教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

ヒルズ族vsニート族??

2005-12-31 09:39:33 | 学習プログラム
テレビ朝日で、
ヒルズ族vsニート族
というテーマで番組をやっていた。
やっていたなというだけで、
中味は見ていなかったが。

思うに前回「浜田宏一論文」を引用したように
以下のような日本社会の弱点、
あるいは、
従来の日本社会のパラダイムでは
21世紀のパラダイムに通用せず、
その不具合がでてきて、以下の5つの
弱点が現象してきたのかもしれない。

そしてその結果、アセットの二極化が生じ、
「ヒルズ族vsニート族」のような現象が
生まれたのだろう。もっともこのような
対義語が正当かどうかは?ではあるが。

①少子高齢化
②教育の弱点
③経常収支の赤字
④政府部門の非効率性
⑤アジアとの対立

さて、この5つの弱点はいかにして
クリア可能なのか。

①→国内労働力から移民の労働力へ
②→3Rから3Xへ(知識重視から議論・探究・プレゼンへ)
③→貯蓄から資産運用の技術獲得へ
④→大きな政府から小さな政府へ(要するに天下り機関の廃止)
⑤→日米同盟から世界協働へ

この変化が現状ではバラバラに起こっている
それゆえ、
①に大しては海外からの労働者の犯罪が
クローズアップされてしまう。
②では、基礎基本をトレーニングしてから思考力だ
などというばかげたリニアー論がでる。本来は
DNAのように両極のシナジー・システムを考案したほうがよい。
③では、実物経済をやっていないのに
お金だけ儲けているのはおかしいみたいな
批判がでる。
④では実際には変わらないのに、単純に公務員の
リストラをすれば、小さな政府へと構造改革できると
幻想を抱いている。
⑤では、そうはいっても、宗教や歴史観が違うために、
アジア諸国の反日感情に対してうまく対話ができない
というようなアジアとの平和戦略が妥協どころか撤退
してしまうような雰囲気が流れる。

これらを解決するには、どうしたらよいのか。
それは極めてシンプルである。
新しいアイデンティティとしての文化を
創造するコミュニケーション。

“The Third Way of Creative Communication”

という道を歩むことである。

サミュエル・ハンチントンの
「分断されるアメリカ」(集英社2004)
は、

アメリカは入植の国であり、移民の国ではない
というようなことを言っている。

だから移民国家として新たにシステムを
構築するべきで、それは本来的なWASP回帰
だとするのは違和感があるが、
いずれにしてもアメリカは
移民国家としてどのように新たな
アイデンティティとしての文化を
創るのかが重要なのである。

これは日本においてもそうなのだ。

アメリカのように入植という歴史は
体験していないが、
移民政策は実はアメリカに限らず
先進諸国の同一の問題なのだ。

新しいグローバルな移民のシステムを
世界協働するリーダーシップを発揮する。
もちろんファシリテータ的な
リーダーシップでなければ
うまくいかないだろうが。

このようなコンセプトが
上記5つの問題にすべて
結びつく国際平和方程式を
創ることが2006年以降の課題である。

このような方程式の発想を持てることが
初等中等教育時代の大きな役目である。

そしてその方程式を最先端技術で実現する
専門性を大学以降の時代で構築していく
というキャリア・デザインになるだろう。

浜田宏一論文

2005-12-31 06:30:26 | パラダイム
エコノミスト迎春合併号2006に
浜田宏一教授(エール大学経済学部)
の論文
「デフレ脱却近いが、前途には難問も」
が掲載されている。

「真の物価上昇率はCPIとGDPデフレータの中間ぐらいに
あるので、年率で見るとデフレが継続していることに
間違いない。しかし、全国のCPIの瞬間風速がわずか
ながら上昇し、速報性の高い東京都区部のCPIも横ばい
であること等から、デフレの脱却もそう遠くないといって
よいであろ。」

「東京株式市場も日経平均株価はともかく、時価総額では
バブル期の記録を更新しつつあるし、地価も大都市を中心
に反転が見られる。長年日本経済を苦しめた不良債権の処理
も進んでいるし、懸案のペイオフもこの4月に実現した。
為替レートも、円安の方向に振れ、景気回復を後押ししている。
この正月には、日本経済にも再び曙光が戻ってきたということ
ができよう。」と一見ポジティブな楽観論。

