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流出雑記 

アラーム

2008年07月12日 | Weblog
今日は午後から下鴨近辺で仕事。終わって次、南禅寺の方へ。
自転車で移動出来る距離だが暑くなってきたせいか体力の消耗を顕著に感じる。

二件目の開始までに少し余裕があった。

ヘーゼルナッツカフェラテの看板が目に留まる。
ドトール。
私は喫茶店などで飲み物をゆっくり飲むのが苦手で、人とお茶をするときは比較的スピードが落ちるブラックにするか努力してゆっくり飲むが、ひとりだとものの2分で飲み干してしまう。
それでなんとなく手持ちぶさたになり冷房がききすぎて寒いのであまり長居できずに出る。

そしてまた仕事。


時々、生命体としてどうにも嫌気がさすというか、不調な日が来る。
今夜だった。

あらゆることに対する意欲が減退し、自己嫌悪と、何がという訳でもなくもーいやだもーいやだと鳴るアラーム。
対処法は泣く。わんわんというよりぎゅうぎゅう。
その状況を叱咤する声も同時に混ざり、それに情けなさやら悔しさも加わって、上下左右から圧力がかかり、アルミホイルをくしゃっと握ったようなものになる。

その状態は長引かずしばらくするもとに戻る。

戻ると家を掃除したくなる。



七夕事件

2008年07月08日 | Weblog
昨夜、仕事の打合せに行くダーリンを見送り、夕飯の洗い物を済ませて8時半頃、お中元のお礼を言おうと母に電話をかけた。
母が出て、お中元届いたありがとうを言う前に、妙に冷静な声で、

今、大津の病院から連絡があり、事故でA(真ん中の妹)が救急搬送されてすぐに来てほしいと連絡があったので行ってくる
といきなり大きく予想外なことを口にした。

病院から詳しい説明はなく、どういう状態なのかわからないと言う。

前にも妹は事故をしたがその時は自分で電話をかけてきた。
滋賀県から帰宅途中のバイクだ。

病院からかかってくるということは動けないのだろうかと既にパニックで泣きながら私も行くと言ったが、病院からすぐ連絡するから待っててと母。
一先ず電話を切った。

しばらく唸りながら部屋の中をうろつきやっぱり待ってられないので大津に行くことにした。

母はあの子は運がいいから大丈夫、きっと連れて帰れるから車で行くと言った。
大した怪我でなく今夜は3人で実家に帰る、よかったよかったといいながら。
次の朝、いつものように私は仕事に行き、明日で最終日の奈良芸短でのポーズを務める ことになるはずだと信じて化粧ポーチと傘をカバンに突っ込み家を出た。

地下鉄は人も疎ら。
どうでもいい駅はとばしてくれ急いでいると苛々するが、乗ってるしかない。
ふと鏡をみるとマスカラの落ちた悲惨な顔。そんな顔でいくとそんな事態になりそうな気がして、普段しないが電車の中で化粧を直す。
顔が整うと心境も若干落ち着いたが、ついこの間、私の誕生日に妹にあけてもらったピアスが目にとまり、まただらだら涙が出てきて元の木阿弥。

何でもない怪我かも知れない意識不明かも知れない骨が折れてるかも知れない顔を怪我したかも知れない死んでいたらどうしよう
いろんなシチュエーションがひたすら脳裏を駆け巡る。

京都駅からJRにダッシュで乗り換え大津からまたダッシュで病院に向かい、電話から一時間後くらいに搬送先の赤十字病院に着く。

正面入り口は閉まっている。夜の救急病院にくるのは初めてだった。
警備の人に聞いて病院の中へ。
敷地内に入り受付に行こうとすると、ガラス越しの廊下に妹と母と見知らぬ男性が見えた。

歩いてる

あちらも私に気付き、来るとは思っていなかったという顔で見ている。
中に入り傍に行くと途端に安堵が全身を巡り、目から放流。
疲れきった顔の妹もおねいちゃんごめんと泣いた。
骨は折れておらず、外傷は打ち身とすり傷くらいで済んだが首を痛めたらしい。
一先ず48時間は安静にということだった。

