人材発掘のためには、教育学では限界がある。教育学は人を作るのは得意だが、タレントを引き出すのは不得意。そこでソクラテス的対話術をというわけだろう。もっとも欧州の知はカントにしてもヘーゲルにしても弁証術がベース。弁証法は対話術と訳すべきだったのだが・・・。またハイデッガーの存在論も結局ロゴスを通して、現存在が存在に気づいていくという方法論。現存在に存在を教え込むのではない。想起させるのである。
◆だから教育学の世界では、デカルトだけではなく、コメニウスが復権している。簡単に言えば、デカルトは左脳の覇者。コメニウスは右脳の支援者。TJGは右脳教育の先進校。ただし、現場は左脳中心だった。つまりpedagogy中心主義。しかし、それが英語教育の改革以降の3年間でデカルトもコメニウスもバランスよく登場してくる教育の雰囲気が生まれているということなのだろう。
◆酒井校長先生が、「合唱発表会のプロセスは、社会の縮図です。個人の力とグループの力の葛藤が存在し、それを乗り越える活動が行われていますね。個人と全体のバランスがとれるようになることは、人間になることです」と語られた。
◆生徒たちは、自分たちが歌う前に、自分達が取り組んできたプロセスと思いを200字程度の言葉で語った。それから合唱に入る。いかにクラスのチームワークを作っていくかその葛藤を乗り越えた苦労と詩の意味を深く読解したという2点について、表現はそれぞれ違うが、力を込めてプレゼン。そしてその意図どおりの合唱。会場は感涙に溢れた。
◆このような感動は、酒井校長先生の言葉、つまり建学の精神の自由な展開によってもたらせていることも明らかになった。生徒たちのプレゼンは、いかに先生方に支えられながら(決して教えられたのではなく)、協力し合って事を成したかについて語られていたからだ。
◆高校3年生が、「この行事が私達が参加できる最後の行事となりました」と語ってから最後の合唱を歌ったときに、歌っている本人たちだけではなく、会場の保護者も、そして先生方も涙していた。
◆トーマス先生も目を真っ赤にして涙を流していた。完全に異文化を乗り越えていた。そういえば、かつては英語科の先生が外国人教師と話しているのが多かっただろうが、今では行事の準備を他教科の先生方と外国人教師がいっしょになってやっている。互いに英語と日本語を交えながら。トーマス先生も一生懸命ビデオを撮っていた。
◆TJGの中学校3年生は1クラスしかなく、生徒は6人。合唱の前に、「『明日に渡れ』という曲はノリが良く、ハモるととてもきれいに聞こえ、私たちのクラスに合っていると思います。しかし、6人で初めての三部合唱は音を取るのが大変で、なかなかきれいにハモらなくて少し苦労しましたが、上手くできた時の感動はとても大きく、頑張ろうという気持ちにさせてくれました。6人の合唱は今年で最後なので、1人ひとりが責任を持って歌い、悔いが残らない歌にし、最高の思い出になるような合唱にしたいです。」と宣言。見事に2位になった。
◆この中3は、TJGの教育改革がまだ普及する前の生徒募集の時期にあたっていたため、集まったのは少なかったが、それがかえってよかった。確かに学校経営上生徒が少ないのは困るが、教育と学びのバランスがとれた環境、つまり左脳教育と右脳教育のバランスがとれた環境が、6人のタレント、テクノロジー、トレランスを見事に花開いたのである。
◆このような意味で、TJGの教育に変化が生まれたのだと思う。酒井校長先生の論理と芸術の両方を融合させた教育のアイディアが現実態になってきたということだろう。その現れの象徴が合唱発表会という出来事だったのではないだろうか。