しかし、実際には日本経済には悲観的な要因が少なくない。

①少子高齢化
②教育の弱点
③経常収支の赤字
④政府部門の非効率性
⑤アジアとの対立

がそうだという。

しかし、これらが弱点というには、そういうパラダイムが
土台にある。つまり
大量生産主義
大量知識記憶主義
大量貯蓄神話
大量支配政府主義
大量大国主義

このパラダイムを崩すことができなければ
どんなに政策を考案し、実施しても
脱却は難しいだろう。

品川女子学院の投資教育

2005-12-31 05:43:23 | パラダイム
品川女子学院」の
ミッションは、
「私たちは世界をこころに、
能動的に人生を創る日本女性の教養を高め、
才能を伸ばし、夢を育てます。」

「世界をこころに」と「才能を伸ば」す
というところが肝要。

今や「世界」は大きく変わっています。

○英語
○ICT
○金融

この3要素を自在に使いこなせなければ
世界=パラダイムがわからない。

そしてパラダイムを理解し、あるいは作り変える
能力が「才能」。

したがって、品川女子学院は中高一貫校システムで
この新しいパラダイムを包括できる創造的才能者を
輩出する学習環境を整えている。

英語とICTはすでに有名。

今年は、さらに「投資教育」を充実した。

今のところ、多くのマスコミは
2005年7月に内閣府や金融庁が
本格的に動き出した
「金融教育」のフロントランナー的な存在として
扱っているが、

やがて、これは1教科が加わったオプションというよりは、
英語・ICT・金融という三位一体の新しいパラダイムの
完成に向けていち早く品川女子学院が動いている
と正確に理解するようになるだろう。

「萌え」の構造の意味するコト

2005-12-31 03:12:01 | パラダイム
本田透「萌える男」(ちくま新書)は
40歳以上には読むのはシンドイかもしれないが
すぐれたこれからの「文化論」である。

マンガ、アニメ、ゲーム、キャラクターの世界
「オタク」「萌え」「アキバ系」と呼ばれている
宇宙。

これはもはや流行でも、商品でもない。
日本の新しい文化である。

本田透さんは、その文化を
岸田秀の「唯幻論」
養老孟司の「唯脳論」
吉本隆明の「共同幻想論」
の視角で再構築している。

上記三人を活用するということは
自ずと、ニーチェ、フロイト、ヘーゲル的な
視角とも重なる。

このような保守本流の視角装置を
使うようになるとその対象は
確かに文化となる。

だから私も私立中高一貫校現象を
そのような視角装置を使って
(もちろん、私の視角装置は岸田さんや
養老さんや吉本さんではないが)
分析しようとしているのだが、
この視角装置そのものも脱構築
する必要がある。

というのは
岸田秀、養老孟司、吉本隆明、
ニーチェ、フロイト、ヘーゲルは
結局支配道徳に対し新しい道徳を
対峙させることに終始するからだ。

カントが当時おもしろかったのは
ニュートンがそこにあるからだ。


だから現代思想や現代哲学に
アインンシュタイン=ホーキングが
きちんと流れ込んでいないので
今では哲学が古さを感じさせるのである。

それに比べ、現代経済学が人気なのは、
アインシュタイン方程式が
すでに活用されているからである。

それはともかく
本田透さんは、
マッチョな世界を三次元
観念の世界を二次元とし

それら両方の次元を結びつける
ものとして
「萌え」現象を位置付けているが、

いつの間にか、
「萌え」を二次元を拠点とする
現象に落ち着かせている。

また三次元をリアルスペースで
二次元を仮想空間としている。

しかしそのような仮説を立てるより
二次元も三次元もリアルスペースであり、
「萌え」はその両方をいったりきたり
交流できるわけだから、
新しいコミュニケション方程式の
1つの解なのである
という仮説を立てるほうが道徳的
価値の創出で終わらないおもしろさが
ある。

