教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

クリエイティブ・クラスとしての医師という職業

2007-05-28 08:15:20 | 文化・芸術
毎日新聞(5月28日3時7分配信)に「<医師人口比>日本、20年に最下位へ OECD30カ国中」という記事がアップ。

★「人口1000人当たりの日本の医師数が、2020年には経済協力開発機構(OECD)加盟30カ国中最下位に転落する恐れがあることが、近藤克則・日本福祉大教授(社会疫学)の試算で分かった」らしい。

★「日本各地で深刻化する医師不足について、国は『医師の地域偏在が原因で、全体としては足りている』との姿勢だが、国際水準から懸け離れた医師数の少なさが浮かんだ。」という。

★またまた国際水準をベースにすると、日本はダメだと・・・。

★「診療医師数の年平均増加率(90~03年)はメキシコ3.2%、トルコ3.5%、韓国は5.5%に達する。日本は1.26%と大幅に低く、OECD各国中でも最低レベルにとどまる。各国とも医療の高度化や高齢化に対応して医師数を伸ばしているが、日本は『医師が過剰になる』として、養成数を抑制する政策を続けているためだ。」という。

★ここでも国による抑制政策が壁になっているのか・・・。

★「近藤教授は「OECDは『医療費を低く抑えると、医療の質の低下を招き、人材確保も困難になる』と指摘している。政府は医療費を抑えるため、医師数を抑え続けてきたが、もう限界だ。少ない医師数でやれるというなら、根拠や戦略を示すべきだ」と批判している」。

★一方、毎日新聞(5月28日3時4分配信)によると、政府・与党は31日の医師確保対策に関する協議会で決定する医師不足対策の原案を27日、明らかにしたという。

★しかし、結局経済的な政策ベースで、医師という職業が、権威は絶大ではあるが、本当はキツイ仕事であるという通年をぶち破れない。医師という職業は、経済的にも精神的にも興味深い職業であることは、リチャード・フロリダの「クリエイティブ・クラス」という新しい概念で捉えない限り、定着しないだろう。

★クリエイティブ・クラスという概念は、学歴観、産業構造観、政治経済観、学びの考え方など、パラダイム・シフトの大きなトリガーになることは確かなのだが・・・。OECDのランキングの背景にある医師という職業観の違い。これに気づかなければ、どのような政策を打っても、ランキングは向上しない。もっともランキングの重要性は、結局国際競争力を上げるためにしか必要がないのだということは確認しておきたい。


企画の実現の決め手は?

2007-05-22 03:12:31 | 文化・芸術
★R25(№142)のインタネット調査の中に、次のような問いと結果が掲載されていた。

Q→温めていた企画がようやく実現しそうな塩梅です。ここは強気で一気に押し通したいところですが、スピーディな進行を実現させるために最も重要なポイントは何でしょうか?

A→
①有能なスタッフ(38%)
②クライアントのキーマン(27%)
③ワークフロー(22%) 
④あふれんばかりの情熱(13%)

★4つの要素はどれも必要ではあるが、①の有能なスタッフは意外とない場合が多いのではないだろうか。有能なスタッフがいればそれにこしたことはないが、そうでない場合が一般的。このアンケートの結果は、実態ではなく、期待度を表現していると考えたほうが良さそうだ。

★実態は④→③→②→①の順番の割合になっているのではないだろうか。だから①に関しえては、チームプレイで乗り切るというのではないだろうか。

★もっとも有能なスタッフがいた場合、実は必ずチームプレイをうまく活用する。有能なスタッフとは知識の問題ではなく、チームのロールプレイを活性化できる人材だということだろう。これは、スキルで修得できる。

★企画の実現の決め手は、チームプレイを促進できるリーダーシップということになるのではないか。

マンガと教科書

2007-05-21 07:21:36 | 文化・芸術
R25(07.05.10)に「教科書もマンガにすればわかりやすくなるの?」という記事が掲載。

★同誌によると「06年度の教科書検定で、本格的にマンガを採り入れた『数学II』の教科書が、大幅にマンガ部分を削除されたものの合格した。」ということだ。

★このことについて、同誌は元・数学教師でマンガ家の江川達也氏にコメントを求めたところ

「僕はマンガ教科書には反対ですね。もし、こういうことをするなら、超一流のマンガ家を起用しないとダメ。そのうえで、たとえば数学なら、高等数学も理解しているマンガ家じゃないと話にならない・・・教科書ではなく、副読本としてならどんどんやるべきだと思いますが、教科書にするのはおかしい。教科書は認定する・しないでもめるくらい半強制的で重いものですから」

