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教育のヒント by 本間勇人

身近な葛藤から世界の紛争まで、問題解決する創造的才能者が生まれる学びを探して

言葉を使うこと 言葉を遣うこと

2011-05-26 11:01:02 | 教育政策
日本語を学んでいるフランスの学生と対話していて気づいたこと。

言葉を使うこと
言葉を遣うこと

は違うということ。

前者は言葉は道具
後者は言葉は場

言葉を絵画に置き換えると、

何かが見えてきそうな。

もちろん道具でなければ経済にならない
場では趣味だけになる可能性もある。

しかし、その場に集まってきてその場を維持するために
メンバーが自律して経済をつくるというのもあってよい。

もちろん道具であり場であるもあり。

道具はもので、場はあわれ。

もののあわれは、その両方?

京都学派的?

丸山真男的?


ストラスブールの雰囲気

2011-05-24 16:59:52 | パラダイム
☆昨夜ストラスブールに入った。

☆20時でもまだまだお昼なみの太陽。

☆午前6時に起きるともう太陽が輝いている。

☆日本だとこの太陽はどのような表情をしてくれるのだろうか。

☆EU議会があり、ENAがあり、

☆フランスにおいて重要な都市であるが、

☆街はのんびり。

☆時間がゆっくりと過ぎていく。

☆すべて世は何もなしという感じで、

☆大聖堂が写真に収まりきれないから、

☆青空をバックに塔を写しかないのだけれど、

☆それでも普通は二つあるのに、未完の大聖堂で、

☆1つしかない。

☆この世は足りないものだらけだから、ゆっくりねと

☆語りかけてくるかのよう。でも大聖堂付近は、

☆ビールで、ワインで絶え間ぬおしゃべりが広がっている。

☆人々は、いかなるときもおしゃべり、そしておしゃべり。

☆日本もおじさんおばさんはそうだから、何がどうちがうということではないが。。。

☆まあっ、外見は観光歓迎の顔ということか。。。

☆ただ、このおしゃべり。

☆下世話な話から、政治の話から、やっぱりストラスブールより

☆パリがよいというライフスタイルの話から、神様の話まで、

☆すべてある。

☆おしゃべりは、対話に、対話は議論に、

☆大聖堂のもとに、あらゆる分野の話は平等なのだ。

☆それは専門家しか話せない、専門家ではないからわからないという

☆日本の官僚統制言語活動とはやはり違う。

☆ゆとりとか、時間の雄大さとかは、

☆この寛容なおしゃべり=議論という境界のない

☆オープンな雰囲気があるからだろう。

☆ネットの向こうでは、相変わらず、日本は政局問題と

☆原発事故のめまぐるしく変わる情報の発信。

☆とても絶対無や死即生という死生観の日本の文化とは

☆思えない官僚答弁が第三者的に見える。

☆官尊民卑。これこそ日本の本来性を無視してきた、これもまた日本の文化。。。

☆しかし、一方で欧米の官僚は筋金入りだ。

☆東日本大震災以上に、戦局によって、多くの人々の命を奪ってきた。

☆正義の名のもとに、ゆったりとこれまた何でもできてしまう。

☆寛容さの背景にある寛容な戦争。

☆日本はそれは認められない。

☆官僚答弁が戦争を阻止できるのであれば、

☆それはそれでいいかっぁ・・・。

日本の思想と教育

2011-05-21 07:10:54 | 
☆丸山真男の「日本の思想」を読んでいると、思想と教育は密接に関係しているのではないかと思えてくる。

各々の時代の文化や生活様式にとけこんだいろいろな観念―無常感とか義理とか出世とか―をまるごとの社会的複合形態ではなくて一個の思想として抽出してその内的構造を立体的に解明すること自体なかなか難しいが(九鬼周造の『いきの構造』(1930年)などはその最も成功した例であろう)、たとえそれができても、さてそれが同時代の他の諸観念とどんな構造連関をもち、それが次の時代にどう内的に変容してゆくかという問題になると、ますますはっきりしなくなる。

☆要するに「内的構造連関」を考える習慣が日本にはなかったのだと。そしてそれは当然教育においてもそうだったし、そうなのであろう。だから、「総合学習の時間」は、雑居学習にはなったが、雑種学習にはならなかったのだろう。

☆ICTで、再び構造というものを考えたり、創造的に破壊できたりできるようにしようというのだろうが、ハイパーテキストを雑居情報の確認として活用してしまえば、もとのもくあみである。雑種情報として編集構築できるか。そのための情報の内的構造連関を見抜く視点はどのように育成されるのか?