「萌え」の道徳的効用に着地するのではなく、
「萌え」という解を出させた方程式を
考察する方向で行けば、
さらにおもしろい文化論になる。

文明の衝突を回避するには
新しい文化論方程式を見つける以外に
手はないのであるから。


モリー先生との火曜日

2005-12-31 02:42:28 | 学習プログラム
聖光学院の聖光塾の1つ
Post Project X ~最先端を超えろ~
に多少かかわった。

2泊3日の間、
生徒たちはひたすら
人間の存在証明について
議論を交わし
考え抜いた。

景気がよくなることばかり
儲けることばかり
思い描く世の中

ファンド資本主義
恋愛資本主義
に賛歌をおくる
世の中にあって、

人間とは何か
そのレゾンデートルについて
3日間、ひたすら考える
純粋知に触れて
自分がいかに喧騒の世間に
あって、利益追求型の人生を
生きているか少し反省。

聖光塾の実施された「ツインリンクもてぎ」帰ってきてから、

Honda「発見・体験学習」のプログラムを
編集するときの
スパーバイザーやラーンニングアドバイザーの
役割を考えるときに影響を受けた
「モリー先生との火曜日」を読み直し
映画も見直した。

難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)に侵され
死に直面しているモリー先生の言葉を再び
想いだした。

「死ぬっていうのはね、
悲しいことの1つにすぎないんだよ。
不幸な生き方をするのはまた別のことだ。
ここへ来る人の中には
不幸な人がずいぶんいる」

「そう、1つにはね、われわれのこの文化が
人々に満ち足りた気持ちを与えないって
いうことがある。われわれはまちがったことを教え
ているんだよ。文化がろくな役に立たないんなら、
そんなものいらないと言えるだけでの強さを
持たないといけない。自分の文化を創ること。
多くの人はそれができない。
私よりよっぽど不幸だよ―こんな状態の私より。
もうじき死ぬとはいっても、
私のまわりには愛してくれる人、
心配してくれる人がたくさんいる。
世の中にそういえる人がどれだけいるか?」

人間は死に向かって、文化を創る。
他者が創った文化を維持するため
だけの人生は不幸。

自らの文化だけでもそれは文化とは
言わんだろう。

じゃあ協働、協力、連帯、共生・・・。
いや、徹底した自己の道を貫くことだ。
モリー先生のように。もっともそれは
他者の道を創ることにもなるという
質感があること。
するとそこには共感する人々がやってくる。
つまり文化だ。

「多くの人が無意味な人生を抱えて歩き回っている。
自分では大事なことのように思ってあれこれ忙しげに
立ち働いてけれども、実は半分ねているようなものだ。
まちがったものを追いかけているからそうなる。
人生に意味を与える道は、人を愛すること、
自分の周囲の社会のために尽くすこと、自分に
目的と意味を与えてくれるものを創りだすこと」

しかし、問題は何がまちがっているかだ。
間違いを貫徹すると、自分の周囲の社会のためにも
実はなってしまう。これは難問だ。

自分に目的と意味を与えてくれるものを創りだす
というのは、自分の目的を持つということとは
全く違う(人によっては微妙にだが)重要な指摘だ。
しかし見過ごしやすい。これも難問。

難問、アポリア・・・。
それを解く時空は虚時空でしかありえない。
難問、アポリア・・・は
リアルな三次元時空にある。
解決するには次元を上げるしかない。
結局は数学的思考。あるいは論理学という
ことか。



才能発掘型の女子選択校(2)

2005-12-29 10:19:03 | 学校選択
言語力における
才能発掘型女子選択校
(自己実現型も含む)
参考→「才能発掘型の男子選択校(2)

桜蔭
成蹊
白百合学園
開智(一貫部)
洗足学園
日本女子大附
香蘭女学校
西武学園文理
穎明館
立教女学院
渋谷教育渋谷
実践女子学園
和洋九段女子

田園調布学園
麗澤
フェリス女学院
湘南白百合学園
相模女子大学
豊島岡女子学園
神奈川大学附属
和洋国府台女子
帝京
西武学園文理
東横学園
実践女子学園
春日部共栄
普連土学園
捜真女学校
茗渓学園
駒沢学園女子
桐蔭学園女子部
専修大学松戸
江戸川学園取手
雙葉
鎌倉女学院
公文国際学園
日本大学第三
鷗友学園女子
品川女子学院
市川
森村学園
渋谷教育幕張
慶應湘南藤沢
川村
東海大学付浦安
昭和秀英
成城学園
国学院久我山
聖園女学院
玉川学園

才能発掘型の女子選択校(1)

2005-12-29 10:12:45 | 学校選択
数値論理力における
才能発掘型女子選択校
(自己実現型も含む)
参考→「才能発掘型の男子選択校(1)