★と回答したようだ。ただ教科書の文字を絵に置き換えたようなマンガではダメということだろう。しかも、マンガというのは作者の何かしらのメッセージがある。もし数学を理解していなければ、作家が数学物語を描くことも、物語を崩すこともできない。それではコマ割もコマ構成も、ネームも編集できない。それでは、マンガにしても何も伝わらない。

★マンガは文章の補完物ではない。イメージを文章に変換したり、文章をイメージに変換したりすることはパーフェクトにできるかというと、それはできない。文章にできないところをマンガは表現できるメディアであり、文章に隷属しているわけではない。

★マンガを検閲した文部科学省側は、おそらくこのことを理解していない。またマンガ家側からは、これがわかっているために、表層的なわかりやすさを求める教科書会社側にNOを突きつける。

★同じ回答でも、その理由の次元が違いすぎる。この違いは一事が万事。官僚発想とクリエイティブ・クラス発想との違いの典型例である。

[関連記事]時代はクリエイティブ・クラス

教育の民営化も黒船によるのか?

2007-05-16 03:00:15 | グローバリゼーション
★Michael Kanellos(CNET News.comCNET News.com 2007/05/14 18:55)によると、

カリフォルニア州ハーフムーンベイで、<先週開催のThink Tomorrow Todayカンファレンスで、新たな動きが見られた。それは、教育的投資だ。>ということだ。

★これは、学校運営やカリキュラム作成を専門とする多くの企業が急成長をしているということを示唆する。同記事によると、

<一例として、Mosaica Educationの最高経営責任者(CEO)、Michael Connelly氏によると、同社の2003年の売り上げは6500万ドルだったが、2007年は1億2000万ドルの売り上げを見込んでいるという。Mosaicaは、アラブ首長国連邦の首都アブダビだけでなく、米国の都心部でも複数のチャータースクールを運営している。これらの学校は公立(政府の補助金が財源)だが、Mosaicaはそれらの学校に私立学校のコンセプトを導入しようとしている。>

★そしてまた、このことは学校の民営化が大きな潮流になっていることも意味する。三角合併で、外資が日本の企業を買収しやすくなったわけであるが、やはり学校もその例外ではないようだ。

★同紙は、このような背景に関して次のようにコメントしている。

<教育はここ数年、大きな問題だった。過去に比べ、親たちはより早い段階から子供たちを正しい教育進路に乗せようと躍起になっており、またその度合いも大幅に激しさを増している。シンガポールやカタールなどは、米国式の大学を自国に誘致すべく、複数の有名大学と契約を結んだ。教養ある労働者を増やす必要性を主張しない政治家はいない。>

三角合併に学ぶ

2007-05-14 07:02:47 | グローバリゼーション
★nikkeiBPnet(2007年5月9日)三角合併解禁~世界標準レベルの防御策は必須となる(安田育生=ピナクル会長&CEO、九州大学客員教授)は、参考になる点がある。

①<「日本企業危機説」を裏付ける要素は何かと言えば、最も説得力があるのが時価総額の格差だろう。例えば日本を代表する企業の1つ、松下電器産業の株式の時価総額は約6兆円である。一方、米国GE社の時価総額は約41兆円にも及ぶ。約7倍もの大きな差があるのだ。製薬業界を見れば、日本の武田薬品工業の時価総額が約7兆円であるのに対し、米国ファイザー社は約21兆円。ここでも3倍の差がある。金融業界でも、三菱UFJフィナンシャル・グループとシティグループとの間には約2倍もの時価総額の差が存在している。・・・今後は現金だけでなく株式交換でのM&Aが可能になる。これほどまでに外国企業と日本企業との間に時価総額の大きな差がある以上、「有力な外国企業がその気にさえなれば、今までよりもずっとM&Aの可能性が高まる」という考えが出てくるのも当然だ。


②<M&Aのアドバイザリー業務を行う私が危惧しているのは、まずは日本企業の認識の甘さだ。「いいモノ作りをし、良いサービスを提供していれば時価総額もおのずと上がる。それこそが最大の防衛策だ」と考える経営者を多数目にしてきた。確かに経営者が大切にすべき心構えではある。良き日本の企業風土で私も好きだ。しかし、株式市場は公平な部分と不公平な部分を兼ね備えている。「こつこつと地道な経営努力による企業価値の増大を待つ」には時間がかかってしまい過ぎる。>