学習や思想家のヨリ理性的に自覚された思想を対象としても、同じ学派、同じ宗教といったワクのなかでの対話はあるが、ちがった立場が共通の知性の上に対決し、その対決のなかから新たな発展を生み出してゆくといった例はむろんないわけではないが、少なくもそれが通常だとはどう見てもいえない。

☆日本の思想のタコツボ化の話ではあるが、なによりも「共通の知性」があるのかという疑問である。タコツボなのは、学者や見識者の性格ではなく、そもそも「共通の知性」がないからだろう。タコツボから無理やり引っ張りだそうとしても、タコツボを破壊してもそれだけではタコツボ化は解消されない。

☆引きこもりや不登校、イジメというのは、そもそもこのタコツボ化現象のバリエーションの1つ。「共通の知性」としての日本の思想がないから、そうならざるを得ないのは、自己保存の原理上当然ではないだろうか。タコツボ化とは雑居の言い換えでもある。村落共同体ともいうのかもしれない。

あらゆる時代の観念や思想に否応なく相互連関性を与え、すべての思想的立場がそれとの関係で―否定を通じてでも―自己を歴史的に位置づけるような中核あるいは座標軸に当る思想的伝統はわが国には形成されてこなかった、ということだ。

☆丸山真男はだから、悲嘆する必要もないし、居直る必要もないと、この現実から出発しようと。

☆つまり、まずは「共通の知性」づくりである。もちろんこれはこれで、論理的仮説に過ぎず。絶対的なものであっても困る。戦争中は、というかそれにいたる過程は、「共通の知性」を国家が国民に押し付けてきたわけであるが、そんな神話や大きな物語はなくなって構わない。ただ、だから「共通の知性」がなくてよいかということでもない。

☆「共通の知性」を試行錯誤しつつ検証していく過程が組み込まれていなければならない。それが教育の場であり、それが現実の場においては議会や評議会、NGOである。しかし、実際には教育は固定化したというか不問に付された知識を教え込まれるだけである。試行錯誤しつつ検証するというクリティカルシンキングはプログラムとして組み込まれているわけではない。

☆知識も雑居状態なのある。それをいかに雑種知に変容できるか。そのために認識と実践において強靭な自己制御力を具した主体である革新市民に期待しようというのである。

☆しかし、その革新市民はどこから生まれてくるのか。だから、私立学校の位置づけは重要なのである。

日本の思想 (岩波新書)
クリエーター情報なし
岩波書店

今、日本の思想の重要性

2011-05-20 13:55:56 | 
日本の思想 (岩波新書)
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岩波書店


☆グローバリゼーションにおいて国際人を育成することの重要性が謳われるのは常である。

☆そして日本の文化を知らなければとも唱えられる。

☆それは、国際社会の中で日本人としての軸を仮説的に立て、

☆異文化の軸との違いをコミュニケーションしながら、

☆理解をしていくためという意味だろう。

☆もちろん、自分としての軸も仮説としてあるから、

☆日本の社会の軸と自分の軸(アイデンティティといってもいのだろう)も

☆相補的に把握することも必要あるだろう。

☆私は日本人だから、という表現は、クリティカルではない。

☆日本人としての軸と今という時代精神の中での自分とは同じかもしれないし、

☆違うかもしれない。いずれにしてもその差異を知っておかねば、

☆ただ、同調してしまう。

☆それでは、それらの軸を知るにはどうすればよいのか、

☆それは日本人としての先人たちは何を考えてきたのか知るのも1つである。

☆ところが、どうも江戸から明治にかけての日本人の思想を普段語らない。

☆日本人論や日本文化論は山ほど書店に積まれているが、

☆ルース・ベネディクト以降、つまり戦後以降の戦前日本反省文化論が

☆多いような気がする。

☆そしてその中で、もっとも反省すべきは日本の思想であり、

☆日本の思想は封印されてきた。

☆しかし、その程度のマスク隠蔽論はわかりやすいが、

☆丸山真男は、そんな「あつものに懲りてなますを吹く」ではすまされない。それ以上に

「日本思想論や日本精神論が江戸時代の国学から今日まであらゆるヴァリエーションで現れたにもかかわらず
日本思想史の包括的な研究が日本史いな日本文化史の研究に比べてさえ、いちじるしく貧弱であるという、まさにそのことに日本の思想が歴史的に占めて来た地位とあり方が象徴されているように思われる」