晃華学園
栄東
桐蔭学園女子部
渋谷教育幕張
日大豊山女子
公文国際学園
浦和明の星
普連土学園
江戸川女子
早稲田実業学校
十文字
共立女子
桜蔭
明治学院
豊島岡女子学園
穎明館
女子学院
東京電機大学
春日部共栄
江戸川学園取手

日本大学
白百合学園
昭和秀英
大妻多摩
フェリス女学院
日本大学第三
慶應義塾中等部
カリタス女子
富士見
女子聖学院
玉川学園
東邦大付東邦
聖心女子学院
トキワ松学園
雙葉
横浜雙葉
渋谷教育渋谷
跡見学園
慶應湘南藤沢
市川
洗足学園
頌栄女子学院
埼玉栄
北鎌倉女子
恵泉女学園
愛光
女子美術大学付
横浜共立学園
品川女子学院
森村学園
田園調布学園
昭和女子大昭和
大妻中野
明大中野八王子
山脇学園
開智(一貫部)
東海大学付浦安
帝京
成蹊
目黒星美学園
西武学園文理
学習院女子
帝京大学
日本大学第二
山手学院
桐光女子部
東京純心女子
光塩女子学院
日本女子大附
星野学園
湘南白百合学園
香蘭女学校
鷗友学園女子
共立女子第二
芝浦工業大学柏
麗澤
獨協埼玉
鎌倉女学院
聖園女学院
自修館
埼玉平成
青山学院中等部
東京女子学園
東京女学館
富士見丘(横浜)
成田高校付属
相洋
横浜女学院
東京家政学院
駒込
日本大学第一
和洋九段女子
目白学園
玉川聖学院
神奈川大学附属
実践女子学園
多摩大学目黒
八千代松蔭
専修大学松戸
横浜国際翠陵
千葉日大第一
実践女子学園
川村
京華女子
吉祥女子
桐朋女子
松蔭
佼成学園女子
聖セリシア女子
捜真女学校
東横学園
戸板
東京学館浦安
中村
関東学院六浦
成城学園
聖徳学園
横浜英和女学院
立正
千代田女学園
聖ヨゼフ学園

才能発掘型の男子選択校(2)

2005-12-29 09:54:13 | 学校選択
男子が選択する男子校、共学校
における
言語力の試験である国語についても
前回同様のコンセプトで分析した。
(参考→「ホンマノオト2005年12月27日」)

4つのカテゴリーのうち
才能発掘型の学校を列挙しよう。
(自己実現型も含む)

言語力における才能発掘型学校とは
テキストの全体構造を読解するリテラシーと
テキストの分析とそれに基づいた
あるいはそれを批判する自分のものの見方・考え方を
論述する学びの準備ができているかどうかを評価する
テストを出題する学校である。

その学校は以下のとおり。

開成
麻布
武蔵
成蹊
開智(一貫部)
ラ・サール
甲陽学院
法政大学第二
暁星
穎明館
目黒学院
西武学園文理

麗澤
渋谷教育渋谷
立教池袋
浅野
聖学院
西武学園文理
神奈川大学附属
早稲田
世田谷学園
筑波大学附属駒場

春日部共栄
帝京
聖光学院
早稲田
茗渓学園
那須高原海城
専修大学松戸
渋谷教育幕張
城北埼玉
慶應義塾普通部
本郷
攻玉社
立教新座
公文国際学園
鎌倉学園
東海大学付浦安
国学院久我山
日本大学第三
慶應湘南藤沢
森村学園
江戸川学園取手
市川
巣鴨
桐蔭学園男子部
安田学園
日本大学
東邦大付東邦
昭和秀英
多摩大学聖ヶ丘
帝京大学
明治学院
成城学園
城北
獨協
学習院中等科
芝浦工業大学柏
横浜
高輪
明治大学付中野
明大中野八王子
海城
青稜
多摩大学目黒
早稲田実業学校
埼玉栄
栄東
東海
相洋
佼成学園
日本大学第二
サレジオ学院
明治大学付明治
武蔵工業大学付

関東学院六浦
武蔵工業大学付
愛光
駒場東邦
逗子開成
栄光学園
明法
埼玉平成
玉川学園
立正

才能発掘型の男子選択校(1)