③<これまで企業買収の局面で目立った活動をしてきたのはファンド系である。彼らのターゲットは「割安株」であった。だが、三角合併解禁により今後は、例えば同業のライバル外国企業などが、売買益などのリターンではなく、シナジー効果などによる競争力向上を求めて、日本企業の直接M&Aに乗り出すケースが増えると考えられる。その場合は、割安であろうとなかろうと日本市場進出のために少々無理をしてでも買いにくる。「よい会社」ほどターゲットにされやすい。>

★つまり、資金力、スピード、シナジー効果という観点でM&Aということだが、この3つの観点でいくと、日本の教育というのは、ねらいめだ。

★学校は資金力がない、良いことはやっているが、スピードはない。そして世界に比べれば公立も私立も「よい学校」である場合が多い。実行力のある教育理念をしっかり持っていないと、日本の教育の経営者は入れ替わるのは、意外と早い。国は公立学校を民営化しようとしたとき、外資を導入するというのは大いにあり得る。

【関連記事】「三角合併」解禁による教育への影響は?


いじめの問題性

2007-05-14 05:48:20 | 文化・芸術
★2007年5月12日の読売新聞「教育ルネサンス」によると、

<教育委員会の在り方を雑誌などで問いかけてきた中井さんは、女児の自殺で、いじめを訴える遺書の存在を隠し、大きな批判を浴びた北海道滝川市教委を例にあげて問題提起をする。「遺書隠しが発覚した当時、教育委員会は『残された生徒を守ろうとした』と説明した。調査をし、話し合いをすることで、残された生徒が心に傷を負うことを避けようとした。しかし、加害者も守られてしまうのはおかしい。教育の世界は、性善説に立って子供を守ることがまだ最優先されている」 いじめは、加害者がずっと加害者でいるばかりではないが、「加害責任は個々に追及されるものだということは、学校が教育しなければいけない」という主張だ。さらに、保護者の責任をどこまで追及するのか。その追及は学校がやるのか、やらないのか。どこまで家庭に踏み込んで自殺の原因を調査できるのか。そこまで論じる必要があるというのだ。>

★たしかにその通りだと思う。しかし、やはり学校は教育できないだろう。また家庭にも踏み込めないだろう。

★性善説か性悪説かというカテゴリーではなく、現状の子どもの言葉に耳を傾ける文化がないからなのだ。子どもの自らの自由について誰が耳を傾けるのか。その前に社会化あるのみであるというのが一般的な教育観である。

★社会化してから耳を傾けるというのは、対話を拒絶するということに過ぎない。このことに感覚的に敏感な子どもは、浮いてしまう。タフでない子どもはいじめられる。戦時中、戦争反対の立場に立った市民がどんなひどい目にあったか。まったく同じ力学的構造なのではないか。いじめが国家→企業→学校→家庭にシフト(実際には蔓延)しているというのが、いじめの問題性である。

★子どもが創りだす新しい≪言葉≫に耳を傾け理解していく≪言説≫の創造。それ以外に突破口はあるまい。

「仕事の将来に不安」の意味するコト

2007-05-14 05:27:15 | 経済
★読売新聞(2007年5月14日1時37分)によると、

 <年功序列制度の崩壊と成果主義の導入など労働環境の大きな変化にさらされ、「受難の世代」と言われる30歳代を対象に実施した、読売新聞社のインターネット調査で、仕事の将来に不安を感じている」人は「大いに」「多少は」を合わせて82%に上った。また、「仕事でストレスを感じている」人も計82%を占めた。ストレスの原因(複数回答)は、〈1〉「収入が増えない」(64%)〈2〉「会社や業界の将来性、安定性に不安」(34%)〈3〉「人間関係がうまくいかない」(30%)――の順だった。>

【参照記事】「仕事の将来に不安」30歳代の82%…読売ネット調査

★この不安は、年功序列制度の崩壊と成果主義の導入など労働環境の大きな変化によるものが直接ではないと思う。パラダイムが転換したということがはっきりわかっていれば、仕事もシフトすればよいからだ。それがそうはいかないのだ。

★したがって、年功序列崩壊から成果主義へのシフトは、本当のパラダイムの転換を意味してはいない。市場に出回っている商品のカテゴリー≪言説≫がもはやクリエイティブクラスのソフトにあっていないということだろう。