道沿いの本屋のガレージに入ろうと左折した車にぶつかり横倒しになった。
相手は後ろにいた妹のバイクに気付かすウインカーを出すのも遅かったらしい。50歳くらいの男性。

三人で実家に帰る。生きててよかったーといいながら。
11時半頃帰宅。
晩ご飯がまだだった母たちは黒砂糖と醤油で炊いた母作茶色いかぼちゃと素麺を食べた。

この事件は幸い、七夕にお星さまにならなくてよかった という笑い話になったのだった。

光+闇=映画

2008年07月06日 | Weblog
久々の丸1日休み。
思う存分寝て11時前に起床。

今日は、みなみ会館という映画館に白井剛さんのダンス公演を観に行く。

その前に、よく仕事をいただくデッサン会の先生の画家であったお祖父様の遺作展を観に行った。

日本画で、掛け軸に描かれた風景や花は素直に美しく魅入ってしまう繊細さ、色使い、構図、思ったより長居してしまう。
アイスコーヒーと何方かの手作りの草餅をいただいた。すごくおいしい。。
会場にいらっしゃった先生と少し話しをして、気付いたら急いでも開演と同時に着く時間になっていた。

出町柳から東寺へ。
大した距離でもないのに大阪に行くより交通費がかかる。

みなみ会館に到着。運の良いことに10分押し。
ダーリンは映像記録スタッフで入っている。

50分ほどのソロだった。
スクリーンにはダンサー本人や映写室や万華鏡のようなもの、ロウソクの火などが映る。
時々テロップが出て、その中でおもしろかったのはダンサーが映写技師から聞いたという話しで

「映画と言うのはアニメーションと同じ原理で、1秒24枚の静止画で出来ており、その一枚一枚の間にシャッターをおろし素早く明滅させることで動いて見える。つまり2時間の映画を観ると言うことは1時間の光と1時間の暗闇を観ることだ。」

1時間の光と1時間の暗闇 

そういえば映画は点滅だったのだ。
点滅の合間に見えるものに感動したりする。

それでこんな上映を考えてみた。
ふたつの並んだ部屋がある。
部屋1…椅子しか無い真っ白な部屋。開演ブザーが鳴ると一切光の入らない完全暗転になる。
そのまま一時間、映画の音声のみ倍速で流れる。 ポップコーンと飲み物は入り口で売っているので持ち込み可。
部屋2…部屋1の暗闇から隣の部屋2に入る。部屋2には全面に2時間分の映画の静止画1728000枚が貼られている。

映画は出来るだけ認知度の高い名作がいいと思う。
今度何が最適かビデオ屋で探そう。

ダンス公演の内容よりそれが頭に残った。


公演後、撮影機材の片付けを手伝う。遅い上に出来ていない八の字巻きにもかかわらず報酬として帰りに京都駅でゴディバのチョコリキサーをおごっていただく。

ダーリンはその足で飲み会に行った。
私は昨日に引き続き今夜も蕎麦を食べたくなり、いいそばつゆを買って帰った。



帰国子女

2008年07月02日 | Weblog
数日遅れてダーリンからの誕生日プレゼントを受け取る。
アメリカに渡っているからちょっと待ってということだった謎のプレゼントは、ワインレッドのiPodさんだった。
りんごマークの上に小さく「mica&koume」と印字された特注、その為にiPodさんは渡米していたそうだ。

小さい
きっとビスコより小さい。

今までCDウォークマンだった。
もうディスクを持ち歩かなくていいのはうれしいが、いろんな音楽が混ざって入ることに何か抵抗感がある。
だからまだ試しに入れてもらったCD1枚分しか入っていないのだが使いこなせるだろうか帰国子女。