2005-12-29 06:42:49 | 学校選択
ホンマノオト2005年12月27日」で
男子が選択する学校
つまり男子校と共学校の
入試問題のある分析をした。

これによると入試問題を通して
それぞれの学校が
どのような学びの準備を要求しているか
がわかる。

ただ具体的な学校名を挙げていなかったので、
ここで才能開発型のカテゴリーに属する学校を
(自己実現型も含む)
列挙しておこう。

数値論理力で才能開発型に属するということは
空間図形・平面図形というイマジネーションを
使う学び
規則性や数列など論理を自ら発見する学び
の準備を要求する学校群である。

そのような学校は以下のとおり。

巣鴨
栄東(東大選)
駒場東邦
攻玉社(特)
暁星
麻布
開成

甲陽学院
栄東
桐蔭学園男子部
渋谷教育幕張
早稲田
公文国際学園
筑波大学附属駒場
立教新座
サレジオ学院
攻玉社
城北埼玉
聖光学院
逗子開成
日本大学豊山
早稲田実業学校
高輪
明治学院
穎明館
立教池袋
佼成学園
鎌倉学園
東京電機大学
郁文館
春日部共栄
江戸川学園取手

日本大学
法政大学第二
昭和秀英
栄光学園
浅野
慶應義塾普通部
日本大学第三
東海
武蔵
慶應義塾中等部
世田谷学園
本郷
玉川学園
東邦大付東邦
城北
渋谷教育渋谷
慶應湘南藤沢
城北
市川
ラ・サール
埼玉栄
愛光
森村学園
城西川越
明治大学付中野
明治大学付明治
海城
明大中野八王子
開智(一貫部)
東海大学付浦安
洛南高校附属
帝京
成蹊
西武学園文理
帝京大学
日本大学第二
山手学院
桐光男子部
星野学園

芝浦工業大学柏
芝浦工業大学
麗澤
獨協埼玉

日本でICT戦略がうまくいかない理由

2005-12-24 20:35:35 | 戦略
e-Japanからu-Japanへ

ITからICTへ

総務省の戦略

2004年からこの新たな戦略を構想実施し始めた。
しかし
とてもうまく行っているとは思えない。

それに比較し
同じようにICT戦略を行使している
フィンランドは、国際競争力を着々とつけている。

EUのIT関連動向に詳しい
末岡洋子さん」の
レポート「国民の信頼が下支えするフィンランドのIT政策」と
日本の政策を比較しても
ベクトルはそうズレがないように思えるのだが、
なぜ日本は国際競争力ではフィンランドに溝を
あけられているのだろうか。

とにかく今年の世界経済フォーラム
Growth Competitiveness Index rankings 2005
が出した国際競争力で第1位はフィンランド、
日本は第12位である。

技術だけではなく、
財政赤字や
規制緩和の遅延
などなど考慮されているのだろうが、

要は日本の表現力の問題である。
どんなに技術が発達しても
そこにコンテンツがなければ
どうしようもない。

ヨーロッパでは
コミュニケーションについて
記号論だけではなく
社会学的テーマでもあるし
経済学的テーマでもある。
もちろん芸術的なテーマでもある。

日本では、せいぜい
双方向的コミュニケーション
について話題になる程度で、

創造的コミュニケーションが話題に
なることはほとんどない。

ベルリンフィルと子どもたち」の
中で終始一貫話題になっていたことは
創造的コミュニケーションについてである。

日本においてコミュニケーションとは
情緒的な行為であり、事務的な行為である。

ICT=Information and Communication Technology

といっても、IもCもテクノロジーで終わる。

IやCは創造的で、それを実現するのが
T。でもそういうTはやはり創造的。

ところが日本では
IもCもTも道具なのである。形なのである。
中味がないのである。

いかに無思想国家とはいえ、これでは
国際競争力など上位にランキングされるはずはない。

上位にランキングされることが重要なのかと
問われるかもしれない。

いや重要ではない。

しかし、ランキングを上げる
強烈な労働を日本人はしているにもかかわらず
ランキングが上がっていないという事実が問題なのだ。

抑圧的生活の中で苦しんでいる世間。
世間の中で起きている事態は、
この抑圧が問題なのである。

ドイツのようにアートで
都市をとか
フランスのように金土日は
お休みでいこうとか
言っていて、
ランキングが15位とか30位
なのは実に健康的な生活だ。

日本もそれでよいのではないだろうか。