★日本ではクリエイティブクラスの創造したものを、既存の分野、ジャンル、カテゴリーをあらわす≪言説≫に包括してしまう。したがって、本当に新しいアイディアが市場の原理に乗らないのである。

★よってそういう意欲も実績もある人材の収入はあがらない。つまり社会の中で認められない。「会社や業界の将来性、安定性に不安」(34%)とあるが、これは自分なりのデザインが世の中に受け入れられないというストレスである。「人間関係がうまくいかない」というのも互いのタレントやテクノロジーをリスペクとする人間関係がないということ。話が噛み合わないから、ストレスはたまる。

★これをニーチェはルサンチマンと言ったのではないのだろうか。たんなる嫉妬やジェラシーを指すのではない。お互いの言葉を理解しようとしない。理解するために既存の言葉に回収しようとなる。この既存の言葉の奴隷になることが公共圏にはいることだという誤解が共同幻想としてある。

★この共同幻想がある限り市場の原理は本当のところは稼動しない。既存の言葉やカテゴリーを作った人の既得権益となっているだけである。日本の経済市場は、≪見た目の市場社会/背後の寡占社会≫なのである。見た目の市場社会で、自由な発想で生きられると思っていた人材は、実は成果主義ではなく、背後の寡占社会という権力構造の中で優勝劣敗行為を続ける、つまり隷属するというストレスを受け入れなければならない。これがルサンチマンの構造であり、ニーチェの時代と何ら変わらない。たまたま外皮が市場の原理が動いているようにみえるだけである。

★消費社会の時代だ!なんてのは、所詮はこの権力構造の用意したガス抜きの場に過ぎない。


グローバルな教育とは?

2007-05-10 08:34:11 | グローバリゼーション
日経新聞(2007年5月9日)(2007年5月9日)によると、

★<スイスの有力ビジネススクール、IMD(経営開発国際研究所、本部ローザンヌ)が10日発表した「2007年世界競争力年鑑」で、日本の順位は昨年の16位から24位に下がった。一方、中国は昨年の18位から15位に上がり、1998年以来9年ぶりに日本を上回った。>ということだ。

★<IMDは55の国と地域の「マクロ経済」「政府の効率性」「ビジネスの効率性」「インフラ」の4分野、323項目に関する統計や聞き取り調査の結果を集計し国の競争力を示すランキングを作成している>が、おもしろいことに、「政府の効率性」の項目の中に「女性の問題」や「格差」、「雇用」の指標が入っている。また、ここが重要であるが、「インフラ」の項目の中に、「環境問題対策」「教育」に関する指標が入っている。もちろん、「OECD/PISA」も入っている。

【関連】The criteria used to compute the rankings are grouped into 4 main factors divided into 20 sub-factors

【すべての項目】Download all criteria list

★要するに、日本の日々の出来事が報道されている新聞の項目にすべてが対応している。この競争力を評価する指標の中の教育は、そのほとんどが定量的である。この指標に合わせて教育問題をとらえていくことは重要であるが、その限りにおいて、日本の教育の独自性はないし、質についても語れない。

★もし本当にグローバルな教育を語ろう、構築しようとするならば、この4つの分野と323項目すべてに渡ってメタ的な視点、創造的な視点、評価できる視点を持つことが必須。教育の質を語られるOECD/PISAをも超える、そのような視点は、まだまだない。しかし、できる可能性はある。私立中高一貫校のリベラルアーツによって。

★このような視点は、現代思想によって養われる。現代思想のベースは、ドイツはフランクフルト学派、フランスはポスト構造主義、英米は現代リベラリズム正義論、周縁国はポストコロニアリズムやカルチュラル・スタディーズ。日本はというとこれらを分析している学者はいるが独自の路線が世界に影響しているところまではいっていない。

★しかし、ポストジャポノロジ-的な思想が熟成し、村上隆や照屋勇賢のようなコンテンポラリーアーティストの先導で、世界的な影響力を持つほどの勢いが生まれつつある。芸術がまずは先行する、その後に思想が生まれるというのは、19世紀末から20世紀はじめにかけての日本の状況に似ている。ともあれ、1970年以降生まれの新人類世代の思想家で、期待できる人材はいる。彼らの多くは私立・国立中高一貫校で育っている。中高一貫校の教育の質が重要なのは、世界思想に参画できる人材を輩出できるという点ということだろう。