☆「日本の思想」そのものが明確ではなかったのではないかということまで

☆二重にマスクで隠蔽しているということに気づこうではないかということだろう。

☆3.11は、もしかしたら、戦後丸山真男が日本の思想で語った「革命」、

☆それは戦後記憶のかなたになったのだが、

☆再びそれを呼び覚まそうとしているのかもしれない。

☆日本にはいろいろな価値観や文化を受け入れてきた。それゆえ、リスクも表裏一体として
背負ってきた。これは日本史の動かぬ事実であろう。

☆原発はその流れの象徴であり、高リスクの象徴でもある。

☆しかし、日本の文化の雑居性が、リスクを回避する際に右往左往せざるを得ない

☆社会条件になっているのだと丸山真男は語る。

☆それゆえ、

雑居を雑種にまで高めるエネルギーは認識としても実践としてもやはり強靭な
自己制御力を具した主体なしには生まれない。その主体を私達がうみだすことが
とりもなおさず私達の「革命」の課題である。


☆もしかしたら、私たちの雑居日本文化は、危機に直面したら、
雑居の中から1つを選び、それ以外すべてを排除するという自己リスクを
含んでいたのかもしれない。雑居文化と合理化文化は表裏一体
であった・・・。そしてそれは今もなのだが。

☆ともあれ、その局面が、明治維新だったし、太平洋戦争だったし、
民主党への政権交代だっし、その露呈が3.11による原発事故対応
だったのかもしれない。

☆そしてその度にカウンターとして雑居文化から雑種文化へ
togetherからhybridへという動きが生まれたのだろう。

☆しかし、カウンターはのど元過ぎれば・・・になる。

☆今度こそ「雑居を雑種にまで高めるエネルギー」を認識と実践両面から強靭な
自己制御力を具した革新市民として生みだし、持続可能なものにしようではないか。。。

数学は世界を変える

2011-05-18 10:53:02 | 
数学は世界を変える あなたにとっての現代数学
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ソフトバンククリエイティブ


☆1942年に書かれた本が翻訳された。

☆戦前の話である。

☆しかし、私たちの高校までの数学は、300年前から進んでいない。

☆ニュートンで終わっているのだ。

☆現代数学に足を踏み入れよと。

☆そこでは、数学も科学も芸術も

☆新しい抽象化されたそれでいて現実的な

☆創造の世界を構築していると。

☆本書を読んで理解しても、日本の大学にははいれないかもしれないが、

☆世界を変えることはできる。

☆世界とはもちろん人間存在という世界である。

☆学問とは世界を創ることで変えることである。

☆今の日本の大学はそこから遠いということか。

☆人間存在からどんどん遠のいているということか。

☆次のフレーズを引用しておこう。

人間の知識は不確かなので、
変化に対して心構えをしておかなければならない。

それでも
なるべく混乱を起こさずに前進し
伝統を尊重しながらも
その奴隷になってはならない。

明快な思考と
注意深い観察の組み合わせが、
人間のもっとも「現実的」な武器だ。

数学者や科学者や芸術家のように
自分の想像力にもっと自由を持たせ
それと同時に
自分の自由の限界を
心に留めておかないといけない。

サンデル教授 東日本大震災は世界を変えるか?

2011-05-15 21:07:36 | パラダイム
☆NHK(BS1)で、「ハーバードからのメッセージ 世界は震災から何を学べるか」という番組が放送された。サンデル教授の「今回の大震災は世界を変えるか?グローバルなコミュニティの関係はどうなるか?」という基調講演をトリガーとして、その後パネルディスカッション、そしてまとめをサンデル教授。

☆今まだちょうど放送されているが、最初の講演で、サンデル教授は、まだ解答や結論はでていないと。だから、グローバルなコミュニケーションを最先端の通信技術で行っていこうということのようだ。

☆パネラーの論点も、今のところ結局非常時の意志決定システム、情報の開示と情報の発信と受信の正確さなど、コミュニケーションシステムの再構築。

☆やはり、コミュニケーションとは何かということである。そこで重要なことは、18世紀におこったリスボンの大地震が、啓蒙思想勃興期で、世界観が変わる時代に起きたというサンデル教授の指摘。

☆災害としては今までの数多くの災害があり、比較のしようがないが、リスボンの大地震はヨーロッパの世界観の転換のきっかけになっている点が違うと。東日本大震災も、もしかしたらグローバルなコミュニティにおけるコミュニケーションは可能かという世界観の転換があるかもしれないと。

☆そのためにハーバードで、サンデル教授はグローバル教室を開催していくという。

☆グローバルなコミュニティでコミュニケーションがとれるあるいはとろうとする市民を革新市民と、私はよびたい。革新市民のコミュニケーションは何が違うのか?サンデル教授のグローバル教室の実験は、それを明らかにしていくかもしれない。