奈良通いもあと2回で終わる。
一昨日買って使用2回目の日傘を電車に忘れる。
駅の忘れ物センターで尋ねたが出てこず。

仕方なしに京都駅で新たな日傘を買う。
今度は猫マーク付き。
猫を飼うと猫グッズに目がない人になってしまう。

それとバーゲンの活気に便乗しサンダルを一足。

スーパーに寄り夕方帰宅。
小梅はいつも玄関でお出迎え。

からからになった植物に水をやり、溜まった洗濯物を洗濯し、汗と化粧を流しに風呂。

今日は久々にひとりの晩ご飯。
買って来たのは男前豆腐のジョニー、冷製かぼちゃのスープ、トマト、ソルダム。

あと残っていた蕎麦。

お湯を沸かす間に冷えたトマトを台所で立ち食い。だらだら垂れるがこの食べ方がおいしい。夏食ってる感じがする。
昼もかぼちゃサラダのサンドイッチを持って行ったのに性懲りも無くまたかぼちゃ。
ジョニーは醤油も薬味もいらんストレートで十分な濃厚豆腐。
調理しなくてもよい好物たち。一人暮らしを思い出す。

そばつゆはもうちょっといいのを買えばよかった。

ソルダム、辛いジンジャエール
墨の香りのお香
レコードでユーミン
んー

昼間の熱が肌に残っている感じもなんか好き

白い足袋の話

2008年07月01日 | Weblog
朝から奈良の美大でポーズし2時半頃京都に戻る。
いつもその後スーパーで専業主婦に混ざり晩ご飯の買い物をして帰る。

家に帰るには友人曰く「一種の行」にもなる坂を登らねばならない。
家の近所にはどうにも購買意欲のわかない商店しかなく、用事や買い物は出たついでに済ませるのが鉄則です。

アボカド丼が食べたかったが、青いのしかないのでやむなく予定変更。
しばらくアイデアがわかず店内を徘徊する。

豆あじが安い。
豆あじ…
南蛮漬けに決め、油ついでに茄子とピーマンの揚げだし。みそ汁はオクラとミョウガ。
独りの夕食ならあじのはらわたを引っぱり出す気も起こらないが、一緒に食べる人がいるとそういうこともしたくなる。

日傘付き自転車にスーパーの袋を積んでいつもの如く立ちこぎで坂を登る。
夕方帰宅。
隣のおばちゃんによく会う。
植木に水をやる時間帯。

おばちゃんは一人暮らしをしている。
40代くらいの息子と娘があるが既に家を出て、旦那さまは数年前に亡くなっている。
私の祖母に近い年齢だと思われる。

長く住んでいる人が多いこの町内に突然やってきた、何をやっているのかよくわからないワカモノの私たちに気さくに話しかけ、お隣さんとして受け入れてくれた。
時々ひとりでは料理しきれなかった野菜などをいただく。
先日はりんごを3つ。それは赤ワインとスパイスで煮てジャムにした。差し上げようかと迷ったがちょっと個性派ジャムなので見送った。
栗ご飯を炊いたときなどはおすそわけするご近所付き合い。

しばらく立ち話。

最近はとても疲れやすく、何を食べたら元気出るやろか というので、やっぱり鰻じゃないですか と薦めたが鰻は苦手な蛇に似ているのでダメだそうだ。
お里は海辺。鰻以外の魚は好きで、新鮮な魚を見る目は利くそう。

旦那さまはお刺身が好きだったので、毎日駅前の市場まで歩いて買い物へ。
おばちゃんは、旦那さまの体が悪くなる平成11年まではずっと着物で暮らしていたという。
それに白い割烹着、白い足袋。
特に足袋は毎日必ず真っ白なもの。
汚れた足袋を履いているということは、その家の掃除は行き届いていないと言っているようなことなので、真っ白な足袋にこだわったおばちゃんはその家の嫁、妻、母としてどこにも恥じない生き方をしてきたということだ。
美しいと思った。
真夏も真冬も着物姿であの坂を。

私たちの生活。
いろんな責任から免れて、私たちのためにすべての時間を好きに使って生きている。
夜中に散歩に出てアイスを求めてコンビニを渡り歩くことなんておばちゃんにはなかっただろう。

生きた時代が違う。
今は女性の生き方も幅広くなったが、おばちゃんたちの時代、女はもっといろんなことに耐えてきたのだろうと思う。

ただ、現在の、わたしの時間をすべてわたしのために消費する ということにこだわることが、どこか貧しいようにも感じられる。

「生活」を引き受けた潔く清々しい強さの白。

私の知らなかった美しさにはっとしたのだ。