美術館の活用

2007-05-09 11:02:15 | 学習プログラム
読売新聞(2007年5月9日)によると、中学校生がシュルレアリスム展を鑑賞学習したという。<岡崎市立矢作北中学校(大岡久芳校長)の1年生73人が8日、同市美術博物館で開催中の「シュルレアリスム展―謎をめぐる不思議な旅―」(読売新聞社など主催)を総合学習の一環として鑑賞し、見学後、感じたことをスケッチブックに表現した>ということらしい。

★今美術館は、様々なプログラムを用意して入館者を増やしたりしなければ、運営できない。そのための努力の一環だろうが、新聞記事からしか判断できないのだが、それでも今回のプログラムはちょっといい。

★というのも、このようなプログラムは、たいてい美術や美術館について学ぶことになるが、今回はシュルレアリズム展とそれを企画した美術館を通して、子どもたち1人ひとりの思いを見つけるプログラムになっているからだ。

★<同校は今年度、同市教委から「命の教育」の研究を委託されており、中学生になったばかりの1年生の心の変化を理解するため同展覧会の鑑賞が選ばれた。生徒らは、レクチャールームで同美術館の村松和明学芸員からシュルレアリスム(超現実主義)について説明を受けた後、作品を鑑賞。・・・観賞後、レクチャールームに戻り、展覧会で感じたこと、友だちとの関係、中学校と小学校との違いなどをスケッチブックに自由に表現した。>という。

★美術館と美術作品を見て感じたことは、ある一定水準の人間観を生み出す。一見何でも自由でよいという設定のように見えるが、それなりのハードルがある。つまり制約がある。この制約を子どもたちが自分流儀でぶち壊す時、はじめて自由が訪れる。その自由が作り出す表現。これこそリベラルアーツだろう。


「三角合併」解禁による教育への影響は?

2007-05-01 01:05:06 | グローバリゼーション
◆今日(2007年5月1日)、M&Aの手法の1つ「三角合併」が解禁。外資の日本企業買収が加速すると言われている。

【関連記事】<三角合併>5月1日解禁 「黒船」に揺れる日本企業

◆被合併法人の株主に株式譲渡益課税がかかるというのは繰り延べになったため、合併によって株を売ってしまい、結果的に株価下落を招くということがなくなった。外資、特にアメリカの企業は、日本企業というか日本市場の金融資産運用の場として扱いやすくなったはず。

◆日本の各大企業は、防衛策を講じているが、外資は直接攻めてこない。まずは外堀だ。日本の大企業は、中小企業の苦労・犠牲のもとに成り立っている。外資はそこを攻めるだろう。結果的に本丸は落城するはず。

◆「三角合併」のシステムについて詳細は知らないが、安く買って高く売るという利ざやビジネスであることに変わりはあるまい。日本の企業はクリエイターを安い賃金で雇っているから、潜在的資産は相当高い。外資はそこをねらう。

◆日本は教育力が、学力が低下していると自虐的なことを言っている(言わされている)から、クリエーターがたくさんいることを意識しないし、そこに高い価値があるなどと自覚もしていない。

◆外資が欲しいのは、そのような人材の生み出すノウハウだし、そのような人材を生み出す教育。でもすばらしいなどとは言わない。力がダウンしているよと言いつづけるだろう。そんなことはないとフンばんなきゃならないが、文部科学省は反動的だ。

◆だいたい教育は企業ではないから、外資は買収できないだろうぐらいにしか思っていないかもしれない。しかし教育の民営化や民間へのアウトソーシングは、すでに始まっている。今回の全国学力テストも委託業務。教育の外堀はすでに民間で埋まっている。あとはそこを外資が吸収合併して、シフトすればよいだけ。

◆この動きをナショナリズム的にとらえると、防衛策を講ずることに忙しくなる。この動きを日本の知の国際貢献ととらえると、日本は新たな経済圏の中で生きていくことになる。ハンチントンが文明の衝突のなかで、日本は孤立すると言っているが、それを回避できるだろう。

◆どちらが正解か?いずれにしても安倍内閣のナショナリズムは実はそうではないことが明らかになったわけだ。もし本当にナショナリズムだったら、今回の解禁はなかっただろう。この中途半端なナショナリズム、明治政府のときと同じではないか。やはり危ない何かが迫っている。それは何か?私たちは目覚めることができるのだろうか。