☆そして、すでに日本のコミュニケーションはもしかしたら変わるかもしれないという予感も、サンデル教授は無意識かもしれないがビジョンを語っている。それは、リスボンでも啓蒙思想、東日本大震災でも啓蒙思想に学ぶべきことがあるというサンデル教授の背景思想である。

☆日本は明治維新で、富国強兵を推進するとき、啓蒙思想を切り捨てたという決定的転換があったのである。それが今回の大震災で啓蒙思想を再び再構築するということになれば、それは日本の政治経済・教育・法・医療などなどにおける言語組織が変わるということなのである。


これからの「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学
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早川書房

憲法記念日 ハンナ・アレントを読む

2011-05-03 10:25:06 | 
革命について (ちくま学芸文庫)
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筑摩書房


☆憲法記念日の前日、

☆容疑者ビンラディンは、米軍によって

☆撃破された。

☆テロは、戦争と革命の先に

☆必ずではもちろんないが、

☆生まれる可能性がある。

☆それを歴史から学び、

☆リスクマネジメントをしなければならない。

☆チュニジア、エジプト、リビア・・・。

☆革命が起きている。だが、それは何のため。

☆市民の解放のため?貧困からの解放のため?

☆それから憲法はどうなるのだろう?

☆そんな疑問がわいたら、ハンナ・アレントを読もう。

☆革命の構造が、いかに言語の葛藤によるものかがわかる。

☆もちろん、言葉だけでなく人間の心身とその命丸ごと

☆含んだ意味で言語の葛藤。表現1つで命が危険にさらされる

☆という意味での言語の葛藤である。

☆革命も戦争の後の処理も言語革命によらずして、

☆市民の自由と平和と幸福は安定しない。

☆言語の葛藤は、恨みと呪いと恐怖に転化し、

☆最終的には暴力に転化する。

☆それを抑えるための言葉上のルールに過ぎない憲法が

☆あるとしたら、それは問題である。

☆憲法とは市民のそして人間存在のコミュニケーション行為そのものである。

☆その行為の身心的構造そのものである。

☆市民としての存在、人間そのものとしての存在をサポートする道具などではない。

☆革命と平和と戦争と自由と幸福とテロと憲法の諸関係を考えながら

☆憲法記念日を迎えたい。

脱化石燃料へ また一歩

2011-05-03 08:46:42 | イノベーション
☆マイコミジャーナル 4月29日(金)0時10分配信 によると、


京都大学の村田幸作 農学研究科教授の研究グループは、食料との競合や環境問題を引き起こさない海洋バイオマス(多糖:アルギン酸)からのエタノール生産技術を確立したことを発表した。同成果は、2011年度日本農芸化学会大会でトピックス賞を受賞した(東日本大震災のため学会中止・発表中止)ほか、エネルギー・環境関係の専門誌「Energy&Environmental Science」に掲載された。

☆陸上でバイオマスを原料にエタノール生産をすると、「その供給量、運搬、食料との競合性、さらにはセルロース分解時の環境負荷などの諸問題が解決されていなかった」が、海洋バイオマスからのエタノール生産は、その解決の大きな一歩となると各界から期待されている。

☆これによって、陸上での化石燃料に乏しい日本は、

☆日本の広い海で、海洋バイオマスエネルギーを生産し、

☆世界に強く平和を提唱できる。戦争と今回の原発で

☆何度も被曝経験を持つ日本だからこそ、

☆核や原発を持たない平和を主張できるだろう。

☆環境科学平和立国へまい進したい。。。


韓国 事実上義務教育1年間拡大

2011-05-03 08:09:35 | 教育政策
☆東亜日報(2011年5月3日)によると、

満5歳の子どもが幼稚園か保育園のどちらに通っても同じ内容を教育させるよう、教育と保育課程が来年から統合される。また、幼稚園の教育費と保育園の保育費は、所得レベルと関係なく全ての世帯に支援される。政府が負担する義務教育期間が、従来の小学校から中学校までの9年に満5歳の課程を含めるようになったことで事実上10年間となる。・・・・・・私立幼稚園の教育費と保育費は来年から全ての世帯に支援される。例えば、所得下位70%の世帯に支給されていた教育保育費は、月17万7000ウォンから来年は20万ウォンへ拡大される。16年までに段階的に引き上げて、月30万ウォンまで支援する。

☆幼児期の子どもをもつ親は若い。このような支援は助かるだろう。ただ、経済上の理由だけではなく、
国の人材を大切にする姿勢が見えて、すてきだ。


金首相は、「満5歳の1年間は個人の能力と社会性の基礎が集中的に形成される重要な時期だ」とし、「就学前の子どもに対しても国の役割がさらに必要というコンセンサスが広がっているだけに、政府としてこのような社会のニーズを段階的に実現することにした」と説明した。

