私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書) | |
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講談社 |
☆平野啓一郎さんの
☆小説創作の軌跡。
☆プロセスフォリオ!
☆「私とは何か」をめぐる変奏曲。
☆「決壊」あたりから、明確に
☆本当の自分/嘘の自分というジレンマが、
☆個人(individual)というこれ以上わけられない個性という
☆近代生まれた概念の展開から生まれたと気づいたということらしい。
☆もともとはin-dividualという語源。
☆となると、dividualな状態が本来個性を
☆生成するのではないのかと。
☆dividualとは分離するということ。
☆それを否定するところから個人(individual)という概念が
☆近代に根付いてきたというアイデア。
☆たしかにdividualとはdualをさらに分離(divide)していくであるから、
☆人間は多様態である。それを否定(in)してしまうというのだから、
☆葛藤が起きる。
☆平野啓一郎氏の小説には、つねに思春期の葛藤をどのように解決するか
☆その過程の中でのキャラクターの予測不能な行動と気持ちに
☆引き込まれる。
☆それは常識的な「個人」を常に解体しているから、
☆解体できない私たちの推理はいつも裏切られる。
☆ミステリーやSFとはまったく違う成長物語なのだ。
☆その物語の船底には、「個人」から「分人」へという
☆メンタルモデルがあったのだということが了解できる。
☆ところで、inという接頭辞を否定を意味するものとしているが、
☆もしかしたら、inという接頭辞には、前置詞のinそのものの意味もあるとしたらどうだろう。
☆dualをdivideしていく内側へinの生成を「indvidual」だとしたらどうだろう。
☆個人(individual)には、もともと
☆これ以上分けられないという概念と
☆二重に分ける作業をさらに輻輳的に分離していくという概念の両義性が
☆あったとしたら。
☆そもそも矛盾やジレンマを包含した概念だったとは考えられないだろうか。
☆言語学や文学などあらゆる分野でアマチュアであるが、
☆そんなことを夢想する刺激を与えてくれた。
☆しかし、「個人」から「分人」へという表現はわかりやすい。
☆「個人」という言葉には、「非分人」と「分人」のぶつかり合いが
☆セットされているという表現はわかりにくい。
☆いずれにしても、「個人」という物象化され、抽象化され
☆個性なき標準化されきった近代。
☆この「個人」を解体する時代を
☆文学がものの見事にキャッチしているということだろう。
☆やはり時代の変化は、文学に反映するインパクトが生まれて
☆やっと成就する。いよいよ変わるということ。