☆もちろん、「金姫廷(キム・ヒジョン)大統領府報道官は、政府の『選択的福祉』政策が『普遍的福祉』へ転じることを意味するものではない」と補足しているところはさすが。

☆普遍的福祉にならないようにするには、高校からは自律して進路を切り開けるように、

☆幼児期から教育に投資するという姿勢が一貫しているように思える。

☆補助輪は中学までで、

☆あとは補助輪はずして、乗ってねということか。。。



伊東乾氏の「長期微量被曝」の考え方

2011-05-02 07:25:17 | パラダイム
☆日経ビジネスonLineに連載している伊東乾氏の論考はいつもおもしろいのだが、今回の「長期微量被曝はどれくらい危険か」も実に興味深い。

☆5月に入り、福島第一原発の状態は、一定の安定をみており、世間は、事故直後の反応とは様変わりしてきた、しかし、原発事故による放射能に関する情報は、正しく怖がりながら判断し続けた方がよいよというメッセージ。

☆この正しく怖がりながらというのは、心の持ち方を示しているだけではなく、

☆正しく認識する方法論が描かれている。

☆伊東乾氏は、あらゆるものを鵜呑みにしない態度とどのよに調べたらよいか

☆著者の中で提示してくれる。読みながら新しい情報を得ると言うだけではなく、

☆情報を批判する考えるヒントも提供してもらえる。

☆政府や東電が今回の放射線量は、ただちに人体に影響を与える数値ではないとか

☆よく言っているが、本当のところどうなのだろう。

☆伊東氏は、微量であろうがなんであろうが、被曝はしているわけで、

☆それを正しく怖がりながら見つめようと。

☆被曝の影響は「確定的影響」と「確率的影響」がある。

☆メディアを通しての政府の情報発信は、そのどちらなのだろう?

☆それに個体差があるし、放射線量の影響は、身体の部分によってその影響は違うとも。

☆具体的な数値は、本文をお読みいただくことにして、

☆されに興味深いのは、「確率的影響」に対する学説が

☆2つあるという指摘。

「一定以下の線量なら、被曝による影響はない」と考えるのを「しきい値説」と呼び、
「どんなに少量の被曝でも健康に影響がある」と考えるのを「比例説」と呼ぶようです。


☆そして、この学説的な問いの設定が、世間とメディアの判断を狂わすと。

☆「しきい値説」は、本当は絶対に影響しないと言っているわけではないし、

☆「比例節」も絶対にやがて被曝すると言っているわけではない。

☆どちらも確率の問題にすぎない。

☆しかし、政府は「しきい値説」の立場に立って、

 ここで「分からないもの」は「ない」と言いたい、という、大本営発表的な思惑(「ただちに健康に影響があるというわけではない」)が介在するから、そこから先で、意味のない日常日本語によるやり取りがなされるのだと私はみています。

☆となるわけだ。

☆アイマイなこと、わかりにくいこと、グレーゾーンを避けて通ることは、

☆空元気な姿勢で、正しく怖がる姿勢とはま逆。

短期間に一定以上の頻度で被曝すれば、少しであっても確実に「リスク」つまり病気になる可能性、危険性は上がる、そう考えることにする、という、これは正しく怖がるための知恵なのです。転ばぬ先の杖、と言いますね。身を守るための知恵を言っているのであって、それを文字面でああだこうだ言う以前に、しっかり判断、沈着に行動するか、しないか、で結果が変わってきます。要するに「しきい値説」も「比例説」も疫学統計を解釈する学説に過ぎず、どちらがより妥当であろうと、私達の被曝予防は慎重であるに越したことはない、この1点に髪の毛ほどの揺るぎもないものと思う次第です。

☆それから、低線量被曝について、国際放射線防護委員会(ICRP)の見積もりの式も紹介されている。

癌死亡推定人数 = 0.05×総被曝線量×被曝人数
例えば、毎時10マイクロシーベルトでこれからの1年間、人口10万人の都市が被曝し続けるなら、
0. 05×0.00001×24(時間)×365(日)×100000(人)=438(人)


☆論理的に話すということは、最終的には方程式化するということである。

☆さらに、放射性の塵が舞っているときは、ハンカチよりトイレットペーパーだったとは、

☆政府は情報を提供しない知識でもある。

もっと興味深いのは、トイレットペーパーです。ハンカチより脆そうに見えますが、実は目が詰まっており、3つ折のトイレットペーパーでの除去効率は91%

☆このような実例に論理がつながって、初めて私たちに役に立つ情報になる。